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COLUMN THE REFLECTION 第2回 そうか、1968年からもう50年が経ったのか。その頃の一発屋の歴史の面白さ 文・後藤秀樹

第2回 そうか、1968年からもう50年が経ったのか。その頃の一発屋の歴史の面白さ

前回の原稿の最後に最近聞いているものとして、フィフス・ディメンションとかアソシエイションと書いた。私自身の中にはずっと、どんな音楽であってもメロディーやハーモニーがしっかりとしていることが重要なものとして位置付いている。そして多くの人がそうだろうが、聞くものはラジオが全てだった「原点としてのポップ体験」の時期に何よりも大きな意味を持っている。他の人に何といわれようと自分の原体験が今(現在)につながっていることは、音楽に限らずあらゆる場面で感じることだ。誰にとっても否定できない部分だろう。

私にはメロディーとハーモニーが大切だ。そして、もうひとつはその時代の雰囲気という要素。

その昔聞いたヒットした曲への愛着、その後音楽の深みにどっぷりとつかっていく中で、「懐かしさ=追い求める研究材料としての面白さにつながっていく例をいくつか紹介したい。

★まずは、フェアリーダスト「誓いのフーガ」

私が不思議で興味深い奥行きのあるコーラスとして、最初に意識したのは1968年の英国のティンカーベル・フェアリーダストというグループの「Twenty Ten」という曲だった。(*1)

(*1)Tinkerbell Fairydust / Twenty Ten

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ちょうど50年前になる。ディズニーランドをはじめ、各種映画のヒットもある今では、むしろそのバンド名だけでまず注目されそうだ。しかし、当時日本ではその長いグループ名を避けてフェアリーダストと呼ばれ、邦題は「誓いのフーガ」とつけられて同年にシングルが発売された。英米ではヒットの記録がないが、日本ではオリコンで68年12月に20位を記録している。しかし、けっこうラジオではオン・エアされており、私の住んでいる地方局ではもっと順位は上だったように記憶している。リバーヴをかけたようなオルガンの調べ、静謐で奥深い世界観が歌い上げられるミステリアスなファルセット・コーラス。薄くメロトロンも使用されている。聞いたことのあるメロディーはバッハの「小フーガ」というのも後に分かったことだし、歌われる歌詞の中味も英語なので当時は分からなかったが、「Twenty Ten、つまり2010年は43年後(1967年から考えて)のこと」と歌い出される部分は印象的だった。「今があって、これから未来に自分たちはどうしているかという内容なのだが、今気がついてみると2010年どころかもう2018年になってしまった。その頃はプロコル・ハルムの「青い影」のヒットを受けてクラシック的なメロディーを用いたヒット曲が多く生まれた時代でもあった。フェアリーダストのプロデューサーはヴィク・スミス(Vic Smith)で彼は同時期にプロコル・ハルムのセカンド・アルバム『月の光(Shine On Brightly)』という大傑作にもエンジニアの一人としてその名があり、彼の当時の思いを想像してみるのも面白い。(ヴィクはその後、グラヴィトレインの最後のアルバムやコチーズ等のプロデュースを担当し、ブラック・サバスやジュダース・プリーストのエンジニア、もっと後にはポール・ウェラーのジャムをプロデュースすることになる。)

フェアリーダストはデッカから3枚のシングルを出しているが、日本では2枚のみ発売される。本国の順とは逆に69年に「誓いのフーガ」のヒットを受けて、デヴュー曲の「レイジー・デイ」が2枚目として出されるが、それは私の記憶ではラジオでは聞いた覚えがない。しかし、「誓いのフーガ」の印象が大きかったのは私だけではなかった。制作されたものの発売されなかったアルバムがあることが明らかになり(Decca LK 5028;SLK 5028)、英国廃盤市場は大変なことになった。当然、私には聞けないままでいたが、90年代後半になってブート的なCDが出て、それを聞くことが出来た。公式には2009年に英Grapefruitからボーナストラックを伴って発売されている(CRSEG004)。2010年に間に合わせたような気がして感慨深かった。肝心の中味なのだが、まずカバー曲の多さに驚く。アソシエイションや、スパンキー&アワ・ギャング、ブルックリン・ブリッジはまだ分かるが、今ではヴァニラ・ファッジの方が有名な「キープ・ミー・ハンギング・オン」(オリジナルはシュープリームス)、ヤードバーズの「ジェフズ・ブギー」、そしてジョー・コッカー・・・。「誓いのフーガ(Twenty Ten)」の世界、ハーモニーの面白さを求めていた私のような者にとっては聞く前から目が点になってしまった。(*2)

