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「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ」 第一回 ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか? 文・市川哲史

第一回 ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか? 文・市川哲史

<ジョン・ウェットンが1㎏もの癌性腫瘍を摘出する手術に成功したのは、2016年5月16日。長年来の超重度なアルコール依存症も含めて彼の病状が心配だっただけに、心底よかったよかったと胸撫で下ろした私だ(以下略)。>

と、昨年暮れに上梓した世界初のプログレ漫談集『どうしてプログレを好きになってしまったんだろう』で書いたのに、企画段階の16年3月11日にキース・エマーソン、校了して印刷中だった同年12月7日にはグレッグ・レイクが相次いで逝去。そしてとうとう発売42日後の17年1月31日には嫌な予感が的中して、そのウェットンが逝った。
私の本は恐怖新聞かよ。巻くか喪章代わりに黒いオビ。
くー。

たぶんウェットンは、プログレ業界でいちばん沢山来日してライヴを演った男ではないか。77年初夏のブライアン・フェリー・バンドを皮切りに、UK、エイジア、ソロ、スティーヴ・ハケット・ウィズ・フレンズ、ウェットン&ダウンズと18回にも及ぶ。私が初めてインタヴューしたのは三度目の90年9月エイジア公演のとき――彼のとにかく<いいひと>オーラに圧倒されたのを想い出す。

いつどこで逢おうと絶やすことのない柔和な笑顔も去ることながら、何を訊いても(おそらく)真正直に懇切丁寧応えようとする律儀さは、以来一度も変わることなくそのまま逝ってしまった。変な話、彼が重度のアルコール中毒患者であることにまったく気づかなかったほど、日常場面におけるジョン・ウェットンはいいひとだったのだ。

例えばエイジア全盛期の83年初来日公演は、MTVが『ASIA IN ASIA』と銘打ち全世界中継したのだけれど、来日直前に突如ウェットンに替わりグレッグ・レイクが加入するという前代未聞の騒動に見舞われた。離日後ウェットンが即出戻り一件落着はしたが、事の顛末が明かされることなく解散→再結成を経て、90年のウェットン在籍エイジア初来日公演に至った。

現在では、スティーヴ・ハウとイエス時代からのマネージャーであるブライアン・レーンによる解雇劇だったと周知されているが、当時は闇の中。そこで絶好の機会到来とばかりに私がその8年前の真相を訊くと、実に正直に答えてくれたばかりか、「いやぁ、ずーっと心にひっかかってて日本の人たちに申し訳ない気持ちが強かったんだけど、今日は訊いてくれて話す機会を与えてくれて本当にありがとうありがとうありがとう」とエンドレスで感謝されてしまった。その後も逢う度にこのときの礼をまず言われるとこから始まるのだから、ちょっといいひと過ぎはしないか?

いまでこそ80年代前期のメインストリームを華麗に飾ったパワー・ロックとして一般大衆の記憶に残り、プログレ再生を果たした功労者として《プログレ世界遺産》にも登録された(←嘘)ほどのエイジアだけど、当時はプログレ村の住民たちから一斉に「裏切者」だの「守銭奴」だの「金で魂を売ったプログレ」だの、とにかく誹謗中傷されまくった。それは即ち、ジョン・ウェットン批判に他ならなかった。クリムゾンにUKという由緒正しいキャリアを積みながら、《ベースを持った渡り鳥》と呼ばれるほど次から次へと節操なくバンドを渡り歩き、あげくのはてが<産業ロックもどき>なのだから、どんなに商業的に成功しても世界中のプログレッシャーたちの憤怒を買って当然だろう。

「ピーガブが辞めたから仕方ない」とか「トレヴァー・ラビンが悪い」とか、ジェネシスや90125イエスのような言い訳に恵まれなかった分、損したとも言えるが。

だけど私は、ずーっと彼を庇ってきた。80年発表の初ソロ・アルバム『コート・イン・ザ・クロスファイアー』が実はジョン・ウェットンの本質そのもので、しかも優秀なポップ・ミュージック・アルバムだったからだ。フィル・マンザネラにサイモン・カークと面子がカジュアルな分だけ、この2年後に誕生するエイジアよりも足回りのいいとにかくキャッチーな楽曲揃いで、タイトル曲の他にも“ターン・オン・ザ・レディオ”“ベイビー・カム・バック”“ペイパー・トーク”と、たまらない。<エイジアの雛型>という短絡的かつ矮小な評価に納まらない、実は彼のキャリア最高点と宣言してしまおう。
(ついでに書いとくと、ウェットン/マンザネラ87年発表の同名アルバム収録曲“イッツ・ジャスト・ラヴ”は、その<質素なエイジア>っぷりがキュートで心地好い)。

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そういう意味でウェットンは、プログレ滅亡の危機に瀕した80年代初頭に勇気をもって、最終兵器<4分間プログレ>を開発した救世主だったわけだ。決して売れ線狙いではなく、半径50m圏内にいる者を皆殺しにするような超轟音ベースを常に弾きまくってきたくせに、実はこの男の大好物は<情緒性豊かでポップなメロディラインを自分で唄うこと>。つまり単に好きな音楽を演ってみたら馬鹿みたいに売れちゃったのだから、文句あるまい。

