2019年3月7日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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12月に最初にクォーターマスのアルバムについて原稿を書いてから、もう1回だけ続けて関連記事をと思っていたものが、とんでもない長さになって今回が4回目となってしまった。コラムが連続した話になってしまうのはよくあることだと思うが、正直なところ自分でも驚いている。少しでも先に進もうと思いながら部分的に省略していくものの書いているうちにどんどん書きたいことが湧いてきた。語ることのできる1枚のアルバムの大きさというものを改めて感じてしまった。無人島に持っていく1枚は何かというアンケートがあるが、当然私にとって「クォーターマス」が大好きな作品だが、決してワン&オンリーではなく他にも色々な作品が浮かんでしまうのになあ。このコラムに目を通していただいている方々にとっては、「またかよ。」と思われそうで、びくびくしながらも続けてきた。
今回も我慢して目を通していただけたらと思うが、本当は調べていくうちにもっと沢山のことが分かってきた。今後、他の話題の中でまた触れることはあると思うが、世の中にはもっと詳しい方がいて当然。どうして○○については何故言及しないのか!などと突っ込まれることもあるに違いない。関連アルバムとして、ZakarriasやMick FarrenのMofoなどはまた別の機会に・・・
季節は着実に「春」に向っている。しかし、ここ数ヶ月私の部屋で広げたままの散らかりきった資料の数々を片付けなければ私の春ははじまらないなあ。読んでいただいている方には感謝です。ありがとう。
クォーターマスの前身をエピソード・シックス(Episode Six)と見るのは、メンバー変遷の点でいえばその通りだろう。エピソード・シックスは1964年から69年まで活動を続けていた。当初から在籍していたのがロジャー・グローヴァー(Roger Glover)と紅一点シェイラ・カーター(Sheila Carter)の二人。65年にイアン・ギラン(Ian Gillan)が、68年にはミック・アンダーウッド(Mick Underwood)が参加する。バンドとしての活動も軌道に乗り、アルバムを作成しようとレコーディングに向ったところで、ギランとグローヴァーがディープ・パープルのメンバーとして引き抜かれてしまった。69年6月リッチー・ブラックモアとジョン・ロードが彼らのロンドンでのライヴを見たことがその原因だが、その仲介をしたのがブラックモアの昔から友人で、かつてアウトローズ(The Outlaws)というバンドでも一緒に演奏していたアンダーウッドだった。(後述) 主要メンバーを失ったエピソード・シックスは完全に窮地に追い込まれる。そこで新たにジョン・グスタフソンとピート・ロビンソンを加えてリハーサルを始めたのだが、今度はアンダーウッドがその2人とクォーターマスを結成するために脱退してしまう。それが69年の7月というから、クォーターマスの3人がエピソード・シックスで活動した時期はわずか1ヶ月しかないことになる。ロビンソンとグスタフソンは、バンドに名前のみ残したような格好だ。
エピソード・シックスのマネージャーは女性だったのだが、クォーターマスのマネージャーになってしまったことだ。その一方で残されたシェイラ・カーターはバンドを諦めずに同じく残されたメンバーを中心にギグやセッションでエピソード・シックスとして活動を続け、それが74年まで存続している。
クォーターマスはEMI傘下のHarvestと契約しアルバムを制作するわけだが、彼らの無知と若さが契約そのものの真意を見抜けずに常に経済的な困難に遭遇する。30人以上のオーケストラを導入してのレコーディングの費用もかさみ、それらも契約金から差し引かれた。アルバム発表後のアメリカでのツアーも金銭的なバック・アップはなく、70年のクリスマス、初めてのUSツアーの最中サンドイッチでしのぐしかなかったというのは悲しいエピソードだ。その後も各地でのツアーは続けるものの、経済的な苦しさは改善されず結局は彼らも解散を余儀なくされていく。2013年の英Record Collector誌にEsotericからの再発を受けてクォーターマスの特集記事が掲載されているのだが、そのタイトルは『One Cold Harvest』である。当初のマネージャーだった女性のあとをHarvestレーベルが引き受けているが、それらの事情に関してミック・アンダーウッドは大きく不満をぶちまけている。
今ではコレクターによって支えられている当時のマイナーレーベルから出されたレコード群。よく考えると1枚のみで消えていったバンドも多い。様々な事情はあるだろうが、多くは経済的に立ちゆかなくなったケースが多かったことは幾つも例が浮かんでくる。創作意欲に溢れた時代の「空気」は雰囲気として伝わるものの、レコード会社にとっては慈善事業ではなかったのは当然のことだ。各メジャーな会社が新たなレーベルを用意したことで当時の音楽シーンを特化したことは、今ではその魅力と遺産の恩恵に預かっているが、実際には当時のミュージシャンにとってはかなり混乱した状況に置かれていたのは間違いない。
しかし、ロビンソンは当時を振り返って、ビートルズが多くの録音を重ね、そしてフロイドが「原子心母」を録音したアビー・ロードで自分たちもレコーディングしたことを興奮して語り、アンダーウッドも「ラーフィン・タックル」での大人数でのセッションは壮観で素晴らしかったと語っている。そんなところに、彼らの音楽への真摯な愛情を垣間見ることができる。その後も音楽家として仕事を続けていくことになる原動力が不遇な時代にもしっかりと見える。そうしたたくましさがシーンを支えたのだろう。そのことが素直に嬉しい。
ジョン・グスタフソンは、クォーターマス結成以前のレコード・リリースの点でいえばメンバー中一番のキャリアを持っていた。ビート系のバンドとしてビッグ・スリー(The Big Three)、マージービーツ(The Merseybeats)での活動だけでなく、65年にはソロを中心としても何枚かのシングルも出している。さらには60年代後半にクォーテーションズ(The Quotations)としてもシングルを残している。中でもマージービーツ時代は、初期ビートルズとの交流エピソードも残されているほど印象的な時期だった。彼はベーシストではあるが、ヴォーカリストとしての力量も認められていた。
それまでの活動を大きく変えるきっかけとなるのが、70年の『ジーザス・クライスト・スーパースター』でのシモン役のヴォーカリストとしての参加だろう。このアンドリュー・ロイド・ウェバーとティム・ライスのミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』は70年代初頭の時代の雰囲気を作っていくことになる。アルバムとしてはあくまでも音楽作品だったのが、各地で舞台化されさらには映画もされることになる。テーマとなったタイトル曲は沢山のカバー・ヴァージョンを生み、けっこうなヒットを記録している。オリジナルとなるDeccaからのアルバムには、イアン・ギラン、マレイ・ヘッド(Murray Head)やマイク・ダボ(Mike D’Abo)らと並んでグレイシャス(Gracious)のポール・デイヴィス(Paul Davies)も主要ヴォーカリストとして参加している。また、ミュージシャン自体もブルース・ローランド(Bruce Rowland)、アラン・スペナー(Alan Spenner)、ヘンリー・マカロック(Henry McCulloch)、ニール・ハバード(Neil Hubbard)、クリス・マーサー(Chris Mercer)と並んでピート・ロビンソン(Peter Robinson)もピアノとエレキ・ピアノとして大きくクレジットされている。バック・アップとしてニュークリアス(Nucleus)からもジェフ・クライン(Jeff Clyne)、ジョン・マーシャル(John Marchall)、カール・ジェンキンス(Carl Jenkins)の3人や、クリス・スペディング(Chris Spedding)も当然のように参加している。セールス的には成功したものの、時代の徒花のようでその後大きな注目が集まらない印象があるが、英国ニュー・ロックの開花期の興味深い作品として改めて注目してもいいのではないだろうか。
同アルバムのクレジットを見ると、グスタフソンは「EMI」と「Quatermas(Air London)」の許可を得ての参加になっているが、ロビンソンは「Air(London)」のみの許可となっている。何故だろう?
