2017年9月13日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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記憶力の衰えが、酷い。
たぶん3~400枚は書いてると思うのだけど、自分がライナーノーツを書いたことすら憶えてないアルバムが頻出する昨今だ。夜中に《アマ損》とか《ヤフ億》とか《賭ケハシ(苦笑)》とかで気になる国内盤CDを見つけ、拡大したジャケ写の帯に〈解説・市川哲史〉の文字を見つけて何度驚いたことか。脳細胞が死んでゆく。るるる。
その昔、『炎』という〈読むHM/HR雑誌〉があった。94年4月創刊で、編集発行人はあの『BURRN!』創始者・酒井康。ロッキング・オン・ワールドの登場人物である私とは、接点など永遠に生まれるはずなどなかったのに、ROから独立して創刊した『音楽と人』がシンコー・ミュージックのグループ会社だったためか、初対面の酒井さんにやたら歓迎されたあげく、「何書いてもいいから」と創刊号からレギュラーで書かされる羽目になった。
たしか原稿料は絵に描いたような〈薄謝〉だった憶えがあるが、他の執筆者も含め自由度の極めて高い文章がウケて当時も結構なセールスだったらしいし、休刊から20年近く経った現在も好き者ロック中年層からカルトな支持を集めていると聞く。このカケレコwebで連載されてる深民淳氏も、レギュラー執筆者だったはずだ。こんにちは。
するとその酒井さんが、「『炎』の原稿をまとめた市川の本、作ってくれよ」ときた。
ぎょえ。なにせ90年代後半に書いた原稿たちだ。「カヴァーデイル&ペイジの正体」とか「ペイジ/プラントの犯罪」とか「やたらストーンズをありがたがる可哀相な人たち」とか「プログレッシャーの一生」とか「メタル・ラヴァーズの生態」とか「前代未聞マイク・ラザフォードが喋った!」とか、各方面に喧嘩売ってるだけじゃなかったのか俺は。しかもこんなオリジナル・ヴァージョンのままでは明らかに洒落にならないので、実はいろいろ手間を施し中の昨今である。
ちなみにタイトル案を訊かれたので『どうしてメタルはそれほど好きにならなかったんだろう(仮)』と答えたら、酒井さんに怒られた。
そんなこんなで当時の原稿あれこれを今世紀初めて読んでたら――97年8月号掲載原稿のタイトルは、《会見:フランチェスコ・ディ・ジャコモおじさん なぜイタリア人はプログレが好きなのか》。へ。私バンコの人にインタヴューなんかやったっけ? 全っ然記憶にない。来日公演を観た憶えすらないよ。ユーロ・プログレには絶対手を着けないようにしてたはずなんだけどなぁ、キリがないしマニアが面倒くさそうだから。失敬。
そうなのだ。ライナーどころかインタヴューした相手すら忘却するから、末期なのだ。とはいえ、そういう意味ではとても貴重な原稿だったりするから、新刊書き下ろしの予行演習がてら2017年ヴァージョンで再録してみる。
一応、職業柄もありできるだけジャンルの枠組みを気にせずに、音楽は聴くようにしている――つもりである。と言いながら、本誌に最も縁が深いであろうメタル系は全滅に近い。すまん。
で得意分野となるとそれこそ〈広く深く〉の世界で、日本の洋楽リスナーの風土病〈ファミリー・ツリーに基づく絨毯蒐集癖〉に冒されており、昔は西新宿界隈の中古盤屋軍団に金を吸い取られまくったもんだ。はは。岡山の八つ墓村に住んでた高校時代に輸入盤屋などあるわけもなく、通販で高い金ふんだくられて廃盤を山ほど買わされたな。昼食代や参考書代が全部飛んでったよ。いかん、想い出に腹が立ってきた。ひもじかったんだよエ●ソンのせいで。
ま、そういう感じだから、ポップ・ミュージック系なら無名A級バンドから有名B級バンド、そして無名C級バンドへと、いわゆる〈底なし沼〉への坂道を見事に転がり落ちた。米国南部系だと〈セッション参加作品雪崩現象〉に飲み込まれ、麓まで流されてってしまった。ニュー・ウェイヴやニュー・ロマだと、大量の7&12インチ群に泣かされた。
そして、プログレ。
