11月14日(月)にエアーメール・レコーディングスさんのご厚意でHERONの来日公演を観せていただきました。いやぁ、緩かったんですが大変良かったです。ボブ・ディランの楽曲をHERONの解釈でカヴァーしたアルバムを出すそうで、あの木漏れ日フォークの名曲群の間にディランの曲が結構演奏されました。このコラムが出るタイミングではまだ最終公演が終わっていないので、やった曲を書くのは反則かと思いますが、高校時代のバンド仲間と一緒に観に行って、彼の地元の西荻窪で終演後合流した同じく高校時代の同級生と楽しく飲んで家に帰って、20年ぶりくらいにボブ・ディランの『Slow Train Coming』をじっくり聴いてしまいました。
酔っ払って帰って、とっとと寝れば良いのに、「ああ、やっぱり、今すぐあの曲のオリジナルが聴きたい」と。不精で怠け者の筆者にそう思わせるほんわかしたそのサウンドの魅力。じぃさんたち良い味出していました。こういう小規模のコンサートツアーの運営は色々とご苦労もあると思いますが、HERON観れて良かったです! そのアルバムにも期待したいです。
HERONを観に行く前に彼らの作品をもう一度ちゃんと聴いておこうと思い立ち、手持ちのカタログを引っ張り出してきて片っ端から聴いていきました。DAWNからリリースされた作品に関してはきちんとしたCD再発なので何の問題もなかったのですが、’90年代に彼らがリリースした作品はプレスCDではなくCDRのものが多くあり、そのうち’91年レコーディングの『Hystorical』というCDR作品が経年変化による劣化なのでしょうか、自宅のCDプレイヤー、Blu-rayオーディオの再生用に買ったユニバーサル・プレイヤー、PC用のBlu-rayドライヴ、DVDドライヴと計5台の再生用機材のどれを使っても再生はおろか、ディスク自体が認識されない状態になっていました。
CDR最近、こういうトラブルが増えていますね。仕事で使っていた写真データが焼き込んであったCDRも高々、5年前くらいに焼かれたものであるにも関わらず読み込まなかったということもあり、正直、このメディアに対する不信感が募ります。
皆さんも結構CDRに焼いてあるから安心と考えていると思うのですが、数年前には何の問題もなく再生もしくは読み込み可能だったものが突然認識もされなくなるという状況が多々起こっていますので、音源の保存をCDRに焼いたもので取ってあるものは一刻も早く一度総ざらいして確認したほうが良い、と言っておきます。まずはデータ化という話なのでしょうが、クラウドもハード・ディスク保存も100%安全とは言えないがまた問題なのですが・・・。
普段からコレクトしたCDやレコード、テープ類をこまめに整理されている方は問題ないのでしょうが、一般的には集めることに対しては意識的な人でも、メンテナンスはほとんどしていないという方が多いのではないかと思います。実際、筆者も購入したら放置というものが多く、話のネタではなく、そろそろ自分の部屋で遭難してもおかしくないくらいのカオス状態に陥っています。筆者の部屋はアバウト12畳程度のフローリングの洋間なのですがドアを開け向かって左側が反対側の窓に向かって天井までCDを収納できるタイプの棚が7台ありそこにプラスティック・ケースに入っていたものはプラケを取り外しFlash Disc RanchのCDソフト・ケースに入れ替えた状態でびっしり収納されており、右手にはやはり窓側ギリギリまで天井部分が20cmくらい開いただけでアナログ盤がびっしりと収納されています。壁になっている分だけでCDが約1.3万枚、LPが約4千枚程度かと思いますが、実際にはこれだけでは済まず、棚に入りきらないCDとLPをDJ用の折りたたみLP式収納ケース突っ込んだものが約40個ほどありこれが無造作に重ねられ部屋の中にニョキニョキと塔が立ったような状態になっています。これに加えオーディオ機材、ベースやギター等の楽器類、’70年代のオリジナルのオレンジの3段積みアンプ、ミュージックマンのコンボ・アンプ、ベース・アンプ数台、ラックマウントのコンプレッサーやらディレイやらのエフェクター類、本などがある関係で今、人が動けるスペースは縦横70cmしかないため、ほとんど部屋として機能していません。