彼は、クォーターマス解散後ハード・スタッフ(Hard Stuff)としてパープル・レーベルからの2枚のアルバムを発表する。このバンドは元アトミック・ルースター(Atomic Rooster)のジョン・デュカン(John DuCann)、ポール・ハモンド(Paul Hammond)との3人編成のバンドだ。最初にオファーがあった時にグスタフソンはアトミック・ルースターに参加するものと思っていた。しかし実際にはデュカンもハモンドもアトミック・ルースター脱退寸前の時期だったこともあり、彼らとの新たなバンド構想に変わっていくわけだ。なお、ヴィンセント・クレイン(Vincent Crane)のほうはそのままメンバーを入れ替えてバンド名をそのままにDawnからアルバムを出し活動を続けていくことになるのだが・・・。
デュカンとハモンドにグスタフソンを加えたバンド周辺にはトラブル続きだった。実際ハード・スタッフとしてもレコード・リリースまではかなりの難産となる。最初のアルバム・リリースは72年になるのだが、70年から71年にかけてじつは既にデモン(Daemon)として録音を完成させている。バンド名をバレット(Bullett)に変更し、いよいよ本格的な活動を考えていたときに、米国に同じ名前のバンドが存在することがわかり、さらにバンド名の変更を余儀なくされ、ようやくハード・スタッフとなる。最初の作品は『バレット・プルーフ(Bullett Proof)』だが、バンド名にも、アルバム・タイトルにも大きな皮肉を読み取ることができる。その経緯の中で、最初のメンバーとして在籍したアル・ショウ(Al Shaw)というメンバーの存在がいつの間にか消えてしまっている。
こうした事情は、ハード・スタッフのアルバム自体の何度かの再発と、最近コンプリートなコンピレーション『Hard Stuff /The Complete Purple Records Anthology』(PURPLE 010D)でも明らかになっている。さらには幻の前身バレットの『Bullett/The Entrance To Hell』(Angel Air SJPCD281)2010でも音源と同時にライナーにも詳細な記載がある。アンオフィシャルではあるがDaemon音源もキッシング・スペル(Kissing Spell KSCD9491)1994として確認することができる。
実際に、ここでのグスタフソンの役割はじつに大きく、残された2枚のアルバムの約半分をコンポーズし、同時にヴォーカルも取っている。ベースもヴォーカルも独特な味わいがあり効果的だ。「元アトミック・ルースター、元クォーターマスのメンバーによるハード・ロックの化学変化」とも呼べるような面白い作品に仕上がっている。
しかしながらバンドに関しての不運はさらに続き、セカンド・アルバム『ハード・ロック・トリオ(Bolex Dementia)』を73年に出す直前、今度はデュカンとハモンドの乗った車が事故に遭い、2人とも大ケガをしてしまう。特にハモンドは両足の複雑骨折、デュカンのほうは事故の瞬間に死んだと思うほどの衝撃だったらしい。忌まわしく見えるジャケットデザインの理由はそんな事情にあるし(でもこのジャケは好きになれない)、クレジットには彼らが入院していた病院に捧げられている。自虐的な外見を持つアルバムではある。幸いグスタフソンは難を逃れているが、ハード・スタッフは消滅することになる。
この時期に彼がスウェーデンで参加した73年の『バルティック(Baltik)』を紹介しておきたい。クォーターマスのアルバムをプロデュースしたアンダース・ヘンリクソン(Anders Henriksson)はスウェーデン人なのだが、グスタフソン自身も彼の祖父がその名からわかる通り北欧人だ。そのヘンリクソンが母国で作成したプロジェクト的な作品なのだが、これが素晴らしい作品だ。1曲目から勢いの感じられるハード・プログレなのだが、叙情的な曲調が各所に効果的に散りばめられている。ヤン・シェファー(Jan Schaffer)やP.J.リンド(Pjorn J-son Lindh)といった素晴らしいミュージシャンの若々しい時代のイマジネイティヴな演奏を堪能できる。また2人の女性ヴォーカリストの歌声も魅力的だ。グスタフソンは1曲を提供し、演奏だけでなくリード・ヴォーカルも3曲を担当し、彼らしい歌声を十分に聞くことができる。これまであまり紹介されてこなかったことが不思議に思える。この作品はCD化されているので、聞くことは可能だろう。(Green Tree GTR 622)
ここでプロデューサーのアンダース・ヘンリクソンだが、調べてみると彼もじつに興味深い。最も印象的なのがキング・クリムゾンの71年の『アイランズ(Islands)』や、PFMの世界デビューのきっかけとなった73年の『幻の映像(Photos Of Ghosts)』でエンジニアとして参加していることだ。前者のタイトル曲「アイランズ」と後者の冒頭の「人生は川のようなもの(River Of Life)」の静寂を上手く料理して構成した手腕はもっと認知されていっていいだろう。彼については興味尽きない部分が大きいので、また機会を改めて取り上げてみたい。
また話がどんどん脇道にそれてしまうのでグスタフソンに戻ると、その後の活動はロキシー・ミュージック(Roxy Music)、イアン・ギラン・バンド(Ian Gillan Band)へとつながっていく。この辺りはこれまでかなり語られた作品群なので端折っていくが、まずはロキシー・ミュージックでは4枚のアルバムに参加している。73年の『ストランデッド(Stranded)』『カントリー・ライフ(Country Life)』『サイレン(Siren)』と3枚目から5枚目までの3作品でベーシストとして参加。(続く76年の『ビバ(Viva!)』はライヴなのだが収録された時期的が広いこともあって後任のジョン・ウェットン(John Wetton)が大きくクレジットされ、グスタフソンはその下に3人のベーシストのうちの一人として添えられている。)
