2020年2月7日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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大手のレコード会社傘下に誕生した70年代のマイナー・レーベルには、ジャンル的にも横並びの共通な傾向を見ることが出来、そのひとつとしてフォーク系の作品群の存在を見ることが出来る。ただ、フォーク系と言ってもその中にはいろんな形があって複合的な音楽性を持ったものが多い。またロック系の中にもアコースティックな音を重視しているものがあって、ひとくくりにまとめてしまうのが難しいことは間違いないのだが、ここでは便宜的に大きく括っているということをまずご了解願いたい。
Harvestレーベルにはシャーリー&ドリー・コリンズ(Shirly & Dolly Collins)というトラディショナルな作品をはじめ、フォレスト(Forest)という個性的なバンドが象徴的だし、SSWとしてロイ・ハーパー(Roy Harper)やマイケル・チャップマン(Michael Chapman)の作品も印象的だ。
Vertigoレーベルにはチュダー・ロッジ(Tudor Lodge)を筆頭に、マグナ・カルタ(Magna Carta)が順調にリリースを続け、ドクター・ストレンジリー・ストレンジ(Dr.Strangely Strange)を挙げることが出来る。イアン・マシューズ(Ian Matthews)も当時はまだフォーク路線だったと言える。
Dawnレーベルに関しては、トレイダー・ホーン(Trader Horn)、ヘロン(Heron)、そして既に人気を博していたドノヴァン(Donovan)が初期のフォーク系代表格だ。それ以外にもフォーク、ブルースを含むアコースティック系としてジャッキー・マコゥレイ(Jackie McAuley)、マイク・クーパー(Mike Cooper)、デヴィッド・マックウィリアムス(David McWilliams)、ジョン・コンゴス(John Kongos)、ブライアン・フリエル(Brian Friel)等がいるので、今回はその辺りを明らかにしていきたい。
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まずは、PyeからデヴューしたドノヴァンはDawnに2枚のアルバムを残している。1枚は今も人気が高い『HMS』(71年)なのだが、その影に隠れてしまったような印象が拭えない『Open Road』をその前年70年にリリースしている。
彼はプロデューサーのピーター・エデン(Peter Eden)に見いだされ、65年に英Pyeからデヴューしている。米のボブ・ディラン(Bob Dylan)を意識した英国からのフォーク・シンガーとしての出発だったが、その思惑は見事にあたり、世界的な人気を得た。その後米Epicに移り、ミッキー・モスト(Micky Most)のプロデュースの下『Sunshine Superman』をはじめとしてフォーク・ロック、サンシャイン・ポップ的な作品を発表している。ジミー・ペイジ(Jimmy Page)やジェフ・ベック(Jeff Beck)らもアルバムに参加し、当時のロック・シーンにおいて重要な位置を占めるようになる。彼の当時の波乱に富んだ歩みは2008年に出された自伝『ハーディ・ガーディー・マン』(邦訳:工作舎 2008年)に詳しいので、機会があれば読んでみることをお勧めする。
その彼はやはり英国での税金に悩まされ米国での活動が中心となっていた。Dawnレーベルの発足に合わせるように70年代の初頭にこの2作を残している。かつてのPyeとの関わりからなのだろうが、ピーター・エデンの下のリリースではない。さらには、PyeからEpicへ活動を移したときにはひと騒動がありPye時代のロイヤリティを失うという憂き目にも遭っているだけに、正直なところ疑問が残る。
◎音源A Donovan/Celtic Rock
まず、70年のアルバム『Open Road』だが、リズムを強調したバンド・サウンドは発表当時ウキウキして聞いたものだ。特にシングル・カットされた「ケルティック・ロック(Celtic Rock)」をラジオで聞いて、すごく新しいものに触れた感じがしたことを覚えている。ジョン・カー(John Carr)のドラムスとマイク・トムソン(Mike Thomson)のベースは今聞き直してもシンプルながらとてもカッコいい。プロデュースはDonovan自身となっている。なお、ここでのセッションからOpen Roadはそのままバンド名となりジョンとマイクが中心となり、グリニッチ・グラモフォン(Greenwich Grammophone Company)から翌71年に『Windy Daze』を発表している。
日本盤はCBS/Sonyからの発売で、米国はEpic盤、そして英国がDawn盤。私は最初に日本盤を手にしたのだが、歌詞対訳はついているものの解説は何もない。それまでの彼の諸作もCBS/Sonyからの発売だったので、何の不思議も感じなかったのだが、今となっては複雑な権利関係が見えてくる。そうした関係もあってか、米国盤アナログLPは発売されていない。
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そして彼の作品群の中でも高い人気を誇る『HMS』はDawnから2枚組の作品として出されている。
