2019年5月10日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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日本人がキング・クリムゾンを批評するとき避けて通れないのが、あの特異な〈文学性〉だと思う。
というか1970年代の熱心な洋楽リスナーにとって、クリムゾンの世界観がそのままプログレッシヴ・ロックの本質になっていた。
音楽評論家としての私の師匠は、やはり渋谷陽一(敬称略)になる。彼が遺した《プログレの読み方》は極東の島国に住む熱心なリスナーの勝手な深読みかもしれないが、ロックに対してだけイノセントだった〈思春期の私〉は、大いに共感したものだ。
煩悩と欲望と衝動に正直なことが新しかったはずのロックだが、やがて刺激に慣れ弛緩してしまうのが人間というもの。そこでただ能天気であることに呆れた一部の先達は、逆に現実を徹底的にペシミスティックに捉え、自分の存在も含めたすべての森羅万象を否定しまくることで、差別化を図った。やたらディスりたがるという、一部プログレッシャーズに目立つ特殊な性癖も、ここに端を発しているのかもしれない。
そしてそんなとにかくネガティヴで悲観的な世界観に、クラシックやジャズの垣根を超える自由な音楽性とやたら高度な演奏力、そしてメロトロンやシンセといった新型兵器の数々がよく似合ったわけだ。
しかし片っ端から否定しまくるのにも疲れ、ふと後ろを振り返ったらただ風が吹いているだけで、何もない荒涼とした光景が広がるのみだったのである――って、なんとよくできた喩え話なのだろう。
ちなみに、にもかかわらず〈肯定すること〉をバンド名に冠して一分の隙もない緻密なアンサンブルを構築したのが【イエス】――ってのもまた、辻褄合いすぎだと思う。
70年代の日本にFM放送はNHKと東京・大阪・愛知・福岡の民放4局しかなく、全洋楽ファンの8割は占める地方在住者が誰でも聴くことができた唯一の局は当然、NHK-FM。そこから流れる貴重なロック番組の『ヤング・ジョッキー』で語られるこんなによくできたプログレ論に、いたいけな高校生が抗えるはずがないではないか。すると、隔月刊から月刊になった1977年秋頃やっと田舎の書店に置かれ始めた『ロッキング・オン』だって、本気で読んでしまう。
誤解を恐れずに言えば、ロックとは詭弁、なのだ。
そしたら、58歳になってもまだ音楽評論家を生業にしていて、新刊『プログレ「箱男」』堂々320Pもの世界初の〈読むプログレ箱ディスコグラフィー〉本を4月25日に発売した(←あからさまな宣伝)ような人生をおくっちゃった私は。ああ。
話がそれた。
そんなこんなで「アイ・トーク・トゥ・ザ・ウインド(風に語りて)」的なプログレ史観は、キング・クリムゾンから「コンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ(混沌こそ我が墓碑銘)」に、「スターレス・アンド・バイブル・ブラック(星ひとつない漆黒の闇)」といった優秀なフレーズを抽出し、あの圧倒的な音楽力とともに聴いた者たちは《我々は常にカオスの中に在る、逃れることの決してできない袋小路の中にいるのだ》という、哲学的命題として捉えた。
私はいまでもその文学性に富んだメッセージ性を肯定してるし、ずーっと信用してきたわけだ。
市川 つまりシンフィールドやリチャード・パーマー=ジェイムズといった作詞者の書いたものを、あなたはあなたなりに解釈したに過ぎないということですか。
フリップ 私が歌詞を判断する上での基準は、真実の言葉かどうか、だ。
市川 作者の真実の言葉である、という意味ですか。
フリップ それだけでは一部分だろうね。同時に、万人にとっての真実であるかということも含まれる。偉大なアートは、常に全ての人にとって真実なのだよ。
市川 しかし<コンフュージョン~>や<スターレス~>等のフレーズは多くの者にとって、あなたの解釈と異なる形の<真実>として受け取られたわけですから。
フリップ <コンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ>はまあ、たしかにかなりお先真っ暗な表現であったと思う。でも1969年という時代に、人生もなかなか切り拓けなくて苦労を抱えこんだ若者にとってみれば、まさにそういう気持ちだった。レコード会社とのやりとり一つとっても激しく消耗するものだったし、同時にベトナム戦争も進行しており――本当に人生は重く暗いものだったのだよ。だからそうした荒涼とした表現が出てくるのも当然だったけれども、やはりその時点での狭い世界観だったと言わざるをえない。
