2020年8月7日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
タグ:
本来であれば東京オリンピック2020が開催されていたこの時期、未だに感染者増が続き、落ち着く気配を見せない。人との接触が阻まれるウィルスの脅威はどこか啓示的な様相だが、収束もまたある時期突然に訪れるような気がする。人間が本来持っている底力を見せる時なのだろう。
音楽も演劇も様々なイベントが封印されたままでいることは懸念されるが、これまでの遺産をそれぞれの立場の中で振り返り改めて咀嚼してみることも、再開に向けた新たな礎になることを信じたい。
私の中では70年代を振り返る作業を通して、今につながる時代の側面を見直していくというスタンスだけに幸いにも現状には大きな不都合はない。過去と現在という間に立ち、自分自身がどう音楽を受けとめ、何が見えてきたのかの検証作業だ。音楽がひとつのスタイルとして文化の一面であると同時に人の生き方や在り方にどう影響を及ぼしているのか・・・私の興味はそこにある。
◎画像① Mountain
今回はマウンテン(Mountain)を取り上げたい。前回のG.F.Rと同様に、かつては人気を誇ったハード・ロック・バンド、マウンテンも今では過去に埋もれてしまっているような印象を受ける。
今月号の『レコード・コレクターズ』(8月号)では「アイ・ラヴ・ロックン・ロール!」の特集が組まれたのだが、G.F.Rもマウンテンもその名前が一切出ていない。執筆陣が選んだ203曲にも登場していない。特集を組む過程では時代を俯瞰して落ちのないようにと考えるのだろうが、やはり忘れられてしまうものがあることはいつものことだ。ここに限ったことではないのだが、やはり残念に思った。
ロックン・ロールの発展形のひとつのジャンルとしてハード・ロックはとらえられるが、70年代はやはり様々に複合型の音楽性を持ったバンドが多かっただけにその選択には難しさがあったのだろう。
それにしても70年後半から73年にかけてのマウンテンの大攻勢は凄かった。日本発売のシングルでも「ヤスガーの農場」「ミシシッピー・クイーン」「アニマル・トレーナー」「ロール・オーバー・ベートーベン」「ドント・ルック・アラウンド」「暗黒への旅路」「想像されたウェスタンのテーマ」と次々にリリースされ、ラジオのオンエアにも勢いがあった。
当時のMLにバンド写真がのっていて、4人組の中にひとり巨漢のメンバーがいることにびっくり。それがレスリー・ウェストだった。
◎画像② ミシシッピー・クイーン(シングル)
最初に聞いた「ミシシッピー・クイーン」は映画「バニシング・ポイント」のサウンドトラックとして出ていたのは知っていたが、当時はうるさいハード・ロック、やかましい曲だなという印象しかなかった。
◎画像③ アニマル・トレーナー(シングル)
個人的には71年「アニマル・トレーナー」がリリースされた頃、ラジオで聞いて改めて注目したことを思い出す。それは、当時大人気だったCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のようでもあったが、ヴォーカルの野太さとホンキートンク調のピアノ、そして何となくおおらかでユーモラスな曲調が気に入った。あまりハード・ロックかどうかなんていう疑問は少しも持たなかった。
★音源A アニマル・トレーナー
◎画像④ ドント・ルック・アラウンド(シングル)
それが「ドント・ルック・アラウンド」を聞いてすっかり感心した。ひと言で言うと大音量の中でも緊張感を持ったハード・ロック。緊急警報を思わせるイントロに、バタバタとしながらもどこか惹かれてしまうドラムス。ギターとヴォーカルのけたたましさ、迫力も凄いがその後ろを引っ張り続けるベースの音にも驚愕した。何度も聞くうちに薄く流れるオルガンの音も効果的だと一人で納得した。そして潔い曲の終わり方も見事。
★音源B ドント・ルック・アラウンド
◎画像⑤ 暗黒への旅路(シングル)
そして(シングル・リリースは逆になるのだが)「暗黒への旅路」で完全にノックアウト。ここでは哀愁のメロディだけでなく改めてコーキー・レイング(Corky Laing)のドラミングの面白さを確認した。このハード・サウンドにスティーヴ・ナイト(Steve Knight)のオルガン、生ピアノもじつに効果的に使用されていることに気づき感心した。レスリー・ウェストとパパラルディの凄さは当然のことだが、そうしたアンサンブルがあってこの曲は成り立っていることに気づいたことは私にとっては大きな意味を持っていた。
その頃はポップスとブラスロックが大好きで、プログレ的な音楽にもまだ目覚めていない自分にとっては、その緻密に計算されたアンサンブルに新たな面白さを感じ取った瞬間だった。その点では前回取り上げたグランド・ファンクを聞いた時とは認識がだいぶ違っていたような気がする。
★音源C 暗黒への旅路