このロキシー・ミュージックはデビュー時にベーシストに関して若干の混乱劇があったせいか、正式なメンバー扱いにならなかったのが悲しいところ。演奏場面でグスタフソンが映る瞬間はあるものの、ジャケット内のメンバー写真には入らないことが多かった。残念。ただ、ある時期バンドから正式にメンバーにならないかという打診もグスタフソンにはあったようだが、他のセッションとの関係もあったためか、断ったことが彼のインタヴューからうかがえる。
グスタフソンのベースの腕はもちろんだが、ヴォーカリストとしての魅力を感じる者としては、ロキシー・ミュージックでの彼の存在には物足りなさがあった。そんな中、彼が次に加わったのがイアン・ギラン・バンドだから、またしてもベーシストに徹することになる。イアン・ギランとはエピソード・シックスでの活動は重ならないが、その後の『Jesus Christ Superstar』での参加は一緒だ。ただ同時にセッションしたかは分からないが、英国ロック・シーンを支えてきた連中の巻き返しの時期ととらえることができるだろうか。
イアン・ギラン・バンドでは、76年の『チャイルド・イン・タイム(Child In Time)』『鋼鉄のロック魂(Clear Air Turbulence)』『魔性の勇者(Scarabus)』『ライブ・イン・ジャパン(Live At The Budokan)』に参加している。(ちなみに、『ライブ・イン・ジャパン』は77年9月の武道館公演で、日本ではVol.1,2と2枚に分けて出され、英国盤が2枚組で発売されていた。そして、ここでグスタフソンも来日していることになる。)
個人的な印象になるが、『チャイルド・・・』では何かすっきりしない作品だったが、続く『鋼鉄の・・』と『魔性の・・』は結構面白く聞いたものだった。ディープ・パープルの印象を引きずるのではなく、ファンキーでハード・フュージョンのような力強さを感じた。今聞いてもなかなかにエキサイティングだ。その理由はギターのスペンサー・デイヴィス・グループ(Spencer Davis Group)にいたレイ・フェンウィック(Ray Fenwick)や、グスタフソンといった技巧派のメンバーに加えて、コリン・タウンズ(Colin Townes)がキーボードに加わったことがあると思う。彼の名前はこのアルバムをきっかけにプログレ・ファンに伝わっていく。しかし、何よりもイアン・ギラン自身に残っていたパープルの影が潜んだことが大きな要因であるだろう。
グスタフソンに限っていえば、その歌声は若干のハーモニーとして聞けるだけだが、ベースでは結構自己主張して前面に出る部分もある。
ちょうど、ロキシーとパープルの間にはさまる時期に、ロジャー・グローバーが主催した『バタフライ・ボール(Buttefly Ball)』のレコーディングがあった。パープル関連のメンバーが勢揃いして童話をミュージカル仕立てにするという意外性を持ったコンセプトだったが、これがじつに面白かった。
John Gustafson / Watchout For The Bat
「ロジャー・グローヴァー/バタフライボール」 のステージより
そして、グスタフソンは76年に自身のソロ・アルバム『Goose Grease』をレコーディングしている。この作品は当時発表されず、20年後の1997年に英Angel Airから初めてCDとなってリリースされた。(Angel Air SJPCD 008)アルバム・タイトルは彼のニックネームGus(Gussie Goose)に引っかけたもので、いかにもパーソナルな感じのする作品。バリー・デ・スーザ(Barry Desouza)やアン・オデル(Ann Odell)、モリス・パート(Morris Pert)らお馴染みの面々を含め、セッションワークで一緒だった気の置けない仲間と3週間で作り上げたものだ。全曲彼のオリジナル。全く派手さはないが、彼が関わってきたセッションでの大きな経験が良さとなっていて面白く聞くことが出来る。
それ以外に私が彼の関わったアルバムとして興味深いものを2枚紹介しておきたい。
Gordon Giltrap/Live At Oxford (1979)
ゴードン・ギルトラップ(Gordon Giltrap)とは79年の2枚のアルバムでグスタフソンは参加している。有名な『Peacock Party』では2曲のみの参加だが、もう一枚にあたるこの『live at oxford』では全編グスタフソンがベースだ。さらにドラムがイアン・モズレー(Ian Mosley)。モズレーはマリリオン(Marillion)のメンバーとしての認知度が高いと思われるが、プロとして初仕事となるダリル・ウェイとウルフ(Darryl Way & Wolf)の3枚のアルバムでのシャープなドラミングが印象的だった。それだけに、グスタフソンとモズレーのリズム隊が期待通りの演奏を聴かせてくれているので嬉しいアルバムだ。
Jack-E McCauley’s Poor Mouth/Gael Force (1991)
70年にトレイダー・ホーン(Trader Horn)として、『朝の光の中で(Morning Way)』(’70 Dawn)を、さらにソロとして『ジャッキー・マッコーレー(Jackie McAuley)』(‘71 Dawn)と2枚ともに名作と呼べる印象深い作品を出していたマッコーレーが、久しぶりに90年代に入ってから出したアルバム。もともとベルファスト出身の彼が血筋に従ってケルト風味を加えたフォーク・ロック作品となっている。グスタフソンの他には、ドラムがジェスロ・タルの初代ドラマー、クライヴ・バンカー(Clive Bunker)、ストローブス(Strawbs)の80年代から90年代に参加するキーボード、クリス・パレン(Chris Parren)等が参加している。開放的で明るい音楽性を持っているが、なかなか見かけない作品でもある。Jig風のアップテンポの曲で、グスタフソンらしいベース・プレイが聴けるのでこれはお勧めだ。ステイタス・クォ(Status Quo)のアルバム『1982』に含まれた「Dear John」は、グスタフソンとマッコーレーの共作曲で、二人が一緒に演奏したのもかなり長い期間にわたっているようだ。その「Dear John」は82年に英国チャートで10位になっている。
グスタフソンの80年代は紹介した2枚のアルバムに挟まれた時期で、パイレーツ(The Pirates)としての活動が中心だった。その後、2000年代に入ってもあまり目立つことはなかった。そして、2014年9月12日に亡くなっている。72才だった。
