2018年3月20日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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ロキシー・ミュージックが、〈服を着たラヴソング〉ブライアン・フェリーの音楽的野望を達成する場だったことは、前回の原稿で書いた。ほぼ素人による感性一発のポップでアヴァンギャルドなアート・ロックを出発点に、いわゆるロック的なバンド・アンサンブルから一定の距離を置きながら、スタックスやモータウンといったR&Bをあくまでも英国的に解釈/消化していく過程が、そのままロキシーの音楽的変遷である。
私の主観で、以下の4ピリオドに分類する。21世紀の再々結成以降に関してはライヴ・オンリーなので、積極的に無視したい。
❶1972-1973年『ロキシー・ミュージック』『フォー・ユア・プレジャー』期。
❷1973-1976年『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』期。
③1979年『マニフェスト』期。
❹1980-1983年『フレッシュ・アンド・ブラッド』『アヴァロン』期。
『マニフェスト』期は同名再結成アルバム一枚だから、❸ではなく③にしておいたが、折からのトラッシュな英国パンク/ニューウェイヴ熱を窘(たしな)めるかのような、《大人の高級パンク/ニューウェイヴ》感が大人げなくて素敵だ。
2003年の極東の島国で、衆議院議員選挙で民主党が政権公約として掲げた《マニフェスト》が、この年の新語・流行語大賞を受賞するのだけど、我々ロキシー信者は24年も前にこの言葉を学習していたのであった。どうでもいい話だなぁ。
個人的には、いろんな意味で英国ロマンティック・ロック・バンドな❷期も、黒人音楽のやたら瀟洒で心地よい欧州的解釈が画期的だった❹期も、いずれも素晴らしい。
しかしまた話が長くなってしまうので、ここは涙を呑んで❶期に集中するよ。後ろ髪を引っ張られ過ぎて、ほとんどムーミン谷のミーな私である。
当時はT・レックスやデヴィッド・ボウイを代表格とする《グラム・ロック・ムーヴメント》が英国を席捲していたが、彼らの『ブレードランナー』的な〈現実逃避型SF志向〉とは一線を画したスタイルを、ロキシー・ミュージックは誇っていた。
R&Bや映画やファッションに代表される50年代ポップ・カルチャーの影響を色濃く残しながらも、『アメリカン・グラフィティ』的なノスタルジーにただ支配されるのではなく、あえて言うなら『時計じかけのオレンジ』的なレディメイドの、加工による造形美を目指した姿勢は、音もヴィジュアルもまさに〈古くて新しい〉バンドだったのだ。
そんな〈ストレンジな新人〉の記念すべきデビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』が、45周年記念スーパー・デラックス・エディションとして蘇った。
まずCD1が、1stシングル“ヴァージニア・プレイン”を追加収録した米盤仕様のオリジナル・アルバムのリマスター音源。
CD2は、まだ全然デビュー前の71年春にイーノ宅で録音したアーリー・デモ4曲と、アルバム全曲のアウトテイク11曲だ。
そして、72年1月・5月・7月・8月の計4回に及ぶBBCセッション全14曲が一網打尽で聴けてしまう、要は〈おいおい大丈夫かライヴ盤〉状態のCD3。
でもってDVDの音源が、優秀な《生涯一ヲタ聴き手》スティーヴン・ウィルソンによるアルバム5.1ミックス。映像は“リ・メイク/リ・モデル”のイカしたPVと、TVライヴ4曲、そして現存する唯一のイーノ在籍時のライヴ映像4曲だから、たまらない。
くー。生きててよかった。
どうしても気になるので、まず「らしくない」音質的な話をしておく。
オーディオ系の知識も感性も乏しい〈にわか〉の私が指摘するのもなんだが、そもそもCDの音が苦手だ。デジタルだから仕方ないが、高音域から低音域まであるとあらゆる音の自己主張が強すぎて、しんどいのである。メリハリがないというのかメリハリがあり過ぎるというのか――趣きがないじゃない?