マウンテンの歴史は長い目で見るとギタリスト、そのままレスリー・ウェスト(Lesley West)の経歴につながってくるのだが、フェリックス・パパラルディ(Felix Papparardi)との出会いが大きな転機だったことは疑いない。マウンテンが日本で話題になり始めた時期、レスリー・ウェストは知らなくても、フェリックス・パパラルディは既に有名な存在だった。何と言ってもクリーム(Cream)のプロデューサーとして知られていたからだ。彼はセカンド「カラフル・クリーム(Disrael Gears)」からの担当だったが、ファーストにあたる前作「フレッシュ・クリーム(Fresh Cream)」の様々な問題点をうまく改善した。ちょうど、ブルース・ロックがサイケデリックと出会い、コンパクトな楽曲と同時に、長尺のインタープレイを世に知らしめたクリームのトリオ体制の維持と屋台骨を支えた実質的な存在だったわけだ。さらに英国においては既に有名だったエリック・クラプトン(Eric Clapton)の凄さが世界的にクローズ・アップされたわけで、米国でもパパラルディはその立役者としても知られていた。
パパラルディはミシガン大学でクラシック音楽を学んでいた。卒業後フォーク、ブルース系のミュージシャンと関わり、自らも同系統の音楽性での演奏活動を行っていた。トム・パクストン(Tom Paxton)、フレッド・ニール(Fred Neil)、トム・ラッシュ(Tom Rush)、リチャード&ミミ・ファーリナ(Richard & Mimi Farina)、ティム・ローズ(Tim Rose)らのアルバムに参加している事実は彼の当時の活動傾向がうかがえる。プロデューサーとしてはその後ヤングブラッズ(Youngbloods)やケンジントン・マーケット(Kensington Market)らを手がけた。パパラルディの名は業界の中でも知られる存在となり、クリーム(Cream)の担当を依頼されることになる。特にクリームのジャック・ブルース(Jack Bruce)とは意気投合し彼のファースト・ソロ・アルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー(Songs For A Talor)』を手がけたことは、ブルース、パパラルディ双方の経歴の中でも大きな意味を持っていたと思われる。さらに並行してボー・グランプス(Bo Grumps)やザ・バグランツ(The Vagrants)にも関わっていた。
そのザ・バグランツにはレスリー・ウェストがいて、彼のギターは気になる存在だった。パパラルディがレスリーを見たときにその巨漢ぶりに驚いて「マウンテン」というニックネームをつけたことも知られている。
実際に、ザ・バグランツがアルバム作成を相談した時に、パパラルディがウェストに自分のソロ・アルバムにしてみたらどうかと持ちかけ、結果的に生まれたのが69年の『レスリー・ウェスト(Leslie West)/マウンテン(Mountain)』だった。さらにはウェストに大きな期待をかけていた表れのひとつとしてその後の音源管理を一本化するというパパラルディの思惑があった。そのための手段がWindfallレーベルであったということは後になってわかったことだ。
◎画像⑥ 『レスリー・ウェスト/マウンテン』
その『レスリー・ウェスト/マウンテン』に関してなのだが、これをマウンテンの最初のアルバムとするか、ウェストのソロ・アルバムと考えるか議論の分かれるところ。米国では当時も今もあくまでソロ・アルバムという扱いが多いように思える。
日本では70年1月に発売された国内盤ファースト・プレスはCBS/Sony傘下のBellレコードからレスリー・ウェストのソロ・アルバムとして出されていた(ジャケットにはWindfallのロゴはあった)が、72年に再発された際にジャケットが変更され『レスリー・ウェスト/マウンテン』のタイトルにさらに『マウンテン1』と加えられ、マウンテンのデビュー・アルバムとされた。
確かに、その後マウンテンとしてのライヴ・レパートリーに加わる「ロング・レッド(Long Red)」や「ドリームス・オブ・ミルク・アンド・ハニー(Dreams Of Milk And Honey)」「ブラッド・オブ・ザ。サン(Blood Of The Sun)」も含んでいる。しかし、その後の音楽性と比較すると、バンド・サウンドとしては物足りない感じが漂う。もちろんプロデュースはパパラルディでベースとキーボードも担当。ドラムスにはN.D.Samart IIというトリオ編成。
N.D.Samart IIというドラマーはパパラルディがプロデュースしたボー・グランプスで客演していた。その他にはN.Landsbergが3曲でオルガンを弾いたことが記されている。彼はアルバム中5曲で曲作りにも関わっていたのだが、その後別グループHammerでアルバムを1枚残している。
68年後半は、パパラルディはクリームのアルバム『グッド・バイ』のレコーディングでロンドンにいて、プロデュースだけでなく用意した3曲でベース、メロトロン、ピアノとセッションを行い多忙だったが、そんな中でウェストをギターに置いたバンドの青写真を真剣に考えていた。