これを書いているのはまだ11月の半ばな訳ですが、年末といえば大掃除! そろそろ本気で掃除と取り組まないことには、怪我どころか命の危険すら感じる今日この頃といった感じです。大袈裟な物言いだと思われる方もいるかと思うのですが、計画性の欠如したコレクト人生を送った結果、部屋中に危険な角が数え切れないほど生じ、下手に滑ったり、倒れたりしたら無数に存在する棚やケースの角に頭ぶつけて死んでもおかしくない状況です。20年ほど前は部屋で5人くらいまでならドラムを置いたバンドの練習も楽勝でできるくらいの広さがあったのに、今日では稼働スペースすらほぼないに等しい状態になってしまいました。人のことを笑っている場合ではないですよ。賭けても良いですけどこれを読んでいる人の80%くらいは筆者と同じ境遇もしくは、数年後には同じ状況になる予備軍だと確信します。サァ、皆さん!今年の年末は大掃除だ! 「あぁ!俺は同じCDを何枚買っているんだ!」とか「こんなヘタレなCDを何で買ってしまったのよ!」と思うこともあるでしょう!そんな時こそカケハシ・レコード。心おきなく売り飛ばしてしまいましょう!と頼まれもしないのに宣伝をかましたところでお後がよろしいようで・・・。
さて、日本では年末の風物詩となっている大掃除ですが、海外では年末の大掃除というのはほとんどないのだそうです。日本では一般的に12月28日にその年の汚れを払い、新たな年の歳神様を迎える準備として行うとされており、神社・仏閣では煤払いと称し、本来は旧暦の12月13日に行われていたそうです。これは年末に帰省する奉公人たちの帰省の日数を考慮していたため、年末ギリギリではなく、月半ばあたりに設定されていたのだそうな。
また、昔は煤払いの後、冬の時節と重労働を加味して滋養強壮と長寿を願って「鯨汁(クジラ汁)」が日本各地で食されたことが、数々の川柳や書物、物売りの記録から残されており、その習慣は広く一般に普及していたのだそうです。
現代でこれを全国でやった日にはちょっとした国際紛争になるのは必至かと思いますね。すぐにほら「緑豆」とかいう自然保護団体やらがすっ飛んできて野蛮人扱いされそうだし、オリビア・ニュートン・ジョンも目くじら立てて怒りそうだし(古い!)
まぁ、自分の部屋が置かれている危機的状況から始まり強引に大掃除に展開して行ったわけですが、これを書きながら、ふとさっきから右肘が引っかかっている買ったままになっているCDが無造作に入れられた箱を覗いてみると、我ながら今年も脈略のない買い方をしたものだと、思わず苦笑する一方、「これ、一体いつ買ったのか
とほぼ記憶がないCDが次々と出てきたりして、記憶力の方も危機的状況にあるように思えてきて、苦笑した顔が一瞬にして強張ったりしています。
ただ、見ていると今年は結構ハード・ロックものを多く買った年だったようで、特にブリティッシュもののB級バンドのCDが次々と出てきました。当然、聴くつもりで買ったわけですが、仕事が立て込んだりして、買ったままのものも多く、この原稿を書きながら、ハード・ロックものを集中して聴きました。というわけで今回はハード・ロック系に特化しております。
カケレコで綿々と販売されているところを見るとそれなりに売れているのだろうなぁ、と思われるバンドにSTRIDERてぇのがあります。1st『Exposure』、2nd『Misunderstood』ともに人気があるようです。この連載でも一度取り上げたことがあるかと思います。今回、買ったまま放ったらかしのCD群の中にこのSTRIDERも良いけどこっちもね、みたいなバンドが結構あったので、まとめて行ってみましょう!
まずはHEAVY METAL KIDS。オリジナル活動期にアトランティックから2枚、RAKから1枚リリースしていたバンドです。再発CDはCHERRY REDのLEMONレーベルから出ております。ウィリアム・バロウズの『ノヴァ急報』(Nova Express)に登場するキャラクターから取られたバンド名で’60年代に活躍したDAVE DEE GROUP(正式にはDave Dee,Dozy,Beaky, Mick & Tich。日本でも1968年の「キサナドゥの伝説」がジャガーズにカヴァーされるなど結構人気ありました)のデイヴ・ディーに見出されたバンドでした。LPで持っているのだからそれを聴けば良いものを面倒なのでなくならないうちにCD買っておこう、ってことになり、購入したままになっておりました。こういうことをするから金がなくなります。
なんたって、このバンド、ヴォーカルの故ゲイリー・ホルトンが良い! SILVERHEADのマイケル・デ・バレスとイギリスのほうのMR. BIG(以下:MR. BIG UK)のディッケンを足して2で割ったかのような、ちょっとハスキー、声に艶があって、英国系バッド・ボーイズR&Rの流れを汲んだケレン味たっぷりの歌い方。声に魅力のない奴がやると「死ね!馬鹿野郎」といった感じのクッサい歌い方なのですが、ホルトンの場合、それがセールス・ポイントになっているわけですよ。
ホルトンは1985年10月25日に33歳の若さでモルヒネとアルコールの大量摂取でR&Rな人生の幕を自ら閉じてしまうわけなのですが、実は幼い頃からオペラ、演劇の教育を受けており、少年時代からオペラの舞台に立っていたのでそうです。ロイヤル・シェクスピア・アカデミーにいたこともあるという話ですから、きちんとした声楽教育を受けていたことは間違いないでしょう。その後、ミュージカル「ヘアー」に出演後、ロックの世界に転じたそうです。