(*2)Tinkerbell Fairydust / Tinkerbell Fairydust(Full Album)

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GrapefruitのCDでは、彼らの経歴が詳細に記されている。それによると、中心人物のジェドとチャスのウェイド兄弟は60年初頭からムーンレイカーズ(Moonrakers)の名でスキッフル・グループとしてスタートし、その後ラムロッズ(Ramrods)と改名しシャドウズ系となり、63年にはリコシェッツ(Ricochets)と名を変え折からのビートブームもあって65年9月にはデッカから最初のシングルをリリースしツアーにも出るが、66年には活動を停止する。そして翌67年ウェイド兄弟はイージーカム・イージーゴー(Easy Come Easy Go)を経てザ・ラッシュ(The Rush)と名を変え、ドン・エージェンシーとの契約から5月と7月に2枚のシングルを発表する。しかし、これもヒットとはならず、弟のチャスが抜けてしまう。その後、ヴィク・スミスと出会うことになる。ここでレコーディングされたのが67年の12月にスパンキー&アワ・ギャングのカバーとなる最初のシングル「レイジー・デイ」だった。(*3)

(*3)Tinkerbell Fairydust / Lazy Day

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この時点でグループ名がティンカーベルズ・フェアリーダストになるのだが、このバンド名はヴィクのアイディアによるもので、メンバーは渋々の選択だったようだ。68年5月には2枚目の「誓いのフーガ」を出すがどれも英米では話題にならなかった。しかし、日本でヒットしたことがアルバムの作成に向かわせたのではないかと言われている。ただ、67年の後半からから69年1月の3枚目の最後のシングル「シェイラズ・バック・イン・タウン」(*4)までヴィクと一緒にレコーディングを続けていた事実から、けっこう曲を録りためていたことも想像できる。出来上がった(幻の)作品は、もう今となっては私にとっては愛すべきアルバムだが、それでも曲の仕上がりや出来にはムラがあるように感じられて残念で仕方がない。「レイジー・デイ」の冒頭数秒や、「誓いのフーガ」風のコーラスを本当はもっと磨いておいてくれたらと考えてしまう。「イン・マイ・マジック・ガーデン」や「エヴリーミニッツ・エヴリーデイ」はよく出来ているが・・・(*5)(*6)

(*4)Tinkerbell Fairydust / Sheila’s Back In Town

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(*5)Tinkerbell Fairydust / In My Magic Garden

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(*6)Tinkerbell Fairydust / Everytime.Every Day
画像中にLP CDのバージョン違いが紹介されている

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彼ら自身が気に入らなかったティンカーベルズ・フェアリーダストというバンド名だが、レコードのリリース以外ではザ・ラッシュの名前を使い続けた。当時の英国雑誌の記事に彼らのことを「ハーモニーのスペシャリスト、ザ・ラッシュ」と見出しで紹介されていることも彼らが本来目指したものを表現しているのだろう。また、当時の境遇についても、ジェド・ウェイドは「ムーディー・ブルースは友人だが、彼らは大きな8トラックで録音していて、僕らは小さな4トラックでの録音でしか出来なかった。」と答えている。当時は遠い日本でヒットの事実も知らず、自分たちの境遇には何も変化がなかったことを愚痴のように言ったものとして受け取ることが出来る。英ライナーの中に「3枚目のシングル「シェイラズ・バック・イン・タウン」も日本で2度目のトップ10ヒットになった」と書かれているのだが、日本でその事実が無かったことは言うまでもない。ちなみに、ムーディー・ブルースはそれまでのR&B的な音楽性から、壮大なコンセプトアルバム『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』へとシフトしたことが大成功したばかりだった。そこで、デラム・レーベルが生まれるわけだが、ティンカーベルズ・フェアリーダストはその流れに入るものとは考えられなかったのは残念といか言いようがない。
Grapefruitから出されたCDには、嬉しいことに9曲ものボーナスが収録されている。リコシェッツ時代の65年シングル両面と、彼らがこだわったバンド名ザ・ラッシュの3曲が興味深い。あとは「誓いのフーガ」のB面と、「シィイラズ・バック・イン・タウン」のB面の「フォロー・ミー・フォロー」(ジェフ・リン作でアイドル・レースのカバー)がデモ音源とともに収録されている。最後には完全未発表曲が入っているのだが、きっともっと録音していたに違いない。(*7)(*8)

