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「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ」 第五十二回 なぜ「ム」。 文・市川哲史


第五十二回 なぜ「ム」。


【なおム】ーディー・ブルースは、もとい、【なぜム】ーディー・ブルースは輝かしい実績なのに、ずーっと過小評価されてきたのだろう。前回書いた〈超大型新人〉の露払い&噛ませ犬として、栄光のキング・クリムゾン伝説の一翼を担わされた半世紀は、察するに余りある。あ、本人たちは知らないからいいのか。


1960年代に、ムーディーズほど目先が利くバンドはいなかったんじゃないか。実は。


まず、バンド名が素晴らしい。ムーディーなブルースだよ? たぶんやたら緩ぅーいブルースでお馴染み、スリム・ハーポの同名曲から名付けたと思うけど、当時としては相当お洒落でキャッチーな「商品名」だったはずだ。1964年結成当時の《M&B FIVE》という、内山田洋とクールファイブや鶴岡雅義と東京ロマンチカ的なグループ名に較べれば、17万倍は素敵である。

それより何より、地元バーミンガムのビール会社《M&A》から資金援助を引き出すために《M&B》を名乗るという、大学生の広告研究会的な〈軽さ〉に感服した。このマーチャンタイジング力は珍しい。しかも肝心のM&A社からスポンサー契約を断られたもんだから、慌てて「とりあえずMとBが頭文字になるバンド名にしないと、恰好つかんだろ」てな流れで思いついたようだ。軽い。軽いよ。

1964年11月、2枚目のシングルなのに“ゴー・ナウ!”は英1位で米10位で、ウイングス全盛期のライヴでポールが「わざわざ」デニー・レインに唄わせて当然の、大々々々ヒット曲だった。だけどこの楽曲をカヴァーした理由が、単にNYの有名DJ(←皿回しじゃないよラジオ・パーソナリティーだよ)が薦めてくれたので「なら」と乗っかっただけというのも、軽くていい。もはや必殺技だこのノリのよさ。


ムーディーズ永遠の代名詞・メロトロンを初めて導入したのもたぶん、“ゴー・ナウ!”しか求められない〈絵に描いたような一発屋〉キャバレーどさ廻り欧州巡業の末だったはず。その後のシングルもデビュー・アルバムも鳴かず飛ばずで、計画倒産したマネジメントにギャラを全て持ち逃げされ、あまりの困窮さに唯一の既婚者メンバーが脱け、そしてバンマスのデニー・レインまで音楽的方向性の相違とかなんとか言っていなくなっちゃっての、日銭稼ぎの営業生活だ。虎の子の“ゴー・ナウ!”を唄ってたレインもいないのに。そりゃ「ドラえもーん、楽団みたいな音が簡単に出せたらどこのクラブでもウケるのにぃぃぃ」なんてのび太レベルの妄想が膨らみ、藁をもすがる想いがあの〈どこでもオーケストラ〉を購入させた気がしてくるじゃないか。案外。

1993年制作の「誰が観るんだ」ドキュメンタリー映画『MELLODRAMA : The Mellotron Movie』をおそるおそる観たら、「そのとき買った中古のメロトロンの効果音系を全部取っ払い、ストリングスばっかに自分でカスタマイズした」とマイケル・ピンダーが得意げに喋ってたから、間違いない。マクマン&テイト社といい白クマ広告社といいムーディーズといい、新しもん好きは広告代理店業の基本なのだ。おいおい。

とはいえピンダーはバンド結成前の二年間、英国初のメロトロン製造販売メーカーの工場で働いて「完成品の動作を確認して〈承認〉のハンコを押す仕事」、要するに出荷前の検品をしてたんだから、そのよしみで新品を安く売ってもらえなかったのだろうか。社員割引かなんかで。ああ世知辛い世知辛い。

そして彼らの大出世作にして一大転機となったオーケストラとの共演――からの1967年発表の実質1stアルバム『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』。そもそも企画物だったという「経緯」がまた、っぽい。世に出たいなら、手段を選んでる場合じゃない。乗れるものにはおもいきり乗るべきなのである。