まずは1974年リリースの1stアルバム『Heavy Metal Kids』。高校生のときにジャケット裏のメンバー写真がスタンリー・キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』の世界観を再現したかのようなグッとくるヴィジュアルだったもので即購入。当時の言葉で言えば「与太者」の世界です。そんなものに感銘を受けた結果、今こうして「与太者」として原稿書いております。さて、サウンドの方はTHE ROLLING STONESを源流とするバッド・ボーイズR&Rの血を受け継いでおりますが、SILVERHEADなんかと比べるともう少しハード・ロック寄りでタイトな印象。そこにHUMBLE PIEなどのR&B寄りの爆音バンドのエッセンスをふりかけた感じのサウンドです。ただスケール感はあまりなく全体小粒でB級感大盛り。カケレコでCD探す方ならお解りかと思いますが、今となってはそこが良いんです! ちなみにこの1stはキーボードがダニー・ペイロネル。ご存知のようにこの後UFOに引き抜かれ、2ndからはジョン・シンクレアー(彼もまたURIAH HEEPに引き抜かれちゃいますがね)が加入します。
翌’75年リリースの2ndアルバム『Anvil Chorus』はプロデューサーにアンディ・ジョンズを抜擢。1stよりローリング感が増し、ハード・ロック色が若干後退。その分、曲のヴァリエーションが豊富になり、特にバラード曲などはゲイリー・ホルトンのヴォーカルも結構大物感が出ており、アンディ・ジョンズ起用は吉と出た印象を受けます。LEMONレーベルからのCDにはどちらもボーナス・トラックで当時のライヴ・トラックが収録されているのですが、この2ndでは2曲のライヴ曲を収録。内1曲は10分を越える「The Cops Are Coming」。ホルトンのダラダラ、ヌチャヌチャした与太者感満載のMCもしっかり残されており、聴いておく価値はあるかと思います。
ちなみに、この2ndアルバム。当時の英国盤はHEAVY METAL KIDS名義なのですが、米アトコからでたアメリカ盤はTHE KIDS名義になっています。
ビッグ・ヒットとはならなかったものの、ファンベースは確立したバンドだったものの、1976年になるとパンク・ロック・ムーヴメントが勃発。サウンド傾向もへったくれもなく、パンク以前からあったバンドは全部オールド・ウェーヴ。過去の遺物となりました。イギリス人ならではの見事な時代の切り替えがあったため、彼らもその影響を受け、レーベル契約を失いバンドは一気に失速します。そんな彼らを救い上げたのがRAKレーベルのオーナーであり、プロデューサーのミッキー・モストでした。ミッキー・モストの興味はゲイリー・ホルトンにあったことは間違いないでしょう。モストはTHE KIDS(日本では最後までHEAVY METAL KIDSとフル表記されていましたが)を当時ヒット・チャートの常連だったSPARKS、QUEEN、THE SWEETなどと同じ路線に乗せようと画策。ハード・ロック色を大幅に後退、キーボード(特にシンセサイザー)の比重を大幅にアップさせたサウンドを持つバンドに再構築し、1977年に3rdアルバム『Kitsch』を送り出します。1曲目がいきなりシンセサイザー大活躍のエレポップ風インスト曲だったり、全体の印象がSPARKSやパンク・ムーヴメントの中、RADIOSTARSと名前を変えうまく方向転換を図ったJET風だったりと、前2作とは明らかに作風が違うサウンドに変化していますが、ゲイリー・ホルトンは凛としてそのスタイルを崩さず、バックは総取っ替えしたかのようなドラスティックな変化を遂げているにも関わらず、ちゃんとHEAVY METAL KIDSに聴こえるという、凄さを感じさせる一方で、複雑な心境を抱かせる作品となっています。
実際、RAKのモービル・レコーディング・ユニットをフランスのシャトーに持ち込みレコーディングされたものをロンドンに持ち帰りミッキー・モストがミックスを行ったのですが、このミックス・ダウン時にバンドはシャットアウトされ、ミックスはモストのみの裁量で行われたそうです。