周囲からは大成功したクリームにならってトリオ編成を勧められていたというが、パパルディの中では、もっと広い音楽性を目指したメンバーを思い描いたことがよくわかる。ドラムスにカナダからコーキー・レイングを呼び寄せ、さらにキーボードとしてスティーヴ・ナイトを選び、自分はベースを担当することにした。(スティーヴ・ナイトはパパラルディと一緒にThe Devil’s Anvilというバンドで『Hard Rock From The Middle East』というアルバムを66年に出していた。これはタイトル通り中東出身のメンバーが中心になった不思議なアルバムだったが、その際に彼の力量を認めたのだろう。)
公式には69年の7月にフィルモア・ウェストでデヴューし、翌8月には伝説のウッドストックにも出ていることからその頃のパパルディの超過密スケジュールが想像できる。
ウッドストックでの演奏曲目は「Blood Of The Sun」「Stormy Monday」「Theme For An Imaginary Western」「Long Red」「Who Am I But You and the Sun (For Yasgur’s Farm)」「Beside The Sea」「Waiting A Take You Away」「Dreams Of Milk And Honey」「Southbound Train」の9曲とされている。(下線は「レスリー・ウェスト/マウンテン」収録曲で、約半分を占めていた。)
満を持して出された印象の70年の『勝利への登攀(Climbing)』。タイトルからは始動開始ということが読み取れるだけに、前作は登攀準備になるだろうか。日本でもマウンテンの第2弾と帯に書かれ70年6月に発売されたが、明確に『マウンテン2』とされたのはやはり71年に再発された時だった。
◎画像⑦ 『勝利への登攀(Climbing)』
ウッドストック直後だったこともあり、大きな期待を持って迎えられた作品であることは間違いない。
アルバム冒頭を飾る「ミシシッピー・クイーン」のハード・サウンドは、ウッドストックでの熱狂を思い出すキラー・チューンと言える。シングルで聞いた時とは違って冷静に聞ける感じがするから不思議。
★音源D ミシシッピー・クイーン
続く「想像されたウェスタンのテーマ」は全く違った感動で身体が震えてくる。パパラルディの歌声はここで初めて聞けたのではなかろうか。そのヴォーカルは素晴らしい。雄大でメロディアスな展開は何度聞いても鳥肌が立つ。今ではスタンダードとなったジャック・ブルースとピート・ブラウンの共作曲だが、前述のブルースのソロ『ソング・フォー・ア・テイラー』に収録された大名曲。スティーヴ・ナイトのオルガンのアルペジオも効果的で涙を誘う。コラシアム(Colloseum)や後にグリーンスレイド(Greenslade)のカバーもあるが、やはりマウンテンのヴァージョンが圧倒的だ。
★音源E 想像されたウェスタンのテーマ
「君がすべて(Never In My Life)」は「ドント・ルック・アラウンド」にも似た完全ハード路線で代表曲のひとつに数えられるが、これもドライヴが効いてよく出来た曲だ。「銀色の紙(Silver Paper)」は彼らのもうひとつの味わいである幾分ユーモラスな曲。もう1曲「虹に坐って(Sittin’On A Rainbow)」も同傾向の曲。
「ヤスガーの農場(For Yasgur’s Farm)」はウッドストックの会場となった場所をうたったものだが、今も人気の高い曲。これも感動的な旋律を持った名曲と言える。
★音源F ヤスガーの農場
「友達のために(To My Friend)」はウェストのアコースティック・ギターソロ。フォーク的曲調だがクラシカルな趣も感じられる。その雰囲気は「支配者(The Laird)」につながっていくのだが、こちらはラーガ風な旋律がまた面白い。多分に70年という時代性を感じさせている。
最後の曲「バンドの少年(Boys In The Band)」のイントロにまた泣かされる。クラシックのプレリュードかノクターンかといった格調高いピアノだが、ヴォーカルが入るとはぐらかされたメロディにもなる不思議な展開を持った曲。(こうしたタイプの曲が彼らには多い。) クラシックも熟知したパパラルディと奥さんのゲイル・コリンズの作品。この夫婦コンビの曲は、クリームの「ストレンジ・ブリュー(Strange Brew)」をはじめ、パパラルディのプロデュース作品の中にたくさんある。主に詩を担当するコリンズだが、本作でも彼女が関わったものが6曲ある。
◎画像⑧ 『ナンタケット・スレイライド(Nantacket Sleighride)』
ラジオから流れるシングル曲に夢中になり、最初に聞きたくなったアルバムが日本で71年11月に出たばかりの『マウンテン3』として出された『ナンタケット・スレイライド(Nantacket Sleighride)』だった。ちょうどタイミング良く「マウンテンの新譜を紹介」という市内レコード店主催のコンサートが開かれた。その頃は民放ラジオ局やレコード・楽器店主催のフィルム・コンサートやレコード・コンサートが頻繁に行われていて、中学生だった私もその開催情報を注意深くつかんでよく出かけていた。他のコンサートでは同年代もけっこういたのだが、その日のレコード・コンサートは珍しくホテルが会場ということだったせいか年上の参加者が多く、私が最年少だったような気がする。
