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「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 60年目のユ・ウ・ウ・ツ篇」 第三十九回 ニーナ・ハーゲンは最強の〈ジャーマン・プログレ〉である。  文・市川哲史

第三十九回 ニーナ・ハーゲンは最強の〈ジャーマン・プログレ〉である。


昨年の12月2日、原稿書きながら英BBCのニュースをなんとなく眺めてたら、アンゲラ・メルケル第8代ドイツ連邦首相の退任式の映像が流れてきた。


メルケルさんがどんな政治家だったのかこのコラムが語る筋合いじゃないし、いまさらだ。欧州債務危機対応や難民受け入れ政策など国内外で極端に評価が分かれるひとだが、自己保身とちんけなメンツにしか頭が回らないウチの厚顔超人アベノマスクを見るにつけ、彼女の決断力と行動力がとてもとてもとてもとても羨ましかった。

西独生まれながら、牧師の父の東独赴任で生後数週間で東側に移住。大学で物理学を専攻し東ベルリンの科学アカデミーに就職すると、理論物理学研究で博士号を取得して物理学者に。しかし35歳でベルリンの壁崩壊に遭遇すると政界に進出、ついには東西統一ドイツの首相に登り詰めたという彼女の生い立ちそのものが即、説得力に他ならない。東独出国のビザ規制の大幅な緩和が報じられた1989年11月9日夕方、検問所の国境ゲートから歓呼とともに西側になだれ込む群衆の中に偶然、若きメルケルさんが映る当時のニュース映像なんか観たら、ただただ納得するしかないだろう。


さてその退任式、国防省で行なわれる儀式だからなのか、連邦軍音楽隊の演奏による送別曲を3曲、辞める首相自身がリクエストできるらしい。6代目のコール元首相はベートーベンの『交響曲第九番』、7代目シュレーダー前首相はシナトラの“マイ・ウェイ”と、わかりやすいというか当たり障りない選曲だったと聞く。さてメルケルさんは、と気になるのが人情だろう。

すると、まず18世紀のキリスト教聖歌。ふーん。

2曲目は戦後ドイツの人気女優兼歌手、ヒルデガルト・クネフ1968年の楽曲“Furmichsoll’s rote Rosen regnen(私には赤いバラが雨のように)”。ふーん。彼女は独映画で初めてヌードになった女優だそうだが、よくわかんないや。

そして3曲目……あれ? ブラスバンド・ヴァージョンだからわかりづらいけど、知ってるぞこの曲……ニーナ・ハーゲンじゃね? 

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《ニーナ・ハーゲン&アウトモービル》名義で彼女が1974年に唄った“Du hast den Farbfilm vergessen(カラーフィルムを忘れたのね)”が、その正体。東独でしかリリースされておらず、私が初めて聴いたのも1992年の初CD化でだった。しかしこの曲、当時東独でチャート1位を獲得したのみならず、2000年代以降のアンケート調査でも旧東独人の40%が「唄える」と答えた、国民的大ヒット曲なのだ。

メロディそのものは能天気ポップなんだけど、〈せっかく一緒に旅行しているのに、彼氏がカラーフィルムを忘れたから、記念写真がぜんぶモノクロになって怒ってる女子〉の歌。社会主義国・東独の、単調で灰色の日常に対する憂鬱を隠喩しているわけだ。とはいえ東西ドイツ統合から10年以上経過したゼロ年代には、「モノトーンの世界ではあったが、私たちの心の想い出そのものはカラフルなのさ」的な真逆の捉え方もされて、より懐メロソング化が進んだようだ。

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この曲をセレクトした理由を、メルケルさんは「私の青春時代のハイライトを彩ってた歌だから」と述べた。そして「唄われてる旅行先は私の選挙区だし」とも。さすが政治家。

だけどZ世代は、スチール・カメラにフィルムが必要だった時代を知ってるのかしらん。


さてニーナ・ハーゲンである。

1979年『ニナ・ハーゲン・バンド(NINA HAGEN BAND)』と『ウンバハーゲン(UNBEHAGEN)』の2枚ほぼ同時リリースで日本デビューを果たした瞬間から、そのおそろしくチープでキッチュなのにドス利きまくりの〈新型ジャーマン・ロック〉は、衝撃的すぎた。私の中での《ドイツで最もプログレッシヴだったロック》チャート1位はかろうじてカンがキープしたものの、クラフトワークやクラスターは一瞬で子供騙しの玩具に転落しちゃったのだから。初登場2位だよ2位。