市川 ということは、現在のあなたの人生観というか死生観は変貌してるわけですよね。
フリップ <現在の僕>という人間が「本当に混沌こそおまえの墓碑銘なのか?」と訊ねられたとしたら、そう、いまこの瞬間に僕が死んだとしたら、むしろこういう墓碑銘になるだろうね――《人生はしばしば絶望的だが、決して全く望みのないものではない》と。
それでも我々は挫けない。
さて、新刊『プログレ「箱男」』でも無論取り上げた(←再びあからさまな宣伝)キング・クリムゾン〈耳で聴くツアー・パンフレット〉の、《THE ELEMENTS TOUR BOX》シリーズ。2014年から毎年コンパイルされている、ベスト盤兼ライヴ盤兼コンピ盤兼レア音源集として機能的な、気の利いたアイテムだったりする。実は。
その第一弾『THE ELEMENTS 2014 TOUR BOX』のパンフの最後のページに、なんと“21馬鹿”の2014年アップデート版の歌詞をさりげなく掲載しているのだ。もちろん更新者は、ピート・シンフィールド本人である。
まず1コーラス目。
〈精神外科医が声高に「さあ開頭手術だ!」と謳えば謳うほど、パラノイアの闇への扉も開く〉的なくだりは、〈サイクス・ピコ協定と政治家たちの葉巻が、拳で砂漠に境界線を引いた〉に書き換えられた。
第一次大戦後に英仏露がオスマン・トルコ帝国領を勝手に分割したのがこの秘密協定で、アラブの独立やらユダヤ人国家の建設やら壮大な空手形を連発した、まさに適当な協定ではあった。要は21世紀のいまも終息するどころか激化する一方の、中東問題と宗教テロのそもそもの根源を唄っている。
続く2コーラス目は、〈ナパームの炎に焼かれる罪なき者たち〉とベトナム戦争を揶揄した部分が、〈呪われ毒され続ける独裁者たちに幸多かれ〉みたいな感じに更新された。
ちなみに3コーラス目は1969年版のまんまで正直、肩透かしの感はある。
とはいえ、“21馬鹿”の根幹に変わりはない。相変わらずの、フリップ言うところの〈お先真っ暗〉な楽曲だ。
本当の21世紀を迎えたからには設定もアップデートしたかったのだろうが、45年間も圧倒的な〈暗澹たるカタルシス〉を目の当たりにしてきた我々である。いまさら歌詞の少々の古さなど、誰も気になどしないのに。
だからこそのけじめ、かもしれないが。
にしてもシンフィールドの歌詞の文芸的迂回っぷりは、健在だと思う。第一次大戦からネタを引っ張ってきますかあんたはわざわざ。彼の歌詞を唄うのがしばしばこっ恥ずかしかったらしい、ボズの気持ちがわかるようになった今日この頃ではある。
それでもこの“2014年の精神異常者”はツアーでも披露されたばかりか、続く2015年箱と2018年ツアー・ロイヤル・パッケージ限定4CD箱『AUDIO DIARY 2014-2017』収録の2014年10月4日サンフランシスコ公演でのライヴ・ヴァージョンを皮切りに、以降《キング・クリムゾン楽団》が毎年リリースするライヴ盤――『ライヴ・イン・トロント』『ラディカル・アクション~ライヴ・イン・ジャパン+モア』『ライヴ・イン・ウィーン2016+ライヴ・イン・ジャパン2015』『ライヴ・イン・シカゴ2017』『メルトダウン~ライヴ・イン・メキシコ』に収録されている“21馬鹿”の歌詞はすべて、この新ヴァージョンに他ならない。
しかしながら、国内盤各ブックレット掲載の日本語訳詞はオリジナルのままなので、耳を澄まして聴き較べるのも面白い。とは思う。
さて今年、結成50周年を迎えたキング・クリムゾンの歴代作詞担当は、ピート・シンフィールドとリチャード・パーマー=ジェイムズとエイドリアン・ブリューのたった三人しかいない。
極めて主観的に言わせてもらえば、まずシンフィールドの詞は苦手ではある。
前述したような、クリムゾン独自の〈お先真っ暗〉感を言語化した彼の文学性は素晴らしい。“21馬鹿”も“エピタフ”も“風に語りて”も、揃って画期的だった。ところが現代文明および現実社会を忌み嫌うがあまり、徹底的に逃避してしまう癖が彼にはある。
