2024年9月27日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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第77回 季節は変わっても、やはりハード・ロックは不滅!!
~ プレイリスト!!「70年代、ハード・ロックの魅力」②
前回、ハード・ロックを選曲したのだが、不思議と今の自分にフィットしてしまい、その後もずっとハード・ロックものばかりを聴いていた。言葉としての「ハード・ロック」は一般的に通用するのだが、長いロックの歴史の中で、ヘヴィー・ロック、ヘヴィー・メタルというジャンルで語られるようになったあたりまではわかるのだが、その後のストーナー・ロックとか、スラッシュ・メタル、ドゥーム・メタルやデス・メタルなんていうものが登場してくると、さっぱり分からなくなってしまった。
やはり、「ハード・ロック」「プログレッシヴ・ロック」が馴染みやすい言葉で、せいぜい「フォーク・ロック」「クラシカル・ロック」なんて名称を使って通用した時代が懐かしい。
9月の半ばを過ぎても、各地で暑い日が続いている。さらに今年は、その暑さの後には突然の雨・・・なんていう日が多く、天気に振り回される毎日だったような気がする。天気の予想は分かりにくいが、「ハード・ロック」は、やっぱり我々の音楽の基本のように思えて分かりやすい。
このコラムでプレイリストと銘打つときには、かなりの曲数を候補として用意しているので、今回は前回のために用意した曲の中があまりに多かったので、それらの中からさらに進めてみようと考えた。
お付き合いいただければ幸いである。
◎画像1 Riot Jシングル「幻の叫び」+➀『怒りの廃墟』‘77+②『NARITA』’79+③『ファイアー・ダウンアンダー』‘81
最初はライオット(Riot)。米国のバンドで、75年に結成され77年にデビュー・アルバム『Rock City』を出す。翌78年にそのアルバムとシングル「幻の叫び(Warrior)」が日本でも発売され、英ハード・ロックに影響を受けたと思われるダイナミックなツイン・ギターとメロディアスな楽曲が大きな話題となった。
★音源資料A Riot / Warrior
確かにインパクトが強く、一度聞いただけで繰り返し聞いてみたくなるタイプの曲だった。当時、私は大学の軽音に所属していたが、仲間内で大評判になったことも思い出す。
79年にはアイドル系の五十嵐友起が「バイバイ・ボーイ」として「Warrior」のカバー・シングルを出していたし、82年には本城未紗子もデビュー・アルバム『魔女伝説』で取り上げていた。やはり日本での人気は特別だったようで、CD化も89年と早かったし、同時に世界に先駆けて日本盤としてライヴCDも出されていた。ギタリストのマーク・レアレ(Mark Reale)を中心とした5人編成なのだが、メンバーを変えながら2000年代まで活動を続けていた。
ただ、最初の3作品までのジャケット・デザインが奇妙なもので、どこか悪夢と終末論的なモチーフがあった。さらに、不思議なキャラクターの存在も奇妙で、特に2作目『NARITA』では「四股を踏んだ相撲取り」が描かれ、これで売れるのだろうかと心配になったものだ。
私はセカンド以降、積極的に彼らの作品を聞き続けてきたわけではなかったが、最初に聞いた「幻の叫び(Warrior)」だけは今も輝きを失っていない忘れがたい名曲だと今も聞いている。
◎画像2 Girl Jシングル「ハリウッド・ティーズ」+➀『シアー・グリード』+②『ウェステッド・ユース』
ちょうどライオットより少し後の80年、ラジオで聞いてガツンときた曲がガール(Girl)の「ハリウッド・ティーズ」だった。聞いた時点では新人バンドで、曲名から米国のロック・バンドか?と思ったのだが、これが英国のバンドだった。ライオットと同様でツイン・ギター編成の5人組。特にリード・ヴォーカルのフィル・ルイス(Phil Lewis)の存在感が圧倒的だった。
★音源資料B Girl / Hollywood Tears
この曲は3分弱の曲で、キャッチーなシングルとして理想的な形だった。ファースト・アルバム『Sheer Greed』には12曲が収録されていて、ほとんどの曲が2分から3分台という昔のポップ・アルバムのような作りになっていたことには驚かされた。レーベルは当時ELO(Electric Light Orchestra)という大物を抱えていたJETだったこと、プロデューサーはニック・タウバー(Nick Tauber)ということがわかると納得できた。
