2020年5月13日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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このコラムの読者はきっと高年齢層だろうから、共有の情報と信じて書く。
そもそも日本の歌謡界における《新御三家》とは西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎で、主に1970年代に揃って人気を博したはずだ。私よりちょい上――昭和30年代前半生まれの女子の皆さんがやたら熱狂していた。
さして彼らに興味のない当時の男子からすれば、ジャニーズの郷とダイナミズムの西城に較べ、演歌デビューの野口は三番手で地味なイメージしかない。軽くググったら、一応“甘い生活”と“私鉄沿線”2曲がオリコン1位を獲得してはいるが、彼のセールス的なピークは1975年と早すぎた。
野口のベスト10入りシングルは21曲だが、郷と西城は二人とも34曲。『NHK紅白歌合戦』の出場回数だって、❶郷30回、➋西城18回、➌野口は11回で1983年を最後に二度と出場できていない。当時のヒットの指標としてわかりやすいTBS『ザ・ベストテン』出演回数を較べても、❶西城22曲154週、➋郷15曲117週、そして➌野口9曲41週とおもいきり水を空けられているし。
ところが、野口が所属したポリドール・レコード(←死語)はとにかく彼をかわいがるというか、贔屓しまくったのだ。衝撃的なアルバム2枚を既に発表、“傘がない”も“夢の中へ”もシングル・ヒットさせた〈驚異の新人〉井上陽水も、ポリドール所属だった。そういえば“傘はない”って、明らかにグランド・ファンク・レイルロードの“ハートブレイカー”だと思わないか?
で英国レコーディングを希望する陽水さんを差し置いて、ポリドール初の海外レコーディングを許されたのは野口五郎であった。へ?
野口のロンドン録音は1973年5月7~12日で、陽水のロンドン録音は1973年8月31日~9月12日。ちなみに陽水さんは、年間チャート1位を1974年と1975年の二年連続獲得する日本初のミリオンセラー・アルバム『氷の世界』全13曲中5曲――“あかずの踏切り”“チエちゃん”“氷の世界”“小春おばさん”“おやすみ”をロンドンで録った。
私が大好きなジョン・ガスタフソン(ビッグ・スリー、エピソード・シックス、クォーターマス、ハード・スタッフ、ロキシー・ミュージック、イアン・ギラン・バンド)、ピーター・ロビンソン(クォーターマス、ブランドX)、アン・オデル(ブルー・ミンク、ショパン、ブライアン・フェリー・バンド)らによる、〈これぞブリティッシュ・ロック〉的な世界観とデカい音圧を誇るサウンドが録れたのだから、行った甲斐がちゃんとあった海外録音の鑑と言える。
一方の野口は、“二人だけのデート”の作者でダスティ・スプリングフィールド60年代のアレンジ&プロデュースを数多く手掛けたアイヴァー・レイモンド指揮でオケと唄録って、アルバム『GORO! LOVE IN LONDON/愛ふたたび』とシングル“君が美しすぎて”に。翌1974年5月末にもロンドンに再渡英すると、今度はAIRスタジオでロンドン・ポリドール・オーケストラ(←地元の弱小オケか?)バックに、アルバム『GORO! LOVE STREET IN LONDON/雨のガラス窓』を録音。
このひとは本当にロンドン録音をしたかったのだろうか。
1976年に『ときにはラリー・カールトンのように』なんてタイトルのアルバムを平気で出しちゃう男が、こんなんで満足したとはとても思えない。案の定、1976年『GORO IN LOS ANGELES, USA/北回帰線』~1977年『GORO IN NEW YORK/異邦人』~1978年『L.A. EXPRESS/ロサンゼルス通信』~1979年『GORO IN LOS ANGELES ‘79/ラスト・ジョーク』という《アメリカ録音四部作》を、ラリー・カールトンにリー・リトナー、アンディ・ニューマーク、デヴィッド・サンボーン、デヴィッド・T・ウォーカー、ブレッカー・ブラザーズらてんこ盛りのブッキングで、出してしまった。
やっぱフュージョンは米国だよ米国っリトナーだよカールトンだよ。
おそるべきクロスオーバーかぶれ&海外レコーディングかぶれ&ギターかぶれ。そりゃ本業なんかおろそかになるさ。アイドル人気だって鎮火されるわ。
そしてようやく、連載3回分も費やした《ネタプログレCD企画》の終着駅、【野口五郎meetsトニー・レヴィン他】にようやく辿り着くわけだ。
野口五郎『U.S.A. STUDIO CONNECTION』――1980年3月中野サンプラザで行われたデビュー10周年記念リサイタルを収録した、2枚組ライヴ盤だ。