ちなみに、江口寿史が『すすめ!!パイレーツ』『ストップ!!ひばりくん!』の扉絵などで彼女のジャケを好んでイラスト化してたおかげで、世間的認知度もかなり高かったはずだ。私の周りでは、意味なく「うんばはあげんっ」と力むのが流行った気もする。あほか。

ひとまず、6thアルバム『ホールド・ミー(NINA HAGEN)』リリース時のRO誌1989年12月号に書いた本文原稿、【ニーナ・ハーゲンは世界最小の宗教であるーー新生降臨した超過激巫女『ホールド・ミー』】を、ほぼオリジナルのまま掲載する。

たぶん伝わる、はず。





渋谷駅というのは、宗教の勧誘のメッカである。

早朝から人が急いでるというのに、「あなたの健康と幸福をお祈りさせてください」などと、どっかで純粋培養されたような顔した連中が、がんがん群がってくる。で己が手を勝手にひとの額にかざし、いきなり祈っちゃうーー例のアレだ。それだけで血液中のアルコールやニコチンが浄化されてしまうというお題目も素敵ですが、ロッキングオン社は遅刻すると2千円の罰金なんだから、お願いだからそこをどいてくださいよぼけ。

実は私の友人に、かざしちゃってる奴がいるのだ。

「お祈りの前と後じゃ、血液の色が全然違うんだからさ。もしもいま交通事故に遭ったとして、自分の血の色が汚かったら恥ずかしいだろ? そんな想いをしないためにも入会しろよお」。

おいおい同じパンツを一週間も穿きっぱなしなわけじゃないんだから。それとも私の血液はギャオスのような紫色ですか。

先日も大残業大会となり、もう誰もいない渋谷駅南口をタクシー乗り場に急いでたら、男女一組の御祈り勧誘員に呼び止められた。午前4時にもかかわらず。

通行人の回転率も悪いだろうに、と思わず彼らを心配してしまいつつも断わると、後ろで「じゃそろそろ終わりにしてラブホに行こうよ♡」と華やいだ女子の声が。振り向くとその二人は、道玄坂上のホテル街の方向に歩道橋の階段を上がっていた。うーん新しい。人間味溢れるその勧誘員カップルに、私は心からの賛辞を拍手で表していた。


私は宗教や超常現象の真偽や本質に文句を垂れるつもりはないけれど、どいつもこいつも盲目的に邁進してしまうとこが嫌なのだ。

煩わしいと思いつつも、日々さまざまな情緒や不条理を相手になんとかしようと生きてるのだ。それがロックじゃないか。なのにそれを全て神だの運命だのという安直な帰結で片づけられちゃ、あまりにもしかたないと思う。

そんな理由から、私はニーナ・ハーゲンを避けるようになっていた。

1981年のサード・アルバム『ナン・セックス・モンク・ロック(NUNSEXMONKROCK)』が、怒濤の宗教観をコンセプトに据えてしまったからだ。

悪いことは重なるもので、レコーディング前に父親不明の娘を出産したのと、マリブの海岸でUFOを目撃したのが重なって、ジャケットも詞も〈宇宙思想における神と母と子〉というアニミズム的発想で、見事に塗りつぶされちゃったのだから、私は倒れてしまった。そりゃねえだろ、である。ちなみにその子の名前は「宇宙の踊りの神」って意味で、《コスマ・シヴァ》だったな。日本ハムの選手には《芝草宇宙》がいたぞ。

当時、彼女のこの一連の行動は絶賛されたと記憶している。これぞ究極の女性ロッカーの姿だ、と。たしかにそうなんだけどね。


ニーナ・ハーゲンの魅力は、とにかく常識破りの目茶苦茶さにあった。

東ドイツ出身。オペラ歌手として子供時代から活躍。でもバンド時代は、国家検閲までされた彼女が書く詞。そして大胆にも西側に逃亡――人生自体が堂々とロックしていた上に、ただでさえ岩のように頑丈な響きのドイツ語を、力任せに唄い散らしあげるのだから、インパクトが弱いはずがない。

音は音で、2枚目にして名盤『ウンバハーゲン』に象徴されてたように、なんでもありのアグレッシヴな虹色。“アフリカン・レゲエ”なんか、タイトルはアフリカでも音はレゲエで音色はテクノ、しかし唄は大ヨーデル唱法という不自然の極みを、ただただ力強さで押し切る世界だったのだから。