そのジャケットはPatrickの手によるイラストで、そこに描かれた童話的世界が展開する愛らしいものだ。私が実際にこの作品を聞いたのは後年になってからだったが、その前に聞いていたGerry Raffertyの『Can I Have a Money Back』(Transatlantic)の印象的なイラストがそのPatrickの手によるものだったので、どこか共通した世界観を感じたものだ。
タイトルの『HMS』とは英国海軍の艦艇の接頭辞としてつけられる「Her(His) Majesty’s Ship」を表わしている。ジャケットを見るとイラストのドノヴァンも水兵服を着ている。税金問題で苦しんだ彼としては皮肉としてつけたのかも知れないが、アルバムの内容からも英国的な文化、文学性への敬意の表れとして肯定的に受け取っておきたい。CD化されてからは2イン1の形で1枚のCDに収められている。
◎音源B「Donovan/Henry Martin」
『Open Road』を聞いた後ではバンド・サウンドを想像してしまうところだが、実際にはジャケットの印象通り彼本来の持ち味である吟遊詩人としての弾き語りが中心だ。Donovanはスコットランド・グラスゴーの出身で、アイルランドとの関係からケルト系音楽や文学への造詣が深かった。アルバム中自作曲が多い中で、ルイス・キャロル(Lewis Caroll)やイエイツ(W.B.Yeats)をはじめ、多くの詩人の詩を取り入れていることが特徴で、どれも彼の音楽にぴったりとはまっている。フォーク・シンガーとしての彼の優しさを感じ取ることが出来る素晴らしい作品だ。2曲目で前作の「ケルティック・ロック」のメロディーが静かに演奏されるのを聞けたことが嬉しい。明らかにデヴュー当時の弾き語りとは変わっていて円熟して落ち着いた歌声と演奏を堪能することが出来る。
この作品の後72年に彼自身、映画『ハメルンの笛吹き(The Pied Piper)』(舞台は独)の音楽を担当し、彼自身も笛吹きの吟遊詩人として登場していることや、同じく映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン(Brother Son Sister Moon)』(舞台は伊)でも主題歌を歌うことにつながっていく。
個人的にはそれまでのドノヴァンの作品の中では『夢の花園(A Gift From A Flower To A Garden)』というやはり2枚組に収められた「天国の愛に包まれて(Wear Your Love Like Heaven)」が大好きだったこともあり、この作品もお気に入りだ。
Dawnからのリリースには問題もあったように思われたが、LPは後期ラベルでも再発されていることもあり、またCDも順調に何度か出ていることもあり、心安らかに(?)楽しむことが出来る。ただし、米国盤同様にアナログ時代に日本盤LPとして出たことはない。
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続いては、これも人気の高いトレイダー・ホーン(Trader Horne)の『朝の光の中で(Morning Way)』。
この作品の人気も高く、ポール・ウィンター(Paul Winter)のデザインによるカラフルなクレイ粘土の愛らしいジャケットも、音楽内容の素晴らしさと相俟って効果的だ。ジュディ・ダイブル(Judy Dyble)とジャッキー・マコゥレイ(Jackie McAuley)のデュオについてはもうずいぶん語られてきたように思われるが、どれだけ語っても語り尽くせない魅力に溢れている。
ジュディはインクレディブル・ストリング・バンド(Incredible String Band)の『The Hangman’s Beautiful Daughter』(Elektra‘68)で1曲ヴォーカルを担当している。同年フェアポート・コンベンションの最初のアルバム『Fairport Convention』 (Polydor’68)に参加したジュディは、そこではヴォーカルだけでなくピアノ、リコーダー、オートハープも担当していた。彼女はメロディ・メイカー紙に自らのバンド・メンバー募集を載せていた。返事があったジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(Giles,Giles & Fripp)のピート・ジャイルズ(Pete Giles)との関わりからレコーディングに参加し、「風に語りて(I Talk To The Wind)」等で素敵な歌声を聞かせたことでも知られている。GG&Fの2001年に発掘されたアルバム『The Brondesbury Tapes 1968』では7曲で彼女の歌を聞くことが出来る。
北アイルランド出身のジャッキーは、ヴァン・モリソン(Van Morrison)の在籍で知られるゼム(Them)での活動後、兄と一緒にベルファスト・ジプシーズ(Belfast Gypsies)を結成していた。
ジュディとジャッキーの二人で活動するきっかけは69年の1月にスティーム・ハマー(Steamhammer)のピート・シアーズ(Pete Sears)がキー・マンだった。ピートが同バンドのギタリスト、マーティン・クイテントン(Martin Quittenton)も伴ってジャッキー・マコゥレイと「一緒に新しいことをやってみよう」ということになり、そこにジュディにも声がかかり顔を合わせたのだ。