(*7)Tinkerbell Fairydust / In My Magic Garden(Demo Acetate)
CDにも収録されていないデモ

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(*8)Tinkerbell Fairydust / Follw Me Follow You

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彼らのハーモニーの原点はフォー・シーズンスにあったという。その影響を受けた英国のトレメローズ的な雰囲気を持った曲もある。そして音楽的には同時代に活躍したグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインの影響も大きい。また英国ではサイケデリックの影響を受けたプリティ・シングスの『S.Fソロウ』の登場も革新的だったわけで、そうした動きに素直に反応したものと思われる。決してビートルズやビーチボーイズばかりではないところがシーンの深さを思わせる。そして、この時期のコーラスを重視したバンドのアイディンティティーとも呼べるべき部分は、自分たちで演奏しながら歌うということだった。

「誓いのフーガ」の印象のみが突出していた私にとっては意外な事実だが、今では当時のサイケデリックの流れとしてとらえられている。限定復刻されたLPまでもが今ではレア盤になってしまっている。メンバーのその後もライナーに記載されているが、8人が記載されていて肝心の初期のレコーディング・メンバーはチャス・ウェイドと、ザ・ラッシュになった時点でメンバーになったスティーヴ・マヒァは2009年段階には、ティンカーベルズ・フェアリーダストであったりザ・ラッシュであったりしながらもオーストラリアで活動を再開していたようで、その映像が残されている。(*9)

(*9)Tinkerbell Fairydust / The Rush Tinkerbell’s Fairydust 2001 Reunion Gig Austlaria
2009年時点のライナーで、メンバーのチャズやスティーヴを中心にオーストラリアで今も活動を続けていることが紹介されているが、このような動画が確認できる。

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★ハイヌーン「涙のフィーリング」からさかのぼってみると

もうひとつ、私の原点のもう一つにワンヒット・ワンダラー(一発屋)として知られるハイヌーンの70年のヒット曲「涙のフィーリング」を紹介したい。(*10)

(*10)High Noon / Old Fashioned Feeling

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夏にふさわしいようなさわやかさあふれるポップスで、当時はラジオで70年の夏に毎日かかっていた。しかし、権利の関係なのかその後未だにCD化はされていない。当時の洋楽ヒットはたくさんのコンピレーションが発売され、日本独自のヒット曲も紹介されてきているが、この曲は不思議なことにどこにも収録されていない。イントロからいかにもヒット曲の雰囲気があったし、開放感たっぷりのヴォーカルもコーラスも素晴らしい。しかし、日本でリリースされた時には、あの西部劇の名作映画と同名だったこともあって混同され、そして時が過ぎるうちに忘れられ、後にREOスピードワゴンが出したシングルがハイヌーンとは別の曲であるにもかかわらず「涙のフィーリング」と題名をつけたものだから紛らわしくて仕方が無かった。