その逃避先が〈幻想の世界〉だったり〈回帰すべき自然〉だったりと、まだわかるうちはよかった。しかし表現技法――古語と隠喩と脚韻にこだわりまくってたら、何が言いたいのかたぶんシンフィールド自身も忘れたに違いない楽曲ばかりになっちゃったのだから、どうにもならないではないか。
絵画的な情景描写以上でも以下でもない《ピート・シンフィールド先生の古典文学の世界》はやっぱり、つらい。退屈だもの。それでも彼がこの象徴性に固執しあげたからこそ、その反動として生じた攻撃的なスーパー・リアリズムをクリムゾンは手にすることができた、とも言える。
やはり〈ひねたロマンチスト〉シンフィールドの貢献は大きかったのだ。いろんな意味で――なんて持って回った言い方なんだ。
一方、1980年代から2000年代中盤までずーっと書き綴られたブリューの歌詞群も、なかなか興味深い。彼の〈自称・ビートニク〉っぷりが過積載だからだ。
2016年12月リリースの、11CD+3BD+5DVDの計19枚組に膨張した〈80年代《ディシプリン》クリムゾン〉総括箱のタイトルである『オン(アンド・オフ)ザ・ロード1981-1984』は、言うまでもなくジャック・ケルアックの『路上(On The Road)』からの引用だった。
「おいおいそこまでビートニク愛を強調せんでもいまどき」と言いたくなるほどあからさまだったブリューの偏向的な歌詞に対する、フリップなりの心遣いみたいなもんだろうと私は好意的に捉えたけれど。
さすが米国人というか、即物的な言葉を路傍の石のようにゴロゴロ並べる現実主義っぽさこそ、ブリューの作風である。同じようにニューヨークの街の風景をネガティヴに書いた“セラ・ハン・ジンジート”と“冷たい街の情景”を較べても、やたら文学的に叙情性を醸し出す高級印のシンフィールドとの違いは一目瞭然である。
そして本来は陽気なヒューマニストな彼精一杯の、突き放したような喜怒哀楽の感情表現は、いまならやっとあの《最強ポリリズム・クリムゾン》に相応しかった歌詞だったと思える私なのだった。
すまんすまん。
そこでようやく今回の主役、リチャード・パーマー=ジェイムズ――RP-Jの話だ。
2019年1月、唐突にリリースされた《KCCCアーカイヴ・シリーズ1》10Wのうち、初フィジカル化作品4タイトルが、13CD+1DVD+1BD箱『太陽と戦慄-リミテッド・エディション・ボックス・セット』と23CD+2DVD+2BD箱『暗黒の世界40thアニバーサリー・ボックス~スターレス』を繋ぐ、ブリッジ期のライヴ音源だったのだから、こりゃ見過ごせない。
❼現存するジェイミー・ミューア脱退後の四人クリムゾン最古のライヴ音源で、“21馬鹿”のイントロを聴いた瞬間に体育館中で発狂するイタリア人たちがボーノな『1973年4月6日パラッツォ・デロ・スポルト・ローマ・イタリア』。
❽唄もベースも絶好調な《ウェットンズ・ナイト》の『1973年5月6日パレス・シアター・ウォーターベリー・CT』。
❾なんとかまだフリップの統制下にある、《嵐の前のキング・クリムゾン》が意外に凛々しい『1973年5月8日メイソニック・テンプル・デトロイト・MI』。
❿問答無用の“太陽と戦慄パートⅠ&Ⅱ”に驚くしかない、『1973年10月26日ザ・レインボー・ロンドン・イングランド』。
さらに6月には、野人ミューア在籍時のサウンドボードほぼフル・ライヴ音源まで、『1972年12月8日オデオン・ニューカッスル・イングランド』として初リリースされてしまう。つまりレコーディング直前の、あの『太陽と戦慄』全収録曲の仕上がり具合を一網打尽で堪能できる、なんとも興味深い記録なのだ。
ああ聴きたい。幸福感に浸りたい。
というわけですっかり《キング・クリムゾン1972-1974》モードな私だけに、クリムゾン詩人三兄弟最後の一人であるRP-Jの作品群を、改めて追体験している今日この頃だったりする。自分でも奇特だとつくづく思う。
“土曜日の本”と“放浪者”と“イージー・マネー”と“偉大なる詐欺師”と“人々の嘆き”と“夜を支配する人”と“詭弁家”と“堕落天使”と“スターレス”、そして“ドクター・ダイアモンド”。
と彼がクリムゾンに書いた歌詞はまず、そのほとんどが一人称ではない。文字通りの「放浪者」「詭弁家」「詐欺師」「堕ちるがままの天使」「倦怠感満載の男女を眺めてるだけの土曜日の本」や、「あぶく銭を稼ぎまくる女ギャンブラー」「地下鉄の運転士」など、自分ではない三人称の主人公が唄われる。