ジュディはクラブの秘書の仕事をしたばかりで、その隣のオフィスがBryan Morrison Agencyという大手のプロダクションだったこともあり、そうした縁でピートがやって来ていたようだ。そのプロダクションはピンク・フロイド(Pink Floyd)、ティラノザウルス・レックス(Tyrannosaurus Rex)やプリティ・シングス(Pretty Things)を抱えている大手だった。
しかし、直後にピートはカリフォルニアのバンド、シルバー・メートル(Silver Metre)のオファーを受け、渡米することになった。さらに、クイテントンもロッド・スチュワート(Rod Stewart)のバックに加わり、ロン・ウッド(Ron Wood)とともにギターを担当することになってしまった。
残されたジャッキーはジュディに「子どものためのファンタジックな歌を集めたアルバムを作りたいと思っている。」というアイディアを伝えたことが、トレイダー・ホーンのスタートだった。
◎音源C「Trader Horne/Better Than Today
二人は69年4月に活動をはじめ、Pyeから1枚のシングル「Sheena/Morning Way」(7N.17846)を69年11月に出している。
70年3月発表の彼ら唯一のアルバム『Morning Way』は、まるでお伽噺のような繊細な曲が散りばめられているが、それらとともに曲間をつなぐインターリュードのように挿入される小品がじつに効果的だ。アルバム全体に「子どもたちへのファンタジックな贈りもの」という世界観をより強く感じる。
最初にアルバムを聞いたときの衝撃は忘れられない。1曲目の「Jenny May」でその曲の素晴らしさでまずノックアウト、そして曲をつなぐほのぼのとした調べが挿入され、間髪入れずに次の「Children Of Oare」が始まる・・・と、3曲目のハープシコードとフルートの協奏曲といった趣の「Three Kings For Eleven Kings」、4曲目のストリングスにはさまれた「Growing Man」のデュオの掛け合いヴォーカル・・・とまるで、中世の宮廷音楽が甦ったような気品の高さがまた美しい。ボッサ・テイストの「Better Than Today」もじつに気が利いている。Pyeから出されたシングルの愛らしい2曲も含まれているが、それはこのアルバムの構想段階で最初に作られた曲だったのだ。
ただあくまでも基本はフォーク、ポップ・ミュージックであることはそのヴォーカル、コーラス・スタイルにうかがえるのだが、数々の挿入された装飾がやはりプログレッシヴな姿勢となっていると言えるだろう。
プロデューサーはバリー・マレイ(Barry Murray)。今まで登場したジョン・シュレイダー(クワイエット・ワールド、マン、ジョン・コンゴス、トライフル等を担当)、ピーター・エデン(ドノヴァン、マイク・クーパー、ヘロン、ザ・トリオ等を担当)と並んで活動当初のDawnレーベルを形作り、支えた裏方3人衆の一人である。
本作は、ジャケット内側もカラー・イラストで雰囲気を盛り上げる美しさだったが、何と当時のコロンビアの日本盤LPでは1色刷りになってしまっていた。米Janus盤はカラーで再現されているので、そちらを手に入れたことも今となっては懐かしい思い出だ。75年にはテイチクからも再発されている。
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ジャッキー・マコゥレイはトレイダー・ホーン後にDawnに1枚ソロ作『Jackie McAuley』(‘71)を残していて、それもまた忘れられない素敵な作品だ。原盤ジャケットのイラストは何とも恐ろしげでおどろおどろしい雰囲気だが、米Pye/Bellから出された同作品のジャケットとでは印象がまるで違う。私は最初に入手したのはフォーク・シンガーのイメージを強く感じるその米盤だった。しかし、参加ミュージシャンを見て驚いた。前回紹介した同じDawnのアトランティック・ブリッジ(Atlantic Bridge)の面々なのだ。つまり、フォーク系のアルバムなのに、バックはジャズ畑のメンバーということになる。
アルバムはマイク・マクノート(Mike McNaught)の力強くメロディアスなピアノに導かれヴォーカルが導入する「Turning Green」に始まる。面白いのは歌のセカンド・バース(2番)に入るときにそれまでのピアノのバックからバンド演奏に切り替わるところだ。明らかにテープを意図的につないでスイッチングした感じなのだが、周囲の世界が突然変わったように感じられじつに新鮮だった。ジャッキーの曲作りも巧いが、こうしたアイディアは、プロデューサーのバリー・マレイ(トレイダー・ホーンやタイタス・グローン、アトランティック・ブリッジ、デモン・ファズ、マンゴ・ジェリー等も担当している)の考えなのだろう。私は、このアルバム冒頭曲から惹き込まれてしまった。
◎音源D「Jackie McAuley/ Turning Green」
このアルバムもこれまでその内容について十分に紹介されてこなかった印象があるが、じつに練られたいい作品だと思う。ジャッキーはすべてのギターも担当しているが、2曲目の後半での遠くに聞こえるディストーション・ギターの響きは素晴らしいし、5、9曲目のような幾分実験的なギター・インストにも味がある。要所の細かい部分にまで神経が行き届いている。トレイダー・ホーン的なハープシコードの演奏もあったり、カントリー・ロック風味もあったりするが散漫な印象は受けない。ただ1曲目のようなガツンとした曲がもうひとつあれば違ったかなとは思う。
