2020年3月7日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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★画像1 Richard Stevensen/Gates Of Me
前回の最後で触れた69年11月の第1回発売から外れたリチャード・スティーヴンセン(Richard Stevensen)から話を進めていきたい。Dawn初回ラインナップに挙げられながら幻となり、結局は約1年後の70年11月にPyeからリリースされた彼の唯一の作品『Gates Of Me』。この時24歳、ジャケットに写るその表情は繊細でポップなSSW(シンガー・ソング・ライター)という印象だが、確かにどの曲もよく出来ていてなかなか素敵な作品だ。全曲自作曲だが、オーケストラ・アレンジはリチャード・ヒューソン(Richard Hewson)で、その陽光に溢れた様子はやはり彼がストリング・アレンジを担当したルネッサンス(Renaissance)の『燃ゆる灰(Ashes Are Burning)』の「Carpet Of The Sun」に共通した雰囲気を持っている。一方、ギターの弾き語りを中心としたシンプルな曲は雨上がりの様子を映し出したような叙情が感じられ、じつはそうした姿に彼本来の魅力があると思われる。裏ジャケットにバイクに乗った写真が掲載され、今でもバイク・ジャケットとしては知られた作品のようだ。しかし、CD化されてはいない。Dawnのリリースから外れたのも、ポップな側面が強かったせいかも知れない。Dawn発足当時(69~70年)は、レーベルとして強くアンダーグラウンドな姿勢を表明していただけに、そんな不安感もスタッフ内にはあったことは想像できる。
★画像2 Peter Franc+Stephen Jameson
しかし、72年後半になると、Richardに似たタイプのポップ系SSWをデヴューさせている。キャロル・キング(Carole King)やジェームス・テイラー(James Taylor)、キャット・スティーヴンス(Cat Stevens)を中心にCSN&Y風のアコースティックを中心としたSSWの全盛期にあった70年代。それこそ「雨の後の筍」風に数多くのミュージシャンが登場したが、Dawnからはピーター・フランク(Peter Franc)が2枚、ステファン・ジェームソン(Stephen Jameson)が1枚のアルバムを出している。どれも結構工夫されていて楽しく聞くことが出来る作品だ。(どれも、いまだにCD化されていないのがもどかしい。)
ピーターのほうは2枚ともアーヴィン・マーティン(Irving Matrin)がプロデュースを担当し、カントリー・ロック風の明るい曲調が多いが、やはりバラード系が魅力的だ。彼は、60年代には英ビート・ポップスのハニーカムズ(Honeycombs)のマーティン・マレイ(Martin Murray)と活動していたこともあるというが、レコードは確認できなかった。
ステファンのほうはセルフ・プロデュースとなっているが、曲作りもヴォーカル・スタイルも堂に入っており、本格的な風格も漂わせている。曲によってはギルバート・オサリヴァン(Gilbert O’Sullivan)を思わせるノスタルジックな味わいもあり、なかなか魅力的だ。
◎音源資料A Stephen Jameson/Thought Of You Instead ‘73
ステファンはフランク・アイエロ(Frank Aiello)と一緒になってザ・トゥルース(The Truth)というデュオを組み65年から69年までに8枚のシングルをPye、Deram、Decca、Tepeeから出していた。その曲目を見ると、BeatlesやDonovan、Kinks、Troggsのレパートリーも含まれている。当時はModsブームの真只中で、「George Fameに続け」を合言葉にナイトクラブを中心に活動していた。デュオとしてはソウル系のサム&デイヴ(Sam & Dave)を目指していたという。当時のMods系の多くのバンドがソウルに影響されていたことを考えると、彼らの思いもよく分かる。(The TruthはRPMからCD化されている。)
その後70年代に入りデュオを解消し、相方だったフランク・アイエロの方は コージー・パウエル(Cozy Powell)が組んだ新たなハード・ロック・バンド、ベドラム(Bedlam)にヴォーカリストとして参加している。ベドラムはフェリックス・パパラルディ(Felix Pappalardi)のプロデュースで74年にアルバムを発表している(Bedlam/Bedlam『狂人どもの舞踏会』Chrysalis CHR 1048)。このアルバムは日本でも話題になったので、懐かしい思い出を持っている方も多いだろう。肝心のステファンのほうはポップ・シーンで自らもシングルを出しながら、他のポップ系シンガーの裏方として活躍していた。
★画像3 Paul Brett’s Sage
Dawnレーベルを振り返って考える度に、私にとって絶対忘れられない名前がポール・ブレット(Paul Brett)だ。彼の名を冠したポール・ブレッツ・セイジ(Paul Brett’s Sage)として出された3枚のアルバムは日本でも発売されていたものの、地味にひっそりと紹介されていた印象がある。ファースト『Paul Brett Sage』は70年にPyeから出されたが、セカンドの『Jubilation Foundry(歓喜苑)』(71年)と、サードの『Schizophrenia(精神分裂症)』(72年)はDawnから発売されている。この辺りのリリース事情はManに近いものがある。
