先月同様、酷暑が続いております。毎年9月になれば何とかなると思いつつ、実際は少しばかり暑さが和らいでも、体の方には夏の疲労が蓄積されたまま。逆に「夏がようやく終わった」と安堵した頃にやってくる残暑で、何とか夏を乗り切ったのに9月にダウンというケースがここ数年周りでも増えておりますので、逆に9月こそ体調には気をつけていただきたいと、切に思います。
さて、最近のエレベーターって内部のパネル部分に小さなモニターがついているヤツがあるじゃないですか。僕の会社が入っているビルのエレベーターもそうなのですが、あのモニターに日によって歳時情報みたいなものがでるのですが、8月13日が「夜景の日」であることをエレベーター情報で知りました。記念日設定は毎回ご紹介している語呂合わせのひとつなのですが、この「夜景の日」はひとひねりあって面白かったので紹介します。8が夜景の「夜(や)」にひっかけてあるのはすぐに判りますが、13のほうはトランプの13、絵札キングがKと表記されるのにひっかけて8・13で「やけい」なのだそうです。函館出身の大学生の投書がきっかけで函館青年会議所、函館観光協会が設立した函館夜景の日実行委員会が1991年(平成3年)から制定した記念日だそうです。
9月も様々な記念日があります。まず9月3日「ホームラン記念日」。50歳台で野球に興味がある方はピンとくると思います。1977年のこの日、ジャイアンツの王貞治さんが大リーグのハンク・アーロン氏が持っていた当時のホームラン世界記録755本を抜く通算756本目のホームランを後楽園球場(現在の東京ドームになる前)での対ヤクルト戦で放った日です。個人的にもよく覚えています。この年、僕は大学1年生で夏休みを利用し友人たちと旅行に出かけ、東京に戻り、みんなと東京駅で別れ、新宿から京王線に乗るため、JR中央線(当時は国鉄)で新宿に向かう車内にいました。ちょうど後楽園球場の最寄駅である水道橋駅を通過する時、電車の中でもはっきり分かる大歓声が聞こえてきたのです。この時期、王選手がいつ世界記録を達成するかは日本中で話題になっていたので、多分ホームラン打ったのだろう、と思って帰宅した後、テレビのニュースでやはりあの時の歓声はそうだったのだ、と知りました。確かに当時の後楽園球場は水道橋駅から近かったのですが、電車の中でもはっきり分かる大歓声にはびっくりしたので、この日のことは鮮明に覚えています。
9月18日は「かいわれ大根の日」だそうです。18の8を横にして下にまっすぐ1を置くとかいわれ大根の芽に似ているということで、1986年(昭和61年)9月の日本かいわれ協会(現在は日本スプラウト協会に名称変更)会合で決まったことに由来しているそうです。毎回ご紹介している脱力系語呂合わせ記念日は9月4日「くしの日」、9月6日「鹿児島黒牛・黒豚の日」などがありますが今ひとつパンチ不足の感がありますね。
それでは進めてまいりましょう。今月のネタは9月29日「招き猫の日」です。右手上げは「金運招来」、左手上げは「千客万来」。古くから特に飲食店関係ではマスコットとして置かれており、外国人にも「ラッキー・キャット」として親しまれています。日本招き猫倶楽部と愛知県瀬戸観光協会が制定した記念日だそうですが、9月29日になったのはやはり語呂合わせで、「くる(9)ふ(2)く(9)」に引っかけたのだそうです。というわけで猫です。色々ありますよね。ではまずはこれ、アル・スチュワート『Year Of The Cat』(1976年)です。1967年に英CBSから『Bedsitter Images』でデビュー。英国フォーク、アコースティック・ロック・ファンから今も根強い支持を得ている『Love Chronicles』(1969年)、『Zero She Flies』(1970年)、『Orange』(1972年)、『Past, Present And Future』(1973年)を順調に発表。英国内では知名度が高かったものの、アメリカでは知る人ぞ知る的存在だった彼が初めて認知されたのが『Past, Present And Future』あたり。「Soho(Needless To Say)」、「Road To Moscow」、「Post World War Two Blues」などの人気曲とノストラダムスをテーマとした大曲「Nostradamus」が収録された作品でバック陣にB.J.コール、ティム・レンウィック、リック・ウェイクマン、デイヴ・スワブリック、フランシス・モンクマン、ティム・ヒンクレーらおいしい面子を配した同アルバムはアメリカのカレッジ・ステーションが好んでオンエアーしたことでアル・スチュワートの名は徐々に知られていきます。