ジャズ・センスも上手く取り入れたこの作品は、ジャッキーのアイディア、マイク・マクノートのアレンジと演奏、そしてバリー・マレイのプロデュースが一体となった好アルバムと私は評価したい。
なお、日本コロンビアからは国内盤LPが発売されていたが、再発されたことはなかった。
彼はこの後も自身のアイルランドの血を生かしたアルバムを90年代に入ってから発表しており、それらにも聞く部分は多い。(私のコラムの第11回でも91年に発表した1枚『Gael Force』を紹介しているので参照して欲しい。)
1枚のアルバムと2枚のシングルのみを残したトレイダー・ホーンだったが、じつはジュディが70年5月頃に抜けたあとに、ジャッキーは新たにサフロン・サマーフィールド(Saffron Summerfield)と組んで、トレイダー・ホーン・ウィズ・サフロン・サマーフィールド(Trader Horne with Saffron Summerfield)として活動を継続していた。サフロンは74年『Salisbury Plain』、76年に『Fancy Meeting You Here』という2枚のアルバムをマザー・アース・レーベル(Mother Earth)に残し、英ロック・ファンにはよく知られた存在であるだけに、ジャッキーと活動していた頃の音源も聞いてみたいものだ。実際にDawnで何曲かレコーディングを残しているというので明らかになる日を待ちたい。
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ヘロン(Heron)はフィールド録音(屋外でのレコーディング)ということが注目された。パストラル・フォーク(田園フォーク)を演奏するバンドだが、確かに小鳥のさえずりはもちろん、草木の揺れも感じられるような柔らかな音楽性を持っていた。いかにも英国然とした繊細さを持った音楽性だ。今では「木漏れ日フォーク」の代表格として伝説的な存在となっている。Dawnで2枚のアルバム『Heron』(70年11月)と『Twice As Nice & Half The Price』(71年10月)を残している。
田舎でのレコーディングというのは、彼らの登場当時には大きな意味を持っていた。ヒッピー・ムーヴメントは文明に対してのアンチ・テーゼを訴えており、機械化された都会生活を離れて自然に帰ろうといったメッセージを持っていた。そんな流れの中にあって、彼らはフォーク・ソングを演奏する素朴さを持っていることもあり、その姿勢が受け入れられたのだ。
大辞林から「ヒッピー」を引用すると「自然への回帰を主張し、伝統・制度など既成の価値観にしばられた社会生活を否定する若者。1960年代後半にアメリカで生まれ、世界中に流行した。」とある。
東洋的瞑想や放浪というカウンターカルチャー(対抗文化)とともに、長髪、ジーンズそして派手でサイケデリックな音楽が流行したが、スタイルだけを取り入れたファッション傾向が強かったこともあって、徐々に田舎志向と呼ばれるおとなしい考え方に落ち着いていった感じがあった。
◎音源E「Heron/Yellow Roses
ヘロンは67年にイングランド南東部のバークシャーのメイデンヘッドにあるドルフィン・フォーク・クラブで結成された。メンバーはヴォーカルのトニー・プーク(Tony Pook)とギター、ヴォーカルのロイ・アプス(Roy Apps)にもう一人の3人組でのスタートだったが、メンバーチェンジの末、マンドリンも演奏するG.T.ムーア(G.T.Moore)が加わり、その後キーボードのスティーヴ・ジョーンズ(Steve Jones)を迎えたことで4人組としてDawnと契約を結ぶ。その橋渡しをしたのがやはりDawnからアルバムを出しているマイク・クーパー(Mike Cooper)だった。そしてメンバーがマイクと知り合いだったことからプロデューサーのピーター・エデンに紹介されるという幸運に恵まれた。彼に演奏を聞かせる機会を持つことが出来、興味を持ってもらえたのだ。
彼らはそれ以前にも、作成したデモ・テープがエセックス・ミュージック(Essex Music)に認められ、あのガス・ダッジョン(Gus Dugeon)と版権契約を交わしていた。そこにはやはり知り合いだったラルフ・マクテル(Ralph McTell)の存在からつながった幸運もあった。
ヘロンの最初のアルバムはドラムレス、ベースレスで電気音楽をほとんど使っていないという特長を持っているが、それはウッドストック以降大音量のロックに慣れていた耳にはとても素直に新鮮に入ってきたと言える。最初にスタジオで2曲録音したが自分たちでは緊張感もあって満足がいかなかった。リラックスしたフォーク・クラブのような雰囲気でやれたらということで、野外録音を提案した。機材の搬出等で大変なのは想像がつくが、実際に農場滞在し、その裏の畑でレコーディングを行った。歌も演奏だけでなく、100ヤード離れたところに自然音を録音するマイクを用意したことで小鳥のさえずり等も使うことが出来たのだという。
最初に日本で71年7月にアルバムが発売された時にはジャケットに「This album was recorded live in a field」と記されていた。穏やかで牧歌的な(考え方によっては)歴史的な録音スタイルを持った彼らのファースト・アルバムは、注目は浴びたもののセールスには結びつかなかった。
