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「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ」 第五十三回 でも「ム」。 文・市川哲史


第五十三回 でも「ム」。


実はムーディー・ブルースが1960年代とは思えない目先の利くバンドで、〈なんとも微妙な新しさ〉が生命線だったことは、前回の【なぜム】篇でインフラ的観点から書いた。じゃあ作品的な〈やっぱり微妙な新しさ〉とは何だ、を今回の【でもム】篇で邪推する。

ムーディーズの真骨頂は例の〈神7〉期で、1967年11月『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』~1968年7月『失われたコードを求めて』~1969年4月『夢幻』~同年11月『子供たちの子供たちの子供たちへ』~1970年8月『クエスチョン・オブ・バランス』~1971年7月『童夢』~1972年10月『セヴンス・ソジャーン~神秘な世界』の7作品を積極的に量産した、絵に描いたような黄金時代だ。

アルバムを「一枚一コンセプト」のトータル・パッケージと捉え、まずジャケはフィル・トラヴァースのいかにも思わせぶりな装丁で統一。メンバー全員が作曲に携わった収録曲同士はペパーズ軍曹に倣いすべて繋いで曲間をなくし、グレアム・エッジによる意味ありげな詩が必ずどこかで朗読されるという様々な〈お約束〉がまた、新しさの承認欲求そのものだった気がする。

しかしそんな新手の自己演出も含めての〈スマートないかがわしさ〉こそ、私にとってのムーディー・ブルースに他ならないのだ。


その黄金期当時、ムーディーズに贈られた定番の褒め言葉は「深い」。「幻想的」。「失われたロマンを求めて旅する男たち」。この実体のなさは昨今のグルメ・レポートで芸人でもタレントでも素人でもオートマチックに口走る、「肉汁じゅわー」「ゴハンが進む」「外サクサク中しっとり」「旨味が凝縮」「麺とスープがよく絡む」「究極の口どけ」「絶妙のバランス」「焦がしバターがいい仕事してる」とかと五十歩百歩な気がする。

実際に彼らが提供してきたコンセプトを、並べてみる。

まずは、人類の将来に何の影響も及ぼさないごくごく平凡な人間の一日をなぞることで、「ヒト」の一生を達観した『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』。

そもそもは全世界のプロテスタントが聖書の次に愛読する英ジョン・バニヤンの宗教求道小説『天路歴程』を、音楽化したかったらしい。「新大陸」米国に移住したピューリタンらに与えた影響は絶大で、葛藤や苦難を乗り越え理想的なキリスト信者として醸成されていく苛酷な人生を描いた小説だけに、「平凡」を対象化したはずの完成品とは真逆すぎる。「ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』を、オーケストラとの共演でポップス化してくれ」というレーベルの元々の依頼を拒否して自らのオリジナル作品をゴリ押しするために、権威主義的なクラシックによく似合うこの宗教ネタを代案として選択したんじゃないかなあ。

しかも『新世界より』自体が、新大陸に滞在中のドヴォルザークが故郷ボヘミアに向けて書いた楽曲なので、その線から『天路歴程』を連想したと見た。わかりやすい。

とはいえメロディ命のムーディーズだけに、過積載必至の宗教ネタを土壇場で回避した判断は、さすがのマーケティング力だと改めて思う。軽量化、成功。

続く『失われたコードを求めて』は、もうとことん〈ドラッグ万歳〉がコンセプト。単純明快すぎて、清清しい。鳥たちが霧の8マイルを彷徨うと、明日をも知れないペパーズ軍曹がバス旅行へ、そしてビートルズ御一行はインドに旅立った時代だけに、サイケとドラッグと東洋思想といった最新トレンドに躊躇なくまみれるムーディーズが、怖い。当時の『音楽専科』誌に「ドラッグの御供に最高」と紹介されてたりするから、本望だろう。

