2017年11月28日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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すまん。
伝わってないかもしれないが、この連載《どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ》は、ともすれば現場感覚から遊離しがちなプログレ関係の文筆を他山の石とし、これまでは一応、最新リリース作品や直近のライヴなどを意識した〈アップデート(失笑)〉なプログレ・コラムを綴ってきたつもりだ。
ま、それだけアーカイヴ商品化作業の充実やアーティスト自身の生命力のしぶとさが顕著な昨今なのだろう。でも今回は初めて、ずっと気になってた個人的な好奇心を解消させてもらう。ただの駄話です。
❶『サード・アルバム』。❷『夜明けの口笛吹き』。❸『ウマグマ』。❹『トリロジー』。❺『ラヴ・ビーチ』。そして❻『レッド』。
イージーだ。生粋のプログレッシャーならば、この6枚のアルバムの共通項が瞬殺で閃くはず。イエス・フロイド・ELP・クリムゾン・ジェネシスのいわゆる《プログレ五大陸》の作品群で、本人たちがジャケに登場しているアルバムは、ライヴ盤を除けばこんだけしかなかったりする。まあルックスでプログレを聴く物好きもそうそういないだろうから、どうってことはない話ではある。
あれ? そういえば70年代に『ロッキングオン』や『音楽専科』など音専誌やファンジンでやたら流行った〈美し系洋楽漫画〉で、やたらフィーチュアされてた唯一のイケメン・プログレ・バンドがいたよ……ELPだぁ!
あの頃キース・エマーソンはジェフ・ベックに匹敵するクール・ビューティーな超人キャラだったし、カール・パーマーは空手着姿の金髪坊ちゃん刈りヘアで脇を支えていた。そしてラスボスとして、グレッグ・レイクは市川昭介ばりの〈紅顔の美少年〉として機能していたのだ。〈市川昭介〉先生を知らない奴は、各自ググってくれ。
とはいえ、メンバーがただの一枚もアルバムのジャケに姿を現すことがなかったジェネシスは、かなり極端なスタンスではある。
そもそもが、ほぼ〈顔出しNG〉状態だった《ピーガブ期ジェネシス》。AV女優か。
基本的にライヴは、顔を全部隠す帽子やらファラオやらイバラの冠やら老人やら幾何学模様の箱やらデイジーの花弁やら赤いドレスの狐やら蝙蝠やらマタンゴやらに〈仮装大賞〉したり、一本眉や逆モヒカン頭にまで挑戦したピーター・ガブリエルによる一人芝居。で他の4名はというと、楽団員としてステージ上に板付きどころか、ずっと椅子に座ったまま演奏し続けるだけときた。
とにかく5人が5人全員内向的な性格だもんだから、ヴォーカリストは<自分でない何かを演じる>ことで、楽器隊は<演奏に集中する>ことでなんとか自分を保つという、極めて面倒くさい人々である。どこかのロバート・フリップみたいに、強烈な自己顕示欲の裏返しで座ってギターを弾く輩とは、弱さのレェェェベルが違うのだ。
こんな連中がジャケに写るはずがないではないか。
ピーガブを語る際に、もう四半世紀以上も私が書き続けてきた文脈がーー〈彼の作品には一貫して流れている大命題があった。「自分という存在、アイデンティティーを常に探し求め続ける姿勢である。〉と続くわけだ。
その方向性がソロ・ワークス以降さらに顕著になったのは、周知の事実。
はい、雨に曇ったフロントグラスの向こうにぼやけた〈car〉ピーガブ。
はい、自分の顔を爪で掻き剥がした〈scratch〉ピーガブ。
はい、顔面が半分溶け落ちた〈melt〉ピーガブ。
はい、謎の防護仮面に隠れた〈security〉ピーガブ。
己れの存在が己れで見られない彼の所在なさが、ソロ・アルバムのジャケットに毎回毎回おもいきり具現化されていた。常にタイトルが単なる『ピーター・ガブリエル』とぞんざいに扱われてたのを思えば、この《見えない顔ジャケ》シリーズはその収録曲以上に雄弁だったのである。