ニック・タウバーはThin Lizzyの初期の3作品を手がけていたことで知られるが、60年代から主にDecca、Deram系のシングル、LPを数多く手がけていている。今ではニッチ・ポップ系の有名盤パーラー・バンド(The Parlour Band)の唯一のアルバム『Is A Friend?』も手がけていた。また、個人的に好きなサンダンス(Sundance)の73、74年の2枚のアルバムを手がけていた。
彼は、バンドの音楽性に『人懐っこさ』をプラスすることが上手かったように思える。
ガールも基本ハード・ロックではあるものの、ナイーヴな感性を持ち合わせていて、そこに引き込まれた要素があったのだなと後で気付いた。82年のセカンドではジャケットこそ似ているが、私にはあまり魅力的には映らなかったのにはそんな原因があったかもしれない。ただそのセカンドのプロデューサーも英国ロック・ファンにはお馴染みのナイジェル・トーマス(Nigel Thomas)で、彼もジューシー・ルーシー、グリース・バンド、ジョー・コッカー、そしてガールと同時期にサクソンを担当している。これらのバンド名を見ても分かるように、音楽的な個性そのものを大切にしていくという手堅さがあるので、明らかにタウバーとはその姿勢が違っていたと思えてくる。
ガールは新人バンドだったがゆえにタウバーのプロデュースの下でデビューしたとも思われるのだが、結局2枚の作品を残しただけで活動を終えてしまう。2000年代には復活するのだが、今思い返しても残念な側面を持ったバンドだった。
◎画像3 Jシングル「ハニー・ハッシュ」+④『電撃のフォガット』LP + ⑦『LIVE』LP
少し時代を遡って、74年のフォガット(Foghat)の3作目『電撃のフォガット(Energized)』からシングル・カットされた「ハニー・ハッシュ」。古典的な有名曲なので他にも同名曲はあるのだが、このフォガットの演奏が一番好きだ。重く引きずるようなフォガットのブギー・ロック・サウンドは文句なしにカッコいい。
有名曲ながら・・・と書いたものの、「ハニー・ハッシュ」は「Train Kept A Rollin‘」とどう違うのか・・・なんてことは昔からずいぶんと語られてきているが、正確なことはよく分からないまま。
一例だが、カバー曲としてロック・バンドのヤードバーズとエアロスミスは「Train Kept A Rollin‘」で、ブルース系バンドのフリートウッド・マックとこのフォガットが「ハニー・ハッシュ」として演奏しているということは面白い。
★音源資料C Foghat / Honey Hush
フォガットはロッド・プライス(Rod Price)、ロンサム・デイヴ(Lonesome Dave)、トニー・スティヴンス(Tony Stevens)、ロジャー・アール(Roger Earl)の4人組。
ロッドは伝説のブラック・キャット・ボーンズ(Black Cat Bones=BCB)、残りの3人はサヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)のメンバーだった。
BCBの方は70年の唯一のアルバム『有刺鉄線サンドイッチ(Barbed Wire Sandwich)』は、76年にキング・レコードの「ブリティッシュ・ロック秘蔵盤」シリーズの1枚として発売されるまで、それこそ幻盤のひとつだった。
一方のサヴォイ・ブラウンは、71年未だ私は中学生、レコード店に通い始めた頃にちょうど『Looking In』の国内盤が出たところ。気味悪いが印象深いジャケットが気になっていた。ある日、意を決して(生涯で初めて)視聴ブースでヘッドホンをつけて聞かせてもらった。しかし・・・・何となくブルース主体のロックは大人が聞く音楽だなと思ったのが最初の印象。その面白さが分かってくるのはしばらく後になる。それなのに、結局は全てのアルバムを所有するようになってしまった。
結局、先の3人はサヴォイ・ブラウンとしては70年の6作目『Raw Sienna』までの参加で、翌71年にフォガットを結成するわけだ。基本はブルースやブギーだったわけだが、結構ポップな感覚も持ち合わせ72年の『Foghat』、73年の『Foghat(Rock‘n Roll)』も面白かった。しかし、決定打となったのが3作目となるこの『電撃のフォガット』だったのは間違いないだろう。