彼はこの作品を機にアメリカ市場を強く意識するようになり、次作の『Modern Times』(1975年)ではプロデューサーにアラン・パーソンズを起用。同作品はビルボード・アルバム・チャートで30位まで上昇するヒットを記録します。このことは以前ノストラダムスを取り上げた時に書きましたが、『Year Of The Cat』はそれに続く作品です。Sutherland Brothersと合体したQuiverを思わせる、軽快でどこかカントリー・ロックのテイストが入り込んだサウンドにキラキラ感を加えた作風が興味深かった『Modern Times』から、より当時のトレンドであるAORマーケットを意識したサウンドへシフト。アラン・パーソンズは当時、デヴィッド・ウールフソンと組んだAlan Parsons Project(以下APP)を立ち上げ『Tales Of Mystery And Imagination – Edgar Allan Poe(怪奇と幻想の物語)』制作していたこともあり、その手法をこの『Year Of The Cat』にも持ち込み、ミステリアスなムードを持った作品に仕上げました。アル・スチュワートのどこか頼りなく、儚げな声が乗るとイメージは大きく変わりますが、バックのサウンド、特にストリングスの使い方などはAPPの2作目にあたるヒット作『I Robot』(1977年)の習作のように聴こえます。
アメリカにおけるAORマーケットの拡大の動きとタイミングがぴったり合ったことも功を奏し、『Year Of The Cat』はビルボード・チャートで最高位5位を記録。シングル・カットされたタイトル曲も8位まで上昇する彼にとって最大のヒットとなりました。APPの『I Robot』も大きな話題となり、’77年後半には3作目にあたる『Pyramid』の制作を開始、この作品が発売された1978年半ばに、アル・スチュワートはアラン・パーソンンズとのコンビ3作目『Time Passages』の制作を開始します。この『Time Passages』に至るとバックのサウンドはほとんどAPP。アラン・パーソンズはサウンド作りのアイデアをアル・スチュワートの作品で試し、それをAPPで完成させ、その完成させたものに新たなアイデアを加え再度スチュワートの作品で試す。両者のこの当時の作品を聴くと音作りのピンポンが行われていたような印象を受けます。素朴な素材を磨き上げた『Modern Times』から名作の誉れ高い『Year Of The Cat』、そして『Time Passages』の3作は、フォーク・ロックでもプログレでもない独自の立ち位置をアラン・パーソンズとともに作りあげたアル・スチュワート。『Year Of The Cat』はその中にあってもヒプノシスのグラフィック担当コリン・エルジーの凝りまくったアートワークと共に今も輝いています。
名曲の誉れ高い「Year Of The Cat」のライヴ・ヴァージョンは1981年発表のライヴとスタジオ録音曲で構成された『Live/Indian Summer』に収録されていますが、これよりも『Time Passages』発表当時、アリスタがFMプロモーション用に制作したプロモ用ライヴLP『The Live Radio Concert Album』を基にしたCD『Time Passages Live』をお薦めします。『The Live Radio Concert Album』ではカットされた「Sirens Of Titan」が追加収録されていますし、『Live/Indian Summer』と比べこちらのほうが演奏が良いように個人的には思っています。ただ残念なことに『The Live Radio Concert Album』には記録されていたピアノ・ソロから始まる「Year Of The Cat」の冒頭の部分にあった映画「カサブランカ」で印象的に使われた「As Time Goes By(時の過ぎ行くままに)の一節を弾く部分がカットされていますが・・・。
