2018年8月7日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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今年3月24・25日の、イエス50周年記念ロンドン公演+ファン・コンヴェンションで会場限定販売されたのは、『FLY FROM HERE―RETURN TRIP』。かつて2011年6月にリリースされた、アルバム『フライ・フロム・ヒア』のニュー・ミックス版だ。
そして同25日よりクラウドファンディング・サイトの《Pledge Music》で限定発売されるに至り、これはもう買わないわけにはいかない。その後海外では7月6日から一般発売されてるはずだが、本稿を書いている7月25日段階ではまだ見かけない。
実は2016年秋の時点で既に、この新型『フライ・フロム・ヒア』の日本発売は決定していたものの、いつの間にか話が消滅してしまったようで、すっかり忘れていた。90年代、同じく幻に終わった〈UK再結成〉話のように。
でも……出たんだなこれが。
まずこのシロモノは、単なる新装盤なんかではない。
当時プロデュースしたトレヴァー・ホーンが改めてリミックスを施したどころか、スティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズが新たなギターと鍵盤のオーヴァー・ダブを追加。それよりも何よりも、〈四代目イエスソングスシンガーズ〉ベノア・デイヴィッドのヴォーカルが、すべてホーンに差し替えられているのだ。
ちなみに初代から、アンダーソン~ホーン~帰って来たアンダーソン~デイヴィッド~ジョン・デイヴィソンと数える。すごくどうでもいい情報だろ?
そもそもは、『こわれもの』『ドラマ』を全曲披露するイエス2016年〈クリス・スクワイア追悼〉欧英ツアーの、5月9日オックスフォードと10日ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールの両公演にゲスト出演したホーンが、“光陰矢の如し”を唄ったことに端を発する。なぜならホーンはその翌日から、『フライ・フロム・ヒア』収録曲を自分で唄っては録り始めたのだから。
というわけで新装盤のラインナップは、《クリス・スクワイア+スティーヴ・ハウ+アラン・ホワイト+ジェフ・ダウンズ+トレヴァー・ホーン》……おお、あの『ドラマ』を遺した《バグルスイエス》37年半ぶりの再来じゃないの。
と一気に心躍ったのに、“時間と言葉”を演奏する際にハウ翁が三年前に亡くなったピーター・バンクスへの弔辞を、公式の場で初めて述べたのもこの両公演だったのを想い出した。合掌するしかないじゃん。
さてこの『新フライ・フロム・ヒア』、おそろしく素晴らしいアルバムである。
どのくらい素晴らしいかというと、現時点での最新作にしてお粗末な『ヘヴン&アース』と較べること自体が、まず不毛。だって当時も充分秀作ではあった『初代フライ・フロム・ヒア』も凌駕するだけに、『マグニフィケイション』よりも『ラダー』よりも『オープン・ユア・アイズ』よりも『キーズ・トゥ・アセンション1&2』よりも『TALK』よりも『結晶』よりも『ビッグ・ジェネレイター』よりも『90125』よりも、いい。
あれ、1980年まで遡っちゃったよ。そう、あの『ドラマ』に匹敵する名盤なのだ。まさか本当の意味での〈続篇〉が38年後に聴けるなんて、誰が予測できたかね。
ちなみにロジャー・ディーンによる新装ジャケは、〈緑の盆栽密林〉図に蛇柄イエスロゴのオリジナル盤の世界観を踏襲してくれた。ただし前回いた〈ドラマ〉黒豹と赤頭猛禽類は姿を消し、今回はインパラみたいなやつが岩場で跳ねている。
ちょっと積極的に話を逸らすが、フォトショップやらを使用し始めた90年代から、ロジャー・ディーンの芸風は明らかに変わった。
