2021年4月20日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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未だ落ち着かないまま4月になった。私の住む北国では雪解けも進み、温かな日が続いて春の訪れが例年より早かった。桜の芽吹きが見られるのでこちらでも彩りの季節がようやくやって来そうだ。
新たな生活が始まった方々は無事に起動にのっただろうか。決して無理をしたり背伸びをしたりしてあわてることはないので、ゆっくりいこう。
私は相変わらずレコード棚を見直しながら片付け・整理を続けている。数多いレコードの中から、思い入れの多いものは取っておくが、それ以外は手放そう・・・と考えたのだが、これがうまくいかない。多くは手に入れた時の想い出が蘇って手が止まってしまう。それでも何とかいくらかの量を整理したのだが、その作業が大変だった。何よりもレコードの重さがこれまで以上に身体に響く。10枚位の束を片手に持っただけで腕が痛くなる。これは予想以上の大仕事だ。部屋にあるレコードの数を考えると、まだ少しでも体力が残っている今のうちに何とかしなければ大変なことになるのは目に見えている。
海外でLPを50枚買って手荷物として持って帰ったのだが、あれはもう昔のことか・・・。若かったのだなとつくづく思い知らされる。最近ではCDもある程度数がまとまると箱に入れて収納するのだが、それも持ち上げると結構ずっしりくるので、複数になると右から左に移動するだけで一仕事になってしまう。よくこれだけため込んだものだと我がことながら呆れてしまうが、今からでも処分も含め整理していかなくてはと意を新たにしたところ。
同じ思いをしているご同輩も多々いると思うのだが、どうだろう。
今回もアルファベットCの棚の続きのようになってしまうが、フラメンコとプログレを融合させたカルメン(Carmen)を取り上げてみたい。
◎画像① Carmen
米国を拠点に活動していた彼らが英国に渡って奇跡的な音楽性で衝撃を与えた、今も忘れられない伝説的なバンドだ。Rolling Stone紙が2015年に発表した「50 Prog Rock Albums of All Time」でカルメンの『Fandangos In Space』が46位にランクされている。
ファースト・アルバムは『宇宙の血と砂(Fandangos In Space)』(英国73年11月Regal Zonophone/日本発売は’74年)。国内盤が出てすぐ、音は聞いていなかったものの、ジャケットの豪華な作りと裏のアンジェラの写真が決定打となり、アルバイトの稼ぎを握りしめて賭けに出た。家に帰ってすぐに聞いてしばし呆然。まさに衝撃的だった。Fandangoとは「アンダルシア地方の踊り」の意味であるが、当コラムで以前取り上げたProcol Harumの名曲「青い影」の歌詞の中にも、ZZ.Topのアルバム・タイトルにも使用されている言葉なので、ロック好きにとっても比較的馴染みのある言葉だろう。
◎画像② 宇宙の血と砂(Fandangos In Space)LP
かけ声から始まる1曲目の「ブレーリアス(Bulerias)」から彼らの世界に入り込み圧倒させられた。3つのパートに分かれていて最初は「華麗なる序章(Cante)」で、ギターのソリッドなカッティングとドラム、ベースのリズムがカッチリと絡み、ヴォーカル、コーラスも決まっている。2番目のパートが「狂乱の舞い(Baile)」では完全にカスタネットを片手にフラメンコを踊っている様子が表現されていて、これが新鮮で見事。最後のパート「妖気の調べ(Reprise)」では冒頭のメロディーに戻ってのハードなバンド・サウンド。この構成にもやられた。
★音源A Carmen / Blerias Marquee 1973
(後述するデヴィッド・ボウイのTVスペシャルに出た際の観客無しの恐らくリハーサル映像、音源Cでは、実際にオンエアされた観客ありのものを貼り付けます)
2曲目も構成に凝った「鮮血は闘牛士の胸に(Bullfight)」もドラマチックで迫力のあるナンバー。随所で聞かれるカスタネットも新鮮。私たちのイメージの中にある闘牛士の動きが描かれている。3曲目の「ステッピング・ストーン(Stepping Stone)」は比較的軽めの曲だが。中間部のメロトロンが効果的。彼らの曲はそれぞれに物語を散りばめていて、4曲目「船乗りの末期(Sailor Song)」ではカモメの鳴き声に始まり航海の中で取り残された船乗りの悲哀を描いている。時折効果的に入るファルセットも印象に残るコーラスが見事。5曲目「孤独な館(Lonely House)」も悲劇的な曲。情熱の裏にある「死」が歌われるが、フラメンコが持つ世界観が象徴的に描かれていてその味わいは深い。
