2018年11月2日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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深める秋、木立を駈け抜く北風、雪虫が舞う中、過ぎゆく夏を思い出す。
日が短くなるにつれて一日は夜が支配を始め、雑事に追われながらも沈思黙考の時間が増えていく。思い出す音楽はこの季節によく聴いた曲。72年の秋から冬にかけて日本のみで大ヒットしたヴィグラスとオズボーンの「秋はひとりぼっち(Forever Autumn)」。当時を知っている方々にとってはおなじみの曲だろうが、73年のアルバート・ハモンドの「落葉のコンチェルト(For The Peace Of All Mankind)」と並んで洋楽のこの時期の定番曲になっている。2曲とも日本独自のヒットだが、タイトルも曲調も日本人好みであることは間違いない。アルバート・ハモンドの方は置いておくことにして、今回はヴィグラスとオズボーンについて取り上げてみたい。
「秋はひとりぼっち」シングル
「キューズ」LP
ヴィグラスとオズボーンのアルバムは『キューズ(Queues)』というタイトルで72年に発売されている。国内盤も英米発売とさほど間を開けずに発表された。特筆は米盤で何と3面ジャケット。また、レコード・レーベル面には彼らの顔を入れた特別仕様で、その期待度がうかがえる。というのも米国の曲はすべてプロデューサーでもあるジェフ・ウェインの手によるものだ。ジェフは元々アメリカ出身で66年に23才でミュージカルの作曲で成功を収めている。78年には「宇宙戦争」という大ヒット作を生み出すことになるが、彼はそのキャリアの当初から順調な滑り出しをしていたことになる。この『キューズ』の英盤、米盤にJWMというロゴが大きく掲載されていて、彼の力の大きさを知るのは「秋はひとりぼっち」のヒットのずっと後のことになる。
ヴィグラスとオズボーン / 秋はひとりぼっち
まずはそのヒット曲「秋はひとりぼっち」だが、当時の洋楽を聴いていたファンにとっては忘れられない清々しさを感じさせる曲だ。センチメンタルなアコースティック・ギターに始まり、涼しげでメロウなヴォーカル・ハーモニーが印象的なメロディーを歌い上げていく。ストリングスの配置も大きな効果を生んでいる。英語の発音が比較的明確に聞こえたために、私はその歌詞を覚えようと夢中になった思い出がある。日本では大ヒットし、洋楽チャートでは国内あちこちのラジオ局でトップになった。オリコンの年間チャートでは60位の記録(最高位2位)を残している。最高位の2位になったのはオリコンの1972年11月13日付だった。とにかくヒットするために生まれた曲にしか思えないが、英米ではその記録がない。というよりもどちらもB面扱いだった。
と書いたものの、日本での大ヒットの印象は幻だったのかと思うほど、プレスで取り上げられることがまずない。オールディーズと呼ばれる範疇には入ってこないし、一発屋にしても忘れられたのかその手の書籍にはまず載っていない。手元にあるものの中では1994年に出た「洋楽inジャパン」の「小物&一発屋」のセクションに、添え書きとして選外に並んでいた。2002年のVanda編集の「Soft Rock-The Ultimate!-」でようやく顔を出し、簡単なディスコグラフィーもあるもののどうにも物足りない。
前述したように、作曲者のジェフ・ウェインは78年に「宇宙戦争」というミュージカル仕立ての2枚組大作アルバムを発表し、その中で「フォーエバー・オータム」として再度取り上げ、ジャスティン・ヘイワードが歌い、シングルは78年7月に英国チャート8位を記録しスタンダード・ナンバーとなった。
ヴィグラスとオズボーンがシングルのみの単なる一発屋であればそれで終わりだが、彼らが残した2枚のアルバムがまた味わい深いものだ。これからでも70年代初期の英国ポップス・ロックの名盤としてその名を歴史の中にとどめておけたらという願いからここで紹介しておきたいと思う。
アルバム内側写真
LPレーベルの2人の顔
