2024年8月30日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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第76回 目を覚ませ! 暑さをぶっ飛ばせ!
~ 残暑見舞プレイリスト!!「70年代、キャッチーなハード・ロック」
やはり今年も暑い夏だった。それも各地で昨年を上回る最高気温の記録更新の嵐。これまでの「地球温暖化」から新たに「地球沸騰化」というワードが飛び出すようになってきた。
「暑さは夏らしさ、それを楽しもう!」なんてかつては情緒たっぷりに語っていたものだが、今では下手をすると生死に関わるくらいだからそうとも言っていられない。これを書いている私が住む北の地でも34度を記録し、夜も25度を下回らないという、その昔には考えられない状況になっている。
昔、学生時代も北の地なりの暑さを感じた中で、自分なりに夏の暑さに負けないように聞いたのが『ハード・ロック』だった。小学校高学年からポップスに目覚め、中学に入ってから広く洋楽に夢中になったのだが、今では伝説のバンド達のハード・ロックが私の心を掴むまでに総時間はかからなかった。
70年代に入ってラジオのヒット・チャートに顔を出したレッド・ツェッペリンやディープ・パープルにはじまり、その後、ウィッシュボーン・アッシュ、ユーライアー・ヒープといった魅力的なバンドの存在を知ったことは大きかった。
グランド・ファンク・レイルロード(GFR)とマウンテン(Mountain)に関しては、4年前の夏に本コラム第27回(7月)と第28回(8月)で『ポップ・シーンに登場したハード・ロックに潜む音楽性再考①②』として取り上げている。
暑さを吹き飛ばすようなハード・ロックの思い出多い曲の数々を改めて「プレイリスト」の形で取り上げていきたいと思う。
◎画像1 Edgar Winter Group
まず、夏の暑さを飛ばす定番曲(私にとってだが)エドガー・ウィンター・グループ(Edgar Winter Group=EWG)の「ロックン・ロール・クィーン(Queens Of My Dreams)」からスタートしよう。この曲はメンバーのダン・ハートマン(Dan Hartman)の作品ながら、前作からギタリストでプロデュースも担当したリック・デリンジャー(Rick Derringer)的な2つのリフ(前半と後半)がじつに効果的だ。
★音源資料A Edgar Winter Group / Queens Of My Dreams
このアルバム74年の『恐怖のショック療法(Shock Treatment)』を聴くまで、「フランケンシュタイン」のヒットは聞いていたものの、エドガーはジョニー・ウィンターの弟というくらいの知識しかなかった。
その「フランケンシュタイン」を含む72年の『They Only Come Out At Night)』は、内容はEWGの最初のアルバムとなるのだが、日本盤では邦題が『エドガー・ウィンター4』としてリアルタイムで発売されていた。しかし、ジャケット・デザインは米オリジナル盤の「エドガーの姿」とは違い、4人のメンバー・ポートレートになっていた。
当時そんなこともあり、邦題の「4」の意味するところが当時は分かりにくくて困ったことを思い出す。
◎画像2 Edgar Winter ➀~④ (①ソロ、②③White Rush名義 ④The Edgar Winter Group)
結果的には以下のようになる。
➀70年のエドガーの最初のソロ・アルバム『Entrance』(LPは日本未発売)
②71年、ホワイト・トラッシュ(WT)としての最初のアルバム『Edgar Winter’s White Trash』
③72年、WTとしての2作目にあたるライヴ2枚組『Edgar Winter’s White Trash/Road Work』
④72年、EWGとしての最初のアルバム『They Only Come Out At Night』
エドガーのソロ・デビューから、バンドを立ち上げたものも含めて、エドガー主体のアルバムごとに数えていくと『4』となるわけだ。
つまり、エドガーはソロ・アルバム後にバンド編成としてWTを立ち上げ、EWGは2番目に立ち上げたバンドだった。最初のソロ・アルバム①にはジョニー・ウィンターも参加していたが、ブルース色はそう感じられないだけでなく、コンテンポラリー・ロック(A面全体を使った組曲はプログレ的でもある)と呼べる作品になっていた。
そして⑤74年の『恐怖のショック療法』(EWGとして2作目)につながっていくことになる。
リック・デリンジャーは②以降プロデュースとギターを担当、⑤で正式なギタリストとしてクレジットされる。なお、④に参加したギタリストは、ロニー・モントローズ(Ronnie Montrose)だ。