アルバムの中には「ワイルド・チェリー」やオールディーズの「ザット・ウィル・ザ・デイズ」など聞きものがたくさんある。
フォガットにもその後はまってしまい順に聞き続けていくことになるのだが、特に76年の『Night Shift』と77年の『LIVE』が気に入った。『LIVE』ではもちろん「ハニー・ハッシュ」も演奏している。
◎画像4 Jシングル「ウィスキー・プレイス」 +ファースト『Ramatam』LP + セカンドLP
ラマタム(Ramatam)の72年の最初のアルバムも最初に聞いたインパクトが非常に強かったバンド。
美人女性ギタリストのエイプリル・ロートン(April Lawton)の存在が最初の情報だったが、元アイアン・バタフライ(Iron Butterfly)のギタリスト、マイク・ピネラ(Mike Pinera)と元ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(Jimi Hendrix Experience)のドラマー、ミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell)がいる新たなバンドということで注目を集めた。これは当時よく言われたスーパー・グループのひとつだった。
とは言っても、72年当時はジミ・ヘンはともかくもアイアン・バタフライもその名前だけ知っているバンドでしかなかった。
しかし、シングル・カットされた「ウィスキー・プレイス(Whisky Place)」に評判通り凄さを感じた。
★音源資料D Ramatam / Whisky Place
とにかく音の厚さに圧倒された。そしてジャケットに写ったエイプリルも評判通り美人だよな・・・と思った中坊の私。ラジオでかかった翌日にはクラスの友人とその凄さを語り合ったものだ。
今、改めて聞いてみるとその音の厚さはギターとユニゾンで奏でるブラス隊の勢いでもあったのだが、当時はハード・ロックらしい曲に出会ったうれしさの方が先に立った。
アルバム1枚を通して聞くのは後日ということになるのだが、それに先駆けて以前にもこのコラムで紹介したことのある日本のワーナー・パイオニアから73年に出た「HOT MENU‘73」という廉価の2枚組サンプラー・アルバムで彼らの「Wild Like Wine」が入っていて、それを聞いてうっとりしたことも思い出す。
同じ73年には、セカンドにあたる「暁の妖精(In April Came The Dawning Of The Red Sun)」が出るのだが、基本メンバーも3人となりマイク・ピネラも去っていた。そして、ハード・ロックではないが、エイプリルの繊細さが際立つ好作品として私はとらえている。残念ながら、彼女に関してはこの後の話題を聞くことがなくなってしまった。
しかし、この「Whisky Place」を聴いた時の衝撃は消えることはない。
◎画像5 Captain Beyond Jシングル「未来への挑戦」+ファースト『Captain Beyond』(a)+(b)LP
また若干時期が前後するが、72年のキャプテン・ビヨンドの登場も衝撃的だった。当時の国内盤帯には「遂に登場したスーパー・グループ!!ディープ・パープル、アイアン・バタフライ、ジョニー・ウィンター・アンドのメンバーで結成された72年を代表するハイ・パワーなハード・ロック・グループ」と記されている。
先ほどのラマタムもそうだったが、それまでの有名グループのメンバーが集まって結成されたバンドのことを「スーパー・グループ」として紹介されていた。それも懐かしい言葉として思い出す。
4人のメンバーが第1期ディープ・パープルのヴォーカリスト、ロッド・エヴァンス(Rod Evans)、アイアン・バタフライのギタリスト、ライノ(Rhino)とベーシストのリー・ドーマン(Lee Dorman)、ジョニー・ウィンター・アンドのドラマー、ボビー・カルドエウェル(Bobby Caldwell)のことを指している。
それ以前には似た言葉にアル・クーパーの一連の仕事から「スーパー・セッション」というのもあったなあ。
★音源資料E Captain Beyond / The Thousand Days Of Yesterday(intro)~Frozen Over~The Thousand Days Of Yesterday