でもって、アムネスティに端を発する彼の熱狂的なボランティア活動癖は、他人に積極的に向かうことで自分の存在を確認するという、ピーガブにとっては生命維持装置としての<代償>行為だったに違いない。他人の目に映った自分を見て「あー俺はちゃんとここにいるぅ」と安心するのだから、哀し過ぎる男だ。
そんな自己探求の旅の中86年にリリースされた5枚目のソロ『So』は、生まれて初めて<素顔のまま>でスリーヴに登場。内容的にも、“ドント・ギヴ・アップ”で自らの再出発をまあまあ素のまま唄い、“ビッグ・タイム”で自己喪失癖を正直に唄った、ピーガブにとってまさに<転機>の作品となった。
それでも例の<無防備には絶対なれん>病は健在だから、シンパシーを禁じえない。
ピーガブとケイト・ブッシュのW主演による、<諦めずに頑張るぞ>ポジティヴ・ラヴソングな“ドント・ギヴ・アップ”だけど、詞をよく読むと――終始一貫して愚痴り続ける男と、終始一貫して励まし続ける女の間で、実はまったく会話は噛み合っていない。そればかりかPVを観ても、強く抱き合い続けて愛を確かめ合ってはいるように映るものの、よぉーく見るとこの二人は一切、目を合わさないのであった。わはは。
そして92年に登場した『Us』は、6年前にやっと自我を見つけかけたピーガブが、6年も懸けてようやく自分のありのままを表現することに自覚的になった作品だ。おー2作続けてジャケにも姿が写ってる写ってる写ってる。
そもそも<自分探し>でいっぱいいっぱいだった大の大人が、自分で<ラヴソング・アルバム>と公言できただけで画期的じゃないか。
その背景には泥沼の離婚と不倫、そしてセラピーに5年間も通う羽目になった<私的な危機>が多分に影響を与えている。でもそんな〈生々しい現実〉に対峙したからこそ、彼はラヴソングを唄えるようになったんだと思う。他人を意識した初めての表現だとは、この歳で(苦笑)。
ということで私は『Us』を、ピーター・ガブリエルが人間としての第一歩を踏んだ記念すべきアルバムと、当時位置づけた。
同時にこの『Us』で、<私にとってのピーガブ>は完結したのである。
するとその10年後(!)にリリースされた次作『UP』も、その8年後の次々作『スクラッチ・マイ・バック』も、その翌年のセルフ・カヴァー集『ニュー・ブラッド』も、ジャケは細胞なんだか遺伝子なんだかナノ・レヴェルなんだかよくわからないけれど、もはや人間を通過してミクロの決死圏に落ち着いてしまった。
居直んなよ。
といった文脈で、私の十八番のピーガブ論は大団円を迎えるのが常なのだが、恥ずかしながら今回初めて気づいたことがある。同じ〈ジェネシスのヴォーカリスト〉なのになぜ、フィル・コリンズのソロ・アルバムは常に《おもいきり顔ジャケ》なのだろうか。ピーガブとは真逆の。
ピーガブとピーガブ抜きジェネシスの比較論は当然何度も書いたけれど、ピーガブとフィルコリのソロ作品比較は灯台下暗しで、考えたこともなかった。【陰気と陽気】というか【特殊と一般】というか【ロックとポップス】というか【閉塞と迎合】というか【白黒と総天然色】というか【鬱と躁】というか、とにかく異次元の存在同士だもの。
両者のソロ・アルバムを時系列で並べると、PG❶→PG❷→PG❸→PC①→PG❹→PC②→PC③→PG❺SO→PC④→PG❻US→PC⑤。
3枚出してもまだ顔が溶けちゃうピーガブを嘲笑うかのように、フィルコリ81年の初ソロ『夜の囁き』はジャケからはみ出した巨大な正面顔が我々を見据えていた。それでもまだ仮面被っちゃったピーガブは眼中にないのか、続く82年『フィル・コリンズ2(心の扉)』は総天然色の横顔で何かを見つめてるし、なぜか汗まで浮かべて真っ赤っ赤な顔の『フィル・コリンズ3(ノー・ジャケット・リクワイアド)』は、チビ太のゆでダコ状態である。挑発してるのか? そしてモノクロだけどやっと『SO』で顔を晒すことに成功したピーガブには、4thソロ『バット・シリアスリー』が右斜めからの「でも真面目」な顔で対抗するのであった。
大人げないぞフィル・コリンズ。
嘘嘘。ただ同じバンドのヴォーカリストの初代と二代目が、人としてここまで両極端なコントラストを見せるのから罪なのである。