リックは、マッコイズで活動後、70-71年にジョニー・ウィンター・アンド(Johnny Winter And)に参加し、エドガーのアルバムのプロデュースと並行して、74年にソロ・アルバム『All American Boy』をリリースし、シングル・カットの「ロックン・ロール・フーチークー」で大ヒットを記録することになる。
私は、⑤『恐怖のショック療法』が出た当初は、ジャケット裏のメンバー・ポートレートを見て彼らはアイドル指向か(?) と聞く気にもならなかった。しかし、これも高校の後輩に「絶対気に入りますよ・・・」と聞かされた1枚だった・・・・結果、彼らの持つカラフルな音楽性が躍動感が伝わってきて、あれから50年。今も愛聴盤のひとつだ。あのとき、聞かせてくれた後輩に感謝している。
◎画像3 Montrose ①
ロニー・モントローズの名前を出したところで、モントローズ(Montrose)からも一曲聴いていただこう。73年のファースト・アルバム『Montrose』から「ロック・ザ・ネーション(Rock The Nation)。
★音源資料B Montrose / Rock The Nation
モントローズは➀73年『Montrose』、②74年『Paper Money』、③75年『Warner Bros. Presents Montrose』④76年『Jump On It』と4枚。4枚ともに米に準じて日本でも発売されていた。その後、77年に解散し、78年以降3枚のロニーのソロ・アルバムもある。その後、ガンマ(Gamma)で活躍する。
◎画像4 Montrose ②③④ + Ronnie Montrose/Open Fire
最初の2作品➀②でヴォーカル担当したサミー・ヘイガー(Sammy Hager)がその後ソロ・アルバムを何枚も出し、ヴァン・ヘイレンに参加したことが印象的だった。
モントローズの作品は最初の2枚、やはりハードな曲の人気が高いのは当然なのだが、②の「We’re Going Home」の叙情的な曲も魅力的だし、③のラスト曲「Black Train」も忘れられない。
日本では②からカットされた75年の「灼熱の大彗星(I Got Fire)」が唯一のシングルだが、これは日本独自のリリースとなっていた。
この頃(70年代)のハード・ロック・バンドは、アルバムの中でバラードをはさむことがひとつの「お約束」になるばかりか、中にはプログレ的な展開を聴かせる面白さがあった。
特に、モントローズも「We’re Going Home」では、大御所ニック・デカロ(Nick DeCaro)が演奏するメロトロンも含まれていて聞き逃せない1曲になっている。
◎画像5 Queen / Sheer Heart Attack
続いては、これもお馴染みクィーン(Queen)の「Stone Cold Crazy」を聞こう。
★音源資料C Queen / Stone Cold Crazy
彼らに関してはあまりにもビッグ・ネームになので、改めて紹介するまでもないのだが、最初に紹介された頃確かに他のバンドとは違った新鮮さを感じたものだ。メロディアスなフレーズを次々と聴かせるし、ハーモニーも個性的で聞いたらすぐに彼らと分かる。個人的にはブライアン・メイのギター・オーケストレーションには驚かされた。
そのように、クィーンの音楽性は一筋縄でいかないところがその面白さなのだが、最初の3枚、➀73年『Queen』②74年『Queen II』③74年『Sheer Heart Atack』までは多彩な表現力を持った、かなり器用なハード・ロック・バンドとして聞いていた。それだけに「ボヘミアン・ラプソディ」以後次々と出すアルバムが話題になり、これだけ誰にも知られ、歴史に残るような巨大なバンドになるとは想像もしなかった。
そんな中で、この「ストーン・コールド・クレイジー」は最初に聞いた時から、「キャッチーなハード・ロック」の代表格と呼んでいいように思えた。気に入っていたハード・ロックを集めて自分でテープに編集したことが懐かしい。曲順こそ違うが、今回取り上げた曲のほとんどがそのテープに収まっている。
◎画像6 Blue Oyster Cult J.Single「赤と黒」+②Tyranny And Mutation+①Same+③Secret Treasures
続いては、ブルー・オイスター・カルト(Blue Oyster Cult=BOC)の「赤と黒(Red And Black)」。
★音源資料D Blue Oyster Cult / Red And Black
BOCも忘れられない70年代米ハード・ロック・バンドだ。3人のギタリストを抱えた彼らは、オカルト的な色彩を加えた荒削りなハード・ロックを持ち味としていた。
日本でのデビュー・アルバムは彼らのセカンドにあたる73年の②『暴虐と変異(Tyranny And Mutation)』で本国と同年にリリースされた。その冒頭曲が「赤と黒(Red And Black)」なのだが、日本でのみシングル・カットされている。