LPのB面がまたすごい。1曲目はデヴィッド・アレン(David Allen)のスパニッシュ・ギター・ソロ「タラントスにて(Por Tarantos)」。見事な演奏で圧倒的な力量を見せている。間髪入れず2曲目「魂の叫び(Looking Outside-My Window)」ではオリジナル作品ながらスペインの伝統的な歌曲のような世界観を持っていて感心させられる。この曲も3つのパートから出来ていて、最初のパート「テーマ(Theme)」はアンジェラがリード・ヴォーカルをとっている。途中で1曲目のようなデヴィッドのソロ・ギターが奏でられ、再び踊りが披露される。その後シンセとジョン・グラスコック(John Glascock)のベースのリードで一気にプログレ風の「ゾロンゴ(Zorongo)」になり、静かにエンディング「フィナーレ(Finale)」を迎える。
◎画像③ 宇宙の血と砂(Fandangos In Space)LP 内ジャケット
何だか全編がハイライトのように思えるが、続く「スペインの伝説(Tales Of Spain)」もまた圧倒されてしまう。緩急の付いた展開とあくまでソリッドな演奏。そしてソロ、ファルセット、コーラスとヴォーカル・スタイルの多彩さも特筆もの。
世界の大多数が平和を希求するものの、米、中東、中国辺境、そしてミャンマーまで大変なことになっている。「歴史は繰り返す」と呪文のように唱えるだけではいけないのだが・・・。
★音源B Carmen / a)Tales Of Spain b)Retirando c)Fandangos In Space
短い「鮮血の薔薇(Retirando)」のコーラスに続くはタイトル曲「宇宙の血と砂(Fandangos In Space)」は複雑なリズムとヴォーカルに彩られた冷めた情熱を感じさせるプログレ名曲のひとつと信じている。繰り返される「Retirando」のフレーズに続いて訪れるクライマックス。踊りの中に響き渡るタップ音からのエンディング。何度聞いてもすごい迫力だ。そしてアルバムの最後はそれまで繰り返されたテーマとも言えるメロディーをデヴィッドがアコースティックとフラメンコ・ギターで静かに奏でて消えていく。
全体の構成と細部が緻密に計算された面白さがあり、アルバムが終るとすぐにまた最初から聞いてみたくなるタイプの素晴らしい作品だ。
最初に聞いた衝撃が今改めて聞いてもそのまま甦る。アルバム・タイトル通りに宇宙空間へと飛翔するようなダイナミックなフラメンコ。この作品は「ギミックが強い」という評価も当時はあったが、じつに希有な名作と呼んでいいのではなかろうか。聞き直しても1曲の中で繰り返し曲調の変化が起こるスリリングさは心地よい緊張を生み、ここぞというところで聞かせる叙情も含めてまさに鳥肌ものだ。
この素晴らしい作品をつくりあげたメンバーは5人。デヴィッド・アレンとアンジェラ・アレンの兄妹とロベルト・アマラル(Robert Amaral)、ジョン・グラスコックとポール・フェントン(Paul Fenton)。
アンジェラとロベルトがダンス(フットワーク)を担当。アンジェラはメロトロンとシンセも操り、ロベルトはヴィブラフォンも担当している。
デヴィッドは、カルメンの編成にあたってコンセプトとしてフラメンコのリズムとメロディーをZepのジョン・ボーナム(John Bonham)とYesのクリス・スクワイア(Chris Squire)タイプのリズム・セクションが支え、そこにタップ・ダンスを入れたものと描いていた。まさにこの『宇宙の血と砂(Fandangos In Space)』にそのコンセプトが結実していたと思える。
カルメンを立ち上げることになるデヴィッドは1951年米国生まれで幼い頃から両親の影響で(母親がフラメンコ・ダンサーで父親はギタリスト)フラメンコ・ギターを学び4歳からステージに立ってきた。しかし、ビートルズに夢中になり10代からはバンド活動を始める。彼のまわりには不思議な偶然がいくつもあって、バンドとしてレコードを出すことも出来た。その後、毎年のように幾つもバンドをつくっていく中で、彼の頭に浮かんだことは、自分に身近なフラメンコとエレキをうまく組み合わせて新たな何かができないだろうかということだった。
◎画像④ Carmen 各メンバー