ゲストにはマウンテンを出しているCBS/Sonyのディレクターがやってきて、「お待たせしましたが、9月にやっとWindfallレーベルと正式に契約ができました。時間とお金はかかりましたが、やっと本来の姿でマウンテンを出すことができます。」と語った。私は「ほう、そうなのか」と思っただけだったが、その話を受けて会場にいた参加者の一人が、「発売を待ったのですが、国内盤で出るのが遅かったですよね。私は既に輸入盤で買ってしまいました。」と発言したことを今も鮮明に覚えている。何かすごくロックに詳しくて偉い人を見たような気がして、妙に感動した。
よく思い返してみると、私がレコード・レーベルというものに興味を持つきっかけとなり、輸入盤でしか手に入らない作品もあるのだと悟った瞬間でもあった。(今になって思い返してみると、その時やって来て話してくれたディレクターは、契約に携わり、さらにマウンテンの一連の豪華な日本盤リリースを担当した堤光生さんご本人だったと思う。)
その『マウンテン3(Nantacket Sleighride)』。国内盤帯には「ウィンドホール・レコード契約第1弾! マウンテン最新アルバム(RIAA公認ミリオン・セラー・アルバム)」とあり、さらに解説書には「マウンテンは、WINDFALL RECORDの所属で、BELLレコードを通じて日本に紹介されていましたが、日本発売権がBELLレコードを離れたためCBS・ソニーレコードがWINDFALL REC.と直接契約し、日本で発売できるようになったわけです。」と紹介されている。
このアルバムは、前作同様ジャケットはカラフルなイラストだが、この仕事もコリンズの手によるもの。さらに歌詞を掲載した16ページのイラストブックが付属されていて、これもすべて彼女の仕事。こちらの方は、アルバムを聞く上でとても参考になってありがたかった。
私が夢中になった「アニマル・トレーナー」「ドント・ルック・アラウンド」「暗黒への旅路」の3曲とも収録されている特別なアルバムだ。
「暗黒の旅路」はシングルでは短縮ヴァージョンだった。じつは、この曲の原曲は68年にパパラルディがプロデュースしたボー・グランプス(Bo Grumpus)のアルバムに収録されていたもの。そちらは静かな雰囲気の中にストリングスも加わったフォーク・ロック的な曲調で、マウンテンの演奏とは印象がかなり違う。これもパパラルディとゲイル・コリンズの作品。このアルバムでもコリンズは6曲にクレジットされている。この「暗黒の旅路」をマウンテンで再演するにあたって、パパラルディが母親に贈ったナンバーとされている。副題についた(To E-M-P)とはその母親の名前の頭文字だろうか。
本作のハイライトは何と言っても「ナンタケット・スレイライド」であることは誰もが認めるところだろうが、その前に収録された短い「タウンタ」が前奏曲的な役割を果たしている。それはまるでレクイエム(鎮魂曲)のように聞こえる暗い旋律。何か大きな意味があるぞとは思ったものの、最初に聞いた頃はわからなかった。
★音源G タウンタ~ナンタケット・スレイライド
まず曲目を詳しく見ると「Taunta(Sammy’s Tune)」、「Nantucket Sleighride(To Owen Coffin)」と続いている。
「ナンタケット・スレイライド」は捕鯨を歌ったものということは、ブックレットのイラストからも想像できた。メルヴィルの『白鯨』という作品も頭に浮かんだ。歌詞を見ると捕鯨に出かけた男とその帰りを待つ女の心情を歌ったものなのだが、その詳細を知ると戦慄が走る。
かつてナンタケット島は大きな捕鯨基地だった。地図を見るとよくわかるのだが、マサチューセッツ州にあるその島から太平洋まで出かけるのだから、南米まわりの大航海となる。さらには捕鯨においては大きな鯨に銛を打つことが出来ても、ホエールボートは暴れ回る巨大な鯨に振り回されていつひっくり返るかわからない恐ろしさがあった。そうやって鯨に翻弄される様子が「ナンタケットのそり滑り」と呼ばれていたのだ。
1819年に出発したエセックス号遭難の悲劇がこの曲の背後にある。鯨に体当たりされ3ヶ月の間漂流を続けたのだが、それは仲間の肉を食べることで生き存えたと伝えられている。その時の犠牲者の一人がOwen Coffinという若者だったわけだ。ノン・フィクションとして描かれたナサニエル・フィルブリックの『復讐する海~捕鯨船エセックス号の悲劇』(集英社)が知られている。最近では『白鯨との戦い』(集英社文庫)として手軽に入手が可能になった。さらには映画化されDVD、ブルー・レイにもなっているから興味の湧いた方はどうぞ。
そう考えると、前奏曲にあたる『タウンタ』も鎮魂曲のように聞こえても間違ってはいなかった。深くクラシックを学び、様々な表現方法を熟知していたパパラルディならではの曲構成だったと言える。
「ナンタケット・スレイライド」はその後ライヴでは彼らの代表曲となり、本作では6分弱だったものが、その後のライヴで17分、さらに日本公演では30分を超えるまでにふくらんでいる。ウェストはこの曲に関して、曲の内容や背景よりも構成と演奏上の難しさについて後のインタヴューで語っている。