「♪瞼を開き耳を澄まし鼻を利かせ触れてみれば、あんなに知りたかった内なる真理が見えてくるよ、嗅ぐのも聴くのも同じこと」っていきなりラリラリな1曲目“出発”も、LSDを宗教化しようとしたティモシー・リアリーに捧ぐ“ティモシー・リアリー(Legend Of A Mind)”も、トリップの素晴らしさを説く“より良き旅路”も、見事にまんまだ。そして、宇宙の始まりから終わりまでを支配する存在概念を指す、古代インドの言葉を冠した“オム”でこのアルバムは勝手に完結してしまう。内ジャケにはヒンドゥー教のヤントラ図を堂々フィーチュアしてたりなんかして、もはや怪しいカルト宗教の〈耳で聴く入信パンフ〉と化してないか。ほとんどヒッピー文化の教祖さまである。

そういえばジャスティン・ヘイワードに茶系のグラサンかけさせたら、米国でかつて流行ってた怪しい新興宗教の教祖に絶対似ていると思う。

世間のヒッピー・ムーヴメントの〈ええじゃないか〉化、もとい宗教化をもろに反映した『夢幻』は、その名もずばり“夢”という楽曲が象徴するように、「愛」という名の圧倒的な能天気パワーで全てが救われるのだと、繰り返し喧伝。

そして『子供たちの子供たちの子供たちへ』に至っては、「愛」で本当に救われるのかの検証は子孫の代に先送りしてうやむやにするべく、人類未踏の無限空間である「宇宙」に聴く者の関心を誘導するのだから、論理のすり替えが巧妙だ。リリース3ヶ月前の歴史的出来事、アポロ11号月面着陸ネタをすかさず利用するとはさすがムーディーズ、目鼻が利く。

とはいえ〈孫子に遺すメッセージ・アルバム〉の体裁を採っときながら、1曲目の“ハイアー・アンド・ハイアー”は宇宙旅行への出発の高揚感を煽ってるようで、実は「♪もっともっともっともっとハイになろう」だし、“フローティング”は「♪きみも試しなよ、やりたいと思ってたことがこんなに簡単にできるから」で、あげく“1,000,000年のいのち”では時間の概念が馬鹿になっちゃって「♪あれから100万年も年老いた私を見てくれ」と意識混濁してしまう。

「ドラッグさいこー☆彡☆彡☆彡」にも程がある。

1970年代突入後も『クエスチョン・オブ・バランス』では、世相へのヒッピー的な異論異議を「うんうんわかるよわかるよ」とざっくり集約して支持を集めると、そんな厭世観を『童夢(Every Good Boy Deserves Favour)』でとうとうファンタジー化してしまった。世代的に蔓延する現実逃避のニーズに積極的に応えるあまり、〈ムーディーズ〉という名のモラトリアム空間になってないか。というか自ら能動的に、逃避願望を抱える大衆の受け皿に徹してたアルバムなのだ。ディズニーランドやユニバ並みの〈ファンタジックな温室エンタテインメント〉だから、そりゃウケる。

楽譜でト音記号が付いた五線の音であるEGBDF――ミソレシファを憶えるための語呂合わせ「よい子は皆愛される」を、意味ありげにタイトルに据えるとこなんかよくできたアトラクションだし。メロトロンで奏でる『あつまれどうぶつの森』みたいな“ナイス・トゥ・ビー・ヒア”も同様で、見事なテーマパーク設計だと感心する。結果的にメンバーらが身の危険を感じるほどのドラッギーで狂信的な害悪オタが大量発生したのだから、よっぽど居心地のよい温室だったに違いない。そりゃ年間パスを買うよ皆。

と優秀なマーケティング&プロデュース能力に恵まれた彼らもさすがに気後れしたか、せっかく世界規模で信者拡大した〈愛と平和のムーディー・ブルース教団〉の幕引きを図ったのが、『旧約聖書』『創世記』で神が万物を創造して7日目に休んだとされる「七日目の安息日」を指す、『セヴンス・ソジャーン~神秘な世界』だった。内なる「自分」という存在の正体を追い求めて旅することは無限の宇宙の彼方に向かうのと同じで、あげく前作『童夢』の“マイ・ソング”で「♪愛は世界を変えられるし人生を変えられる」などと大雑把な結論に達したあげく、本作の“ユー・アンド・ミー”では「♪広大な海で人間はただの漣(さざなみ)程度の存在なのさ~」などと駄目押ししたのである。