だってフィルコリの1枚目『夜の囁き』の原題は《Face Value》、俗語的には〈額面通り〉を指す。そこんとこは文字通りの〈顔の価値〉に掛けたのだろう。意訳すれば〈顔パス〉でもいいかもしれない。つまり顔ジャケが相応しいアルバム・コンセプトだったのだ、そもそもが。
ここで前任者ピーガブとの対立軸として、ぶさいくなフィルコリがあえて顔ジャケ路線を選択したとなりゃ、我々日本人プログレッシャーズは血沸き肉躍る。けどフィルコリが目指したのは、あくまでも芸能色ウェルカムの〈一ヒットパレード歌手〉に過ぎない。でもこの「過ぎない」はずのちんちくりんなキューピー人形が、どどーんと〈英国を代表する国民的歌手〉に大化けしちゃうんだから、実はとても《プログレッシヴ》な半生ではないか。
ただし唄うことには積極的でも、「自分について唄う」ことにはさして興味が無かったフィルコリが作詞に目醒めた契機は、80年2月の最初の離婚劇のダメージだった。あまりにもやる瀬なくて書いた、何のひねりもない単なる哀しいラヴソング“プリーズ・ドント・アスク”が、〈実はジェネシスのプログレ牢名主〉トニー・バンクスの厳しい審査と検閲を無事合格して、『デューク』に採用されたのである。唄い始めてから5年も経ってやっと、だ。それまでの自己表現に対する興味の希薄さは、ちょっとすごい。
そしてこのとき「あ、楽曲で憂さ晴らしすればいいのか」と気づいたフィルコリは、好き勝手唄うためにソロ活動を開始し、ジェネシスにおいてもバンクスのお許しが出た素材に関しては、たまに楽曲を書くようになったんだと思う。
しかしフィルコリといい先のピーガブといい、そんなに男の自己探求は女次第で左右されるのか。〈文系ロック〉って、だから素敵さ。
それにしても、あれだけの接写とどアップに動じないフィルコリの被写体衝動に、私は不動明王を見た(←嘘)。というか嬉々として被写体に励んでる、と書くのが正確だ。だってアルバムのみならず続々とカットされた無数のシングルのジャケも、そのほとんどが〈フィルコリ一人舞台〉状態なんだもの。
どんだけ出たがりなのか、この男。
でも想い出してみてほしい、フィルコリの氏素性もとい遍歴を。
裕福な家庭に育ったのをいいことに、5歳でドラムセットを叔父さんからプレゼントされると、ちびっこタレント・コンテストに出場してオーケストラを従えて唄ったり、打楽器の演奏メソッドを師事して学んだりする傍ら、14歳からは演劇学校にも通い子役としてのポジションも着々と築きつつあったのだから、育まれた素地が半端ない。
だから超絶技巧派ドラマーとしても開花できたし、あの〈稀代の悪口雑言クソ野郎〉ビル・ブルーフォードをして「『夜の囁き』は劇的で本物のブラック・ソウル・ミュージック」と言わしめるほどのモータウン・ファンク・マニアに仕上がった。
そして子役まで経験済みだからこその〈観られるカタルシス〉が、彼のソロ・ワークスには溢れかえってるんだと容易に推測できる。
ピーガブ在籍時のジェネシスは常にその素人アングラっぽい演劇性と共に語られてきたが、よく考えたらフィルコリの方がはるかに〈リアル〉な演劇出身者なのだ。いちいち絶妙なコントラストのバンドであることよ。
というような私の妄想紙一重の憶測を、外ならぬフィルコリ本人が証明してくれたのは2年前だったか。2015年末から始まった、全ソロ・アルバムのデラックス・エディション化である。一見、オリジナル音源を最新リマスタリングしたり、ライヴやらデモやらアルバム未収録曲を集めたボーナス・ディスクと2枚組にしたり、と極めてノーマルで王道のアイテムだ。別に珍しくはない。
ところがフィルコリは旧CDを飾っていた顔ジャケを、全く同じ構図で撮り直してしまったのだ。だから31歳だった旧『夜の囁き』の正面顔が、『夜の囁き』DXでは65歳の正面顔にすり替わってしまい、怖い。皺は増えほうれい線は深く刻まれ頬はこけ顎は弛んだ、還暦過ぎて目つきの悪いフィルコリがそこにいるのだ。
ちなみに『2(心の扉)』プラス33歳、『3(ノー・ジャケット・リクワイアド)』プラス29歳、『バット・シリアスリー』プラス24歳、『ボース・サイズ』はプラス20歳、『ダンス・イントゥ・ザ・ナイト』プラス18歳、『テスティファイ』プラス十二支1周分、そして7年前の最新作『ゴーイング・バック』に至ってはプラスおよそ56歳ときた。
