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【リスナー寄稿記事】「やはりロックで泣け!」第八回: What a man!, Paul Samson. ~男のなかの男、Paul Samson

寄稿:ひろきさんさん

 2017年まで連載されていた舩曳将仁さんによるコラム、「そしてロックで泣け」は丁寧に詳しく調べられていて、個人的に大いに興味を喚起されました。今回、彼の精神を受け継いで「やはりロックで泣け!」というタイトルで、様々な「泣ける音楽」を紹介したいと思います。


今回はひとりのmusicianにスポットライトをあてて、様々な角度からその人物が創り出した音楽を振り返ってみたいと考えています。タイトルで皆さんおわかりのことと思いますが、Paul Samson(4 June 1953 – 9 August 2002)がその人物です。

70年代の後半までpunk rockに支配され続けていたBritish rock sceneはいわゆるNew Wave of British Heavy Metal、NWOBHM(一般にNew Wobbumと発音されるようです)の隆盛で一気に活況を呈してきました。その当時、日本においても伊藤政則さんがNHK FMでIron Maiden、”The Soundhouse Tapes”を全曲紹介し、相当な衝撃を受けたのをはっきり覚えています。これを境に国内でも状況が一変しました。compilation albumという形で発売された, “Metal for Muthas”では多くのBritish heavy metal bandsの音に触れることができ、まさにthe guide to New Wobbumとして何度も何度も聞き込みました。その中に含まれていた”Tomorrow or Yeaterday”がSamsonとの初めての出会いです。しかしながら “Sancturay” & “Wrath Child” (Iron Maiden)や”Captured City” (Praying Mantis)、及びAngel Witchの”Bahomet”というhigh-energyにあふれた楽曲に圧倒され、インパクトという点では残念ながら薄かったことは認めざるをえません。余談になりますがB5はNutzの”Bootliggers”です。このbandは1974年から活動しておりなぜこのalbumに収録されたのか、私にとっては謎です。その後、Iron Maiden, Praying Mantis, Angel Witchのレコードは国内でもすぐに発売されたにも拘わらずSamson、SledgehammerなどのbandのLP発売は見送られました。

Tomorrow or Yeaterday

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ある日、レコードショップでSamson, “Survivor”(produced by John McCoy)を偶然見つけました。Laserという全く聞いたことのないlabelでやや不安感を覚えたのですが思い切って買いました。この当時は¥レートが低く、決断するのに時間がかかったものです。後でわかったことですがこのlabelは1978~1981に存在したUK のraggae専門labelですがCanの”Inner Space”もここから発売されています。面白いlabelですね。正直に初試聴の感想を述べますとfive starsの内、☆☆☆くらいでした。一つには音質面に問題があるのと、Paul Samsonのvocalはやはり弱い印象は免れなかったからです。ただ楽曲は優れたものが多く、聴き応えは十分にありました。このアルバムジャケットの表には4人のメンバーのイラストが描かれています。それはPaul Samson, Chris Aylmer, Thunderstick, Bruce Dikinson。裏はステージ上でThunderstickがギターを破壊しているのが写真中心に据えられているのが印象的で、Special Guestsという扱いでColin Towns, John McCoyの写真も掲載されています。実はこのalbum、全曲がJ. McCoyとP. Samsonの共作となっていています。A3の”Big Brother”が二人での最初の作品と言われています。全ての曲でbassはC. AylmerではなくJ. McCoyが弾いています。またBruce Dickinsonもcreditはあるものの、一切録音には関わっていません。(彼のversionの音源もあります)またこのアルバムに先駆けて1978年に”Telephone / Leavin’ You”がsingleとして発売されています。B面はSounds誌Neal Kay’s Heavy Metal Chartにもchart-inしたほどの人気曲ですが、Samsonのこれまで発売されたどのアルバムにも収録されていません。(実は当時、Sounds誌を年間購読していました。読み終えると指がインクで真っ黒になったものでした。)ただA面の”Telephone”はAngel Air から発売されているcompilation album, “Tomorrow And Yesterday”に唯一original version(vocal: P. Samson)の形で収録されています。この曲以外のvocalはNicky MooreですがSamson fanならぜひ所有すべきalbumであると断言できます。このsingleについて説明が多くなりましたが、それには理由があります。この”Telephone / Leavin’ You”がNWOBHMを語る上で最初のsingle盤と一般に考えられているからです。機会があれば皆さんにもぜひ聞いてほしいと思っています。