そして、たとえば <巻きタバコ><アイスクリーム><聖母マリア像>〈キャデラック〉〈ブルージーンズ〉といったマテリアルが並ぶ“偉大なる詐欺師”のコーラスを聴くと、とても(当時の)現代文学っぽい。同じ物語性でも、シンフィールドの英国古典文学や戯曲的な作風とは真逆な分、この時期の殺伐ダンディズムによく似合う醒めたポップ感を醸し出していた。「音楽をちゃんとできるのは俺たちだけ」と“人々の嘆き”で嘯いたりするハードボイルドな下衆さが、イカしていたのだ。
そこがまた、ウェットンのひそかに下衆な声にも合っていたし。
かつて歴代のローマ皇帝たちが揃って舌鼓を打ったらしい、《ラークス・タングス・イン・アスピック(雲雀の舌のコンソメゼリー寄せ)》という、極めて繊細であることが逆に挑戦的だったメニュー名は、新生クリムゾンの第一作にまさに相応しいタイトルだったと思う。まさにあのサウンドを的確に言い得ているからだ。ニュアンス的にはイエスの《フラジャイル(こわれもの)》と同義語なのだが、この言語感覚の違いがそのまま両者の音楽的性格を顕著に示していて、ちょっと面白い。
しかしこの絶妙なタイトルを発案したのは、RP-Jではない。当時のクリムゾン・ミュージックを端的に言い表すキャッチ・コピーを、フリップから頼まれた野人ミューアである。そこで知る人ぞ知る宮廷料理を言葉遊びの延長で持ち出せてしまう、彼の〈実は英国人的〉創造力が怖い。あんなに破天荒なのに。
また《スターレス・アンド・バイブル・ブラック(星ひとつ輝けぬ、聖なる暗黒)》も、ディラン・トマスの詩『アンダー・ミルク・ウッド』中の一行であって、やはりRP-Jではない。ちなみに「帰省中のドーセットの両親の家で偶然読んだウェットンが、心奪われてそのまま拝借した」と永く伝承されてきたけれど、実際は〈ブラレス・アンド・スライトリー・スラック(ノーブラならではの乳のわずかなたわみ)〉という、ビルブルの笑えないジョークの元ネタとして披露されたのが、《スターレス・アンド・バイブル・ブラック》とウェットンの運命的邂逅なのだった。なんだそれ。
だからといって、RP-Jの作詞力がシンフィールドに劣っていることにはならない。
当たり前の話だけど。
1998年にコンパイルされた、ウェットン&RP-J連名のレア音源集『モンキー・ビジネス』は、その音質や完成度やそもそもの出来を気にしなければ、公開されただけでありがたい稀少デモだらけだった。
特に1972年録音の『太陽と戦慄』デモ――ビルブルの自宅にウェットンがテレコを持ち込み、ピアノとドラムで簡単に作った“イージー・マネー”と“土曜日の本”の、〈スキャット〉という名の鼻唄音源である。ミュンヘン在住のRP-Jは、ウェットンが送ってきたこのカセットを聴きながら、あの“イージー・マネー”と“土曜日の本”の詞を書いたことが伺えて、なかなか趣き深い。
また1974年2月1日@ウェットン実家録音の、ちっとも重々しくなくてキュートなピアノとスキャットだけの“スターレス”と、RP-Jが鳴らすティーカップの音とピアノ一台の“マガジンズ”は、同年3月7日から4日間行なわれた《暗黒の世界》ツアー用リハにおける新曲プレゼン用に録ったのだろう。両曲とも一度は瞬殺されたものの、“スターレス”が同月15日の通しリハでなんとか敗者復活を果たしたから、よかったよかった。
と思えば、同月27日から4月2日の独ツアー全7公演だけRP-Jが帯同していたこともあり、その際彼のミュンヘンの自宅で二人で録音した音源も公開されている。地元の連れが訪ねてきたようなものか。
でその2曲は、後半部がのちの“堕落天使”に似てる“ウーマン”はともかく、わずか33秒間ながらギター&スキャットの弾き語りヴァージョンの“もひとつおまけのスターレス”は、歌詞の手直し用に微調整を施してみた音源に違いない。
その他にもウェットン&ビルブルが1976年2月に録音した、《幻のキング・クリムゾン=フリップ+ウェットン+ビルブル+エディ・ジョブソン》用新曲デモ音源やら、同年12月録音の《ウェイクマン・ウェットン&ブラフォード》用ウェットン一人デモ集やら、例の同窓会バンド【ジャックナイフ】のアウトテイクスが蔵出しされたが、やはり全曲RP-Jが歌詞を書いていた。
こと作詞面においてウェットン&RP-Jは、《キング・クリムゾン界の藤子不二雄》の名に相応しい歌詞ユニットだったわけだ。