ギターの名手であるポール・ブレットの名前がグループ名になっているだけに彼の存在が目立ってしまい、在籍していたヴェルヴェット・オペラ(Velvet Opera)の『Elmer Gantry’s Velvet Opera』(Direction ’68)『Ride A Hustler’s Dream』(CBS ’69)の2枚の作品が重要視される。しかし、実際にはメンバー的に『The Magic Shoe Maker』(Pye’70)を出したファイア(Fire)も忘れてはならない。ポール・ブレッツ・セイジに加わりバンドを支えることになる、ドラマーのボブ・ボイス(Bob Voice)とベーシストのディック・デュフォール(Dick Dufall)の2人がともに在籍していたからだ。
またファイアの中心はギターのデイヴ・ランバート(Dave Lambert)だし、ベルベット・オペラにはリチャード・ハドソン(Richard Hudson)とジョン・フォード(John Ford)がいた訳で、完全にストローヴス(Strawbs)人脈となっているところも面白い。
◎音源資料B Paul Brett Sage/3D Mona Lisa
ポール・ブレッツ・セイジに戻って、ファースト・アルバムはそのジャケットの砂時計と、女性サックス、フルートのニッキー・ヒギンボトム(Nicky Higginbottom)の存在が印象的だった。特にシングルにもなったアルバム冒頭「3D Mona Lisa」のインパクトは強い。アルバム全体に不思議なエキゾティズムを感じるパーカッションとメロディが独特なフォーク・ロックで、60年代後期のサイケ風味が加わっていて魅力的だ。しかし、ジャンル分けが難しい音楽と思われたようで、特に日本では大きな注目を浴びることもなく残念だった。4曲目の「リーズン・フォー・ユア・アスキング」の叙情的なポップ・サウンドや6曲目の「ザ・タワー」でのポール・ブレットのアコ・ギの超絶テクニックは聞き物だ。
セカンド『Jubilation Foundry(歓喜苑)』は、新たにタイタス・グローン(Titus Groan)のギタリストだったスチュワート・カウウェル(Stuart Cowell)が正式加入した。全体にCSN&Yばりのコーラス・ハーモニーを打ち出したことが大きな変化であり、ウェストコースト・サウンドに近づいた感じがする。プロデュースはポール・ブレット自らが行い、オーケストラ・アレンジメントはマイク・ギブス(Mike Gibbs)が担当している。ポップ、フォーク・ロック系の音楽でもジャズ畑のミュージシャンがアレンジを担当するというのは初期Dawnレーベルのひとつの特徴でもある。
サード『Schizophrenia(精神分裂症)』は、そのタイトルの意外性と同時にそのジャケットにも驚かされる。老人の横顔が中央で観音開きの凝った意匠だ。1曲目から力強くインパクトのあるハードなサウンドで、彼らがパワーアップしたことを実感した作品である。LPのA面にあたる前半はハードに、B面ではしっとりとした構成となっている。デイヴ・ランバートが参加しているがキーボードの担当だ。
ポール・ブレットは、グループ解散後はBradley’sレーベルからマイク・ピゴット(Mike Piggott)との共演盤を含め2枚のアルバムを出した後、70年代はRCAからギター組曲的なプログレ系作品を数多く出していた。Bradley’sからの2枚と『Interlife』以外はCD化されているものは少ない。が、聞くべきものは多いので、今後のリリースを期待したい。
★画像4 Demon Fuzz + Noir
ウッドストック後の70年代初頭のロック・シーンには、ブラック・パワーの台頭、アフロ・ロックと呼ばれるホーンを導入した大型黒人バンドもひとつの潮流になっていた。その流れの始まりはエリック・バートン(Eric Burton)が決成したウォー(War)だったと思われる。大手Decca/MCAからオシビサ(Oshibisa)が、Polydorからマンドリル(Mandrill)が登場し、ブラス・ロック編成でプログレ的な曲構成がとても興味深く思えたものだった。
Dawnからは、まずデモン・ファズ(Demon Fuzz)が70年11月『Afreaka!(アフリーカ)』で登場した。AfricaとFreaksを合わせた造語として「Afreaka」となったわけだが、国内盤LPが出たときに「アフレアカ!」となっていたために、ニュー・ミュージック・マガジンの中村とうようさんが、「その読み方が違っている!」と興奮気味で感情的なレヴューをしていたことを思い出す。その頃はワールド・ミュージックなるものも未だ多くの人が門外漢だった。さらに洋楽関係の英語をはじめとする外国語のカタカナ表記も「えっ、そう読むの?」と思いながらも確信が持てないことが多かった。じつは今でも原稿では自信のないものも多く、私は両方を表記することにしている。
◎音源資料C Demon Fuzz/Disillusioned Man
最初に聞いた曲がA面2曲目の「Disillusioned Man」だったのだが、これが素直にカッコよかった。パーカッションとアコ・ギで静かに始まり、オルガンとホーンが印象的なリフを奏で、ヴォーカルもいい。中間部のインスト・ソロも合格点。ドラミングも展開に巧くマッチしていて気持ちよく聞けた。
アルバムをよく見ると、「Past,Present and Future(過去、現在、未来)」とか「Hymn To Mother Earth(母なる大地への讃歌)」といった曲名が並び、そのコンセプトがとても興味深い。ドラマチックな曲構成も、演奏も期待した以上に良かった。しかし、一方では「黒人のアイデンティティを大切にせず、西洋に媚びた連中の音楽」という辛辣なとらえ方も当時はあった。しかし、本作のクレジットを見ると曲作りから演奏、さらにはアレンジまでもメンバー自らが手がけていることは素直に評価していいのではないだろうか。プロデュースはバリー・マレイが担当している。