『キューズ』のCDは日本では98年と2013年2度発売され、特に5年前には米盤に準じた3面開き(!)の紙ジャケット(SHM-CD)となっている。ジャケット・デザインが秀逸で、バスと走行する車の間の2人の表情を反対の通りから映した見事な瞬間を捉えた写真。バスの出発前だが、バスが出た後にそのまま路上に残った2人が内ジャケット。表裏3面の内、2面はバスのほぼ全景というそこに何か意匠があるのかと意味深な写真ではある。
また、タイトルも“Queues”とは、「行列」の意味がある。ジャケットの雰囲気から見るとバスを待つ行列に意味を持つのかも知れないが、彼ら二人だけが立ち止まり、あとは通り過ぎる人やバスに乗った客が見えるだけだし、あとは彼らが立つ後ろにサンタクロースの看板が見えるだけだし・・・・
掲載された歌詞の後ろには、曲が作られた年が記載されている。これを見ると「秋はひとりぼっち」が1970年と一番古い。この理由は2005年にリリースされた7枚組の「宇宙戦争」(デラックスエディション)で明らかになる。「秋はひとりぼっち」の元メロディーは、ジェフ・ウェインが69年に提供したレゴのCMジングルだった。そのことは以前から知る人ぞ知る事実だったが、実際にCDに収録され音を聞けたことがありがたかった。ラジオスポット用のものだが、30秒収録されたそのメロディーはまさにそのまま。オーケストラの演奏にのせて「トゥトゥトゥ・・・」というスキャット・コーラスが聞こえ、これはヴィグラスとオズボーンの声。そして作曲はジェフ・ウェインだから、この時点で歌詞をつけて完璧にコンポーズしようとする原点のセッションが想像できる。つまり、『キューズ』制作に向けての出発点だったわけだ。
彼らの経歴は明確ではないが、セカンド・アルバム『ステッピン・アウト』(74年)の米盤ジャケット裏のライナーに簡単に触れられているので、それを元にしながら明らかにしていきたい。
オズボーンは67年にチョコレート・ウォッチバンド(米国の同名バンドとは別)で活動し2枚のシングルを出していたことは比較的知られていた。(どちらもレア盤扱いとされている。)さらに調べてみると、それ以前にも姉と一緒にデュオを組んでおり、3枚のシングルを残している。彼の父親はトニー・オズボーンという大物のコンポーザー、アレンジャーであり、そのことが影響しているだろう。同時にRCAでプロデュースの仕事やコンポーザーもこなしていたのだが、彼は1949年生まれだから当時はまだティーンエイジャーだったわけだから驚きだ。
一方のヴィグラスと言えばアート・スクールに通い役者の勉強をしながらCMの仕事にいそしんでいたという。そんな中の一つが件のセッションだった。ちなみにヴィグラスはそれまで歌を歌ったこともなければ、歌おうなんて思ってもいなかったらしい。(本当だろうか?)
オズボーンはヴィグラスの歌声を聞いて彼のレコードを制作することを考え、自作曲を提供しプロデュースまで担当している。都合3枚のシングルを発表することになる。最初のシングルのリリース・データを見ると、彼らが最初に出会ったのは68年の10月以前ということになるだろうか。彼らのディスコグラフィーを眺めてみると(後に掲載したものを参照)、68年以降はヴィグラスのシングルを中心にしながらも2人は一緒に仕事をしていたことがよく分かる。4枚目のシングルはプロデュースをデヴィッド・パラマーに譲ってはいるものの、その後はオズボーン自身もソロとしては初めてシングルを1枚出している。このシングルにはノンクレジットながら、ドラムスにケニー・ジョーンズ、ギター・ベースにロン・ウッド、キーボードにイアン・マクラガンが参加している。ケニーが姉と結婚していたので義兄になったために実現したセッションとなった。フェイセスのメンバーが(ロニー・レイン以外)顔をそろえていたのはじつに興味深い。
じつは、今年になってリリースされたオムニバスCD『My World of Make Believe-Sunshine,Soft&Studio Pop 1966-1972』(豪Teensville 2018)に、ポール・ヴィグラスの4枚目のシングルB面「ライク・イット・ネバー・ワズ」が収録されていて、それを聞いてどこかヴィグラス&オズボーンにつながるものを感じ、改めて『キューズ』を取り出し聞き直したことが今回の原稿のきっかけになった。