やたら登場する、ジャケの天地を繋ぐかのごとく見事なアールを描いて何本もそびえ建つ岩石の《Arches》と、生い繁る樹木が小粋な空飛ぶ盆栽《Floating Islands》。そして、鬱蒼とした植物の世界で蠢く爬虫類に鳥類に哺乳類。こうした最近のメソッドをあっさりと、トリミングや反転や加工や合成や着色を駆使して組み合わせることで、オートクチュールだったディーン作品のマスプロ化が完了したと思うのだ。
別に私はディスってるわけではない。元々〈広告デザイナー〉と〈妄想デザイナー〉という両極端な資質に恵まれてたひとなので、どっちに触れようとストレンジな世界観は保証されているからだ。しかし直近の6月にリリースされた、LP6枚組箱『THE STEVEN WILSON REMIXES』の装丁は駄目だ。アレはいかん。
おなじみスティーヴン・ウィルソンによる、『サード・アルバム』『こわれもの』『危機』『海洋地形学の物語』そして『リレイヤー』のニュー・ミックス音源そのものは、素晴らしい。オーディオ的な音質にはさほど執着のない私でも、このリミックスのすごさはわかる。たとえば中学時代に初めて聴いた“ラウンドアバウト”が――スタジオという密室の空気を震わせ聴こえてきた、容赦ないアコギと複雑怪奇なベースラインと硬質過ぎるドラムが織りなす〈非日常なアンサンブル〉が、あのときのまま蘇るのだから。
問題は、ジャケだ。ディーン本人がアートワークも「リミックス」してしまったのだ。
ポジ・フィルムの淵に《STEVEN WILSON REMIX》の焼文字を入れただけの『サード・アルバム』は、そもそもディーン作品ではないからどうでもいいし、大勢に影響はない。若干トリミングを変更しただけの『リレイヤー』も、気づかない奴は気づくまい。オリジナルによく似た〈水がない海底〉を金属化した魚が泳ぐ『海洋地形学の物語』も、まあ赦す。
だけど、あの緑のグラデーションを雑な〈青が基調の2.5次元アート〉にしちゃった『危機』と、妙に黄緑っぽくなった地球がチープな『こわれもの』は、すべてを台無しにしている。今日までの名盤の誉れも、せっかくのウィルソン・ミックスも。
というわけで私は現在、目を閉じたままジャケからレコードを取り出し、ターンテーブルに置く特訓に日夜明け暮れている。嘘。
さて話をとても巻き戻すついでに、『ドラマ』の時代まで遡りたい。
20世紀の終わりに(←ヒカシューのデビュー曲かい)、《踊る!イエス御殿!!》ジョン・アンダーソンに、イエス全在籍経験者を寸評してもらったことがある。
どれだけ感情丸見えの、〈天使の羽根〉おっさんなのだろう。
さて、そんなアンダーソンにあからさまに距離を置かれた<バグルスな二人>がイエスに遺したあの『ドラマ』は、なぜ不当な過小評価を受け続けたのかおさらいしたい。
まずバグルスのイエス加入がアナウンスされたのは、1980年5月。
当時世間の誰もが「野合」と嘲笑した合体の経緯は、❶スクワイアが米FM局の友人から〈バグルス的なニュアンスの導入〉を薦められたとか、❷両者の所属マネジメントが同じだったとか、諸説いろいろある。
イエス家の人々の性格と本性に、つい精通してしまった私が推察するに――。
『トーマト』に続く新作レコーディング@パリ、いわゆる《パリス・セッション》が1979年の聖夜に挫折すると、翌80年3月にアンダーソン&ウェイクマンは「もうあんたらとは一緒にやってられんわ」と、直ちにイエスを脱退した。
ただし本気ではなかった、と私は踏んでいる。マネジメントとスクワイア+ハウ+ホワイトに対する、子供じみた<恫喝>行為だったんだと思う。その動機が何かは知る由もないが、「どうせ皆、そのうち『復帰してくれよー』と熱烈懇願してくるはずさーリック」とアンダーソンはタカを括ってたはずだ。
だけど実際には、誰も二人を迎えに行かなかった。