ここでは、組曲としてつながった9分の3パート全編をサンプルとして紹介したが、日本ではシングルとして「未来への挑戦(The Thousand Days Of Yesterday)」が出されていた。A面では組曲のパート3を採用し、B面ではパート2の「Frozen Over」を収録するというかなり苦しい編集をしていたが、なかなか良く出来ていたと思う。
このシングルを聞いて思ったことは、そのパート3ではアコースティック・ギターが主体になっているのだが、それでもハード・ロックとして成立していることの驚きだった。当然、リード・ギターも登場しているのだが、中心がリフを刻むアコースティックな音色だ。その点でも画期的だったと今でも考える。このギターを担当していたのが、ライノ(Rhino)なのだが、Iron Butterflyの『Metamophosis』ではEl Rhinoとして参加し、Larry Reinhardtと名乗ることもあったので結構わかりにくい。が、かなりの力量を持ったギタリストであったことは言うまでもない。
このキャプテン・ビヨンドの最初のアルバムで気付いたのが、ドラマーのボビー・カルドエウェルのドラミングの凄さだった。彼はジョニー・ウィンターやリック・デリンジャーのアルバムにも参加しているが、何といっても75年のアルマゲドン(Armageddon)に参加することでさらにその凄さを味わうことになった。
キャプテン・ビヨンドは、このファーストの凄さが際立つがゆえにその後のアルバムが過小評価されているように思えて残念だ。2枚目の『衝撃の極地(Sufficiently Breathless)』(‘73)も3枚目の『暁の襲撃(Dawn Explosion)』(‘77)も聞くべき所の多い作品として評価したい。
◎画像6 Bloodrock J シングル +『ブラッドロック USA』LP +『パッセージ』LP
続いては、GFR(Grand Funk Railroad)の弟分として70年にデビューしたブラッドロック(Bloodrock)。プロデューサーのテリー・ナイト(Terry Knight)が手がけたバンドとして鳴り物入りで登場したのだが、発表した全7枚中、最初の6枚は日本でも発売されていたのに評判は芳しくなかった。
日本での大きなシングル・ヒットがなかったせいかもしれない。私も最初のシングル「D.O.A」はあまり感心しなかったのだが、71年の4作目『Bloodrock USA』からカットされた「キャンディ・マン(Rock’n Roll Candyman)」を聞いてその印象は大きく変わった。
キャッチーな上にオルガンが効果的に使用されていて、なかなか聞かせる曲になっていたと思う。ただ、私がその曲を初めて聞いたのはリリースから数年後のこと。ホントにこれからでも再評価されてもいいくらいによく出来たいい曲だと思う。
★音源資料F Bloodrock / Rock’n Roll Candy Man
ブラッドロックが活動していた当時は、ロック・バンドにとってレコード会社との契約が結構キツく、1年間に2枚のアルバムを出すことを条件として提示されることが多かった。失礼ながら、外見的にもライヴでトップ・ビルを張れるようなバンドではなかったと思うが、最初の4枚は契約通りリリースした。
先ほどのシングル「D.O.A」はセカンド・アルバム『2』からのカットだったが、シングル・チャートの36位となり、アルバムも最高21位でRIAA公認のゴールド・ディスクになった。サード・アルバム『3』も27位まで上がり順風満帆に思われたが、その後がよくなかった。
4作目のアルバム『Bloodrock USA』は81位にとどまり、その後のアルバムはチャート入りを果たすことが出来なかった。シングル・カットされた「キャンディ・マン(Rock’n Roll Candyman)」も、もちろんヒットには至っていない。
じつは大物プロデュースのテリー・ナイトは3作目までの担当。4作目からは別のプロデューサーになっていた。そのことが影響しているのだろうか。そうだとしたら、何となく「黒い霧」が感じられるところなのだが・・・。
◎画像7 Ram Jam Jシングル +➀『ブラック・ベティ』LP + ②『若き牡羊の肖像』LP
次の曲は、バンド名や曲目を知らなくても聞いたことがあるのではなかろうか?