カルメンは、73年に今述べた最初のアルバム『宇宙の血と砂(Fandangos In Space)』を出すのだが、その母体となる活動自体は70年7月にLAで始まっていた。最初は7人編成でバンド名も「ロサンゼルス(LA)」と、何とも大胆なものだった。その中で後につながっていくメンバーはデヴィッドとアンジェラ、そしてドラマーのブライアン・グラスコック(Brian Glascock)の3人。
当初の音楽性については音源が残されていないので定かではないのだが、何かが不足していたのだろう。デヴィッドがフラメンコ色を本格的に強めたいと考えていたときに母親からロベルト・アマラルを紹介された。ダンサーでありフラメンコを本格的に学んでいた彼の加入でより具体的な方向性が見えた。アンジェラとロベルトのダンスが導入されたのはその頃からということになるのだろうか。
そして、ベーシストにブライアンの弟であるジョン・グラスコックが英国でのチッキン・シャックとの仕事を終えて渡米した時に加入した。その頃「Rose」と呼ばれていたバンドのメンバーは5人となったが、まだ「カルメン」にはなっていなかった。
彼らのダンスを含めたステージは評判になったものの、そのパフォーマンスを上手く活かしたレコーディングは難しいとの判断を受け米国のどのレコード会社とも契約することは出来なかった。
デヴィッドは自分の音楽が進歩的な複合ロックであるという確信を持ったに違いない。英国の音楽シーンに期待をかけ挑戦するために新たに「カルメン」というバンド名を携えて73年1月に渡英することを決意する。ドラマーのブライアンは子供が生まれたばかりという事情もあって渡英直前に同行しないことを表明したので、結局ドラマーは不在の状態。ポール・フェントンに決まるのはロンドンに着いてからのことになる。
じつはひとつの幸運はそこにあった。ポールは「イエロー・リバー (Yellow River)」の大ヒット曲を持つクリスティー(Christie)のメンバーだった。デヴィッドがブーツショップでポールに声をかけメンバーになることも幸運だが、そのマネージャーであったブライアン・ロンゲリー(Brian Longely)と出会えたことから展望が広がっていく。彼がトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)と会う約束を取り付けてくれたのだ。驚くべきことに、すぐにトニーが興味を示してくれた。ロック・フラメンコ(トニーの表現)という発想に興味をそそられて、彼らに会わせてほしいと頼んだ。そして無事に対面しオーディションを受け、何と(!) 即契約ということになった。
この辺りの事情は書籍『ボウイ、ボランを手がけた男~トニー・ヴィスコンティ自伝』(Shinko Music
Entertainment Co.Ltd 2017)の中で語られていて興味深い。
「彼ら(カルメン)が歌い始めると、時空を超えて別世界へ運ばれていくような楽しい気分になった。・・当時、巷で流行っていた音楽とはまったく別ものだったのは確か」とトニーの言葉が綴られている。
トニー・ヴィスコンティが『宇宙の血と砂』の仕事を進め最終作業に入っていたところで、久し振りにボウイに連絡を取った時にカルメンのことを伝えた。すると興味を持ったボウイが実際にスタジオに来て彼らと会うことになった。
◎画像⑤ 『1980 Floor Show』(CD)『宇宙の血と砂(Fandangos In Space)』(米国盤)
ボウイは彼らの演奏する様子を見て、彼が出演するTV番組に一緒に出ないかと誘った。トニーもこの話を聞いてワクワクしたという。『1980 Floor Show』という番組は1973年10月にマーキーで収録された。TVに登場したその日がカルメンの『宇宙の血と砂』の発売日だったこともあり米国での人気に火がつくことになる。
後日(私がレコードを買った後なので結構後だったような気がする)、日本でも「ミッドナイト・スペシャル」の枠として日本でも放映され、見ることができた。カルメンは思ったよりもメンバーのメイクがきつくて驚いたが、やはり踊りを含め演奏、歌そのものが素晴らしかった。肝心のボウイはあまりに生々しく異星人に見えたし、一緒に出たマリアンヌ・フェイスフルも私が描いていたイメージとは結構違っていた。よく考えると、彼女もあの初々しかった頃から10年も経っていたのだよな。ただ圧倒的な存在感を持っていたことはよく覚えている。
★音源C Midnight Special Complete(Bulerias & Bullfight)
(こちらはミッドナイト・スペシャルのカルメンが演奏した2曲の完全版。残念ながら映像は粗いのですが、何より貴重。)