一方、バグルスの1stシングル“ラジオ・スターの悲劇”が英1位を獲得したのも同じ1979年9月で、アルバム『プラスチックの中の未来』をリリースしたのが翌80年2月。にもかかわらず同年5月にはもう、トレヴァー・ホーン&ジェフ・ダウンズのイエス加入がアナウンスされている。アンダーソンたちが脱退して半年も経たないうちの、超迅速で電光石化の人事異動だったわけだ。
もしかしたら、イエス・サイドにとっては「ジョンの常習的な我儘に屈するくらいなら」的な、窮余の吸収合併劇だったのかもしれない。というか、せっかく華々しいデビューを飾ったのに明るい未来を自ら放棄したバグルスが、そもそもかなりの変わり者としか思えない。
だってあの“ラジオ・スターの悲劇”は、プロモーション・ヴィデオがMTV開局初日の1曲目に極めて恣意的にオンエアされたことで、その後のMTV時代のアイコン的楽曲として長く祀られたわけだ。しかしその記念すべき開局日である1981年8月1日には、既に、《バグルスイエス》は解散の憂き目を見ていたという――なんとも忙しない話ではないか。
結局、わずか1ヶ月強で完成させたアルバム『ドラマ』を80年8月にリリース、からの即MSG3デイズを含む2ヶ月間の全米ツアー、からの23日間英国一周という超ハイスパート・スケジュール。しかも、「プロデューサーが本業の二流歌手(ホーン本人談)」にイエス・クラシックスをオリジナルのキーで唄わせたばかりか、メンバー交替を伏せたままチケットを売りさばいたマネジメントの強欲さも加担して、トレヴァー・ホーンを心身共に叩きのめした結果、年が明けたらイエスは頓死していたのだった。
つまり《バグルスイエス》とは、1980年5月から12月までのたった7ヶ月間の《アドヴェンチャーズ・イン・モダン・レコーディング》に過ぎなかったのである。なんだこの生き急ぎ感。七日目の蝉か。
それでも私は、『ドラマ』をイエス史上唯一のモダン・ポップ・アルバムとしてからずっと愛聴し続けてきた。そして鈴木さえ子女史以外、同好の士に逢ったことがなかったのだけれど、近年やっと評価され始めた感がある。
一昨年だったか、〈評価が変わったイエスのアルバムは?〉というアンケートに、難波弘之氏が「トレヴァー・ホーンが優れたミュージシャンでありプロデューサーである前に、何よりもイエスのファンであり、マニアであることがよくわかった」、根岸孝旨氏が「発売当時は『ジョン・アンダーソンがいないイエスなんて』と聴かず嫌いだったが、いま聴くとなかなかにいい曲揃い」との理由で『ドラマ』を挙げていた。
待ってたよ皆が来てくれるのを。
まず忘れてならないのは、『究極』『トーマト』『ドラマ』の3作品が、結果的にイエスにおける《パンク/テクノ/ニューウェイヴ三部作》となったこと。
パンクの猛威が吹き荒れた70年代後半の英国が、プログレ者にとって生き地獄であったことは言うまでもない。あのジョン・ウェットンが「英国に25歳以上の楽器をちゃんと弾けるミュージシャンの居場所はなく、早い内に転職しようかと思った」と嘆き、あのキース・エマーソンも「僕のようなソロイストは<時代遅れ>の烙印を押されて、抹殺されかけたよ」と呟いたほどだもの。
そんな殺伐とした時代に<誰が見ても恐龍ロック>だったイエスの、対パンク・ロック戦略は明解だった。
楽曲をやや短めにしてギター・サウンドを少し増量し、「捕鯨禁止」とか「きみはUFOを見たか」とか緩ぅぅぅーいメッセージ性を導入。もちろんアートワークも、<絵画派>ロジャー・ディーンから<写真派>ヒプノシスにチェンジした。そして仕上げに『トーマト』の裏ジャケでは、全員黒のレイバン&革ジャン姿で凄んで見せたのである――「僕たちイエスも実はパンク・ロック・バンドなのさぁぁぁ」と。
どうしてこの身体を張ったギャグが通じなかったのか。
本当に残念だ。
ところが偶然とは恐ろしいもので、急場しのぎだったはずの<バグルスさんいらっしゃい!>劇が、予想外の効果を生んでしまった。