ラム・ジャム(Ram Jam)の「ブラック・べティ(Black Betty)」は77年のシングルなのだが、米国で18位、英国では7位を記録する大ヒットなった。日本でもシングルが発売され、ラジオでも結構オン・エアされていた。私もある日FMで聞いた途端に、その「ノリ」の良さですぐに飛びついた一曲だった。
★音源資料G Ram Jam / Black Betty(Official Audio)
ラム・ジャムの中心人物はギター、ヴォーカルのビル・バートレット(Bill Bartlett)。この曲は彼が75年にStarstruckというバンドで唯一シングルとして発表したものの焼き直し盤だった。元歌があって、リードベリー(Leadbelly-本名Huddie William Ledbetter)というフォーク・ブルース・シンガーが1939年に録音した短い作品だった。
リードベリーのキャリアは多くのミュージジャンに影響を与えており、彼がいなければ歴史的には英国のスキッフル・リバイバルから60年代のビート・ブームはなかったとも言われるほどだ。ボブ・ディランやジョージ・ハリソン、カート・コバーンのインタヴュー、エピソードには彼の素晴らしさに言及したものがある。
ラム・ジャムを立ち上げたビル・バートレットは、60年代のバブルガム・ポップ・バンドのレモン・パイパーズのメンバーだった。彼が新たに70年にロック・バンドとして、Starstruckを結成し活動していた。先に述べたとおり、75年に唯一のシングルとして「Black Betty」を録音したことからレモン・パイパーズ時代のプロデュース・チーム、ジェリー・カセネッツとジェフ・カッツに相談し、新たにラム・ジャムとしてレコーディングすることになった。60年代のバブルガム、ソフト・ロック系のファンにはカセネッツ-カッツのコンビはお馴染みの名前だろうと思う。私も彼らの名前がラム・ジャムと一緒に久々に出た時には懐かしく思ったものだ。
ラム・ジャムは結局2枚のアルバムを出して活動終了となるが、この曲「Black Betty」だけは一人歩きして今後も米国ロックの1断面として語られていきそうな気がしている。
◎画像8 Thin Lizzy Jシングル + 『Black Rose』LP
シン・リジー(Thin Lizzy)も何か1曲と思った時に、私にとってはやはりゲイリー・ムーアが参加したアルバム⑨『Black Rose』の79年の「アリバイ(Waitin For An Alibi)」が浮かんだ。ブライアン・ロバートソンとのツイン・ギターのカッコ良さ。本当に素晴らしかった。
彼らはアイルランド出身のバンドなのだが、ここで参加したゲイリー・ムーアもベルファスト生まれの同郷だ。
★音源資料H Thin Lizzy / Waitin For An Alibi
彼らの日本でのアルバムは日本フォノグラム/Vertigoから75年に出た④『Fighting』が最初で、⑥『脱獄(Jailbreak)』(‘74)は遅れて76年に、⑦『サギ師ジョニー(Johnny The Fox)』は本国と同じ76年に、そしてかなり遅れて77年に⑤『Nightlife』(’74)が出されていたという経緯がある。
その後、78年の⑧『Live And Dangerous』から本国とほぼ同時に発売されるようになり、この⑨『Black Rose』も世界的に遅れることなく発売されていた。
ちなみに、それ以前のDeccaからも3枚リリースされていて、①『Thin Lizzy』(‘71)と③『西洋無頼(Vagabonds Of The Western World)』(’73)は先に述べたキングの「ブリティッシュ・ロック秘蔵盤」シリーズとして76年に発売された。残っていた②『ブルー・オーファン(Shades Of A Blue Orphan)』(‘72)は79年になってようやく発売され、彼らのデビュー以来のカタログがようやく揃ったことになる。
Decca期の➀~➂とVertigo期の④~⑧までのメンバーは異なってくるが、リーダーでベース、ヴォーカルのフィル・リノットは不変。④~⑧ではギターのスコット・ゴーハムとブライアン・ロバートソン、ドラムスのブライアン・ダウニーを含めた4人編成だった。