よく考えてみるとデヴィッド・ボウイのパートナーがアンジー(アンジェラ)で、カルメンのほうもデヴィッドとアンジェラのデヴィッド姉妹が中心のバンドだった。どこか神秘的な魅力と能力を持ったボウイのことだ。「そのロック・フラメンコ・グループの素晴らしさは映像で伝えられるべきだ」という思いはもちろんあるだろうが、それ以上に何か運命的なものを感じたのかもしれない。デヴィッド・アレンにしてみるとまた不思議な偶然が幸運に作用したことになる。
完成した作品のレコーディングの素晴らしさには、ポップ畑でデヴューしたジョン・コンゴス(John Kongos)のスタジオで彼自身も加わる豪華なエンジニア陣が支えたことも大きかったと思う。(*コンゴスについては当コラム第22回を参照) 特にダンス・パフォーマンスの録音のための板張りステージとその下に複数のマイクをつけて音を拾ったことは、作品に大きな効果をもたらしたと思われる。
当時入手した日本盤のリリースは東芝からで16ページ綴りの解説書が付いていたのもありがたかった。執筆陣は今野雄二、桂宏平、小清水勇の各氏。音楽だけでなく映画や美術に造詣が深い方々ということもあって、この解説書も読み応えがありずいぶんと参考になった。さらに歌詞と対訳までしっかり添えられている。時折はさまれるスペイン語についてもその意味をつかむことが出来た。現在と違ってそうした文字情報が貴重だったので、むさぼるように読んだ。ガルシア・ロルカという詩人の存在もそこから学んだ。
余談ながらこのアルバムが出たときはデヴィッド・アレンという名前がソフト・マシーン(Soft Machine)、ゴング(Gong)の御大と混同されるのではと心配されたが、間違われた記事を目にしたことはない。
この作品は独Lineから最初にCD化されたのが88年と早く、早速入手したのだが肝心の1曲目が曲の冒頭や後半が欠けていた。腹立たしく残念だったことも思い出される。現在では日本で何度も紙ジャケになっていて、そのたびに購入してしまう悩ましさもある。
彼らの2枚目は74年に録音され、75年に『舞姫(Dancing In A Cold Wind)』(Regal Zonophone)として日本で発売された。前作の国内盤はWジャケにブックレットも付いて2200円の定価だったが、これまで当コラムで何度も述べてきたように75年には新譜は2500円となってしまっていた。すべてはオイル・ショックのあおりを受けたもの。それはそれとして、表ジャケットは洋タバコ「ジターン(Gitanes)」のパッケージデザインがそのままで確かに『舞姫』のイメージを想起させる。キャメルの『ミラージュ(Mirage)』のジャケットと同様のモチーフということになる。キャメルの方はトラブルに発展したのだが(*当コラム第33回参照)こちらは問題にはならなかったのだろうか。
◎画像⑥『舞姫(Dancing In A Cold Wind)』
アルバムは74年に録音されたと書いたが、じつは2~3月だったらしい。それなのに発売が英国で75年1月とタイム・ラグが大きい。この理由がよく分からない。多忙だったトニー・ヴィスコンティの都合から完成が遅れたのだろうか。
当時そんな事情は伝わらない中で、74年秋の時点で待望の新作『Table Two For One』が10月下旬に発売予定という情報が出ていた。時期が大きくずれた上に、タイトルも変わっていることがずっと気になったままだ。(この情報は74年10月21日号のFMレコパルでの「海外特別取材 フラメンコロック カルメン 妖女アンジェラ」というグラビアに掲載されていた。5ページ立ての記事でアンジェラの姿を中心に収めたものでインタヴューはなかった。)
◎画像⑦ 『FMレコパルのグラビアから』
アルバムの裏ジャケットには前作同様のメンバーが一層たくましく堂々と掲載されていて、期待感が高まったことを思いだす。制作は前作と同じGood Earthプロダクションでトニーがデヴュー作に引き継いでプロデュース。マネージメントのブライアン・ロンゲリー・アソシエイツのクレジットもある。レコーディングは新たにつくられたトニー・ヴィスコンティのスタジオで行われた。
◎画像⑧ 『舞姫(Dancing In A Cold Wind)』 裏ジャケットのメンバー写真
1曲目の「私のセビーリャ(Viva Mi Sevilla)」。ジョン・グラスコックのファズがかったような太いベースの音が響き渡ることが印象的だ。彼のベースは力強いメロディアスなスケールに特徴があって独特なのだが、まさに存在感を示す演奏となっている。バックに流れ続けるフラメンコ・ギターとタップ音も前作同様なのだが、迫力の中にどこか混沌とした重さとダークな色調を感じさせる。エンディングはボレロのリズムで閉めている。前作でもそうだったが、ポール・フェントンのドラムスとジョンのベースのコンビネーションもじつに決まっている。