新作『ドラマ』にバグルスが持ち込んだ楽曲は全6曲中2曲だが、“白い車”も“レンズの中へ”も、70年代オールドスクール・ロック以降のポップ・ミュージック感を軽快に醸し出している。そりゃ当たり前だ。
しかしそれ以外の純正イエス4曲も、ホーンの歌唱域と全作詞がもたらした<アンダーソンのハイトーン2割減>現象と<歌詞の大袈裟レトリック半減>効果により、楽曲もアンサンブルもその足回りがやたら快適になった印象が強い。ハウのギターもウェイクマンがいなくなった分生命力に溢れてたし、ダウンズのいなたいシンセすらヴォコーダーやフェアライトの大胆な導入で、意外にバンドの軽量化に貢献していた。
そして、音の存在感を重視するヒュー・パジャムのエンジニアリングと、おそらく制作現場を実質仕切らせてもらったホーンのプロデュース・ワークが機能して、世にも稀な<ニューウェイヴ/エレポなイエス>が見事に成立したわけだ。
パンク(失笑)な『トーマト』の英8位より好成績の、最高2位を記録したのも当然である。
ジョン・アンダーソンの偏執的熱情が居ぬ間の暑苦しくない、もとい《クールでスマートなイエス・ミュージック》はかなり新鮮だった。それだけに7ヶ月で崩壊したのが、何度考えても悔やまれた。
それでも、バグルス二人組のイエスに対する貢献度は目茶目茶高いと思うのだ。
1983年11月の全米1位ヒット曲“ロンリー・ハート”で、イエスは奇跡的な復活を遂げた。その立役者としてトレヴァー・ラビンの<産業ポップ力>が常に持てはやされてきたが、『90125』を<最先端の大衆音楽>たらしめたのは、そんなもんトレヴァー・ホーンのプロデュース・ワークのおかげに決まってるではないか。
ここで彼が投入した<究極のサンプリング兵器>オーケストラ・ヒットの絨毯爆撃は以降、80年代の定番サウンドとなったほど画期的かつ鮮烈だっただろ。
あのイエスがコンテンポラリー・バンドとして返り咲くことができたのは、誰のおかげだと思ってんだこら。
あれから四半世紀を経た2011年7月、<イエス、21世紀唯一のちゃんとしたアルバム>『フライ・フロム・ヒア』をプロデュースしたのが、そのトレヴァー・ホーンだ。しかもレコーディング途中には、ジェフ・ダウンズまでが鍵盤奏者としてイエスに出戻っちゃうのだから、『ドラマ』再びである。
たしかに青天の霹靂ではあった。だけど考えてみてほしい。クリス・スクワイアにとってジョン・アンダーソンがどれだけ面倒くさい存在だったか、を。
長年インタヴューしてきてやっと気づいたのだけど、アンダーソンがあのヴォーカル・スタイル同様に〈天真爛漫な夢想家〉なのは事実だ。だから彼がどれだけ天高く舞い上がり、「イエス・ミュージックは僕の人生観そのものなのさぁぁぁ」とイエスの総てを自分の手柄にしようが、物理的な迷惑さえ被らねばスクワイアはよかった。
超我田引水なアンダーソン語録の数々――「“ロンリー・ハート”は僕が唄ったから魂が宿った最高のポップ・ミュージックになった」だの、「90125グループは商業主義集団だけど、ABWHは崇高な作品至上主義者たち」だの、「僕のタクトで仕切った8人イエスは美しかった」だの、「トレヴァー・ラビンは守銭奴」だの「トレヴァー・ラビンは最高のコンポーザー」だの、「僕はヒットシングルの必要性をまったく感じない」だの、〈いつも正しいのは自分〉と公言して憚らないからすごい。新作をリリースする度に毎度毎度前言を翻して己れを正当化できる彼の無邪気さに、身内なら殺意の一つや二つ涌きそうなもんだが、気にも留めないスクワイアの常軌を逸した鷹揚さは、もはや〈奇蹟〉だ。
市川 ちなみに、彼のあの誇大妄想をどうコントロールしてるんですかね。