デモン・ファズから1年後、71年11月に今度はノアール(Noir)が『We Had To Let you Have It(黒い意志)』を出す。まずバンド名はNoir(黒)で黒人の4人組。オルガン、ピアノ担当はいるがホーンはいない。そして、曲目は「Rain(雨)」「Hard Labour(過酷な労働)」「Beggar Man(乞食)」「In Memory Of Lady X(X嬢の記憶)」と並び、何か悲惨な境遇の吐露かと思えてしまう。さらに、ジャケットが真っ白(!)。黒人バンドが敢えて白いジャケットを用意したことに挑戦的な意味合いを感じる。1曲を除いてすべて彼らのオリジナルだが、1曲リッチー・へヴンズ(Ritchie Heavens)の有名な「Indian Rope Man」がカバーされている。日本でも紙ジャケCD化されているが、英国Sanctuary/Breathlessのデジ・パック盤ではアナログのB面曲が先に収められ、後半にA面曲が並んでいる。しかし、こちらの方が彼らの主張がより伝わってくるように思える。メンバー中、ドラマーのバリー・フォード(Barry Ford)は70年代中期にはCrancy(クランシー)に参加し2枚のアルバムを残し、その後もソロで活動を続けている。ギターのゴードン・ハント(Gordon Hunt)も、ゴンザレス(Gonzalez)やリアル・シング(Real Thing)に参加しアルバムを発表後、シャーディー(Sade)のバックを担当していた。
★画像5 Mungo Jerry
マンゴ・ジェリー(Mungo Jerry)は、68年にリーダーのレイ・ドーゼット(Ray Dorset)がコリン・アール(Colin Earl)と一緒に(リズムセクションを伴って)ザ・グッド・アース(The Good Earth)を組んだことがすべての始まりだった。(The Good Earthの唯一のアルバム『It’ Hard Rock & All That』はCD化されている) 彼らは、ルーツ・ロックを指向することで発展的にマンゴ・ジェリーとなり、スキッフル、ジャグ、ヴギーという部分に光を当て、よりHipなサウンドを作った。プロデューサーのバリー・マレイ(Barry Murray)は以前からのドーゼットの友人だった。70年6月にシングル「In The Summertime」が英チャートで7週連続1位となり、世界中でチャートインし大旋風を巻き起こした。続く「Baby Jump」も全英1位となり大ヒットしている。
私の中学時代のヒット曲で、毎日ラジオから流れていた。気に入って番組にリクエストを出した覚えがある。今でも好きな1曲でやはり夏になると必ず聞きたくなる。日本でのシングルはPye盤だった。
しかし、皮肉なことにアンダーグラウンドなロックを指標としたマイナー・レーベルであったDawnとしてはそのレーベル・イメージを著しく損なったことも事実だった。今も、当時のマイナー・レーベルを語る際にDawnが英国ロックマニアからひとつ格下に見られてしまっているのはマンゴ・ジェリーの存在もあるように思う。
このことから、クワイエット・ワールド(Quiet World)やマン(Man)といったバンドをPyeからDawnに移行させることで新たにDawnのイメージ・カラーを作っていたプロデューサーのジョン・シュローダー(John Schroeder)は、後に「失礼ながらMungo JerryはDawnからデヴューさせるべきではなかった。」と回想している。ただし、その後のPye/Dawnのリリースが続いていったことは、その大ヒットのおかげでもあった。それだけにどこか痛みを伴ったレーベル運営だったと言えるだろう。特にハードロック系のアーティストを揃えるにあたっての混乱ぶりは前々回に述べたとおりだ。
しかし、Dawnからマンゴ・ジェリーは6枚のアルバム(1枚はベスト)を出すことになるが、改めてアルバムを聞き直してみると、結構練られてしっかりと制作されている。いい曲も多かったと思うのだがどうだろう。72年にはレイ・ドーゼットはソロ・アルバム『Cold Blue Excursion(冷たい道)』を発表している。黒いポップ感覚を持ったドーゼットの歌い方はマーク・ボラン(Marc Bolan)に共通した部分も見出すことができる。
★画像6 Paul King+King Earl Boogie Band
マンゴ・ジェリーを脱退したポール・キング(Paul King)が72年3月に出したソロ作『Been In The Pen Too Long(魂の自由)』、その後、やはり脱退したコリン・アール(Colin Earl)も加わって72年7月に出した『King Earl Boogie Band/Trouble At Mill』。ポール・キングのソロ作の方はやはりマンゴ・ジェリー的なヴォーカルや曲もあるものの、ちょっとクセのあるカントリー・ジャグ風のSSW的な面白い作品と受けとめている。ポール・ブレットがポール・キングと共同でプロデュースを担当している。
◎音源資料D King Earl Boogie Band/Stealin’ Steakin
キング・アール・ブギー・バンドは、キングとアール以外に正式ギタリスト、ヴォーカリストとしてデイヴ・ランバートが参加しているのと、プロデュースはストローヴスのデイヴ・カズンズ(Dave Cousins)であることに注目したい。ヴギー、ラグタイムに彩られたカントリー・ロックと呼べる音楽性だが、やはりデイヴ・ランバートの参加が大きな意味を持っている。キング・アール・・・と言いながらフロント・マンはデイヴ・ランバートという印象が強い。そしてこのアルバム発表直後にランバートはカズンズのストローヴス(Strawbs)に参加し、音楽的にもセール的にも成功することになる。