★音源D Carmen / Viva Mi Sevillia
2曲目「情熱の女(I’ve Been Crying)」はアンジェラのヴォーカルとコーラスが中心。強そうに見えた女性の弱い一面を描いた作品だが、中間部の静かでメランコリックな展開が新鮮。ラストのポールのドラミングが強烈。3曲目「流離の旅(Drift Along)」。曲調は2曲目に近いがジプシーの哀しい心情がクールに描かれている。どこか寒々とした雰囲気がそのまま4曲目の「あばずれ女(She Flew Across The Room)」につながっていく。途中珍しくデヴィッドのリード・ギターがうねりを上げてはっとさせられる。5曲目の「闇夜に咲く紫の花(Purple Flowers)」も重いリズムをもった暗い曲。演劇的なヴォーカルで物語が綴られていく。そして後半は凝ったリズムを響かせる中、タップが聞こえてくる。最後はア・カペラでアンジェラの歌声が響き、コーラスで締めくくられる。
A面では重いリズムにメロトロンの比重が大きく、前作とはかなり異なった印象を持っている。前作のような突き抜けた開放感が欲しかった。
B面の9曲からなる組曲「回想(スペインの恋物語)」も、ちょっと考えすぎてしまったかなというのが最初の正直な感想だった。途中、トニー・ヴィスコンティがリコーダーを演奏し、そして当時の細君のメリー・ヴィスコンティ(Mary Hopkin)もコーラス参加で花を添えていて、ストリング・カルテットまで加わっている。しかし、物語というストーリー展開を重視した説明的な部分が強く、前作で見られたメロディーのふくらみが足りないように思えた。トータル・アルバムを意識しすぎたような印象だ。そう感じながらも何度も聞いてきた。
そして、ある日突然この作品は「フラメンコが持つ本来の悲劇を1枚の静物画に描いたような芸術性を持っている」という思いに至った。最初のアルバムと比べるとその相違点は挙げられるのだが、彼らの中で前作以上に本格的に精神性を含めたフラメンコとロックの融合を目標に創りあげたアルバムと言えるのではないか。そう思えるようになった。以来、じつに愛おしい1枚となっている。原盤LPは最初のアルバム同様、コレクターに人気の高い英Regal Zonophoneからのリリースだったことも手伝って、今も貴重な探索盤とされている1枚でもある。米盤が存在しないことも衝撃の事実だ。
カルメンはライヴではELO(Electric Light Orchestra)、BOC(Blue Oyster Cult)、ラッシュ(Rush)、サンタナ(Santana)らの前座として演奏していた。75年になってジェスロ・タル(Jethro Tull)と米国で3ヶ月半に及ぶツアーが行われた。そこでの評価は高かったのだが、アルバムのセールスにはつながらずツアーに費やした金銭面でのバンドの危機が続いていた。
結局、米国に戻って活動することを決意し、3作目『ジプシーの涙(The Gypsies)』はマサチューセッツのロング・ビュー・ファームで75年4~5月に録音を行うことになった。それはマネージャーのブライアンの計らいでもあった。米マーキュリー原盤として75年暮れに発表された。プロデュースはデヴィッド自身。最初の仕事となる自己プロデュースとなり緊張の中で行ったが、トニー・ヴィスコンティに2作品を手がけてもらった経験から学んでいた。
◎画像⑨『ジプシーの涙(The Gypsies)』
1曲目の「夜明け(Daybreak)」はそれまでにも聞かれた見事なフラメンコ・ギターのソロで幕を開ける。コンパクトにまとまったハード・エッジなナンバー。2曲目「妖婦(Shady Lady)」も彼ららしい個性が出たミディアム・テンポ。「ハイ・タイム(High Time)」はカルメンの全レパートリー中グラスコックが単独でつくった唯一の作品。イントロだけを聴いて演歌のように聞こえてしまったが、彼のヴォーカルが始まるとミドル・テンポの落ち着いた曲となる。後半のコーラスが美しい。「リディアに捧げる唄(Dedicated To Lydia)」はアンジェラの作品で、コーラスで聞ける彼女の歌声が魅力的な夢見るような作品。彼らを特徴づけるこうしたコーラスは、アルバム中随所で聴くことが出来る。「ジョイ(Joy)」ではピアノの響きとベースのフレージングが印象的。
★音源E Carmen / High Time