ヴィグラスのシングル曲に関しては、やはり豪Teensvilleから出ている『Take A Mind Excursion:32Pop Gems:From Sunshine To Soft 1966-1972』でも3曲を聞くことが出来て、とてもありがたい。そちらももちろん素晴らしい曲ばかりで、バロック風味のサンシャイン・ポップが目指したところだったことがよく分かる。
70年代英国ポップスの巨大ヒットの一つに、エジソン・ライトハウスの「恋の炎(Love Grows)」があるが、これはプロデューサーのトニー・マコウレイとセッション・ヴォーカリストのトニー・バロウズのプロジェクトだったことは広く知られている。2作目「恋のテクニック(She Works In A Woman’s Way)」は中ヒットで終わったものの、そのヒットにあやかってバンドとして実体を作り上げることになったのはレコード会社としては当然の措置だろう。71年になってアーノルド=マーティン=モローというソングライター・チームが新たに立ち上がり、そこで新たに歌手としてポール・ヴィグラスに白羽の矢が立った。3作目以降彼が歌った「恋するペテューラ(It’s Up To You Petula)」「涙のハプニング(What’s Happening)」「恋に恋して(My Baby Loves Lovin’)」を聞いていくと、その選択が正解だったことはよくわかる。
だが、不思議なことに日本でのみエジソン・ライトハウスはヒットし、特に「涙のハプニング」は71年の日本独自のNo.1ヒットとなのだが、翌72年にヴィグラスとオズボーンの「秋はひとりぼっち」も同様にヒットしたにもかかわらず、どこでもそのことに触れていないのだ。じつはもっとヒット曲故の業界のからくりがあるのだろうか。
ひょっとしたら、2年続けて同じシンガー(グループ名は別だが)の曲が日本でのみヒットしたことに誰も気づいていないということになってしまう。「だからどうした!」の世界ではあるが、50年近く過ぎてからそんなことを深く考えてしまう私である。エジソン・ライトハウスについて今回はもうここまでにしておこう。
エジソン・ライトハウス / 涙のハプニング
私は小学校高学年からポピュラー・ミュージックに目ざめ、その後プログレ、ジャズロック等あらゆる音楽に夢中になってきたが、それらも含めて自分の原点的な英国ポップという世界をながめていくと面白いことに行き当たるものだ。同じような懐かしい思いでいる方々もいるだろうし、新たに興味を持ってくれる人もたくさんいることを期待したい。
アルバムの紹介に移ろうと思う。歌詞は当時の国内盤の訳詞(柳かの子さん)を引用させていただく。
1曲目は「地球を救える者はどこにいる(Man Of Leaning)」
最初にシングルカットされたが、日本ではB面扱いだが英米ではA面だった。邦題がすさまじい。日本盤シングルを見てもらうとよく分かるのだが、A面タイトルよりわずかに小さいが、とてもよく目立つようにレイアウトされている。最初にそのジャケットを見たときに挑戦的に思えてたじろいだ。歌詞の内容も社会派とも言える。「世の中は良くなってきたと僕は言いたい/でも、よく見れば今 世界は別の道を取るべきだと思わざるを得ない/昨日より世界の緑が濃いと君は思うか/すべて誤った方向に進むこの世界に/僕らの自由があり得ようか」と歌っている。60年代後半にLove &Peaceの流行があり、その一方で泥沼化するベトナム戦争、消費社会の環境問題に対する疑問が若者の中に起こっていたことを象徴していると考える。音楽の方は、アコースティックでヴォーカル・ハーモニーはCSN&Y的な前ノリ。途中に入るオルガンが気持ちいい。
2曲目は「悩まないで(Don’t You worry)」
当時のエルトン・ジョンにもつながるSSW的な作品。ヴィグラスのリードとゲイリーのサイド・ヴォーカルの役割が明確になっていて興味深い。バックの演奏も生き生きとしている。前曲に続いてアラン・ホークショウのピアノが特に印象に残る。
3曲目は「夢のバレリーナ(Ballerina)」