その点、滲みの妙や優しい輪郭といったアナログ・レコードのスキルを最大限活かした、ロキシーの『アヴァロン』とフェリーさんの『ボーイズ・アンド・ガールズ』の緻密にして繊細な艶っぽいサウンドは、究極の職人技といえる。そしてこの2作品はCDで再生しても、細やかなヴォーカルや楽器の音が綺麗に分離することで、レコードとは別の登頂ルートで〈あの瑞々しいサウンド〉を再現できた。
まさにアナログとデジタル双方の魅力を見事に引き出すことができた、ある意味〈究極のオーディオ・アルバム〉として未だ燦然と輝いているのだけど、それが仇になった。
日本では2001年の紙ジャケ化以来、ロキシーの現行CDで聴かれるのは栄光の『フレッシュ・アンド・ブラッド』『アヴァロン』のマスタリング・エンジニア、ボブ・ラディッグによる、1999年リマスター音源だ。ロキシー解散後も『ボーイズ・アンド・ガールズ』『ベイト・ノアール』『タクシー』『マムーナ』『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』『フランティック』『ザ・ジャズ・エイジ』と、ほとんどのソロ作品のマスタリングを手掛ける彼へのフェリーの信頼は、半端ない。実際キラキラしたアナロギッシュな音を録音させたら、ラディッグは未だ五本の指に入るだろう。
しかしだからといって、ロキシーの全アルバムを『アヴァロン』的な音質に塗り替えられちゃっても困るじゃないか。特に❶期の2作品は、あのなんとも言えないアオハルなアート・ロック感というか、全然ダイナミックじゃない頭でっかちなカレッジ・バンド的な質感が命だ。なのに『アヴァロン』みたいな、それぞれの輪郭が明確で音量もある〈ちゃんとした音〉にされてたから、魅力半減なのだ。
実はずーっと不憫だったのである、《CDのロキシー・ミュージック》は。
ところが2012年夏からは、安心してロキシーのCDを聴けるようになった。全然期待してなかったデビュー40周年記念のCD10枚組BOX『コンプリート・スタジオ・レコーディングス 1972-1982』の音質が、やたら素晴らしかったからだ。その昔よく聴き親しんだ(←正しいのかこの日本語)あの《レコードのロキシー・ミュージック》が、「やっと」CD化された瞬間である。
このBOX、輸入盤国内仕様のどうでもいい解説と見飽きた訳詞が付いただけで14000円という、嘘みたいなインフレ価格。4000円弱で普通に売られてた輸入盤を、私は迷わず購入した。
そもそも廉価盤っぽいというか物欲をくすぐらないというか、あのロキシーのBOXなのに装丁が異常に貧相で、各アルバムの紙ジャケも画一的な工業品っぽく、シングル・ジャケは強引に見開き化され趣向を凝らしたインナー・スリーヴは無地なのだ。ブックレットもなければ、データも何もクレジットされていない。
95年発表の4枚組アンソロジー『ロキシー・ミュージックBOX 1972~1982(THE THRILL OF IT ALL)』に未収録だったライヴ・ヴァージョン1曲と各種シングル・ミックス数曲が初収録されたことで、ロキシー名義の全公式リリース音源が揃う以外は能のないBOXだと正直思ってたのだ。ガイジンっぽい雑な仕事だな、と。
ところが聴いた瞬間に、己れの不明を恥じた。すいません。音質は最高でした。
特に❶期の2作品を聴けば明白なのだけど、あのメリハリに欠けてもわっとしたアオハルなアート・ロック感が、初めて再現されてるではないか。イコライザーやリミッターといった最新テクノロジーを駆使して得意げに高音質を極められるより、マスターテープに忠実なフラットな音質に仕上げてもらった方が、よっぽどありがたい。
ダイナミズムが無い分、感性だけで暴走した彼らの生真面目さが伝わるこの感じが、やはり私は好きだ。特に初期ロキシーはこうじゃなくちゃ駄目だろう。
ところがこの素敵なリマスタリングが誰の作業なのか、あのBOXには一切クレジットされていない。扱いがぞんざい過ぎないか、おい。
というわけでさて、今回の45周年記念『ロキシー・ミュージック』はどうなのか、となると――残念でした。4枚組の《スーパー・デラックス・エディション》も2枚組の《デラックス・エディション》も、オリジナル・アルバム音源として採用されたのは99年のボブ・ラドウィッグ増幅リマスター音源だった。くー。