今回のライヴ・バンドに招聘された「米国の一流ミュージシャン(帯コピー)」とは、リック・マロッタ(ドラムス)+デヴィッド・スピノザ(ギター)+ワディ・ワクテル(ギター)+ドン・グロルニック(鍵盤)+デヴィッド・サンボーン(アルト・サックス)+我らがトニー・レヴィン。先述の《アメリカ録音四部作》に参加した錚々たる〈あの頃のフュージョン/AORを演奏で支えたのはこのひとたち〉からの選抜メンバーで、当時の人気腕利きセッション・マンたちがよくこれだけ揃ったもんだ、と門外漢の私でも感心した憶えがある。
マロッタ&ワクテルに私が個人的に興味を抱いた契機は、やはりブライアン・フェリー1978年の自己憐憫米国音楽もどきアルバム『ベールをぬいだ花嫁』になる。〈スマートに泥臭い〉という個性的な表現力は、ロキシーも含めずっと英国人チームを組んできたフェリーにとって新鮮で強烈だったはずだ。米国スタジオ・ミュージシャンたちの実力に大いなる可能性を見い出した彼が、以降ロキシーでもソロでもバンドマンよりスタジオマンを重視して大量起用するようになったのも、無理からぬ話だ。実際『アヴァロン』に『ボーイズ・アンド・ガールズ』と、二本の金字塔をバンドとソロの双方で建てたんだから、その成果は絶大だった。
そんな〈ギターが上手なキース・リチャーズ〉ワクテルと〈ハイハットの魔術師〉マロッタに、ソリッドな〈服を着たテレキャスター〉スピノザが加わり、あげく〈ど万能〉レヴィンが組むのだからそりゃ無敵の人力(じんりき)オケである。あ、もちろん五郎もギターや三味線を弾いてます。
だってバンマスだもの。
さて私の勝手な聴きどころは、かつてはc面/現CD2の冒頭から占める《ザッツ・野口五郎歌謡ワールド》な“甘い生活”“君が美しすぎて”“博多みれん”あたり。あと“気になって出直せよ”とか“地下街遊戯”とか“君こそ我が青春”とか“新宿午前4時”とかも、だな。
レヴィンを筆頭にこのライヴに客演した一流ガイジン演奏家たちは、どんな楽曲でも発注内容を最低限反映することができる。特に、この夜も大量披露された例の四部作収録楽曲群は、ガイジン仲間との共演を想定して制作してる〈妙な米西海岸歌謡曲〉なのでさほど違和感はない。というか彼らもまだ、馴染みやすいんじゃないかと思う。
ところが五郎ワールド曲は、若くないのに甘い甘い声質と若いのに演歌な情緒性が相まった、地球上のどこにも存在しない〈粘着質の民族歌謡〉である。相応のカルチャーショックが彼らを襲ったことは、想像に難くない。しかし一流ガイジンらは、何事もなかったようにスマートに演奏をこなす。すると日米まったく異質な二つの大衆音楽が同居する、不思議なものが出来上がってしまった。
この違和感を愉しめ。全身がくすぐったくなるよ“君が美しすぎて”。
にしても特にレヴィンの、オールマイティな技術的対応力ととりあえず何でも食べちゃう冒険心には、畏敬の念すら抱く。1970年代後期にはジャズ畑からヴォーカル物へと移行したものの、その一方でピーガブのツアーには最初の1977年からずっと帯同してるし、この野口五郎コンサートの一年後――1981年4月30日にはロバート・フリップの新バンド【ディシプリン】の一員として、英バースでステージに立つのだ。
変人道、まっしぐら。
そんなレヴィンの世界一深い懐(ふところ)は一体、どこから来たのだろう。父親がラジオ局のエンジニアで、よく局に遊びに連れてってもらってたという微笑ましい話も、ぽいではないか。
後天的な契機としては、『ファースト・ライト』『ディスコティック』『ウォーターベッド』『サプライズ』『ブラジル・ワンス・アゲイン』と、1974年から1977年までずっと付き合ったハービー・マンの存在が大きい気がする。かなりの確率で。
とにかくこのひと、ジャズ・フルートの巨匠にもかかわらず異常な雑食癖の持ち主で、「これ面白い」と思ったら何にでも手を出してしまう。だから、〈ディスコ・ミュージック(←死語)〉でも〈ムーディーな室内ジャズ(←死語)〉でも〈なんちゃってサンバ〉でも〈なんちゃってボサノヴァ〉でも、思う存分自分印のフルートを吹きまくることができる幸せなひと。
1976年リリースの未発表音源集『サプライズ』は、全9曲中5曲を〈ホイットニー・ヒューストンのママ〉シシー・ヒューストンが唄っているが、そんなのどうでもいい。映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』の曲をわざわざジャマイカで録った〈なんちゃってレゲエ〉も、どうでもいい。1974年の六回目の来日公演中に録った尺八奏者・村岡実との共演2曲は、レヴィンのベースと尺八・鼓・筝・笙・現代筝・和太鼓などの和楽器軍団の交流は興味深いが、楽曲そのものはさほど面白くない。ま、ハービー・マンというひとは何を演っても想定内なのだけど、だからこそ彼独特の下世話さが映えるわけだ。