窓越しに、外を眺める情景が浮かんでくるような夢見心地の曲。ここでは、ゲイリーがメイン・ヴォーカル。ここまでの3曲までを聞いただけで、彼らとジェフ・ウェインの作り出すサウンドスケープの素晴らしさを感じ取れる。
4曲目は「ミシシッピ・ララバイ(Mississippi Lullaby)」
本作品でのギターは、クリス・スペディングとキャリヴ・クエイ。二人ともにエルトン・ジョンのバックも努めているが、よりバンド・サウンドに溶け込むのはフックフットでも活躍していたキャリヴのほうかも知れない。
5曲目は「いとしのヴァージニア(Virginia)」
イントロのギターとリズムは、ビートルズの「トゥ・オブ・アス」そのものだが、ハーモニーとストリングスのアンサンブルは個性的だ。前曲と合わせて、タイトルにはアメリカ的なものを想起させるが、音作りはやはりイギリス的だ。
6曲目は「セイル・アウェイ(Sail Away)」
少し黒っぽさを持った曲。ブラス・セクションを大々的に導入し、リズムもギターも曲の雰囲気をうまく盛り上げる。ゲイリーのヴォーカルも幾分物憂げだが、コーラスパートでの開放感が彼ららしい個性となっている。
7曲目は「秋はひとりぼっち(Forever Autumn)」
アコースティック・ギターの爪弾きがとても印象的。当時は話題にも登らなかったが、このギターは誰が弾いているのか、後年になって仲間内で話し合ったのが思い出だ。クリス・スペディングはこんなに明確なリズムは刻まない。とか、キャリヴのアコギもぴんとこない。など。アルバム・クレジットを見るとそれ以外にクライヴ・ヒックスとマーティン・カーショウというギタリストも参加していることもわかり、きっとそのどちらかなのだろうと結論付けたが、本当のところは今も分からない。
それにしても未だに鮮烈な印象を残す曲だ。風に舞うようなストリングスの中で、各バースの終盤でコントラバスが目立つ部分は個人的な聞き物と思っている。一体化したコーラス・ハーモニーは何度聞いても鳥肌が立つほどに完璧だ。日本の当時のディレクターがこちらをA面に持ってきた見識に今も頭が下がる。ちょうど72年の秋から冬にかけチャートに入っていたのは、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」や、バッドフィンガーの「明日の風」といった曲で季節ばかりでなく、時代の雰囲気も感じ取れる。また、イーグルスのデヴュー2作目のシングル「魔女のささやき」が出され、イギリスでデヴューしたアメリカの「名前のない馬」も同時期だ。ヴィグラスとオズボーンはこのヒット曲こそポップではあるが、アルバムの音楽性の本格的な感性はもっと評価されて良かったと今改めて感じる。
8曲目は「インヴィテーション(An Invitation)」
イントロのギターの静かな絡みが、同時期にMCAから売り出していたウイッシュボーン・アッシュの「巡礼」のようだ。幻想的な曲。「光沢のある椅子にかけると/あたりに何かが漂っていた/僕のまわりに輪が紡がれ/誰にも見えない音の壁になっていた」といった歌詞の内容が音に表される。バックで静かに鳴り続けるヴィブラフォンの音が効果的。地味に聞こえるかも知れないが、一度取り憑かれるとクセになる呪術的な曲。私自身、当初聞いた印象はそうでもなかったのに、あとになってはまってしまった曲のひとつだ。
9曲目は「白い記憶(Remember)」
これは日本で2枚目のシングルになった曲。「忘れない、9月に咲いた不思議な出来事/忘れない強く優しい冬の愛/約束と夢に充ちた長い冬の夕べ時は意味を失っていた/君と僕のふたりだけ、思い出はこぼれるほどに/11月、おだやかな秋の日のようだった君/君と僕のふたりだけ、思い出はこぼれるほどに/忘れもしない12月、あの日々より強く君を愛したことはない」これが、歌詞のすべてだが、夏から冬に向かう情景をとても情緒的な詩に表現している。
よくこれだけ素敵なメロディーが作れるのだろうとためいきがでるほどに美しい曲。「雪」という言葉はどこにも出てこないのに、タイトルに「白い記憶」とつけたのもディレクターの感性だと思うが、残念ながら大ヒットした記憶はない。それでも、72年の初頭に開催された「冬季五輪札幌大会」をまた冬の季節に思い起こさせる効果があったのか、北海道内のラジオではよくかかりチャートにも顔を出していた。
