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COLUMN THE REFLECTION 第24回 マシュー・フィッシャーのオルガンに魅せられて① ~春霞に立ち上るプロコル・ハルム「青い影」の幻影 文・後藤秀樹

マシュー・フィッシャーのオルガンに魅せられて① ~春霞に立ち上るプロコル・ハルム「青い影」の幻影

★画像① Procol Harum メンバー写真

そのメロディーを知らぬ者はいないだろう。1967年に出された大ヒット曲。世界中で愛され、多くのミュージシャンにもカバーされ、スタンダードな存在になっているプロコル・ハルム(Procol Harum)の「青い影(A Whiter Shade of Pale)」。その新鮮な印象は、今も世界中で愛されていると同時に、私自身の中でも特別な存在として輝きを失っていない。

デヴュー曲として出した曲が超特大のヒット曲となり、ビートルズ(Beatles)の「愛こそすべて(All You Need Is Love)」のヒットをかすめるほどに67年の英国音楽シーンを席巻した。さらに世界各国でチャートのトップに立ち、英国でもこれまでラジオでオン・エアされた回数はすべての曲の中で1番だという。カバー・バージョンの数も現在までに1000を超えるというのだから圧倒的だ。

最近では松任谷由実が憧れのプロコル・ハルムのスタジオを訪れ共演し、翌年には彼らの日本公演に参加、自らの活動40周年記念のベストアルバムに「青い影」もカバー・バージョンとして発売したことが記憶に新しい。(それでも2012年だからもう8年前か・・・)

ただ、世間一般に『プロコル・ハルムの「青い影」』は一発屋のヒット曲としての認識しかないと言う事実もまた仕方ないかも知れない。その昔、70年代のディスコではチークタイムの定番曲だったこともあり、この曲がかかると別の意味でニヤリと思い出す方々もいるだろうか。

◎音源① Procol Harum / 青い影

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英国のプロコル・ハルムのデヴュー曲を聞いて思い浮かべることは何だろう。ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker)のヴォーカルやキース・リード(Keith Read)の哲学的な歌詞・・・・というのは後になって考えるわけで、まずはイントロで印象的に、そして全編を包み込んでいるオルガンの調べであることに異論はないだろう。

そのバッハをモチーフにしたメロディーを奏でているのがマシュー・フィッシャー(Matthew Fisher)「青い影」に深く関心を持った者ならばクレジットに記されたその名前は忘れられないはずだ。

彼はプロコル・ハルムには最初から参加し、3枚の印象深いアルバムを出した後に脱退してしまう。その後もプロコル・ハルムは活動を継続し、ツアーで「青い影」も演奏するのだが、マシューのオルガンが聞こえてこない「青い影」には聴衆のブーイングが響いたほどだという。

「青い影」にまつわるエピソードと、その歴史に残るオルガン・プレイヤーのマシュー・フィッシャーの活動とその音楽性を2回に分けて取り上げてみようと思う。

★画像② Procol Harum/青い影 シングル(1)

「青い影」が日本でも流行った頃、私はまだ小学校高学年の頃だったが、やはりオルガンのメロディーが心地よく、家にあったオルガンでなぞったものだった。当時グループサウンズ(GS)の全盛期であった時期だけに、GSバンドがずいぶんと「ヒットパレード」をはじめとするTV番組でその「青い影」をカバーして演奏していた。

カバーばかりでなくズーニーヴーの「白いサンゴ礁」(69年)はその影響下にあるだろうし、67年のハプニングス・フォーの「あなたが欲しい」などは完全にプロコル・ハルムを意識したとその頃から感じていた。そのどれもが、マシューが「青い影」で聞かせたようなオルガンのイントロで始まる。明らかにプロコルの音楽性は「青い影」1曲で当時の音楽界を席巻したかのような印象だった。

先ほどの松任谷由実に関しても、荒井由実でデヴューした当時からプロコル・ハルムが大好きで影響を受けたことを語っていて、「翳りゆく部屋」は間違いなくその想いが結晶化した曲と言える。

◎音源② 荒井由実/翳りゆく部屋

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「青い影」は確かに名曲なのだが、そこにある魅力のひとつはどこか不思議で謎めいたものを感じさせることにあるのではないかと思う。春先という今の時期に聞くと、「春霞に立ち上る幽霊」というイメージがどこかついて回る気がする。それはモノラルという録音状態のせいなのか、ふわりと立ち上がるオルガンの音の輪郭がぼんやりとしていることに由来しているかもしれない。

そして、原題の「青ざめた白いかげり」というその言葉がそのままズバリの幽霊の表情を想像させるとも言えないだろうか。実際に歌詞の中では「動揺して徐々に表情が青白くなっていく」という様子を、「幽霊のように」と表現している。