前述した76年2月音源に、“ザ・グッド・シップ・エンタープライズ”という楽曲がある。74年にウェットンが『レッド』に続くクリムゾンの新作用に書いた楽曲を、二年後にビルブルと二人でデモ録音したものだ。ウェットンは唄とベースのみならずギターと鍵盤も重ねており、よっぽどの自信作だったんだと思う。
市川 へ。詞先なんですか。
ウェットン 自分でも珍しいと思う。他のすべての者たちが死んでしまった中、救命ボートにたった一人坐っている男を取り巻く状況が描かれている。彼は沈みゆく船からひとり離れて浮かんでいるんだ。
市川 うわ。嫌な喪失感に苛まれそうですわ、波に揺られながら。
ウェットン そんなこの楽曲は、当時のクリムゾンにまさにぴったりだった。『レッド』の頃の僕たちはエネルギーに溢れ、フォーカスする方法論や方向性を既に見つけていたからね。もし僕たちがあのときこうした楽曲を演っていたら、それらはクリムゾンの中で本当にいいものに昇華していたと思うよ。
たしかにウェットンとフリップとビルブル(とイアン・マクドナルド)がインプロ合戦するには、ちょうどよさそうな曲だ。
1976年暮れに新バンド《WWB(ウェイクマン・ウェットン&ブルフォード)》がウェイクマンに拒否された二人がダメもとでフリップにクリムゾン再結成を打診したら、なんと仮承諾されたのだからそりゃ驚く。なのできっと慌ててこの楽曲を引っ張り出して、デモ録ってフリップに聴かせたに違いない。でも結局一年後には再結成話そのものをフリップに反故にされたのだから、不憫な楽曲ではある。
しかし誕生の経緯が詞先とは、ウェットンがRP-Jの歌詞力をいかに信頼していたかがよくわかる。そしてそのウェットン独特の〈大らかで大雑把な美意識〉による注文の数々に、RP-Jはいつでもどこでも応じてみせた。
おそらく自由に書くことを赦されてたはずのシンフィールドに較べれば、課せられたお題目とあいうえお作文ばりの縛りがある中、ポップ・アートかつ文学的に〈殺伐〉と〈憐憫〉を言語化できたRP-Jは、やはり偉い。にしてもなぜ彼は、まるでやり手の広告代理店のように仕事ができたのだろうか。
というわけでこの原稿、次回《会議は踊る、プログレも踊る―リチャード・パーマー=ジェイムズを探して―》に続いてしまいます。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!
第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!
第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!
第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!
第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!
第十四回 「ピーター・バンクスはなぜ、再評価されないのか --〈星を旅する予言者〉の六回忌にあたって」はコチラ!
第十五回 「悪いひとじゃないんだけどねぇ……(遠い目) ―― ビル・ブルフォードへのラブレターを『シームズ・ライク・ア・ライフタイム・アゴー 1977-1980』BOXに添えて」はコチラ!
第十六回 「グレッグ・レイク哀歌(エレジー)」はコチラ!
第十七回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE -RETURN TRIP』に想うこと- 前篇:スクワイアの巻」はコチラ!
第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!
第十九回「どうしてジョン・ウェットンを好きになってしまったんだろう(三回忌カケレコスペシャルversion)」はコチラ!
第二十回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう ー前篇:幻の1995年インタヴュー発掘、ついでに8人クリムゾン来日公演評も。」はコチラ!
第二十一回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉」はコチラ!
第二十二回「鍵盤は気楽な稼業ときたもんだ--あるTKの一生、に50周年イエス来日公演評を添えて」はコチラ!