ゲイリー・ムーアは、⑨『Black Rose』以前に74年に一度シン・リジーに参加し⑤『Nightlife』のアルバム内の1曲に参加していた。さらに77年にはロバートソンの代役としてツアーに参加したが、その時にも正式メンバーにはならなかった。
アイルランドは歴史的に英国との関係性で様々な軋轢を生んでいたが、英国ロックとは少々違った味わいを持っていた。『Black Rose』のアルバムのタイトル曲ではアイルランド民謡の一節も取り込んだメロディーが独特の味わいを醸し出していた。
シン・リジーはもちろんのこと、それ以前にフィル・リノットと一緒にスキッド・ロウ(Skid Raw)に参加して2枚のアルバムを残すゲイリー・ムーア。それ故にシン・リジーとも関わりを持ち続けた印象があるが、彼なりのこだわりがあったのだろう。『Black Rose』の前後からソロ・アーティストとして一層の活躍を見せたことは言うまでもない。
フィル・リノットもゲイリー・ムーアもどちらも既に故人になってしまった。しかし、彼らの残し音楽を楽しむことが出来ることは幸いだ。
◎画像9 Black Sabbath Jシングル + 『Heaven And Hell』LP
ブラック・サバスは70年に『黒い安息日(Black Sabbath)』でデビューし、数々の名作を残している。ギターのトニー・アイオミ、ベースのジーザー・バトラー、ドラムスのビル・ワード、そしてヴォーカルのオジー・オズボーンの4人が繰り出す世界観は英ハード・ロックの典型として君臨していた。
そんな彼らの一角であったオジーが脱退し、新たに加わったヴォーカルがロニー・ジェームス・ディオだったことに誰もが驚いた。そうして届いた80年のアルバム『Heaven And Hell』は衝撃的だった。
★音源資料I Black Sabbath / Neon Knights
サバスといえば、それまでオジーの声と姿がひとつの象徴と思っていたのだが、サバスでのロニーのヴォーカルもまさに圧倒的で見事。本当に驚きだった。
彼が在籍したエルフ(Elf)はともかく、何といってもリッチー・ブラックモアのレインボウの『虹を翔る覇者(Rising)』での圧倒的な歌唱が印象的で、特に「スターゲイザー」の世界観はコージー・パウエルのドラミング、トニー・カレイのキーボードを含めてこれまで聞いてきたロックの中で「超絶」という言葉が浮かぶほどに思いがあったものだ。それだけに「ネオンの騎士」を耳にした時には、嬉しかった。トニー・アイオミのギターも、ジーザー・バトラーとビル・ワードのリズム・セクションも何か元気で若返った印象があった。
◎画像10 Procol Harum (G シングル) + 『幻想(Exotic Birds and Fruit)』LP
そして、今回のラストはプロコル・ハルムの「狂夢(Nothing But The Truth)」。意外に思われるかもしれないが、これはなかなかな迫力を持った1曲。74年8枚目のアルバム『幻想(Exotic Birds and Fruit)』の1曲目に収められていた。プロコル・ハルムの初期にはロビン・トロワーがギタリストとして在籍していたこともあり、71年の5作目『Broken Barricades』は幾分ハードでダークさも感じられる作品だった。本作でもミック・グラハム(Mick Grabham)のハードなギターは味わい深く素晴らしい。また、いつもの通り、キース・リードの歌詞もなかなか深い。言葉では簡単に口にする「真実」について、その重要性をイカルスの逸話をはさんでまるで悪い夢でも見ているような世界が描かれている。邦題が『狂夢』なのは、なるほどと思わせるものだ。
この曲は日本ではシングル・カットされていないが、その詩と曲が合体したインパクトの強さから今でも人気の高い曲だ。
★音源資料J Procol Harum / Nothing But The Blues
