2021年5月27日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
タグ:
久々の「一発屋伝説」となる。1970年夏の特大ヒット、クリスティーのデヴュー曲「イエロー・リバー」は英国では5月にチャートで1位を記録、米国はもちろんのこと世界中でよく知られた曲だ。(26カ国でヒット・チャートの1位を記録したという)日本でも全国のラジオで頻繁にオン・エアされていて、聞く度に明るい気分にさせられる「いかにも夏向き」のヒット曲だ。かなりのカバー・バージョンもあるので、当時を知らなくても曲を聞いたら「ああ、これか」と多くの人が言ってくれる曲でもある。
◎画像1 「イエロー・リバー」日本盤シングル
その名を思い出したのは、前回取り上げたカルメンの3枚目『ジプシーの涙(The Gypies)』のアルバムを久々に取り出してクレジットを探ったときのことだ。同作にはジェフ・クリスティーへの謝意(Special Thanks:Jeff Christie)が記されている。その関係性は一体何だ(?)と気になりながらも当時からわからないままだったことを思い出した。
確かにカルメンのドラマー、ポール・フェントンはクリスティーに在籍していた。しかし、米マサチューセッツで録音されたカルメンのラスト・アルバム『ジプシーの涙(The Gypies)』に何故ジェフ・クリスティーへの謝意が掲載されていたのか、私にとって長いこと疑問だった。
それがAngel Airから2008年に出された『Christie/No Turn Unstoned』と2012年の『Outer Limits/Jeff Christie-Floored Masters-Past Imperfect』のブックレットの解説で謎が解けた。今回はその辺りも含めて紹介しようと思う。
70年代の突入期には「サンシャイン・ポップ」と称されたひとつのジャンルとも言える明るい曲調のヒット曲が次々と登場した。一方で「バブルガム・サウンド」と呼ばれて軽く見られた一群とも重なってきてしまうのだが、ヒット曲はそれでいいのではないかと思う。
当時はロックが台頭してきたこともあって、「ポップスは子供が聞くもの」なんていう偏見もあった時代だが、今となってはそんなことはどうでもいい。理屈なしに明るく楽しいサウンドでその時代を彩り、その後多くの人の記憶に残っているというのはなんて素敵なことだろうと思う。
★音源資料A クリスティー 「イエロー・リバー」① (オリジナル・クリップ)
「イエロー・リバー」は本当によくラジオから流れていた。まずタイトルが「中国の黄河のこと?」と当時の私は単純に想像していた。よく聞けば、イントロから最初の歌詞が流れるところまではちょっと不思議なメロディーを持っている。歌い出しのスタッカート気味の音符(最初の4小節)をストレートに並べるとよく知られた中国の有名な曲に似てくるのだ。それだけにタイトルは中国の黄河をモチーフにしたものと長いこと私は信じていた。でも、意識しなければ普通にポップスになってしまうことがすごいものだと変なところで感心していたことが思い出のひとつ。
もうひとつの思い出。中一の夏、「イエロー・リバー」が流行っていた頃、私は目の不調から眼科に行くことになった。学校を早退して病院に入って待合室にいると、ちょうどラジオのベスト10番組が流れていて「コンドルは飛んで行く」「イン・ザ・サマータイム」「恋の炎」「イエロー・リバー」と当時大好きだった曲が流れてきた。病院の待合室でラジオがかかっていたことにも驚いたが、それらを聞くことで不安な思いが見事に解消され、診察・治療を終えることができた。片目をガーゼと絆創膏で固定された自分の姿は、他人から見るとずいぶん奇妙に映ったようだったけれど・・・