他の収録曲についても見ていこう。「ユー・キャント・ゲット・アウェイ」「タイアード・エンジェル(To J・M・H)」はともに明確なリフを導入したハード・ナンバー。ギター・リフとドラムスの重なりが小気味いい。後者はジミ・ヘンドリックスに捧げられている。(To J・M・H)とはJames Marshall Hendrixのことでジミの本名だ。パパラルディがウェストを彼に紹介した際に、そのギターに感心し一緒に演奏したことがあるという。
「マイ・レディ」はジャケットに画かれた女性(コリンズ自身)について歌われたと思われる小品。オルガンが中心のゆったりとした演奏が印象的。
ラストの「偉大なる列車強盗」はブルージーなギターが響くロックン・ロール・ナンバー。「アニマル・トレーナー」で聞けたスティーヴ・ナイトのピアノがここでもキラキラしている。ライヴ向きの曲のように思えたのだが意外にもステージでは演奏されていなかったようだ。
◎画像⑨ 『悪の華(Flower Of Evil)』
続く作品は『悪の華(Flower Of Evil)』。彼らの活動の勢いがハイペース(半年に1枚)のアルバム・リリースに表れている。このあたりは初期のG.F.Rにも似ている。
まずアルバムの構成に驚いた。アルバムA面は71年9月にニュー・ヨークのスタジオで録音されたもの。B面は30分に及ぶフィルモア・イーストのクロージング・コンサートでのライヴ。スタジオ録音とライヴを1枚のレコードに収めるのはクリームのアルバムでの試みられたのと同じである。
そして、ジャケット。新たなバンド・ロゴはカラフルだが不気味、4人が並んだメンバーはモノクロでどこかふてぶてしい。何だか『悪の華』のタイトル通りどこか邪悪なものが感じられた。米オリジナルはシングル・ジャケットだが、国内盤は力の入った豪華な二つ折りで、解説もパンフレット仕様で16ページもある。対訳が2種掲載され、解説も複数あるのだが、中でも越谷政義氏のものが質量ともに圧倒的なもの凄さなので、中古レコードを見つけた際には目を通してみてほしい。
タイトル曲「悪の華」はコンパクトにまとまっていて幾分コマーシャルに感じられるが、マウンテンらしさは失っていない。ただ歌詞を見ると麻薬のことを歌っているようで油断できない。
「王様のコラール(King’s Choral)」。1分ほどのインストで「タウンタ」を思わせるスティーヴのピアノが中心となっているが、ここではもう少し明るい曲調だ。やはり、パパルディのクラシック嗜好がうかがわれるタイプの作品。
「最後の冷たいキス(One Last Cold Kiss) 」は、白鳥をモチーフにした物語の形を取っている。構成・内容的に「ナンタケット・スレイライド」を踏まえたように思える。ここでもレスリーのギターよりはスティーヴのピアノとオルガンが中心だ。
「クロスローダー(Crossroader)」と聞くとクリームの「クロスロード」を思い出すが、「ミシシッピー・クイーン」のテンポに落としたような雰囲気だ。リフが呪術的で頭に残るタイプの作品。
そして極めつけが『誇りと情熱(Pride And Passion)』(!!!) !を3つもつけたのは、この曲の凄さを伝えたいためだ。これまで何となく感じられたパパラルディのクラシック趣味が全開になっているからだ。曲の緩急も素晴らしいが、クラシック理論に基づいたと思われる構成と明確なメロディがじつに素晴らしい。1分半ほど続くギター・シークェンスの後の歌い出しのバックのキーボード・アレンジは何度聞いてもほれぼれする。ピアノはコードを奏で、オルガンで装飾音を弾くというバロック音楽の世界は、その後プログレやユーロ・ロックで感じ取れるものだが、この時期にハード・ロック・バンドが導入していたという事実は驚愕でもある。私にとっては忘れられないフェイバリット・ソングのひとつで、今でも思い出したらすぐに聞く曲で2ヶ月に1回は聞いているだろうか。
★音源H 誇りと情熱
B面のライヴはフィルモアの責任者ビル・グラハム(Bill Graham)の格別な計らいで、マウンテンのアルバムとして収録できたという。レコードでは片面30分となると音量が低く聞きづらさもあったが、CDになるとじつにクリアに録音されていたことがわかる。メドレー形式の「幻想の世界(Dream Sequence)」は25分ほどあるが、個人的に「ベートーベンをぶっ飛ばせ」の部分はとばしてしまうのだが、その後の16分間は存分に楽しめる。最後の「ミシシッピー・クイーン」は観客の熱狂ぶりを味わうために聞く。
日本でもレコード会社の思惑通りマウンテン人気は大変なもので、この『悪の華』はビッグ・セールスとなり、オリコンでもLPチャート1桁台(6位だったかな?) に昇った。
残念ながらパパラルディとレスリー・ウェストの音楽性の違いから72年にバンドは解散したことになっている。明確な情報は伝えられてはいなかったが、その春にレスリー・ウェストはコーキー・レイングと共にロンドンに出向き、元フリー(Free)のポール・ロジャース(Paul Rodgers)と、元モット・ザ・フープル(Mott The Hoople)のミック・ラルフス(Mick Ralphs)と会っている。彼らは新たなバンドのためのギグも繰り返していたところだったので、具体的な進展はなかった。そのバンドがバッド・カンパニー(Bad Company)になることを考えるとロック・シーンの歴史の一部分を見るようで興味深い。