でこの『サプライズ』にもう1曲収録されてる日本録音音源、“ANATA(I Wish You Were Here With Me)”が強烈なのだ。このサブタイにぴんときたあなたは、立派な昭和人――そう、1973年12月にリリースされるやいなやオリコン7週連続1位を記録し、累計で160万枚も売れた小坂明子16歳の自作デビュー曲“あなた”のカヴァーである。
でハービー・マンがメロをフルートで追うもんだから〈歌のない歌謡曲〉状態が続くのだけど、サビになると突如本物が現れて唄うのだ。♪そして私はレースを編むのよ、私の横にはあなたあなたあなたがいてほしい~。ひー。
かつてユーミンに、デビュー作の『ひこうき雲』をいまどう思うか訊いたら、「18歳の少女のオナニーを眺めてるみたいで(苦笑)、潔癖なのにドロドロしてる姿が怖いですよねー」と、あまりに的確な自己批評が返ってきて笑ってしまった。
そして“あなた”に結実した16歳女子の究極の恋愛妄想も、少女〈荒井由実〉に近い。弾きながらレヴィンもさぞ怖かったろう。いや、このひとは歌詞なんか聴いてないか。そう思えば、野口五郎ワールドもどってことない。あ、だからそもそも未だにキング・クリムゾンの一員でいられるのか。
天下泰平。どんどん。
ここまでくると原稿なんて書いてらんない。完全に現実逃避である。新刊『いとしの21馬鹿たち-どうしてプログレを好きになってしまったんだろう第二番-』の発売日が5月28日に延びたのは、そのせいだ(←あからさまな宣伝)。
野口五郎といえば西城秀樹。
彼が亡くなった2018年5月16日からわずか3ヶ月後、NHKFMで特番『今日は一日“ありがとう!ヒデキ”三昧』がオンエアされ、年季の入った熱烈信者たちによる楽曲人気投票の結果が明らかになった。第1位“ブルースカイブルー”→第2位“若き獅子たち”→第3位“傷だらけのローラ”――なんと“エピタフ”が堂々4位にランクインしていたのだから、驚く。どーん。
西城秀樹がコンサートで“エピタフ”をカヴァーしてる話は、もはや定番化している。
“ヤングマン”大ヒット直後の1979年8月24日、伝説のスタジアム・ライヴ《BIG GAME ’79 HIDEKI》は今は失き後楽園球場で激しい雨の中、開催された。
基本的に彼のステージは洋楽のカヴァーがほとんどで、この夜も全16曲中オリジナル曲はたった3曲という考えられないセトリだ。ヒット曲沢山あるのに。こうなったら同名ライヴ盤を聴くしかない。ちなみに今宵のカヴァーは――お、カタカナ英語タイトルの洋楽曲は原題を英文字表記してるのね。
WE WILL ROCK YOU。クイーンか。LOVING YOU BABY。キッスだけどコレ邦題をそのまま英文字表記しただけじゃん、正しくはI WAS MADE FOR LOVIN’ YOUですぜ。HONESTYはビリー・ジョエル。ドナ・サマーのHOT STUFF。いとしのエリーってサザンですがな(失笑)。EPITAPH。クリムゾン。I WANNA SHAKE YOUR HANDとGO WESTはヴィレッジ・ピープル。愛する君に、はTOTOか。この愛の終わる時、は知らないフランス人歌手の歌らしい。御存知ヤングマンはYMCAで、ロッド・スチュワートのSAILINGで大団円ときた。いいのかこんなに偏って。
この夜ではないけれど、クイーン“ドント・ストップ・ミー・ナウ”やらノーランズの“ダンシング・シスター”、エアロスミスの“エアロスミス、SOS”にグラハム・ボネット“孤独のナイト・ゲームス”と、謎の選曲は枚挙に暇がない。
西城と親交が深かった河村隆一から聞いたのだけど、彼は上京する前年1971年9月27日、広島県立体育館で開催されたレッド・ツェッペリン広島公演を生で観たらしい。うわぁ。しかもその夜、自分のバイト先のナイトクラブに現れたゼップが、店内の楽器を演奏してご機嫌さんだった様子まで目撃したという。そりゃ洋楽のために死ねる。
ちなみにゼップは開演前にメンバー全員で原爆資料館とドームを見学し、ロバート・プラントは「人間はここまで残酷なことをするのか」と涙ぐみ、その足で広島市役所に広島市長を訪ねると広島公演の収益700万円を〈被爆者援護基金〉に全額寄付した、という話も美しい。そしてその経緯を翌28日の朝刊に【被爆者援護に七百万円 英国の楽団が寄付】の見出しで報じた毎日新聞広島版もまた、美しかったのだ。
話がそれた。