エイジア再結成で90年代が開幕したころから、ウェットンは独自のプログレ観を語るようになった。要約すると、<クリムゾンでもUKでも、僕の書いたポップソングを他のメンバーがプログレにしちゃっただけ>――つまり、《自分はポップソング好きでプログレ者ではない》理論である。

だから「4分間の楽曲を書いてバンドに渡したら“スターレス”という11分もある叙事詩になった」とか、幻のUK再結成の際「僕が書いた3分のメロディが、エディ(・ジョブソン)が何時間も何日間も何週間もスタジオで取り組んだ結果、36ものヴァースのある交響曲になってた(愉笑)」とか、平気で口走る。こんな身も蓋もない話を目の前でされる度に、何度も倒れそうになった。さすがいいひと、隠し事などありえないのだ。

結局、彼にとってのプログレとは<ある特殊なアレンジとサウンド・スタイル>に他ならない。だからベーシストとしてあれだけの演奏力を誇りながら、ヴォーカリストとしては実はどんな歌詞でも頓着なくラヴソングのつもりで唄ってたのではなかろうか。

ちなみにあの“スターレス”は、新曲として欧州&北米ツアー全51公演で演奏した末に、『レッド』で完成形が音源化された。しかし唄う度に歌詞が違っていたのは「ブラッシュアップの過程だったから」というより、「単にウェットンが適当に唄ってたから」説の方が信憑性が高いのであった。だろうなぁ。

となると、ユーライア・ヒープにロキシー・ミュージックにウィッシュボーン・アッシュ等々を短期間で渡り歩いたバンド放浪癖の正体も、容易に想像できるだろう。いざ加入してみたら「全然画期的じゃなかった」から脱退を繰り返したわけだが、そもそもなぜ参加する際にもっと熟慮できなかったのか、という話だ。

「ブライアン(・フェリー)とフィル(・マンザネラ)は友だちだし、リー(・カースレイク)は同郷で20年以上に及ぶ知り合いだから、パブで『半年くらい暇なら、一緒にツアーに出ない?』程度の行き当たりばったりな話さ。でも僕も若かったし、できるだけ仕事を沢山したかった。部屋で来るか来ないかわからない何かいい報せを待つよりかは、よっぽどマシだって思ってたよ」
いいひと、おそるべし。


今年の正月三が日、私はひたすらキング・クリムゾンのライヴ音源を聴き続けていた。正確には、某《クリムゾンの現在入手可能なライヴ音源全部批評するぞこら!》ムックで私が担当する74年の計29公演だ。その怒濤の轟音アンサンブルの絨毯爆撃は、私の松の内を完全駆逐した。

ほとんどがサウンドボード音源だからステージ上の情景が生々しく伝わるが、とにかくベース・アンプからの出音がデカ過ぎる。異常だ。クリムゾン旧音源レストア職人のデヴィッド・シングルトン嘆くところの、「ベースの音がやたらデカいから、当時のライヴ音源はバスドラのマイクの音からもヴォーカルのマイクの音からもギターのマイクの音からも、ベースの音が聴こえて大変なんだよぉぉぉ!」状態。ステージ上のマイクというマイクが、ウェットンのアンプから大音量で放出されるベース音を拾わされるのだから、酷い。

するとベース以外の音が聴こえないから、ビル・ブルフォードの太鼓もロバート・フリップ卿のギターも必然的に音量がデカくなるという、悪魔的な相乗効果を生むのだ。あのフリップ卿がある日の日記で「JWが自分のヴォリュームを気にしてないことがわかった。驚愕の事実」と嘆き、「このバンドから逃げ出してキース・ティペットと仕事したい」と現実逃避願望を漏らすほどの神経衰弱状態に追い込まれたほど、クリムゾン時代のウェットンは唯我独尊男だったのだ。無意識の産物だけども。

そういう意味で、ウェットンが<いいひと>と同一化するまでに特殊な背景と歴史があったであろうことは、想像に難くない。じゃないとアル中地獄に堕ちないはずだ。しかし、だからこその<いいひと>なのである。

フリップ卿は現在お馴染みクリムゾンのサイト《DGM Live》で、ウェットン追悼音源を無料ダウンロード配信している。79年のフリップ1stソロ『エクスポージャー』のレコーディング最初期のスタジオ・セッションを録ったもので、フリップ卿+ウェットン+フィル・コリンズによる4分半の、要は<クリムゾン版ブランドX>な蔵出しジャズ・ロック音源だ。問答無用に恰好いいのだけど、こりゃ『エクスポージャー』には合わないわ。

それでもこの超攻撃的でテクニカルなベースラインをあえて追悼音源にセレクトしたフリップ卿もまた、実は<いいひと>なのだろう。きっと。

さよならジョン・ウェットン。


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