スクワイア (苦笑)ジョンも自分が不器用なタイプだってことは自覚してるし、もう20年以上もやってきて彼のコンセプトが時に漠然としていることに、彼自身も気づいてはいるんだ。もちろんそれがいいときもある、むしろジョンの本質的なものだから。それにジョンは、実際の技術的な部分は僕たちに任せてしまった方が満足いくみたいだし。
市川 要は、「<天然>だから扱いやすい
ってことでしょうか。
スクワイア がはがはがは。彼は少なくとも、仕事を愉しんでると思うよ? だからイエス以外のプロジェクトも数多くやってるわけで――それがバンドに良い影響があるかはわからないけど、それでジョンがモチベイション上げてハッピーでいてくれるのなら、俺としては全っ然構わない。それにしてもだよ、ジョンはどうしていつもああやっていられるんだぁ? がはがはがはがは。
市川 私が訊きたいです(失笑)。ちなみに彼に先日逢ったら、「自分とクリスがそもそもイエス結成の核的存在で、バンドを常に動かしてきたエネルギーなのさ!」と断言してました。まあそれが事実だとは思うんですけど、それでも彼の誇大妄想癖にここまで寛容なあなたは、インクレディブル過ぎます。とても付き合いきれませんわあのタイプ。
スクワイア お、いまの部分もう一度繰り返して言ってくれよ。がはがはがはがはが……ま、こんなに長い間一緒に活動してこられたのは、やっぱり仕事上の関係だからだろうなー。
市川 そんな身も蓋もない言い方をせんでも。
スクワイア だって、毎日一緒に夕食に出かけるような親友でもなかったし。ジョンは俺のこと、何て言ってた?
市川 「クリスとはスピリチュアルな関係」で「イエスがいちばん大切なことが、最大の共通項」と自信満々に謳ってました。
スクワイア そりゃいい答えだ。正しいと思うよ(不敵笑)。
そのスクワイアのブラックホール級の堪忍袋の緒が2008年、イエス結成40周年記念《CLOSE TO THE EDGE AND BACK》ツアーを断念した瞬間に、切れた。
表向きはアンダーソンの肺疾患リタイアが中止の理由だが、実際はわからない。だって病状が回復した彼の復帰を頑として赦さなかったばかりか、YouTubeで観かけただけの〈ジョン・アンダーソンの唄マネが上手い素人〉ベノワ・デイヴィッドを、当てこすりのようにさっさとアンダーソンの後釜に据えたからだ。
ここまでスクワイアを逆鱗させるからには、相当の不義理を犯したのだろうが――怖いからあえて詮索しないことにする。なんかスクワイアもアンダーソンも、タイプは違えど両者ともおばちゃん体質だから、二人の軋轢は目茶目茶ドロドロしてそうじゃない? くわばらくわばら。
ただこの勇気ある決断をしたスクワイアの脳裏には、ある秘策が浮かんでたはずだ。
それが、アンダーソン不在のいましかできない、〈《バグルスイエス》のオトシマエ〉である。わずか7ヶ月間しか稼働できなかったあのグループが秘めた、〈新しいポップ・ミュージックとしてのイエス〉の可能性に、今度こそ賭けてみたかったのかもしれない。
もちろん、『ドラマ』と『90125』を鮮やかに完成してみせた頼もしい天才、トレヴァー・ホーンに対する信頼感あってこそだが。
そしてもうひとつ。2003年9月の来日時にアンダーソンはこんなこと言っていた。
アンダーソン 「リハーサルで一度試してみよう」みたいな話はしょっちゅう出るけど、実際に演ったことはないよ。他にも曲は沢山あるからねー。でもまぁ、実現することは永遠にないかもなぁ……だって僕もリックも、あのアルバムには一切関わってないもん(←きっぱり)。
市川 要するに《THE VOICE OF YES MUSIC》で《THE CREATIVE GENIUS OF YES MUSIC》なあなたとしては、「あんなのイエスじゃないんだよぉぉぉぉ」と。
アンダーソン あははは。ま、『ドラマ』はイエスの長い歴史の中の一瞬に過ぎないってことなのさ。
もしかしたら、『ドラマ』期のイエスの再現こそアンダーソンへの最大の嫌味、的な歪んだ感情がスクワイアにはあったかもしれない。潜在下に。