振り返ってみた時に、クォーターマス時代の彼のプレスでの言動は、素っ気なくぶっきらぼうなものが多かったように思えた。しかし、実際にはユーモラスで気さくな性格を持っていて一緒に演奏した仲間から慕われていた。2013年にロビンソンがクォーターマスのリミックスを行った時に、病床のグスタフソンを見舞いに行きその完成を伝えた。彼はかなり具合が悪そうに見えたが、そのリミックスを聞いて親指をあげてgoodのサインを送ってくれたという。そのことが本当に嬉しかったとロビンソンは回想している。
リッチー・ブラックモアの初期バンドであるアウトローズ(The Outlaws)で一緒に活動していたアンダーウッド。その後のエピソード・シックスの顛末も含めて、なにかとディープ・パープルの影に隠れた存在という印象がつきまとうのだが、彼自身もそのことに気にしていたのではないだろうか。
何となく気づいてはいたが、ロビンソンともグスタフソンともクォーターマス解散後に一緒に活動することはなかった。それは偶然というよりも、アンダーウッドの意識的に避けてきたように思える。
イアン・ギラン・バンド時代グスタフソンが関わり、その後バンド名がギラン(Gillan)に変わりグスタフソンが抜けた後で同バンドに参加しているというのも、偶然ではなく機が熟すのを待っていたという印象だ。
彼はクォーターマス解散後に、71年夏にフリー(Free)を解散したポール・ロジャース(Paul Rogers)のピース(Peace)に加わる。そこでのセッションはアンダーウッドにとって新たな活路を見いだしたように思えたものの、ロジャースは年末になって一度解散したフリーの活動を再開することになる。
わずか半年ほどでの活動再開は、フリーが解散したことが原因でポール・コゾフ(Paul Kossof)の喪失感から薬物依存が進んだために、その救済のためだったと伝えられる。
結局ピースは短期間の活動で終ってしまう。フリーの活動再開にあたって、山内哲夫(Tetsu)やラビット(Rabbitt)が新メンバーとして加わるものの、ドラマーにはフリー時代のサイモン・カーク(Simon Kirk)が再び参加することになる。アンダーウッドには声がかかるはずはなかった。
Peace / Heartbreker 1971 BBC Session
フリーが一度解散し、活動が休止した際のピースとしての珍しい音源。翌年フリーとして活動再開した際に、アルバムタイトルとなった曲を演奏したもの。71年11月にBBCで録音した3曲のうちの1曲。もちろんドラムはアンダーウッド。フリーの演奏との違いを聞き取ることができて興味深い。
彼の経歴の中にはそうした場面がいつもつきまとっている。その始まりをもう一度振り返っておく。
エピソード・シックスにいたイアン・ギランをディープ・パープルのヴォーカリストとして紹介したのはアンダーウッドだ。しかし、ロジャー・グローバーまで一緒に引き抜かれてしまうとは考えてもいないことだった。
それは、エピソード・シックスの演奏を見たリッチー・ブラックモアと、ジョン・ロードの考えだったようだ。その結果がパープルのベーシストだったアンダーウッドの親友であったニック・シンパー(Nick Simper)がクビになるということを意味していた。よかれと思った配慮の結果が大きな代償を伴ってしまったことに、彼自身も大いに悩んだことを後に語っている。確かにイアン・ギランのヴォーカリストとしての実力はエピソード・シックスでは十分に発揮出来ていたとは言えなかった。だから、アンダーウッドがギランをディープ・パープルに紹介したことは決して間違ってはいなかった、と誰もが納得することではあるのだが。
時代をさかのぼるが、彼はアウトローズ後、エピソード・シックスに加わる前に、ハード(The Herd)の初期(65年-66年)に参加している。ハードは今ではピーター・フランプトン(Peter Frampton)がいたバンドとして知られており、ヒット曲「夜明けを求めて(From The Underworld)」(英6位67年)、「失楽園(Paradise Lost)」(英15位67年)「二人だけの誓い(I Don’t Want Our Loving To Die)
(英5位68年)も持っているが、フランプトンが参加するのも、大ヒットを出すのもアンダーウッドが抜けてから後のことだ。そこでも、彼は幸運から遠いところにいた。
アンダーウッド自身がハード脱退後、エピソード・シックスに移る場面でも大きな出来事があった。
アンダーウッドは、有名な(悪名高くもある)プロデューサー、マネージャーであるピーター・グラント(Peter Grant)から、「ジミー・ペイジと新しいヤードバーズのプロジェクトに取り組んでいる。」という話を聞かされたのだ。その場にはテリー・リード(Terry Reid)のマネージャーもいて、「テリーに新プロジェクトのヴォーカルを頼むことを考えている」ことを知り、「何かあったら君(アンダーウッド)にも電話する」と伝えられた。ちょうど、その頃ハードにいたアンダーウッドはエピソード・シックスからも誘いを受けており、グラントの話をどうするか迷いながらも結局エピソード・シックスに加入することを決める。その後のニュー・ヤードバーズにはテリー・リードの参加もなく、アンダーウッドに電話がかかってくることもなかったのだが。この場面で、アンダーウッドがグラントの話に「面白い話だね。俺も前向きに考えてみるぜ」なんて言葉を返していたら、英国ロックの歴史は変わっていたかも知れない。
テリー・リードがレッド・ツェッペリンのリード・ヴォーカルの候補にあがっていたことは結構有名なエピソードだ。しかし、アンダーウッドにも声がかかりそうになっていたことについては今回調べて初めて分かった。結果としてロバート・プラント(Robert Plant)とジョン・ボーナム(John Bonham)がその座を射止め、とてつもない大きな存在のバンド、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)が誕生するのは周知の通りだ。
