2024年7月13日 | カテゴリー:やはりロックで泣け!,リスナー寄稿記事,世界のロック探求ナビ
寄稿:ひろきさんさん
2017年まで連載されていた舩曳将仁さんによるコラム、「そしてロックで泣け」は丁寧に詳しく調べられていて、個人的に大いに興味を喚起されました。今回、彼の精神を受け継いで「やはりロックで泣け!」というタイトルで、様々な「泣ける音楽」を紹介したいと思います。
今回は1969年にデビューし、現在でもなお活動を継続しているGrand Funk Railroad(後はG.F.R.)にスポットをあてて、思いつくままに書き綴りたいと考えています。このバンドとの付き合いはとても長く、彼らのfirst album, “On Time”が日本で発売されたのが1969年の後半頃かと思います。その時、話題になったのが「レッド・ツェッペリンもぶっ飛んだ超大型新人グループ」というキャッチフレーズでメディアを席巻していたのを思い出します。当時、私もツェッペリンには完全にKOされていたので10代のrock 少年にとっては彼らに対して相当な期待感を抱きました。当然、LPは買えるはずもないので日々、ラジオと向かい合っていつ聞けるかももわからない彼らの音楽との出会いを楽しみに待ち続けていました。やっとその日が来ました。かかった曲は”Time Machine”でした。正直なところ、「これではツェッペリンには勝てないなぁ」と感じました。いわゆるブルースロックで、Mark Farnerの力強いボーカル以外、楽曲になんら目新しさを感じることがありませんでした。その後、私の興味の範囲から彼らは自然と消え去っていました。
ここから山口県の話になります。なぜ山口県かといえば、岩国市にある米軍基地の存在です。私が住んでいる香川県では昼間は電波状態がかなり悪いのですが深夜になるとFEN放送がクリアに聞こえるようになり、その当時ではまだ日本で未紹介の音楽を聞くことが可能だったのです。これが楽しみで毎晩、遅くまで起きていました。特に彼らの”Closer To Home”はheavy rotationに組み入れられていたようで、途中でカットすることもなく必ず最後まで楽しめました。このような日常からある日突然、”Sin’s A Good Man’s Brother”と遭遇することになるわけです。ゆったりとしたイントロから一転して超強力なリフにかわり、Mark Farnerのhigh tone shouting vocalが入ってくるやいなや釘付けになってしまいました。途中のemotionalなギターソロにも打ち砕かれ、heavy riffにまた戻り、outroは静な状態でテンポがまた速くなりendingを迎えます。曲構成は基本、緩急をつけたリズムをベースに展開されています。keyはEですが、間奏ではEm / Dとなり、この展開が聞き手の心にしみこんできます。また簡単そうに聞こえるアコギでのイントロも相当凝ったchordを使っています。さらにMark Farnerのvocalは尋常ではありません。なんと2オクターブ上のレまで裏声を使わずに出しています。以前、私のAmerican metal friendにMark Farnerの歌唱力のことについて彼は次のように言ったことを思い出しました。「彼はnative Americanで歌い方がとてもユニークなんだ。黒人ではないのにsoulfulな歌い方ができる。このようなタイプは数少ないよ。」。そういえばこの曲がおさめられている”Closer To Home”にはゴスペル風なナンバーなども入っています。なかでも”Hooked On Love”, “Get It Together”等は別の意味で歌心にあふれた作品であると感じています。
Sin’s A Good Man’s Brother
結論的を言うと、この2つの曲の決定的な違いは”Sin’s A Good Man’s Brother”は全くbluesの影響が微塵も感じられない純粋なAmerican hard rockということです。これが”Time Machine”と同じG.F.R.の作品であるとは全く想像ができませんでした。早速、市内のレコード店で、このsingle盤を購入しました。ジャケットには「うなるベース、迫力に満ちた3分16秒!!これがヘビーロックの真髄」と書かれていました。ちなみにSin’s A Good Man’s Brotherは日本タイトルでは「グッドマンズ・ブラザー」で、B面は同じく”Closer To Home”からの”Nothing Is The Same”でした。後になって分かったことですがSin’s A Good Man’s Brotherはalbumでは4分35秒なのでsingle versionではイントロのアコギの部分をはじめ、かなりの部分がカットされています。いずれにせよレコードがすり減るほど聞きました。これは大げさな表現ではありません。この時点で私の中では完全にツェッペリン以上の存在になっていました。本当はalbumが欲しくて欲しくてしょうがなかったのですがあきらめざるを得ない状況にありました。