英デッカ傘下に1966年設立された《デラム》は、地球に落ちてくる全然前のデヴィッド・ボウイや愛しのザ・ムーヴ、ザ・シンにジャイルズ・ジャイルズ&フリップといった〈アート・ロック夜明け前〉物件の一方で、プロコル・ハルム全英1位ヒット曲“青い影”を飛ばすなど、かなり個性的な新興レーベルだった。いやあお世話になりましたその節は。

ところが翌1967年から発売されるレコ番【DML/SML(モノラル盤/ステレオ盤)】700番台のLPレコードは、おそろしく食指が微動だにしないラインナップだったりする。ジャケットも709までお揃いのアートワークで、クラシックのレコードくさいし。

たとえば701から706は名義こそゴードン・フランク・オーケストラにピーター・ナイト・シンガーズにデヴィッド・ホイテカー・オーケストラなどと違えども、『オーケストラの夜』『歌声の夜』『ラテンの夜』『ブラスの夜』『ピアノの夜』『ストリングスの夜』と、クラシック音楽や、1920~30年代スタンダード曲をアレンジした軽音楽アルバムが、ずらっと並ぶのだ。レイモンド・マジック・オルガンの714から718に至っては、いよいよわかりやすい。『ヒッツ・オブ・ザ ’20’s』『同’30’s』『同’40’s』『同’50’s』『同’60’s』だもん。

背景には当時デッカが開発した、ステレオ録音感をより強調した画期的(失笑)なステレオ・レコーディング方法――その名も〈デラミック・サウンド・システム〉の宣伝戦略が丸見えだ。要するに、ステレオ感を最もわかりやすくプレゼンテーションするにはオーケストラ物が一耳瞭然、ということなのだろう。絵に描いたような記事広告(←死語)もといステルス・マーケティング。

さらに本をただせばデラムの親レーベルであるデッカには、オーディオ機器販売部門があった。ステレオ再生機能を備えた新製品「いわゆるステレオ」を売るには、ステレオ感増し増しのレコードを売り出すのが最短距離の施策だもの。

かつて日本のレコード会社の大半は家電メーカーの子会社だった。なので、ダビング目的で録音オーディオ機器の売上が見込めるからと、子会社の知的財産をないがしろにしてレコードレンタル業を容認したし、子会社が新しいハードを売りたい親会社の意向を汲むんでレコードの清算ベースを落としたから、レコードからCDへの移行が唐突に完了したのを想い出せ。古今東西問わず、音楽ソフトは資本主義の産物だったよなあと。


そんな「企画物」シリーズに【DML/SML707】として堂々名を連ねたのが、ムーディーズの大出世作『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』ときた。


メロトロンによるストリングス効果と、オーディションで選んだブロンドの新メンバー、ジャスティン・ヘイワードのイケメンぶりは、ムーディーズの〈その他大勢ビート・ロック〉からの脱却と〈最新流行型サイケ・ポップ〉への転身を、あからさまにアピールしたはずだった。なのにデッカのA&R部長から、肝煎りの「新商品発注」が届く。

「デラムから連作でリリースする、サルでもわかるデラミック・サウンド・システムのデモンストレーション・アルバムを一枚作ってくれ。しかも、「ドヴォルザークの『新世界』をオーケストラと共演のロック・ヴァージョンで」とのやたら具体的すぎるオーダーで。

しかしそれを一も二もなく快諾するのが、ムーディーズたるゆえんだ。早速ピーター・ナイト指揮するロンドン・フェスティヴァル管弦楽団との共同作業を始める。うんうん。足回りのよさは広告代理店の基本だもの。

ただし発注をそのまま具体化するだけじゃ能がない、他者との差別化も図れない、ポテンシャルを見せつけたいと考えたのか、ドヴォルザークではなく自分たちのオリジナル曲とオーケストレーションの合体を提案するとこなんか、したたかな確信犯だと思う。制作前のムーディーズが持っていた新曲は、“夜明けの空”と“サテンの夜”の2曲。そこから拡げた《ある男の一日を淡々と描くことで人生を表現します》みたいな「哲学」的コンセプトをプレゼンされたナイトは、すっかり口車に乗って提案を採用。高尚なクラシック音楽と合体させてもらうからには、〈トータル・コンセプト・アルバム〉という高尚な芸術っぽい形式をご用意させていただきました――痒い所に手が届くムーディーズのプレゼン力はやはり、高い。
思う壺です。