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Dawnと契約した多くのアーティストはレッド・バス(Red Bus)・プロダクションと契約していて、入場料が格安のペニー・コンサートを英国内で実施していた。アルバムを出した直後からヘロンはタイタス・グローンやマンゴ・ジェリー等と一緒に出演していたが、会場ごとに観客の反応の違いが大き過ぎて、すべてのステージに満足できたわけではなかったとメンバーは回想している。
そのせいかどうか、ファーストの繊細さがセカンドではもう失われていたように思える。まず何よりも2枚組でそのタイトルがいかにも『Twice As Nice & Half The Price』と廉価盤であることを売りにした感じを受けてしまう。2枚組ながら1枚の値段にするというのはDawnの方針だったのか、プロダクションの考えか、どちらにしても彼らにとっては2枚組にしたことは失敗だった。1枚に収めたならばいいアルバムになったと思うが、無理に2枚組にした感じが拭えないと回想している。(Dawnには2枚組ではDNLDで始まる規格があってDonovanの『HMS』はその形で出されていたが、Heronの2枚目はDNLS規格のレギュラー番号だった。)
◎音源F 「Heron/This Old Heart Of Mine」
メンバーのG.T.ムーアはヘロンを脱退後、レゲエ・ギターズを結成しアルバムを発表しているが、そこにも聞けるような音楽性がこの段階で見えてしまっていることが失敗の第1の原因。「You Really Got A Hold On Me」(スモーキー・ロビンソン&ミラクルズの代表曲のカヴァー)などは正直なところ、ここで彼らのカヴァーとして聞きたいとは思わなかった。
そして、別の農場で野外録音を行ったとはいうのだが、その効果が上手く出ていない。ファーストでのこだわりと思えたドラムレス、ベースレスの方針が消え、ドラムスやベースなどを普通に配置した曲もあって、そのことが失敗の第2の原因。
どちらもペニー・コンサートでの観客の反応を見て対応したのだとしたら残念でならない。
ファーストで見せた繊細さを持った曲も間違いなく幾つもあるので、1枚に上手く構成したら良かったのにと今もアルバムを聞く度に思う。表現を広げる意味でのリズムの導入はわかるのだが、彼らにはもう少しメンバー4人でのコンビネーションを見せて欲しかった。
日本盤ではファーストは日本コロンビアから発売され、75年になってテイチクからシングル・ジャケットながら再発されている。セカンドはコロンビアからは発売されていないが、テイチクから74年に登場している。その時は2枚組の1枚目のみを『マッドマン/ヘロンの世界』としてシングル・ジャケットでの発売となっていた。
彼らはその後も活動は続けており、98年以降Relaxxという自主レーベルから何枚もCDアルバムをリリースし続け、2009年には英Huxから「Black Dog」を一般発売している。
2011年にはオリジナル・ラインナップで「Simple As One Two Three」を発表、その後も順調に活動し2016年11月には来日も果たしオールド・ファンを喜ばせた。その時の様子は「Live In Kyoto」として翌2017年に日本でWasabiレコードから発売されている。今も現役であるということが嬉しい。
私がヘロンの90年代以降の活動を音源として知ったのは、現在のカケハシ・レコードの前身であるPiper Recordsだった。他では手に入らなかっためにずいぶんと利用させてもらった。それらのCDは私にとって今でも大切な宝物になっている。ホントにPiper Recodsからカケレコとまたいでお世話になっている。同様の思いを持っている方はきっと多いのではないかと想像する。
ヘロンのアナログ人気は今も異常に高いものがありちょっと驚かされる。何度もCD化されてはいてもやはりLPで欲しいものがあるという気持ちは私もよく分かる。しかし、オークションで原盤も国内盤も○万円状態が続いている。確かに中古盤として昔からあまり目にしたことはないから仕方ないのだが、私はもう諦めている。
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そのヘロンのレコード・デヴューにも手を貸したマイク・クーパー(Mike Cooper)は最近になって5枚のアルバムを3枚のCDに集めた編集盤が発売されている。ブルース色が強いフォーク・シンガーという印象の強い彼は、日本ではなかなか評価の難しいアーティストかもしれない。しかし、ホワイト・ブルースでスタートしながら、Dawnに残した5枚のアルバム(正確には最初の1枚はPyeからのリリース)が徐々に英国ジャズの要素を柔軟に取り入れていく過程はなかなか興味深いものがある。
69年にPyeから出された『Oh Really!?』は完全にブルースだが、70年Dawnから最初のリリースとなる『Do I Know You?』からシンガー・ソング・ライター(SSW)的な音作りに変わっていく。プア・リトル・アン(Poor Little Anne)という女性ヴォーカルを伴った「Think She Knows Me Now」はなかなかいい味わいを持っている。