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スラング満載の詞も、実にアナーキーだった。“マイ・ウェイ”における〈政治の圧力で荒廃したベルリンに、ついに天から原子爆弾が降ってくるぞっ〉というシナトラの原曲無視の超攻撃的改ざんは、あまりにも鮮烈すぎた。

そうした、故郷も常識も倫理も何もかも捨て去った勢いで生まれたとしか思えない圧倒的な潔さを、そんな安直なゴールで結ばれてもらっては困る。だから『ナン・セックス~』以降の『アングストロス(ANGSTLOS)』『イン・エクスタシー(NINA HAGEN IN EKSTASE)』の2枚のアルバムは、かっこいいんだけれどもいまひとつ盛り上がれなかった。

その後1986年に三国同盟のよしみで(←嘘)我が国NHKの報道番組に書き下ろした、「世界を愛そう」という不気味なまでの肯定性を秘めたシングル“ワールド・ナウ”をリリース。同年にはフランケンシュタインの息子・サンダ対ガイラ再びとしか思えない、リナ・ラヴィッチとの合体でこれまた意表を突く動物愛護シングル“Don’t Kill The Animals(日本未発売)”を出して、消息を絶った。

私の知っているニーナ・ハーゲンからどんどん遠ざ去かりつつーー。


といった私の茶飲みじじい的な戯れ言を叩き潰すかのような、4年ぶりの新譜『ホールド・ミー』が突如完成した。

とにかくアグレッシヴな音なのだ。相変わらずのキッチュでシンセなディスコ・ミュージックをベースに、今回はメタルっぽいハード&ヘヴィーなギターワークを前面にフィーチュアして、現場への目配りも完璧だ。1曲目のジャニス・ジョプリンのカヴァー“ムーヴ・オーヴァー”から、限界知らずの攻撃性で原曲以上にスリリングで恰好いい。もちろん彼女らしい虹色ヴォーカルも健在で、アシッドな“ライヴ・オン・マース”、ラップが躍る“ゴルバチョフ・ラップ”、そしてゴスペルなのにニナが唄うとなぜかハニードリッパーズに聴こえてしまう“ホールド・ミー”と、多彩すぎる。

ヴィジュアルも、あの表面張力を超えた眼球とぶ厚い口唇は変わらない。シングル・カットした“ホールド・ミー”のPVなど、ほとんどマドンナのために作られたようなシチュエイションとカメラワークの中で「なぜかニナ」が踊ってるだけで、異様な存在感を放ってしまう。

音もスタイルもばっちり。期待以上だ。問題は、あの宗教色がどうなったか、ということだけである。


普通“ゴルバチョフ・ラップ”となれば、シニカルな視点で唄わざるをえない状況下にもかかわらず、彼女は純粋にゴルバチョフ初代ソビエト連邦大統領に宛てたラヴソングを唄った。「いま彼が行なっていることを認め、彼を励ます」ために、だ。プレスリーの“ヴィヴァ・ラスベガス”やジャニスをカヴァーしたのも、「彼らを尊敬してるから」である。

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この単純明快すぎる発想は何なのだろう。これ以外にも、若者世代へのほぼ母親的愛情や、ドラッグへの警告まで生真面目に唄いあげてるのだから。

やたらシズルな楽曲の“スーパー・フリーク・ファミリー”では、あのプリンスを唄った。ニーナ自身がプリンスのライヴ中、理不尽にも客席で彼のセキュリティーにめった打ちにされ、ステージ上の殿下に助けを求めても無視された一件が、その内容だ。しかし驚くべきことに彼女は憤怒のあまり唄ったのではなく、出来事として不思議に思ったから唄っただけなのだ。そう、自分が知らないものや人や文化や出来事に触れただけで、ただそれだけで心から盛り上がってしまうひとなのである。

だから視点を変えれば例の宗教色だって、UFOを観たから宇宙に驚き、出産したから子供に熱中しただけのことだったのではないか。子供というか世間知らずというか、その短絡的な「ど」純粋さが彼女をスーパー・アグレッシヴに見せてただけな気がする。

これまでも「ニューヨークは素晴らしい」とか「アフリカに行ってラスタマンに逢いたい」と唄っていたが、どれもこれも本心そのままだった。つまり、ニーナ・ハーゲンにシニカルな表現衝動は一切ない。驚くべきことに「〇」か「×」かだけのひとなのだ。