残されたキングとアールはその後も活動を続けるものの、第一線に出てくることは出来なかった。
★画像7 Bronx Cheer
ブロンクス・チア(Bronx Cheer)は、マンゴ・ジェリー的なポップ・ロック・バンドで、70年にParlophoneから1枚シングルを出した後(The Jug Trust名義でもう1枚存在する)、Dawnと契約。71年にMaxiシングルを出してから、72年の2月に発表されたアルバムが『Bronx Cheer’s Greatest Hits Volume Three』だ。タイトルを見るとベスト・アルバム(それもVol.3!)に見えてしまうが、これは彼らの唯一のオリジナル・アルバム。洒落がきいているが当時、どれだけ通用しただろう?音楽的にはジャグ・バンド部分はあるものの、素直なブルース解釈も見せていて聞きやすい。2007年にコンピレーションCDがrpmから出ているが、もう1枚アルバム・リリースが予定されていたようで、それらの音源も含まれていた。
メンバーだったブライアン・クックマン(Brian Cookman)は80年代に入って『Grinnin’』(81年)『Jack’s Return Home』(86年)という好アルバムを発表していて今ではどちらもCD化されている。
★画像8 Finbar & Eddie Fury + The Be Bop Preservation Society
●Finbar & Eddie Fury
アイルランド出身のトラディショナルを演奏するフォーク・デュオ。地元ではベテランとして評価も高く、多くの作品が出されている。英国では68年にTransatlanticからも3枚のアルバムを出していたのだが、幾分唐突に単発でDawnから出されたことには驚かされた。ひょっとしたらタイトルが『The Dawning Of The Day』(72年)に引っかけてのDawnリリースかと想像してしまった。収録された16曲中13曲がトラッドだが、恐れることなく聞くことをお勧めしたい。BGOから95年にCD化されている。アイルランド音楽が好きな私は、時折引っ張り出して聞いている。スコットランドのバグ・パイプの親戚のようなアイルランドのイーリアン・パイプの音は聞き慣れてくるとじつに心地よい。
●The Be Bop Preservation Society
これは驚きのレコードで、純粋にジャズ作品だ(71年)。トランペットとアルト・サックスの2管を含んだクインテット。全員が名うての英国ジャズ・メンで50年代半ばから長いキャリアを持っている。ジャズ・ロックとかフリー・ジャズなんかではなく、バンド名通りビーバップ・ジャズの典型を聞かせている。なぜ、このアルバムがDawnからの発売なのか、その経緯は分からない。少しでもジャズに興味があれば素晴らしい演奏に聞き入ってしまい、幸福感に包まれるだろう。The Be Bop Preservation Society として70年代中盤にはさらに2作アルバムを出している。CD化はされていない。
★画像9 Prelude ①
●Prelude
73年10月に出されたプレリュード(Prelude)の最初のアルバム『How Long Is Foever』のジャケットを見たときに、Dawnレーベルではあるものの、その音楽性が分からず気になって仕方がなかった。「キリストと子羊」、このモチーフから宗教臭さとクリスチャン・フォークを想像したが、実際にはモダン・フォークだった。見開きアルバムの内側の写真を見ると女性ヴォーカルと2人の男性というPP&Mスタイルだった。
★画像10 Prelude②
アイリーン(Irene)とブライアン(Brian)のフューム(Hume)夫妻、そしてイアン・ヴァルディ(Ian Vardy)の三人がメンバー。Neil Youngのカバー「After The Gold Rush」のア・カペラ・バージョンが英米でヒットしたことから、Dawn在籍アーティストの中でも格別の待遇を受けたような印象がある。
◎音源資料E Prelude/After The Gold Rush
74年12月の2作目『Dutch Courage(戦争なんてくそくらえ)』はメリハリの効いた作品で、私は彼らのアルバムの中で一番聞き込んだ。75年10月の3作目の『Owlcreek Incident(愛のつづれ織り)』までがDawnリリースで、76年11月の4作目『Back IntoThe Light(美しき愛の香り)』がPyeからのリリースとなっていた。彼らの作品は英Castleからの2枚組CD『Prelude/After The Goldrush the Dawn/Pye anthology 1973-77』にまとめられていて便利だ。
●McKendree Spring
★画像11 Mckendree Spring
アメリカのベテラン・フォーク・バンド。69年から73年までに5枚のアルバムをDecca/MCAに残してきた。75年の6作目『Get Me To The Country(故郷へ帰ろう)』がDawnから、76年の7作目『Too Young To Feel This Old(若草の別れ)』がPyeから出されている。フラン・マッケンドリー(Fran McKendree)のヴォーカル、ギターを中心にマイケル・ドレイファス(Michael Dreyfuss)のクラシカルなヴァイオリンが特徴的なドラムレス編成でレコーディングを続けてきたが、Dawn移籍に伴ってドラムスを正式メンバーに入れた。生まれ変わったかのように生き生きとしたロック的なメリハリを打ち出すようになった。最近、韓Big Pinkから6作目がCD化されたが、7作目はこれからだろう。