ミッキー・モストはSPARKS的な「傾奇者」路線にバンドを乗せたかったのでしょうが、ゲイリー・ホルトンは先にも書いたように「与太者」ですから、これは互いに相容れず『Kitsch』を最後にバンドは解散してしまいます。『Kitsch』は従来からのファンには不評だった半面、前の2枚よりこれが好きというファンも多く存在する落とし所が微妙な作品となりました。筆者も久しぶりに聴いてなんだか居心地の悪さを感じる半面、ボーナス・トラックとして収録された2曲のうちゲイリー・ホルトンが「最後のシングルくらい好きにやらせてもらう」といった感じで、『Kitsch』収録の8曲とは明らかに傾向の違う、従来のHEAVY METAL KIDSサウンドに近いアドレナリン全開のR&Rナンバー「Delirious」をリリースしていたことを知り、そこに秘めた心意気に改めて気付き、かなりグッときました。HEAVY METAL KIDSはベストやコンピ盤等が出ていないようなので、このシングルのみの発売だった「Delirious」が収録されたLEMONからのCDは価値があると思います。
ここまで書いて、HEAVY METAL KIDSがらみの発掘音源とかCD化されていないかとamazonを調べてみると、1977年8月4日のBBCイン・コンサート出演時の音源がダウンロードで販売されていました。CDもあるようなのですが、どうももう在庫なしの状態のようです。アルバム『Kitsch』プロモーション・ライヴといったもので、『Kitsch』収録の全8曲中「Overture」、「From Heaven To Hell & Back Again」、「Jackie The Lad」、「Docking In」を除いた半分の4曲に加え前出の「Delirious」と1stからの「On The Street」を披露しています。これが結構重要でした。アルバム『Kitsch』の押し付けの「傾奇者」路線ではなく1st、2ndの流れをしっかりと継承したHEAVY METAK KIDS然としたサウンドがそこにはありました。同じ曲でもスタジオ録音とこのライヴ・ヴァージョンでは印象が全く異なるのです。時代に翻弄された感はあってもライヴ・バンドとしては全くブレていなかったのです。LEMONレーベルからの再発CDのボートラで収録されたライヴもそうですが、ゲイリー・ホルトンのライヴでの表現力の高さは尋常ではないですね。彼のキャラクターを考えると、仮に生き残っていてもこの時期のポテンシャルはキープできなかったとは思いますが、やはり、死ぬのが早すぎたなぁ、とつくづく思います。
ゲイリー・ホルトンはHEAVY METAL KIDS解散後、1980年からカジノ・スティールと組んでデュオ名義のアルバムを数枚、シングルを大量に発表します。このデュオが彼の生涯最後の音楽活動となるのですが、この時期の音源は『Holton/Steel Anthology』というタイトルで2CD+1DVDのパッケージとして発売されています。一歩間違えば企画物的なレコーディングもあったようで、ギラリと光るトラックもあるものの、全体としては聴いていて悲しくなる曲も多いのですが、デビュー以来のあの与太者感は最後まで貫かれていました。
HEAVY METAL KIDSのゲイリー・ホルトンと同傾向の声質を持つディッケン(ジェフ・ペイン)のMR. BIG UKが英EMIに残した2枚のアルバムに関しては、取り上げられることも多く、今更感が強いのですっ飛ばしますが、MR. BIG UKがイアン・ハンターをプロデューサーに迎え制作したもののお蔵入りしてしまった『Seppuku』(のちにANGEL AIRからCD化)を残し解散した後、ベースのピーター・クロウザーと結成したBROKEN HOMEのほうはあまり取り上げられていないように思うので、今回はこちらを紹介します。
1stアルバム『Broken Home』が発表されたのが1980年。『Seppuku』はお蔵入りしたものの、MR. BIG UKの2ndアルバム『Photographic Smile』からのシングル「Romeo」は発売当初BBCで放送禁止曲に指定されながらもUKシングル・チャートのトップ10に入り、続いてカットされた「Feel Like Calling Home」もシングル・チャート30位台に入ったこと、英盤とはジャケット違い、内容も1st『Sweet Silence』と『Photographic Smile』からのコンピレーションだったアメリカ盤『Photographic Smile』がヒットはしなかったもののそこそこ注目を集めただけあり、ニューウェイヴ全盛の時代ながらそれなりの期待を受けスタートしたBROKEN HOME。