この曲の歌詞は、兵役が終って故郷に帰ることになった兵士の心情を歌った曲だ。その兵士の故郷にある川が米インディアナ州に実際にあるイエロー・リバーということになる。時代的にベトナム戦争を想起させるが、実際に当時の米兵たちはこのクリスティーの「イエロー・リバー」のように故郷に帰れる日を夢見て口ずさんでいたというほどに親しまれた曲でもあった。
じつはジェフ・クリスティーが子供の頃に読んだ「アメリカの市街戦(American Civil War)」をテーマにした小説にインスパイアされたものらしく、そちらの方はハンク・ジャンセンという作家が書いたカウボーイの物語だという。「イエロー・リバー」の日本盤シングルのジャケットに映る3人のメンバーが米南北戦争時代のものと思われる軍服を着ているのもそんな理由があったことがわかって面白い。
でも、クリスティーって英国のバンドだったよな。
クリスティーはこのデヴュー曲で大ヒットを飾ったことになるが、実際に「イエロー・リバー」が形になるまでにはドラマがあった。
中心となるジェフ・クリスティーは英リーズ出身。10代からバンド活動をはじめ、アウター・リミッツ(Outer Limits)を結成し英Elephant(’65)から片面1曲、その後Deram(’67)とImmediate傘下のInstant(’68)から各1枚のシングルを出している。最初のシングルがちょっとしたヒットになったことから、結構注目されジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイド、ザ・ムーヴ、エーメン・コーナー等の超大物とのツアーでの同じステージも経験している。
◎画像2 Outer Limits ツアー告知
そして彼は自分の立ち位置としてソングライターの面白さに気づき、アウター・リミッツ解散後に曲創りを主眼に置くようになる。そんな中で出来た曲が「イエロー・リバー」だった。
68年に出来上がったその曲のデモ・テープを最初にDeccaのスタッフに聞かせたが、長く待たされただけで結局いい返事はなかった。他にもあらゆる関係者にコンタクトを試みたが結果は同じだった。そんな中で、トレメローズ(Tremeloes)のギタリスト、アラン・ブレイクリー(Alan Blakely)が興味を示してくれた。トレメローズはDeccaのオーディションでBeatles以上の評価を受けた伝説的なエピソードを持つバンドとして知られ、63年のBrian Poole & Tremeloesとしてのデヴュー以来多くにヒットを持っている。66年からはプールが抜けバンド名もシンプルにトレメローズとしてそれまで同様に活躍していた人気バンドだった。彼らは「イエロー・リバー」を録音までしたのだが自分たちの曲としてリリースすることには何故か二の足を踏んでいた。結局、ジェフに自分でバンドを創って出したらどうかというアドバイスを受けた。その「イエロー・リバー」はトレメローズが録音した音源にヴォーカルをジェフが入れ直すことで出来上がってしまった。さらに、トレメローズが在籍していたCBSとの契約も取り付けてくれた。
様々なタイミングの交錯があって、結果的にクリスティー名義の「イエロー・リバー」は大ヒット曲となるわけだ。
新たに創るバンドのメンバーは、アラン・ブレイクリーの兄でドラマーのマイク(Mike Blakely)と、彼がThe Epicsというバンドで一緒に活動していたギターのヴィック・エルメス(Vic Elmes)の二人が紹介されトリオ編成が出来上がった。バンド名は、サンタナ(Santana)に習ってジェフのファミリー・ネームのクリスティーでいくことが決まった。ジェフは楽器を何でもこなせたこともあり、アウター・リミッツ時代はギター担当だったが、ここではベースに持ち替えることになる。
当時のポップ・ソングは何でもありで、レコード・ジャケットのメンバーがすべて別人だったドーン(Dawn)やカフ・リンクス(Cuff Links)の例を筆頭に、同一人物なのに何種類もユニット名を使い分けたジョン・カーター(John Carter)の存在など、後で知ってびっくりした経験は色々あった。