ただし前者にのみ収録されている《スティーヴン・ウィルソン5.1ミックス》は、いい。期待していた《ニュー・ステレオ・ミックス》が実現しなかったのは残念だが、それでも〈デッドな部屋の真ん中で叩き唄うどたばたドラム&しなやかさ皆無のヴォーカルを囲んで演奏される、調子外れのギターや棒のようなオーボエや秩序のない電子音〉という初期ロキシー独特の音場感が、リアルに伝わってくるのだから。
しかたない。許す。
さて、以下は40数年来のロキシー信者による身勝手な感想文なので、適当に読み飛ばしてください。
今回最大の晴天の霹靂は、デビュー前の貴重な未発表音源を数多く収録した点である。
まず71年4~5月にイーノ宅で録音されたデモ4曲。メンツ的にはギターがロジャー・バン、ドラムが米国人ティンパニ奏者のデクスター・ロイドだ。バンの〈基本がないくせにアヴァンギャルドしたがり〉ギターと、ロイドの〈ドラムをなめんなよ〉ドラムを聴くと、両名とも録音直後に辞めてくれてよかったとつくづく思う。
とはいえ“2H.B.”も“レディトロン”も学生プログレみたいで、面白いことは面白い。特に後者はイントロがクリムゾンの“リザード”ぽくて可笑しい。
また翌72年1月4日《BBCザ・ピール・セッションズ》出演時のライヴ音源は、現存する最古のライヴ・アーカイヴ。こちらは先の4人に、ポール・トンプソン(ds)とexザ・ナイスのデヴィッド・オリスト(g)が加わった新ラインナップだ。
「知名度があるミュージシャンがいる方が話題になるかも」的な判断が働き、このおそるべき〈頭でっかちど素人集団〉にオリストを採用した。以前フェリーさんがこんなこと言ってたのを想い出した。『タクシー』の頃である。
フェリー たとえば“ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ(←1961年シュレルズの全英4位曲で、キャロル・キングも1971年発表の名盤『つづれおり』でカヴァー)”は僕のライフタイム・ベストテン・ソングの一曲でね、「もっと大人になって、いつかカヴァーしよう」ってずーっと思ってたのさ(←遠い目)。
市川 あ、そんなに永く温めてた構想だったんですかね。
フェリー で、この機会に演ってみようかと。大体このメンバーで最初に演った曲は映画『ハネムーン・イン・ヴェガス』に提供した“アー・ユー・ロンサム・トゥナイト”のカヴァーだったけどね。『タクシー』には入れててないけど(苦笑。)
市川 『タクシー』に先駆けてリリースされたあのサントラ盤のクレジットを見たら、既にロビン・トロワーと組んでたので意表を突かれましたわ。
フェリー だろうね(嬉笑)。あとアンディ・マッケイと――あ、ドラムはマイケル・ジャイルズが叩いてるんだよ、キング・クリムゾンの1stで叩いてた「あの」! 彼には昔からずーっと逢いたくて、だけど一度も叶わなかった。
市川 意外ですね。あ、でもポール・トンプソンとジャイルズの太鼓って似てますもんねぇ、そういえば。
フェリー あの頃からマイケルのプレイが好きでさ……電話したのを憶えてるんだよね、1971年に「ロキシーに入ってくれませんか?」って頼んだんだけど、そのとき彼はクリムゾンを辞めたばかりで「しばらく一人になりたい」って断られたよ。でもあれからちょうど20年後にようやく、あの曲に参加してくれてね。本当にいいドラムなんだぁ(←さらに遠い目)。
市川 もしもーし。
フェリー (無視)それで「もう一曲プレスリーのカヴァーを演ろう」ってことになったときに、“ガール・オブ・マイ・ベスト・フレンド(←プレスリー晩年の1976年に全英9位)”を選んだ。この曲も大好きなんだって……そうだねー、だから自分のレコード・コレクションを覗いて、あれこれピックアップした感じかな。ドリス・トロイの“ジャスト・ワン・ルック(←全米10位の1963年デビュー曲で、翌64年にはザ・ホリーズがカヴァーして全英2位に)”もそうやって選んだし。
市川 あのですね。
フェリー (無視)でも“アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー(←スクリーミング・J・ホーキンスの名唱でお馴染みだが、1965年にはニーナ・シモンがカヴァーして全英28位、翌66年アラン・プライスのカヴァーが全英9位と大ヒット)”だけは、他の人の薦めで選んだんだよ……ちなみに僕のワイフだけどね、「あの曲を唄ってほしい♡」と言ってくれたのは。ふふふ。