“That Her Face At First Just Ghostly Turned A Whiter Shade Of Pale”

この歌詞は詩人としてメンバーとして参加したキース・リードの手によるもの。プロコル・ハルムの歴史はゲイリー・ブルッカーとキース・リードが出会ったところから始まる

特に後にクリムゾン(King Crimson)でやはり詩人として参加したピート・シンフィールド(Pete Sinfield)が有名なわけだが、それ以前(と言ってもほんの1~2年の差だが)のロック・グループで「詩」を書くことでコンセプト・メイカーとして存在するということはとても魅力的に映った。

事実、彼の文学的な素養は遺憾なく発揮された。様々な解釈を生む深い言葉で綴られていたことから現在に至るまでたくさんの解釈が生まれている。出た当時は「青い影」での詩の解釈も哲学的で人生訓のようにも受け取られており、私もその世界観に影響を受けたものだった。

最近では、「不倫的な寝取られ物語」として、その素材はチョーサーの14世紀の古典「カンタベリー物語」の「粉屋の話」に求めているという解釈もある。キース・リードの素養からすると、そこからの引用はそれもあるだろうと考えると興味深い。

一つ一つの言葉の重みも味わい深いが、それらが連なることで「お伽噺」のように広がりを見せるところが魅力的だ。言葉とメロディーが合わさることで音楽の魅力が広がるとしたら、それを感じ取ることができるプロコル・ハルムの面白さがまた理解できるのではないだろうか。

★画像③ Procol Harum/青い影 シングル(2)

ゲイリー・ブルッカープロコル・ハルムの前身に当たるパラマウンツ(Paramounts)というグループで6枚のシングルを出していた。パラマウンツは、多くの高い評価は得たもののブルッカーはミュージシャンを辞めてソングライティングに回ろうと思っていた。そんな時、当時の英国音楽界の顔役ガイ・スティーヴンス(Guy Stevens)キース・リードを紹介されたことが大きな転機となった。リードが歌詞を書き、ブルッカーがその詞に曲をつけたらどうかという提案だった。渡りに船のような提案だと思ったが、結局そうして作った曲をソングライティングとしてだけではなく、自分たちのバンドで演奏していくことを考えていくことになる。

ブルッカーブッカー・T&MG’s(Booker T&MG’s)オーティス・レディング(Otis Redding)のようなR&Bを聞いていたし、スタイルとしてはボブ・ディラン(Bob Dylan)のバック・サウンドに刺激されていた。後にザ・バンド(The Band)になる連中のサウンドの楽器間のソロを含めたコラボレーションの素晴らしさに感動し、新たなバンドの青写真となった。ピアノとオルガンを共にリード楽器として機能させるという考えはそこから生まれた。

67年1月、メロディー・メイカー(MM)誌「リード・ギタリスト、オルガニスト、ベーシストを募集。ヤング・ラスカルズ(Young Rascals)やボブ・ディランのようなサウンドの新曲を制作予定」と広告を出す。そこでオーディションを通してベースにデヴィッド・ナイツ(David Knights)ギターにレイ・ロイヤー(Ray Royer)が採用された。


一方、マシュー・フィッシャーは2月にやはりMMに自ら「当方ハモンド・オルガン奏者、プロ志向」との広告を出し、これがガイとブルッカーの目に留まりオーディションを経て正式に加入が決まる。

1946年生まれのフィッシャーは、6歳からピアノを習い、短期間ではあるがロンドン・ギルホール音楽学校で正式に学んでいた。彼は昔から学校嫌いで悪態をつくことが多かったようで、オーディションの際にはリードブルッカーとその点でも意気投合したという。フィッシャーは1964年ジョー・ミーク(Joe Meek)トルネイドーズ(Tornados)でピアノを弾くことでプロとして活動を始めていた。その後、ビリー・フューリー(Billy Furey)テリー・リード(Terry Read)のバックを務めていたが、その頃から演奏の一部にクラシカルなフレーズを加えていた。

テリー・リードのバンドがホリーズ(Hollies)スモール・フェイセス(Small Faces)のパッケージ・ツアーに参加した時に、スモール・フェイセスのオルガン奏者イアン・マクラガン(Ian McLagan)に「ハモンドを弾いてみる気はないか。自分のハモンドを持ったら仕事も増えるぜ。」と言われ、その気になった。ハモンド・プレイヤーになるために祖母から借金をしてハモンドM102を購入し、彼の本格的なキャリアがスタートすることになった。

リードとブルッカーのオーディションに合格したときにはまだスクリーミング・ロード・サッチ(Screaming Lord Sutch)に参加していたが、彼自身、本格的な活動を求めていたところだった。