 ここでそれ以前の活動について少しだけ触れます。興味深い話がひとつあります。皆さんはRam JamというAmerican hard rock bandをご存じですか。彼らは1977年に”Black Betty”という曲を大ヒットさせました。イントロのギターがかっこよく、聞けば誰でも「おっ!」と声をあげること間違いなしのフレーズから始まります。これを演奏しているのがP. Samsonであると言われています。彼は渡米し、Ram Jamのrecordingに参加したのは事実です。その時、”Black Betty”のdemo versionを録音したにもかかわらず少ないギャラ(わずか£20!)しかもらえませんでした。しかし、後に発売された”Black Betty”の演奏を彼が聞いて、そのギターパートは自分が演奏したものであったとの確信から、古くからの友人に「あの演奏は俺がやったんだ」と語り伝えたと言われています。その友人は1960年代後半から音楽活動を共にしてきたStewart Cochraneという人物です。彼も短期間、Samsonに在籍していました。 (このエピソードはwikipediaから抜粋しました。)

Black Betty

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 1981年にはsecond albumである “Head On”が発売されます。これは彼らの最高の作品であると断言できます。Sounds誌のGeff Bartonも最高評価であるfive starsをつけています。まずB. Dickinsonのvocalは鳥肌が立つほど素晴らしく感動的です。楽曲レベルが数段向上し、まさに捨て曲なし!リズムのバリエーションが多彩で曲の展開にわくわくしてしまいます。たとえば”Vice Versa”に見られる高速の12/8(8分の12拍子)採用、”Too Close To Rock”では8 beatを基本にしてテンポを巧みに切り替える手法は見事です。さらに”Hammerhead”や”Take It Like a Man”におけるサビメロディの絶妙な付け方にも引き込まれてしまいます。次作の”Shock Tactics”も前作同様、聞き応えのあるalbumに仕上がっています。なかでも”Riding with an Angel”(Russ Ballardの作品)と”Earth Mother”は秀逸な楽曲に仕上がっており、その後のライブでは必ず演奏されることになります。かつてはIron Maiden, Saxon, Def Leppard, Angel Witchのような勢いのあるbandとSamsonは人気面で並んでいました。しかしこの頃にはすでにmanagementやrecord 会社のゴタゴタに巻き込まれており、その結果、思うような活動が続けられなったことでP. Samsonは相当焦っていたようです。これが引き金になってB. Dickinsonが脱退しIron Maidenに加入するというbandとして大きなturning pointを迎えることになります。SamsonとIron Maidenのつながりは彼だけではなくClive Burrも同じような経緯をたどっています。彼の後任には元HackensackのNickey Mooreを迎入れ、新たに活動を始めることとなります。





 話は変わりまして1982年8月、私は休暇がうまくとれてLondonには2週間ほど滞在していました。初めてイギリスの地を踏んだので興奮度は半端ではなかったです。言うまでもなく目的はrock三昧の日々を送ることでした。現地について早速、情報誌”Time Out”を購入し、周辺のライブの状況を確認して毎日夕方になるとどこかに行く計画を立てていました。やはり自然とWardour StreetにあるMarquee Clubに足を運ぶことがほぼ日課になってしまいました。8月5日(火)、この日はThunderstick Bandがheadlinerで、前座はEnglish Rouguesという聞き慣れない bandの出演が予定されていました。数日前にTwisted Sisterで最高に盛り上がり、何人かが酸欠で会場から運ばれる異常事態が発生したのですが、この日は静かにライブが始まりました。私はその時、このbandについての情報を全く持ち合わせていませんでした。演奏が始まってみるとEnglish Rouguesはいい意味で予想に反して典型的なhard rock bandだったのでとても得をした気持ちになったのを覚えています。つい最近判明したことですが、メンバーの一人であるGerry Sherwinというbassist & vocalistは古くからPaul Samsonと活動を共にしていた人物です。彼はClive BurrとChris Aylmer(Samson’s bassist)と一時期同じbandにいました。また1990年の作品、”Refugee”に含まれている”Room 109″は二人の共作です。またこの頃にはPaul Samson’s Rouguesと名乗って彼と一緒にtourを行っています。しかし残念なことにGerryが病気になったことから自然とこのmemberでの活動は消滅し、Rouguesという名前もなくなりました。このRouguesはGerryのband名からとったのは間違いありません。Gerry Sherwinは現在も音楽活動を続けています。もし興味があるならばYouTubeでEnglish Rougues、”Let Me Take You Higher”を聞いてください。British hard rockを好んでいる人はほぼ全員”Great!”と言うはずです。さてこの日のThunderstick band、驚かされたのはvocalが美しい女性だったことです。Samson脱退以降の彼の動向についての情報が日本ではほとんど入ってきませんでした。Thunderstickは例のグロテスクな覆面をかぶり、ドラムの前方の左右上部に同じマスクをぶら下げ、不気味な演出を背景にでワイルドにドラムを叩いていました。どのような曲を演奏したのか思い出せませんがまさにthe beauty and the beastの雰囲気を十分すぎるほど醸し出していました。なんと翌年にこのbandで制作したEPのタイトルが”The Beauty and the Beast”というのも笑ってしまいます。同月の後半にはNicky Mooreが加入したSamsonも出演しました。この時代、どのライブハウスでも録音、写真の制限が一切ありませんでした。他にもMarillion, Solstice, Groundhogs, Demon, Spider, Grand Prix, Dumpy’s Rusty Nuts等多くのbandを見ました。機会があればお伝えできると思います。




