梅雨真っ盛り、芳しくない天候が続きますがいかがお過ごしでしょうか? 7月の原稿を書くわけですが、来月の今頃は梅雨明けしているのでしょうかねぇ。今年は猛暑の予測も出ていますし、なんとなく気分もどんよりしてきます。
さて、先月の原稿を書いた直後にカリフォルニアのAgoraで行われたMR.BIGのドラマー、故パット・トーピーのトリビュート・ライヴを観に弾丸ツアーで渡米したのですが、この時ホテルでTVを観ていて気がついた小ネタをまずふたつほど。
トリバゴってあるじゃないですか、旅行予約サイトの。あの会社って元はドイツらしいのですが、日本のCMには金髪の日本語ペラのおネェさんが出ていますが、アメリカのトリバゴのCMはあのおネェさんではなくただのオッサンが出演していまして、滞在中結構何回も観ていたのに、オッサンなのは覚えていても、顔がどうにも思い出せない。ファジーな顔だったんでしょうけど、ここまで思い出せないのは気持ちが悪く。昔読んだフィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」を思い浮かべてしまいました。
次、エンゼルスに入団した大谷翔平さんはアメリカでも大注目と日本のメディアでもやたらと取り上げられていますが、大リーグの結果が出るチャンネルを結構探し、滞在中、都合6時間くらい観ていましたが、残念ながら一度も彼の姿をTVで見る事はありませんでした。ま、僕ら日本人が注目していりゃ良いわけで、別に気にはしませんが、現在、肘を痛め故障者リスト入りして療養中というのはちょっと心配です。症状が重くなければ良いですね。うちは娘が1人なんですが、奥さんはああいう息子が欲しかったとわけの解らないことを言っています。多分、同じようなこと言うおばさんたちがこの日本にはあと35万人くらいいそうな気がします。以上、どうでもいい話でした。
さて、今月もなんのひねりも無い語呂合わせだけの記念日が目白押しです。7月8日!はいその通り!質屋の日です。アメリカなんかだとPawn Shopですね。PawnのAWを間違えてORにしちゃうとポルノ・ショップになっちゃいますから。実は今、書き間違えていました。気が付いて良かったっす。気がつかなきゃエロオヤジのレッテルを貼られるところであった。
70年代くらいまではPawn Shop Guitarなんて言い回しがあったくらい、質流れのギターって質量ともに豊富で、最初のギターはバイトして質屋で買ったというプロのミュージシャンも昔は多数いましたが、80年代以降はヴィンテージ・ギター・ブームが起きたこともあり、質屋ギターは業者に買い漁られようになったみたいですね。
続いて7月10日! はい、あたり納豆の日です。簡単だよね。続きまして、7月11日! セブンイレブンの日ではありません。世界人口デーだそうです。国連人口基金(UNFPA)が1990年に制定した記念日で1987年のこの日、世界の人口が50億人を突破し、増加の一途をたどる世界の人口問題への関心を深めてもらう目的があるのだそうです。
7月の変な記念日としては7月13日オカルト記念日、7月26日幽霊の日というのがあり、夏らしい感じがしますね。前者はアメリカ映画「エクソシスト」が1974年のこの日、日本公開になったのを記念してなのだそうです。あったねぇ、「エクソシスト」。リンダ・ブレアーね。筆者これ観て以来今日に至るまで、ウグイスあんパン食べていません。うぐいす豆の餡なので黄緑色のアンコなのよウグイスあんパン。わからない人はDVDとかでご確認ください。そして後者は文政8年(1825年)に江戸の中村座で「東海道四谷怪談」が初演になったことに因んでいるそうです。
昔から怪談本が好きなのですが、最近、人生そのものが調子悪いせいか怪談好きに拍車がかかり(?)時間があればその手の本を読んでいます。一方で、何ヶ月か前にフランスのZNRが高音質盤で再発になったという広告を雑誌で見て「凄いなぁ、ZNRも高音質盤かよ」と思い、そういえば、ZNRもう20年近く聴いていないなぁ、てな訳で、怪談本読むBGMには良いかと思い、『Baricade 3』の方を引っ張り出してきて聴きながら実話怪談と称する本を読んでいたわけです。