その後ジャック・ブルースと顔を合わせ、彼が活動休止中だったことを知りウェストが一緒の活動を提案した。それがウェスト・ブルース&レイングとしての活動となった。最初のアルバム『ホワイ・ドンチャ(Why Doncha)』をレコーディング。72年11月に発売されている。英国ではCBSからだが、米国発売はマウンテン時代同様Columbia/Windfallからだった。(ちなみにセカンドにあたるスタジオ・アルバムも『Whatever Turns You On』として73年7月に出されている。さらにもう1枚ライヴもある。)
◎画像⑩ ウェスト・ブルース&レイング
ただ、実際に当時の状況を冷静に見つめ直すとパパラルディの体調不良(難聴?)が最初の活動中止の大きな理由だったように思える。パパラルディの友人であるジャック・ブルースが何も断りもなくその後釜として収まってしまうはずがないからだ。
◎画像⑪ マウンテン・ライヴ/暗黒への挑戦(The Road Goes Ever On)
そんな中で、マウンテンの新作とされる『マウンテン・ライヴ/暗黒への挑戦(The Road Goes Ever On)』が72年6月に発表された。プロデュースはパパラルディ。その日本盤ライナー・ブックの中には、「マウンテンが解散したという噂」、「ジャック・ブルースがマウンテンに加入か」、「ウェスト・ブルース&レイングが活動していること」、「マウンテンの新作は全曲スタジオ録音で発売される予定」等の情報が幾分混乱した様子で記されていた。
◎画像⑫ マウンテン・ライヴ/異邦の薫り(Twin Peaks)
結局、マウンテンは73年8月に来日し東京・大阪公演を行い、その時のライヴ・アルバムが『マウンテン・ライヴ/異邦の薫り(Twin Peaks)』(2枚組)として当初は73年暮に日本でのみリリースされた。しかし、バンドは間違いなく一度解散状態にはなっていたようで、ウェストとパパラルディはいるものの、ドラムスはアラン・シュワルツバーグ(Alan Schwartzberg)、キーボードはボブ・マン(Bob Mann)になり急遽集められた臨時メンバーという印象が強かった。ただ、中心となる2人がいたらマウンテンはその形をなすということなのか大成功の日本公演だった。ただ東京公演ではいくつかのアクシデントがあったようで、レコード化された大阪公演の評価のほうが高い。じつに音のいいアルバムで、そのことも作品の価値を高めている。「ナンタケット・スレイライド」が30分を超えて演奏されていることは本当に驚きだった。が、やりすぎと思ったことも事実。
◎画像⑬ 雪崩(Avalanche)
この日本公演のライヴ・アルバムは74年になって各国でリリースされた。同時にマウンテンが新たにスタジオ録音を開始したことが伝えられた。コーキー・レイングが戻り、新たにデヴィッド・ペリー(David Perry)がもう一人のギタリストとして加わり『雪崩(Avalanche)』を発表する。74年夏のことだ。一般的な評価は高くないが、私にとっては今も大好きな作品のひとつだ。ひと言で言えば、スタジオで構築された彼らの曲構成とアンサンブルの良さが出ている。
「マウンテンはライヴが命!」と言う方が多数だろうが、私は「スタジオ作品における緻密な組み立てがマウンテンの肝!」と思っている。
その『雪崩(Avalanche)』から代表して一曲を紹介しておこう。
★音源I シスター・ジャスティス
その後も何度かマウンテン名義でアルバムも出し、レスリー・ウェスト自身としてもソロ・アルバムの作成を含め、独自のバンド活動を順調に続けている。しかし、その都度アルバムを聞いてはみるものの、やはり今回取り上げた作品群以上の感動は得られていない。
一時期は信じられないくらいにやせたこともあったが、また元に戻ったなあとは感じていた。そんな彼の最近の姿を見ると車いすに乗ってギターを弾いていた。数年前に糖尿病の合併症により右足を失ったということだ。時間が経つということは、様々な変化が大きく実感させられる。マウンテンの全盛期からもう50年が過ぎていこうとしているのだな・・・
パパラルディは73年に続いて、75年8月にも日本にやって来ている。「第1回ワールド・ロック・フェスティバル・イースト・ランド」というイベントで、全国5カ所で行われた大規模なコンサートだった。
海外からはジェフ・ベック(Jeff Beck)、ニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)、そしてフェリックス・パパラルディ・ウィズ・ジョー(Felik Papparardi with Joe)ということで、ジョー山中との共演バンドとしての参加だ。他にも日本からクリエイション、四人囃子、コスモス・ファクトリー、カルメン・マキ&OZ、そして全体統括人のように内田裕也と1815ロックン・ロール・バンドといった顔ぶれだった。