あ、邪推です。
でもって彼はこの秘策を現実化するため、同年11月から足掛け3年に及ぶ《IN THE PRESENT》世界ツアーという実践の場で、新人歌手のデイヴィッドを鍛えた。と同時に、ハウ不在期の“星を旅する人”に“ロンリー・ハート”、そして『ドラマ』の中核曲“マシン・メサイア”という珍しい楽曲が並んだこのツアーのセトリにも、唯一の〈ずっとイエス〉男スクワイアだからこその変革の意志と意欲と方針が、強く表れていたはずだ。
で満を持して2010年10月からレコーディングを開始、翌11年6月に10年ぶり20枚目のスタジオ・アルバムとして『旧フライ・フロム・ヒア』がリリースされた。
このアルバムで、かつてバグルスがイエスに合流する際に持参した<お試し>楽曲、“We Can Fly From Here”が世紀の曲がり角を越えてようやく、24分弱の長編組曲“フライ・フロム・ヒア”となって陽の目を見た。しかも大時代的な様式美とは無縁の、まるで<別ミックス集/別ヴァージョン集>的な構成という組曲解釈は、ホーンが創造して一世風靡した《ZTTレコード》の記憶を我々に蘇えらせた。
そういう意味では、強権発動した〈永遠の牢名主〉スクワイアと、その期待に見事に応えた〈かつての新参者〉ホーンの密かな絆は、世知辛い人間関係だらけのプログレ界でかなり珍しいのではないか。
だからこそこの『FLY FROM HERE―RETURN TRIP』は、故クリス・スクワイアの遺言に応えた作品だとしても、残された者たち――ホーン+ハウ+ホワイト+ダウンズからのレクイエム集だったとしても、ぐっときてしまうはずだ。
とはいえトレヴァー・ホーンの視点から本作を俯瞰すると、また別の物語が見えてきたりもする。
もっと具体的な『新フライ・フロム・ヒア』評共々、次回に続きます。
第一回 「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回 「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回 「これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回 「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回 「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回 「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回 「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
第九回 「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!
第十回 「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!
第十一回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!
第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!
第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!
第十四回 「ピーター・バンクスはなぜ、再評価されないのか --〈星を旅する予言者〉の六回忌にあたって」はコチラ!
第十五回 「悪いひとじゃないんだけどねぇ……(遠い目) ―― ビル・ブルフォードへのラブレターを『シームズ・ライク・ア・ライフタイム・アゴー 1977-1980』BOXに添えて」はコチラ!
第十六回 「グレッグ・レイク哀歌(エレジー)」はコチラ!