マッケンドリー・スプリングは、デヴュー当初から英国での人気が高かった。特にMCAからの5作目の『Spring Suite(春の組曲)』はジャケットがRoger Deanの手によるもので、プログレではないが、ゆったりと季節の移り変わりを描き出したトータルな作品になっている。ラストに収められた「Spring(春の訪れ)」は見事。私は名作として評価したい。
★画像12 Mason
73年10月にリリースが予定(DNLS 3050)されながら、未発表だったメイソン(Mason)の唯一の作品が『Starting As We Mean To Go On』として2010年に英Cherry TreeからCDとして晴れてリリースされた。それまで謎だったバンドの実体が明らかになった。
Masonとはポップ・バンドとして人気のあったDave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich.の進化形のバンドだった。日本ではデイヴ・ディー・グループと呼ばれていた。67年に「Okai!(オーケイ!)」、68年に「ZABADAK!(ザバダク)」「The Legrend of Xanadu(キサナドゥーの伝説)」が大ヒットし、グループ・サウンズの定番曲にもなっていた。その後も「Last Night of Soho(ソーホーの夜)」、69年には「Hold Tight(ホールド・タイト)」「Run Colorado(ラン・コロラド)」「Don Juan(ドン・ファン)」といったシングルを出し続けていた。MasonのメンバーはIan(Tich)Amey、John(Beaky)Dymond、Peter Masonの3人。CSN&YやHollies、Americaといったアーティストの影響下にあるコーラス・ハーモニーを重視したソフト・ロックで、気持ちの良いメロディを持っている。先行シングルを出したもののヒットしなかったこともあって、録っておいたアルバムもLPとしては結局発売されなかったものだ。
★画像13 Brotherhood Of Man
ポップ・グループなのに、デヴューはDeramから、そして移籍先がDawnという興味深いリリースを見せるブラザーフッド・オブ・マン。Dawnからリリースされたのは74年の『Good Things Happening(幸せの予感)』だった。69年数々のヒット曲を生んでいたトニー・ヒラー(Tony Hiller)が仕掛け人となったポップ・グループで、Deramからの2枚目のシングル「二人だけの世界(United We Stand)」が70年に英米で大ヒット。当初はトニー・バロウズ(Tony Burrows)やロジャー・グリーナウェイ(Roger Greenaway)、ジョニー・グッドソン(Johnny Goodson)に、女性ヴォーカルはスー&サニー(Sue & Sunny)姉妹の5人。聞いた名前が多いと思うが、英国ポップ・シーンで曲作り、シンガー、バック・コーラスで活躍していたメンバーが中心の仕組まれたバンドだった。72年までにDeramから何枚ものシングルと2枚のアルバムを出していたが、プロデューサーのトニー・ヒラーが74年にメンバーを一新して再度仕掛けた形になる。それにしても明らかにポップ指向のグループがDawnから普通にアルバムを出すようになったことは驚きだった。私は素直にこの戦略に完全にハマリ、シングルとして先行発売された「恋する瞳(When Love Catches Up On You)」に完全に魅せられてしまった。夏の終わりを思わせるような幾分センチメンタルなメロディとコーラスが効果的でじつにいい曲だ。当時から現在に至るまで夏から秋にかけて必ず聞く定番曲だ。
編成はアバ(ABBA)と同じ (男2人、女2人)で音楽的にも似ているのだが、その頃はまだアバも活動を始めた頃で、ほぼ同時期に同じ指向性を持っていたことが面白い。
◎音源資料F Brotherhood Of Man / Save Your Kiss For Me
ユーロビジョン・ソング・コンテストで74年にはアバが「恋のウォータルー(Waterloo)」で優勝し、2年後の76年にはブラザーフッド・オブ・マンが「Save Your Kiss For Me(思い出のラスト・キッス)」で優勝していることを考えるとその頃のポップ・シーンの傾向が読み取れて興味深い。(ただ76年にアバは「Dancing Queen」という超大型ヒットを世界的に飛ばし、人気には大きな差がついてしまった。)
ブラザーフッド・オブ・マンの「思い出のラスト・キッス」は英本国ではDawnから出されたシングルだったということは意外と知られていない。その大ヒット曲が収録された次のアルバム『Love and Kisses from Brotherhood Of Man』はパイからリリースされたものというのがちょっと皮肉かな。当時の洋楽を聞いていた人ならば、「思い出のラスト・キッス」はタイトルやアーティスト名は知らなかったとしても絶対に聞いたことのあるメロディだと思う。皮肉ついでに語るならば、Tony Orland & Dawnの誰もが知っている大ヒット曲「幸せの黄色いリボン」にもずいぶんと似ているのだけれど。ポップ・ソング絡みで語っていけばキリがなくなってしまう。
★画像14 Kilburn & The High-Roads
75年のキルバーン&ザ・ハイ・ローズ(Kilburn And The High-Roads)の唯一のアルバムもまたDawnのラインナップでは意外に思えるパブ・ロック作品。ただ、この後イアン・デューリー(Ian Dury)がソロ、ブロックヘッズ(Brockheads)として2年後にはStiffから『New Boots And Panties!!!』を生み出すことになる。それを考えると、Dawnとしてはたった1枚を残しただけで、ろくなプロモートもなくあっけなく手放してしまう格好になったのは、じつにもったいないことをしたなという思いに駆られる。