でも、あれだけ流行って、大好きで聞いていた「イエロー・リバー」もバックはじつはクリスティーではなくトレメローズの演奏だったということを知ったのはもうCD時代になってからのこと。結構ショックだった。運良くトレメローズのベストで彼らの「イエロー・リバー」も聞けたのだが、なるほどヴォーカル以外クリスティーとして出された音源と全く同じ演奏だった。(トレメローズも結局70年にスペイン語で「イエロー・リバー」を「No Comprendes」として歌い、スペインのみでシングルとしてリリースしている。)
★音源資料B トレメローズ 「イエロー・リバー」
今回のコラムで「一発屋」とタイトルづけたものの、クリスティーの2枚目のシングル「思い出のサンバーナディーノ(San Barnadino)」も英米はもちろん、日本でもけっこうなヒット曲となっていた。こちらもじつにいい曲で私は今でも時々思い出して聞いている。当時を覚えている同年代と話をすると、こちらのほうが好きだったという声が結構あって面白い。
★音源資料C クリスティー 「想い出のサンバーナディーノ」
そして2枚のシングルを含む最初のアルバムが出るわけだが、ワクワクしながら聞いた。英米で色合いは異なるのだが、英国盤のジャケットの黄色の鮮やかさが大好きだ。
クリスティーの当時の音楽誌の評価では、「カントリー・ロックを演奏するグループ」で「もう少しがんばればCCRに追いつけるかも」なんていう声があって、ちょっと鬱陶しかった。
アルバムには、確かにコンパクトにまとまって普通にポップ・ロックとして気軽に楽しめる曲が多いのだが、当時は私自身「カントリー・・・」という言葉にちょっとした拒否反応を持っていた。今になって考えるとそんなにムキになることも無かったのだが・・・何となくお手軽ソングと言われているように思えたのだ。今では大好きなジャンルのひとつなのに、当時「クリスティーをカントリーなんて呼ぶな」と真剣に反論する姿勢を持っていたことは、汗が出るほどに恥ずかしい。
またCCRの泥臭さも当時は苦手なほうだった。ブルージーなものはダメだったが、好きな曲もたくさんあった。ただ当時からCCRが69年に出したシングル「グリーン・リバー」と色違いの「リバー」つながりだったことも比較される対象になってしまったのだろう。
ちょっと余計なことを書いてしまったが、マイク・スミスにプロデュースされたアルバム「クリスティー」は急ごしらえで創られた割にはよく出来ていた。何よりもトレメローズの演奏による「イエロー・リバー」も含まれているのに、収録曲は違和感なく聞けた。
◎画像3 シングル「思い出のサンバーナディーノ」+アルバム「クリスティー」
実際には、ジェフ・クリスティーはカントリー・ミュージックが大好きだった。当時のCCRとの比較に関しても、彼らの音楽をリスペクトしていたというから、当時の音楽誌のコメントは正しかったと言える。実際、どれもシングル・カット出来るほどコンパクトにまとまった愛すべきアルバムである。
メンバーは先に述べた3人なのだが、ギターのヴィック・エルメスはともかくドラムのマイク・ブレイクリーが問題だった。アルバムでは彼は演奏せず、スタジオ・ミュージシャンのクレム・カッティーニ(Clem Cattini)ら数人のドラマーを起用してのレコーディングになった。マイクがドラムを叩いているのはシングルのB面にもなっている『Down TheMississippi Line』だけだったという。さらにはライヴ的な演奏も出来なかったということで交代劇となり、ジェフの昔からの友人ポール・フェントンが参加することになった。すぐに、大ヒットしていた「イエロー・リバー」のビデオ・クリップも新たに取り直すことになった。
★音源資料D クリスティー 「イエロー・リバー」②(ポール・フェントン・ヴァージョン)
