2023年1月19日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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ビートニクス。再結成ミカ・バンド。「大人の純愛」三部作。YMO再生。STAY CLOSE。
私が23歳の頃から至近距離で、十歳離れた先輩として〈男のなさけなさ〉の正義をいろいろ教えていただきました。
いまの気分はちょっとツラインダ、幸宏さん。
謹んでお悔やみ申し上げます。
私のような高齢者にとっては、いわゆる「プログ・ミュージック」とか「プログレッシヴ・メタル」とか「オルタナの発展形としてのポスト・ロックとプログの融合」とか「エクストリーム・ミュージックのプログへの拡張」とかのお題目はどうでもよくて、映画を早送りで観て平気な人種の増殖に象徴される〈時短とSDGsを無条件でありがたがるこんな世界〉だからこそ、昔から《プログレ》と呼ばれた地球最後の人力ポップ・カルチャーが好きなだけだ――と前回書いた。半年も前だけど。
入院手術で開腹してすぐ閉じて副作用の強い特定分子標的薬を呑み続けて再入院手術すると今度は患部を摘出できて退院し病理分析の結果を待ちつつ療養してたら、もう歳末でした。この時期に偶然発注いただいたDGMジャパン版キング・クリムゾン全16作品新規ライナー仕事が、一時は辞世の原稿かと達観したものの、どうやらまだ大丈夫です。手術前日に『スラック』分を書き上げ送信したときは、さすがに自分で笑っちゃいましたが。
ということで、続きます。まず第44回を読んで、記憶を甦らせてください。私も。
見渡す限りの砂浜に800台のベッドを本当に並べ一台一台丁寧にベッドメイキングまで施したから、変電所の上空に12mの豚のバルーンを本当に浮かべたから、『鬱』だって『アニマルズ』だって中身を聴く前から威嚇できた。そりゃCGなら何百分の一の労力と費用と時間でいくらでも作れるけれど、私は〈膨大な無駄〉に裏打ちされた営みしか信用できないのだ。音楽そのものも同じである。
人力最高。手作業万歳。
なので人力至上主義のミュージシャンの数だけ、いろんなパターンのバンドが存在しても全然構わない。いや、いろいろいて当然だ。マイク・ポートノイのように演奏技術に特化すればメタルと同化するのは当然だし、「本物」トニー・レヴィンを招聘してインプロ研究会LTEまで組んじゃった童心も理解できる。古典プログレごっこが愉しくて仕方ないんであろうフラワー・キングスにトランスアトランティックやスポックス・ビアードなんかは、もちろん微笑ましい。ゴスメタルあがりの、やはりメタルましましではあるけれどアナセマのように、バウハウスや4ADからシスターズ・オブ・マーシーを経てミッションで準備万端整ったゴス式が、プログレにとても馴染みやすいのは1980年代からわかってた。
レディオヘッドも、ピンク・フロイドと言えばピンク・フロイドだし。
それ以前に連載しておきながら、こちらの毎日更新される中古CD新入荷リストを反射的に眺めるたびに、世界中に棲息する「知らない」プログレ・バンドのあまりの多さに息を呑んでたら、膨満感が慢性化してしまった。
よく見つけてこられるよなあ皆。私は「プログレ」と呼ばれる音楽地図を完全踏破したいわけじゃないから、とても敵いません。寄居町万歳。
私のような高齢プログレッシャーでもポーキュパイン・ツリーを身近に感じられるのは、彼らが「ツェッペリン、フロイド、クリムゾンを輩出した英国ロックの希望の星」と言われて早や四半世紀も経つから、では全然ない。やはり、モダンとヴィンテージの間を自然体で行き来する、スティーヴン・ウィルソンの存在が大きいはずだ。
おお、よく働いてるわ。
このリストにはまだ入れてないけど、例の毒メンタリー映画『クリムゾン・キングの宮殿:キング・クリムゾン・アット50 デラックス・エディション』2DVD+1BD+4CD箱のブックレットで近日発売が予告された、『COMPLETE IN THE WAKE OF POSEIDON RECORDING SESSIONS』のミックスも彼のようだ。大丈夫か、このままだと〈音の水管工ロボ〉アレックス・ムンディ2号にされてしまうぞ。
自分の筆跡を一切残さず、オリジナル盤レコーディング当時に存在しなかった新たな音やギミックを絶対加えたりしない、彼のニュー・ミックス作業はいまさらながら信用できる。そのあくまでも〈リスナーの鑑〉的な仕事作法は当然、当事者たちの覚えもめでたい。特に『リザード』や『パッション・プレイ』のような本人評価が低い作品を、「意外に悪くないじゃん」とロバート・フリップやイアン・アンダーソンに宗旨替えさせた功績は、いろんな意味で大きい。嘘みたいに聴きやすくなった『海洋地形学の物語』も同様だ。