日本で次に紹介されたのが、サードの74年③『オカルト宣言(Secret Treaties)』が米とほぼ同時に、そしてファーストの72年➀『狂気への誘い(Blue Oyster Cult)』は75年になってようやくリリースされた。その75年には初めての2枚組ライヴ盤④『On Your Feet Or On Your Knees』は米本国での決定的な人気を獲得した作品となり、日本でも本国に準じて発売された。
シングルとして「ワイルドでいこう(Born To Be Wild)」もアルバムと同時に発売された。この曲は言うまでもなく、ステッペンウルフの大ヒット曲なのだが、BOCのライヴ曲はテンポを落としたインディアン・リズム的なヘヴィ・ロックに仕上がっておりこれも面白い。
日本では76年④『タロットの呪い(Agents Of Fortune)』でブレイクすることになるのだが、収録された「死神 (Don’t Fear The Reaper)」の魅力によるところが大きかった。ラジオのリクエスト番組でのオン・エアがとても多かったことを覚えている。
ただ、不思議なことにこの「死神」のシングルは日本ではB面扱いだった。A面は「罪深い恋(Sinful Love)」だったのだが、どう考えてもA/B面の選択が逆のように思えてならなかった。
◎画像7 UFO Force It + Phonomenon
★音源資料E UFO / Let It Roll
UFOは不思議な経歴を持つバンドだ。69年に結成され70年に『UFO1』がリリースされた。英国のバンドだが、デビュー時にはドイツ、フランス、日本で積極的にプッシュされたものの、英米では話題にもならなかった。
日本では70年にシングル「カモン・エブリバディ(C’mon Everybody)」が日本でリリースされ、特大ヒットになったことが印象深い。その勢いからアルバム71年2月に『UFO 1』もリリースされ、9月には『UFO II: Flying』が来日記念盤として出され、大阪、東京でライヴを行っている。その時の日比谷野外音楽堂での様子が『UFO LIVE』として12月に日本でリリースされ、ジャケットを変えてドイツでも発売されていた。(原盤はBeaconレーベルだったが、日本では広範な契約関係を結んでいた東芝Statesideから出されていた。) この曲のシングルは驚くことに中学時代の友人は皆持っていた!
翌74年にミック・ボルトンが脱退。新たなギタリストにマイケル・シェンカーが加わり、さらにクリサリス(Chrysalis)レーベルと契約。ジャケットもヒプノシスが担当して『現象(Phenomenon)』が発表された。この時はジャケットの鮮やかさが印象的だった。録音技術の関係もあったのか、それまでのUFOとは全く別のバンドに思えた。特に、フィル・モグ(Phil Mogg)のヴォーカルは、「カモン・エブリバディ」時代とは別人のように思えた。
◎画像8 UFO J.LP「1」 + J.LP「2」 + J.Single「カモン・エヴリバディ-
今ではビッグ・ネームのマイケル・シェンカーも未だ無名。ドイツのスコーピオンズ(Scorpions)というバンドからの加入。(当時の学校仲間は誰もスコーピオンズというバンド名さえ知らなかった。)
ここで紹介したのは、その次作となる『ノー・ヘヴィ・ペッティング』の冒頭曲だ。ジャケットも物議を醸し出した問題作でもあった。
この後もUFOは80年代までクリサリスからのリリースで順調に活動を続ける。世界的にUFOとマイケル・シェンカーの名を轟かせたのはこの時期(‘73-’78)だったことは疑いない。ただ、マイケルは80年に自身のプロジェクト、マイケル・シェンカー・グループ(MSG)を新たにスタートさせ、ビッグ・ネーム獲得に向けてまた新たな一歩を踏み出すことになるわけだ。
◎画像9 Scorpions In Trance + Fly To The Rainbow + Vergin Killer + Taken By Force
★音源資料F Scorpions / Dark Lady
この曲に凄さを感じたのは、「叫び」を中心に混沌とした音圧の中でコーラスがきれいに聞き取れたことだった。リード・ヴォーカルのクラウス・マイネ(Klaus Meine)のヴォーカルもはっきりと聞き取れるし、マイケルに代わった新たなリード・ギターのウルリッヒ・ロート(Ulrich Roth)の「叫び」を盛り上げる演奏にも驚かされた。
ドイツのスコーピオンズは、独Brainレーベルから最初のアルバム『Lonesome Crow』(72年)を出していたことは、本コラムの第62回『ドイツのロックが日本において本格的に紹介され始めた70年代を振り返る➀』(2023.06)で触れた。そのアルバムにマイケル・シェンカーが兄のルドルフとともに参加していたわけだが、それが日本でも73年にリリースされていた幸運は今考えても奇跡的なことだったかもしれない。