で、なぜフィル・コリンズの〈老化〉を、赤の他人の我々が確認させられなきゃならんのだ? そもそも、音源は若い頃のまんまで顔ジャケだけアップデートという、謎のリアリティー追求姿勢の意味がわからない。
意識的な顔ジャケは、哲学させるのだろうか。
そんな彼の〈嘘のない顔ジャケ〉群を眺めていて思った。
子役って大人になったら皆なぜか凡人以下のヴィジュアルに成り下がるけれど、日本も英国もそれは同じなのだと。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
5099951132927(ANTHONY BANKS LTD)
2枚組、スリップケース付仕様
盤質:傷あり
状態:良好
ケースツメ跡あり、スリップケースにスレあり
5099951132927(ANTHONY BANKS LTD)
2枚組、スリップケース付仕様
盤質:傷あり
状態:良好
1枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり、スリップケースに圧痕あり
5枚組ボックス、各CDはペーパーケース仕様、SHM-CD、解説・情報記載シール・情報記載シート・ブックレット付き仕様、定価8800+税、全53曲
盤質:傷あり
状態:良好
帯-
複数の盤に汚れあり
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1971年に発表されたサード・アルバム『怪奇骨董音楽箱』は、ギタリストにSteve Hackett、ドラマーにPhil Collinsが加入し、ついに黄金期のメンバーが揃った作品。「プログレッシヴ・ロック・バンド」GENESISの傑作の森の入り口にあたるアルバムであり、後に「プログレッシヴ・ロック史上最も英国的なバンド」と呼ばれる彼らの個性が芽吹いた名盤です。アルバム・タイトルの「Nursery Cryme」は「童謡」を意味する「Nursery Rhyme」から作られた造語。Paul Whiteheadが手掛けた印象的なジャケット・アートは、「クリケットで遊ぶ少女が、一緒に遊んでいた少年の頭をクリケットのバットで吹き飛ばす」という、アルバム1曲目「ザ・ミュージカル・ボックス」のストーリーを描写したもの。次作『フォックストロット』と並んでGENESIS入門に最適なアルバムのひとつです。
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1972年に発表された4枚目のスタジオ・アルバム『フォックストロット』は、キーボーディストTony Banksによるメロトロンのクラシカルなイントロが有名な「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」で幕を開ける作品。GENESISの最高傑作に推すファンも多いアルバムですが、やはり「プログレッシヴ・ロック期GENESIS」の代表曲として名高い「サパーズ・レディ」が収められていることがポイントでしょう。セカンド・アルバム『侵入』でプログレッシヴ・ロックに舵を切り、サード・アルバム『怪奇骨董音楽箱』で蓄えた経験が、20分を超える大曲にすべて注ぎ込まれています。全英アルバムチャート12位を記録した名盤であり、シンフォニック・ロックへの登竜門的な作品です。
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1973年に発表された5枚目のスタジオ・アルバム『月影の騎士』は、全英3位、全米70位に輝いた傑作。Peter Gabrielのアカペラで厳かに幕を開ける「Dancing With The Moonlit Knight」から、シングル・ヒットとなった「I Know What I Like」、シンフォニック・ロックのお手本と呼ぶべき傑作 「Firth Of Fifth」、Phil Collinsがヴォーカルを務める「More Fool Me」、シアトリカル・ロックの色濃い「The Battle Of Epping Forest」、キーボーディストTony BanksとギタリストSteve Hackettのアコースティック・アンサンブルが美しい「After The Ordeal」、そして、Tony Banksのキーボード・オーケストレーションに鳥肌さえおぼえる「The Cinema Show」まで、完璧なシンフォニック・ロックを展開。「Dancing With The Moonlit Knight」のメロディーが再び繰り返される「Aisle Of Plenty」で幕を閉じるまで、一瞬たりとも聴き逃せない傑作です。