ただCD化に関して惜しいことがあった。英Rev-Olaから出された“Listen To The Sky~The Others, Sands, Sun Dragon The Collected Recordings 1964-1973”(Rev-Ola CR REV 176 2006)の存在である。Rev-olaはソフトロックと呼ばれるタイプの音楽を中心に再発している信頼できるレーベルで、リリースの度にチェックをしていたのだが、このCD裏の曲目を見て驚いた。CDタイトルのジ・アザーズ、サンズ、サンドラゴンはバンド名が3つ並んだもので、中心人物となるロブ・フリーマンとイアン・マクリントックの二人の歴史を追った構成なのだが、その3つのバンドの続きとしてハイヌーンの名前が書いてある。えっ、あのハイヌーンか!と一人で興奮状態になってしまった。1曲は「ドライヴィン・ドライヴィン」は「涙のフィーリング」のB面だった。よし、もう1曲は・・・「ブリング・バック・ザット・ラヴ・アゲイン」。あれっ、「涙のフィーリング」は原題が”Old Fashioned Feeling”なのだが無い。何だ、これはと思いながらともかくCDを聞くことにする。あわせてジャケットは八つ折りで、ありがたいことに詳細なライナーが綴られている。
間違いなくハイヌーンは、最初のシングルが「涙のフィーリング」なのだが、この曲は日本以外でのヒットの実績はない。当時はエジソン・ライトハウスが「恋のほのお(Love Grows)」をはじめに次々とチャートを賑わせており、そしてクリスティーが「イエロー・リバー」「想い出のサンバーナディーノ」とヒットを飛ばしていたが、そうしたグループは英本国でも実績を持っていた。

しかし、CDとしてハイヌーンにもそれ以前の歴史があったことに興味を持ち、順に聞いてみた。64年のジ・アザーズ(The Others)のボ・ディドリーの「オー・イエー(Oh Yeah!)」に始まるフォンタナからのシングル両面と未発表曲2曲、67年のザ・サンズのリアクションからのシングル「ミセス・グレスピーズ・レフリジェレイター(Mrs.Gillespie’s Refrigerator)」 c/wリッスン・トゥ・ザ・スカイ(Listen To The Sky)」、有名な「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ(River Deep Mountain High)」を含む4曲がまずなかなかによく出来ている。(*11)

(*11)Sands / Mrs.Gillespie’s Refrigerator

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ジ・アザーズは、プリティ・シングスと同じマネジメントの関係からフォンタナからシングルを出し、サンズになってからもマーキー・クラブを中心にライヴを行うことで幸運にもブライアン・エプスタインに認められた。当時のドラマー、レイ・クック(Ray Cook)はジェフ・ベック、パラマウンツ(プロコル・ハルムの前身)に出入りしていたことにはちょっとびっくり。エプスタインとの関わりから、ロバート・スティグウッド(当時、クリームとビージーズのマネージャー)のリアクション・レーベルからのリリースとなり、恵まれているように思われたが67年8月27日のエプスタインの突然の死が彼らの活動を一転させてしまう。

サンズ時代の唯一のシングルのB面にあたる彼らのオリジナル曲「リッスン・トゥ・ザ・スカイ(Listen To The Sky)」は不思議な作品だ。前半はコーラスを主体としたロイ・ウッドのムーヴを意識したような曲調なのだが、1分55秒くらいからサイレンと爆撃音、明らかに戦争の情景のみが1分弱続く。ラストはホルストの「火星」のモチーフが演奏される。戦争をテーマとした「火星」のモチーフはキング・クリムゾンの『ポセイドンのめざめ』に収録された「デヴィルズ・トライアングル」でも導入されている。ただ、時期としてはこのサンズの方が早いことになる。A面の「ミセス・グレスピーズ・レフリジェレイター」はビージーズの3兄弟の作だが、ビージーズとして当時は発表されていない。後にRSOレーベルで大物になるが、この時期はリアクション・レーベルを運営していたロバート・スティグウッドとの関係性が見て取れる。”Perfumed Garden”という60’sサイケのCDコンピレーションに収録されたことがあって、その時の印象もやはり中間部が強烈だったのを覚えている。ただ、当時はサンズの経歴の前後のつながりに関しては知る由もなかった。このシングルも、今やレア盤だ。(*12)