かくして、「一日の始まり」「夜明け」「朝」「昼休憩」「昼下がり」「黄昏」「夜」の7曲をムーディーズとオーケストラが各々録音し合体させた『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』は、結果的に〈クラシックとロックの融合〉のコピーが誇大広告ではない最新型の音楽となり、望外の高評価と莫大な商業的成功を得たのだった。

でもってこのアルバム、ザ・バーズの『昨日より若く』そしてビートルズの『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に遅れることたった5ヶ月の、なんと〈世界で三番目に作られたトータル・コンセプト・アルバム〉だったりするのだ。実は。

ついでに書くと、このブレイクに気をよくしたムーディーズは、「一回限りの企画物」のつもりでいたクライアントに逆らって、同路線の継続に邁進。しかも薄情にもオーケストラはばっさり斬り捨て、メロトロンと33種の楽器の自力演奏で『失われたコードを求めて』を制作。以降《All Instruments Played by The MOODY BLUES》のクレジットと録音制作費用の激増、『夢幻』からはフィル・トラヴァースによる〈ドラッギーな印象派〉ジャケ画見開きを定番化するなど、クライアントに対する要求は天井知らずに。

デッカとしては業を煮やしながらも、これだけの稼ぎ頭を切り捨てるわけにもいかず。するとさすが機を見て敏なムーディーズ、持て余すデッカの足元を見て独立すると早速、『子供たちの子供たちの子供たちへ』を自分たちのレーベル《スレッショルド》から1969年10月にリリースした。面倒くさいレコードの生産・販売部門は任せて、原盤制作と宣伝管理の権利はムーディーズが持ち、デッカが所有するオーケストラ用の立派なスタジオを自分たちの機材に合わせて大改修させたうえで、占有してしまうのである。まあ見事な交渉力。

しかもこのスレッショルドは、ゼップの《スワン・ソング(1974年起業)》よりもジョージ・ハリスンの《ダーク・ホース(1974年)》よりもELPの《マンティコア(1973年)》よりも深紫の《パープル(1972年)》よりもエルトン・ジョンの《ロケット(1972年)》よりも文字通りの《ローリング・ストーンズ・レコーズ(1971年)》よりも早く、でも《アップル》に次いで〈世界で二番目に作られたミュージシャンズ・レーベル〉にちゃんと甘んじておく、これまた見事な気配りのポジショニング! あ、結果論か。でも「らしいなあ」と勝手に感心してしまうのは、私だけじゃないと思う。

前述した面白カルトDVD『Mellodrama』の主役は当然マイケル・ピンダーで、《Days of Future Passed》と題されたブックレットの巻頭文を寄稿していた。超予定調和なタイトルも、「So now it’s Your turn―’Tron on!」とのこれまた予定調和なシメ文句も、読んでるこっちが赤面するほど素敵だ。しかもパッケージには、メロトロンがもたらした音楽革命の画期的な成果として、ムーディーズの“サテンの夜”が“ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー”とレディオ・ヘッド『OKコンピューター』とカニエ・ウェスト10週連続全米1位の5ミリオン・セラー曲“ゴールド・ディガー”と並んで、歴史的評価を受けてたりする。なんと名誉ある大風呂敷。

だって彼がジョン・レノンにメロトロンを勧めたから“苺畑”のフルートもどき音が実現したのだし、なんたって彼オリジナルのメロトロン《ピンダートロン》は商品化までされた。営業力も販促力も制作力も兼ね備えたピンダーは喪黒福造より敏腕セールスマンで、メロトロン星人もといメトロン星人よりしたたかだったのか――なんて。