まずはキング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド、ELPの四天王めぐりから始まり、そのままメンバーのソロにバンド加入前と脱退後のバンドにセッション仕事にプロデュース作品といった関連作品群を、他人の履歴書を盗み見するかのように蒐集しまくる。
並行して〈商業的には二軍〉のジェネシス(←当時は本当人気なかったのだ、日本では)、キャメル、キャラヴァン、ジェントル・ジャイアント、バークレイ・ジェイムズ・ハーヴェスト、カーヴド・エア、ストローブス等々に移行。さらには〈難解な三軍〉のソフト・マシーンやゴングやヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイター等を経て、〈何だかわかんないけどすごいぞ四軍〉のタンジェリン・ドリームやらスティーヴ・ヨークス・キャメロ・パーダリスやら――その間、ヒプノシスやロジャー・ディーン、キーフたちが目印の〈ジャケ買い〉や、初期ヴァージン、カリスマ、ハーヴェスト、ヴァーディゴ、ソヴリン、ネオン、キャロライン等々の〈レーベル買い〉にハマっちゃった者も数多いはずだ。
それでもまあ、ここまではよかろう。「よかろう」というか充分《プログレッシャー地獄道》なのだけど、こっから欧州各国に旅立ったまま音信が途絶えちゃった者が後を絶たなかったことったら。ドイツにイタリアにフランスに北欧に……おいおい、どこまで堕ちていかねばならないのか我々プログレッシャーは。北朝鮮は楽園じゃないぞ。
私は踏みとどまった。
最近はピチカートやらテクノやらクラブ・シーンに突如参入して一部プログレッシャーを奈落の底に突き落とし、関係者の間では「誰か編集部の奴にクラバーの彼女でもできたんじゃないか?」と、その〈大転換っぷり〉の理由が取り沙汰されてる元プログレ誌『マーキー』――それでもなおプログレッシャーたちにとっては希望の光だが、ここが連発してきた書籍たちのラインナップを見ても、その大航海時代っぷりが〈プログレの正しい聴き方〉として確立してるのがわかる。『ブリティッシュ・ロック集成』に『イタリアン・ロック集成』に『ジャーマン・ロック集成』に『アメリカン・ロック集成~プログレッシヴ・ロック編』に……ああ、私は入れない。
しかしそんな私のとこにも年に何回か、レーベルからユーロ系プログレのライナー原稿依頼が舞い込んでくる。「きっと市川だからプログレはオールOKだろ」みたいな屈辱的な誤解の産物なのだろうが、すべて丁重にお断りしている。というか、知らないものは書けんのよ恥ずかしながら。なんて実は全然気にしてないけども。
にもかかわらず『炎』編集部よりオファーされたのは、バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソのヴォーカル、フランチェスコ・ディ・ジャコモの来日インタヴュー。おいおい、暗記しきれない固有名詞の取材はどうかと思うなぁ。
とにかく昨年来のプログレ勢怒濤の来日ラッシュは、もはや「待望」「宿願」といった感激やありがたみとは無縁の『万国びっくりショー』の域に達したのではないか。スティーヴ・ハケットwithジョン・ウェットン+イアン・マクドナルド、ゴング、アモン・デュール2、グル・グル、アシュラもどき、ホークウィンドもどき、クラスター、カンサス、ノイもどき、ブランドX……もうすぐキース・ティペットも来るよ。そしてそんな中、バンコも結成20年目にして初来日。
こんなプログレ天国で、日本は大丈夫なのだろうか。
イタリアン・プログレに関する私の興味もとい知識は、せいぜいP.F.M.とバンコ止まりだ。両者は70年代伊プログレの二大巨頭で――すごいな頭の悪いレコード・ガイドみたいなこの言いぐさ。それもELP主宰レーベル《マンティコア》の絡みで知った程度だから、本当にタチが悪い。で今年に入ってリリースされたバンコ16枚目のフルアルバム『13』は、1stと2ndのリ・レコーディング盤で――てな最新情報は、実はどうでもよかったりする。私が今回の仕事を引き受けた理由は、ただ一点に尽きるのだ。〈なぜ、イタリア人はそんなにプログレが好きなのか?〉