Year Of The Cat
ドン・ニックス作、ジェフ・ベックがBeck Bogert & Appice(以下BB&A)時代に取り上げ有名になった「Black Cat Moan(黒猫の叫び)」もロック/ブルース界に数多く存在する黒猫もののひとつ。ドン・ニックス版は1973年発表の『Hobos, Heroes And Street Corner Clowns』に収録。BB&Aヴァージョンも同年発表の1stアルバムに収録され、ジェフ・ベック自らがヴォーカルを取っている曲として話題となりました。アルバムに合せたツアーではジェフ・ベックの初来日公演となったこともあり、5月の大阪公演が『Beck Bogert & Appice Live』として発売され、2013年には40周年記念エディションとして、ニュー・ミックスおよび曲順を当日の演奏順に並べ直し、当時のアナログ・アートワーク再現した17cm(7インチ・シングル・サイズ)紙ジャケットで再発されたことも記憶に新しいかと思います。BB&Aのスタジオ・アルバムにはドン・ニックス作の同曲の他もう1曲同時に取り上げられた「Sweet Sweet Surrender」も収録。また当時、スティーヴィー・ワンダーがベックのために書き下ろした「Superstition(迷信)」も収録されていますが、まぁ、スティーヴィー・ワンダーが所属していたタムラ・モータウンはそんな話聞いてないよ、そんな良い曲くれてやるとは何事とばかりに1972年発表の『Talking Book』に収録、ついでにシングル・カットしてBeck Bogert & Appiceが出る前にヒット曲になっちゃったので、BB&A版は単にカヴァー曲となっちゃったわけですが・・・。
Black Cat Moan(Original Don Nix Ver)
ドン・ニックス作の「Black Cat Moan(黒猫の叫び)」のほうは前段があります。もともとドン・ニックスはアーティストとしてベックも気に入っており、BB&Aの前の第2期Jeff Beck Groupのセカンド・アルバム『Jeff Beck Group(オレンジ・アルバム)』で「Going Down」を取り上げ、BB&Aのライヴでも演奏していた経緯があります。スティーヴィー・ワンダーからの曲提供の話題も含め、BB&Aのデビューに際してはレーベル、マネージメントの戦略で話題つくりが行われたようで、オレンジ・アルバムで話題になった「Going Down」の作者の曲というのも確実にトピックのひとつになっていました。しかもベック自身が歌うというインパクトもあり、故にアルバムのオープニング曲となったわけです。ドン・ニックスにとっても話題になる話であり、BB&Aと同年発売のアルバムに収録となりました。
Black Cat Moan(Beck, Bogert & Appice Ver)
黒猫は黒人ブルースの定番フレーズでマディ・ウォーターズでお馴染みの「Hoochie Coochie Man」を始め多くの楽曲で不吉な事柄の象徴として数多く登場します。「Black Cat Moan(黒猫の叫び)」もそうしたブルースの伝統的スタイルを継承した曲で、BB&A版ではベックのスライド・ギターをフィーチュアしボガートとアピスが結成していたCactusのサウンドの流れを汲んだハード・ロック・スタイルになっており、終盤のインスト・パートもハードな展開ですが、ニックス版のほうはより伝統的なブルース・スタイルに忠実なアレンジでスライド・ギターこそ共通項ですがこちらはアコースティック。これにシャッフル風にはねるエレクトリック・ギターのブギー・リフが絡むというスタイルになっています。BB&Aの迫力には及ばないものの典型的なブルースベースのサザン・ロック・スタイルは滋味深くまた魅力的。このオリジナルも勿論ですが、ドン・ニックス&フレンズ名義で2002年に発表されたタイトルもそのものズバリ『Going Down The Songs Of Don Nix』もお薦めです。