10曲目は「ジ・エンド(The End)」
イントロのいきなり切り込んでくるストリングスの音にはっとし、あることに気づく。まるで映画音楽のように感じられるこの効果は、じつはこのアルバム全体が1枚の架空のサウンドトラックだったということだ。これはジェフ・ウェインの考えでもあったのだろうが、彼がミュージカル・ディレクターであることも大きい。そのメロディーに詩をつけたヴィグラスとオズボーンも見事に、そのサウンドトラックらしい世界観を描き出したと言える。繊細でありながらも力強さを感じるコーラスで締めくくられ、これからの活動も期待される2人(ジェフも入れると3人であった。)
11曲目は、ボーナス・トラック「ミスター・デッドライン(Mister Deadline)」
3枚目の新たなシングルとして英国でも日本でも発表された作品。アルバムの雰囲気とはまた違って明るい曲調がより特徴的。より磨きのかかったハーモニーだ。
12曲目もボーナス・トラック「パールを忘れないで(Remember The Pearl Harbour)」
そのシングルのB面。タイトルを見ただけで日本人としてはハッとさせられてしまう。しかし曲ではパール・ハーバーというのは娘の名になっている。グルービーになったその娘が家を出ていった日のことを、「忌々しいあの日を忘れるまい」と歌詞に盛り込んでいる。そうは言え、やはり複雑な思いを持ってしまった。曲調は明るいのだが、やはり単純には喜べないかな。それとも考えすぎなのか・・・
このアルバムの後、ヴィグラスとオズボーンは、73年RCAから出るBilly Lawlieのアルバムに参加し、同年(何と)来日し東京のデパートの屋上でミニ・コンサートを行っている。当時の雑誌の記事にその様子が掲載されていたのを覚えているが、どんな曲を歌ったのかは分からない。この拙文をお読みの方でその場にいた方がいたら教えていただきたい。
74年にエピックからセカンド・アルバム『Steppin’Out』を発表し、日本でも『ジプシー・ウーマンの伝説』という邦題をつけてリリースされた。やはり、ジェフ・ウェインのプロデュースによるものだ。その前後で、ジェフはデヴィッド・エッセックスの売り出しに乗り出しており、それも成功した上で大作「宇宙戦争」の制作に取りかかっていく。
ゲイリー・オズボーンも作詞家、プロデューサーとしてメジャーな地位を確立した。ポール・ヴィグラスは学生時代からの願い通り今は俳優として活躍している。有名なところでは「ハリー・ポッター・シリーズ」に出演していた。今も関係者が皆元気なことがとても嬉しい。
ポール・ヴィグラスの歌う映像があったので、ここに掲載しておく。残念ながら口パクではあるが、珍しく貴重な映像だろう。
エジソン・ライトハウス / 恋するペテューラ
さて、「秋はひとりぼっち」に戻って、この曲のカバーはいくつか探せるのだが、日本では98年に大石恵が「Rain―陽の当たる場所」というCDシングルの2曲目にカバー曲として歌っている。驚きは、日本語訳として御大山上路夫さんが担当しているのだが、これがまた端的にまとめられておりなかなかいい。肝心の恵さんの歌は思ったより聞けたのだが、アレンジが重く全体の出来としては70点くらいか。また、英国のポール・ブレットが企画物として80年に出したLP『Romantic Guitar』というギター・アルバムの中で達者なギターを聞かせている。元ポール・ブレット・セイジとして3枚のアルバムをPye/Dawnから出し、ソロとしてもプログレッシヴな取組をしているポール・ブレットとしてはタイトル通り大甘なアルバムなのだが、曲の良さは伝わってくる。ただ下敷きにしているのが『宇宙戦争』のバージョンなので個人的にはちょっと物足りない。
最後に関連のディスコグラフィーを掲載しておきたい。ただ、まだ完全なものにはなっていないことについてはご勘弁ください。
=====関連ディスコグラフィー======
<Gary Osborne>
As Gary & Jan Lorraine (Gary Lorraine & Jan Lorraine ?)