このクリップも当時見ていたのだが、そのドラムセットにびっくりした。ツインバスも初めて見たが、それを使いこなすポール・フェントンってすごいなと思った。当然その頃は彼の名前も、交代したメンバーだということも知らずにいたが、最初に見た衝撃は大きかった。
ジェフの考えの中には最初から彼をドラマーに置きたかったのだが、恩人とも言えるトレメローズのアラン・ブレイクリーの顔を立てる必要もあったのだろう。実際に叩けなかった(!)マイクは自分から脱退を申し出たという話もある。この交代劇が本格的なロックに向かいたいというジェフの夢に向かわせることになる。
3枚目のシングルは「気になる男(Man Of Many Faces)」だった。2分ちょっとのコンパクトなポップ・ロック・ナンバーだが、新曲としてラジオから聞いた瞬間に気に入った。ただ、後で多くの知り合いに聞くと「イエロー・リバー」「想い出のサンバーナディーノ」は知っているが、この曲は知らないという声が多かった。クリスティーの新曲としてラジオで紹介されたが、確かにオン・エア回数は少なかったかもしれない。
★音源資料E クリスティー 「気になる男(Man Of Many Faces)」
私としてはそれまでの雰囲気を十分持ちながらも重いリズムにロックらしさを感じて大いに気に入った。しかし、ジェフとしてはもう1曲最初のアルバムからポップなナンバーを出すことで「イエロー・リバー」の方向性を見せた上で、本格的なロック・アルバムを仕掛けるといった戦略を持っていた。それだけにこのシングル・リリースには困惑した。少しでも新しい新曲を出したいというレコード会社(CBS)の思惑が先走ったことを残念がっていた。
この「気になる男」もプロモート・フィルムが作成されていて当時のフィルム・コンサートで目にしたのだが、曲の良さの反面あまりにトホホの編集でがっかりしたものだ。(Youtube上にはあるので興味ある方は見てほしい。)
そして2作目のアルバム『For All Mankaind』の登場だ。この作品も国内盤で発売計画が告知されていたので楽しみに待っていたのだがでないままに終った。結局聞いたのはずっと後になってからになるのだが、ジャケットだけは目にしていた。墓碑銘が表面、内側には原爆直後の広島の情景が全面にカラー処理されている。そしてタイトルが『全人類のために』である。決して、ただのポップ・アルバムには見えなかった。強いメッセージ性が感じられたが、トータル・アルバム的に硬くとらえる必要はなさそうだ。
◎画像4 シングル「気になる男」+「Christie/For All Mankind」
全編、ポール・フェントンの重いリズムが特徴的だが、ジェフは各種キーボードも加え、ヴィック・エルムスのギターも技巧派ではないが堅実な演奏で3人の家内制手工業的な温かさも感じられる好作品という印象。個人的には「気になる男」はもちろん、キャッチーな「Peace Lovin’ Man」が大好きだ。荘厳なタイトル曲「For All Man Kind」とラストの「If Only」も名曲だ。
日本では、残念ながら「気になる男」を最後に彼らの新しいシングルはリリースされなくなったが、英国では「Everything’s Gonna Be Alright/Freewheelin’Man」「Iron Horse/Every Now And Then」と71年に続けてリリースし、「Iron Horse」のほうは72年3月に47位を記録している。その後も74年までに英国シングルは「Fool’s Gold/Caifornia Sunshine」「The Dealer/Pleasure And Pain」「Alabama/I’m Alive」の3枚が出されている。その間、メンバーも何度か入れ替わっているが詳細はここで省略する。
「イエロー・リバー」は世界中でヒットしたことから、アフリカや南米にもコンサートに出かけ、共産圏でも最初にライヴを行ったことで知られている。