もしも彼女に宗教色があるとするならば、それは「自分」自身の感受性自体が宗教なのだ。「自分がエクスタシーなら、他人もエクスタシーを感じるはず」というおそるべき自己肯定のパワーが、並の宗教以上に強力なだけなのである。

彼女がエクスタシーを感じるモノならば、宇宙もアフリカもジャニスもニューヨークも動物愛護もすべて、それは宗教レヴェルまで達してしまうのだ。そういえば彼女の人生そのものが、価値観の猪突猛進だったではないか。


ニーナ・ハーゲンは世界最小の宗教なのであった。





この原稿を書いて33年も経ったかと思うと、怖い。しかし私のニーナ観は、ほぼ変わりなくこのまんまなのだ。ただ当時の情報量は、日本の配給レーベルだったエピックにせよフォノグラムにせよこの程度だったので、まず補足修正しておく。

東ベルリン生まれの彼女の両親は劇作家と反体制派詩人兼女優さんだが、父方の祖父はユダヤ人銀行家だっためにアウシュヴィツで死去。なかなか背景がえぐい。ニーナ自身はなぜか母親の元カレで詩人で音楽家の、「あの」ヴォルフ・ビーアマンを父親のように慕って人格形成していく。へ?

で母の影響か女優を目指したものの演劇学校の試験に落ちて、ポーランドや東独でロック・バンドのヴォーカルに路線変更して活動。どこらが「オペラ歌手として子供時代から活躍」だ。先述のメルケルさん愛唱歌は、この時期の作品になる。そして1976年に養父ビーアマンが東独政府から市民権を剥奪されたのを機に、彼の支持を公言していたニーナも翌77年西側に脱出。その亡命先がパンク/ニューウェイヴ全盛のロンドンだから、おもいきりその洗礼を浴びたのは想像に難くない。もしも土着パンク女子のスリッツとかと遭遇していたら、と妄想しただけで愉しくなる。そして西独に帰国して結成したニーナ・ハーゲン・バンドは瞬く間に売れたとは、劇的すぎるではないか。

で私が歴代最高の〈アヴァンギャルド・ラジカル・プログレ・ポップ〉アルバムと、未だに毎朝聴いてはひれ伏し続けている『ウンバハーゲン』が、関係性の決裂でバンドが勝手に録音したサウンドに、彼女が好き勝手に唄ったヴォーカルを力づくで乗っけたという〈いまさらの事実〉にも、大いに納得した。じゃないと、1978年当時にできる限りのロック・メソッドを無秩序にコラージュし、オペラもパンクもヨーデルもホーミーも駆使した歌唱法で、唄いアジりあげたりできないはずだ。「さすがジャーマン・プログレの国!」的な電子音と処理の総動員っぷりが、まさかのキッチュ感まで演出できるとはさすがに気づかなかったけど。



なるほどね。

この原稿以降の彼女はというと、ゴルチェに身を包みつつ独語詞と英語詞を駆使してエキセントリックに唄い続け、1991年の次作『ストリート(STREET)』には“Nina 4 President(ニナ4プレジデント)”なんて自身の大統領立候補演説をぶっこんだりする一方、1993年作の『レヴォリューション・ボールルーム(REVOLUTION BALLROOM)』は、音楽的にも性格的にも真逆としか思えないフィル・マンザネラのプロデュースが意外にもハマった、「やや」大人の破天荒アルバムに仕上がっていて驚かされた。

その後はドイツに戻りブレヒトの生誕100年公演や『三文オペラ』への出演やら、リルケ・プロジェクトへの参加。一方ではヒマラヤで浄化されたり、ブラジルやらインドやらチェルノブイリやらいろいろ携わったり、とキリがない。いつしか私はフェイドアウトしてしまったけれど。

つまり彼女はまったくぶれることなく、我が道を相変わらず突き進んでいるということに他ならないのである。

もしかしたらニーナ・ハーゲンとは、〈地球上で最もタチの悪いSDGs〉なのかもしれない。くれぐれも早朝の渋谷駅のタクシー乗り場で逢いたくない相手だ。


東西ドイツの潮流の中で、メルケルさんとニーナが置かれた境遇はよく似ていた。それ以上に、二人の生年月日はメルケルさん1954年7月17日でニーナ1955年3月11日――実は同学年だったとは。

うーん、なんだろうこの圧巻の説得力。















第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!

第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!

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