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続いて出された『Trout Steel』は深い陰影に包まれた色合いのジャケットがまず印象的で、何か大きく変わった印象が伝わる。そしてクレジットを見て驚く。英国ジャズの精鋭達が揃っている。ホーン隊にマイク・オズボーン(Mike Osborne)、ジェフ・ホーキンズ(Geoff Hawkins)、アラン・スキッドモア(Alan Skidmore)、ピアノにジョン・テイラー(John Taylor)、ベースにロイ・バビントン(Roy Babbinton)とハリー・ミラー(Harry Miller)等々、またマイク・ウェストブルック(Mike Westbrook)とノーマ・ウィンストン(Norma Winstone)がスタジオ内にいてレコーディングの様子を見ていたというのだから、英国ジャズのファンにとってはたまらない光景だった。さらにはヘロンもコーラスに加わっており多彩な要素が加わっている。これらのジャズ要素はプロデューサーのピーター・エデンによるものだ。彼はDonovanを見出したのち、Deram時代のジョン・サーマン(John Surman)の2作品を担当し、この後はJazzレーベルのタートル(Turtle)を立ち上げている。その一方でこのマイク・クーパーやヘロンのプロデュースも行っているのだから懐の深さには驚かされる。
私もマイク・クーパーを聞いたのはこの作品『Trout Steel』が初めてだったので、比較的好意的に聞けたが、正直なところその前の2作は苦手なタイプに属する作品だった。
◎音源資料G 「Mike Cooper/Paper and Smoke」
マイクの続く2作『Place I Know』(マイク・ギブスがアレンジ担当!) と『The Machine Gun Co.with Mike Cooper』に関しても、ジャズ的な方向性を持ちながらもブルース一色だった時代からは完全に脱却し、SSWとしてのステイタスを高めていった印象がある。驚きは『Trout Steel』以降の3枚はほとんど同じ時期に収録されたものということだ。
ただの2つの作品『Place I Know』『The Machine Gun Co.with Mike Cooper』はアナログ時代には日本盤としては発売されていない。
マイク・クーパーをフォーク枠で括るには苦しいかも知れないが、当時の脱ジャンル状態にあった先鋭的な英国ロックの状況が垣間見ることが出来て興味深いと言えるだろう。
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ジョン・コンゴス(John Kongos)は南アフリカ、ヨハネスバーグ出身。なぜ彼がDawnでは第1回発売のラインナップ(DNLS 3002)に選ばれたのか、ずっとそのことが気になっていた。その答えが分かった(と思えたのが)2001年に英Castleから出た『John Kongos/Lavender Popcorn』というコンピレーションCDを聞いた時のことだった。
そのCDにはコンゴスが66年にジョン・T・コンゴス(Jon T.Kongos)として出したデヴュー・シングル両面から、Dawnからのデヴュー・アルバムの全12曲を含め計26曲が盛り込まれている。
デヴュー・シングル後に、フロリブンダ・ローズ(Floribunda Rose)というバンドに形を変えて出した67年の唯一のシングル両面(デヴューからここまではPye/Piccadilly)、68年から69年にさらにスクラッグ(Scrugg)とバンド名を変えて出したPyeからの3枚のシングル両面をすべてが収められている。
他に未発表やデモ音源が計4曲も含まれている。私にとってはここで初めて聞く曲が多かったのだが、本当にびっくりした。どれも素晴らしい。彼の曲作り、歌、演奏はもちろんのこと上手いのだが、それ以上にどの曲もフラワー・パワーという時代に適合した新しいアイディアが感じられるのだ。
つまり、ビートルズ(Beatles)やピンク・フロイド(Pink Floyd)、プロコル・ハルム(Procol Harum)、ザ・フー(The Who)という当時の先進的なアーティストの音楽性を解釈し、次々と新たな曲にするコンゴスの可能性をPyeのプロデューサー、ジョン・シュローダー(John Schroeder)が見抜いたということなのだろう。そして、新たなアンダーグラウンド・レーベル「Dawn」を代表するアーティストとしての最初のリリースとなるようにアルバム制作を決めたのだろう。実際に69年10月にジョン・コンゴス(DNLS 3002)とマンのセカンド・アルバム(DNLS 3003)がDawn第1回発売として市場に並んだ。コンゴスのアルバムは『Confusions About A Gold Fish』という不思議なタイトルのアルバムだが、それまでのバンド活動でのシングル同様にアイディアに溢れた作品になっていた。
◎音源H 「John Kongos/Tomorrow I’ll Go
コンゴスの音楽生活は地元母親が経営するナイトクラブでギターを弾いたことが始まりだ。12歳の時だった。その最初のバンドはThe Dukesといいヴォーカルは彼の母親だった。レコーディングし地元ではちょっと知られた存在だったらしい。16歳の時にはJohnny Kongos & The G-Menを結成しビート系のアルバムを出したり、『This Is Johnny』というポップス系のアルバムを出したりと早くから本格的な音楽活動をしてきたことになる。その経歴にも驚かされた。