前々作がエドモントン・シンフォニー・オーケストラとの競演盤『Live』、そして、前作の『グランド・ホテル』が大傑作で、次のアルバムがクラシカルな作品だろうと勝手な思いを抱き、期待を持っていた。
その彼らの新しいアルバムのジャケットを始めて見たのは、当時の「FM Fan」という隔週発行のFM雑誌の表紙だった。しかし、「鳥と果実」が描かれた絵画なものだからプロコル・ハルムの新譜だとは気がつかなかった。
その「FM Fan」誌では毎号ジャンルを問わず、新譜の中から注目度の高い作品のジャケットが表紙に採用していた。高2だった私は本屋で「今回はクラシックの新譜が表紙か?」と思った。雑誌を開いて、その紹介を見てはじめてプロコル・ハルムの新しいアルバムだと分かった。
そのジャケットの絵画は17世紀~18世紀の画家Jakob Bogdaniの作品。絵のタイトルはアルバムと同じ『Exotic Birds and Fruit』だった。
アルバムは渋いが、落ち着いた好作品。優雅でエレガントさを感じさせるのはそれまでの彼らのイメージ通りなのだが、繰り返し聞いているうちに、不思議な感覚にとらわれた。このアルバムの邦題は『幻想』だ。クラシカルとかハードとかにとらわれず、「マジカルなムードに素直に酔う」ことが、本作の味わい方なのだろうと、ある日突然に気がついた。じつに深い作品だ。(よく思い返すと、それまでのどのアルバムも同じ深さを持っていた。)そのことに気付いたことで私にとってプロコル・ハルムは永遠のフェイバリット・バンドになっていくわけだ。
(実際に、彼ら自身もこのアルバムに向かうにあたって「シンフォニックなイメージを払拭し、意識的にデビュー当時を意識した作品にしたかった」と彼らのHP「Beyond The Pale」でも紹介されていた。)
メンバーは、『グランド・ホテル』と同じで、ピアノとヴォーカルのゲイリー・ブルッカー、ドラムスのB.J.ウィルソン、ギターのミック・グラブム、ベースのアラン・カートライライト、オルガンのクリス・コッピングは変わらない。
今回も前回同様に、ハード・ロック・プレイリストとして10曲を取り上げました。一つ一つが思い出深いものですが、「多くの方々にもそれぞれ聞いた時のことを思い出してもらえたらいいな」と考えながら、(いつものように)自分の思い出を中心に綴ってみました。
同じように考える人がいたらそれはそれで面白いのですが、逆に「えっ、そんなふうに聞いているんだ。」と知っていただければ私にとってはありがたいことです。
最近はトシをとったせいか、以前のようにテーマを決めてひとつのことを集中して原稿にまとめて紹介するのがちょっとキツくなってきています。
それで、断片的な記憶を集めてこうした『プレイリスト』の形をはさみながら、今後もこのコラムを続けていけたらとは思っています。
と言いながら、最近の英Cherry RedのEsorteric、Grapefruit、Strawberryといったサブ・レーベルからは次々と興味深いテーマ別の3~4枚組のBoxが発売されて、それは私にとって大きな刺激になっています。そんな辺りからも、何か新たな原稿のヒントが得られそうだな・・・何なんて考えてもいるのですが。
さらに、かつて公式には未発表だった過去のライヴを中心とした音源も近年たくさん出されていて興味深くはありますが、あまりにも次々と大量にリリースされていてその流れにはとてもついて行いけないな、と最初から諦めてしまっているものもあります。
まあ、あれこれと考えることの多い毎日です。 それではまた次回。
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「Column The Reflection」バックナンバーはこちらからチェック!
元サヴォイ・ブラウンのメンバーを中心に結成された英ブルース・ロック/ハードブギ・グループの70年代の作品を収録したボックス。72年作『FOGHAT』』、73年作『FOGHAT (ROCK & ROLL)』、74年作『ENERGIZED』、74年作『ROCK AND ROLL OUTLAWS』、75年作『FOOL FOR THE CITY』の5タイトルに、72年から75年のシングル集を収録!