彼のことを「ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンというその後(将来)のビッグ・ネームと関わり続けながら、どこかすれ違ってきた男ミック・アンダーウッド」と呼びたくなってくる。でも、そうした経緯があるからこそクォーターマスが生まれることになるのではあるが。
アンダーウッドの残念話を続けてしまったが、それでもクォーターマス後に彼が結成したバンドがある。『サミー(Sammy)』(Philips ’73)としての唯一のアルバムだ。
サミーは、まずメンバー構成だが、オーディエンス(Audience)にいたキース・ジャメル(Keith Jammell)、ジンハウス(Ginhouse)のジェフ・シャーキー(Geoff Sharkey)、ロイ・ヤング・バンド(Roy Young Band)にいたポール・シモンズ(Paul Simmons)、そしてミック・ホッジキンソン(Mick Hodgkinson)という英国ロック・マニアから見ると何とも魅力的な布陣。キース・ジャメルの管楽器が全体に目立っている。彼はオーディエンスでも独特な演奏を聴かせていたが、ユーモラスというか不思議な旋律を持っていて彼の立ち位置がまずバンドの個性となっている。キーボードのミック・ホッジキンソンに関しては、前年にシルバーヘッド(Silverhead)の1枚目のキーボード・アレンジを手がけている手堅いプレイヤーだ。アンダーウッドを含めて他のメンバーもそつなく演奏をこなしている。A・B各面の中間に配置された「Boggle」という1分弱の曲が奇妙な味わいをみせている。残念ながら1枚のアルバムを出しただけで消えてしまった。バンドとしては約1年間過ごしたというが、アンダーウッドにしてみれば、クォーターマスのようなアイディアを持ったバンドではなかった。その一員として活動するよりはセッションで過ごした方が気分は楽だという判断に立つきっかけになってしまった。実際、しばらく(1年ほど)はフィリップ・グッドハンド・テイト(Phillip Goodhand-Tait)と活動を共にしてくらいだ。
満を持して、次に動き出すのがストラップス(Strapps)への参加だ。
ストラップスは、4枚のアルバム『貴婦人たちの午后(Strapps)』(76年)、『シークレット・ダメージ(Secret Damage)』(77年)、『愛のプリズナー(Prisoner Of Your Love)』(78年)『炎の衝撃(Ball Of Fire)』(79年)を残す。74年の12月にはステージに立っていた資料があるので実際の活動はその前ということになろうか。中心人物はロス・スタッグ(Ross Stagg)でオーストラリア出身。アンダーウッドが彼を見出しロジャー・グローバーに紹介。75年8月にデモテープを作成しEMIに売り込んだ。その結果76年2月からKingswayスタジオでレコーディングに入り『貴婦人たちの午后』を完成させる。
デビュー・コンサートはディープ・パープルと一緒に回っているので、ここでもアンダーウッドがパープル人脈を使っての仕掛け人となった。そうして英Harvestから出された(!)アルバムは、英本国ではまずミック・ロック(Mick Rock)が撮影したジャケットにケチがついてしまった。
その理由について国内盤ライナーに記載されたニュー・ミュージカル・エクスプレスのコメントを紹介しておきたい。「フェティシズム(性倒錯)、バイセクシュアル(両性愛)、パラノイアック(偏執狂)・・・・・・彼らの作りあげる歌はまるで『時計じかけのオレンジ』の世界だ。彼らのデビューは英国の若者に痛烈なショックを与えた。そして、それは今後も大きな波紋を呼びそうだ。」
そんな複雑な紹介の中で英本国では苦戦を強いられるが、日本ではそんなスキャンダルはものともせずに寛容に紹介された。グラム・ロックの延長にもとらえられていた印象がある。さらに翌年に出されたセカンドの『シークレット・ダメージ』は日本人のイメージするハード・ロックらしさが強く感じられ、彼らの名前は定着しそこそこの人気を誇った。しかし、70年代中期から後期にかけてはニューウェイヴ、パンクが吹き荒れる時代で、デビュー当初のマイナスの印象を引きずっていたせいか、3作目は英国ではHarvestの番号まで用意されたものの日本向けの作成となり、ついに最後の作品は日本盤でのみのリリースとなっている。
しかし、ストラップスとの活動を終えると、彼はつきあいの長かったイアン・ギランといよいよ一緒に活動を共にすることになる。(ストラップス自体はアンダーウッドの脱退を受けて解散、ロス・スタッグはオーストラリアに帰ってしまった。)
イアン・ギランはそのバンド名をシンプルにギラン(Gillan)と改めたところだった。最初のアルバムは『ミスター・ユニバース(Mr Universe)』(79年)だが、その前年に『ギラン(Gillan)』(Eastworld EWS-81120)という日本だけで発売されたアルバムが元になっている。(日本のライセンスを受けオーストラリア盤も存在しているようだ。)その後CD時代になってから『Gillan/The Japanese Album』としてRPMやパープル・レーベルからリリースされているが、曲の重複もあるものの別アルバムとして考えた方がいいだろう。
その後は、『グローリー・ロード(Glory Road)』(80年)、『フューチャー・ショック(Future Shock)』(81年)、『マジック(Magic)』(82年)、『ダブル・トラブル(Double Trouble)』(83年)と順調にリリースを続けていくことになる。
イアン・ギラン・バンドに続いて参加しているコリン・タウンズと、新たに加わったギタリストのバーニー・トーメ(Bernie Torme)の力もあってコンスタントな活動を続けていく。ベースはジョン・マッコイ(John McCoy)、もちろんギランもアンダーウッドのパワーも衰えることはない。アンダーウッドにしてみると、ここに来てストラップス、ギランとバンドの一員として、ようやく安定した時期にたどり着いたと言える。30代半ばの年齢である。