『Baricade 3』の4曲めに「Senete」という曲があり、不安感を煽るピアノをバックに思い切り歪みまくり、割れた声の語りが乗っている曲なのですが、ちょうどこれを聴いているときにその本の中でも不気味で後味の悪い話を読み終わり、思わず「うわ、これ気色悪い・・・」とか独り言を言った瞬間にステレオから不気味な声で「あぁ、そうですか」と語りかけられ、思わず「うわ〜!」と叫んで読んでいた本を放り出し、椅子から転げ落ちそうなくらい驚きまして。まぁ、空耳なんですが「Senete」の2分24秒あたりから数回、大変不気味な「あぁ、そうですか」が聞けますので皆さんもお試しください。曲の冒頭も同じこと喋っているらしいのですが、その部分は「あぁ、そうですか」とは聞こえません。バカな話で申し訳ない。それでは本題に入らせていただきます。
最近、60年代70年代に活躍したアーティストが次々と鬼籍に入り、寂しい想いがつのりますが、またひとり忘れられないアーティストが亡くなりました。
元Fleetwood Macのギタリスト、シンガー、コンポーザー、ダニー・カーワンです。6月8日ロンドンで亡くなったそうです。ミック・フリートウッドがブログで追悼文を掲載しています。
Macのギタリストといいますか、フロントマンとしてはピーター・グリーン、ジェレミー・スペンサー、ボブ・ウェルチ、リンジー・バッキンガムといった歴代の目立つ人の影に隠れがちな存在でした。しかしFleetwood Macというバンドが単に60年代末から70年代前半にかけてのブルース・ロック時代の寵児としてばかりでなく、ロックの歴史に名を残し、ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイムの殿堂入りを果たした背景にはこのダニー・カーワンが果たした役割は大きかったと思うのです。
ブリティッシュ・ブルース・ロックの金看板として名声を獲得しながらもドラッグ渦の中、ピーター・グリーン、ジェレミー・スペンサーが次々とバンドを捨て失踪し、バンド崩壊の危機を迎えた絶望的な状況の中、カーワン自身もドラッグ依存から精神面で大きな問題を抱えていたそうですが、それでもフロントマンとして巨大なプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもバンドを支えたのは彼でしたし、ブルース主体の音楽性から70年代後半のAOR路線へシフトしていく基盤を築いたのも彼でした。
当コラムでもこれまで、ジェレミー・スペンサーはかろうじて在籍していたものの奇行が目立ち、カーワンの肩にバンドの存続が重くのしかかった時期の作品『Kiln House』、カーワン&ボブ・ウェルチ時代の『Bare Trees』などを取り上げています。この時期、Macはコミューン生活を送り日々セッションを繰り返し作品を作り上げていたのですが、カーワンは精神面で大きなダメージを受けており、リハーサルにも顔を出さなくなり、フェイド・アウトに近い形で脱退。2年強のブランクを経て、1975年にソロとして再出発を果たし、以降1979年の『Hello There Big Boy』まで3枚のソロ・アルバムを発表します。
DJMから発表された彼のソロ・デビュー作『Second Chapter』は非常に興味深い作風を持った作品です。Macが『Kiln House』で披露したオールド・スタイル・ロックン・ロール路線は、当時、同傾向のソロ・アルバムを出したジェレミー・スペンサーに負うところが大きかったと言われていますが、このカーワンもまたブルースのみならず50年代から60年代初頭にかけてのロックン・ロールに造詣が深かったようです。実際、Macの最年少メンバーとして参加した際に決め手となったのは、ブルースにも精通しているが、それにも増してビッグ・バンド・スタイルのジャズ、ブルースに対する造詣が深く、プロデューサーのマイク・ヴァーノンがMacのサウンドを発展させる上で必ずや役に立つという判断があったからだと言われています。
加えて、『Kiln House』から『Bare Trees』に至るMac在籍時の3枚のアルバムで見せたThe Beatlesから綿々と続くイギリス王道のポップ・センスが活かされたメロディ・メーカーとしてのスキルの高さ。こうしたものが混然一体となり、折からのレイド・バック・ブームの動向も巧みに取り入れた作風は決して派手ではないものの、この時代のブリティッシュ・ロック好きには強くアピールする作品となっていると思います。