ただし、このお粗末さはある意味〈宗教の本質〉を的確に象徴してるのかもしれなくて、そういう意味では私はムーディーズの神7アルバム群を評価しているのだ。実は。7枚目だから七日目の安息日で失われたなんちゃらを求めての旅を終息させる、というお得意の仕掛けはもうお腹いっぱいですけど。


なんだか連載3回分も費やしてムーディーズをディスってるだけのように映るけれど、そうじゃない。私が「優秀な広告代理店的」と評したのは、あくまでも彼らの的確なアプローチが「新しかった」からだ。しかも商魂とか計算によるものではなく、新しさが演出するスマートさに純粋に価値を見い出しただけなんだと思う。だからどのアルバムもその包装紙や枠組みや設定や道具はニュー・モードだったけれど、彼らの楽曲の本質そのものは決して新しくはない。よく聴けば、むしろ保守的で堅実で多数派なのだ。

メンバー全員で33種類の楽器を演奏しようと、オーケストラのみならずロケットの発射音や「宇宙の音」などのSEまでメロトロンで創造しようと、メロディやコーラスや構成は米国産のR&Bやブルースに根差したビート・ロックにしか聴こえない。60年代に流行ったあのサイケ風味の。要するに決して新しくはない、のだ。しかしだからこそ、ムーディーズの〈「新しく聴こえるけど実は大衆ロック〉はコマーシャルだった。ただでさえ大雑把で曖昧模糊としたドラッグ・カルチャー的世界観も、「非日常性」をわかりやすく演出するにはもってこいだし、ムーディー・ブルースはまさに〈最大公約数の最先端〉バンドだったのである。

特殊に見えて実は間口はやたら広いなんて、やっぱり新興宗教っぽい。よくできてる。





そして。

歌謡曲でもニューミュージックでも洋楽でもない音楽「国産ロック」が日本で商業的に成立するようになったのは、1980年代中期以降になる。当時の私は洋楽誌『ロッキング・オン』で原稿書きながら、名古屋でタウン誌編集長とかFMパーソナリティーやTVの放送作家をこなしたりの、落ち着きがない20代前半だった。

世間的には「バンドだけど歌謡曲」チェッカーズの大ヒットを契機に、『パチパチ』『アリーナ37℃』『B-PASS』『パチパチロックンロール』『R&R NEWSMAKER』と国産ロック雑誌が続々と発刊。『宝島』も邦楽誌化して『バンドやろうぜ』も創刊するし、『ロッキング・オン・ジャパン』まで登場した日にゃ、音楽市場は邦楽に完全シフトチェンジした。そう、あのバンド・ブームである。『フールズ・メイト』だって1990年代開幕前には日本最速でヴィジュアル系専門誌に転生したもんだから、数多のプログレッシャーズを路頭に迷わせたではないか。なんまんだぶ。

「実はどこまでもポップ」な日本独自のビート・ロック・BOφWYや「元祖・女子力」レベッカ、「愛と青春の日本語パンク」ザ・ブルーハーツなど続々と誕生する人気バンドにレコード各社は勢いづき、かつては不良の巣窟の代名詞だった路地裏のライヴハウスに、アイドルのコンサートすら行ったことがないだろう普通の少年少女たちが群れ集い、日曜昼下がりの原宿歩行者天国はアマチュア・バンドのフリー・ライヴ天国に、そして幾多のメジャー・バンドを輩出して全国のバンド少年憧れの聖地となった。

いま思うと、日本人の誰もが錯覚してたバブル前夜ならではの高揚感に誘われた、地方のライヴハウスとローカル・メディアの「ポップ・カルチャーはすべておまえら発信だと思うなよこら」的な、東京への反発心の初めての成果だったのも大きい。ただしそのルサンチマンは、同時に東京への甚だしい憧憬とコンプレックスの裏返しだったのだけど。