しかし、なぜかドラマーの選定は後回しとなり、3月になってMM誌にドラマー募集広告を出す。ここでやって来た3人はすべて不採用となる。ただ、気になるのはその3人のうちひとりはTUBSという人物ということで、その名前を聞くとビル・ブルフォード(Bill Bruford)を思い浮かべてしまうのだがどうだろう。公式にプロコル・ハルム、イエス(Yes)のバイオには載せられていないことなのだが何となく気になってしまう。


そんな中、ブルッカーの友人であったボビー・ハリソン(Bobby Harisson)が呼ばれ「青い影」を含め3曲を録音している。しかしその後3月29日のレコーディングには急遽ビル・アイデン(Bill Eyden)が呼ばれやはり「青い影」をレコーディングすることになった。アイデンはJazzドラマーで、50年代からタビー・ヘイズ(Tubby Hayes)と一緒に活動し、60年代に入ってからはジョージー・フェイム(Georgie Fame)のバックを務めていた。

そのアイデンだが、「アセテート盤として残されていたTUBSの演奏をもとにした」とその時のレコーディングを思い出してフィッシャーが語っていることから、TUBSが参加したヴァージョンもあるわけで、デヴュー曲となった「青い影」音源はどのセッションから生まれたものか、またドラムは誰が担当したのか明確ではないのだ。

4月19日にはハリソンが加わってシングルB面の「ライム・ストリート・ブルース」を含めて「青い影」も再度録音しているので、それがシングルに利用されたテイクであるとは言われている。

公式にはオリジナル・メンバーとされるゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー、デヴィッド・ナイト、レイ・ロイヤー、ボビー・ハリソンの5人とされていたが、大ヒットしてしまっただけにレコーディングに関わったメンバー間の思惑が交錯し、その後の確執が続いていくことになる。(72年A&Mから出た『The Best Of Procol Harum』のクレジットには、収録曲の全曲メンバーのクレジットが掲載されているが、「青い影」のドラマー・・・そこにはJohn Eydenと記されている。)

その裏にはプロコル・ハルムのデヴューを導いたガイ・スティーヴンスが途中で離れ、デニー・コーデル(Denny Cole)ジョナサン・ウェストン(Jonathan Weston)といったマネージャー、プロデューサーが次々と混在しそれぞれの思惑が交錯していたこともひとつの原因になったと思われる。

名曲となった「青い影」の裏のこうした事実は、ヒット曲の宿命なのだろうか。

★画像④ Procol Harum メンバー写真(#1)

「青い影」のベースはバッハの「G線上のアリア」をヒントに作られたオルガン・パートがメインになっているが、さらに有名なパーシー・スレッジ(Percy Sledge)の66年のヒット曲「男が女を愛するとき(When A Man Loves A Woman)」にインスパイアされていることも有名だ。ブルッカーの歌唱法は彼の嗜好であった黒人音楽の影響でもあり、スレッジもその後「青い影」をカバーしている。クラシックに由来しているとは言え、ゴスペル的要素も感じさせるのは、こうした背景もあるからだ。大きな問題もなく2つの名曲が今も共存していることは素直に嬉しい。


「青い影」は、デッカ(Decca)レコード傘下で1966年秋に設立されたDeramからリリースされた。レコーディングした際には8分近くあったので、そのままシングルにするわけにはいかなかった。デッカの経営陣は難色を示した(「退屈で長すぎる!」という評価だった)が、プロモーション担当のトニー・ホール(Tony Hall)は大ヒットを確信しており、曲を半分の長さにする編集は入れ経営陣を説得し、海賊ラジオ局でのオン・エアに力を尽くした。5月12日にシングルが発売され、翌週には英国で13位になっていた。デヴュー直後から大きな反響があり、特にスピークイージーのステージでは観客の一人だったジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)が興奮してステージに上がって一緒に演奏したという。さらに6月4日にはそのジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(Jimi Hendrix Experience)のサポートを果たした。音楽各誌はプロコル・ハルムの凄さと単なるヒット・グループではないという今後の可能性を競うように伝えていた。


5月から6月にかけて忙しいライヴとアルバムのレコーディングを繰り返す中で、ロイヤーとハリソンに解雇が言い渡される。「青い影」がチャートで1位を続けている真只中だった。プロデューサーのデニー・コーデルが取ったこの措置は、しばらくの間、問題として引き摺ることになる。その際、同時にマネージャーのジョナサン・ウェストンも同時に解雇される等々様々な問題が山積し、ファースト・アルバム・リリースに「青い影」が収録されない等、大きな影響が出ることにつながっていく。

★画像⑤ Procol Harum メンバー写真(#2)

7月にギターのロビン・トロワー(Robin Trower)とドラムスのバリー・ウィルソン(B.J.Wilson)がグループに加わる。トロワー、ウィルソン2人ともブルッカーとパラマウンツ時代の仲間で知り合いだったが、当時のインタヴューであくまで公平なオーディションを経てのグループへの参加だったことをウィルソンが強調しているのが印象的だ。