いまやクライアントがプログレの範疇を超え、ブラック・サバスにキッス(失笑)、ウルトラヴォックスやシンプル・マインズまで拡大したのも納得できる。
最低限の「修復」と空気感の「再現」に徹する彼の〈リミックスの流儀〉は、私も目茶目茶信用している。たとえばロキシー・ミュージックの同名1stアルバム45周年のSW5.1ミックスには、惚れ惚れした。〈プロのど素人〉の面目躍如、あの〈デッドな部屋の真ん中で叩き唄うドラムとしなやかさ皆無のヴォーカルを囲んで演奏される、調子外れのギターや棒のようなオーボエや秩序のない電子音〉という、初期ロキシー独特の音場感がここまでリアルに伝わるとは。くー。
2013年のイエス『危機』ニュー・ステレオ・ミックスが、象徴的だった。遠い昔に自分の部屋のステレオ(←死語)で聴いた初めての『危機』は、「よくわかんないけどとりあえず濃いわ」とうぶな私を圧倒した。やがて超絶技巧によるイエス式バンド・アンサンブルの説得力と知り、散々聴きこむことで彼らの精緻な音楽地図を知り尽くすのだけれど、正直我々が聴いてきた国内盤LPは全ての音がもわもわもわっと真ん中に集まってるだけに、聴力と想像力を駆使して聴き分けてきた探検日記でもある。わずかな音やひそやかなフレーズを一つたりとも聴き漏らすまいと、馬鹿重い巨大ヘッドフォンを装着して必死で耳を澄ませた日々。だからよけいに愛着が涌いてしまい、まんまと沼にはまったきりなのか高齢プログレッシャーズ。
ところがSWミックスは、冒頭の鳥のさえずりと川面の水音だけでいきなり驚く。するとハイハットが凶器と化すビルブルのドラムさばきや、スクワイアの重戦車なのに足回りがトリッキーなベース・ライン、テンション高い音のはずなのに柔らかいハウ爺のカッティング、ウェイクマンのいろんな音(失笑)と、どの楽器も誰のコーラスさえも空間の中でくっきり聴こえる。そして各々の音数がどんどん増えてくるにしたがって、アンサンブルのグルーヴ感がどんどん加速するのだ。でもその各楽器はちゃんと整頓されてるから、空間そのものが潰れたりはしない。そしてほどよい距離の天井あたりで、〈♪あいむじょんあんだすんっ〉ヴォーカルが愉しそうに旋回する。
41年経ってようやく目の当たりにできた、この全貌はすごい。
わかってはいたけれど、埋没していたこれだけの膨大な情報量がSWによって陽の目を見たのだ。しかも一つ一つがピントの合った鮮明な音だから、聴いてるだけでこっちが削られる。彼のミックスは毎回毎回、それほど懐かしくて新しくて鮮烈なのである。
SWが常々口にする、「そもそも名盤揃いだからファンが戸惑わないよう、できる限り忠実かつ緻密なリミックスを心がけている」や「自分が溺愛しなかった作品のリミックス仕事は、絶対断わる」といった発言は、まさに〈優秀なプロフェッショナル・リスナー〉としての矜持だろう。
結局彼のリミックスとは、思春期の頃に自分の部屋で聴き狂ってた素晴らしいロック・アルバムを、その部屋ごと再現しているように聴こえる。レコーディング・スタジオという密室の空気を震わせていた、すべての音をひとつ残らず聴こえるように。そんな空気感としての音楽だからこそイエスやクリムゾンのみならず、キャラヴァンにブラック・サバス、ロキシーやXTCやウルトラヴォックスも激しく共有できる。うん。スティーヴン・ウィルソンは何十年も昔から共に、〈最強にして繊細な室内音楽〉であるロック・レコードを熱心に聴き続けてきた〈異国の戦友〉だったのだ。
ただし唯一『ディシプリン』の40周年ミックスだけは、定位バランスが変わってリズム隊が前面に突出してるわ、(たぶん)ヴォーカルや演奏が追加変更されてるわで、別物と化してるのが残念ではあった。まあSWの意図ではなく、フリップ翁からの絶対命令だろうから積極的に見なかったことにする。
何はともあれ古(いにしえ)の作品群のヴィンテージとしての価値を高めてくれた若き恩人だから、ライナスの安心毛布みたいな存在として高齢者の覚えもめでたいSWなのだ。「若き」ったって55歳になっちゃったけど。
実は彼にかつてインタヴューしたはずなのに、全然憶えてない。たぶんジャパン人脈絡みのネタだと思うが。私の6歳下だから実は1980年代が彼の思春期のはずで、「プログレ父親とディスコ母親の影響でこんな嗜好性になった」という実にわかりやすい身の上話だけ想い出す。だから尊敬するアーティストがジェフ・リンとは、できすぎた話じゃないか。