4枚組ボックス、ブックレット・帯・解説・紙製収納ボックス付仕様、定価9709+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
解説無、帯無、ボックスとブックレット無し、CDの圧痕・ソフトケースの圧痕あり
デジタル・リマスター、ボーナス・トラック4曲
盤質:傷あり
状態:良好
ビニールソフトケースの圧痕あり
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの71年作4th。その内容は次作「危機」と並ぶ、プログレッシブ・ロック史に留まらず70年代ロック史に残る屈指の大名盤であり、STRAWBSからキーボーディストRick Wakemanが加入、文字通り黄金期を迎えた彼らがトップバンドへと一気に飛躍する様が鮮明に残されています。まだ「危機」のような大作主義こそないものの、「ラウンドアバウト」「燃える朝焼け」など彼らの代表曲を収録。また今作から、その驚異的なエンジニアリング技術で彼らの複雑な楽曲製作に貢献することとなるEddie Offord、そしてその後のYESのトレードマークとなる幻想的なジャケット/ロゴを手がけるRoger Deanが参加、名盤の評価をより一層高めることとなります。
デジパック仕様、スリップケース付き仕様、輸入盤国内帯・解説付仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック2曲、定価2400+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無
英国プログレを代表するグループ、71年3rd。John Anderson、Bill Bruford、Chris Squireに加えSteve Howeが加入。前作までのPOPさを残しつつクラシック要素が強まり、楽曲構成がより複雑且つドラマティックなものへと変化しています。大作こそ無いもののYESサウンドを確立させたアルバムです。クラシカルなものからフラメンコまで、多様なフレーズを自然に溶け込ませるSteve Howeのギターが圧巻。細かく正確に刻まれるBill Brufordのドラム、メロディアスに高音を響かせるChris Squireのベース、そして天使の歌声John Andersonを加えたアンサンブルは、瑞々しく表情豊かです。本作でバンドを去ることになるTONY KAYEによるハモンド・オルガンも、英国らしいダークな雰囲気を醸し出しており魅力的。『FRAGILE』、『CLOSE TO THE EDGE』に次ぐ人気を誇る代表作。
紙ジャケット仕様、UHQCD、スティーヴン・ウィルソン・リミックス、定価2800+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
軽微なスレあり
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの72年作5th。その内容は前作「こわれもの」と並ぶ、プログレッシブ・ロック史に留まらず70年代ロック史に残る屈指の大名盤であり、20分近い表題曲をメインに据えたコンセプト・アルバムとなっています。Keith Emersonと人気を分かつRick Wakemanによる華麗なキーボード・オーケストレーション、カントリーからフラメンコまでを自在に操る個性派ギタリストSteve Howeの超絶プレイ、難解な哲学詞を伝えるハイトーン・ボーカリストJon Anderson、テクニカルでタイトなBill Brufordのドラム、そしてリッケンバッカーによる硬質なベースさばきを見せるChris Squire、今にも崩れそうな危ういバランスを保ちながら孤高の領域に踏み入れた、まさに「危機」の名に相応しい作品です。
紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、インサート封入、定価2000+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
帯中央部分に若干色褪せあり
デジパック仕様、スリップケース付仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック4曲
盤質:無傷/小傷
状態:良好
デジパック・スリップケース付き仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック4曲
盤質:無傷/小傷
状態:良好
軽微な圧痕あり
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの73年作。「こわれもの」「危機」で大きな成功を収めた彼らですが、本作は彼らが更なる高みを目指した1枚であり、Jon Andersonの宗教的なコンセプトをテーマに神秘的な雰囲気と独特の瞑想感、スペーシーな雰囲気で進行する良作です。全4曲から構成され、うち3曲は20分を超えると言う大作主義の極みのような作風は圧巻であり、Bill Brufordに代わりドラムにはAlan Whiteが初めて参加しているほか、Rick Wakemanは本作を最後に脱退。非常に複雑な構成から賛否両論のある1枚ですが、やはりその完成度に脱帽してしまう傑作です。
2枚組、英文ブックレット付仕様、定価不明
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
盤に指紋跡あり、帯はケースに貼ってある仕様です、帯に折れあり
紙ジャケット仕様、2枚組、HDCD、デジタル・リマスター、定価3619+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