イアン・デューリーには不運がつきまとっていた。幼い頃のポリオの影響で身体的なハンディを持っていた。それでも彼は画家を目指し、絵画教師になった。しかし、70年28歳の時にそれまで好きだった音楽に向かうことを決め、71年12月にはキルバーン&ザ・ハイ・ローズとしてサンダークラップ・ニューマン(Thunderclap Newman)の前座を務めた。かなり個性的な音楽性はメンバー交代を繰り返す中から72年1年間で本物感を持つようになった。そんな中73年にはデューリーが学校をクビになり、メンバーも全員失業手当を受けていた。その頃からライヴの様子が音楽雑誌や週刊紙で話題になり始めた。
それじゃあ、本格的に音楽活動をということで英Raftレーベルと契約するものの、録音の最中にRaftは倒産してしまう。その後Dawnが後を受けて契約し、途中になっていたレコーディングを続け何とかアルバムを完成させる。しかし、先行シングルを発表するが、何の話題にもならなかったこともあって金銭的な援助を与えなかった。アルバム『Handsome』も75年6月にひっそりと発売されるが、メンバーの意向は反映されたとは言いがたかった。本当は『No Hand Signals』というタイトルにしたかったとイアン・デューリーは後に語っている。ジャケットのメンバーの手の動きを見ると、そのタイトルの方が真意を伝えていると思うのだが。
◎音源資料G Kilburn & The High Roads/Broken Skin
かなりクセのあるパブ・ロックだが、その後のパンク、ニューウェイヴにつながっていく音になっていることは間違いない。そのことを見抜けなかった当時の業界人の哀しさが感じられる。Dawnレーベルはもうその役割を終えようとしている時期だったが、スタッフに先見の明があったならば後のStiffやRough Tradeのような新たな括りを用意できただろうに・・・
私にとって決してマストな類の音楽ではないが、Dawnレーベルから出された1枚ということで、特別な感情にとらわれる希有な作品である。
★画像15 Tim Rose +Harvey Mandel +Potliquor
数は多くないのだが、米国が原盤のアルバムがいくつかDawnからリースされていた。ハーヴェイ・マンデル(Harvey Mandel)はキャンド・ヒート(Canned Heat)のギタリストとして知られ、バリー・ゴールドバーグ(Barry Goldberg)やジョン・メイオール(John Mayall)のバンドにも参加しているベテラン・ブルース・ギタリストだが、米Janusから71年の作品『Baby Butter』がジャケットを変更してDNLS 3015としてDawnからも英国リリースされている。米盤はよく見かけたものの、英国ジャケットはあまり目にしない。彼の作品の中でもライト・ジャズ系にとらえられるなじみやすい作品だ。1曲目のタイトル曲などは、その後のクロスオーバー/フュージョンの先駆けのような音作りをしているのにはちょっと驚かされた。その後の曲では彼らしいブルース・ギターの弾きまくりではあるが。
同じく米Janusから出ていたポットリカー(Potliqor)も71年発表のファースト・アルバムがDNLS 3016として英国盤が出ている。ミシシッピー出身のスワンプ系ロック・バンド。2曲目の頭のコーラス・ハーモニーが素晴らしい。まるでキャパビリティー・ブラウン(Capability Brown)かQueenだ!! 昔も聞いていたはずの作品だったが、久し振りにレコードに針を落としてびっくりした。
◎音源資料H Potliquor / Ol’Man River
基本的にはサザン・ロック的な大らかさを持っているが、オルガン・ロックに導かれるパーカッションだけのインストがあったり、メロディアスでドラマチックな世界を聞かせたりとかなり器用なバンドだ。彼らは4枚のアルバムを残しているが、3作品がCD化されているので聞いてみることをお勧めする。
そしてティム・ローズ(Tim Rose)は米国出身ながら英国での活動が多いパワフルなSSW。彼の72年の4作目。プロデュースはゲイリー・ライト(Gary Wright)で曲作りとキーボードも担当し、ギターにはミック・ジョーンズ(Mick Jones)、ドラムにブライソン・グラハム(Bryson Graham)も加わっていることからスプーキー・トゥース(Spooky tooth)絡み(『You Broke May Heart・・・』期)で渋い作品となっている。米リリースはPlayboyレーベルだった。CDとしては、英RPMから3作目(英国録音)と合わせた2イン1として出されている。
シングルのリリースでは、ジャンルのばらばらでもっとたくさんの知られざる(?) アーティストが並んでいる。アルバムでもう1枚、独Panから出ていたサハラ(Sahara)について紹介しておこう。
★画像16 Sahara
いかにも期待を抱かせるジャケットに包まれたサハラの『Sunrise』。オルガンとホーン、タイトなリズム陣にシャープなコーラス。デヴュー当時のグローブシュニット(Grobschnitt)を思わせるようなクラシカルな雰囲気を持ったプログレ・ファンを納得させるバンドの登場だった。2曲目はカントリー風に始まるが、中盤のインストはスーパートランプ(Supertramp)の『Crime Of The Century』中の名曲「School」を思わせる。しかし、何といってもB面すべてを使った27分(!) に及ぶ組曲「Sunrise」が圧倒的だ。ドイツのロックらしい効果音やシンセの使い方も特徴的だが、現れては消えるバンド・アンサンブルの小気味よさ、そして突然登場する壁のようなメロトロンの叙情性。荒削りではあるが意欲は存分に伝わってくる。ただ本国では74年に発表されたものが、Dawnからは76年のリリース。レコードが入手しにくかったこともあり、この作品がプログレであることに気づかれるまで結構時間がかかった。