そのインタヴュー同様に、私の「初」スティーヴン・ウィルソンは、ティム・バウネスとのユニット《NO-MAN》1993年の2ndアルバム『Loveblows & Lovecries – A Confession』になる。たぶん。スティーヴ・ジャンセン&ミック・カーン&リチャード・バルビエリの元ジャパン組のゲスト参加が直接の契機だったが、ポスト80’sというか、マンチェやらグランジやらオルタナやら物騒で本能的な90年代において〈何も生産しない無力な文系〉ぶりは、ある意味清清しかった。遅れてきたティアーズ・フォー・フィアーズというか、この期に及んでまだエレクトロニック・ポップ・ミュージックに固執している姿が微笑ましかったのだ。しかも漂うアンビエント感のみならず、デヴィッド・シルヴィアン以外の三人の方と一緒、というささやかなズレがまたいいじゃないか。
ちなみにSWもバウネスもマンチェスター出身なのはオチ、か?
「自分がプログレッシヴ・メタルを発明した!」と常に豪語するマイク・ポートノイとは対照的に、「自分はプログレ村の住人ではない」と頑なに否定し続けるSWの常套句が、「僕のプロ・キャリアが、NO-MANというシンセ・ポップ・バンドから始まったのを忘れないでほしい」なわけで、彼の立脚点は実はここにあったりする。
ポーキュパイン・ツリーだって元々は、XTCにおけるザ・デュークス・オブ・ストラスフィアみたいなもんで、たしかに1992年の最初の作品『オン・ザ・サンデー・オブ・ライフ』は、サイケ色の強い初期プログレのよくできた〈再現アルバム〉だった。でもってその正体は名ばかりのバンド名義で、実質SWのほぼ一人仕事ソロときた。ただし残念だったのは、XTCのように「何もそこまでせんでも」と笑えなかったこと――だって「本気」すぎるからSW。
結局SWとは、何やっても何作っても誰と一緒でも常に本気の、真面目すぎる男なのだ。しかも多種多様な複数の部署もといプロジェクトを、嬉々として同時進行させてきた。本人はロマンティックなつもりでも陰鬱なポップソングにしか聴こえないが、結果的にトリップホップ感がなくはない《NO-MAN》。「僕からロックの部分を排除したのがこの形」と言ってたのに、やがて〈とっつきやすいポップ性がないではないアンビエント・ミュージック〉方向に流れてったのが、悔やまれる。
その真逆でメロディもリズムも削除して、ただひたすらアンビエント感を追究する本気度につい後ずさりしたのは、《BASS COMMUNION》。ちなみに最初の2枚にロバート・フリップが参加してるものの、1998年の『Ⅰ』には7秒、1999年の『Ⅱ』には15秒、NO-MAN1994年発表3rd『フラワーマウス』に客演した際の未使用サウンドスケープからサンプリングしただけだったりする。まあ、ねえ。
イスラエル人シンガーのアヴィヴ・ゲフェンをフィーチュアして、できるだけ単純明快なポップソングに徹してみた《BLACKFIELD》。そういえばSW嫁もイスラエル人だ。「少しはコマーシャル性がある、三分間コンパクト・ポップソングが基本」という本人の言い草も、すごい。
まだある。「デスメタル・プログレ(って何だ)」OPETHのミカエル・オーカーフェルトと組んだ、仰々しくて禍々しいのにちょっと変てこな《STORM CORROSION》。さっき書いた最初期のポーキュパイン・ツリー同様の〈SW一人ユニット〉ながら、60~70年代クラウト・ロック系実験サイケのデフォルメとして、『オン・ザ・サンデー・オブ・ライフ』よりはるかに面白かった《I.E.M.》なんてのもあった。これはもうちょい聴いてみたかった。
あ、そういえば2003年からは並行してソロ・シングルも、こっそり不定期に継続リリースしてたよ。オリジナル曲がカップリングで、リード曲は常に“Cover Version”としか表記されてない大昔の自主制作盤的装丁のやつをIからVIまで。ちなみにカヴァーされてた楽曲群は、アラニス・モリセット“Thank U”→アバ“ザ・デイ・ビフォア・ユー・ケイム”→ザ・キュアー初の全英ヒット曲“フォレスト”→出ましたモーマス“ギターレッスン”→プリンス“サイン・オブ・ザ・タイムス”→メリー・ホプキンやケイト・ブッシュもカヴァーしたドノヴァン魔性の“悲しみのリーディー・リヴァー”。なんかもう嫌になるくらい面倒くさい洋楽少年なセンスだ。あ、英国人だからいいのか。