西城版エピタフは、“傷だらけのローラ”系のドラマチックな激唱バラードとして成立している。マイクスタンドぶん回し、もありだ。しかもこの曲に限っては当日の悪天候が幸いして、間奏中に雷鳴が轟くというおそろしく劇的な場面を生んだのだから、そりゃ4位も納得できる。
ただし歌詞は原曲通りのカタカナ英語なので、当時〈エピタフ〉を〈ローラ〉の腹違いの妹で運命の女(ひと)の名かなんか、と勘違いした女子もいたのではないか。
となると、ザ・ピーナッツ1972年発表のライヴ盤『IT’S TOO LATE~ザ・ピーナッツ・オン・ステージ』も聴かねばならない。
こちらも、ユーライア・ヒープの“対自核”やキャロル・キング“イッツ・トゥー・レイト”やCCRの“プラウド・メアリー”、なぜか“ゴッド・ファーザー愛のテーマ”、よりにもよってリンゴ・スターの“バック・オブ・ブーガルー”といった、なかなか統一性に欠けるラインナップに“エピタフ”がちゃんといるのだ。
〈宇宙一の二重唱〉ザ・ピーナッツならではの圧倒的なハモリは、言うまでもない。しかもステージ板付きの《高橋達也と東京ユニオン》の素晴らしい演奏が合体するから、もはや地球規模の鎮魂歌にしか聴こえないのである。
昭和の時代、TVの歌番組には必ず管楽器チームをフィーチュアしたビッグ・バンドが、専属の演奏チームとして鎮座していた。そして彼らの素性は単なる〈歌伴バンド〉ではなくれっきとした〈ジャズのビッグ・バンド〉だから、そのアンサンブル力は素晴らしい。モンタレー・ジャズ・フェスにも2回出演したこの《東京ユニオン》のみならず、《原信夫とシャープ&フラッツ》とか《宮間利之とニューハード》とか群雄割拠で、歌番によってその個性の違いを愉しむこともできたのだ。あー愉しかった。
でザ・ピーナッツの“エピタフ”はメロトロンの音(ね)が控え目な分、『原子心母』に匹敵するタフでフリーキーなホーンズが終盤をとてつもなく盛り上げてしまう。そんな〈たぎる混沌〉を、二人の唄声がメシアのように収束させるのだ。
この虚無感は凛々しい。そして堂々と唄われる日本語英語は、説得力が溢れていた。
キャンディーズになると、「普通の女の子に戻」る1978年4月4日の《ファイナルカーニバル》@後楽園球場が初“エピタフ”だったりする。いいのかそれで。
SEのクール&ザ・ギャング“オープン・セサミ”が開演を告げると、いきなり雨中の洋楽カヴァー大会。EW&F“ジュピター”→スリー・ドッグ・ナイト“ドゥ・イット(ユーズ・ユア・マインド)”→ワイルド・チェリー“プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック”→EW&F“宇宙のファンタジー”→スリー・ドッグ・ナイト“ゴーイング・イン・サークルズ”ときて、ようやく本来のキャンディーズ路線に突入するわけだ。で肝心の“エピタフ”は、“ゴーイング・イン・サークルズ”の間奏部で唐突に演奏されたに過ぎない。つまりインストだから、キャンディーズに唄われることはなかったのだった。
当時のクラスメートが高校サボって八つ墓村から後楽園球場に密航したが、スーちゃん命の彼が洋楽に興味などあるはずもなく、「空白の二十分間」と西村京太郎みたいなことをほざいていた。
ちなみに同日ほぼ同時刻、後楽園からほど近い武道館は武道館でフォリナーの初来日公演――“エピタフ”はイアン・マクドナルドに届いただろうか。
さてキャンディーズに洋楽を唄わせたのは、彼女たちの専属ライヴ・バンド《MMP(=Music Mates Players)》の趣味性に因るとこが大きい。なおキャンディーズ解散後、彼らは日本初のブラス・ロック・バンド《スペクトラム》に発展する。バイキングの鎧兜をデフォルメしたコスチュームと、EW&F的な痛快音楽の組み合わせが、斬新だった。バンマスの新田一郎さんはスペクトラム解散後、当時はまだ珍しかったロック・バンドのマネジメント《代官山プロダクション》を設立すると、やがて爆風スランプを世に送り出した。ああ懐かしい。
逆にMMPの前身はというと、《ビート・オブ・パワー》という名であいざき進也の専属ライヴ・バンドを務めた。あいざき進也――たった162cmながら、西城182cm秀樹と郷178cmひろみのいいとこどり狙いで新御三家の一年後にデビューしたものの、結局ブレイクはできなかった昭和の〈とにかく童顔〉アイドルだ。
しかしこのあいざきもまた、コンサートで洋楽カヴァーに邁進していた。1975年発売のライヴ盤『あいざき進也ジャンプ・オン・ステージ』を聴けば、間違いなく脳死する。
ここでも“ハートブレイカー”に“対自核”、ヴァニラ・ファッジ“ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン”、スティーヴィー・ワンダー“悪夢”と錚々たる楽曲が並ぶ。本人の資質なのかMMPの仕業なのか。しかしA面1曲目がいきなり度肝を抜く。