そしてCD時代の急激な到来も、この未曾有のバンド・ブームの背景にあったはずだ。10代の少年少女らの歌謡曲やニューミュージックに対する本能的ストレスの発露だけではなく、「レコードからCDに一新された音楽端末に似合うのは、やっぱ新しい音楽ジャンルじゃなきゃ」的な無意識の高揚感も、案外味方したような気がする。

だって想い出してみなさいよ。音楽に限らず1980年代って、〈新しく見えるもの〉に飛びつき続けた十年間だったじゃんか皆。


ただし勘違いしちゃいけないのは、バンド・ブームがバブルな商業的成功を摑んだわけではない、という現実である。

1980年代の音楽市場の規模が90年代とは比較にならないぐらい小さかったとはいえ、当時ミリオンセラーなんて夢のまた夢。アルバムが5万枚も売れようもんなら、バンドやマネジメントのみならずレコード会社のスタッフも紙と波のメディア関係者も心底喜んでいた。それまでに費やした制作費に宣伝費にライヴ経費などのコスパを考えると、この程度のセールスでは全っ然儲かってない。我々音専誌にとっても、これで彼らを掲載すれば一気に部数増、なんて無理な話だった。

それでも関係者一同が揃って嬉しかったのは――ロックが好きだったから(←あっけらかん)。ずっと日陰者の立場に甘んじてたロックが、実は大赤字の5万枚とはいえ自分たちの手によって世間に届きつつある状況に、愉悦を隠しきれなかったのである。そういう意味では、バンド・ブームとはビジネスの体を成してないけれど、リスナーも含めかかわる当事者全員が熱病に冒されていた幸福なモラトリアム空間だったんだなあ、としみじみ思う。

レーベルのディレクターも宣伝マンも、事務所の社長もマネージャーも、TV局やラジオ局のディレクターもパーソナリティーも、雑誌編集者もライターもカメラマンもスタイリストもヘアメイクもきっと、多かれ少なかれ私と似たような心持ちだったはず。この〈救いようのないおめでたさ〉の結集が、あの時代の正体なのである。

言い換えれば我々は皆、共犯者だった。

しかも当時のバンドは皆、洋楽ロックへの熱烈な愛と強烈な憧憬がリビドー。はい、要するに洋楽コンプレックスを日本のロックを聴いて音楽を始めたアーティストが登場するのは1990年代末からで、バンド・ブーム期もそれ以降も洋楽コンプレックスを抱えたバンドばかりだったのは事実だ。当然ディレクターやマネジメント社長も、もれなく洋楽コンプレックスを背負っていた。そりゃしょうがない。そういう年齢だもの身の上だもの皆。「ロックに市民権を」なんて使命感を勝手に抱くこと自体、そもそも洋楽コンプレックスの裏返しなんだけどね。だはは。


それでも、私より少し歳上の――1950年代生まれの共犯ディレクターたちにありがちな性癖には、とうとう最後まで馴染めなかった。彼らは自分が担当するバンドがぼちぼち売れて制作費に少し余裕が生まれると、決まってオーケストラと共演させるのだ。スローな新曲にストリングスではなくフルオケを入れたがったり、ライヴでフルオケと共演させたがったり。ちなみにアーティスト本人の発案ではまったく、ない。

私が知る限り本人の強い意志でバラード曲には必ずオケを入れ、オケとの共演ライヴをわざわざNHKホールで公演したのはYOSHIKIただ一人である。あの男は「目立つこと」が好きなだけだからなあ。

で野望が実現すると、どの50代も満願成就のドヤ顔で「市川さんならわかるっしょぉ?」と賛同を求めてくる。いやいやいやいや、仲間にしないでください。

演る側も聴く側も欧州人も日本人も皆、クラシック音楽を意識しすぎるほど意識した時代があった。ロックを好きなくせに正体不明の被害者意識というか日蔭者的なコンプレックスを勝手に抱え、クラシックの権威にすがったことか。上の世代から「低俗な音楽」呼ばわりされると、まるでソナタ形式のような『サージェント・ペパーズ』や(やはり)ELPの『展覧会の絵』を引き合いに出して、クラシックの土俵で必死にロックの魅力を説いた経験は皆あるんじゃないのか。不毛だけど。そんな負け犬根性が、クラシックの象徴であるオーケストラとの共演にディレクターたちを向かわせたのだと思う。