プログレはやはり特殊なジャンルで、未だにその主要な市場は日本とドイツとイタリアである。先日逢ったばかりのウェットンの発言を借りれば、南米アルゼンチンも未だ《クリムゾン・キング》なる70年代プログレ専門店が平気で商売できてるほどの超プログレ立国だが、イタリアだって負けず劣らず頭がおかしい。アーティストが沢山いる。昨年96年9月には《70’S PROGRESSIVE ROCK FESTIVAL》、その名も《70年代プログレ祭り》なるおぞましい一大フェスが開催され、レ・オルメ、メタモルフォーゼ、イル・バレット・ディ・ブロンゾ、チッタ・フロンターレ、そしてバンコも参加して目茶目茶盛り上がったらしい。
そもそもイタリアといえば――ローマ、パスタ、トマト・カンツォーネ、プラダ、マフィア、太陽、地中海、ヒデとロザンナ、毛深い、チビ、大人になるとデブ、女を見たらすぐ口説く、陽気、能天気、楽観的――私の『音楽と人』編集部一同に「イタリア」から連想させたらこうなった。シチリアーノの皆さん、皆殺しにしないでね。
基本的には温暖な気候の下で♪オーソレミヨと人生を謳歌するイタリアの人々が、なぜ〈混沌こそ我が墓碑銘〉とか〈風に語りて〉とか〈月の裏側〉とか人生を、いや自己の存在をとりあえず追究したがるプログレを好んで聴くのか、そもそもの私の疑問はさらに刻一刻と肥大化している。
というわけでめでたくバンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソのフランチェスコ・ディ・ジャコモ(苦笑)にご対面したのだが、顔も姿かたちもあまりにジェントル・ジャイアントの同名1stアルバムのジャケおじさんにクリソツで、不思議な気持ちになってしまった。「天地ひっくり返すとあら不思議別のおじさんの顔に♡」的な逆さ絵感がすごい。
なお、私がイタリア語を全く解さないのは当然として、フランチェスコおじさん自体がどえらく真面目そうな人だったので、今回の会話文体もどえらく堅いです。
市川●バンコをプログレとして捉えても構わないんですかね、当事者としては。
ジャコモ●全然構いませんよ。バンコはプログレッシヴ・ロック・バンドであるという自負がありますから。
市川●現在のイタリアン・プログレ・シーンは、どんな状態なんでしょう。
ジャコモ●未だに健在ですし、昨年も巨大なプログレ・フェスがあって私たちも参加しました。我々のリスナーは大体18歳から40歳ではあるんですが、我々の世代からその子供たちの世代へと受け継がれているので、聴く層も年齢的に幅広いのではないでしょうか。なにせプログレ自体が内容性を持った音楽ですから(微笑)。いまイタリアでは再びプログレが流行ってきてますが、若い世代が再発見してるのではないでしょうか。
市川●ということは、イタリアン・プログレも英国同様80年代からかなり落ち込んでた、と。
ジャコモ●ええ、あまり流行っていませんでした。若者たちにとってはヘヴィメタルの方がわかり易かったのだと思います。しかし流行とは所詮サイクルですから、それが原因でしょう。
市川●とはいえ英国でのプログレの衰退は、やはり恐龍化してしまったデカい図体が鬱陶しがられたのが原因なわけで。
ジャコモ●「難しくて長過ぎるのがプログレ」とよく言われますがそうではなく、やはり変化というものが失われたら廃れます。人生すべてに言えることではないでしょうか。
市川●うわー。
ジャコモ●我々は80年代中期に解散していたとよく言われますが、常に活動してました。最も大切なこととは、どんなに酷い批評を浴びようとも続けるということなんです。だから当時レコードは出しませんでしたが、ライヴ中心に活動してました。私はジャンルを限定するのが嫌いですし、逆にそれを打ち壊すのが好きですから(微笑)。
市川●そりゃ勿論そうでしょうが、プログレって物事を解体した瞬間から様式美を生み出してるわけですから、それは永遠の矛盾なんじゃないですかねぇ。
ジャコモ●いつも同じ状態にある芸術家は、死人も同然です(←きっぱり)。
市川●熱烈なプログレッシャーたちは、エイジアや90125イエスに見られた〈4分間ポップス〉指向を「裏切者」呼ばわりして忌み嫌ってきた歴史がありますが、そういう風潮をどう思ってました?