しかし、期待感を持って出されたDawnからの『Confusions About A Gold Fish』だったが、残念ながらブレイクすることはなかった。シュローダーのツメの甘さか、Pye自体の組織力の弱さか。この作品は開き直ったようにコンゴスは全編アコースティック・ギターで勝負している。かき鳴らす部分に何となく彼のイライラした感じが見えるようにも思える。ただ、どの曲もアイディアに満ちていて、曲のキラキラした輝きもPyeのシングルで見せたひらめきは間違いなく感じられる。彼を流行し始めていたSSWという枠に収めてしまおうとしたところに無理があったように思う。さらに言えば、ジャケットがもうちょっと何とかならなかっただろうか・・・ということなのだが。
本作は日本盤LPとして出されたことはない。CDも先に述べた『John Kongos/Lavender Popcorn』が先に述べたように一度出たきりだ。こちらのジャケットもヒット曲を集めたコンピレーションにしか見えないので損をしている。しっかりとした形での再発を願いたい。
彼はその後Fly/Cubeレーベルに移ってから2枚目のアルバムとして『Kongos』(71年)を発表する。アルバムとそこからカットしたシングル「He’s Gonna Step On You Again」と「Tokoloshe Man」が立て続けに世界的な大ヒットとなり(どちらも全英では最高4位を記録)、コンゴスは超有名な存在になった。ちなみにプロデューサーはガス・ダッジョン(Gus Dudgeon)だった。ヒットした2曲は、ブギ的なノリを生かしたナンバーで、その後のグラム・ロックを予見させる音楽性だった。そのこともコンゴスの音楽に対する感覚の鋭さ、時代を見抜く先見性を示していたとは言えないだろうか。
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デヴィッド・マックウィリアムス(David McWilliams)はDawnに在籍した代表的なSSWの一人として挙げることが出来る。彼は66年にCBSからデヴューし、67年にMajor/Minorレーベルに移って大ヒットを飛ばした。当時の彼のスタイルを見るとサイケデリック真只中という感じがする。彼もアイルランドのベルファスト出身で、世界的に大ヒットした「パーリー・スペンサーの日々(Days Of Pearly Spencer)」のメロディーはどこかケルトの香りがしていた。私が小学校の頃、ラジオでよくかかっていたことを思い出す。ただ、デヴィッドの歌ではなく、レーモン・ルフェーヴル・オーケストラの演奏と米ポップ・ロックのグラス・ルーツ(The Grass Roots)のカバー・ヴァージョンだったのだが、とにかく印象的なメロディーで大好きだった。後でオリジナルのデヴィッド・マックウィリアムスの歌と演奏を聞いて当然お気に入りの一曲になった。彼はその後もたくさんのシングルを出すのだが、残念ながら大きなヒットはなく、懐メロ歌手の一発屋というとらえ方をされてしまっている。
◎音源I 「David McWilliams/Days Of Pearley Spencer
彼はMajor/Minorレーベルに3枚、その後Dawnに移籍してからも3枚のアルバム『Lord Offaly』(‘72)『The Beggar and thePriest』(’73)『Livin’s Just A State Of Mind』(‘74) を出している。ヒットは出せなかったが、ほどよいポップな部分を持っており、3作品とも味わい深い作品となっている。彼のケルト民謡風の曲調、歌唱ともに聞くべき部分は大きい。
◎音源J 「David McWilliams/Lord Offaly」
アナログ時代にDawnからのアルバムは日本盤として出されていないことが残念だ。日本の音楽雑誌でも紹介されているのを見たこともない。一般的な人気にはつながらなかったものの、単純に「通好み」として済ますのももったいない。彼のDawnの3作品も2002年に英Castleからまとめられ2枚組CDとして出されているので是非多くの人に聞かれることを願いたい。
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あとDawnから複数作品が残されているSSW作品としては、Brian(Joseph)Frielがいる。『Brian Joseph Friel』(73年)、『Arrivederci Ardrossan』(75年)の2枚を出しているが、彼はスコットランド出身なのだが、純粋にフォークというよりも時代的にカントリー的で前AORな音楽性だったため、たくさんの似た傾向のミュージシャンの中に埋もれてしまった印象がある。正直なところ、Dawnからのリリースでなければどんなアーティストなのかという注目も集めなかっただろう。ただ、彼の2作は米Pyeからも発表されているのでそれなりの期待感もあったに違いない。プロデュースにはマーク・ロンドン(Mark London)があたっているが、彼はベテラン・プロデューサーでストーン・ザ・クラウズ(Stone The Crows)とリード・シンガーのマギー・ベル(Maggie Bell)のアルバムを担当したことで知られている。