MR. BIG UK時代のテイストを残しながらも、よりポップで、レゲェの要素も取り入れた音楽性に変化しましたが、ハード・ロックの骨格はしっかりと残っており、MR. BIG UK時代から傑出していたメロディに対するこだわりも継承され、聴きごたえのあるアルバムに仕上がっています。レゲェ混じりというとこの時期のバンドとしてはPOLICEがありましたが、やはり、レーベル(イギリスはMERCURY)サイドは、POLICEが切り開いたマーケットを意識した部分は確実にあったと思います。MR. BIG UK時代には中国風のメロディラインをうまくハード・ロック・サウンドに取り込んだアーティストだけあり、このBROKEN HOMEへのレゲェ・テイストの導入もディッケン固有の個性の中で見事に消化されており、レゲェっぽいのはどうも、という方にも納得出来る質の高いサウンドになっています。元々、ハード・ロック・マーケットからの支持を受けていた反面、10C.C.にも通じる非凡なポップ・センスも兼ね備えていたため、折からのNWOBHMムーヴメントに乗れず、かといってニューウェイヴのオーディエンスにも受け入れられず、微妙な立ち位置にあったことは間違いなくアルバム『Broken Home』は大きな成功を収めることができずに終わってしまいます。ただ、こうしたモヤっとした環境に対するフラストレーション解消とも取れるドライヴ感満点のファスト・チューン「Run Away From Home」ような収録曲もあり、その完成度の高いサウンドは逆に今のほうが刺さるように思います。
翌’81年には2ndアルバム『Life』が発表されます。1stではまだそこかしこにMR. BIG UK時代の残り香があったのですが、この2ndになるとそのかすかな残り香も消え、POLICEのフォロワーでもハード・ロックでもない奇妙な屈折感がある文字通りのニッチ・ポップ・ロック・サウンドへと変貌を遂げています。
ディッケンのメロディを紡ぎ出すセンスは健在ですし、あの個性的な声もそのまま。でも、彼の感性とこの作品が世に出た1981年の音楽の傾向がうまく噛み合っていない印象を受けてしまいます。ハード・ロック・ファンがこぞって聴く作品ではないし、’80’sロックのファンに受け入れられそうな作品でもなかった。どのオーディエンスに向けて発せられた音楽なのかがよく分からないサウンドになっているのです。
MR. BIG UK、ディッケン関連の作品は他にもあり、ディッケン名義でMR. BIG UK、BROKEN HOME、ディッケンのソロを網羅したコンピレーション『From Mr Big To Broken Home And Back 1977-2007』はディッケンのソロ名義の楽曲、MR. BIG UKのアルバム未収録曲も侮れないコンピレーションになっていますし、2010年制作のMR. BIG UK名義のアルバム『Bitter Streets』は名義こそMR. BIG UKになっているもののほとんどディッケンのソロ・アルバムと言って良い内容およびラインナップでサウンドもMR. BIG UKの’70年代の作品よりBROKEN HOMEが『Life』で打ち出したサウンドの延長線上にある作品といった雰囲気を持っています。この人もまたその才能に見合う評価を得る前に時代が大きく変化し、時代に取り残された感があります。デイヴィッド・ボウイの「Time」の歌詞みたいですね。
話の枕だったSTRIDERがらみのバンドもあります。NATIONAL FLAG。ちょうど、STRIDERがGMからデビューしたあたりから活動を展開し、1977年まで続いたバンドで、乱暴に言ってしまえばSTRIDERとHEAVY METAL KIDSの真ん中あたりに位置するサウンドを持ったバンドでした。STRIDERのベーシストだったLee Strzelcyzk(すいません、読めませんでした)が在籍し、メンバーだったのかゲストなのかは判りませんがイアン・キューリーも参加しています。解散する1977年に唯一のアルバム『Thank You & Goodnight』を出したと言われているのですが、長年コレクターやっておりましたが、今日に至るまで現物は見たことがありません。
実はこのバンド、1975年に来日し日本でライヴをやっています。伊藤政則さん(以下:大先生“だいせんせい”ではなく“おおせんせい”と読みます)がまだロック喫茶のDJ時代、1974年に渡英し第14回NATIONAL JAZZ,BLUES AND ROCK FESTIVAL(レディング・フェスティヴァル)を観たそうなのですが、この年のレディング、ラインナップが凄くて8月23日金曜日ALEX HARVEY BAND、CAMELを筆頭にHUSTLER、NUTZ、24日土曜日GREENSLADE、TRPEZE、PROCOL HARUM、THIN LIZZYときて今回取り上げているHEAVY METAL KIDSも出演。(大先生の話によれば、ゲイリー・ホルトンの登場の仕方とかステージングとかはかなりカッコよかったそうです。オペラ、演劇の教育を受けていた人なので演出とかに非凡な才能があったのでしょうね)最終日の25日、日曜日はBARCLAY JAMES HARVEST、CHAPMAN AND WHITNEY(STREETWALKERS)、ESPERANTO、FOCUS、そして前年にも出演していたSTRIDERといったアーティストが登場したそうです。大先生、帰国後そのレポートを交えながらDJタイムにSTRIDERをよくかけていたらしいのですよ。