市川 だから『タクシー』からの第1弾シングルとするに相応しい、非常にブライアン・フェリー節になってるんでしょうなぁ、この曲は。
フェリー そうかな? ふふふん。
でものちに離婚するんだから、〈服を着たラヴソング〉も大変なのである。
話がそれた。
言っておくがこのドラム交代劇の頃のロキシーはまだ、ただの素人アマチュア・バンドなわけで、にもかかわらず既に『宮殿』で檜舞台に立ったジャイルズをいきなり誘うのだから太いなぁ。とつくづく思う。
ちなみに前述したオリスト・ロキシーのライヴ音源5曲は、アレンジはほぼ完成形に近づいているがマンザネラが弾く完成版と較べれば、そのオリストが全編ギター弾きまくりで演奏的偏差値は高い。まるでギター・ロック状態で新鮮だけど、その〈ちゃんとしたギターのロキシー〉がイマイチと思わせるとこが、我らのロキシー・ミュージックたるゆえんなのだ。
そして、今回収録されたマンザネラ加入後の《オリジナル・ロキシー・ミュージック》BBCセッションズとパリ公演のライヴ音源計9曲を聴いて意外だったのは、あのやたら拙いはずの演奏力がそれほど〈酷くない〉点だ。
どたばたとリズムキープもままならぬドラマー。調子っ外れの棒吹きが愛嬌と思うしかないサックス&オーボエ奏者。私が知るかぎり世界一下手なプロフェッショナル・ギタリスト。変な音しか出せないド派手な一般人。そして乏しい声量と極狭の声域と日々「唄ってみないとわからない」音程の不安定さを誇る、世紀の〈取扱注意〉シンガー。
70年代ロキシー唯一の実況録音盤『ビバ!ロキシー・ミュージック』が、三名の異なるベーシストの音源を一括してジョン・ウェットンにオーヴァーダブさせるなど、スタジオでエフェクトかけたりコーラス載せたりと様々な加工を施した〈人工〉ライヴ・アルバムだった事実に関して賛否あったが、ロキシーらしいと私は大いに肯定している。
しかし裏を返せば、「録って出し」ではとてもライヴ音源を出せない〈個性的な演奏力〉がその一因だったのは、想像に難くない。
私は筋金入りのロキシーヲタだからしてほとんどのブートレグ盤を聴き倒した自負があるが、もう酷い日は本当に酷い出来栄えなのだ。あの超人的に上手いエディ・ジョブソンやアンディ・ニューマークですらときどき巻き込まれて遭難するのだから、すごい。
1974年独TV『ミュージック・ラーデン』におけるロキシーのスタジオ・ライヴ“オール・アイ・ウォント・イズ・ユー”は、悲劇的ですらあった。
当時の助っ人ライヴ・ベーシストは、ジョン・ウェットン。
クリムゾン時代にあのロバート・フリップを奈落の底まで絶望させたほど、ライヴ中のベースアンプからの出音がデカい。クリムゾンのライヴ・アーカイヴ修復の達人デヴィッド・シングルトンは、伝説の1973年11月23日アムステルダム公演の発掘盤『ザ・ナイトウォッチ~夜を支配した人々』の修復作業をこう振り返った。
市川 あー大変なご苦労だったですもんねぇ。
シングルトン 『エピタフ』の場合は最初、ロバートは「テープはないから作る必要はない」と断言してたのにもかかわらず――徐々にテープが発見されてきてしまった。
市川 わははは。
シングルトン イアン・マクドナルドから1本。ロバートが実は1本。そして知らない間にマイケル・ジャイルズからも1本(失笑)。しかもそのどれもがブートレグのカセットテープで、音質は最悪だったよ。
市川 あららら。
シングルトン で僕はその音を、できるだけ良い音質にデジタル変換しなくてはならない。どのテープも全く安定してないから、まず回転速度を一定にしないとお話にならない。その上で、録音途中でデッキをぶつけたり落としたりしたのか、サウンドが突然悪くなったり消えてたりするケースが多いので、サウンドが最初から最後まで変化しないようにしないと――だから途中のノイズも一つ一つ消してくわけさ。酷いときは1小節ずつ直さなきゃならなかったよ。そういう問題が山積みなのに加えて、全体を聴いてどういうサウンドになるのか把握できないわけだから、まさに手探り! なのにその作業後、ロバートが聴いて「これはそもそもの演奏自体が良くないね」と言うと、ボツになっちゃうんだなこれが(自虐笑)。
市川 くー。