Mac脱退後、自身の健康にも大きな影響を及ぼしていた薬物依存はどうなったのかは判りませんが、精神的にはかなり追い詰められた状態だったと思います。それでも彼は曲作りを続け、1975年にDJMとソロ契約を交わし、ベースにChicken Shackに在籍したアンディ・シルヴェスター、ドラムに元East Of Edenに在籍、Wings、Rough Diamond、Manfred Mann Earth Band等で活躍するジェフ・ブリットンを迎え『Second Chapter』を制作します。
Fleetwood Mac時代の特徴であったミスティな楽曲のイメージは残しながらも、バンジョーやフィドルなども取り入れ、ジャグ・バンド、オールド・タイマー・ジャズ、ニューオリンズ・サウンドの雰囲気を盛り込んだ曲を散りばめるなど意欲的な音楽性を提示し、まさにキャリアの第2章を飾るにふさわしい作品となりました。
アルバムのオープニングである「Ram Jam City」はその、ジャグ・バンド、オールディーズ感覚を前面に出した楽曲。同傾向の曲は続く2曲め「Odds And Ends」の他「Falling In Love With You」、「Best Girl In The World」などがあります。一方、メロディ・メーカーとしての才能を遺憾なく発揮したムーディで美しい旋律が光る楽曲群もアルバムを魅力的なものにしているもう一つの柱として収録されています。60年代の映画音楽のような流麗なメロディとストリングス・アレンジが秀逸な名曲「Hot Summer’s Day」、レイドバック感覚を前面に押し出しながら,これもまた映画のサントラのようなストリング、ブラス・セクションを加え、その対比の妙で聴かせるミッドテンポ・バラード「Second Chapter」。室内楽とトラディショナル・フォークが合体したかのようなクラシカルな美しさが印象的な「Lovely Days」など捨て曲がほとんど見当たらない、渾身の作品といって良いでしょう。
2000年にMooncrestレーベルから発売された『Ram Jam City』はこの『Second Chapter』収録曲のデモやアーリー・ヴァージョンをコンパイルしたもので、Mac脱退後制作を開始し、DJMとの契約を交わすきっかけとなった音源をCD化したもので、これを聴くと『Second Chapter』がデモ・ヴァージョンの段階から高い完成度を誇っていたことが分かります。
今回この『Second Chapter』を聴いていて、音楽性とオールディーズに対するアプローチの違いはありますが、ダニー・カーワンって声のトーンとかがなんとなくリンジー・バッキンガムと近いものがあると感じました。ちょうどこのアルバムが発表されたのと同じ年にFleetwood Macはリンジー・バッキンガム、スティヴィー・ニックスを新メンバーに迎えたラインナップで大ヒットとなる『Fleetwood Mac』を発表。このメンバー選択の裏にはMacに残ったメンバーのダニー・カーワンに対する思い入れみたいなものも作用していたようにも思えます。バッキンガム&ニックス参加直後のライヴでは『Kiln House』に収録されカーワンがメインライターとして曲作りを担当した「Station Man」が演奏されていたのにもバンドのカーワンに対する思いを感じます。
Fleetwood Macの成功は、ダニー・カーワンにも大きな影響を及ぼします。イギリスで1976年に発表された彼の2ndアルバム『Midnight In San Juan』は、元Fleetwood Macのフロントマンという過去を前面に押し出した形でプロモートされ、ジャグ・バンド、ニューオリンズ風サウンドは影を潜め、よりAOR的なアプローチを強めた作風に変化します。バックには当時Stretchで活躍していたメンバーを迎え制作されました。悪いアルバムではないのですが、今が売り時と判断したレーベルに押し切られる形で制作したのでしょう。曲のストックも多くなく、全体急いで作った雰囲気を感じてしまいます。イギリス本国ではご覧のような女性のイラストを使ったアートワークで発表されましたが、翌77年にアメリカで発売される際には彼のポートレートを使いタイトルもシンプルに『Danny Kirwan』と改められました。フロントの左上にはステッカーではなく丸囲み印刷で元Fleetwood Macのギタリスト、シンガー、ソングライターと表記されておりMacの成功に乗っかろうというレーベルの思惑が出ています。