B面はタイトル曲「ジプシーの涙(The Gypsies)」から始まる。アルバム中一番長い曲でハイライト的な存在。幻想的なイントロから、力強いリズム・アンサンブルとカスタネットの音色が心地よい。ポールのドラミングもじつに気持ちがいいし、後半に重ねられたギター・アンサンブルとグラスコックの力強いアタックのベースと絡む部分はなかなかスリリングだ。しかし、中間部のタップ音がもっとクリアに録音されていたらよかったのにと思ったのは事実。「サイレン・オブ・シー(Siren Of Sea)」「カム・バック(Come Back)」と続き、ラストの「マルガリータ(Margarita)」は、彼らのクロージング・テーマともいえるお馴染みのメロディー。ここでは、ピアノを基調とした幾分ゴツゴツとした感じで奏でられていて、それまでとの雰囲気を違ったものに感じさせていることが印象的だ。
★音源F Carmen / The Gypsies
バンドは、次はストーンズとのツアーだと計画して具体化が進むかに思われたというが、様々なスタッフ間のトラブルから実行には至らなかった。そんな中、ポールが乗馬中に落馬し、乗っていた馬に踏みつけられ、膝に重傷を負った。やや時を置いてジョンがジェスロ・タルのオーディションを受け、去って行った。
結局、このアルバムを最後にバンドとしてのカルメンは姿を消すことになる。
この3作目は印象としてもひっそりとリリースされた感じだ。当時はジャケットも何かFunk/Soul系のオハイオ・プレイヤーズ(Ohio Players)のアルバムみたいだと思って調べてみたら、同じ写真家の作品だった。また米Mercury盤はその頃ジャケットの右上にレーベル・ロゴとは別に三本のチェック・ラインが入っていて、私にはそれが気に入らなかったこともある。つまり、何かカルメンにはそぐわないような違和感ばかりが目について、真剣に聞くことは後回しになってしまった。
この3作目は驚くべきことに英国では発売されていない。しかし、しっかりとつくられた好盤であることは確かだ。久し振りに聞き直してその感を強めた。
画像⑩ Angel Airからの再発CD
『ジプシーの涙』の再発CDでは2曲のボーナス・トラックが収録されている。1曲目は最初のアルバム『宇宙の血と砂』とほぼ同時期に発売されたシングルの「Flamenco Fever」。日本でも「燃えよカルメン」という邦題のもとシングルとして発売された。アルバム未収録ということに気づいてすぐに買いに行ったのだが店頭になく、しばらくしてから中古で入手することになる。彼らのシングル盤はもう1枚「ブレーリアス(Bulerius)」があるのだが、こちらも国内盤も出ていたが新品では見たことがなかった。このシングル・バージョンは中間のダンスの部分をカットしたもの。曲はキャッチーだからシングル向きではあるが、肝心な部分をカットしてしまったらその魅力は十分に伝わらないように思えた。
画像⑪ シングル国内盤
2曲目のボーナスは「Only Talking To Myself(For John)」。これは2007年に録音されたもので、基本的にアンジェラが兄のデヴィッドがプロジェクトとして活動していたWidescreen名義のユニットと共につくった曲。作詞はアンジェラ。曲名から想像がつくようにジョン・グラスコックに捧げたナンバー。カルメン時代にアンジェラとジョンは恋人関係だった。ジョンはカルメンの活動後ジェスロ・タル(JethroTull)に加わるが、79年11月に亡くなっている。先天性の心臓病の手術後の感染症が原因だったとされている。享年28歳という若さだった。75年の『ジプシーの涙』のボーナスとして2007年録音の打ち込み風のバッキングを伴った曲の収録には少々違和感があるものの、カルメンとしての最終作の再発にあたってこの曲を入れたことは心情的な部分で理解出来る。
画像⑫ デヴュー当時のプロモ写真2種
まずアマラルは純粋なフラメンコの専門家であり、50年以上のキャリアを持ち現在でもパフォーマーとして活動を続け、また後進に指導する立場にもあってYouTubeでもその姿を見ることが出来る。思い返すと、彼のカルメンでのヴォーカルも見事だった。はじめは伝統的なフラメンコの歌と踊りを教えるつもりで参加したのだが、いつの間にかバンド活動に夢中になったということが嬉しい。
ポール・フェントンは、トニー・ヴィスコンティからマーク・ボランに紹介されカルメン在籍中からT-Rexのライヴやレコーディングに参加していた。乗馬で重傷を負ったのち、回復してミッキー・フィン(Micky Finn)と活動を続け、T-Rexトリビュート・バンドとして活動していた。クリスティー時代からその名を知っていたが、これほどエキサイティングに演奏する様子には興奮させられた。カルメンの参加に関して要所で重要な役割を果たすことになることも縁の不思議さを感じる。