シングルトン とにかくまず全体を標準化してから一般的なマスタリングを施し、全体のサウンドの質をできるだけ良くする。以上(微笑)。あれに較べたら今回は、遺ってた音源の大半が、「まあまあ
の状態でライヴ・レコーディングされてたし。だけど問題はドラム・トラックだった――。
市川 へ? 天下のビル・ブルフォード様なのに意外ですね、その事実。
シングルトン とにかくスネアの音がほとんど聴こえないから、説得力ある音にするのがかなり難しかった。しかもベースの音がやたら馬鹿デカいんだ!(呆笑)。
市川 あー、あのフリップを重度の神経衰弱に、ロキシー・ミュージックの連中のただでさえ拙いアンサンブルを演奏不能状態に、そしてアラン・ホールズワースをUK脱退に追い込んだ、ジョン・ウェットンの爆音轟音ベースだ。
シングルトン バスドラのマイクの音からも、ヴォーカルのマイクの音からも、ロバートのギターのマイクの音からも、とにかくあらゆるマイクからベースの音が聴こえるんだから(失笑)。
これ以上は書かなくてもわかるだろう。
根本的に演奏力が稚拙なロキシーの面々が、ウェットンのベースアンプが轟かすとにかく馬鹿デカい出音に引きずられ、よりいっそう下手くそになるのだから生き地獄だ。しかもウェットン一人だけTシャツにジーンズだから、クールでスタイリッシュな世界観も台無しなのであった。
私がフェリーさんなら、即刻解雇するぞ。あ、したか。
飛び道具イーノはさておき、そんなロキシーが本作所収のライヴ音源では〈そこそこちゃんとした演奏〉を実現しているのだから、ありがたい話じゃないか。この奇蹟が起きた理由は定かではないが本BOXを聴くかぎり、1972年6月のリリースまでに1stアルバム収録曲群はかなり早い時期に誕生しており、しかも一年以上懸けて練られた観がある。
要は沢山演奏する機会があったから演奏に慣れた、もとい上手になったということだろうか。ああ身も蓋もない背景だ。
そしてもう一点、ピート・シンフィールドによるプロデュースの意義がようやく今回理解できたのも、私には大きい。
豊富なライヴ音源&映像を観れば一目瞭然で、とにかくイーノが邪魔くさい。視覚的には他のメンバーも――「なぜ原始人?」な〈はじめ人間トンプソン〉、仮面ライダー最初期の低予算衣装なショッカー怪人〈ミドリ男マッケイ〉に〈蠅男マンザネラ〉、そして〈浪速の老け顔ホスト・フェリー〉と賑やかだから、イーノがラメラメでも全然違和感はない。
しかし楽器が弾けない分、張り切ってテープ・エフェクトやらVCS3シンセやらを脈絡なく鳴らされても正直、度を過ぎれば耳障りなだけだったりする。あれ、似たような輩をかつて見たことがあるぞ。
そう、クリムゾンにおけるシンフィールドではないか。
作品のヴィジュアル・コンセプトに作詞に照明と、バンドを間接的にデザインするのがキング・クリムゾンにおける彼の役割だった。ただしノンミュージシャンの身としては、音楽以外での貢献では「肩身の狭さ/居心地の悪さ」を感じてたのか、最新鋭の小型ポータブル・シンセVCS3という自分の担当楽器を確保したことがよっぽど嬉しくて、ツアーでびゅんびゅん鳴らしまくってた姿が懐かしい。
最終的にはプレイヤー組に追い出されたわけだけど、シンフィールドの〈楽器が弾けなくともバンドマンにはなれる!〉的な健闘に、同じ楽器素人のイーノは少なからず勇気づけられたと思う。そればかりかレコーディング中には、直接励まされたかもしれない。
ロキシーそのものへの貢献は薄かったかもしれないが、あのイーノに何らかの指針を与えていたのなら、その後のミュージック・シーンへの貢献は計り知れないと思うのだ。
本当、ひさしぶりに『ロキシー・ミュージック』を聴き倒した。
その結果、〈ロキシー・ミュージックとは大量生産されるポップ・アートそのもの〉だったことを再認識してしまった。
大衆音楽が消耗品であることを逆手にとった、あくまでも商品として魅惑的なフロント・カヴァー。音楽制作スタッフ以外の、撮影カメラマンや衣装デザイナーやヴィジュアル・プランナーやデザイナーの名のクレジット掲載は、おそらく業界初ではなかったか。
米ポップ・アート画家の秀逸な作品『RE-THINK,RE-ENTRY』に、コンセプト的にもコピー的にも触発された“リ・メイク/リ・モデル”。まさにレディメイドな造語の“レディトロン”。映画『カサブランカ』の名台詞「君の瞳に乾杯」をフィーチュアした、〈To ハンフリー・ボガート〉な“2H.B.”。第二次大戦の英空軍と独空軍の戦闘を描いた映画『空軍大戦略(Battle Of Britain)』を略した“ザ・ボブ(The Bob)”。とキャッチ・コピー性をかなり意識したと思われる楽曲タイトルも、新しかった。