衝撃のニュースは97年になって突如『クォーターマス II (Quatermass II)』が発売されるという情報が伝わり日本では10月に発売された。国内盤のCD帯には「‘70年にたった1枚のアルバムを残したのみで解散した伝説のHRバンドが四半世紀の時を超え復活!」と書かれている。その登場自体に違和感があったのだが、そのコピーを見てやはり彼らの唯一のアルバムが(単純に)HRとしてとらえられていたことに幾分落胆した。まあ仕方ないことではあると了解するのだが。
オリジナル・メンバーはアンダーウッド一人だが、もう一人気になるメンバーとしてニック・シンパーがいた。先ほど触れたようにアンダーウッドの親友で第1期ディープ・パープルのベーシスト。パープルの脱退後はVirtigoからウォーホース(Warhorse)として伝説的な2枚を出すことで、クォーターマス同様に廃盤になってからマニアックな人気を呼んだバンドのメンバーだ。あとはギターにゲイリー・デイヴィス(Gary Davis)、ヴォーカル/ギターにバート・フォーリー(Bart Foley)という全く知らない名前。ただゲストのキーボード・プレイヤーとしてドン・エイリー(Don Ailey)が参加している。
正直言って、最初に聞いた印象は全く面白さを感じなかった。こうして復活劇を演出するバンドは過去にもあったが、オリジナル・メンバーが一人いるだけでその名を名乗ることは不誠実だと思った。音楽界にあっては、バンド名の使用にあたっては、どろどろとした確執がたくさんあるのは確かだ。
クォーターマスの2人のメンバーはこのアルバムの登場についてどう思ったのか。
後になって、グスタフソンはこのアルバムについて「売れることを考えたのだろうな」と語り、2013年になってロビンソンは、「ギターをベースにした全く違うバンドだ、IRAのようなものだ!」と突然のバンド名復活をアイルランド紛争の共和軍に例えて語気を強めて語っていた。それに応えて、当事者となったミックは「当時の活動で、リハーサルで準備を整えるために使っていた仮称だった。その名を使われるなんて望んではいなかった。私自身も不愉快だった」と言い訳とも思えるような答えをしていた。どちらにしても、オリジナル・メンバーにはその名の使用が伝えられていなかった。
時が経ち今になって改めて気づくのは、メンバー個々にクォーターマス以前もその後も一本の線としての歴史を持っているという当たり前のことだ。そんな中で、3つの線が1点で交わる瞬間があり、そこに位置する作品『クォーターマス』(Harvest SHVL775)を生み出した。3人のメンバーにとってはもちろんのこと、録音に関わった者すべてにとってもそれは文字通り一点に集約された瞬間の記録だった。これまで述べてきた通り、周辺の仲間たち(ポール・バックマスター、アン・オデルら)にとっても特別な瞬間だったであろうと私は受け止めている。
クォーターマスという名前とは造語のように思えるがBBCで1953年から放映されたドラマ・シリーズのタイトルで、その主人公が「クォーターマス博士」だった。日本で言えばやはりその昔放送された「ウルトラQ」や「アンバランス」といった番組のようなものだろう。
ロビンソンがグスタフソンと初めて会った当時、小さい頃からよく聞いてきたBBCのコメディについて話し合ったという。そんな中からコメディではなかったが想い出としてクォーターマスのドラマの話題にもつながっていったのだろう。
私は、クォーターマスのアルバムにはプログレとかハード・ロックの要素はもちろんだが、やはり現代クラシック的な要素と、ロックにストリングスを大々的に取り入れた「複合音楽」の最初期の作品の一つだと認識している。そして、3人のメンバーの感性が交錯し、カオス(混沌)を感じさせるスポンテニアスなライヴ感覚がその魅力だったと信じている。クォーターマスは既に過去のものではあるが、逆に(静かに)英国ロック界の通奏低音のように今も影響を持ち続けていると言えるだろう。
ロビンソンとグスタフソンが、74年にショーン・フィリップスのツアー・メンバーとしてコンサートの中で、彼に「クォーターマス」と促され演奏したことは触れてきた。その時に海外の音楽紙では「クォーターマス再編成」、「クォーターマス2」などと記事に書かれた。しかし、そこにアンダーウッドはいなかった。
ロビンソン主導の2013年のEsotericのリミックス作業と同時に、その再編成の事実がライナーに明らかになり、ボーナストラックとして音源まで収録されている。しかし、アンダーウッドも、そのリミックス作業とボーナストラックに対しても好意的に受け止めていていた。アンダーウッド自身にとっても70年のバンド活動、エキサイティングなアルバム作成、苦労したツアーも自分の中にあって大きな意味を持つ場面だったことは、彼の声として様々に語ってきている。
ロビンソンはTVや映画といったフィルム・ミュージックの仕事を続け、アンダーウッドはグローリー・ロード(Glory Road)というバンドを率いて現役でドラムを叩いている。グスタフソンは、もういない。
ロビンソン、グスタフソン、アンダーウッドの3人がもう一度集まって演奏してほしいという思いは、グスタフソンがなくなった時点でもう叶わぬ夢になってしまった。しかし、クォーターマスという大きな星が輝いていたという事実とその記憶はこれからも消えることはないだろう。
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後にSUN TREADERを経てBRAND Xへと加入することとなるPete Robinson、HARD STUFF、ROXY MUSICなどで活躍するJohn Gustafson、STRAPPS、GILLANへと参加するMick Underwoodによるキーボード・トリオ。Harvestレーベルからの70年作。その内容はハード・ロックを基本にクラシックやジャズなどの手法も使い分けるPete Robinsonのオルガンをメインに据えたヘヴィー・ロックの名作であり、オルガンのほかにピアノやハープシコードなどで巧みに表情を変え、楽曲によってはストリングスも導入したシンフォニック・ロック的な音楽性も聴かせます。
デジパック仕様、Peter Robinson自身による5.1 SURROUND SOUNDミックス音源を収録したDVDをプラスしたCD+DVDの2枚組、NTSC方式、リージョンフリー