(*12)Sands / Listen To The Sky

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エプスタインの死をきっかけに完全にサンズとしての仕事を失うことになった。その後、ロブとイアンは、ソングライターチームとしての活動を試みるが、英米に渡って音楽出版界の大物B.フェルドマンに出会い、新たにバンドとしてのデモ作成にこぎ着けることが出来た。彼らの活動は不運もあるものに、出会いに関しては幸運も多い。音楽業界の縮図のような世界だ。そして、新たなバンドはサンドラゴン(Sun Dragon)と名付けられ、68年1月にMGMから『グリーン・タンバリン』というアルバムを発表する。ただ、ここでイアンはアンソニー・ジェームスと表記名を変え、ロブもこれまでのRobからRobbと変えている。この段階で、プレス自体も混乱した(というより、誰も関心をもっていなかっただろう)。彼らの経歴が宙ぶらりんになってしまった格好だ。日本でもハイヌーンとして一発屋としか認識されていないのも仕方がなかったと言える。(*13)

(*13)Sun Dragon / Green Tambourine

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フェルドマンのアドバイスは米でヒットしていたレモン・パイパーズの「グリーン・タンバリン」をファースト・シングルに用意した。サイケデリックな時代の雰囲気の中で、米ブッダ・レーベルは単純なバブルガム・サウンドを上手く消化して多くのヒット曲を出していて、私自身は1910フルーツガム・カンパニーが大好きだった。その英国での発売権をフェルドマン自身が持っていたこともあり、サイケ・ポップとしてサンドラゴンを売り出すことを考えたのだろう。結果として68年2月に本家レモン・パーパーズは7位に、サンドラゴンの方は1週だけだが50位にランクインした。何と、2枚目のシングルもレモン・パイパーズのカバー「ブルーベリー・ブルー」だった。シングルセールスの方は、プレス工場がストライキのために作成が遅れる等の不運もあり今ひとつだったものの、フェルドマンはアルバム作成を指示する。アルバム自体はレモン・パイパーズ2曲、ボブ・ディラン1曲、バーズ1曲、アソシエイション1曲のカバーを入れて、残りはソングライターチームとしての2人のクレジットだ。プロデュースにはシングルに続いてデレク・ローレンス(Derek Laurence)が担当することになる。彼は当時第一期のディープ・パープルのプロデューサーであり、サンドラゴンのセッション、レコーディングにはリッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、イアン・ペイズが参加していると言われている。当時はそれこそ相当量のセッションに参加している彼らではある。この機会にブラックモアの自伝にあたってみたが、Sun Dragonのレコーディングには触れていない。忘れてしまったか、どうでもいいことなのその真相は分からないが、アルバムを聞いていくと間違いなく彼ららしい演奏を聞くことが出来る。当時は成功しなかったが、サンドラゴンの唯一のアルバムは今は評価が高い。ムーヴ・スタイルのパワーポップとして、またサイケ・ポップの名盤として語られることのある作品になっている。ただ、私はこのアルバムを見たことがない。というより、見ていたとしてもスルーしてしまうタイプのジャケットだけに記憶の中には全くない。肝心の内容は、一言で言うととてもいい。レモン・パイパーズのカバーはオリジナルのままだ。2曲目のバーズのカバー「ソー・ユー・ウォナ・ビー・ア・ロックンロール・スター」のギターは確かにブラックモアの演奏のように聞こえる。それ以上に、ソングライターチームとして再スタートした2人の意欲もあるのだろうがオリジナルの出来がとてもいい。「ピーコック・ドレス」のコーラスも決まっている。3枚目のシングルになった「ファイヴ・ホワイト・ホーセス」もキャッチーだし、「ファー・アウェイ・マウンテン」はビージーズ・タイプの素敵な曲だ。ディランのカバーは歌い方も意識していて微笑ましい。ビートルズのペニー・レーンにも似た「アイ・ニード・オール・ザ・フレンズ・アイ・キャンゲット」は完全にサンシャイン・ポップの仲間入り。彼らの本質であるメロディアスなハーモニーを存分に味わうことが出来る。当時の中で言えば、ラヴ・アフェアやエーメン・コーナー辺りにもつながってくる音楽性で楽しむことが出来る。ここにも登場するアソシエイションの「ウィンディ」は、個人的な見解になるが、じつは彼らに限らずカバーを聞く度に、本家アソシエイションのハーモニーの凄さを思い知ることになる。(先に述べたティンカーベルズ・フェアリーダストも同様)サンドラゴンは当時、残念ながら3枚のシングルと1枚のアルバムを残して消えていった。この辺りも、最初に述べたティンカーベルズ・フェアリーダストにも似ている。