でも残念ながらこうしたメロトロン絡みの逸話は、残念ながら悉く都市伝説だったことが判明している。たしかに「工場の全部門で働いたので構造には誰よりも明るい」からこそ、ピンダーは自分のメロトロンの内部にいろんなモディファイを加えて使用していたけれど、ピンダートロンが製造販売された事実は一切ないのだ。盛る盛る。

“苺畑”にメロトロンを活用するようレノンに直接助言した逸話も、ビートルズ最後の全英ツアーの前座で廻ってたリムジンの車内や滞在先のホテルで繰り広げられた与太話のネタのひとつとして、「変てこな楽器があるんスよ」と面白可笑しく語ってたレヴェルだったようだ。盛る盛る盛る盛る。

それでもこの雑談が“苺畑”のみならずストーンズの“2000光年のかなたへ”まで繋がっていくのだから、いいじゃないか。EMIスタジオで録音中のビートルズを訪ねて「初めて聴いた“苺畑”の感動が未だに忘れられない」ピンダーが、その際同行したレイ・トーマスと“アイ・アム・ザ・ウォルラス”にコーラス参加させてもらえたのは、レノンなりの感謝の印だったのかもしれない。

というわけで、やはりムーディー・ブルース最大の特性は、インフラ的にも音楽的にも〈なんとも微妙な新しさ〉に他ならない。ってなんだろこのぼやーっとした感じ。


ちなみにわずか6年の実働期間にスレッショルドがリリースしたアルバムは、計18タイトル。ムーディーズおよびメンバーのソロ作品群を除くと、たった8作品しか残らない。

内4タイトルを占めるのがグレン・ヒューズ率いたトラピーズだが、御存知の通りばきばきのハード・ロック・バンドだったはずだ。なのにスレッショルドからの同名デビュー盤と2nd『メデューサ』は、明らかにジョン・ロッジのプロデュースのせいでファンタジックな代物になっちゃってる。しかも後者のジャケはフィル・トラヴァースだから、契約バンドの《一億総ムーディー・ブルース化計画》的なレーベルの強い意志がおもいきり透けて見える。つまりスレッショルドが目指したのは、〈やたらムーディーズの巣窟〉だったのだ。

だからその他の、Wヴォーカル+ヴァイオリニストの特異な編成のアスガードと、室内楽の匂いぷんぷんのプロヴィデンスという両新人バンドのプロデューサーが、例の〈六人目のムーディーズ〉トニー・クラークでも、ちっとも驚かない。

つまりキング・クリムゾンがあのままトニー・クラークとのレコーディング作業を継続し、スレッショルドからデビューしていたら、単なる〈第二のムーディー・ブルース〉で終わっていた可能性は極めて高かった。というか、尋常じゃないダイナミズムを早くも撒き散らしてた未曾有のジャズ・ロック・バンド《1969年のキング・クリムゾン》のギグを目撃しながら、ムーディーズの後継機にしようと思いついたその審美眼が信じられない。そもそも。

本当に危なかった危なかった――てしまったぁぁぁ。結局またムーディーズをダシにして、クリムゾン分析しちゃってたよ俺。


ああ、〈なぜム〉のはずが〈なおム〉再び。

次回こそムーディー・ブルースのことだけ考えます。














第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!

第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!

第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!

第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!

第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!

第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!

第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!

第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!

第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!

第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!

第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!

第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!

第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!

第十四回 「ピーター・バンクスはなぜ、再評価されないのか --〈星を旅する予言者〉の六回忌にあたって」はコチラ!

第十五回 「悪いひとじゃないんだけどねぇ……(遠い目)  ―― ビル・ブルフォードへのラブレターを『シームズ・ライク・ア・ライフタイム・アゴー 1977-1980』BOXに添えて」はコチラ!

第十六回 「グレッグ・レイク哀歌(エレジー)」はコチラ!

第十七回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE -RETURN TRIP』に想うこと- 前篇:スクワイアの巻」はコチラ!

第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!

第十九回「どうしてジョン・ウェットンを好きになってしまったんだろう(三回忌カケレコスペシャルversion)」はコチラ!