当時の音楽情報誌といえば”Music Life”でした。なんとG.F.R.が来日するという情報をこの雑誌から知ることになります。場所は大阪球場とありました。これには高校生という身分ながら、なんとしてもコンサートに行かなければならないという気持ちが高まり、実現に向けて行動を開始しました。ちょうどそのころ彼らの2枚組Live, ” Grand Funk Live”が発売されていました。なんと値段は3,000円もしていましたが、もうお金の問題ではない心理状態であったので即買いました。このアルバムにも相当、衝撃を受けました。トリオによるライブにもかかわらず演奏レベルが高く、どの曲も長尺なアレンジされているものの、会場全体のすさまじい熱気をレコードからでも十分感じ取ることができ、一人で興奮の坩堝(るつぼ)と化してしまいました。当時、私はrock少年であると同時にguitar少年でもありましたので、このライヴでのMark Farnerが弾いたギターフレーズを耳だけでほぼコピーしました。tab譜等がない時代にどうしてこのようなことが可能であったのか教えましょう。私自身、偶然ある方法を思いついたのです。
1970年頃、カセットテープレコーダーはすでに存在していたのですが、まだまだオープンリールが主役でした。オープンリールにはテープ速度を2段階に変えることが可能でした。これを利用して、まず普通速度で録音し、再生段階で半分の速度に落とします。まともには再生できませんが驚いたことに、音はオクターヴ低く再生されるので高速フレーズもいとも簡単に音の動きがわかったのです!この時、まさに魔法使いになった気持ちになりました。このようにして毎日々練習に励み、彼のfavorite phrasesを自分でも再生できるようになりました。話を戻しまして、このアルバムを聞いて事前にコンサートの流れを確認しました。しかしながらこのアルバムには”Sin’s A Good Man’s Brother”が収録されていませんでした。こんな名曲をなぜ演奏しないのか不思議でたまりませんでした。とにかく1971年7月18日、私は生まれて初めてライヴコンサート会場である大阪球場にいました。
やはりここで伝説にもなっている彼らの大阪公演に触れないわけにはいきません。この公演参加を実現させるために、どのようにしてチケットを確保したのか、またはどのようにして会場まで行き、帰ってきたのか、今でもはっきりと思い出せません。高校生だったので一人で行くには不安だったので、結局、あまりロックに興味のない親しい友人と連れだって行くことにしました。会場に着くと雨がだいぶ降っているにもかかわらずほとんどの人が傘などさしていませんでした。一塁側中段あたりの席でした。待っている間、大音量でrock musicが流れていました。今でも覚えているのはMoody Bluesの”Ride My Seesaw”です。大音量で聞くとこの曲の素晴らしさを再認識しました。いわゆる前座bandとしてFar out(宮下フミオの髪の長さは異常でした!)、麻生レミband(なんとベースは山内テツ!、ギターは陳信輝!)、最後に「霧のなかの二人」がヒットしていたCanadian band, Mashmakhanが登場しました。
最後のbandの演奏が終わる頃には会場内が騒然としてきました。2塁ベースあたりに設けられているステージ上でG.F.R.のためのセッティングが始まったからです。Mel Schacher, Mark Farnerが使用するampはとんでもない高さに積み上げられており、一体誰がどのようにしてコードをplug inするのかな等考えていました。もうこの頃にはだいぶ雨も小ぶりになり、会場に流れていた音楽も静かになってきたところで、R. ストラウスの交響詩、”Also sprach Zarathustra” (ツァラトゥストラはかく語りき)の壮大なイントロ部分が流れ始めました。それが終わるや否や突然、Terry Knightがstageに現れて”Grand Funk Railroad is here now.”のようなことを言った瞬間、「暴走列車」が動き出しました。予想通り”Are You Ready”でした。今でもこの曲が始まった瞬間のことを忘れることができません。私はもちろんのこと、周辺の観客が全く同じ行為をとったからです。皆さん、観客が何を始めたと思いますか?それは、ほぼ全員が両手で耳をふさいだことです。開始後すぐ鼓膜の震えを覚え、やや危険な予兆的なものを感じたからです。