というのも、今回紹介している「Dark Lady」を含むサード・アルバム『復讐の蠍団(In Trance)』が76年に日本での2枚目として出され、聞いて非常に気に入ったのだが、この段階で「本来のセカンドの74年の『Fly To The Rainbow』はどうしたの? なぜ日本では出ていないの?」という状態だったのだ。
結局「遅れて申し訳ない・・・」と言われた覚えはないが、サード『復讐の蠍団(In Trance)』から遅れて数ヶ月後、76年中に『電撃の蠍団(Fly To The Rainbow)』として何とか無事に国内盤が発売された。
そして翌77年、タイトルもジャケットも問題作でもあった『狂熱の蠍団(Virgin Killer)』が出された。続く78年『暴虐の蠍団(Taken By Force)』も無事にリリースされたものの、こちらもジャケットに関して前作同様にケチがついてしまった。十字架の並ぶ中での拳銃の打ち合いがテロを想起させるということで差し替え措置が執られるようになってしまった。『ダーク・レディ』を含んだこの『復讐の蠍団』もじつは危ないジャケットだが、その後もスコーピオンズのジャケットでの挑発的な姿勢には毎回、ハラハラさせられた。
その音楽性はどの作品も見事だが、当初のジャケットと差し替えられたディスコグラフィーを見ると寂しい気分にさせられるのも事実だ。
それにしても、UFOとスコーピオンズに限らないのだが、この70年代中期から後半にあたっては「洋楽」というくくりの中で「ハード・ロック」が、普通に洋楽ファンの中の1ジャンルとして一般的だったことも懐かしい。
◎画像10 Stray J.Single「炎の世界 Only What you Make It」 +Stray (J.LP) +Stray 2 (J.LP) +Stray/ Suicide(US)
★音源資料G Stray / Only What You Make It
70年に英トランスアトランティック(Transatlantic)レーベルからデビューしたストレイ(Stray)。「炎の世界(Only What You Make It)」はその最初のアルバム➀『Stray』(’70)のB面1曲目に収録。
20歳前のティーン・エイジャーの4人組。じつに若々しくテクニックがどうこうという以前に、ギミックのないリフ中心のストレートでハードな演奏が聞けてとても新鮮だった。若さゆえの詰めの甘さも感じられたが、それさえも好意的に受けとめることが出来た。
日本ではアルバムが73年になって登場し、この「炎の世界」はシングルとしても発売された。アルバム帯には「ロンドンの音空間に電撃的亀裂、そこには恐怖の炎が燃え上がる!!」とのコピー。シングルのB面はアルバム収録曲の「80日間世界一周(Around The World In Eighty Days)」で、これも彼らの「静」の部分を上手く活かしたメロディアスなハード・ナンバーで、魅力的な1曲だった。
メンバーはヴォーカルのスティーヴ・ガッド(Steve Gadd)、ギターのデル・ブロムハム(Del Bromham)、ベースのゲイリー・ジャイルス(Gary Giles)、ドラムスのリッチー・コール(Ritchie Cole)の4人。
このアルバム以前にセカンドにあたる『Suicide』の米Mercury盤を入手し、気に入って聞いていたこともあり、このファーストが国内盤として登場するのを「待ってました!」と受けとめたことも懐かしい思い出だ。
ストレイは順調に活動を続け、セカンド・アルバム以降は②~⑤の順に英本国でリリースを続けた。
②『ストレイ2(Suicide)』(’71)、③『嵐の宮殿(Saturday Morning Pictures)』(‘71)、④『マダンザス-変化-(Mudanzas)』(’73)、⑤『夢のハイウェイ(Move It)』(’74)、しかし、日本盤のリリースに関しては、➀に続き②は同じ73年に出たが、③⑤は74年に、そしてなぜか④は75年に発売されるというじつに変則的な様子だった。
そう考えると、日本盤で完全新譜として出たのは⑤のみだったという事実に行き当たる。彼らが当時人気バンドとして日本では認知されないままでいたのは、そうした事情も影響したように思えてくる。
その後ストレイは本国でDawn(Pye)に移籍。スティーヴ・ガッドが脱退し、ピート・ダイヤー(Pete Dyer)が加入した。⑥『太陽の墓標(Stand Up And Be Counted)』(‘75)⑦『ヘヴィー・メタルの王者(Houdini)』(’76)⑧『ロックン・ロール魂(Hearts Of Fire)』(‘76)と日本でもテイチクからのリリースが新譜として順調に続いたが、LP時代の国内盤発売はここまでとなるが、彼らの活動も休止となった。
84年に一度復活し、その後も時折活動を再開しCDリリースもいくつもある。現在に至るまでオリジナル・メンバーのデル・ブロムハムの下、その名が残っていることは嬉しいことである。