♦I’m Not To Blame (G.Osborne) / Alone Again (G.Osborne) (Pye 7N.15836)’65/04
Produced by Alan A.Freeman Directed By Tony Osborne
♦To Stay Alive (G.Osborne) / They’ve Changed The Clouds (Pye 7N.15898)’65/07
Produced by Alan A.Freeman Directed By Tony Osborne
♦Do You Want Me To Tell Him (G.Osborne)/So Many People To Pity (G.Osborne) (Pye 7N.15985)’65/11
As The Chocolate Watch Band (Gary Osborne & Jack Oliver)
♦The Sound Of The Summer (Osborne,Oliver) / The Only One In Sight (Decca F 12649)’67/08
♦Requiem(Osborne,Oliver) / What’s It To You (Decca F 12704)’67/12
Produced by Sandy Robinson
As Gary Osborne
♦Three Day Nation (G.Osborne) / Heavies (G.Osborne) (CBS S 5148)’70/08/21
Produced by Gary Osborne
<Paul Vigrass>
♦A New Man(Osborne) / Curly (RCA 1755)’68/10
Arranged by Tony Osborne Produced by Gary Osborne
♦Suzie(Gary Osborne) /Funky Piano Joe (As Vigrass) (RCA 1800)’69/03
Arranged by Jimmy Horowitz Produced by Gary Osborne
♦Free Lorry Ride(Jones)/ Flying(Laurie) (RCA 1857)’69/07
Produced by Gary Osborne
♦Stop(G.Benson) / Like It Never Was (RCA 1911)’70/02
Arranged by Christpher Gunning Produced by David Paramor
CDコンピレーションとして聞けるもの
*Flying (Piccadilly Sunshine Part ten British Pop Psych and Other Flavours 1966-1969)Particles 2012
*Stop(Tea & Symphony:The English Baroque Sound 1967-1974)Castle 2005
*A New Man ;Curly;Stop(Take A Mind Excursion32Pop Gems:From Sunshine To Soft 1966-1972) Teensville 2017
*Like It Never Was(My World of Make Believe-Sunshine,Soft&Studio Pop 1966-1972)Teensville 2018
<Vigrass & Osborne>
シングル
♦Men Of Learning / Forever Autumn (UK Uni UNS 544)’72/07/21
♦Men Of Learning / Forever Autumn (US Uni 55330)‘72
♦Virginia/ (UK Uni UN550)‘72/10/27
♦Mister Deadline/Remember Pearl Harbour (US Uni 55355)’72
♦Mister Deadline/Remember Pearl Harbour (UK Uni UN554)’73/01
♦ (秋はひとりぼっち)Forever Autumn /Men Of Learning (J MCA D-1165)’72/08/05
♦(白い記憶)Remember/Ballerina (J MCA D-1183)’73
♦(ミスター・デッドライン)Mister Deadline/Remember Pearl Harbour (J MCA D-1197) ‘73
♦Gypsy Woman(Mono)/ (US Epic 8-50044)‘74
♦Gypsy Woman/ (UK CBS S CBS 2426)’74
♦Take It Away/ (UK CBS S CBS 3170)’75
LP
●Queues (UK Uni UDLS 501)’72
●Queues (US Uni 73129)’72
●Queues (J MCA MCA-5122)’72
●Steppin’Out (US Epic KE 33077)’74
●Steppin’Out (UK CBS S 80119)’74
●Steppin’Out (J Epic ECPM-103)’74
「白い記憶」シングル
ヴィグラスとオズボーン / 白い記憶
「ミスター・デッドライン」シングル
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後にElton Johnとソングライティング・パートナーを組むことで知られるGary Osborneと、元EDISON LIGHTHOUSEのシンガー/コンポーザーJohn Vigrassによる英ポップ・デュオ、74年作2ndアルバム。変幻自在に鳴り響くオーケストラが印象的な哀愁たっぷりのサウンド、そして2人の見事なヴォーカル・ハーモニーが堪能できる、上質なポップ・チューンが並びます。タイプライターの打音をリズムに使ったりという10ccばりのアイデアも冴え渡っていて、アレンジ・センスも抜群です。オーケストラル・ポップの秀作!
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