フレンズとしてブライアン・メイ、レスリー・ウェスト、ジョン・メイオール、スティーヴ・クロッパー、ダン・ペン、ボビー・ホイットロック、ボニー・ブラムレット、ボブ・テンチら錚々たるメンバーが参加したオールスター・セッション・アルバムで、こちらの「Black Cat Moan」はもう少しソリッドなブギー・アレンジですが、故レオン・ラッセルと同じで、語尾で空気が抜けたかのようにシューシューいう南部訛りの歌い方が湿気多目のスワンプの空気感がよく出ておりこれもまた魅力的です。他にも第2期Jeff Beck Groupでのアレンジに通じる「Going Down」、クラプトンでお馴染み「Same Old Blues」を筆頭に、ムワッとした南部の風が吹き抜けるセルフ・トリビュート・アルバムとなっています。アートワークが少し安っぽい感じですが、内容はオールスター・セッションにつきもののごちゃごちゃ感が全くなく最初から最後までプロデュースの行き届いた高品質サザン・ロック・アルバムとして楽しんでいただけると思います。僕自身、当時タワー・レコードで見かけ、面子は興味深いがどうだろうと半信半疑で買ったアルバムでしたが今でも愛聴している一枚です。
黒猫オリジンの「Hoochie Coochie Man」収録のマディ・ウォーターズ『Best Of Muddy Waters』共々お楽しみください。
クロネコはカケレコで買い物すると配送してくれる会社でもありますが、黒猫繋がりだとこれも外せません。Black Cat Bones。思い切り「Hoochie Coochie Man」からバンド名を引用しています。オリジナル活動当時はDecca/Deram Novaからアルバムを1枚発表しただけで終わりましたが、歴史と人脈的には大変重要なバンドで、解散後一部のメンバーが結成したのが幻だったはずなのに数年前来日公演も行ったLeaf Houndだったり、初期ギタリストがFree参加前のポール・コゾフだったり、その唯一作でコゾフの後任として豪快なギターを弾いていたのが後にFoghatに参加するロッド・プライスだったりネタに事欠かないバンドですし、発掘音源としてコゾフ時代の音源が発売されたこともあります。何度もリイシューCDが出ているので、よく知られた作品だと思います。Freeの1stアルバム『Tons Of Sobs』に通じる地下室系ヘヴィ・ブルース・ロックで、ほとんどポスト・プロダクションなし、リード・ギター左チャンネル、ドラム右チャンネルにぱっきり別れたミックスに時代を感じますね。何十年ぶりかで聴き直してびっくり! 8chあるスタジオが珍しい時代で4chミキサーがあれば事足りた時代とはいえ凄いねぇ、この定位。暗黒のブルース・ロック感がさらに強まる音像と言って良いでしょう。2008年に発表された1967年、ポール・コゾフ在籍時に記録された音源を基にした『Paul’s Blues』のほうは発掘ものということもあり、デモ録音とリハーサル音源のコンピレーションで音質的にはつらいものがありますが、引き摺るような重さが身上のBlack Cat Bones、この当時から全くぶれずに地下室系ヘヴィ・ブルース・ロックをやっていた貴重なドキュメント。またポール・コゾフも同様に全くぶれていないことが判ります。Free時代の作品を聴くとコゾフのギターはハイ・ノートでのチョーキングを行うときに独特のビブラートと倍音が混じるのですが、もうこの頃からそうだったことが判ります。音はイマイチだし、カットも多いのですが、ブリティッシュ・ハード・ロックの夜明け前の熱の籠った演奏は音質の悪さを越え訴えかけてくる何かを感じます。でも、この時期に聴くものじゃないかもね。部屋の暑さで頭がクラクラしてきました。
Death Valley Blues
今月の1枚はこの原稿を書いている最中に飛び込んできた訃報から。R&B/ソウル・ミュージック界の至宝と言っても過言ではないアレサ・フランクリンが8月16日膵臓がんのためミシガン州デトロイトの自宅で亡くなりました。享年76歳。数日前から危篤状態というニュースがネット上に出ていましたが先ほど訃報が発表されました。1961年のデビュー以来半世紀以上に渡りR&Bシーンを牽引し、クイーン・オブ・ソウルと呼ばれた名アーティスト、アレサ・フランクリン。CBS、アトランティック、アリスタ等のメジャー・レーベルから数多くのヒット作をリリースした彼女の業績を讃えると共に謹んでご冥福をお祈りいたします。圧倒的な存在感と説得力を持ったその歌声はまさにクイーン・オブ・ソウルにふさわしいものだったと思います。