彼らはドイツ、オランダ、イタリアを中心にヨーロッパでその後も人気が高く、驚くことにそれ以上に南米で格別の扱いを受けていた。74年には南米オンリーのシングルやEPが出され、何度も出かけて行った。その74年のEPのジャケットをよく見てほしい。
◎画像5 Christie/ Navajo (Mexico EP)
ポール・フェントンはカルメンに加わることになるので脱退している。その後メンバーの出入りは何度かあったのだが、その74年に何とキャパビリティー・ブラウン(Capability Brown)のロジャー・ウィリス(Roger Willis)(ds)、トニー・ファーガソン(Tony Ferguson)(g)、グラハム・ホワイト(Graham White)(g)の3人がオーディションを受けてクリスティーの正式メンバーになった時期があった。このことはジェフ・クリスティーのHPに記載されていて驚いた。改めて調べてみると、Wikipediaにも元キャパビリティー・ブラウンという説明はなかったが彼らの名は載っている。
南米でのコンサートでは、キャパビリティー・ブラウンのレパートリーだった「Red Man」と「Liar」が演奏されたということも記されている。(結果的にグラハムは父親の病気の関係で参加できなかった。)
クリスティーの活動は75年に停止することになる。
76年には彼ら3人はクレイジー・カット(Krazy Kat)を組んでアルバムを2枚出すことになるわけだから時期的にはぴったりと符合する。
画像5をよく見ていただくと、このジャケットに使われた写真は本コラムの1回目でキャパビリティー・ブラウンを取り上げたときの冒頭に掲載された写真と同じだ。私の不備でメンバー写真をカケレコさんの方で選んでもらったものだが、ちょっと違和感があった。まずキャパビリティー・ブラウンは6人組で人数が合わない。そして前に座っているメンバーは他の場面で見たことがある・・・と思っていたのだが、この写真はクリスティーを中心に3人のメンバーがオーディション後に映ったものだった。
左からグラハム、ロジャー、トニー、一番右に写っているのは3代目のベーシストで元Juddのロジャー・フラヴェル(Roger Flavell)で3人をクリスティーに紹介した立役者。前に座っているのは何のことはない、親分ジェフ・クリスティーだった。
★音源資料F Christie /Navaro
74年にイタリアと南米で出された「Guantanamera」(あまりに有名な曲のカバーで、ほんまかいなと驚いた) 、「Navajo(Wake Up Navajo)」のギター・アンサンブルとコーラスは間違いなくキャパビリティー・ブラウンのサウンドで、彼らが加わっての演奏だ。特に意表を突いた選曲ではあったが「Guantanamera」のスペイン語のヴォーカルを取っているのはロジャーのようだ。
確信は持てないが、その前のシングル「Alabama」と「I’m Alive」も彼らが参加してからの演奏に聞こえるのだがどうだろう。(前述のWikipediaでは「Alabama/I’m Alive」はその前のメンバー期のように書かれてはいるのだが・・・)興味ある方はCD『For All Mankind』(独Repertoire)を聞いてみてほしい。ボーナス・トラックとして収録されている。
★音源資料G Christie /Alabama
そしてクリスティーは75年にシングル「The Most Wanted Man In The USA/Rocking Suzanna」でバンド活動を停止することになる。
前回のコラムで取り上げたカルメン(Carmen)。3作目『ジプシーの涙(The Gypsies)』の録音が行われた場所を覚えているだろうか。それまでの2作を録音した英ロンドンから離れ、米マサチューセッツのロング・ヴュー・ファームというスタジオだった。75年のことだ。
同じ時期、そこにジェフ・クリスティーもバンドの活動を止めたばかりで自分のソロ・アルバムを作成するために来ていた。偶然だったのだろうか?