そしてもちろん、肝心の〈冗談から駒〉ポーキュパイン・ツリーを忘れちゃいけない。トレント・レズナーみたく部屋で一人、世界制覇を妄想して自分だけの音楽を作り込むのも悪くはないが、ポーキュパイン・ツリーという〈一人ぼっちのバンドごっこ〉に洒落で興じてみたら愉しくなっちゃったSWに、より私はシンパシーを抱く。「一人」なのをいいことに、バンドサウンド特有の表現領域をストレスなくいろいろ試作するうちに本物のバンドにしたくなった結果、〈人力バンド部門〉へと特化していく。2008年の初ソロ『インサージェンツ』でソロ・ワークスならではの自由さに気づかれ、PTは翌年リリースの『インシデント』を最後に開店休業するものの、まぎれもなく主戦のプラットフォームだった。
ものすごく乱暴に書けば、自分以外の人力を導入するのがバンド化の最短距離だ。そしてSWの人選基準は、とてもわかりやすい。要は〈自分が出せない音を出せる〉者を呼ぶ――この一点に尽きる。メンバー第1号がリチャード・バルビエリ、なのが何より象徴的だ。いい感じで地味なアナログ・シンセ音というか、ジャパン的なニューウェイヴ感を1990年代になってもなお存分に醸し出せる人材は、このひとしかいなかったはずである。
ベースに抜擢した〈ジャズを嗜むミック・カーン〉コリン・エドウィンだってフレットレス弾きだから、特殊免許みたいなものだ。
まだドラムがプログラミングだった時代の『アップ・ザ・ダウンステアー』全曲と、可もなく不可もなしドラマーが叩いた『ザ・スカイ・ムーヴズ・サイドウェイ』の2曲を、2002年にギャヴィン・ハリスンが加入すると即座に差し替えたのだから、推して知るべし。
こんなに生真面目で几帳面な男だから、発端はバンドごっこの延長の「ラリったピンク・フロイドやホークウインドもどき」や「メロトロン天国」だったはずが、やはり、加速度的に本気度が増す。2002年にオルタナでメタルな『イン・アブセンティア』。さらにヘヴィー化したら虚無と情緒が共存しちゃった、2005年『デッドウィング』。で2007年の『フィアー・オブ・ア・ブランク・プラネット』が凝りに凝った楽器力と構成力で隙のないドラマツルギーを提示すると、よりシュールさを意識した2009年の『ジ・インシデント』をもってポーキュパイン・ツリーはあっさり「修了」となった。
筆圧の高い筆跡のように繰り返される〈美メロからの爆音〉パターンを唯一の手癖に、同時進行するプロジェクト群における発見と成果をクロスオーヴァーさせながら、アンサンブルをストイックにデザインするのが、PT最大の特性である。ミレニアム以降の《モダン・プログレ》と称される大半のバンド同様、高齢者の耳には厳しい硬質なギター・サウンドなのもご愛敬だ。だって当時のモダン・クリムゾンが、ハードでインダストリアルでメタリックだけど精緻な殺伐アンサンブルを追求してたのだから、標準装備と言える。
とはいえなぜプログレはあの当時、メタリックな音色で増幅補強する的な〈メタル化〉が急速に進行したのか。人力ロック同士の「隣の芝生は青い」現象かしらん。
さて。当然、PT各メンバーの演奏力は申し分ない。SWは地球上ただ一人の〈キング・クリムゾンを修復できる男〉に相応しく、特にハリスン加入以降のライヴ音源群を配信でもフィジカルでも発掘し続けているが、どれを聴いても端正な密集力の盤石ぶりが見事――だけれど、いくら聴いても胸躍らないから逆に面白い。
どの作品もどのライヴも、ものすごくちゃんとしているので隙がなさすぎる。準備万端考え抜かれた〈理詰め〉のPTワールドでは、どんな破綻も偶然も起こらない。無類の隙のなさが生む強靭なストイシズムが聴く者を圧倒するが、微塵もない下世話なカタルシスが逆に恋しくなる。
あくまでもSWがデザインした完璧の〈バンド式〉サウンドは、天然物の〈バンド〉サウンドとは似て非なるものだ。要は、録音した全ての音に敬意を表して際立たせる彼の〈リミックスの流儀〉が、PTにおいても適用される。するとどの音もすべからくはっきりしっかりくっきり聴こえるから、そりゃバンド感も希薄になる。SWの生真面目で探求的な流儀はヴィンテージという遺跡発掘現場においては絶大な効力を発揮しても、モダンの最前線では「机上」感を拭いきれないのかもしれない。だってポーキュパイン・ツリーとは、スティーヴン・ウィルソンにとって〈机上の理想論〉バンドに他ならないのだから。
しかし、2008年に初ソロ・アルバム『インサージェンツ』を上梓した途端、彼の興味と熱情はPTから離れてしまう。ギャヴィン・ハリスンという最強のドラム・アプリも入手し理想のバンドのコンプリート目前に映ったが、あらゆる枠組を体験実践したらやはりすべてを包括できるソロ・アーティスト《スティーヴン・ウィルソン》を最終的に選択するのが、妥当だ。だからその後『グレイス・フォー・ドロウニング』『レイヴンは歌わない』『ハンド・キャンノット・イレース』『トゥ・ザ・ボーン』『THE FUTURE BITES』とおよそ2年おきに登場するソロ・アルバム群は、PTも含む全活動を総括するかのような「力作」揃いで、私の心を折り続けた。