*ストレイのDawn(Pye)時代に関しては、本コラム第21回で取り上げている。
◎画像11 Bedlam LP(J) +J. Single「孤独の女神」 +Anthology(CD Box)
ベドラム(Bedlam)が残した73年の唯一のアルバムの中の「I Believe In You」も理想的なハード・ロックの逸品として忘れがたい曲のひとつ。それも、コージー・パウエルの参加したバンドとして貴重な記録盤でもある。クリサリスから出されていて、74年には国内盤も発売されていた。
★音源資料H Bedlam / I Believe In You(Fire In My Body)
プロデュースがフェリックス・パパラルディということもこの作品の価値を高めてはいるが、アルバム内にもう2,3曲突き抜けた作品があるとよかったかなというのが本音。
あわせて、あくまで個人的な感想だがこのジャケット・デザインは好きになれなかったというのも事実。しかし、発表から50年を経た今になって考えると、たった1作でも残してくれていたことがよかったなとは思う。
メンバーはやはりコージーの名前がまず出てきてしまうのだが、そのコージー・パウエル(Cozy Powell)、ギターのデイヴ・ボール(Dave Paul)とベースのデニー・ポール(Denny Paul)の兄弟と、ヴォーカルのフランク・アイエロ(Frank Aiello)の4人組。
69年に元Moveのエース・ケフォード(Ace Kefford)のバンドでコージー、デイヴ、デニーがバックを担当したことをきっかけに、70年にビッグ・バーサ(Big Birtha)に発展したことが全ての始まり。
その後、71年にデイヴ・ボールがプロコル・ハルムにロビン・トロワー(Robin Trower)の後釜として参加するのだが、彼に課せられたミッションはカナダの・エドモントン・シンフォニー・オーケストラとの共演盤だった。全体に難しさを持ったレコーディングだったことは想像できたが、リハーサルでのデイヴのリード・ギター・ソロを取り直すことになったという。結果はOKで今では聞くことが出来るのだが、苦労はあったのだろう。その後、72年に『グランド・ホテル』の録音に向かうのだが、途中でミック・グラハム(Mick Grabham)にギターの役割を交代することになってしまう。結局、発売されたパーソネルにデイヴの名前はなく、彼が演奏したパートはすべてミックが再録音した・・とされていた。
しかし、後にデイヴ自身が、『グランド・ホテル』のアルバムの完成直前まで在籍していたというので、「デイヴの演奏のまま収録された曲があるのではないか・・・?」という話題もプロコル・ハルムのファンの中で一時期盛り上がったことがあった。(結局真相は不明)
そんな中で、新たなバンドを目論みBig Birthaとして元のメンバー3人が集まり、新たにフランク・アイエロをヴォーカルに迎え、新たにベドラムとしてレコーディングに向かうことになったわけだ。
結局、ベドラムとしてはアルバム1枚を残しただけで終わってしまうのだが、ブリティッシュ・ロックの歴史に残る1枚として大切に聞いていきたい作品と私は考えている。
昨年、英Cherry Redから6枚組の『Bedlam Anthology Box』が出された。彼らの公式スタジオ盤は1枚しかないが、そのオリジナルと23年リミックス・ヴァージョンが1枚ずつ収録されている。さらに、ライヴとして前身バンドのBig Birthaの70年のライヴ、ベドラムとしての73年、74年のライヴが各1枚、そして68年から70年までの彼らの活動の未発表音源を含む貴重音源がアンソロジーとして1枚の計6枚組というボリュームだ。
アンソロジーの最初の2枚は日本盤としてもSHM-CDとして国内盤紙ジャケット2枚組として出されているのだが、そのリミックスの迫力には驚かされた。そちらで体験していただくのでもいいかもしれない。
◎画像 12 Climax Blues Band 『FM/LIVE』
ここで、ちょっと変化球なのだが、クライマックス・ブルース・バンド(Climax Blues Band)(=CBB)の73年リリースの『FM/LIVE』の米Sire盤(2枚組)に収録された「Mesopopmania」を紹介しよう。
私にとって、それまでの彼らのイメージがひっくり返ってしまうくらいに驚いて夢中になった演奏だ。
★音源資料I Climax Blues Band / Mesopopmania
CBBは、68年のデビューから3作目までは「クライマックス・シカゴ・ブルース・バンド」として活動、71年の4作目で「クライマックス・シカゴ」と短くするが、73年の『FM/LIVE』からは「クライマックス・ブルース・バンド」とさらに改名するという、なかなかややこしい経緯を持っている。
整理してみると、