彼らの前身バンドSubject ESQがバンドと同じ名のアルバム(‘72)を出し、またサハラとしてもう1枚『For All Crowns』(‘75)が出されている。昨年(2019年)、独Ohrwaschelから未発表曲集『Lost Tapes』を含めすべて再発されたばかりなので、今がチェックする絶好のタイミングと思われる。
★画像17(Maxi)
Dawnはその設立時期からシングル盤とは違う3曲入りの33回転17cmEP盤を「33Maxi Single」と名づけ商品化している。これは厚手のスリーヴのついたもので、普通のシングルはカンパニー・スリーヴに無造作に入れられたものが多かっただけに、明らかに手間のかかった「蒐集」を目的に作られたようなものだった。その多くはアルバムには未収録の曲を中心として3~4曲が収められていた。(現在ではそのほとんどがCDのボーナストラックとして聞くことができる。)
日本では、60年代からコンパクト盤と名づけられ、4曲入ったお得感のある商品として比較的知られたものだった。しかし、当時の英米ではプロモーション的な意味合いのものはあったが、商品として発売されるのは珍しかった。Dawnの戦略のひとつとして英国で発売された作品は70年~72年まで15枚。(その中にはマンゴ・ジェリーが6枚もある。)
また、日本でもその形式に添ったMaxi Singleが英国同様に発売されていたが、Dawnの主要どころを出すだけでなく、当時の日本コロンビアが抱えていたBYGレーベルのアーティストもいくつか発売されていた。
残念ながら長期的な企画にはならなかったが、時代がシングルからLPに移行する時期にあって、その中間に位置するフォーマットを戦略的に用意したということは、他のマイナー・レーベルとの差別化を図っていたととらえることができて興味深い。
★画像18 コンピレーション
Dawnに関してのレーベル・コンピレーションもLP時代、CDになってからも複数存在していて興味深い。日本で最初に非売品として作成されたLP『Dawn Now Rock Jazz Series』(71年5月)①はA面がマキシ・シングルから、B面がアルバムから計14曲が収録されていた。(ラストの1曲のみBYGからアインズレー・ダンバー)。その1ヶ月後には一般発売として『This Is Dawn Sound<ブリティッシュ・ロックの夜明け>これがドーン・サウンドだ>』②が発売された。(①とは違った選曲) 数年後にこのアルバムを入手したことが私にとってDawnレーベルにはまるきっかけとなった魅力的な選曲だった。
英国では、『The Dawn Take-Away Concert』(DNLB 3024)③が71年7月に廉価盤として出された。Concertと記されているが、あくまでそれまで出されたもののコンピレーション。12曲が収録されていたが、日本盤とは全く違った選曲でそれはそれで面白かった。似たジャケットで『The Dawn Sampler』⑤がCDとしてペーパースリーヴで99年にCastleから出されていたが、全10曲で選曲も違っていた。LP時代にはもう1枚『Has It Dawned On You ?』④が75年7月にやはり廉価盤として発売されたが、それまでの編集盤と違っていてJonesy、Fruupp、Stray、Prelude等々が収録され、時代が移り変わったことを象徴的に物語っている。
完全にCDに移行してからは、英Sequelから『Dwn Of A New Age』⑥が91年に出されていた。その当時はLP時代のカタログがまだCD化されていない頃だったので、ずいぶんありがたかった。99年に英Castleから『The Dawn Anthology』⑦が、2000年には『Dawn Singles』⑧がともに2枚組CDとして出され、どちらも未だに貴重な音源も収録されていて価値がある。興味を持ったら、ここから聞き始めることも可能だろう。
★画像19 Cave Of Clear Light-The Pye and Dawn Records Underground Trip 1967-1975+Logo
そして、Dawnレーベルを研究対象にしたときに参考になるだろう決定的な編集盤が英Esotericから2010年に発売された。それが『Cave Of Clear Light-The Pye and Dawn Records Underground Trip 1967-1975』⑨という3枚組のBoxセットだ。3枚の構成は、1枚目がパイ(Pye)を中心とした60年代後半、2枚目がDawnに移行した当時の音源、3枚目はパイに残されたイカルス(Icarus)やステイタス・クォ(Status Quo)、そしてライティング・オン・ザ・ウォール(Writing On The Wall)らも含めて、Dawnが求めた進歩系ロックのコアな部分がまとめられている。ライティング・オン・ザ・ウォールはミドル・アース(Middle Earth)・レーベルだが、ディストリビューションはパイにあったことから収録されている。とても本質を突いた学究的な素晴らしいコンピレーションになっている。