ジャコモ●皆ビジネスですから――正しくないと思います(←再びきっぱり)。
市川●堅い! 堅いなぁぁぁ。
ジャコモ●(無視)表面的なことだけに終わりますから、芸術家である方が素晴らしいです。
市川●「ウチもいっちょ当てたるかい!」的な気の迷いや色気を、まさか一瞬たりとも思ったことがないなんてことはないですよね? だって人間ですもの。
ジャコモ●私は流行を追いかけたりはしません、己れが感じるものを書いてるだけなのです。よしんば流行を意識し考えていたらば、私は長髪にして大きいギターを持ってハードロックでも演っていたことでしょう(→と誰が見ても寂しくなった頭を撫でる)。
市川●全っ然似合いませんね。
ジャコモ●(静寂笑)。
市川●ちなみに70年代のイタリアで、プログレはそんなに隆盛を極めてたんですか。
ジャコモ●とても流行っていました。なぜならば、当時のイタリアン・プログレは政治性が強い音楽だったからです。歌詞も重要でした。ヒップホップやメタルと同じように。
市川●それはメタルに対する過大評価だと思いますけど(失笑)。
ジャコモ●(無視)で社会問題が悪化する中で、文化的なものも逆に成長しました。
市川●そのあなたが言われるところの、70年代の世情的不安はどんなものだったんですか。
ジャコモ●現在と同じです(醒笑)。例えば失業問題とか、「未来への希望がない」とか、「個人の夢の実現が叶わない」とか、世界的な経済問題とか。
市川●英国のプログレだとロジャー・ウォーターズを除けばそうした外的要因に向かっての表現衝動というよりも、自己の内面に対してネガティヴに突き進むかポジティヴな妄想に溺れるパターンが多いですよね。そういう意味では、逆ですなぁ。
ジャコモ●けれども外への批判は必ず内面を通して、ですから。いったん自分の内面を批判してから、外に出ていきます。自分の立ち位置がわからぬままで外に対して批判はできません。最初に「はい」と返事する前に、その返事する理由をまず考えなければならないのです。
市川●70年代イタリアン・プログレを語る際には必ずP.F.M.とバンコが二大巨頭として語られてきましたけど、P.F.M.もジャコモさんがいま言われたのと同じ方法論だったんですかねぇ。
ジャコモ●「P.F.M.と一緒」というのは認め難いです(←殺気目線)。私たちバンコはあくまでもイタリア人のメロディに立脚してるけれども、向こうはアメリカナイズされていますから。
市川●あいつらと一緒だと思われるのは迷惑だ、と。
ジャコモ●……しかしながら、彼らも偉大な音楽家ではあります(遠目笑)。
市川●くくく。そもそも英国のプログレ・バンドに何らかの影響を受けてたりはしますか、バンコは。
ジャコモ●ピーター・ガブリエルとポーキュパイン・トゥリーが、「バンコをよく聴いていた」と言ってたのを聞いてます。
市川●あのー、あなたたちが影響を「受けた」話を訊きたいんですけどね。
ジャコモ●ヴィットリオ(・ノッセンジ/バンコ創始者)は英米の音楽をあまり聴いてませんでしたし、私自身はブルースが好きで、アニマルズのエリック・バードンを勝手に師匠だと思ってました。
市川●うーん。と言いながらも、70年代中期以降にマンティコアから作品を全世界発売したり英語詞にしたり――海外進出欲はあったじゃないですか、要は。
ジャコモ●英国は世界一音楽が盛んな国なので出向きましたが、英国人は国民的結託が大変強く、我々の入り込む隙間がありませんでした。そもそもライヴに来る観客も、1曲目終わりで早くもビールを呑み始めて2曲目では既に酔っ払って拍手してるのですから、ちょっと(失笑)。