表記そのままで曲目を書けば、“ザ・コート・オブ・ザ・クリムゾン・キング”。
しかも歌詞は日本語だ。騙されたと思って、とりあえず唄ってみてほしい。
どうだ。意味があるようなないような、ピート・シンフィールドが考えそうな考えなさそうなこの歌詞。しかし唄うと意外に癖になるから、危ない。気がつけば散歩のときに口ずさんでいた自分に赤面するのだ。
そういえば歌謡曲村ではないけれど、あの宝塚歌劇団の公演で唄われたクリムゾン・ナンバーがあったはず。今年2020年がリリース50年目にあたり、5月末には輸入アナログEP盤+国内プレスCDが合体した50周年記念の〈“ねこめし”デラックス・エディション〉がリリースされる、あの“キャット・フード”である。
日本語カヴァーされたのは、1976年2月19日~3月23日花組公演『ビューティフル・ピープル』において。当時の花組といえば、『ベルサイユのばら』を宝塚史上最強の演目にした榛名由梨&安奈淳が2トップの、まさに黄金時代。中学生のとき女子三人に囲まれ「原作漫画と宝塚のグラフ誌を読め」と強要されたから、この頃だけ詳しいのだ。
それから28年後、THE ALFEEデビュー&『ベルばら』連載開始30周年記念で、前者の豪華ベスト盤『30th ANNIVERSARY HIT SINGLE COLLECTION 37』箱の装丁を池田理代子描きおろしイラストが飾り、なぜか私が高見沢俊彦×池田氏対談を仕切ったのだから、明日は明日の風がずっと吹き続けてきた気がする。なんだか。
さて『ビューティフル・ピープル』のサントラLPの帯に躍るコピーは、〈輝やくミラーボールとロックサウンド、サイケデリックな舞台に咲く幻想世界!!(原文ママ)〉。プラスチック製の王子が人間の愛に目醒めて云々、とはいかにもの近未来ロック・ミュージカルだが、そこに触れてはいけない。
しかも衝撃的なのは、劇中カヴァーしたミッシェル・ポルナレフの“哀しみの終わるとき”ヴァン・マッコイ“ディスコ・ベイビー”、スタイリスティックス“愛こそすべて”は、オリジナルの作詞作曲者名がノン・クレジット。“ピンボールの魔術師”“シー・ミー・フィール・ミー”“ジーザス・クライスト・スーパースター”“レット・イット・シャイン”に違いない楽曲群に至っては、勝手にタイトルを変更しちゃってるから、怖い。
大丈夫か宝塚。
だから“キャット・フード”も歌詞にオリジナルの文脈は皆無で、ミュージカルのストーリーに即した内容に書き換えられている。もはや「替え日本語唄」、か。
うーん、字余りというかなかなか唄いづらいよこれ。♪OKOKOK~が♪きゃっふーきゃっふーきゃっふー、なのは力づくで素敵だけども。
などと執筆作業から現実逃避し続けてたら、最後の最後でどえらいものに遭遇した。フォーリーブス名義で北公次が1974年にカヴァーした“エピタフ”は、オリジナルのキング・クリムゾンおよびピート・シンフィールド以上に〈お先真っ暗〉だったのだ。
まず、北の唄い方がよくない。ほとんど山崎ハコというか瀕死のヴォーカルである。
そしてこの日本語詞は、既に訳詞ではない。〈絶望的な虚無〉という唯一の共通項だけで拡大した、安井かずみ(!)作詞の書き下ろし新作と言っていい。おもいきり。
サビ頭の〈♪Confusion will be my epitaph〉が「♪朝をあの霧で」にあたるので、さあ皆で唄ってみましょう。
♪あの愛を 元の愛に 戻せるのなら 二人が元のようになれるのならば
二度とこの二人を逢わせないで 地球の西と東とに別離(わか)れさせて
朝をあの霧で 朝を虚しく待って
互いの刻に意味のない涙を浮かべれば
あの星追いかけていたと 想いたくない 愛の終わりに 終わりに 終わりに
うわ。あの“エピタフ”が、安井かずみ女史のダークサイド全開〈負のラヴソング〉に輪廻転生しちゃったよ。しかしこれはこれであの時代の、英国産ニュー・ロックに対する日本固有の解釈そのものだったりするから、懐かしささえ憶える。モード的にも作法的にも感覚的にも、だ。
日本人にとって〈史上最強の文系ロック〉プログレの原点が、ここにあった。
まさに、もうひとつの〈クリムゾン王の宮殿築50年〉である。
にしても【ネタプログレCD】雑談三部作を書いて気づいたのだが、ここんとこ走馬燈が高速回転中だ。どうも昔話が多すぎる。死期が近づいてないか。
私のエピタフは走馬灯に書かれてるのかもしれない――って、動体視力が相当よくないと読み取れないじゃん。
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第二十八回:「《The ProjeKcts》の大食いはいとおかし。 プログレ「箱男」通信【KC『ヘヴン&アース』箱】号②」はコチラ!