紙ジャケット仕様、初回盤(Virgin祭マーク入り)、解説元から無し、歌詞対訳・ファミリーツリー付仕様、英文ペーパー付仕様、定価2427+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
カビあり
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1974年に発表された6枚目のスタジオ・アルバム『幻惑のブロードウェイ』は、「Peter Gabriel期GENESIS」のラスト・アルバムであり、2枚組のボリュームでのリリースとなった作品。これまでの幻想的なジャケット・アートが、ヒプノシスによるアートワークに取って代わられている点が目を引くその内容は、「ニューヨーク出身のプエルトリコの青年ラエル」の物語をテーマにしたコンセプト・アルバムとなっています。Peter Gabrielの自己探求の色合いがコンセプトに強く表れた作品と考えられており、熱心なファンから様々な解釈が語られてきたという難解な側面もある、問題作にして大傑作。音楽的にはヒプノシスのアートワークが示す通り、GENESISの個性であった英国の抒情性が後退し垢抜けたサウンドへと変化しています。なお本作は、全英10位、全米41位を記録しています。
廃盤、紙ジャケット仕様、2枚組、初回盤(Virgin祭マーク入り)、解説元から無し、歌詞対訳・ファミリーツリー付仕様、内袋付仕様、定価3495
盤質:傷あり
状態:並
帯有
若干カビあり
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1976年に発表された8枚目のスタジオ・アルバム『静寂の嵐』は、ギタリストSteve Hackettが参加した最後のスタジオ・アルバム。グループはPhil Collinsが主導する体制へと完全にシフトした印象であり、次作以降に繋がるポップ・フィーリングを強く押し出した、明確な方向性が打ち出されています。また、時代性もあってかTony Banksのキーボードは音色のバリエーションがより豊かにカラフルさを増しており、楽曲にドラマティックな彩を加えています。本作を「プログレッシヴ・ロック期GENESIS」のラスト・アルバムと捉えるファンも多い作品ですが、プログレッシヴ・ロックとポップな音楽性の絶妙なバランスによって生み出された名盤です。
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1978年に発表された9枚目のスタジオ・アルバム『そして3人が残った』は、ギタリストSteve Hackettが脱退しPhil Collins、Mike Rutherford、Tony Banksの3人編成となったGENESISの初めてのスタジオ・アルバム。新たなギタリストは加入せず、Mike Rutherfordがギタリストも兼任(ライブではギタリストDaryl Stuermerがサポート)するスタイルとなっています。収録曲数が増加(11曲)し、各曲の演奏時間がコンパクトにまとめられていることからも分かる通り、プログレッシヴ・ロックの成分を残しながらポップ化に向けて舵を切ったアルバムと言えるでしょう。本作は全英アルバム・チャートに32週チャート・イン(最高3位)する好記録を打ち立て、また、シングル・カットされた「フォロー・ユー・フォロー・ミー」は全英シングル・チャート7位に輝きました。