で、1975年にほとんど客が集まらずに終わった、今のFuji Rock Fesとは関係のない富士ロックというのがあり、それを招聘した素人プロモーターがロック喫茶に集まってくるお客さんたちが大先生のプッシュを受け一部で大いに盛り上がっていたSTRIDERの後を継ぐバンドだから呼べとプロモーターを焚きつけたのが発端でNATIONAL FLAG呼んだそうでして。結果、惨憺たる集客に終わったらしいのですが、この時、日本ではもうひとつロック・フェスがありました。内田裕也さんがブチ上げたワールド・ロック・フェスティバル・イーストランドというのが同時期開催されており、こちらは札幌・名古屋・京都・東京・仙台とツアー形式で回るフェスでした。日本からイエロー、四人囃子、カルメン・マキ&OZ、クリエイション、海外からNEW YORK DOLLS、ジェフ・ベックが参加、そしてフェリックス・パパラルディWithジョー(フラワー・トラヴェリン・バンド)最後にパパラルディ、ジョーが内田裕也&1815ロックン・ロール・バンドとタッグを組んだワールド・ロック・フェスティバル・バンドというラインナップ。会場によって日本のバンドが交代、追加とかあったのですが、こちらはジェフ・ベックが出るということもあり、結構話題になっておりました。
そのワールド・ロック・フェスティバル。東京・後楽園球場の前日の1975年8月6日(水)京都・円山公園野外音楽堂。この日は結構激しい雨だったそうで風邪のため体調が悪かったジェフ・ベックは出演をキャンセルしちゃったのですが、この日のトップ・バッターとしてNATIONAL FLAGが出演していたのだそうです。大先生の話によると不発に終わった富士山でのフェスのほうでは、「俺は行ってないんだけどさ、なんかSTRIDERの曲も何曲かやったらしいよ」とのことなので、この京都でのパフォーマンスでもSTRIDERの曲やったのかもしれませんね。
筆者、実は8月7日の後楽園球場に行ったのですが、着いた時にはもうジェフ・ベックのステージが始まっており、「なんでこんな早い時間にジェフ・ベック!」と驚愕。オープニングを見逃しているので色々調べてみると、最初はバトントワラーによるパフォーマンス、次がイエロー、その後がジェフ・ベックとなっているので東京では演奏していないようです。
NATIONAL FLAGが活動した時代はちょうど、従来のスタイルのハード・ロックが徐々に衰退して行って、パンク・ロックの大波に押し流されていく時期でした。しかしながら1975年にはロンドン、マーキー・クラブのレジデンシャル・バンドとして活躍するなど、ある程度のステイタスは築きあげたバンドであっただけあり、唯一のアルバム『Thank You & Goodnight』にアルバム未収録トラックを追加、オリジナル・マスター・テープからリマスターを行い2011年に再発されたCDは’70年代ブリティッシュ・ハード・ロックが好物の方にはかなり刺さる逸品だと思います。インフォが少なくはっきりとした背景は見えにくいのですが、どうも1975年にEMIスタジオ、DECCAスタジオ(このDECCAセッションのエンジニアはニック・タウバー)、フルハムズ・ミルナー・サウンズ・スタジオでレコーディングされたマテリアルをまとめ1977年に発表したようです。
先に書いたようにSTRIDERの流れを汲んだサウンドにR&R、ブギーのエッセンスを振りかけたストレートな音楽性には好感が持てますし、曲もアップ・テンポ、バラードともに良い意味でB級感満載。声質は異なりますが、アップ、ミッド・テンポの曲ではヴォーカルのぶっきらぼうな歌い方がUFOのフィル・モグぽく,フィル・モグがBAD COMPANYをバックに歌っているような曲もあったりと、色々な意味でブリティッシュ・ロックの醍醐味溢れる好盤だと思います。昔から名前だけは知っていましたが、40年近く経ってようやく入手しました。個人的には手に入れてもの凄く得した気分になった1枚でした。
続いては、これも買ったまま放ったらかしにされていたDIRTY TRICKS。これも先のHEAVY METAL KIDSやNATINAL FLAG同様、パンク・ロック・ムーヴメント勃発直前の1975年にデビューした後発組ハード・ロック・バンドです。スコットランド出身、専任ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスの編成からなる典型的なハード・ロック・カルテットで、小手先のトリックなし、思い切りストレート、FREEやBLACK SABBATHを思わせる沈み込むヘヴィネスを信条とするバンドでした。