そして、次に私の思い出のハイヌーンとなり最初のシングル「涙のフィーリング」が来るはずなのに、何度も書いてきたようにこのコンピには収められていない。ただ、唯一のシングルを残して消えたと持っていた彼らが、もう1枚のシングルを出していてそのB面がここに収録されている。それを聞けることが嬉しいが、こちらもA面はどうしたと突っ込みを入れたくなる。最後には、73年のマクリントック名義のシングル音源(なぜかこれもB面だ)が紹介されている。文句はつけてしまうものの、本CDは私にとって今では大切な作品、重要な位置を占めている。

本当は、同時期の英国を知るための当時の一発屋的ヒット曲(コーラスを中心にした)を他にも幾つか紹介しようと思っていたが、次回以降にまわさせていただく。

★懐かしいと感じるか、新鮮に感じるか?

他にもおまけとして、Youtubeから3つ紹介しておきたい。一つは「青い影」や「誓いのフーガ」がラジオでかかっていた頃、同様にバロック・ムードを持ったヒット曲のひとつ。ニーナとフレデリックの「エリザベス一世と二世」。(*14)

(*14)Nina & Frederik / Erizabeth I & II

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彼ら(彼女ら?)は50年代後半から活動しヒット曲を持つデンマークの男女デュオだが、67年のこの曲は聞いたことがあるという人も多いと思う。ルネッサンスの「プロローグ」を聞いたときに、この曲を思い出した。(ことを思い出した。)彼らの「スク・スク」という曲もラジオでよく聞いたものだが、60年代のポップ・シーンを飾る曲のひとつに数えられるだろう。しかし、この曲も未だにCD化されていない。もう一曲「マイ・サマー・ラヴ」という曲も紹介しておきたい。デヴィッド&ジョナサンとしても知られるR.グリーナウェイとR.クックの作となるソフトロック、英国ハーモニー・ポップの重要曲でもある。(*15)

(*15)Nina & Frederik / My summer Love(Amsterdam 1967)

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さらに、もうひとつは、ブリティッシュのビート・シーンでけっこうなヒット曲を持つフレディ&ザ・ドリーマーズの1964年の「アイム・テリン・ユー・ナウ」。(*16)

(*16)Freddy & Dreamers / I’m Telling You Now

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この曲に限らないのだが、彼らの演奏スタイルの面白さはとても特徴的だ。この曲に限らず、どの曲にも独特の動きがあり、フレディ自身はコメディアンのように人気者だった。その昔映像がない頃には私たちには伝わってこなかったのが残念。ただ、ほとんどのヒット曲が2分程度に収まるコンパクトでキャッチーなさが魅力だ。リーダーのフレディだが、最近になっても、彼の誕生日にはトリビュート・イベントが開かれているのもyoutubeを検索している中で知った。時代を超えて愛される人柄というのは凄いことだと改めて感じ入った次第。他の曲もなかなか面白いので見て欲しい。

最後は、ホビー・ホースの「サマータイム・サマータイム」。(*17)72年のリリースだが、これも面白い。メンバーは、メリー・ホプキンと夫君のトニー・ヴィスコンティ、あと女性もう一人が加わっての3人組。と言ってもこの1枚のシングルのみのユニットだったと思われる。「悲しき天使」で衝撃的なデヴューを果たし、その後もヒットを続けたものの、一線から引いた直後にこのシングルが出て仰天したのを覚えている。ジャケットなしの100円シングルを買ったのを今でも大切に持っている。ほぼコーラスが中心の短い曲だが楽しめる。オリジナルはジャミーズという黒人ドゥ・ワップ・グループの1958年のヒット曲。元イーグルスのティモシー・シュミットが放ったアカペラの「ソー・マッチ・イン・ラヴ」、(オリジナルはザ・タイムス)もそうだが、ポップ・ミュージックにおけるコーラスの一形態として歴史的なドゥ・ワップやゴスペルもじつはたどっていくと面白い。(*18)

(*17)Hobby Horse / Summertime Summertime

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(*18)Timothy B.Schmit / So Much In Love

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