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最近韓Big PinkからCD化されたので手軽に聞けるようになったファースト『Brian Joseph Friel』だが、ラストの2曲はスコットランド出身という彼らしさが感じられる佳曲なので是非聴いてみて欲しい。バックにはキーボードにベテランのズート・マネー(Zoot Money)、ストーン・ザ・クラウズからベースのスティーヴ・トンプソン(Steve Thompson)、ドラムスのコリン・アレン(Colin Allen)らが担当。私としてはヴィグラスとオズボーンの2人(Paul Vigrass ;Gary Osbourne)、そしてニッチ・ポップ好きにはRCAからの『Ship Imagination』(‘73)で知られるビリー・ロウリー(Billy Lawrie)も参加していることが嬉しい。
◎音源K 「Brian Joseph Friel/Salad Green Geraldine」
セカンドは英国では『Arrivederci Ardrossan』として、米国ではPyeから『Ashes And Matchsticks』というタイトル違いなので紛らわしいが同内容だ。アルバムの出来としてはこちらの方がファーストよりよく出来ていると思われる。なお、当然のように日本盤は存在しない。
4回続けてきたDawnの魅力を探るコラムも、今回では終らなかった。次回に続きます。Maxi-Singleについても今回と予告したものの、たどり着かなかった。
ただ、今回の最後にマニアックなことになるが、もうひとつだけ触れておきたいことがある。
それは、Dawnのアルバムのリストで最初に出たはずのアルバム、「DNLS 3001」が空白になっているのをご存知だろうか。古くは78年に出された『ブリティッシュ・ロック大名鑑』(季刊『同時代音楽』編 赤岩和美・石井俊夫 監修 ブロンズ社刊)に掲載されたリスト。その後、95年に出された『空想音楽図鑑』(岩本晃市郎 著 TOKYO FM出版)でも同番号は空白のままだった。
しかし、2003年にストレンジ・デイズ・コンパイル・シリーズVol.6として出版された『レーベル・ブック3』(CDジャーナル・ムック 発行:ストレンジ・デイズ 発売:音楽出版社)で初めて「DNLS 3001」がリストに掲載された。
それは、『Richard Stevensen/Gates Of Me』という作品だ。
しかし、実際にその作品(現物)を見ると番号は「Pye NSPL 18358 STEREO」であって、「DNLS 3001」ではない。ただ、裏ジャケットにPHOTOGRAPHY:DAWN STUDIOSというクレジットと共に、Dawnのレーベル・マークが掲載されている。レコードのMatrixにはA,B面ともに「DNLS 3011」と刻印され上から二重線で消されている。1970(年)がセンター・ラベルには記されている。Dawnの第1回発売は1969年11月なので、その時点では発売されていないと思われる。
単に第1回発売には間に合わないと判断して、「DNLS 3001」は空白としたのだろうか?
改めて「DNLS 3011」として準備したが、既にマイク・クーパーの発売予定が入っていたために急遽Pyeからのリリースに切り替えたのだろうか?
「DNLS 3011」は今回紹介したマイク・クーパーの『Trout Steel』の番号になっている。70年10月発売の『Trout Steel』は70年8~9月の録音なのでこれはこれで間違いないだろうと思うのだが。
次回は、この『Richard Stevensen/Gates Of Me』の紹介からはじめ、フォーク・ロック系の続き、アフロ・ロック、ポップ系、そしてシングル、編集盤を取り上げながらDawnレーベルを総括していきたいと考えています。
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英国田園フォークの金字塔と言える1st、いなたさ全開の愛すべき英フォーク・ロックの2nd、71年リリースのマキシ・シングルの全曲に加え、なんと未発表音源5曲を加えた決定版アンソロジー。2枚組。注目の未発表曲ですが、1st録音時のアウトテイク曲「Rosalind」、90年代に再録された「River Of Fortune」の70年録音ヴァージョン、もの悲しくも美しいメロディと哀愁のアコーディオンが心に染みる「Some Kinda Big Thing」、言われなければヘロンと分からないキャッチーなポップ・ソング「If Its Love」など、最高、最高、最高1st&2ndを持ってる方も買わなきゃ損でしょう。
愛すべきブリティッシュ・フォーク/ロック・バンド、HERONの70年作の1stと71年の2nd収録曲を中心に、シングル音源も収録したベスト・アルバム。野外録音され、鳥のさえずりも聞こえてくる、のどかな雰囲気の1st収録曲。ドラムが入り、フォーク・ロック/パブ・ロック色が増した、ハートウォームな2nd収録曲。名曲満載の好ベスト・アルバム。
英国シンガー・ソングライター。72年から74年にかけてDAWNレーベルよりリリースした3作品全曲に未発表曲3曲を加えたコンピレーション盤。いずれの作品もジェントルな歌声、引き締まった演奏が素晴らしい好盤。米国ロックへの憧れを感じさせつつも滲み出る英国臭さがたまりません。
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