73年ポール・フェントンがクリスティーを辞め、カルメンのドラマーとして参加することになった時、ポールは「ジェフとのそれまでの友情と信頼関係を失いたくなかった。円満解決が出来たらと思っていた。」と語っている。
その時点で、ジェフはカルメンのメンバーと会い、そのアイディアが素晴らしいことをまず一番に伝えた。何より、ジェフ自身幼い頃からフラメンコが好きで、本当はフラメンコ・ギターを学びたかったけれどいい先生に巡り会う機会がなかったという思い出があった。そんな考えからポールを後押しして応援するような位置に立っていたのだ。カルメンは先の2枚のアルバムがロンドンで録音され、デヴィッド・ボウイの後押しもあってセンセーショナルな位置を獲得した。
しかし、その音楽的な充実の一方で、営業的には不振のままで半ば失意の中でロング・ヴュー・ファームのスタジオにいた。
ジェフはカルメンのアルバム録音に立ち会い、何と3曲に参加したアルバムに彼に対しての謝辞が添えられていたことにはそんな事情があった。残念ながらその3曲がどの曲で、どんな形で参加したのかは明確にはされていない。
ジェフはカルメンとジェスロ・タルの75年初頭のツアーのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴを見ている。その後自分のアルバムを録音するためにロング・ヴュー・ファームに移動するのだが、もうひとつの目的は、旧友ポール・フェントンのために、そして自分の好きなフラメンコ・ロックを演奏するカルメンの手助けをすることにあったのではないだろうか。
ただ、そこでジェフは彼の父親の死の知らせを受け、急遽英国に戻ったこともあり、すべて思うように進まなかった。自らのソロ・アルバムも未完成のままで終ってしまった。
◎画像6『Jeff Christie/Outer Limits+Floored Masters-Past Imperfect』
ジェフのそのソロ・アルバム用の曲にもじつはカルメンのメンバーが参加していた。2008年にAngel Airから出された『Jeff Christie/Outer Limits+Floored Masters-Past Imperfect』という2枚組の編集盤にクレジットされている。この作品はジェフの初期活動であった66年から68年までのOuter Limitsの音源をCD 1にまとめ、CD 2には未完成のままだったソロ・アルバムを中心にしながら彼のクリスティー活動停止後の年代ごとに音源がまとめられている。
しかし、そのまとめられた年代には疑問が残ってしまう。全21曲収録された中で最初の15曲が「1978-80」とされている。ジェフが80年に発表したシングル2枚分4曲も収録されている。ロンドンRKスタジオでの録音で、そこには演奏メンバーとして7人がクレジットされているのだが、ポール・フェントンとジョン・グラスコックも参加している。(彼らを含めてベーシスト、ドラマーは2人いる)年代を信じると、フェントンはT-Rex関連の仕事を終えた後、グラスコックはジェスロ・タルとの仕事の間を縫ってということになるのだが、どうも釈然としない。前回のコラムでも言及したように、この二人はカルメン3作目の録音終了後も75年にはしばらくロング・ヴュー・ファームに残って滞在していたようなのでそこでの収録が元になった可能性もある。
★音源資料H Jeff Christie / On The Same side
特筆すべきは9曲目の「On The Same Side」。カルメンのナンバーとも言えるようなフラメンコ的な華麗な雰囲気を持ったダンサブルな曲。ここでのベースは間違いなくグラスコックだろう。リード・ギターはデヴィッド・アレン、バックヴォーカルにアンジェラが参加しているように思えてしまう。10曲目の「Saints And Sinners」もドラムスは間違いなくフェントンと想像できる。
★音源資料I Jeff Christie / Turning To Stone
そして「81年より後」としての2曲「Shine On」「Turning To Stone」は、明確にロング・ヴュー・ファームでの録音で、フェントンとグラスコックに加えて、アンジェラ・アレンとロバート・アマラルのヴォーカルもフューチャーされているのだ。これは間違いなく75年に録音したもので、他にここでももう一人のドラマーとボストン交響楽団のストリングスも加わっているので、ミックスも含めて完成した年代が「81年より後」であると考えるのが妥当かもしれない。さらに言えば別のドラマーが参加しているということはフェントンの落馬事故による影響があったのかもしれないと想像する。
どちらにしても、グラスコックに関してはジェスロ・タルに参加後79年11月に亡くなっているので、その後のセッション参加はあり得ない。
さらに驚いたのは、ボーナス・トラックとして収録された4曲のうちの1曲「It Ain’t Easy」ではベースにジョン・ペリー(John Perry)、ドラムスにはサイモン・フィリップス(Simon Phillips)が参加している。(ウィンブルドンのRG Jones Studioでの録音だが、日付は記載されていない。)
とは言いながらも、ここに収録された音源を聞くと温かい気持ちにさせられる。まず、ジェフの作曲能力の高さが感じられた。その時代の音楽性に敏感に反応していることもあってキーボードの過剰な装飾は気になるが、正式に煮詰めたアルバムとして完成していたならば、AOR系の名盤のひとつになっていたようにも思える。
◎画像7 『Christie/No turn Untold』
2012年に今度もAngel Airからクリスティー名義の2枚組『Christie/No turn Untold』というアルバムが発表されている。ちょっと紹介しておこう。気をつけてほしいのはクリスティーのアルバムではあるがヒット曲が収められたベスト盤ではない。