第二十九回:「ロバート・フリップの〈夢破れて山河あり〉物語 プログレ「箱男」通信【KC『ヘヴン&アース』箱】号➌」はコチラ!
第三十回:「封印された〈車道楽プログレ〉ー『レイター・イヤーズ 1987-2019』箱から漏れた、ピンク・フロイドVHS『道(MICHI)』」はコチラ!
第三十一回:「どうしてプロレスを好きになってしまったんだろう。へ?」はコチラ!
第三十二回:「LEVINは何しに日本へ? の巻」はコチラ!
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盤質:傷あり
状態:並
1枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり、スリップケースに圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、プログレッシヴ・ロックのスタート地点となった大名盤であり、プログレッシヴ・ロックを聴くならまずはこのアルバムからと断言できる作品です。メンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストGreg Lake、ドラマーMichael Giles、管楽器に加えて鍵盤楽器(メロトロン)も担当するIan McDonald、そして作詞家Peter Sinfieldという布陣。「21世紀のスキッツォイド・マン」のオープニングから緊張感のある変拍子アンサンブルやユニゾン・フレーズが畳み掛け、「風に語りて」では牧歌的でありながら浮世離れした音世界を構築。“混沌こそ我が墓碑銘”の一節があまりに有名な「エピタフ (墓碑銘)」と、同じくリリックの幻想美に酔いしれる「ムーンチャイルド」を経て、メロトロンの洪水に溺れるシンフォニックな最終曲「クリムゾン・キングの宮殿」へ。“THE BEATLESの『Abbey Road』をチャート・トップから陥落させた”というエピソードの真偽はともかくとして、プログレッシヴ・ロック時代の幕開けを告げる衝撃的な作品であることは間違いありません。『クリムゾン・キングの宮殿』に触れずにプログレッシヴ・ロックを語ることは、まず不可能でしょう。
紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、ブックレット・ステッカー付仕様、定価2500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
若干圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1970年に発表されたセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』は、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の延長上に位置する作品となっています。『クリムゾン・キングの宮殿』発表後、ギタリストRobert Frippと作詞家Peter Sinfieldを除く3名が脱退を表明するも、諸事情によりGreg LakeとMichael Gilesは引き続き本作のレコーディングに参加。新たにKING CRIMSONに参加したのは、ピアニストKeith Tippett、管楽器奏者Mel Collins、ベーシストPeter Giles(Michael Gilesの実弟)、そしてヴォーカリストGorden Haskell。その結果、本作には8名ものミュージシャンの名前がクレジットされることになりました。音楽的にはデビュー・アルバムと同一線上で捉えることも可能ではありますが、例えばKeith Tippettのジャズ・ピアノをフィーチャーした「キャット・フード」、あるいは、ホルスト作曲の組曲「惑星(火星、戦争をもたらす者)」を思わせるリズムとカオティックなメロトロンが凄まじい相乗効果を生む「デヴィルズ・トライアングル」など、新たな試みも行われています。なお本作の後、Greg LakeはEMERSON, LAKE & PALMERとして再デビュー、そしてMichael GilesとPeter Gilesの兄弟はすでにKING CRIMSONを脱退していたIan McDonaldと共にMcDONALD AND GILESを結成します。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を最後に、Greg Lake、Michael Giles、Peter Gilesが脱退。1970年に発表されたサード・アルバム『リザード』は、『ポセイドンのめざめ』に参加していたベース・ヴォーカリストGorden Haskellと管楽器奏者Mel Collinsが正式加入、さらにドラマーAndy McCullochを迎え入れ制作されました。ゲスト・ミュージシャンは、過去作にも参加のジャズ・ピアニストKeith Tippettがバンドメイト(コルネット奏者Mark Charigとトロンボーン奏者Nick Evens)を引き連れ参加している他、オーボエ奏者Robin Miller、さらにYESのヴォーカリストJon Andersonが、表題組曲「リザード」の「ルーパート王子のめざめ」で歌声を響かせています。本作は、Keith Tippettが持ち込んだフリー・ジャズのエッセンスがグループに新たな息吹を注ぎ込んだ作品であり、特に「インドア・ゲイムズ」や「ハッピー・ファミリー」におけるインプロヴィゼーションなどで、その影響をはっきりと聴き取ることができるでしょう。一方で、フルートが舞う「水の精」ではこれまでのKING CRIMSONらしい牧歌性も披露。ラストには20分を超える表題組曲「リザード」が控えます。フリー・ジャズへの接近を通じて、後のKING CRIMSONサウンドの重要なポイントとなる即興色を拡張した傑作です。
30TH ANNIVERSARY EDITION、デジタル・リマスター
盤質:傷あり
状態:並
カビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。4thアルバム『アイランズ』を発表後に解散したKING CRIMSONですが、Robert Frippは新たなメンバーを探しKING CRIMSONを再始動。グループの最高傑作と名高い1972年の5thアルバム『太陽と戦慄』を世に送り出しました。メンバーはギタリストRobert Frippに加えて、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、パーカッション奏者Jamie Muir、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。本作は、確かな技巧を持ったミュージシャンたちによる最高品質の実験音楽作品であり、1曲目の「太陽と戦慄 パートI」と最終曲「太陽と戦慄 パートII」に象徴される、即興演奏を重視したメタリックなプログレッシヴ・ロックの大傑作となっています。また、2つの先鋭的な楽曲に挟まれた中盤の楽曲たちも素晴らしく、John Wettonのヴォーカルが冴えわたる「土曜日の本」や、最初期のKING CRIMSONサウンドが頭をよぎる「放浪者」、 ヘヴィーなギターとスキャットから始まる「イージー・マネー」 、Jamie Muirの話し太鼓(西アフリカの伝統的な太鼓の奏法)を曲名に冠した「トーキング・ドラム」と、どの楽曲も強烈な個性を持っています。ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックを聴くうえで、避けて通れない名盤です。
紙ジャケット仕様、40周年記念エディション、HQCD+DVD-AUDIOの2枚組、K2HDマスタリング、ブックレット・内袋・復刻巻帯付仕様、DVD-AUDIOはNTSC方式・リージョンフリー、定価4500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
盤に内袋の跡あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。6thアルバム『暗黒の世界』後にヴァイオリン奏者David Crossが脱退。3人体制となったKING CRIMSONは、1974年に7thアルバム『レッド』をリリースしました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Brufordという布陣。ゲストには、ソプラノ・サックス奏者Mel Collins、アルト・サックス奏者Ian Mcdonald、ヴァイオリン奏者David Cross、コルネット奏者Mark Charig、オーボエ奏者Robin Millerという旧メンバーあるいは過去作にもゲスト参加の経験を持つミュージシャンたちが迎えられています。その内容は、アルバムのオープニングを飾る「Red」から破壊的なギター・サウンドとアグレッシヴなリズム・セクションに驚愕する傑作。KING CRIMSON作品の中で最も素晴らしいバラード曲との呼び声も高い「堕落天使」、初期のKING CRIMSONサウンドをヘヴィーに再構築したような「再び赤い悪夢」、インプロヴィゼーションのライブ録音楽曲「神の導き」、抒情的なヴォーカルが印象的な前半部とギターやサックスが暴れまわる後半部から成る長尺曲「スターレス」と、全曲がプログレッシブ・ロック史に残る名曲です。本作のリリースをもって、KING CRIMSONは再び解散することとなりました。裏ジャケットに使われている、レッド・ゾーンに振り切れた音量メーターが、本作の狂暴な音楽性と当時のグループの状況を示唆しています。
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:
帯有
若干スレあり、カビあり
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
若干折れ・側面部に若干色褪せあり、ケースに若干スレあり
40TH ANNIVERSARY SERIES、デジパック仕様、スリップケース・ブックレット付仕様、CD+DVDの2枚組、ボーナストラック3曲、DVDはNTSC方式・リージョンフリー
盤質:無傷/小傷
状態:良好
スリップケースに若干圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。5thアルバム『太陽と戦慄』に続いて1974年にリリースされた6thアルバム『暗黒の世界』は、スタジオ・レコーディングとライブ・レコーディング(73年録音)が混在する変則的な作品となっています。収録曲順に見ていくと、「偉大なる詐欺師」と「人々の嘆き」は完全なスタジオ・レコーディング。「隠し事」はライヴ・レコーディングで、「夜を支配する人」はライヴ・レコーディングの冒頭から途中でスタジオ・レコーディングに切り替わります。「トリオ」はライブ・レコーディングで、「詭弁家」はライブ・レコーディングに後からスタジオ・ヴォーカルをかぶせた楽曲。「暗黒の世界」と「突破口」はライブ・レコーディングとなっています。前作『太陽と戦慄』でパーカッション奏者Jamie Muirが脱退したため、本作のメンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。内容的には、初期の強烈なKING CRIMSONサウンドに回帰したようなスタジオ楽曲と、インプロヴィゼーションで聴かせるライブ楽曲に分かれています。本作を発表後にDavid Crossが脱退し3人体制となったKING CRIMSONは、次作『レッド』の制作に取り掛かります。
30TH ANNIVERSARY EDITION、デジタル・リマスター
盤質:無傷/小傷
状態:良好
廃盤希少、2枚組、ファミリーツリー付き仕様、定価3786+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、若干カビあり