第二十三回「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう(by ビリー・シャーウッド)」はコチラ!
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー・ブックレット付仕様、デジタル・リマスター、定価2415
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、若干スレ・軽微な汚れあり
CLUB47(KING CRIMSON COLLECTORS CLUB)
デジパック仕様、DVDオーディオ2枚組、NTSC方式、リージョンフリー、スリップケース・ブックレット付仕様(画像はスリップケースです)
盤質:傷あり
状態:並
1枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり、スリップケースに圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、プログレッシヴ・ロックのスタート地点となった大名盤であり、プログレッシヴ・ロックを聴くならまずはこのアルバムからと断言できる作品です。メンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストGreg Lake、ドラマーMichael Giles、管楽器に加えて鍵盤楽器(メロトロン)も担当するIan McDonald、そして作詞家Peter Sinfieldという布陣。「21世紀のスキッツォイド・マン」のオープニングから緊張感のある変拍子アンサンブルやユニゾン・フレーズが畳み掛け、「風に語りて」では牧歌的でありながら浮世離れした音世界を構築。“混沌こそ我が墓碑銘”の一節があまりに有名な「エピタフ (墓碑銘)」と、同じくリリックの幻想美に酔いしれる「ムーンチャイルド」を経て、メロトロンの洪水に溺れるシンフォニックな最終曲「クリムゾン・キングの宮殿」へ。“THE BEATLESの『Abbey Road』をチャート・トップから陥落させた”というエピソードの真偽はともかくとして、プログレッシヴ・ロック時代の幕開けを告げる衝撃的な作品であることは間違いありません。『クリムゾン・キングの宮殿』に触れずにプログレッシヴ・ロックを語ることは、まず不可能でしょう。
紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、ブックレット・ステッカー付仕様、定価2500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
若干圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1970年に発表されたセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』は、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の延長上に位置する作品となっています。『クリムゾン・キングの宮殿』発表後、ギタリストRobert Frippと作詞家Peter Sinfieldを除く3名が脱退を表明するも、諸事情によりGreg LakeとMichael Gilesは引き続き本作のレコーディングに参加。新たにKING CRIMSONに参加したのは、ピアニストKeith Tippett、管楽器奏者Mel Collins、ベーシストPeter Giles(Michael Gilesの実弟)、そしてヴォーカリストGorden Haskell。その結果、本作には8名ものミュージシャンの名前がクレジットされることになりました。音楽的にはデビュー・アルバムと同一線上で捉えることも可能ではありますが、例えばKeith Tippettのジャズ・ピアノをフィーチャーした「キャット・フード」、あるいは、ホルスト作曲の組曲「惑星(火星、戦争をもたらす者)」を思わせるリズムとカオティックなメロトロンが凄まじい相乗効果を生む「デヴィルズ・トライアングル」など、新たな試みも行われています。なお本作の後、Greg LakeはEMERSON, LAKE & PALMERとして再デビュー、そしてMichael GilesとPeter Gilesの兄弟はすでにKING CRIMSONを脱退していたIan McDonaldと共にMcDONALD AND GILESを結成します。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を最後に、Greg Lake、Michael Giles、Peter Gilesが脱退。1970年に発表されたサード・アルバム『リザード』は、『ポセイドンのめざめ』に参加していたベース・ヴォーカリストGorden Haskellと管楽器奏者Mel Collinsが正式加入、さらにドラマーAndy McCullochを迎え入れ制作されました。ゲスト・ミュージシャンは、過去作にも参加のジャズ・ピアニストKeith Tippettがバンドメイト(コルネット奏者Mark Charigとトロンボーン奏者Nick Evens)を引き連れ参加している他、オーボエ奏者Robin Miller、さらにYESのヴォーカリストJon Andersonが、表題組曲「リザード」の「ルーパート王子のめざめ」で歌声を響かせています。本作は、Keith Tippettが持ち込んだフリー・ジャズのエッセンスがグループに新たな息吹を注ぎ込んだ作品であり、特に「インドア・ゲイムズ」や「ハッピー・ファミリー」におけるインプロヴィゼーションなどで、その影響をはっきりと聴き取ることができるでしょう。一方で、フルートが舞う「水の精」ではこれまでのKING CRIMSONらしい牧歌性も披露。ラストには20分を超える表題組曲「リザード」が控えます。フリー・ジャズへの接近を通じて、後のKING CRIMSONサウンドの重要なポイントとなる即興色を拡張した傑作です。