しかし、徐々にその音量・音圧に慣れはじめ、いつの間にかそれが不要になってきました。これほどの大音量の空間に長時間身をおいたのはこれがおそらく最初で最後であると断言できます。言葉で「とんでもないくらいの大音量」といってもなかなか理解してもらえないので私は「鼓膜が震えるほどの大音響」と言って語り継いでいこうと思っています。後になってこのコンサートのsetlistを確認するとencoreのInside Looking Outを含めて全7曲という構成でした。残念ながらというか予想通り、”Sin’s A Good Man’s Brother”は演奏しませんでした。すでに”Survival”も発売されていたのですがこのalbumからの選曲はありませんでした。とにかくGrand Funk Railroad 大阪公演は無事終了しました。
翌日が1学期終業式だったので夜行列車で家に朝早く到着しました。この時、面白いエピソードがあります。母親に「なんで今日はこんな朝早くから蝉がうるさいの?」と尋ねたら、母親は「蝉なんか鳴いてないよ。どうしたん?」と逆に質問されました。皆さんもお分かりかと思います。そうですG.F.R.コンサートの影響だと直感しました。その日は一日中、G.F.R.蝉の声にうなされていました。
ここからはまた別の話になります。私の通学していた学校は年配の方ならご存じかもしれません。「青春デンデケデケ」で一時、話題になった高校です。70年代に入ってもThe Venturesを崇拝する先輩方が、文化祭には必ずと言っていいほどVentures songsを演奏することになっていました。変な言い方をすればこの伝統を破ったのが私かもしれません。この当時、Ventures soundに影響を受けてないrock 少年に出会うのが難しいくらい、彼らの人気は圧倒的でした。私もこっそり楽譜を買い、しっかり練習したものです。しかし私はdistortion soundの方にひかれ、Greco SGを手に入れてからG.F.R.が作り出すsoundを必死になって追求する日々が日常化していました。結局、この1年後の1972年9月に念願であった文化祭に出演することができました。3人の編成でInside Looking Out, In Need, Into the Sunを初めて人前で演奏しました。Inside Looking Outではharmonicaを観客席に投げ込む演出も取り入れました。自分なりに完全燃焼した感がありました。
補足的なことですが、1970年、夏に「青春デンデケデケ」の作者、芦原すなおさん(当時は大学生と思われます)に彼の実家で実際にお会いする機会に恵まれました。私の従弟が彼と知り合いだったので偶然このような機会を持つことができました。具体的に何を話したのか忘れてしまいましたが、彼がGibson Les PaulCustom (black)を所有していてとてもうらやましく思ったのを覚えています。そのギターをまじかに見て自分もさらに高いレベル目指す気持ちを強く持つようになったのは鮮明に覚えています。あまりに大きな影響を受けたので帰りにYardbirdsのalbum,”Five Live Yardbirds”を買ったのも覚えています。余談になりました。
その後、G.F.R.の勢いはとどまることなく、何度か来日することになります。しかし私の興味関心がBritish hard rock (当時、heavy metalという言葉は存在しませんでした)に移り、Black Sabbath, Free, Budgie等を好んで聞くようになっていました。というのも、”We’re American Band”, “Loco Motion”がBillboard でChart 1になったことで、もう彼らの音楽性が初期には戻ることがないと判断したからです。その後、私はSabbath以上にheavyなbandを作り音楽活動を継続していました。
だいぶ年月が流れて時は2004年2月13日(金)になります。この日、大阪市内にあるコンサート会場、「なんばHatch」にMark Farnerがやってくることになったのです。この公演はG.F.R.としてではなくMark Farner bandのような形であったと思います。この会場は偶然にも、あの大阪球場(現在はなくなっています)から目と鼻の先の場所に立地しています。否が応でもかつての興奮を思い出さないわけにはいきません。時代が進んでもMark Farnerだけは自分にとって特別の存在なので、期待感が徐々に沸き上がってきました。大阪球場とは比較にならないほどcapacityは小さいものの、かつてのように天候の心配をする必要はありません。観客の年齢層は、あの当時のfanがそのままこの会場に移ってきたかのような印象を持ちました。