ジョン・グラスコックは、ジェスロ・タルに加わり76年の『ロックン・ロールにゃ老だけど、死ぬにはちょっと若すぎる(Too Old To Rock’n’Roll Too Young To Die)』から78年のライヴ『Bursting Out』まで4作に参加、79年の『Stormwatch』では3曲のみクレジットされている。ジョンは先天性の病気を抱えていたにもかかわらず、大量の飲酒、薬物摂取等が続いていた。カルメン在籍時にも、そしてタルではイアン・アンダーソンからも再三注意されていたというが、生活は改められなかったらしい。彼のベース・プレイはThe Gods、Toe Fat、Head Machineといった初期の活動から面白く、個人的にはチキン・シャックの『Imagination Lady』でのプレイが今も大好きだ。79年の5月1日のタルのライヴが彼の最後の仕事だった。彼の死は本当に残念だ。
画像⑬
アンジェラ・アレンは、ジェスロ・タルの76年アルバムにヴォーカルとしてゲスト参加した以後の活動はよく分からない。残念だ。ただ前述のように2007年のカルメンの再発CDのボーナスとして久し振りにアンジェラの歌声を聞くことが出来る。驚くべきことにジョンとの恋人関係はあったものの、それ以外のスキャンダルが全くなかったことが、彼女の性格を物語っていたように思える。私にとってはこのアルバムとの出逢いのきっかけが、彼女のポートレートで、ソロでもコーラスでも存在感を示すその歌声にも夢中になることが出来た。
デヴィッド・アレンについては、自身のHPがあり詳細に記述されている。(今回の原稿も、そちらとEURO ROCK PRESS Vol.88 2020年8月号のインタヴューを参考にさせてもらっている。)カルメン解散後に、いくつかのバンド(ファンク/フラメンコ系、アンジェラとのデュオ等)を準備したものの、発表の機会に恵まれなかった。70年代には元ママス&パパスのミッシェル・フィリップス(Michel Phillis)のアルバムでギターを弾き、ジョルジオ・モロダーの元でフラメンコ・ギターを弾いた。
80年にロンドンに渡って、新たなロック・バンドを元ジェスロ・タルのバリモア・バーロウ(Barriemore Barlow)、元アレックス・ハーヴェイ・バンドのクリス・グレン(Chris Glenn)と組もうとしたが、頓挫。その後は、元ABBAのアグネタのアルバムに曲提供をしている。
彼は83年に癌を患い、手術の結果、喉と声帯を傷め以後歌うことは断念した。その後、名前も変えて写真家になったり、自らの病気体験から心理療法士として資格を取ったりと音楽から遠ざかった時期もあった。
2000年代に入ってデッドマンウォーキング、ワイドスクリーン、フラメカーノといったバンド、ユニットで音楽活動を続けている。2007年のAngel Airからのカルメンの再発CDには、3作目と『ワイドスクリーン(Widescreen)』のアルバムがカップリングで収録されている。
若い頃とはその容姿がすっかり変わってしまったが、彼の描いた夢世界が一度は花開き、今も大きな財産として残されたことに感謝したい気持ちが大きい。近年の新たな活動にも触れてみたい。
結局、トニー・ヴィスコンティとボウイのバック・アップを受けた形でカルメンは自分たちの位置を見つけることが出来たが、当時の音楽シーンはグラム・ロック全盛とあってそれらに混じったキワモノ的な見方をされ正当に音楽面が評価されていなかった面は否定できない。しかし、最初のアルバムの凄さは語ってきた通りだが、今ではカルメンは過去のバンドになってしまった。
クイーンがデヴューしたときには英国では半ば酷評を受けながらも、現在では誰もが認める伝説的なバンドになったことを思うと、じつはカルメンも(冒頭に書いたように最初のアルバムだけで十分に伝説ではあるのだが)クイーンに先だってビッグになる可能性を持っていたのではないかと考えることがある。
しかし、かつてサンタナ(Santana)がラテン色を前面に出して新たな地平をめざし、エル・チカーノ(El Chicano)等がその後に続いた。またオシビサ(Osibisa)やマンドリル(Mandrill)のようにアフリカン・リズムを取り入れて、自分たちのバックボーンを様々にロックの中に位置づけていったことは70年代前半の「混沌から開放へ」といったロックの地平を広げたことに大きな意味があったことは間違いない。