何度も述べてきたように、パイ・レコードは60年代からビート・サウンドから徐々にサイケデリックな音楽性を持ったアーティストを幾つも抱えていた。時代がプログレ、ハードへ、そしてフォーマットもシングル中心からアルバム単位の作品の時代へと移っていく流れからDawnレーベルを設立したことは時代の要請として素晴らしい決断だった。そして、そこで中心として動いたのはパイを中心に仕事をしていたプロデューサーのジョン・シュローダーだった。彼はベテランのピーター・エデン、若手のバリー・マレイを誘い、基本的な3人のプロデューサー体制が出来上がっていった。
そして目論見通り、(先にも書いたとおり)シュローダーはクワイエット・ワールドやマンをうまくDawnに移行させることが出来た。そして、エデンはドノヴァンをパイでスターにした仕掛け人である実績を活かし、もともと持っていたジャズ志向をもって、ジョン・サーマンのザ・トリオやマイク・クーパーの音楽性を広げ、ヘロンを上手くデヴューさせることも出来た。若いマレイは、パイでブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)を手がけていたが、Dawnに移行してからもトレイダー・ホーン、タイタス・グローン、カムス、デモン・ファズ、アトランティック・ブリッジといったレーベルの核とも言える代表的なアーティストを魅力的な存在として登場させることが出来た。
★画像20 Pyeから出されていたUnderground Rockの一部
しかし、例えばパイに在籍していたステイタス・クォ(Status Quo)はシュローダーが手がけていたが、70年の『Ma Kellly’sGreasy Spoon』71年の『Dog Of Two Head』はそれまで同様にパイからリリースしている。ひとつの可能性として「彼らもDawnレーベルに移籍させていたらどうだっただろうか?」ということを考えてみる。結果的に彼らはVertigoに移籍し、英国で国民的な人気を得ている。マレイが担当していたブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)はどうだろう。ミステリアスで十分にプログレッシヴな感性を持っていた彼らも、Emberレコードに移籍してしまうが、最初のアルバムに続いて2枚の魅力的な作品を発表している。
同様にヴェルヴェット・フォッグ(Velvet Fogg)やシェイキー・ヴィック(Shakey Vick)、ペスキー・ジー(Pesky Gee!)やウッディ・カーン(Woody Kern)、そして文中で何度も名前を出したファイア(Fire)もパイからアルバムを出していただけに、それらをうまくDawnでも扱えなかったのだろうかと思ってしまうのだ。つまり、それまで在籍していたパイ所属のアーティストを上手く運用できなかったのではないかということだ。(まあ契約関係は私が考える以上に複雑なものがあることは理解できるのだが)
もうひとつは、マンゴ・ジェリーが「イン・ザ・サマータイム」の大ヒットしたこと。本来ヒットを出すことはレコード会社にとっては歓迎すべきことなのだろうが、進歩的レーベルとして認識されるDawnにとって、ジャグ・バンドが出したヒットはイメージ的にマイナスに作用すると考えたことは確かだ。
長くなってしまったが、そんな辺りの事情を3枚組のCD『Cave Of Clear Light-The Pye and Dawn Records Underground Trip 1967-1975』が伝えてくれている。マンゴ・ジェリーは収録されているが大ヒットした「In The Summertime」ではなかった。ここで強く付け加えておきたいのは、マンゴ・ジェリーがけっして悪者だったわけではないということだ。大ヒットがなければ、古いロックを現代に息づかせようとした進歩的な存在として歴史の中に記憶されたに違いない。
ジョン・シュローダーは73年にDawnの仕事から手を引いている。それでもDawnレーベルはジョーンジー(Jonesy)やフループ(Fruupp)、クイックサンド(Quicksand)といったバンドを上手く取り込んで、プログレ・ファンには気になるレーベルであり続けたことは間違いない。私にとっては、70年代前期のロック・シーンの一側面を見事に体現してくれた思い出深く愛すべきレーベルであることを結論づけておきたい。
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71年にDawnからリリースされた唯一作。ファズ・ギターとオルガンによるソリッドなハード・サウンド、アグレッシヴなパーカッション、ソウルフルで力強いヴォーカルが印象的なアフロ・ジャズ・ロック。
紙ジャケット仕様、24bitデジタル・リマスター、定価2600+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯中央部分に若干色褪せあり、軽微な汚れ・軽微な折れあり
盤質:傷あり
状態:良好
1枚は無傷〜傷少なめ、2枚は傷あり、スリップケースに軽微な圧痕あり
米ルイジアナ州出身4人組、ハード・ロック・グループの72年作!70年代アメリカン・ロック・サウンドの王道ど真ん中を行くパワフルなスワンプ・ロックンロール、跳ね回るピアノ・ブギーにフィメール・ソウル・ヴォーカルが加わり、最上級のブルース・ロックを展開!そしてやっぱり(笑)今回もファーストに引き続き、さらにパワー・アップ収録!Linda Ronstadtが爆発的な人気を誇るきっかけとなった、大名曲「You’re No Good…(悪いあなた)」のハイパー・へヴィ・カヴァー。転がるようなピアノ・プレイが印象的なBEATLESのカヴァー「Lady Madonna」のスワンプな解釈も素晴らしい意欲作!
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