廃盤、紙ジャケット仕様、ボーナス・トラック1曲、K2HDマスタリング、定価2400+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
フィル・ライノット率いる英ハード・ロック・グループ、76年作6th。アイルランド民謡をルーツとする哀愁溢れるメロディとハード・エッジかつキャッチーなアンサンブルというバンドの個性が確立した出世作。アンサンブルの要は、レスポール2本が絡むツイン・ギター。ヌケの良いドライヴ感いっぱいのリフ、ここぞで一気に盛り上がるメロディアスなツイン・リードともに魅力的です。バンドが一体となってエネルギッシュに疾走するキメのパートからキャッチーなコーラスへとなだれ込む瞬間が痺れる「Jailbreak」、期待感をあおるイントロから全編ツイン・ギターが躍動する「The Boys Are Back In Town」、雄大なギター・ハーモニーがアメリカへの憧れを感じさせる「Cowboy Song」などの代表曲を収録。数あるハード・ロック名盤の中でも指折りの一枚です。
旧規格、DIGITAL MASTERING、BURRN! ROCK LEGENDS CD、定価2800(税表記なし)
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
旧規格、DIGITAL MASTERING、BURRN! ROCK LEGENDS CD、定価2800(税表記なし)
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯裏面に軽微な剥がれあり
DVD+ボーナスCDの2枚組、NTSC方式、リージョンフリー、リーフレット付仕様
盤質:傷あり
状態:良好
CDに若干曇り、指紋汚れあり
直輸入盤(帯・解説付仕様)、2枚組、音飛び・ノイズ・フェードアウト等はオリジナルマスターに起因するものです。定価2566+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
ケースにスレあり
21年リイシュー、デジパック仕様、2枚組、ボーナス・トラック3曲
盤質:傷あり
状態:良好
ケース不良、若干スレあり、軽微な圧痕あり、トレーにヒビあり
78年の8thアルバム『Never Say Die』リリースに伴う同年のツアーより、ロンドン/米ペンシルバニア/米テキサスでのライヴを収録、全14曲!
Gary BrookerとMatthew Fisherというダブル・キーボードを中心に結成され、黎明期よりプログレッシブ・ロック・シーンをリード。デビュー曲「青い影」が広く知られているイギリスのグループの69年3rd。オルガン奏者のMatthew Fisher在籍時最後のアルバムとなった本作は、彼らの代表作として有名な作品であり、海洋冒険小説を題材にしたコンセプト・アルバムとなっています。前2作よりすっきりとまとめられた垢抜けたサウンドを提示しており、細部までアレンジが行き届いた傑作と言えるでしょう。
MFCD823(MOBILE FIDELITY SOUND LAB)
廃盤、Mobile Fidelity高音質CD、直輸入盤、解説元からあったか不明、定価3400
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、ケースは通常プラケースに交換してあります、盤中央部に汚れあり、ケースツメ跡・ビニールソフトケースの圧痕あり
英国出身ロック・バンド、70年4th。看板オルガン奏者Matthew Fisherが脱退したことにより、音楽性が変化。作曲面ではクラシカル路線を維持する一方、サウンド面ではJimi Hendrixに傾倒したRobin Trowerによるブルージーなギターの活躍が際立ち、クラシカルなバックを従えたJimi Hendrixといった趣が楽しめる作品となっています。ヘヴィなリフをフィーチャーした楽曲が目立つ中、異彩を放つのが、7分を超える「Whaling Stories」(邦題:捕鯨物語)。初期の作風に通じるクラシカルで荘厳なオルガンをバックに、泣きのギター・ソロが響き渡ります。ソウルフルなヴォーカル、重厚なコーラス、シリアスで暗いサウンドなど、VERTIGO作品群に通じる魅力もあり。クラシック要素を多く残したサウンドにディストーション・ギターが乗るというスタイルは、Matthew Fisher在籍期では味わえないこの時期の彼らならではの持ち味です。
「フランス貴族の没落」をテーマとした73年7th。プロコル・ハルムがかねてより試みていた、ロックとクラシックの融合が今作で最高潮に達しています。クリス・トーマスによる流麗なオーケストレーションが前編に渡って響き渡り、ゲイリー・ブルッカーの骨太なヴォーカルとクリアなピアノ、B.J.ウィルソンのダイナミックなドラム、ハードなソロも織り込んだギター等々、迫力のバンド・サウンドと組み合わさって、豊穣な音の洪水を作り出しています。そしてその全てが英国的な気品と陰影を帯びており、聴けば聴くほどじわじわと染み入ってくる味わい深さがあります。後期プロコル・ハルムを代表する傑作です!
廃盤、紙ジャケット仕様、HQCD、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック2曲、定価2800
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯無
帯無、紙ジャケに目立つスレあり、解説に若干黄ばみあり
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