Nicky Mooreをvocalistに迎えてSamsonは2枚のalbumを制作し、両方とも日本国内でも発売されました。彼の持ち味であるpowerful, blusy and soulfulな歌唱法が楽曲にうまくとけ込んで、期待通り成果を示してくれました。ここから”Red Skies”、”Losing My Grip”等の名曲が生まれています。1984年にはWhitesnakeとの共演も果たし、特にEuropeではさらに人気が加速しました。この後P. Samsonはsolo中心の活動に移行することとなります。J. McCoyのbandに参加し、albumを制作しています。一方、 Nicky MooreはUli Jon Roth’s Electric Sun(元Scorpions)に加入し、drummerであるPete Juppら3人はFM(band)を結成することとなります。

 この頃におもしろい話があります。それはBlackfootのRickey MedlockeからPaul Samsonにofferがあったことです。実際、彼はAmericaまで行き彼とsessionを行いました。They didn’t hit it off.と表現されているように「二人は気が合わなかった」のが理由でその話は実現しませんでした。ついでに次のような話も過去にありました。J. McCoyは70年代後半からIan Gillanが主導するbandに関わっていました。その間、guitaristが交代するタイミングが2回ありました。Steve BardとBernie Tormeの時です。J. McCoyは2回ともP. Samsonに声をかけましたが彼は自分のbandを優先してofferを断りました。結局、Bernie Tormeの後任はJanick Gers(元White Spirit)が選ばれました。その後彼はBruce Dickinsonの初めてのsolo album,”Tatooed Millionaire”に参加したことから彼と親交が深まり、現在はIron Maidenのguitaristの一人になっています。

 少し話がそれて恐縮ですが先月、大阪城ホールでのIron Maiden concertを初めて見ました。やはり50年近いキャリアを有しているbandだけに、その存在感は言葉にならないくらい圧倒的で感動を覚えました。Bruce Dickinsonの年齢を微塵も感じさせないperformanceには開いた口がふさがりませんでした。Janick Gersも所狭しとステージを走り回り、Richie Blackmoreに影響を受けただけあってguitarをくるりと回す動きもしっかり決まってかっこよかったです。

 続いて1990年代の彼の動向とguitar styleを紹介します。彼のguitar styleは一言で言えばbluesです。私も長い間guitarを弾いているので、彼のフレージングを聞けばbluesの影響が大きいことはすぐわかります。いわゆるold schoolの属するタイプでshreddering(速弾き)等は使わずにpower chordをうまく駆使してpentatonic scale(基本5音)を使って楽曲にフィットする奏法を使っています。このスタイルはblues musiciansだけでなく昔から多くのrock musiciansも好んで使っています。1993年にはRic Lee(元Ten Years After) band, Chris Farlowe, Dic Heckstall Smith等とsessionを行い”Blues Night”と題したlive CDを発売しています。さらにChicagoまで行きThe Richard Projectというblues bandにも加入しました。その後自分でMetalic BlueというbandをIan Ellis(元Clouds, Savoy brown)と結成してUK, Europeをtourするなどして新たな音楽活動が軌道に乗っていました。その頃、並行して1997年に2年後の1999 NWOBHM 20thに向けてChris Aylmer、ThunderstickとSamson再結成の計画を練っていました。その時偶然にもB. Dickinsonからそのリハーサルにぜひ彼も関わらせてほしいとの連絡がありました。この時、彼はMaidenのvocalistではなかったので順調に物事が進んでいたところ急転直下、彼がMaidenに再加入することが決定し、この夢のプロジェクトは泡と消え去りました。このように紆余曲折があったにもかかわらず1999年、Samsonは奇跡的な一夜限りの再結成コンサートをPraying Mantis, Tank, Tresspassと共に東京で行うことがついに決定しました。