自分が在籍したバンドの突然の大成功、それに伴いそこにカーワンを乗せようとしたレーベルの思惑は残念ながら成功を収めず、ダニー・カーワンは再び強い軋轢を感じたようで、この後また数年沈黙します。ただ曲作りは継続して行っており、1979年に3rdアルバム『Hello There Big Boy!』を発表します。AOR全盛時代に突入した音楽シーンの動向をしっかりと捉えた、一見、前作のどこか中途半端なアプローチとは異なる地に足のついた、よく練られたAORアルバムという印象を受け、『Second Chapter』で打ち出したストリングスを効果的に使ったバラード路線をより時代の流れに合わせるなど当時のAORのトレンドをよく研究した良作に仕上がっていたと思えるのですが、実際はこの時期にはカーワンは健康を害しており、制作面ではプロデューサーのクリフォード・デイヴィスが全体の流れを作ったと言われており、当時カーワンがこのサウンドを率先して目指したのか否かは定かではありません。
残念ながらこのアルバムもセールス的には成功を収められずカーワンとDJMとの契約は終了。この後は満足な音楽活動を行わず、彼は精神面に強いダメージを受け、80年代、90年代はロンドンでホームレスのような生活を送っていたと言われています。
1980年代以降は不遇の時代を過ごしたダニー・カーワンですが、Fleetwood Mac時代の諸作品、そしてソロ第1作目の『Second Chapter』は今も聴くに値する優れた作品だと思います。個人的には70年代のブリティッシュ・ロックを語る上で忘れられない存在でした。心よりご冥福をお祈りいたします。
さて今月の1枚ですが、現在発売中のレコード・コレクターズ7月号は特集・ディスコ・インフェルノと題し、ディスコ・ミュージックの大特集をやっています。1973年から1982年まで年代ごとに時代を彩ったディスコ名盤が紹介されているわけですが、この特集はメジャー各社が連携してディスコものの名盤をシリーズとして税抜き\1,000で大量に再発したことを受けてのものでした。ちょっと前にあったAORシリーズと同じやり方ですね。西城秀樹さんが亡くなって、彼のヒット曲であった「YMCA」のオリジナルであるVillage Peopleなんかも一気に需要が高まっていた反面、最近ではベストはあるけど、オリジナル・アルバム単位では手に入れにくくなっていたこともあり、その手のものに興味があるファンにはタイムリーな企画と言っていいでしょう。
ディスコなんてクソだという方には申し訳ない話ですが、70年代、80年代のロックを語る上ではこのディスコ・ミュージックというジャンルは避けて通れないわけでして。レコード・コレクターズ誌でもどう特集の中に独立コラムとしてロック・ポップスにおけるディスコ・サウンドの影響が掲載されています。色々ありました。そのものずばり、『Saturday Night Fever』で時代の寵児となったBee Geesを筆頭にThe Rolling Stones、The Kinks、Roxy Music、Queen、Wings、ロッド・スチュワート、デヴィッド・ボウイ、みんな一度はディスコ・ミュージックの洗礼を受けています。
筆者、ディスコそのものは好きじゃなかったのですが、音楽自体は嫌いではなく、今回各社から廉価盤で発売されたものの中やレコード・コレクターズ特集でピックアップされたものの中に、当時よく聴いたヒット曲ものがあり楽しませてもらいました。いくつか例を挙げれば、Kool & The Gang。70年代後半には小洒落たディスコものになっちゃいますが、レココレ特集ディスク・レビューのトップに掲載された『Wild And Peaceful』当時のいなたいファンク体質は筆者の耳には思い切りロックなサウンドに聴こえますしAverage White BandやOhio Playersなんかも懐かしかったです。80年代に入ってすぐのイタリアとNYミュージシャン連合軍によるChange。ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがブラック・ミュージック・シーンにリズム革命を巻き起こしたChicの流れを組んでいるわけですが、Change音圧がChicの比じゃないわけですよ。音の壁みたいな作りでして・・・。どういうシチュエーションで使われる音楽であるか思い切りマーケティングが行き届いた音楽かと。当時、巷では馬鹿ディスコ扱いされていましたが、思い切りクレバーなサウンドメイクだなと感心したことを思い出しました。