パパラルディはそこでマウンテン時代の曲も演奏し、共演したクリエイションの竹田和夫と意気投合し、その後と70年代中期は一緒に活動することへとつながっていく。
私もその動きを注目した時期はあったが、それも83年の4月に終止符が打たれた。事件なのか事故なのか今でもどちらなのかわからないが、パパラルディが妻ゲイル・コリンズに射殺されたという衝撃的なニュースが伝えられたからだ。
作詞を中心に曲作りにも関わり、マウンテンの一連のアルバム・ジャケットを手がけた才女ではあったが、昔から様々な噂や評価も伝わっていただけに不思議な言い方だが、「やっぱりそんな形で終るのか」と思ってしまった。何よりもジャケットのイラストは見事だが、どこか不吉な影を感じ続けたのも事実。よく見るとほとんどの作品には、巫女的な女性が描かれているが、ゲイルが「これは自分自身を描いたものよ」と語っていたことも何故かずっと引っかかっていた。根拠のない思いではあるのだが。
◎画像⑭ 栄光のマウンテン(The Best Of Mountain)
最後にきて暗い話が多くなってしまったが、マウンテンと出会ったことで、自分の音楽との関わり方に変わった部分があったのは間違いない事実。最近ではLP時代に出ていたお手軽なベスト盤『栄光のマウンテン(The Best Of Mountain)』のCD(これも今では4曲ボーナスがついて便利)を聞いて済ませることが多かった。しかし、今回久し振りに改めてオリジナル・アルバム全曲を聞くことで、パパラルディのクラシカル嗜好と、緻密な曲構成についてプログレ的なニュアンスを感じ取ったことを思い出した。そして、私にとってのマウンテンとは、パパラルディとウェストはもちろんだが、コーキー・レイングのドラムスとスティーヴ・ナイトのキーボードがあってはじめて成立するということも。
最後に今となっては懐かしい、本文中で紹介した以外の日本盤シングルを掲載しておきたい。
◎画像⑮ 他のシングル
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、アメリカを代表するハード・ロック・バンドGRAND FUNK RAILROADの魅力に迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第1回はコーラス・ハーモニーをテーマにプログレ作品をご紹介します。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第2回は50年前の1968年ごろに音楽シーンを賑わせた愛すべき一発屋にフォーカスしてまいります。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第3回は、ことし未発表音源を含むボーナス・トラックと共に再発された、ブリティッシュ・ロックの逸品DEEP FEELINGの唯一作を取り上げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第4回は「1968年の夏」をテーマにしたナンバーを、氏の思い出と共にご紹介していきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第5回は今年4月にリリースされた再発シリーズ「70’sUKPOPの迷宮」の、ニッチすぎるラインナップ20枚をご紹介していきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第6回は氏にとって思い出深い一枚という、イアン・ロイド&ストーリーズの『トラベリング・アンダーグラウンド(Travelling Underground)』の魅力に迫っていきます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による新連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!第7回は一発屋伝説の第2弾。72年に日本のみで大ヒットした、ヴィグラスとオズボーン「秋はひとりぼっち」を中心に取り上げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回取り上げるのは、英国キーボード・ロックの金字塔QUATERMASSの70年作!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。前回に引き続き、英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASSとその周辺ミュージシャンに迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。前回に引き続き、英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASSとその周辺ミュージシャンの活動を追います。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。4回にわたりお送りした英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASS編も今回がラスト。ベーシストJohn GustafsonとドラマーMick Underwoodの活動に焦点を当てて堀下げてまいります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。英国ポップ・シーンの華麗なる「一発屋」グループ達にフォーカスいたします♪