 ここからは少しこのコンサート”Metal Crusade 1999″について触れさせてください。1999年8月1日に私は日比谷野外音楽堂にいました。このmetal crusadeという表現はSoundhouseの人気DJであるNeal Kayが当時のheavy metal bandをイギリス中くまなく連れて回り、彼らの音楽性を認知してもらいたいという願いを込めてこのtourを”Heavy Metal Crusade”と命名したのが始まりです。おそらくそこからとられた名称であると推測します。この日は天候に恵まれ、日が暮れてから最高の環境の中で野外ライブを楽しむことができました。結論から言えば、このイベントは大成功で、まさに熱狂の嵐に包まれて至福の時間を過ごした感がありました。全盛期から20年の年月が経過してもここに集結した全てのbandはかつての勢いそのままで、彼らから発する音圧に圧倒されました。Samsonは2番目に出てきました。結成時のトリオ編成でありながら音が相当分厚く、彼らのhard & heavinessを体感することができました。ただvocalはPaul Samsonが担当しているのでオリジナルキーでは歌っていませんでした。たとえば”Riding with an Angel”を取り上げると、レコードではBruce DickeinsonはAのkeyで歌っています。この時Paul SamsonとChris Aylmerはチューニングを半音下げています。半音下げたkeyでも普通の人は歌えないので、このような場合は(blues baseの曲の時)5度下げて歌うとうまく曲とあいます。つまりコーラスをつける場合は5度上げ下げするだけでOKです。具体的に言うとこの曲の最初の音、B. DikinsonはA(上のラ)、P. SamsonはC#(ド シャープ)になっています。確かにvocalに関してはだいぶ違和感はあったものの演奏自体は素晴らしく、今後のSamsonの動向に注目が高まったのは事実です。Samsonの演奏が終わって私も少しくつろいでいると、すぐ近くの観客席中段あたりになんと浴衣姿でPaul Samsonが座っているのが目に入りました。すぐに彼のそばに駆け寄り図々しくもサインを2回もしてもらいました。誰も彼の近辺にいなかったのが今考えても不思議です。このコンサートは日本だけCDとして発売され、現在でも入手可能です。

 この後、彼らはNicky Mooreと共に活動を再開します。Samsonの最後のコンサートは2000年のドイツ Wacken Festivalです。このライブは映像で残されており誰でも楽しむことができます。この時、地元のメディアが彼らにインタビューしている映像があります。Paul Samsonはおどけて冗談ばかりですがNicky Mooreは具体的に今後の動向を述べています。コックニーなまりの早口でしゃべっているので聞き取るのは少し難しかったです。彼が言うには「Zoom Clubからもうすぐ我々のLiveが発売されることになっているんだ。studio albumを聞きたいと思っている人もいるだろうけど、もう12曲は作ってあるんだ」という内容でした。彼の言うLiveは”Live In London 2000″を指していると思われます。またstudio albumといのは2006年にAngel Air Recordsから発売された”P.S…”だと推測されます。

 最後のパートになります。Paul Samsonはalbum制作中、2002年8月9日、癌が原因で亡くなります。葬儀にはJ. MacCoy, Clive Burr, Praying Mantis, Saxonなどが参列しました。この時、Classic Rock magazineは次のように書いています。”Paul Samson: remembering NWOBHM ‘s lost star”「NWOBHMの亡くなられたスターを思い出して」、”Samson was the founder, guitarist and guiding light of the New Wave Of British Heavy Metal act.”「サムソンこそ(bandの)創設者、ギタリストでありNWOBHMという動きの先導者でもあった。」

 この後、JohnMcCoyが彼の代わりに最後のalbumを完成させました。それは前述した”P.S..”であるのは間違いないと思います。2007年にChris Aylmer、2013年にClive Burr、2022年にはNicky Mooreも亡くなってしまいました。でもSamson再結成は不可能ではありません。私の望むSamsonの再結成メンバーは次の通りです。Bruce Dickinson又はGerry Sherwin(vocal)、 Thundesrstick (drums)、 John McCoy又はGerry Sherwin(bass)、Al B. Romano (guitar John McCoyと共に活動していた若手guitarist)というのはいかがでしょうか。



 最後にPaul Samsonが好んだ言葉を紹介して終わりにしたいと思います。

“I believe in what I do, regardless of those trends that always seem to come and go.”

「常に移り変わっているように見える時代の趨勢(すうせい)を気に留めず、信念を持って自分のやるべきことを行っている。」(Clasic Rock より引用)














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