CD1には71年から75年までのクリスティーとして活動していた時期の未発表曲を収録している。最初の4曲は73年のデモ。フェントンの後を受けたテリー・フォッグ(Terry Fog)がドラムス。エルムス脱退後のギタリストがダニー・クリーガー(Danny Krieger)。ベースはロジャー・フラベル(Roger Flavel)。ジェフはギター、ハーモニカ、ヴォーカル担当。ポップ・バンドというよりはかなりロック寄りの演奏になっている。5曲目から10曲目まではジェフが一人で多重録音したデモ。こちらはシングルを意識したポップな曲が並ぶ。残りも17曲目を除いてやはりジェフの多重録音だが、ドラムのみマーク・クリスティー(Mark Christie)がクレジットされている。ジェフの身内だろうか。どの曲もクリスティー名義でなくとも採用されたらヒットも期待できる曲だ。いくつか聞いたことのあるメロディーもあるので、実際に他のミュージシャンに取り上げられた曲もあるかもしれない。17曲目の「One Way Ticket」は、フェントン、エルムス、ジェフ、そしてベースにレム・ルービン(Lem Lubin)が加わったバンド演奏のデモ。ブルージーなロックン・ロール・ナンバー。CD全体の音質はデモならではの雰囲気が強い。
CD 2にはクリスティーとしてはその活動を終えた75年から80年までのジェフのデモ・レコーディング曲をまとめて収録してある12-14曲まではポール・フェントンが加わっている。17曲目「Tonight」(75年ロング・ヴュー・ファーム・スタジオ録音)と20曲目「American Boys」(80年ロンドンRK スタジオ録音)はフェントンとグラスコックが加わっている。ここでのクレジットも79年にグラスコックは亡くなっているので違っている。
16曲目「Movin On」もロング・ヴュー・ファーム・スタジオでの録音だが、ドラムスはジェシ・ヘンダーソン(Jesse Henderson)、女性ヴォーカルにアニー・マックローン(Annie McCloon)となっている。この様子を見ると、当然のこと75年のロング・ヴュー・ファーム・スタジオにはカルメンのメンバーだけでなく、ジェフが呼んだミュージシャンも集まっていたわけだ。このCD 2はしっかりした音質。
ジェフ自身、音楽活動を休止していた期間もあったが、2000年代に入ってからは各所でライヴ活動を行い、健在ぶりを示している。1曲でも大きなヒット(それもワールド・ワイドで)を持っているという強みはもちろんだが、こうして調べてみる中で、彼の人柄のよさが各所で見られた。そのことが嬉しい。
久々の「忘れられない一発屋列伝」としたのだが、「イエロー・リバー」の紹介はともかく、前回のカルメンを取り上げたときに思い出したことを自分の中で明らかにしたい思いが強くなってしまった。後半の英Angel Airからのアルバムについては、持っていない人にとっては退屈なものだったかもしれない。ただ、カルメンの3作品も同じAngel Airから2イン1で2種リリースされているのは興味深い。ロックというフィールドと、ポップ・ミュージックの世界というのは冒頭で触れたように本来、人脈的にも音楽的にも行き来するはずのものなのに、その間に壁があったようで広く関わりが研究されてこなかった印象がある。
近年、ソフト・ロックという言葉が広がり、レコード時代にポップスとして軽く扱われていた音楽がここに来て注目されていることは歓迎すべき状況だと考えている。
私がはじめて買ったシングル盤は皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」とルー・クリスティーの「魔法」だ。世の中では、そうした事実を「ハジレコ(初めて・・・恥)」という言葉で表わしていたが、その言い方はあまり好きではない。自分の生き方の中にそんな事実があったことを恥じることも自慢することもなく素直に言えるといいなと思う。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第1回はコーラス・ハーモニーをテーマにプログレ作品をご紹介します。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第2回は50年前の1968年ごろに音楽シーンを賑わせた愛すべき一発屋にフォーカスしてまいります。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第3回は、ことし未発表音源を含むボーナス・トラックと共に再発された、ブリティッシュ・ロックの逸品DEEP FEELINGの唯一作を取り上げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第4回は「1968年の夏」をテーマにしたナンバーを、氏の思い出と共にご紹介していきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第5回は今年4月にリリースされた再発シリーズ「70’sUKPOPの迷宮」の、ニッチすぎるラインナップ20枚をご紹介していきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第6回は氏にとって思い出深い一枚という、イアン・ロイド&ストーリーズの『トラベリング・アンダーグラウンド(Travelling Underground)』の魅力に迫っていきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第7回は一発屋伝説の第2弾。72年に日本のみで大ヒットした、ヴィグラスとオズボーン「秋はひとりぼっち」を中心に取り上げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回取り上げるのは、英国キーボード・ロックの金字塔QUATERMASSの70年作!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。前回に引き続き、英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASSとその周辺ミュージシャンに迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。前回に引き続き、英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASSとその周辺ミュージシャンの活動を追います。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。4回にわたりお送りした英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASS編も今回がラスト。ベーシストJohn GustafsonとドラマーMick Underwoodの活動に焦点を当てて堀下げてまいります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。英国ポップ・シーンの華麗なる「一発屋」グループ達にフォーカスいたします♪