そう。スティーヴン・ウィルソンとは、フォルダでいっぱいのデスクトップなのだ。
とにかく聴く者を不安にさせることに命を賭けてるとしか思えない、徹底的に緻密で精緻なサウンドメイク。と同時に、気がつくと2CDやらさらにBD標準装備やらLP5枚組やらと重量化する一方の、油断も隙もない怒濤のヴォリュームも脅威な上に、いちいち全力投球のアルバム・コンセプトも厄介だ。
PT時代からブレット・イーストン・エリスが書く『レス・ザン・ゼロ』や『アメリカン・サイコ』的な、社会不適応者といびつな若い世代に対する共感を突き詰めてた彼が、その手をソロで緩めるはずもなく。〈真実を蹂躙する被害妄想による現実逃避の天真爛漫さ〉とか、〈アパートで孤独死したあげく三年間発見されなかった実在の女性〉とか、〈ネットに凌辱される人類の頭脳の進化〉とか、面倒くささは増す一方である。〈過去33回はなんとか無難にやりすごしてきた男の、34度目のアシッド・トリップ〉的な洒落っ気があった昔が懐かしい。どうしてきみはなんでもかんでも本気になってしまうのだ。
そのPT名義『ヴォヤージ34:ザ・コンプリート・トリップ』には、デッド・カン・ダンスの“鐘の音とともに五月柱は回る”の「らしい」声やヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイター“ア・プラグ・オブ・ライトハウス・キ-パーズ”の「らしい」シンセ・エフェクトのサンプリングが全編でフィーチュアされてたから、口元がつい緩んだのも束の間、「演習のつもりで実践した」と真面目に答えるきみを二度見したよ。
なんか散々な書き方をしている自分にいま気づいた。違う違う。6学年離れてても勝手に私はSWを親友と思ってるのだ。好きなロックを彼ほど聴き込んで聴き込んで聴き込んで、真面目に真面目に真面目に具現化に取り組む〈生涯一リスナー〉なんかいないし、彼の生き方にも手癖にも作業の具体的内容にも共感「は」できる。ただ、その仕事が丁寧すぎてときどき息苦しくなる私が、最低の糞野郎なだけなのだ。
きみはこれでいいのだ。
でも結局〈二つのPT〉の最新作にたどり着けなかったので、後篇に続きます。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!
第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!
第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!
第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!
第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!
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第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!
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第二十一回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉」はコチラ!
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第四十四回:「(第41回からの)高齢者にとっての〈二つのPT〉【前篇】ウドーちゃん祭りでポーキュパイン・ツリーを観た。」はコチラ!
盤質:傷あり
状態:良好
スリップケース無し、盤に指紋跡あり、ケースにスレあり
デジパック仕様、直輸入盤(帯付仕様)、定価2300+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯裏にシールが貼ってあります
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盤質:傷あり
状態:良好
帯有
盤に汚れあり、帯に折れあり
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