“リ・メイク/リ・モデル”のコーラスでひたすら連呼される、一瞬『スター・ウォーズ』系のドロイド名かと錯覚する〈CPL593H〉が、レディング・フェスの帰りに見かけたフェリー好みの女子が乗ってた赤いミニのナンバーだったりするのも、ポップだろう。
とにかく《創作物としてのロキシー・ミュージック》は、全てにおいて斬新だったのであった。
いま思えば、80年代以降なら〈広告代理店〉的とでも形容できた世界観なのだけど、1972年というリリース当時はまだ八つ墓村の小学5年生。ま、広告代理店といっても、『奥さまは魔女』のダーリンの勤務先としかイメージできなかった私なんだけどね。
BOXのシリーズ化、熱望します。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!
第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!
第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!
ブライアン・イーノ在籍時最後の作品となる73年の2nd。前半と後半でプロデューサーが変わっていて、次作も手がけるクリス・トーマスがプロデュースした前半は、1stの延長線上のアヴァンギャルドかつポップな作風、初期ジェネシスも手がけたジョン・アンソニーがプロデュースした後半は、怪しくもアーティスティックな作風が特徴です。オープニングの「Do The Srand」から相変わらずにエキセントリック!シャープなリズムを軸に、フィル・マンザネラが鋭角なフレーズで切り刻み、アンディ・マッケイがサックスをぶつけ、イーノのシンセがおもちゃ箱をひっくり返したようなポップさを加えます。ブライアン・フェリーのきわものヴィヴラード・ヴォーカルもキレをましています。一転してダークに後半の幕を開けるのは、ビニール人形を愛する男を歌う「In Every Dream Home A Heartache」。エコーするイーノのシンセサイザーに揺れるようなアンディ・マッケイのサックスとフィル・マンザネラのギターが絡み、そこにブライアン・フェリーが淡々と言葉をのせて妖しい空間を作り出します。「狂気」に満ちたうねるようなギターソロも圧巻。各音とそのぶつかり合いはぶっ飛んでいるのに、全体としては洗練させて聴かせるのがこのグループの恐るべきところで、アヴァンギャルドかつポップな初期ロキシーの魅力が詰まった名作!
有名な「ひとつのバンドにふたりのノン・ミュージシャンはいらない」とのフェリーのセリフで脱退に至ったブライアン・イーノに代わり、ヴァイオリン、キーボードで元カーヴド・エアのエディ・ジョブソンが参加した73年作サード・アルバム。相変わらず癖のあるフェリーのヴォーカルは健在だが、前2作のグラム・ロック的な派手さは抑えめで6曲目「ヨーロッパ哀歌」のように朗々と歌い上げる曲も。本作からは1曲目「ストリート・ライフ」が全英で9位を獲得。本アルバムは初の全英1位となり、ロック界でのロキシーのプレゼンスを確立させた。
プラケース仕様、HDCD、デジタル・リマスター
盤質:傷あり
状態:良好
軽微な汚れあり
ブライアン・フェリーの当時の恋人でトップ・モデルのジェリー・ホールが女神に扮するジャケットも話題となった5作目は、活動休止に伴う前半期最後のスタジオ・アルバム。バンドのスタイルが確立したことによる成熟と同時に、ターニング・ポイントを迎えた彼らが放つ充実作。全英チャート2位を記録したヒット曲「恋はドラッグ」収録。75年作。
超希少!!SACD~SHM仕様~(※SACDプレーヤー専用ディスクです。通常のCDプレーヤーでは再生することはできません。)、DSDリマスタリング、復刻巻帯付き、内袋付仕様、定価3910+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
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