30TH ANNIVERSARY EDITION、デジタル・リマスター
盤質:傷あり
状態:並
カビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。4thアルバム『アイランズ』を発表後に解散したKING CRIMSONですが、Robert Frippは新たなメンバーを探しKING CRIMSONを再始動。グループの最高傑作と名高い1972年の5thアルバム『太陽と戦慄』を世に送り出しました。メンバーはギタリストRobert Frippに加えて、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、パーカッション奏者Jamie Muir、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。本作は、確かな技巧を持ったミュージシャンたちによる最高品質の実験音楽作品であり、1曲目の「太陽と戦慄 パートI」と最終曲「太陽と戦慄 パートII」に象徴される、即興演奏を重視したメタリックなプログレッシヴ・ロックの大傑作となっています。また、2つの先鋭的な楽曲に挟まれた中盤の楽曲たちも素晴らしく、John Wettonのヴォーカルが冴えわたる「土曜日の本」や、最初期のKING CRIMSONサウンドが頭をよぎる「放浪者」、 ヘヴィーなギターとスキャットから始まる「イージー・マネー」 、Jamie Muirの話し太鼓(西アフリカの伝統的な太鼓の奏法)を曲名に冠した「トーキング・ドラム」と、どの楽曲も強烈な個性を持っています。ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックを聴くうえで、避けて通れない名盤です。
紙ジャケット仕様、40周年記念エディション、HQCD+DVD-AUDIOの2枚組、K2HDマスタリング、ブックレット・内袋・復刻巻帯付仕様、DVD-AUDIOはNTSC方式・リージョンフリー、定価4500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
盤に内袋の跡あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。6thアルバム『暗黒の世界』後にヴァイオリン奏者David Crossが脱退。3人体制となったKING CRIMSONは、1974年に7thアルバム『レッド』をリリースしました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Brufordという布陣。ゲストには、ソプラノ・サックス奏者Mel Collins、アルト・サックス奏者Ian Mcdonald、ヴァイオリン奏者David Cross、コルネット奏者Mark Charig、オーボエ奏者Robin Millerという旧メンバーあるいは過去作にもゲスト参加の経験を持つミュージシャンたちが迎えられています。その内容は、アルバムのオープニングを飾る「Red」から破壊的なギター・サウンドとアグレッシヴなリズム・セクションに驚愕する傑作。KING CRIMSON作品の中で最も素晴らしいバラード曲との呼び声も高い「堕落天使」、初期のKING CRIMSONサウンドをヘヴィーに再構築したような「再び赤い悪夢」、インプロヴィゼーションのライブ録音楽曲「神の導き」、抒情的なヴォーカルが印象的な前半部とギターやサックスが暴れまわる後半部から成る長尺曲「スターレス」と、全曲がプログレッシブ・ロック史に残る名曲です。本作のリリースをもって、KING CRIMSONは再び解散することとなりました。裏ジャケットに使われている、レッド・ゾーンに振り切れた音量メーターが、本作の狂暴な音楽性と当時のグループの状況を示唆しています。
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:
帯有
若干スレあり、カビあり
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
若干折れ・側面部に若干色褪せあり、ケースに若干スレあり
40TH ANNIVERSARY SERIES、デジパック仕様、スリップケース・ブックレット付仕様、CD+DVDの2枚組、ボーナストラック3曲、DVDはNTSC方式・リージョンフリー
盤質:無傷/小傷
状態:良好
スリップケースに若干圧痕あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。5thアルバム『太陽と戦慄』に続いて1974年にリリースされた6thアルバム『暗黒の世界』は、スタジオ・レコーディングとライブ・レコーディング(73年録音)が混在する変則的な作品となっています。収録曲順に見ていくと、「偉大なる詐欺師」と「人々の嘆き」は完全なスタジオ・レコーディング。「隠し事」はライヴ・レコーディングで、「夜を支配する人」はライヴ・レコーディングの冒頭から途中でスタジオ・レコーディングに切り替わります。「トリオ」はライブ・レコーディングで、「詭弁家」はライブ・レコーディングに後からスタジオ・ヴォーカルをかぶせた楽曲。「暗黒の世界」と「突破口」はライブ・レコーディングとなっています。前作『太陽と戦慄』でパーカッション奏者Jamie Muirが脱退したため、本作のメンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。内容的には、初期の強烈なKING CRIMSONサウンドに回帰したようなスタジオ楽曲と、インプロヴィゼーションで聴かせるライブ楽曲に分かれています。本作を発表後にDavid Crossが脱退し3人体制となったKING CRIMSONは、次作『レッド』の制作に取り掛かります。
30TH ANNIVERSARY EDITION、デジタル・リマスター
盤質:無傷/小傷
状態:良好
廃盤希少、2枚組、ファミリーツリー付き仕様、定価3786+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、若干カビあり