私は〈ロック・バンド、クラシックを表敬訪問する〉的な、クラシック・コンプレックスの裏返しとしか言いようのないオーケストラとの共演物が嫌いだった。あ、いまも。

イエスの『時間と言葉』なんてB級映画の劇伴みたいだし、『イン・ロック』前夜のディープ・パープル『コンチェルト・フォー・グループ・アンド・オーケストラ』は明らかに、打ち損じ。本物のオーケストラを起用したら「普通のバンド」に成り下がちゃった『プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ』も『キャラヴァン&ザ・ニュー・シンフォニア』も、哀しくなった。本物だからいいってもんじゃない。あの『ELP四部作』は「そもそもそういうもの」だから素敵なエマーソン名義の“ピアノ協奏曲第1番”はともかく、“庶民のファンファーレ”と“海賊”はフルオケが絵に描いたような蛇足で。

そんな枚挙の暇がない惨劇も今は昔と笑い話にしていたら2010年、よりにもよってピーガブがやってくれた。全編オーケストラをバックに唄うカヴァー・アルバム『スクラッチ・マイ・バック』の圧倒的なつまんなさは、クラシックという〈権威〉に実は弱かったピーガブを浮き彫りにしてしまった。ちょっとがっかりだ。

ほら、ろくなことがないよオーケストラとの共演。あ、リック・ウェイクマンの『地底探検』だけは似合ってる。あのひとはオケ一筋の方が向いてると思います。


ムーディーズの場合、神7第一弾の『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』がいきなりオーケストラとの共作アルバムで、その後もオーケストレイション効果は十八番。それだけに「ムーディーズおまえもか」と、やはりクラシック・コンプレックス依存じゃないかと見なされてきた。でもよく考えてみたら、メロトロンを駆使してオーケストラを不要にしたことがひとつの売りだったのだから、多くのバンドが権威視したクラシックをいいように「利用」したという点で痛快なのだ。そういう意味では、ムーディーズはものすごくしたたかだった気がする。でもたぶん天然だったんだろうなあ。あれだけ長けたマーケティング能力も、とにかく丁寧な仕事ぶりも、新興宗教に匹敵するリスナー込みのサークル力も。いや、もしかしたら本当にどっかの神様の御加護だったかもしれないし。

神7最終章の『セヴンス・ソジャーン』からようやく5年半後に発表した次作『新世界の曙』には、事もあろうにリアル・オーケストラが起用されたばかりか、シンセもメロトロンも隅っこに追いやられてた。そしたら表ジャケに後ろ姿がほんの一部しか映ってないマイケル・ピンダーが、直後に脱退した。さらばメロトロン星人。もう曲間も繋がってなかったし。そしてパトリック・モラーツ加入の続く『魂の叫び(LONG DISTANCE VOYAGER)』は、「ムーディーズといえば旅する内なる心」な人びとの記憶を久々に掘り起こして9年ぶりの全米1位に返り咲いたけれど、オーケストラ導入路線は継続。1993年にはとうとうオーケストラとの共演ライヴ盤『ライヴ・ア・ナイト・アット・レッド・ロックス』を出すに至り、いよいよ埋没してしまった感がある。

オーケストラに手を出しちゃった時点で、神の御託宣も庇護も失ってしまったのか。くわばらくわばら。



もしもムーディー・ブルースが不幸だったとするならば、彼らが成功した直後にもう〈筋金入りの何でもあり〉ピンク・フロイドと〈完璧すぎて笑うしかない〉イエス、で〈誰も聴いたことがない〉キング・クリムゾンが登場してしまったこと以外にない。そしてあっと言う間に〈服を着た通過点〉となったムーディーズの数奇な運命を、子供たちの子供たちの子供たちへ伝えてほしい。ちょっとだけ私は伝えたくなった。