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1980年に発表された10枚目のスタジオ・アルバム『デューク』は、ポップなサウンドで初の全英アルバム・チャート1位を獲得した快作。冒頭3曲と最終2曲で曲同士が切れ目なくつながっている点や、エンディング・ナンバー「デュークス・エンド」でオープニング・ナンバー「ビハインド・ザ・ラインズ」のフレーズがリプライズされる点など、トータル志向を感じさせるアルバム構成となっています。音楽的にはプログレッシヴ・ロックからは離れた印象を持ちますが、Phil Collinsのポップな音楽性を中心に組み上げられた楽曲たちは高いクオリティーを誇ります。
KING CRIMSON、PINK FLOYD、YES、EMERSON,LAKE & PALMERと並び、ブリティッシュ・プログレの「5大バンド」のひとつに数えられる重要グループ。ヴォーカリストPeter Gabrielによる演劇的なステージ・パフォーマンスと、寓話的に彩られたシンフォニックな楽曲で70年代前半を駆け抜け、Peter Gabriel脱退後はドラマーPhil Collinsを中心とした体制で活動。80年代以降はポップなアリーナ・ロック・バンドへと変貌し、プログレッシヴ・ロックに留まらず世界的な成功(2010年「ロックの殿堂」入り)を収めたグループです。1981年に発表された11枚目のスタジオ・アルバム『アバカブ』は、前作『デューク』に続いて全英アルバム・チャート1位を獲得し、ビルボード・チャートでは7位に付けたアルバム。本作の数か月前にPhil Collinsがソロ・デビュー・アルバム『夜の囁き』を発表し大ヒットを記録しており、その勢いがGENESISにも好影響をもたらしました。EARTH, WIND & FIREのホーン・セクションをゲストに迎えた「ノー・リプライ・アット・オール」など、プログレッシヴ・ロック期GENESISではありえなかったようなアプローチが楽しめる1枚です。
紙ジャケット仕様、99年初回盤、解説元から無し、歌詞対訳・ファミリーツリー・内袋付仕様、定価2548
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
帯中央部分に色褪せあり
紙ジャケット仕様、2枚組、初回盤、解説元から無し、歌詞対訳・ファミリーツリー付仕様、定価3670
盤質:傷あり
状態:並
帯有
目立つカビあり
紙ジャケット仕様、99年初回盤、解説元から無し、歌詞対訳・ファミリーツリー付仕様、インサート封入、定価2427+税
盤質:傷あり
状態:不良
帯無
帯無、カビあり
初回プレス盤、紙ジャケット仕様、解説元からなし、歌詞対訳・ファミリーツリー・内袋・インサート付仕様、定価2548
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、紙ジャケにいたみあり
廃盤、三方背ケース付きデジパック仕様(トールサイズ)、DVD、NTSC方式、リージョン2、帯・解説付仕様、定価2381+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
若干カビあり、三方背ケースに糊はがれあり
ペーパーケース仕様、2枚組
盤質:傷あり
状態:良好
1枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり
1986年作品。初の全米No.1ソング「スレッジハンマー」を含む、ピーター・ガブリエルの人気を世界的にした傑作アルバム。
リーフレット付仕様、定価2718+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、軽微なスレあり、側面部に色褪せあり
スリップケース・ブックレット付仕様、情報シール付き仕様、帯元から無し、定価2800
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯無
帯無、情報シール無し、スリップケースに若干圧痕あり
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