第二十回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう ー前篇:幻の1995年インタヴュー発掘、ついでに8人クリムゾン来日公演評も。」はコチラ!

第二十一回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉」はコチラ!

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    活動開始は64年までさかのぼりビート系グループとしてデビュー、シングル・ヒットに恵まれながらも徐々に作風が変化し、プログレッシブ・ロックへのアプローチを開始。後に全盛を築くこととなるプログレッシブ・ロックバンドがデビューすらしていない時期からオーケストラとの競演や実験性に富んだ作品を生み出し、黎明期を作り上げたイギリスのバンドの67年2nd。本作で彼らは70年代を待つことなく、オーケストラとの競演を果たし、1日の時間軸を音楽で表現する、というコンセプト性の高いトータルアルバムを作り上げてしまいました。名曲の誉れ高い「サテンの夜」を収録した彼らの代表作の1つです。

  • MOODY BLUES / ON THE THRESHOLD OF A DREAM

    全英/全米で1位を獲得した69年作

    69年作3rd。

    • UICY9212

      紙ジャケット仕様、97年デジタル・リマスター、定価2039+税

      盤質:無傷/小傷

      状態:良好

      帯有

      紙ジャケに側面部に色褪せあり、スレあり

  • MOODY BLUES / TO OUR CHILDREN’S CHILDREN’S CHILDREN

    バンド運営のレーベルTHRESHOLDからの第一弾リリース、69年作

    自ら設立したレーベル「スレッショルド」からリリースした記念すべきアルバム。全英チャートで2位を獲得。不動の五人のメンバーによる美しいメロディと完成されたサウンドは、プログレッシヴ・ロック・グループの台頭に大きな栄光を及ぼした。1969年作。

    • UICY20049

      SHM-CD、ボーナス・トラック5曲、マスター2006年、定価1800

      盤質:無傷/小傷

      状態:並

      帯有

      ケースツメ跡あり、帯はケースに貼ってあります、帯に折れあり、ケースにスレあり

  • MOODY BLUES / EVERY GOOD BOY DESERVES FAVOUR

    最古のプログレ・バンドとされる英国の名グループ、全米2位/全英1位を獲得した文句なしの代表作71年6th!

    活動開始は64年までさかのぼりビート系グループとしてデビュー、シングル・ヒットに恵まれながらも徐々に作風が変化し、プログレッシブ・ロックへのアプローチを開始。後に全盛を築くこととなるプログレッシブ・ロックバンドがデビューすらしていない時期からオーケストラとの競演や実験性に富んだ作品を生み出し、黎明期を作り上げたイギリスのバンドの71年6th。効果音を使った1曲目から名曲「ストーリー・イン・ユア・アイズ」へとなだれ込むと、ジャケットのようなファンタジックな英国ロマンが広がります。Justin Haywardの甘くジェントリーな歌声にスケールの大きなメロトロンが絶妙に絡み合い、シンフォニックな彩りも絶品。プログレッシブ・ロックのアイコンに恵まれた作品です。

  • MOODY BLUES / SEVENTH SOJOURN

    絶頂期にリリースされた、前作『童夢』と並ぶ最高傑作、72年リリース

    活動開始は64年までさかのぼりビート系グループとしてデビュー、シングル・ヒットに恵まれながらも徐々に作風が変化し、プログレッシブ・ロックへのアプローチを開始。後に全盛を築くこととなるプログレッシブ・ロックバンドがデビューすらしていない時期からオーケストラとの競演や実験性に富んだ作品を生み出し、黎明期を作り上げたイギリスのバンドの72年7th。もはやプログレッシブ・ロックの全盛を待たずに円熟の域にすら達してしまった作品であり一聴して前作よりも平坦な印象を持ちますが、緻密に練られたアレンジと、ポップさに磨きがかかった珠玉のメロディーが溢れています。過去の作品には無かったカットアウトでアルバムは締めくくられ、メンバーはそれぞれのソロ活動へと移行。THE MOODY BLUESはしばらくの間休眠することとなります。

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  • MOODY BLUES / PRESENT

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    • UICY93721

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      帯有

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