➀Climax Chicago Blues Band 『Same』(Parlophone ’69)
② 『Plays On』(Parlophone ’69)
③ 『A Lot Of Bottle』(Harvest ’70)
④Climax Chicago 『Tightly Knit』(Harvest ’71)
⑤ 『Rich Man』(Harvest ‘72)
⑥Climax Blues Band 『FM/LIVE』(Polydor‘73)・・・・
日本盤でもこれらのアルバムは全て出ていたことも驚きだが、基本はバンド名通りにブルース・バンドであったが、私が最初に聞いた2枚目の『Plays On』のアルバム冒頭の「Flight」がジャズ・ロック的な曲で驚かされた。さらに日本でシングル・カットもされた別の側面を見せるレイ・ブライアント(Ray Bryant)の演奏で知られる有名な「クバーノ・チャント」も面白く、アルバム全体にブルースを基本としながらも幅広い音楽性を感じさせた。何よりもジャケットを含め私自身が楽しめたことが大きな要素だったが、アルバムごとにその音楽性がロックに近づいていった。
そして『FM/LIVE』は73年にリリースされた初めてのライヴ盤なのだが、国内盤は1枚ものなのに輸入盤は2枚組。さらに値段も新品なのに国内盤の半分だったので迷うことなく買った。
そこで最初に聞いたのが、造語のような「Mesopopmania」。C面のトップに入っていたのだが、強烈なギター・リフに圧倒された。そして間にはさまれたドラム・ソロ。最後に冒頭のリフが繰り返されるのだが、聞いた後にすぐに針を上げてもう一度繰り返して聞いたほど気に入ってしまった。
この時のメンバーは、ギターのコリン・クーパー(Colin Cooper)とピート・ヘイコック(Pete Haycock)、ベースのデレク・ホルト(Derek Holt)、ドラムスのジョン・カフリー(John Cuffely)。キーボードが参加していない4人編成でのライヴだったことも不思議だった。ただ、コリン・クーパーはサックスも演奏している。
バンドとしては、この後75年にBTMに移籍し、翌年「Couldn’t Get It Light」が英米で大ヒット。日本でもFMでのオン・エアが多くなり、広く人気バンドとなった。その後、ワーナーに移籍してよりポップ・ロック的なサウンドに変化したものの、80年代まで安定した活動を続けていた。
◎画像 13 Tempest J.Single「アップ・アンド・オン」+ Tempest(LP) + Living In Fear(LP)
今回の最後は、皆さんご存じの有名メンバーで結成されたテンペスト(Tempest)の73年の最初のアルバムから「アップ&オン(Up And On)」。これは名うてのメンバーが安定したテクニックで余裕を持って演奏する安定感を持ち、楽曲としてもよく出来た作品をいとも簡単に聞かせているところが凄かった。これも日本のみでシングル・カットされていた。
国内盤LPの帯には『コラシアムを率いたジョン・ハイズマンが結成した話題のグループ~クルーム以降のブリティッシュ・ロックのエッセンスが鮮やかに甦る。』と、73年当時らしいコピーになっていた。
★音源資料J Tempest / Up And On
まずはコラシアム(Colosseum)解散後、ドラマーだったジョン・ハイズマン(John Hiseman)が新たなバンドの構想を考えていた。コラシアム時代のベースのマーク・クラーク。ヴォーカルはジューシー・ルーシー(Juicy Lucy)からポール・ウィリアムス。2人とも古くからの仲間だった。
ハイズマンは新たなバンドのギタリストに、最初はクレム・クレムソンを考えていたのだが、彼はハンブル・パイに参加することになってしまった。結局、アラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)が加わることになるのだが、このアルバムが最初に出た時には、私はもちろんのこと、多くの人にとって初めて聞く名前だった。
ホールズワースはジャズ系の新進ギタリストとして注目されており、ニュークリアスのイアン・カー(Ian Carr)のソロ・アルバム『Belladona』に参加したところだった。ハイズマンとカーはニュー・ジャズ・オーケストラ時代の仲間だったこともあり、カーが直接優秀な新人ギタリストとしてホールズワースをハイズマンに紹介したのだという。
彼はテンペストへの参加が、その「凄さ」が広く認識されるきっかけになったのではないかと今でも時々考える。その後の大活躍は言うまでもない。
しかし、この編成のテンペストは1枚のアルバムのみとなり、翌74年にテンペストの新たなアルバムが出るのだが、ホールズワースとウィリアムスが脱退し、新たに加わったギタリストが元Pattoのオリー・ハルソール(Ollie Halsall)だったことは驚きで、『眩暈(Living in Fear)』と名付けられた2枚目は、1枚目とはかなり感触の違うものとして受けとめた。