またhome concert的な雰囲気であったのでほぼ観客全員がステージの近くで演奏を見ることができました。オープニングはFoot Stompin’ Musicでした。相変わらずMark Farnerはエネルギッシュな動きを見せ、元気いっぱいでした。コンサートも半分以上経過した頃、ついに私が心待ちにしていたあの”Sin’s A Good Man’s Brother”のイントロが厳かに流れてきました時、心の中で「おおっ!」と叫びました。ついに30数年経って私のまさに目の前でMark Farnerが”Sin’s A Good Man’s Brother”を演奏して歌っている現実に直面したとき、言葉で表現できない最大級の感動を覚えました。hard rockを聞いて涙を流すという不思議な体験をすることができました。このコンサートの満足度もきわめて高かったことを覚えています。
次にこれまで触れてなかったことを思い出しながらtriviaとして追加していきます。
trivia 1 まず、”Sin’s A Good Man’s Brother”はalbum,”Closer To Home”よりもかなり前に完成されていたという記事を読んだことがあります。個人的には彼らの前作である”Second Album”(Red Album)が彼らの最高傑作ととらえています。というのもこのalbumは徹頭徹尾hard rockで構成されており、それ以降の彼らalbumとは一線を画しています。つまりこのalbumに収録予定ではなかったかということです。
trivia 2 先にも書きましたが、singleとして発売されたにもかかわらず、なぜかこの曲と”Inside Looking Out”はBillboard Hot 100に入りませんでした。タイトルは日本語にすればで「どんなによい人でも罪を犯す」ということです。「他の人を非難する前に自分自身を省みることが重要である。」という解釈も可能かと思います。また、歌詞の終わりに部分に”You say we need a revolution? It seems to be the only solution.”「われわれには革命が必要かといっているのか?それはたしかに唯一の解決策のようだな」に見られるように、この当時、Americaはベトナム戦争の泥沼から這い出すことができず、社会的に大きな問題を抱えていました。おそらくこの歌詞の背後にはVienam Warがあったことが推測できます。彼らは5枚目のalbum,”E Pluribus Funk”の中でも明確なanti-war song, “People, Let’s Stop the War”を発表しています。
trivia 3 当時、噂になっていたことは、「彼らは実際にステージでは演奏はしていない。Terry knightがこっそりテープを流して擬似ライブをやっている」ということでした。これも真相はわかりません。
trivia 4 ”Sin’s A Good Man’s Brother”は発売されているofficial live で、単独曲としては収録されていません。Bosnia live で、Medley: Paranoid – Sin’s A Good Mans Brother – Mr. Limosine Driverという形式でのみ聞くことができます。
trivia 5 この曲はMonster Magnet, Sasquatch等いくつかのbandによってカバーされていますが、中でもThe Markus King Bandを率いる28歳のAmerican guitarist, Markus King の公式ライブ映像をYouTubeを通して見ることができます。まさに”Awesome!!”を連発したくなるくらいの出来栄えです。
本当の最後のpartになりました。私にとってMark Farnerはrock starになるために必要とされる全ての要素を持ち合わせたultra super rock starです。rock starの引き際を最近よく耳にしますが、彼には全く不要です。彼の存在そのものがrockしているので年齢は全く関係ありません。現在もMark Farnerだけでなく、Don BrewerとMel Schacherの二人もG.F.R.を継続させています。もしオリジナルメンバーでの再編成が実現し来日するとなればどんな心理状態になるのか楽しみでしょうがないです。どんなに時代が進んでも彼らから与えられた70年代初期の衝撃は私の頭から消え去ることは決してありません。Mark, Don & Mel, you have definitely changed my life!
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