若干スレ・若干汚れあり、解説に軽微な折れあり
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの73年ライブ作。名盤「Close To The Edge」を生み出した彼らの自信が感じられる名ライブ作であり、その内容はある種、スタジオ盤以上にファンを虜にしているほどです。もはやおなじみとなったストラビンスキーの「火の鳥」でその幕を開け、「シべリアン・カートゥル」や「燃える朝焼け」「同志」「危機」と、「ラウンド・アバウト」と彼らの代表曲をたっぷりと収録。スタジオ作のクオリティーを完璧に再現するだけでなく、スタジオ作には無いドライブ感の詰まった超絶技巧、名演の数々は全ロックファン必聴です。
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの74年作7th。「こわれもの」「危機」で大きな成功を収めた彼らですが、前作「海洋地形学の物語」でキーボードのRick Wakemanが脱退、後任にはRefugeeの技巧派Patrick Morazが加入しています。その内容はPatrick Morazの参加によってラテン・ジャズ、そして即興色が加味され、超絶なインタープレイの応酬で畳み掛けるハイテンションな名盤であり、「サウンド・チェイサー」ではインドネシアのケチャも取り入れるなど、深化した彼らの音楽性が伺えます。もちろん彼ららしい構築的なアンサンブルも健在であり、大曲「錯乱の扉」の一糸乱れぬ変拍子の嵐など、バンドのポテンシャルの高さが伺えます。大きな成功を経て円熟期に入った彼らを象徴する1枚です。
98年初回盤紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、内袋・リーフレット付仕様、定価2000+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
内袋はついていません
盤質:傷あり
状態:並
軽微なカビあり
デジパック仕様、スリップケース付仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック3曲
盤質:傷あり
状態:良好
スリップケースに軽微な圧痕あり
その構築的に練り上げられた楽曲と凄まじい演奏技術により、今なお多くのフォロワーを生み出しているイギリスのグループの77年作。前作「Relayer」でRick Wakemanに代わりテクニカルなプレイを見せたPatrick Morazが脱退しRick Wakemanが再加入した作品となっています。それに伴い、Patrick Morazの即興色やジャズ色が影響した前作に比べてRick Wakeman色がバンドに再び彩りを与え、シンフォニック然としたアプローチが復活。YESらしい個性が再び芽吹いた1枚と言えるでしょう。加えて、非常にポップな印象を与える作風へとサウンドが変化しており、Doger Deanの幻想的なアートワークからHipgnosisの現実的なアートワークへの移行が興味深い作品となっています。
紙ジャケット仕様、MQA-CD×UHQCD(すべてのCDプレイヤー再生可/ハイレゾ品質での再生にはMQA対応機器が必要)、復刻巻帯付き、リーフレット付仕様、定価2800+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
パンク、ニュー・ウェイブ全盛期の中リリースされた78年9作目。大作主義は鳴りを潜め、10分以下の小曲で構成されているほか、音も時代を反映してそれまでよりもかなり煌びやかでポップなものになっています。とはいえ開放感のある瑞々しいメロディや、各楽器が緻密にメロディを奏でていくアンサンブルの構築性は流石のYESと言ったところ。多様な音色を駆使し、生き生きとフレーズを弾きまくるウェイクマンのキーボード。自由奔放かつ繊細さ溢れるハウのギター。地に足のついたスクワイアのベース、タイトかつ柔軟さのあるホワイトのドラム。そこへアンダーソンのヴォーカルが次から次へとメロディを紡ぎ出す、有無を言わせぬ怒涛のプログレッシヴ・ポップ・サウンドは彼らでなければ生み出し得ないものでしょう。「Release Release」など本作を象徴する1stや2ndに入っていそうなスピーディーでストレートなロック・ナンバーも魅力ですが、白眉は「On The Silent Wings of Freedom」。前作『Going For The One』で聴かせた天上を駆けるような夢想的なサウンドと、「ロック」の引き締まったビートが理想的に共存した名曲に仕上がっています。スタイルは変われどもYESらしさは満点と言っていい好盤。
「こわれもの」「危機」を生んだイエス黄金ラインナップからなるABWHと、かつてイエスに在籍した主要メンバー(クリス・スクワイア、アラン・ホワイト、トニー・ケイ、トレヴァー・ラビン)が合体。8人組新生イエスがここに誕生した91年作。
紙ジャケット仕様、K2 24bitマスタリング、ボーナス・トラック1曲、内袋付仕様、定価2000+税
盤質:傷あり
状態:
帯有
透明スリップケースがついています
定価2500+税、36Pブックレット付仕様
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯特典部分切り取り有り、帯に若干圧痕あり、クリアケース無し
2枚組、紙ジャケット仕様、SHM-CD、ボーナス・トラック2曲、定価4000+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
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