後になって、ホールズワースがハルソールと一緒に映ったポートレートを見て、ツイン・ギターだった時期があったことを発見したが、ほんのわずかな期間だったようだ。
時を経て何度も聞き直すうちにハルソールの破天荒な演奏の面白さ・凄さ、そしてハイズマンの思いも分かってきたのだが、やはり最初のアルバムの方がよかったよな・・としばらく思っていた。
今回は、連日の暑さの中で暑気払いのつもりで、昔よく聞いて今でも好きなハード・ロックをプレイリストにしていこう・・・と考えました。曲だけを並べいけばそれでいいのに、やはり一つ一つの曲の対しての思い入れが強く、昔のことを思い出してあれこれ書いてしまい、長いものになってしまいました。
今回の内容ですが、やはり自分にとって70年代が大きな意味を持っているので、多くの方にとっては「また、昔話かよ」と思われてしまうかも知れません。でも、「年月が過ぎて今も未だ聞き続けられている音楽を取り上げる」ということを大切にしたいと考えています。
当時のことをリアルタイムで経験した思いを語ることがどれだけ伝わっているのかは不安な部分は多々ありますが、「そうだったのか。」と思っていただければありがたいです。
パリ五輪も終了しました。想像した以上に盛り上がったかなとは思いましたが、よく知らない競技が次々と出てきて、驚かされました。特にヒップ・ホップの「ブレイキン」は初めて目にしましたが、感心してしまいました。これからはパラ五輪となりますね。そちらも日本選手の頑張りを期待したいものです。
ひょっとしたら、この文章を読んでいただいている方で、パリまで出かけて観戦された方もいるかも知れませんね。その昔、夏場に海外(特にヨーロッパ)に旅行していた頃、オリンピックの年には日本選手がメダルを取ると、現地の方々に全然関係ないのに私が日本人と分かると「おめでとう!」なんて街で声をかけられたことを思い出します。そういえば、しばらく旅行には出かけていないなあ・・・
それにしても、本当に天気に振り回される毎日ですね。この原稿を書いている最中は、台風7号の接近に伴って、交通機関が大混乱。夏休み、お盆帰省の方々は大変な思いをされたことでしょう。
今年は特に、暑さ、雷、大雨・・・が次々とやってきて普通に生活するだけでも大変です。
特に「雷」は昔から私も苦手です。ピカッと光って,しばらくしてゴロゴロ。閃光が空から地面に届いたときには、どこかに落ちたのだと思うと子どもの頃から気になって仕方がなかったことを思い出します。長期予報では、さらに暑さが続くということで、気をつけましょう。
それでは、また次回
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ブライアン・メイ、フレディ・マーキュリーを擁する70年代の英国を代表するロック・グループ、73年作1st。分厚いコーラス・ワーク、多重録音によるギター・オーケストレーション、雄々しいヴォーカルと、後に繋がる個性が既に確立。その後の作品と比べ、ハード・ロック色が強いことが特徴で、ブライアン・メイによる表情豊かなギター、ファルセットとハスキー・ヴォイスを演じ分けるフレディ・マーキュリーを中心に、重くパワフルなドラム、ヘヴィに歪みながらも正確なベースを加えたアンサンブルは、疾走感と力強さに満ち溢れています。緩急の落差が激しい楽曲展開も見事。LED ZEPPELINの影響を感じさせながらも、貫禄すら感じさせる堂々のデビュー作です。
74年作の2nd。「ホワイト」そして「ブラック」のアルバム・コンセプトの基、中世ヨーロッパ的な世界観が広がる歌詞が魅力の初期クイーン・ワールドが全開。スタジオ技術の粋を集め、ほぼノンストップで展開されるドラマティックな楽曲が並ぶ初期の大傑作。シングル・カットをしていないにも関わらず「THE FAIRY FELLER’S MASTER-STROKE」や「NEVERMORE」は、ファンの間ではとても人気の高い曲である。「THE MARCH OF THE BLACK QUEEN」のQUEENらしいドラマティックな構成美も圧巻。ヒット・シングル「SEVEN SEAS OF RHYE」収録。
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状態:良好
帯有
24bitデジタル・リマスター、ボーナス・トラック1曲、定価1850
盤質:全面に多数傷
状態:良好
帯有
盤に研磨跡あり、ビニールソフトケースの圧痕あり
紙ジャケット仕様、再プレス(ピンク色の帯)、01年24bitデジタル・リマスター、内袋付仕様、定価2476+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
若干カビあり、帯ミシン目に沿って切れ目あり