80年代に90年代――前述したように20代と30代の私は、音楽評論家業とともに雑誌の編集に明け暮れてた。21世紀を前にしてインターネット環境が整備され始めると、印刷物の編集から印刷までの工程がコンピュータ化されて、原稿も写真もレイアウトも校正も全てがデータ入稿に切り替わっていった。それに伴い、一冊の雑誌を作るためにあれだけ動いてた数多くの人びとが、あっという間に姿を消した。写植屋に版下屋に製版屋に現像所にバイク便など、一体どんだけの職種が姿を消しただろう。皆どうしているだろう。CD同様に紙メディアも需要が絶賛激減中だから、やがて書店も印刷会社も出版社も取次も新聞社も消滅する。何より私のような物書きが、ここから退場する日はすぐそこだ。

別に感傷的になってるわけじゃないけれど、もう少し早くムーディー・ブルースに優しくしておけばよかったと、ちょっとだけ反省している私なのだ。


ごめんよムーディーズ。














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第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!

第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!

第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!

第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!

第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!

第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!

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第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!

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    全英/全米で1位を獲得した69年作

    69年作3rd。

    • UICY9212

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      盤質:無傷/小傷

      状態:良好

      帯有

      紙ジャケに側面部に色褪せあり、スレあり

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    • UICY20049

      SHM-CD、ボーナス・トラック5曲、マスター2006年、定価1800

      盤質:無傷/小傷

      状態:並

      帯有

      ケースツメ跡あり、帯はケースに貼ってあります、帯に折れあり、ケースにスレあり

  • MOODY BLUES / EVERY GOOD BOY DESERVES FAVOUR

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    活動開始は64年までさかのぼりビート系グループとしてデビュー、シングル・ヒットに恵まれながらも徐々に作風が変化し、プログレッシブ・ロックへのアプローチを開始。後に全盛を築くこととなるプログレッシブ・ロックバンドがデビューすらしていない時期からオーケストラとの競演や実験性に富んだ作品を生み出し、黎明期を作り上げたイギリスのバンドの71年6th。効果音を使った1曲目から名曲「ストーリー・イン・ユア・アイズ」へとなだれ込むと、ジャケットのようなファンタジックな英国ロマンが広がります。Justin Haywardの甘くジェントリーな歌声にスケールの大きなメロトロンが絶妙に絡み合い、シンフォニックな彩りも絶品。プログレッシブ・ロックのアイコンに恵まれた作品です。

  • MOODY BLUES / SEVENTH SOJOURN

    絶頂期にリリースされた、前作『童夢』と並ぶ最高傑作、72年リリース

    活動開始は64年までさかのぼりビート系グループとしてデビュー、シングル・ヒットに恵まれながらも徐々に作風が変化し、プログレッシブ・ロックへのアプローチを開始。後に全盛を築くこととなるプログレッシブ・ロックバンドがデビューすらしていない時期からオーケストラとの競演や実験性に富んだ作品を生み出し、黎明期を作り上げたイギリスのバンドの72年7th。もはやプログレッシブ・ロックの全盛を待たずに円熟の域にすら達してしまった作品であり一聴して前作よりも平坦な印象を持ちますが、緻密に練られたアレンジと、ポップさに磨きがかかった珠玉のメロディーが溢れています。過去の作品には無かったカットアウトでアルバムは締めくくられ、メンバーはそれぞれのソロ活動へと移行。THE MOODY BLUESはしばらくの間休眠することとなります。

  • MOODY BLUES / LONG DISTANCE VOYAGER

    マイク・ピンダーに代わるkey奏者に元YESのパトリック・モラーツを迎えた81年作、ELOにも迫るクラシカル・ポップ・ロック名盤

  • MOODY BLUES / PRESENT

    最古のプログレ・バンドとされる英国の名グループ、83年作

    • UICY93721

      廃盤、紙ジャケット仕様、SHM-CD、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック2曲、インサート入り、定価2667+税

      盤質:傷あり

      状態:

      帯有

      帯中央部分に色褪せあり、若干黄ばみあり、その他は状態良好です

  • MOODY BLUES / OTHER SIDE OF LIFE

    86年作

  • MOODY BLUES / BEST OF

    96年編集、17曲収録

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