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回取り上げるのは、第2期ルネッサンスの1st『プロローグ』と2nd『燃ゆる灰』!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第14回は、キース・レルフが率いた第1期ルネッサンス~イリュージョンをディープに掘り下げます。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第15回は、キース・レルフにフォーカスしたコラムの後篇をお届けします!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第16回は、英国ロックの名グループMARK-ALMONDの魅力に迫ります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第17回は、英国ロックの名グループMARK-ALMONDをフィーチャーした後篇をお届け!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第18回は、70s英国プログレの好バンドJONESYの魅力を掘り下げます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。第19回は、北アイルランド出身の愛すべき名グループFRUUPPの全曲を解説!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。70年代初頭に日本でヒットを飛ばした2つのグループについて深く掘り下げてまいります。
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWNの作品群をディープに掘り下げてまいります!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWNの作品群を、アコースティカルなグループに絞って掘り下げます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は英国の名レーベルDAWN特集の最終回。これまで紹介していなかった作品を一挙にピックアップします!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。今回は、プロコル・ハルムによる英国ロック不朽の名曲「青い影」の魅力にディープに迫っていきます!
【関連記事】
音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!
【関連記事】
ベテラン音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」!
5枚組ボックス、各CDはペーパーケース入り仕様、ボーナス・トラック2曲
盤質:無傷/小傷
状態:良好
ボックス側面部に色褪せあり
今作は1969年発表の作品で、元々はパパラルディ・プロデュースによるレズリー・ウエストのソロ・アルバムの予定だったが、レコーディングの途中でマウンテンの構想が持ち上がり、事実上のデビュー・アルバムとなった。ウッドストックへの出演がきっかけでそのパフォーマンスの凄さが話題になり、ポスト・クリームの座を見事に射止めたともいえる。
廃盤、紙ジャケット仕様、08年DSDマスタリング、復刻ミニチュアブックレット封入、定価1800+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、スレあり
紙ジャケット仕様、08年DSDリマスタリング、ボーナス・トラック1曲、復刻ミニチュアブックレット封入、定価1800+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
若干圧痕あり
1973年作品。70年代アメリカン・ハード・ロックを代表するマウンテンの歴史を網羅するベスト・アルバム。ピッキング・ハーモニクス、バイオリン奏法、メロディアスなソロなどレズリー・ウエストに影響受けたギタリストとしてはマイケル・シェンカー、エース・フレーリー、エイドリアン・バンデンバーグ、ランディ・ローズなど超一流どころがズラリ。70年代を代表するアメリカン・ハード・ロックの教科書ともいえるマウンテンの「ベスト・オブ・ベスト」である。
コメントをシェアしよう!
カケレコのWebマガジン
60/70年代ロックのニュース/探求情報発信中!