市川●つまりろくな記憶がない、と。
ジャコモ●いえいえ。ロンドンの《マーキー》でのライヴはジェスロ・タルやELP、ポール・マッカートニーにレッド・ツェッペリンが観に来てくれて、彼らの前で演奏したのはいい想い出になっています。
市川●〈イタリア産〉である自分にすごくプライドが高いのはいいんですけど、イタリアのあの能天気な国民性にプログレという違和感が大きいですよ、我々から見たらやっぱり。
ジャコモ●プログレとは別に暗いだけじゃないですから。それに私は私の音楽を創るだけですし。私も性格的におっちょこちょいで、明るかったり哀しかったりといろいろな感情を持ってますから、それらを表現するだけなのです。
市川●まあ、ねえ。では最近というか、90年代はもう無数のプログレ・バンドが再結成復活を果たしてるんですけど、目に余りませんかね。
ジャコモ●幾つかのバンドは芸術的必然性から活動再開したのだと思いますが、大半はやっぱり……お金のためなのでしょう。でも私たちバンコは解散したことも再結成したこともありませんから。それに今回の来日公演もまさに学習で、その成果を得ましたし。日伊二国間でこれだけ文化が異なるにもかかわらず、感動そのものは同じ――音楽を介して心が通じ合えることがわかって、とてもよかったと思います。
堅い。爆発的に堅い。しかも自信満々で、おそろしく単純で一直線である。さすがex日独伊三国同盟、鋼鉄のポリシーだ。結局、〈なぜイタリア人はプログレが好きなのか〉という大命題は未解決なまま終わってしまったが、「芸術復興のルネッサンスが云々」なんて話にならなかっただけ、私は救われた。にしてもプログレとは、やはり〈底が見える底なし沼〉である。
ちなみにフランチェスコおじさんは日本滞在中、渋谷の《bunkamura》に買い物に出かけたらしいのだが、かなり気に入ったスリッパを発見して購入しようとしたところ、「4万円もした(呆笑)」らしい。
「イタリアだったら、グッチの靴が2足買えます」
うーん、それはそれで羨ましいかも。
「……だけどすごくいいスリッパでした」
物欲も結構あるのね。安心しました。
クラシックとジャズを踏まえ〈インプロ対応〉もお手の物のいわゆるプログレ的アンサンブルと、カンツォーネやら地中海音楽が融合した音楽性も去ることながら、どこをどう聴いてもイタリアなフランチェスコおじさんのヴォーカル、もとい〈艶と張りだらけの唄声〉がバンコそのものだ。しかしこの取材から20年後の2014年2月21日、おじさんは交通事故で帰らぬ人となった。奇しくもデビュー40周年を記念した、4回目の来日公演の僅か2ヶ月前の悲劇だった。「R.I.P.」、まさに彼らの代表曲“安息の鎮魂歌”の原題を慎んで捧げた日本人は少なくなかったろう。
最近ディスクユニオン各店のプログレ売場を訪ねると、貯金箱仕様の素焼きの壺を象った変形紙ジャケットのバンコ『ファースト』の中古を幾つも見かける。発売当時は名盤の誉れと特殊紙ジャケの物珍しさで結構売れただけに、人の移り気がせつない。そしてフランチェスコおじさんとの邂逅を忘れちゃってたひとでなしの私は、2壺買って供養することにした。
アッディーオ。
おさらば。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