オーストラリア出身で渡英したRoss Stagg(Vo、G)を中心に、元QUATERMASSのドラマーMick Underwood等で結成されたブリティッシュ・グラム/ハード・ロック・バンド。EMIハーヴェストから76年にリリースされたデビュー作。写真家Mick Rockによるジャケット、リリース当時の『貴婦人たちの午后』という邦題がイメージできる通りの背徳感たっぷりのサウンドが持ち味。オープニングの代表曲「School Girl Funk」からキレッキレで、ストレートに突っ走るパワフル&タイトなリズム、ファンキーにうねるクラヴィネット、パンキッシュに切れ込むエレキ・ギター、そして、Ross Staggによる現実逃避的でセクシャルなヴォーカルと歌詞世界。モダン・ポップの捻くれ、グラムのギラギラさ、ハード・ロックのエッジ、パンクの剥き出しのエネルギーなどがぶつかりあった痺れるサウンドが印象的です。その他の曲も尖りまくった佳曲ぞろい。これは快作です。プロデュースは、ロジャー・クローヴァー。
ヴォーカル&ギターのRoss Staggが出した募集に、元QUATERMASSのドラマーMick Underwoodが応募したことがきっかけに結成されたブリティッシュ・ハード・ロック・バンド。グラム・ロック色の強かった76年デビュー作からサウンドをすっきりさせ、エッジの立ったハード・ロックを聴かせる77年作2nd。アルバムは名曲「Down To You」で幕開け。英国的な気品と幻想性に満ちたオルガンと多声コーラスのイントロ、そこに切り込むシャープなギター・リフと飛翔するムーグ・シンセ!そして、疾走するタイトなリズム隊、絞りだすようにシャウトするエネルギッシュなハイ・トーンのヴォーカル!その他の曲も、「ポスト・ディープ・パープル」としてプロモーションされたのも納得なスピード感と切れ味で畳み掛けるハード・ロックの佳曲ぞろい。英ハード・ファン必聴の名作です。
QUATERMASSのドラマーMick Underwood、AUDIENCEのサックス奏者Keith Gemmell、GINHOUSEのギタリストGeoff Sharkeyなどにより結成された英ハード・ロック・グループ。ジョン・ロードのプロデュースで73年にリリースされたデビュー作。鋭角に切れ込むアグレッシヴなギター、炸裂するジャジーなサックス、アクの強いシャウト・ヴォーカル。オープニング・ナンバーからアクセル全開で突っ走ります。R&B調のアコースティックなナンバーも英国臭ぷんぷんで良い感じ。エッジの立ったヘヴィネスとR&Bルーツの陰影とがブレンドしたサウンドはソリッドでハイレベル。これは英ハード・ファン必聴です!
英国ブルースHRの礎を作った名バンド、FREEの代表作。1970年発表、3RDアルバム。まず、タイトル曲「FIRE AND WATER」が最高。リズム隊の骨太なグルーヴに、ソウルフルなポール・ロジャースのヴォーカルが映えるサビはもちろんのこと、その後に続くポール・コゾフによる哀愁溢れるメロディアスなギターソロが溜まりません。ピアノがバックで転がっているのもナイス!FREEの代名詞的名曲「ALL LIGHT NOW」は、ポール・コゾフが刻む、シンプル且つキャッチーなギターリフが心地良く響きます。従来のブルース・ロックにはない溌剌としたエネルギーが満ちており、聴くたびに活力が沸いて来ます。他の楽曲も総じて素晴らしく、正に英国ブルースHRの入り口たる名盤です。
封筒型紙ジャケット仕様、リマスター、ボーナス・トラック7曲、切手型ステッカー封入、内袋付仕様、定価2141
盤質:傷あり
状態:
帯有
若干黄ばみあり、紙ジャケに軽微な糊汚れあり
5枚組、トールデジパック仕様、ブックレット・アウターケース付き仕様、デジタル・リマスター
盤質:全面に多数傷
状態:並
いたみあり、DISC5の盤面にビニール跡あり
ブライアン・フェリー(Vo)、ブライアン・イーノ(Key)を中心に、フィル・マンザネラ(G)、アンディ・マッケイ(Sax)など、後に英ロック・シーンを引っ張っていく名ミュージシャン達により結成された名グループ。グラム・ロック全盛の71年にリリースされたデビュー作。プロデュースは、キング・クリムゾンでお馴染みのピート・シンフィールド。オープニング・ナンバーからテンション全開で、吹き荒れるアンディ・マッケイのサックス、叩きつけるようなノイジーなフィル・マンザネラのギター、四方八方から飛び込んでくるブライアン・イーノのシンセが左右チャンネルをエネルギッシュに駆け回ります。極めつけは、ブライアン・フェリーのわざとらしいヴィヴラート・ヴォーカル!個性がぶっ飛んだメンバーが全速力でぶつかりあったサウンドは、グラム・ロックのカテゴリーに収まらない破天荒さでいっぱい。ロックンロールやドゥ・ワップなどオールド・タイムな音楽を詰め込みつつ、圧倒的にアヴァンギャルドに、かつおもちゃ箱をひっくり返したようにポップに聴かせる、英ロック史上に残る傑作です。
ブライアン・イーノ在籍時最後の作品となる73年の2nd。前半と後半でプロデューサーが変わっていて、次作も手がけるクリス・トーマスがプロデュースした前半は、1stの延長線上のアヴァンギャルドかつポップな作風、初期ジェネシスも手がけたジョン・アンソニーがプロデュースした後半は、怪しくもアーティスティックな作風が特徴です。オープニングの「Do The Srand」から相変わらずにエキセントリック!シャープなリズムを軸に、フィル・マンザネラが鋭角なフレーズで切り刻み、アンディ・マッケイがサックスをぶつけ、イーノのシンセがおもちゃ箱をひっくり返したようなポップさを加えます。ブライアン・フェリーのきわものヴィヴラード・ヴォーカルもキレをましています。一転してダークに後半の幕を開けるのは、ビニール人形を愛する男を歌う「In Every Dream Home A Heartache」。エコーするイーノのシンセサイザーに揺れるようなアンディ・マッケイのサックスとフィル・マンザネラのギターが絡み、そこにブライアン・フェリーが淡々と言葉をのせて妖しい空間を作り出します。「狂気」に満ちたうねるようなギターソロも圧巻。各音とそのぶつかり合いはぶっ飛んでいるのに、全体としては洗練させて聴かせるのがこのグループの恐るべきところで、アヴァンギャルドかつポップな初期ロキシーの魅力が詰まった名作!