75年発表のライブ・アルバム。「RED」発表前の74年に録音されており、当時のラインナップはRobert Fripp(g)、John Wetton(b、vo)、 Bill Bruford(ds)、David Cross(vln、key)の4人編成。アルバム中3曲でEddie Jobson(vln、key)のパートがダビングされています。鮮やかなヴァイオリンの旋律を切り刻むメタリックなギター・リフ、グイグイとウネリを生み出して暴走するリズム隊。この時期ならではのパワフル且つ緊迫感溢れる即興演奏に終始圧倒されっぱなし。代表的名曲「21st Century Schizoid Man」では原曲のサックス部分をヴァイオリンで再現しており、よりヒステリックな爆発力を楽しむことが出来ます。沸点目掛けて上り詰めるRED期クリムゾンの凄さを体験出来る名ライブ盤。
紙ジャケット仕様、24bitリマスター、HDCD、3曲追加収録、ブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
スレあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1984年に発表された10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』は、8thアルバム『ディシプリン』と9thアルバム『ビート』と同一メンバーにて制作されました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣。本作は、KING CRIMSONのスタジオ・アルバムの中ではあまり目立たない存在かもしれません。その理由は、契約履行のために作ったアルバムという印象が強いことや、Adrian Brewのポップ・センスに寄せた出来になっていることなどが挙げられるでしょう。確かにアルバム前半には分かりやすいヴォーカル・ナンバーが収録され聴き手を困惑させるかもしれませんが、後半ではKING CRIMSON版インダストリアル・ロックとでも名付けたくなるようなインストゥルメンタルが配置されています。もちろんインプロヴィゼーションもフィーチャーされており、最終楽曲のタイトルは、なんと「太陽と戦慄 パートIII」。Robert Fripp本人も本作に対してはポジティブな感想を持っていないようですが、8thアルバム『ディシプリン』からの一連の流れを知る意味で、チェックしておきたいアルバムでしょう。
紙ジャケット仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック5曲、ブックレット・ステッカー・内袋付仕様、定価2625
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、若干汚れ・若干圧痕・軽微な色褪せあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONの次なるリリースは、94年のミニアルバム『ヴルーム』。この時期のKING CRIMSONは
ギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。本作は、95年のフル・アルバム『スラック』へのウォーミング・アップのような意味合いの作品であり、事実6曲中4曲がアルバム用にリミックスされ『スラック』にも収録されています。内容は、7thアルバム『レッド』に通じるヘヴィーな楽曲を中心としており、KING CRIMSONの進化はまだまだ続くと確信させられる出来栄えです。
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー付仕様、デジタル・リマスター、定価2300+税
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯無
帯無、軽微なカビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONは、94年に久々の新作となるミニアルバム『ヴルーム』を送り出し、翌95年には『ヴルーム』の楽曲を含むフル・アルバム『スラック』を発表しました。この時期のKING CRIMSONはギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。内容は、冒頭の「ヴルーム」を聴いただけで7thアルバム『レッド』の衝撃がよみがえるような、強烈なヘヴィー・プログレッシヴ・ロックとなっています。Robert Frippは、新たなKING CRIMSONの音楽性を「ヌーヴォ・メタル (Nuovo Metal)」と標榜しました。
紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、定価2345
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、側面部に色褪せあり
盤質:傷あり
状態:良好
スリップケースに角潰れあり
DGM96042(DISCIPLINE GLOBAL MOBILE)
デジパック仕様、ブックレット・ポスター付き仕様
盤質:全面に多数傷
状態:
盤に曇りあり、小さい破れあり
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3675
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯中央部分に軽微な色褪せあり、初回プレス限定の「THE COLLECTORS KING CRIMSON SAMPLER VOL.3」(5曲入り)付属
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3500+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
帯中央部分に色褪せあり、カビあり、盤に軽微な曇りあり
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