PFMと並びイタリアのプログレッシヴ・ロックを代表するバンコ。ヴィットリオ・ノチェンツィを中心に今なお活動する彼らだが、その哀愁を帯びた声の不世出の名ヴォーカリスト、故フランチェスコ・ディ・ジャコモと、彼らの地中海性を担っていた名ギタリスト、故ロドルフォ・アルテーゼを加えた、今では再現不能の黄金期編成による99年のライヴ盤。新旧代表曲を歌い込むジャコモと壮大なキーボードが並び立つ、真のバンコの姿を伝える名演!(レーベル紹介文より)
ご存じ、PFMと共にイタリアン・ロックを代表する名バンドによる「シベリア鉄道」を題材にした2019年作!スタジオ・アルバムとしては94年作『IL 13』以来実に25年ぶりとなります。唯一のオリジナル・メンバーであるキーボード名手Vittorio Nocenzi、近年のMetamorfosiにも在籍するドラマーFabio Moresco、DORACORで活動するギタリストNicola Di Gia、そして14年に急逝したヴォーカリストFrancesco Di Giacomo氏の後任という大役を務めるTony D’Alessioら6人編成で制作された本作、ずばり傑作!凛と格調高いタッチのピアノと一音一音に存在感のこもったオルガン、キレのあるプレイでスピード感をもたらすギター、そして熱く歌いこむドラマチックな表情と優雅で繊細な表情とを自在に行き来するヴォーカル。さすがの洗練されたモダン・イタリアン・ロックを聴かせてくれます。でもそれで終わらないのが素晴らしいところで、最初期バンコに漂っていた少し前衛的でミステリアスな雰囲気が全編をうっすら覆っている感じが堪りません。その質感をもたらしているのは勿論キーボード。現代的な重量感あるロック・サウンドを繰り出す演奏陣の中で、クラシックに根差した息をのむようにアーティスティックな音運びが冴えわたっており、衰えは一切感じません。ヴォーカルは、ジャコモ氏とは全く異なるタイプながら、イタリアン・ロック然とした堂々たる歌唱を聴かせていて感動的。FINISTERREやUNREAL CITYといった新鋭の音に接近しながらも、バンコらしい芸術性の高さは遺憾なく発揮された一枚となっています。
ブックレット一体型デジパック仕様、ボーナス・トラック2曲
盤質:傷あり
状態:良好
軽微な圧痕あり
直輸入盤(解説帯付仕様)、ボーナス・トラック5曲、価格記載なし
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯に軽微な圧痕・軽微な折れあり
PFMと共にイタリアン・ロックを象徴する名バンドが放った22年作!ピアノとアコギが寂しげに鳴らされ、哀愁と艶やかさを兼ね備えた素晴らしいヴォーカルが歌い上げる叙情的1曲目から一転、重厚なリズムとギター、ピアノ、オルガンがダイナミックに絡み合ってアーティスティックに突き進んでいく2曲目へと至る、このスリリングさと来たら!誰もが2nd『Darwin!』や3rd『Io Sono Nato Libero』を思い浮かべるであろうテンションのパフォーマンスに感動がこみ上げます。FINISTERREやUNREAL CITY、LA MASCHERA DI CERAなどの新鋭に接近したモダンさを見せつつも、往年のBANCOが持っていたロマンほとばしるようなイタリア臭は健在なのが最高に嬉しいです。前19年作もかなりの力作でしたが、初期BANCOを彷彿させるという点では、今作はジャコモ時代のBANCOファンにも是非オススメしたい傑作!