デジタル・リマスター、HDCD
盤質:無傷/小傷
状態:良好
ケースツメ跡あり
有名な「ひとつのバンドにふたりのノン・ミュージシャンはいらない」とのフェリーのセリフで脱退に至ったブライアン・イーノに代わり、ヴァイオリン、キーボードで元カーヴド・エアのエディ・ジョブソンが参加した73年作サード・アルバム。相変わらず癖のあるフェリーのヴォーカルは健在だが、前2作のグラム・ロック的な派手さは抑えめで6曲目「ヨーロッパ哀歌」のように朗々と歌い上げる曲も。本作からは1曲目「ストリート・ライフ」が全英で9位を獲得。本アルバムは初の全英1位となり、ロック界でのロキシーのプレゼンスを確立させた。
プラケース仕様、HDCD、デジタル・リマスター
盤質:傷あり
状態:良好
ケースツメ跡あり、若干折れあり
ブライアン・フェリーの当時の恋人でトップ・モデルのジェリー・ホールが女神に扮するジャケットも話題となった5作目は、活動休止に伴う前半期最後のスタジオ・アルバム。バンドのスタイルが確立したことによる成熟と同時に、ターニング・ポイントを迎えた彼らが放つ充実作。全英チャート2位を記録したヒット曲「恋はドラッグ」収録。75年作。
THE CRAZY WORLD OF AUTHR BROWN出身のVince Craneを中心に結成され、後にNICEのKeith Emerson、KING CRIMSONのGreg Lakeと共にEL&を結成することになるCarl Palmerが在籍していたことで知られているイギリスのハード・ロックグループの70年デビュー作。その内容はVince Craneのクラシカル且つハードなオルガンとNick Grahamのへヴィーなギター、そしてテクニカルなCarl Palmerのドラムが躍動するワイルドな作風であり、所々でブルース・フィーリングやジャズのアプローチを取りながらハード・ロックでまとめた音楽性が個性的です。ブラス・セクションやフルートなども巧みに取り入れた好盤。
直輸入盤(帯・解説付仕様)、帯の色は水色と黒、ボーナス・トラック1曲、定価2800+税
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯有
帯がケースにテープで張り付けてあります
廃盤、紙ジャケット仕様、SHM-CD、16年リマスター、ボーナス・トラック3曲、定価3143+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
直輸入盤(帯・解説付仕様)、帯の色は黄緑と黒、ボーナス・トラック1曲、定価2800+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
トレーに若干黄ばみあり
紙ジャケット仕様、SHM-CD、16年デジタル・リマスター、ボーナス・トラック3曲、定価3182+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
紙ジャケット仕様、SHM-CD、16年デジタル・リマスター、ボーナス・トラック3曲、定価3182+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
THE CRAZY WORLD OF AUTHR BROWN出身のVince Craneを中心に結成され、後にNICEのKeith Emerson、KING CRIMSONのGreg Lakeと共にEL&を結成することになるCarl Palmerが在籍していたことで知られているイギリスのハード・ロックグループの71年2nd。Vince Crane以外の2人が脱退し、後にHARD STUFFへと参加することになるJohn Du CannとPaul Hammondが参加しています。前作ではベース奏者がギタリストを兼ねた編成でしたが本作ではベースレスで構成されており、前作よりハード・ロック然としたアンサンブルと渋みを持ったブリティッシュ・ロックが炸裂しています。
盤質:傷あり
状態:良好
レーベル面に指紋あり、スリップケース無し
専任ヴォーカルとして元リーフ・ハウンドのピーター・フレンチが加入。ヴィンセント・クレイン(key)、ジョン・デュ・カン(g)、ポール・ハモンド(ds)、ピーター・フレンチ(vo)という編成で制作された3rdアルバム。71年作。
廃盤、紙ジャケット仕様、SHM-CD、16年リマスター、ボーナス・トラック1曲、定価3143+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
ブックレット一体型デジパック仕様、ボーナス・トラック1曲
盤質:無傷/小傷
状態:良好
トレーに若干黄ばみあり
ATOMIC ROOSTERの4作目。ジーンズ地のジャケットで有名な作品です。Vincent Craneの主張が強く浮いてしまい、前作リリース後にメンバー全員が脱退!レーベルもドーンに移籍しています。新メンバーは、ギターにSteve Bolton、ドラムスにホースのRick Parnell、ヴォーカルにColosseumのChris Farlowという布陣。やはり、注目は重鎮Chris Farlowの参加。Farlowのソウルフルな歌唱が、バンド・アンサンブルを大切にしながら、全体を上手くまとめています。結果的にVincent Craneの理想に近いサウンドが実現したのではないでしょうか。アングラ臭も残したファンキーなサウンドはユニーク。また、Kingdom Come風のRick Parnell作のオカルトチックな2曲もお薦めです。
R&Bテイストが増し、ブラス/管弦楽のアレンジが新たな魅力を発揮する、70年代のアトミック・ルースター最後の作品となる5thアルバム。73年作。
元アトミック・ルースターのジョン・カン(G、Vo)、ポール・ハモンド(ds)、元クォーターマスのジョン・ガスタフスン(b、vo)によって結成されたトリオ・グループ。72年作1st。骨太なリフを主体に組み立てられた各曲はスピード感抜群で、ジョン・カンのシャウトもはまってます。トリオならではの隙間のあるサウンドが演奏の鋭さを増幅させており、グッド。ブリティッシュ・ハード・ロックの名盤。
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