紙ジャケット仕様、初回プレス盤(銀色・アーガイル柄の帯)、01年24ビット・デジタル・リマスタリング、内袋付仕様、定価2476+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
内袋に若干CDの圧痕あり
丸角帯、定価2,920+税
盤質:傷あり
状態:
帯無
帯無、盤中央部に汚れあり、ビニールソフトケースの圧痕・ケースツメ跡あり、ウォーターダメージあり
2枚組、DVD、NTSC方式、リージョン記載なし、ブックレット付仕様
盤質:傷あり
状態:並
ケース不良、カビあり、DVDケースにスレ・若干汚れあり
72年にデビューしたNYのハード・ロック・バンド、74年作3rd。オカルトをテーマにしたカルトな文学性とドラマティックなヘヴィ・サウンドを確立した2ndを推し進めた初期の集大成と言える傑作。
72年にデビューしたNYのハード・ロック・バンド、75年作4th。前作までのオカルトに根ざした文学性とヘヴィ・サウンドはそのままに、ポップな美しいメロディと爽やかなコーラスが魅力のヒットした「死神」など、メイン・ストリームへと浮上した作品。ドラマティックさとともにアメリカらしいヌケの良さも併せ持つアメリカンHR/HMの傑作。
デジパック仕様、2CD+DVDの3枚組、DVDはNTSC方式、リージョンフリー
盤質:傷あり
状態:良好
若干スレ・軽微な圧痕あり
DVD+ボーナスCDの2枚組、NTSC方式、リージョンフリー、日本語字幕あり、ブックレット付仕様、解説付仕様、定価4000+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯無
帯無
DVD+ボーナスCDの2枚組、NTSC方式、リージョンフリー、日本語字幕あり、ブックレット付仕様、解説付仕様、定価4000+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯無
帯無、1枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり
DVD、NTSC方式、リージョンフリー、日本語字幕あり、ブックレット付仕様、帯・解説付仕様、定価3800+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯に折れあり、ケースにスレあり
60年代に結成されたブリティッシュ・ハード・バンド、STRAY。77年に一度経済的問題で解散した彼らですが、その後もライヴの為にたびたび再結成。本作は83年のマーキー・クラブ公演を収録した、84年リリースにして彼ら初のライヴ・アルバム。1st〜3rdなど初期の楽曲から76年リリースの7th『HOUDINI』収録曲まで幅広く演奏しており、Del BromhamのキレのあるギターやGary Gilesのグルーヴィーなベース、Ritchie Coleのタイトなドラムが躍動感たっぷりに炸裂!ソリッドでスピーディーでキャッチーな、期待通りのSTRAYサウンドが堪能できる一枚です。
盤質:無傷/小傷
状態:良好
COLOSSEUMのドラマーであったJon Hisemanが中心となり結成され、Allan Holdsworthの参加でも有名なイギリスのハード・ロックグループの73年デビュー作。Allan Holdsworthのギター・プレイとPaul Williamsのボーカルが堪能できる本作は、ブルース寄りのハード・ロック名盤となっており、Allan Holdsworthがジャズ・ロック的な流麗さを持ちながらも重みのあるハード・ロックを奏でていることが非常に新鮮に映る1枚です。またセクションによってはヴァイオリンも披露するなどバンドに貢献しており、技巧的な名演が素晴らしい傑作と言えるでしょう。
背ジャケ元からなし、ケース側面シール付き仕様、定価2548
盤質:傷あり
状態:不良
帯無
解説無、帯無、ジャケ内側部分無し、側面シール片方無し
COLOSSEUMのドラマーであったJon Hisemanが中心となり結成され、Allan Holdsworthの参加でも有名なイギリスのハード・ロックグループの74年2nd。Allan HoldsworthとPaul Williamsが脱退し、Ollie Halsallを迎えスリー・ピースとなった本作は、前作以上のダイナミズムとバンド・アンサンブルの妙技に彩られた名盤。やはりギタリストの変更によりバンドの方向性にも大きく影響が現れており、The Beatlesの「Paperback Writer」のカヴァーをはじめ、前作と比べて楽曲にコマーシャルでキャッチーなポップ・センスが現れています。
紙ジャケット仕様、20bitデジタル・リマスター、内袋付仕様、定価2400+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
軽微な折れあり
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