75年発表のライブ・アルバム。「RED」発表前の74年に録音されており、当時のラインナップはRobert Fripp(g)、John Wetton(b、vo)、 Bill Bruford(ds)、David Cross(vln、key)の4人編成。アルバム中3曲でEddie Jobson(vln、key)のパートがダビングされています。鮮やかなヴァイオリンの旋律を切り刻むメタリックなギター・リフ、グイグイとウネリを生み出して暴走するリズム隊。この時期ならではのパワフル且つ緊迫感溢れる即興演奏に終始圧倒されっぱなし。代表的名曲「21st Century Schizoid Man」では原曲のサックス部分をヴァイオリンで再現しており、よりヒステリックな爆発力を楽しむことが出来ます。沸点目掛けて上り詰めるRED期クリムゾンの凄さを体験出来る名ライブ盤。
紙ジャケット仕様、24bitリマスター、HDCD、3曲追加収録、ブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
スレあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1984年に発表された10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』は、8thアルバム『ディシプリン』と9thアルバム『ビート』と同一メンバーにて制作されました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣。本作は、KING CRIMSONのスタジオ・アルバムの中ではあまり目立たない存在かもしれません。その理由は、契約履行のために作ったアルバムという印象が強いことや、Adrian Brewのポップ・センスに寄せた出来になっていることなどが挙げられるでしょう。確かにアルバム前半には分かりやすいヴォーカル・ナンバーが収録され聴き手を困惑させるかもしれませんが、後半ではKING CRIMSON版インダストリアル・ロックとでも名付けたくなるようなインストゥルメンタルが配置されています。もちろんインプロヴィゼーションもフィーチャーされており、最終楽曲のタイトルは、なんと「太陽と戦慄 パートIII」。Robert Fripp本人も本作に対してはポジティブな感想を持っていないようですが、8thアルバム『ディシプリン』からの一連の流れを知る意味で、チェックしておきたいアルバムでしょう。
紙ジャケット仕様、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック5曲、ブックレット・ステッカー・内袋付仕様、定価2625
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、若干汚れ・若干圧痕・軽微な色褪せあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONの次なるリリースは、94年のミニアルバム『ヴルーム』。この時期のKING CRIMSONは
ギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。本作は、95年のフル・アルバム『スラック』へのウォーミング・アップのような意味合いの作品であり、事実6曲中4曲がアルバム用にリミックスされ『スラック』にも収録されています。内容は、7thアルバム『レッド』に通じるヘヴィーな楽曲を中心としており、KING CRIMSONの進化はまだまだ続くと確信させられる出来栄えです。
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー付仕様、デジタル・リマスター、定価2300+税
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯無
帯無、軽微なカビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONは、94年に久々の新作となるミニアルバム『ヴルーム』を送り出し、翌95年には『ヴルーム』の楽曲を含むフル・アルバム『スラック』を発表しました。この時期のKING CRIMSONはギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。内容は、冒頭の「ヴルーム」を聴いただけで7thアルバム『レッド』の衝撃がよみがえるような、強烈なヘヴィー・プログレッシヴ・ロックとなっています。Robert Frippは、新たなKING CRIMSONの音楽性を「ヌーヴォ・メタル (Nuovo Metal)」と標榜しました。
紙ジャケット仕様、HDCD、デジタル・リマスター、定価2345
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、側面部に色褪せあり
盤質:傷あり
状態:良好
スリップケースに角潰れあり
DGM96042(DISCIPLINE GLOBAL MOBILE)
デジパック仕様、ブックレット・ポスター付き仕様
盤質:全面に多数傷
状態:
盤に曇りあり、小さい破れあり
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3675
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯中央部分に軽微な色褪せあり、初回プレス限定の「THE COLLECTORS KING CRIMSON SAMPLER VOL.3」(5曲入り)付属
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3500+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
帯中央部分に色褪せあり、カビあり、盤に軽微な曇りあり
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