その後、日本にもユーロ・ロックが伝わりスペインからもトリアナ(Triana)やグラナダ(Granada)等が紹介され、世界中のロックの中に民族性としてのフラメンコもじつはロックの中に位置付いていたことが伝わってきた。しかし、後で調べてみると、スペインでのフラメンコの世界は保守的で、ロックとの融合などということは考えられない(認めない)土壌があったことがわかった。あえて、そうした試みに取り組んだ連中がいたことで当時のロック・シーンも、伝統的なフラメンコの世界にも風穴があいたということが言えるのではなかろうか。私はフラメンコの魅力はカルメンから教えてもらったものが大きいと自信を持って言える。
フラメンコで思い浮かぶのが、アイリッシュ・ダンスを中心にした『リヴァー・ダンス(River Dance)』の舞台なのだがご存知だろうか。その舞台にはアイルランド独自の舞踊を中心にしながら、フラメンコも含めて各国の舞踊を取り入れて大がかりな舞台になっていてとても興味深い。私は現地アイルランドで最初に見て感激し、その後時々日本でも公演があるのでそのたびに東京、大阪辺りまで出かけて見に行くほどに大好きな舞台のひとつだ。アイルランド発の舞台ながらアイリッシュ・ダンスだけでなく、フラメンコに限らず各国の音楽・舞踊が繰り広げられる度に観客からはいつも拍手喝采だ。時代が寛容になったということなのだろうか。
今回の原稿を書くにあたって、彼らの残した3作品を聞き続けた。傑出した1枚目はもちろん私にとっては宝物だが、2枚目、3枚目も改めて聞かれるべき見事な作品だと思っている。
これからはじめて聞こうという人がいたら本当に幸運だ。うらやましい。と、心底そう思う。
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音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。4回にわたりお送りした英国の名キーボード・ロック・バンドQUATERMASS編も今回がラスト。ベーシストJohn GustafsonとドラマーMick Underwoodの活動に焦点を当てて堀下げてまいります!
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音楽ライター後藤秀樹氏による連載コラム「COLUMN THE REFLECTION」。デビュー~70年代におけるキャラヴァンの軌跡を追います。
フラメンコとロックを融合したサウンドで大きな注目を集めた5人組。トニー・ヴィスコンティのプロデュースによる1st。73年作。フラメンコの静と動を表現したオリジナリティー溢れるサウンドは現在でも十分刺激的。メンバーのジョン・グラスコックは後にジェスロ・タルに加入。
廃盤、紙ジャケット仕様、三方背アウターカバー・デフジャケ付き仕様、Blu-spec CD、2012年24bitデジタル・リマスター、ボーナス・トラック1曲、定価3300
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
フラメンコとロックの融合を試みたサウンドで大きな注目を集めた5人組バンドが、前作同様トニー・ヴィスコンティのプロデュースで発表した75年2ndアルバム。前作で提示したフラメンコ由来のパッションとロックのダイナミズムが有機的に結びついた唯一無二のサウンドを、20分超の組曲も交えて展開。スペイン国外におけるフラメンコ・ロックとしては群を抜いてナンバー1の完成度を誇っています。熱情ほとばしる傑作!
紙ジャケット仕様、06年24bitデジタル・リマスター、ボーナス・トラック2曲、内袋付仕様、定価2730
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
フラメンコ・ロックとして知られるグループ。73年作1stと74年作2ndを各CD1枚に収録した2枚組。ギターとキーボードを中心としたソリッドなアンサンブル、変拍子を巧みに用いた躍動感溢れるリズム隊、哀愁溢れるメロディーと分厚いコーラス・ワークによるサウンドは、GENTLE GITANTあたりにも比肩しうる圧倒的な完成度。フラメンコ・ロックと言っても、キワモノ的な雰囲気は全くなく、ベースにあるのはテクニカルかつセンス溢れるオーソドックスなプログレ。そこに、フラメンコ的エッセンスが加味され、英ロック特有の「暗さ、重さ」とは異質の、躍動感を持ったエネルギッシュなプログレへと昇華しています。
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