1975年初頭にロンドンのクラブ・サーキットに登場し、同年デビュー作『Dirty Tricks』を発表。プロデューサーはDEEP PURPLE等を手がけたロジャー・ベイン。アルバム発表後、BUDGIE、ARGENTといったバンドのサポート・アクトとしてツアーを決行。翌、’76年には2ndアルバム『Night Man』をリリースします。バンドのセルフ・プロデュースでしたが、注目すべきは、スペシャル・サンクスの欄にトニー・ヴィスコンティの名前があるところ。プロデュースではなく彼のスタジオを貸したことに対するクレジットのようですが、それまでT-REX、デイヴィッド・ボウイ、GENTLE GIANT、BAD FINGER、STRAWBS等を手がけてきたヴィスコンティにとっては初のゴリゴリのハード・ロック・バンドとの関わりとなった点は見逃せません。この後、ヴィスコンティはTHIN LIZZY黄金期の『LIVE AND DANGEROUS』、『BAD REPUTATION』、『BLACK ROSE』を手がけることを考えると、このDIRTY TRICKSとの関係がひとつのきっかけになっているのかもしれません。
サウンド的にはロジャー・ベインが手がけた1stと比べるとより奥行きが広くなり、B級感は否めませんが全体のダイナミズムは大きく向上しています。因みにこの『Night Man』のアートワークは見ればわかると思いますがヒプノシスが担当しています。ついでに裏面のバンド写真はミック・ロックが撮影した写真が使われており、バンドとしては確実にステップアップしていたことが判ります。
日本でも当時彼らのLPは発売されていましたが、日本デビュー作は、英国盤ではなく、アメリカのPOLYDORが発売した『Night Man』を原盤としているため、『Night Man』のアートワークを使っているものの内容は英国盤の『Night Man』収録曲から「Weekend Raver」、「Fun Brigade」をカットし1stからの「Wait Til Saturday」、「Too Much Wine」に差し替えた一種のコンピレーションとなっており、アナログでご所望の方は注意が必要です。
さて、『Night Man』発表後、DIRTY TRICKSはパンクの嵐が吹き荒れるイギリスを離れ、アメリカに渡りCHEAP TRICK、BOB SEGAR等のサポートとして全米ツアーを敢行。このアメリカ・ツアーで得た経験を踏まえ、1977年に3rdアルバム『Hit And Run』をリリース。前2作のミッド・テンポ主体から、スピード感溢れる曲を要所要所に配置したことによりメリハリのはっきりしたハード・ロックへと変化していきます。ブリティッシュ・ハードのアイデンティティーをキープしながらもアメリカ市場とFM局を強く意識したサウンドへとシフトしているのです。
『Hit And Run』でDIRTY TRICKSが打ち出したサウンドは、従来のブリティッシュ・ハード・ロックよりも後に出てくるNWOBHMのバンド群が持つ疾走感に近いものを感じます。NWOBHMはパンク・ロックやニュー・ウェイヴに対するカウンター・ジーンみたいな認識が強くありましたが、このDIRTY TRICKSの最終作を聴くと、パンクやニュー・ウェイヴ全盛の空気の中、ハード・ロック・バンドもパンクのその刹那的な疾走感や瞬発力に影響を受ける一方でアメリカのハード・ロックからも強く影響を受けていたのだ、というのが良く解ります。
結局、バンドはこの3rdアルバムを残し解散。ヴォーカルのケニー・スチュワートを除く3人はBLACK SABBATHを脱退したオジー・オズボーンとリハーサルを開始するも、結局、オジーはBLACK SABBATHに戻ったため、このプロジェクトは幻と終わります。
現在市場に流通しているCDにはそれぞれ、ライヴ・トラックが追加収録されており、このCD化の際のボーナス・トラックを聴くと、どうもB級感が強く、ちんまりとした印象が強かったDIRTY TRICKSがライヴでは結構ダイナミック、かつスタジオ盤ではあまり感じることのできなかったスピード感も持ち合わせたバンドだったことが判り興味深いものがありました。特に、ギターのジョン・フレイザー・ビニーはスタジオ盤でのプレイよりも遥かに速弾き度が強く、かなりトリッキーなソロもこなせるギタリストだったことが解ります。
『Hit And Run』のボートラとして1976年サンアントニオでのライヴからTHE KINKSの「You Really Got Me」のカヴァーが収録されているのですが、これもう少し演奏をタイトにまとめギターをもう一段階トリッキーにするとほとんどVAN HALEN。もちろん、VHよりもこちらが先ですから、どこかに接点があったのでしょうかね?