彼女の長いキャリアの中でも人気が高いのは1966年11月にジャズ色の強いポピュラー・シンガーというイメージだったCBSからアトランティックに移籍して以降の作品かと思います。アトランティックのハウス・プロデューサーであったジェリー・ウェクスラーは彼女に、よりゴスペル色の強い楽曲を歌わせることでその才能を開花させ1960年代後半から70年代にかけ数多くのヒット・シングル、アルバムをアトランティックに残しました。
名盤の誉れ高い『Lady Soul』(1968年)、『Aretha Live At Fillmore West』(1971年)、ゴスペル・アルバム『Amazing Grace』(1972年)を初め人気作は多数ありますが、今、この原稿を書きながら僕は1974年に初めて買った彼女のアルバム『Let Me In Your Life』を聴きながら書いています。クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えメローなジャズ・ファンク路線を打ち出した1973年発表の『Hey Now Hey』はチャート的に振るわず最高位30位で終わった事に対するテコ入れもあり、当時ポップ・シーンで飛ぶ鳥を落とす勢いがあったアリフ・マーディンをプロデューサーに迎えて制作されたアルバムで、ビルボード・アルバムTop100で最高位14位。R&Bアルバム・チャートではNo.1に輝いたヒット作でした。このアルバムからシングル・カットされTop40ヒットとなった「Until You Comeback To Me (That’s Waht I’m Gonna Do)」が個人的に大好きで購入に至ったアルバムでした。この「Until You Comeback To Me」、フリー・ソウルのコンピレーションにも収録されたメローかつAOR路線のミスティなミッド・テンポのバラードで作曲者クレジットにはスティーヴィー・ワンダーも名を連ねています。このアルバム買った当時から気になっていたことがあります。後半にジェリー・ラガヴォイ作曲の「Eight Days On The Road」が収録されているのですが、この曲、この『Let Me In Your Life』と同じく’74年に発表されたFoghatの『Rock And Roll Outlaw』のオープニング曲でもあります。当時からFoghatはもしかするとアレサ・フランクリンのアルバム聴いてこの曲を取り上げたのではないかと思っています。真相はどうなんでしょうか? この「Eight Days On The Road」は’60年代のアレサの諸作品の流れを汲んだ豪快なヴォーカル・パフォーマンスが楽しめるナンバーですが、アルバム全体の雰囲気は先に書いた『Hey Now Hey』をよりメロー路線に持って行き、ボブ・ジェームス、スタンリー・クラークといったジャズ/フュージョン界で当時話題になっていたアーティストを起用し当時のミュージック・シーンのトレンドを強く意識した作品となっています。彼女の訃報に触れ聴き直してみて感じたことは、アレサ・フランクリン、シャウトしないで歌い込む時の声がかわいらしいということでした。追悼も兼ねこの週末はアレサ・フランクリン、聴きこんでみたいと思います。
Until You Comeback To Me (That’s Waht I’m Gonna Do)
スコットランド出身のSSW、7作目の76年作。前作に続きプロデュースはアラン・パーソンズで、タイトル曲がヒットした代表作です。ジャケット・イラストはヒプノシスが担当。
デジパック仕様、2枚組、disc2には76年の未発表ライヴ音源9曲を収録、ボーナス・トラック1曲、デジタル・リマスター、ミニポスター付き仕様
盤質:無傷/小傷
状態:良好
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