で、本題。The Andrea True Connection『More, More, More』です。ポルノ女優アンドレア・トゥルーが友人のグレッグ・ダイアモンドに楽曲制作を依頼。1976年にブッダより発表されるとシングル・カットされたタイトル曲が全米4位まで上昇するヒットとなり、エロ・ディスコのはしりともなった作品ですが、これ、以前CD化されたことはあったのですが、けっこうレア盤になっており、TOP40ファンを中心に需要はあっても供給されず状態が続いていたのですが、この度ソニー・ミュージックから再発されました。1stよりも更にレアな2nd『White Witch』も同時発売ということです。なんでこれを取り上げるかといえば、曲を作ったグレッグ・ダイアモンドに注目していただきたいわけですね。The Andrea True Connectionの成功でダイアモンド自身も注目を集め、弟のゴドフリーと企画したGregg Diamond Bionic Boogieもディスコ・シーンでヒットとなったわけですが、この人、元々はロック・シーンで活躍していた人で、誰とやっていたかといえば、あのジョブライアスのバックをやっていた人だったわけです。グラム・ロックの徒花として今も妙にカルトな人気を誇るジョブライアスとやっていて、ポルノ女優のアルバム手がけて名声を得るという何とも邪道な路線を歩んだ人ではありますが、コンポーザーとしては結構才能あるミュージシャンではなかったかと思っています。
この「More, More, More」レココレのディスク・レビューではサマンサ・フォックス、Bananaramaらカヴァーとなっていましたが、もうひとつ強烈な歪み系カヴァー・バージョンがあります。Babes In Toylandによるもので1995年に発表されたコンピレーション・アルバム『Spirit Of ’73: Rock For Choice』に収録されていました。アルバム・タイトルの由来は1973年にアメリカ最高裁判所が人工妊娠中絶を規制するアメリカの国内法のほとんどを違憲無效であると判決を下したロウ対ウェイド事件に由来しました・アメリカにおけるフェミニズム運動支援の目的で制作されたアルバムで趣旨に賛同した女性アーティスト、バンドによるカヴァー曲集となっていました。オリジナルのまったりディスコ・ヴァージョンではなく、バック演奏に思い切りディストーションがかかり歪みまくったこのBabes In Toyland「More, More, More」の他、L7とジョーン・ジェットの共演によるRunawaysの「Cherry Bomb」、that dogがマリア・マルダーの「Midnight At The Oasis」を取り上げていたり、サラ・マクラクランによるジョニ・ミッチェル「Blue」のカヴァーという興味深いトラックもありと、国内盤も発売されていた割にはいまいち話題にならなかった作品ですが、ここにあげた女性アーティストと取り上げている曲の組み合わせに興味を持たれた方は探してみる価値があるコンピレーションかと思います。
最後に再び、ジョブライアスの話を。前にも書いたように思いますが、ジョブライアスがグラムに転向する前にやっていたバンド、UNIレーベルから出ていたPigeonってCD化されてないよねぇ。なんかジョブライアスって軽く見られている感じが強くするのですが、このPigeonでやっていた耽美的クラシカル・ポップを聴くとジョブライアスへの変貌って一本筋が通っていて必然だったということがよくわかるわけですよ。ユニバーサル・ミュージックってUNIの発売権持ってないんですかねぇ? CDで聴きたいです。
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