ジョン・フレイザー・ビニーは’80年代に入りヘヴィ・メタル・ムーヴメントの後半に登場したROGUE MALE、ベースのテリー・ホーベリーはVARDISに加入、ドラムスのアンディ・バーンもGRAND PRIX等で活躍しました。
さて、今月の1枚です。最近カケレコでいっぱいお金使っちゃったもので、あんまりCD店に行っていなかったのですが、久々にDUさんに行ったら、これまた久々にジョン・レノン&ヨーコ・オノの作品が、海外盤の紙ジャケットで再発になっていまして、リーズナブルな値段だったので買ってしまったわけです。通称『Two Vorgins』、正式には『Unfinished Music No. 1. Two Virgins』(ジョン・レノンのちょっと仮性っぽいオチンがモロに写っているあれ)とか『Unfinished Music No. 2: Life With The Lions』とかTHE BEATLESコレクターのおじさん、おばさんたちが意地でオリジナルを買うけど、でもほとんど聴かない一連の作品群です。へへへへ。で、今回はYoko Ono『Plastic Ono Band』を紹介したいと思います。
話は飛びますが、筆者は父親が映画の美術監督だったため、勤め先の撮影所があった関係で、撮影所に近かった私鉄、京王線の都下の調布市に家がありそこで育ちました。調布にはDという映画会社とNという映画会社の撮影所、ふたつの大きな映画会社のスタジオがありました。うちの父はNのほうの美監だったので、筆者は大学生の頃、父の伝手で撮影所で今でいうところのアシスタント・デイレクターというと聞こえは良いですが、まぁ、パシリのようなバイトをしていました。
その頃は、日本映画界は低調でいくつもあった広大なスタジオはTVドラマ、バラエティの収録やCM撮影に使われることがほとんどで、映画のほうはロマンなんとかを撮っているくらいだったのですが、石原プロがTV撮影で使っていた関係で、撮影所の食堂で昼食を摂っていると隣で故・松田優作さんや寺尾聡さんが和んでいるという環境でした。筆者はCM撮影のステージ付きになることが多かったのですが、2週間に一度、TVのバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の収録があり、これのスタジオ付きもやっており、生キャンディーズを毎度見ているという今考えるといい環境にあったのですが、その頃はアイドルとかまったく興味なくて、さすがに可愛いなぁ、程度の印象しかなかったわけです。
この話がジョン・レノン&ヨーコ・オノとどう繋がるかと言いますと、まぁ、その調布で育って普通の公立中学に通っていたのですが、この中学がけっこうユルい校風の中学でして、お昼休みの時間とか放送委員会の委員が持ち回りでディレクターをやって各自が持ち寄った音楽を校内放送でかけるわけです。まぁ、ほとんどがクラシックとか今でいうJ-Popの走り(その頃はまだニューミュージックなんて言葉も生まれていなかっと思います)みたいなものをかけるのがほとんどだったのですが、一学年上にIさんという筋金入りのロック・ファンがおりまして、彼が担当する日はオープニングがCCRの「Bad Moon Rising」でかけるレコードも硬派なロックが多かったわけです。I先輩このお昼の放送にけっこう命かけているところがあり、筆者は楽しみにしていました。
I先輩はそうやって昼の放送にこだわりを持っていたため、小遣いをレコード買うためにセーブしまくり、デパートの輸入盤バーゲンとかあるとこまめに通い、昼休み放送のためにレコードを買っていたわけです。ある日、I先輩、新宿のデパートの輸入盤バーゲンで、念願のジョン・レノン『ジョンの魂』を1000円以下でゲットできたと、喜んで家に帰ったら、裏をよく見ず買ったものでそのLP実は、ヨーコ・オノ『Plastic Ono Band』だったわけです。I先輩、相当落ち込んだそうなんですが、買ってしまったものはしょうがない、ということで、よせば良いのに校内放送でかけてしまったのですね。長閑な中学校の昼休みに・・・。
いつものようにオープニングの「Bad Moon Rising」が流れ、「今日は小野洋子さんの『Plastic Ono Band』を聴いていただきます」てな感じで番組がスタートした数十秒後に全校大パニック! 1曲めの「Why」が完奏しないうちに血相変えて放送室に駆けつけた教師によってテープは止められ、多分、昼の放送始まって以来の番組中止となりました。
不謹慎だと思いつつも、このアルバムを聴くと顔が緩み独り笑いが止まりません。聴いたことないですか? PLASTIC ONO BAND=ELEPAHNT MEMORYの演奏はヘヴィなファンクで良いですよ。ぐふふふふ。
英ハード・ロック・グループ、75年にPOLYDORよりリリースされたデビュー作。プロデュースは、サバスやバッジでお馴染みのロジャー・ベイン。中域寄りのコシのあるトーンで引きずるようなリフからジミー・ペイジばりのキャッチーなリフまで縦横無尽なギター、タメの効いたタイトなリズム隊、そしてハイ・トーンのシャウトがエネルギッシュなヴォーカル。小細工いっさいなしで、鋭角なフレージングでスピーディーに畳みかけるパートからタメの効いたヘヴィなパートまで緩急自在にビシっと決める正当派ハード・ロック。
廃盤希少!!世界初CD化規格、定価1699+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
軽微なカビあり、その他は状態良好です
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