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回取り上げるのは、第2期ルネッサンスの1st『プロローグ』と2nd『燃ゆる灰』!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第14回は、キース・レルフが率いた第1期ルネッサンス~イリュージョンをディープに掘り下げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第15回は、キース・レルフにフォーカスしたコラムの後篇をお届けします!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第16回は、英国ロックの名グループMARK-ALMONDの魅力に迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第17回は、英国ロックの名グループMARK-ALMONDをフィーチャーした後篇をお届け!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第18回は、70s英国プログレの好バンドJONESYの魅力を掘り下げます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第19回は、北アイルランド出身の愛すべき名グループFRUUPPの全曲を解説!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。70年代初頭に日本でヒットを飛ばした2つのグループについて深く掘り下げてまいります。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWNの作品群をディープに掘り下げてまいります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWNの作品群を、アコースティカルなグループに絞って掘り下げます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWN特集の最終回。これまで紹介していなかった作品を一挙にピックアップします!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、プロコル・ハルムによる英国ロック不朽の名曲「青い影」の魅力にディープに迫っていきます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!
【関連記事】
ベテラン音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、アメリカを代表するハード・ロック・バンドGRAND FUNK RAILROADの魅力に迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、前回取り上げたG.F.Rとともにアメリカン・ハード・ロックを象徴するグループMOUNTAINの魅力に迫っていきます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、中国によるチベット侵攻を題材にしたコンセプト・アルバムの傑作、マンダラバンドの『曼荼羅組曲』の魅力にディープに迫っていきます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。マンダラバンドの2nd『魔石ウェンダーの伝説』の話題を中心に、本作に参加したバークレイ・ジェームス・ハーヴェストとの関連までをディープに切り込みます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。マンダラバンドを取り上げる全3回のラストは、デヴィッド・ロールとウーリー・ウルステンホルムの2人の関係を中心に、21世紀に復活を果たしたマンダラバンドの活動を追います。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、クリスマスの時期に聴きたくなる、ムーディー・ブルースの代表作『童夢』の魅力を紐解いていきます☆
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。2021年の第1回目は、英国プログレの実力派バンドCAMELにフォーカス。結成~活動初期の足跡を辿ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。前回に続き、英国プログレの人気バンドCAMELの足跡を辿ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。デビュー~70年代におけるキャラヴァンの軌跡を追います。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。フラメンコ・ロックの代表的バンドCARMENの足跡をたどります。
コメントをシェアしよう!
カケレコのWebマガジン
60/70年代ロックのニュース/探求情報発信中!