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えP.F.M.に続いて世界デビューを果たしたバンドの72年デビュー作。その内容はオルガンやピアノを中心としたクラシカル且つダイナミックなロック・アンサンブルと、表情豊かなカンツォーネが雑妙に交じり合ったプログレッシブ・ロックであり、イタリア然としたエネルギッシュなサウンドが素晴らしい1枚。デビュー作らしいハードさと勢いを持った傑作です。
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えP.F.M.に続いて世界デビューを果たしたバンドの72年2nd。前作のハードな音楽性とテンションはさらに高められ、前作以上に複雑に構築された楽曲がカオティックに進行していきます。核となるピアノ、オルガンといったキーボード群に加えてモーグ・シンセサイザーが大幅に存在感を示すようになり、イタリアのほの暗い陰影をドラマティックに演出。セクションによってはアヴァンギャルドとすら言えるほどの攻撃性が凄まじい名盤です。
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えP.F.M.に続いて世界デビューを果たしたバンドの73年3rd。その内容は、前作で爆発的なテンションを聴かせた攻撃性、アヴァンギャルドなサウンドをオリジナリティーに落とし込み、クラシカルな気品を持ったシンフォニック・ロックにまとめた名盤です。勢いで押し続けるような作風からバランスの取れたトータルなサウンドへの移行が見受けられ全体的にスッキリした印象を持ちますが、それによってへヴィーなセクションと静寂に包まれるセクションの対比が明確に描かれています。
紙ジャケット仕様、K2 24bitデジタル・リマスター、透明プラ台紙付き仕様、定価2000+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯に軽微な折れあり
75年にMANTICOREレーベルよりリリースされた世界デビュー作。1stと3rd『自由への扉』からの楽曲に新曲1曲という構成。1st収録の代表曲「R.I.P」の英語バージョン「Outside」や、3rd収録の胸を打つ名曲「Non Mi Rompete(私を裏切るな)」の英語バージョン「Leave Me Alone」など収録。
76年作の6thアルバム『COME IN UN’ULTIMA CENA(最後の晩餐)』の英語バージョン。MANTICOREレーベルからの世界リリースの第二弾。これまでの彼らのダイナミックなサウンドはそのままに、より明快でコンパクトな作風を採用した名盤となっており、大曲の存在こそ無いものの彼ららしいスケールの大きなシンフォニック・ロックは健在。クラシック楽器の使用も巧みであり、タイトにまとめられた中に高密度でアイデアを閉じ込めた、非常に聴きやすい1枚。
Vittorio Nocenzi、Gianni Nocenziを中心に結成され、Francesco Di Giacomoの迫力のある歌声とツイン・キーボードのアンサンブルを個性にイタリアを代表するプログレッシブ・ロックグループへと飛躍。シーンに衝撃を与えPREMIATA FORNERIA MARCONIに続いて世界デビューを果たしたバンドの79年作。コンパクトで分かりやすい作風を望む方向に向かっていた時代の影響を受けた本作は、これまでの作品よりもフュージョンなどを含むソフトなロック・テイストを押し出しています。とは言っても単なる商業路線に走った作品ではなく、Francesco Di Giacomoのボーカルに比重を置いたことによるイタリアの叙情性の増幅や、バルカン・メロディーを散りばめた作風など、プログレッシブ・ロックとの折り合いが素晴らしい好盤です。
ご存じPFMと並びイタリアン・プログレを象徴する人気バンド、81年に放送された同名TVドラマシリーズのために制作されたサウンドトラック作品。全曲インストゥルメンタルでFrancesco Di Giacomoのヴォーカルは不在なのですが、持ち前の演奏力を発揮したスリリングなジャズ・ファンクからクラウト・ロック顔負けの深遠なシンセ・ミュージックまでを披露。合間にはエレピによる従来のBANCOらしいクラシカルなタッチのナンバーも登場しますが、総じてBANCOというバンドの知られざる一面が垣間見られる内容となっています。
イタリアン・ロックを代表するグループ、BANCOの97年作。全編を牽引する情熱ほとばしるジャコモのヴォーカル、そしてヘヴィで骨太なギター、テクニカルなピアノ、前のめりでアグレッシヴなリズム隊が作り出すドラマティックなアンサンブルが展開されます。
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