当時収録されたプロモーション・フィルムの内容にも問題が持ち上がった。「青い影」のオリジナル・メンバー・バージョンなのだが、なぜかヴェトナム戦争の生々しい場面が挿入されていたからだ。その意図は明確ではないが、歌詞の意味合いとも関連しているとする解釈の裏付けとしてとらえられてもいた。深読みとも思われるが、ここにも「青い影」の歌詞の持つ言葉の深さをうかがうことが出来る。

バンドの形が整ったと思ったら、わずか数ヶ月で2人のメンバーが入れ替わったこともあり、何事もなかったかのように新たなプロモ・フィルムが作られた。その2本が残されているので、比べて見ていただきたい。

◎音源③ Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale promo film #1 (Official Video)

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◎音源④ Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale promo film #2 (Official Video)

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67年5月の「青い影」に続く新しいシングルとアルバム作成が急がれたプロコル・ハルムだが、メンバーの変更はともかくも、マネージメントと出版社、レコード会社間の契約の問題が表面化してしまうことになる。結局、当時は「青い影」のシングルはDeramから出されたものの、第2弾シングルの「ハンバーグ(Homburg)」は英国ではRegal Zonophoneから出ることになった。そんな事情からアルバムの発売権もRegal Zonophoneとなり、「青い影」は収録されていない。代わりに後に代表曲となる「Conquestador(征服者)」が収められた。

★画像⑥ Procol Harum ファースト・アルバム各国盤

その問題も国をまたぐとクリアーできたらしく、米国では「青い影」も「Conquestador(征服者)」も入ったDeramからのリリースとなった。ただし疑似ステレオという不思議なミックス盤になっている。

面倒なことに英・米のジャケットデザインはほぼ同じことから、当時は混乱もあった。

日本ではセカンド・シングルの「ハンバーグ」はPolydorから出され、アルバムも同じPolydorから出されたことから、「青い影」は入らないものの「ハンバーグ」も「Conquestador(征服者)」も含んだこれまた独自な構成になっていた。ジャケットも英米とは違ったものの、日本盤も疑似ステレオだった。(「ハンバーグ」は帽子の種類でけっして食べ物ではなかった。)

当時はもちろん「青い影」が収録されたアルバムが待たれていたことは明らかなので、米盤は売れたものの、英・日どちらもアルバムの売れ行きは不調だった。

現在CDとなってからは、そうした音源はボーナストラックとしてすべて収められているものが多く不自由は感じられないだろうが、67年から68年にかけてのリリース状況は大混乱だった。

ただし、アルバムを手にした者はまた新たな発見に喜びを見いだした。それは、各国盤のラストに収められた「ヴァルプルギスの後悔(Repent Walpurgis)」だった。「青い影」のオルガンに魅せられたファンにとって格好の演奏だった。この曲はマシュー・フィッシャーの手により、彼のオルガンが中心となったクラシカルな作品だっただけにまさに溜飲を下げる思いだった。後半のトロワーのソロもまた凄い。プロコル・ハルムが洋楽やポップス・ファンの枠を超えて、プログレ・マニアにも人気を広げていくことになるのは「青い影」と同時にこの曲の存在があったからだと言っていいだろう。

◎音源⑤ Procol Harum / Repent Walpurgis

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彼のこの後のプロコル・ハルムでの活動とソロ・アルバム、そしてその後の再びプロコル・ハルムでの素晴らしい貢献について次回紹介していこうと考えている。

★画像⑦ Procol Harum 30thAnniversary Anthology



*なお、「青い影」のヴァージョンだが、シングルとなったオリジナル・バージョンはMonoだったが、米シングルにはStereo音源が存在する。

また、当時何度も録音されたヴァージョンが幾つか明らかになってきている。最初は1997年の30周年の記念アンソロジーとして英WestSideから3枚組で出されたCDに、
 ①6分に及ぶ完奏したStereoヴァージョン。(上記のStereoシングルとは別テイク)
 ②バッキング・トラックとしてヴォーカルを抜いたヴァージョン(遠くには聞こえてくる)。こちらは、オリジナル・シングルと同じテイクと思われるが、シングルでフェイドアウトされた部分以降もそのまま収録された興味深いもの。

このうち①のほうは、その後の再発CDにボーナスとして収録されているが②のほうは、このアンソロジーだけだと思われる。

2008年の英Salvoからの全アルバムの再発(2012年に日本盤でもVictorから発売されたもの)、近年の英Esotericから出ている大量のボーナスを含んだものにも、たくさんの興味深い音源があるので、次回紹介できたらと思う。




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