2024年8月9日 | カテゴリー:ライターコラム,世界のジャケ写から 舩曳将仁
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以前にもどこかで書いたことがあるように思うけど、幼いころから親しんできた大阪弁が、自分の子どもたちに通じなくなってきている。例えば、「さぶいぼが出る」(=鳥肌が立つ)、「にぬき」(=ゆで卵)、「ミがはいる」(=筋肉痛になる)などの大阪弁は、子どもたちに通じない。大阪弁については、牧村史陽による大著『大阪ことば辞典』というのがあるが、それを見ると自分の世代でも使わなくなっている大阪弁が多くある。方言が廃れていくのは仕方がないことかもしれないけれど、少し寂しい想いもある。
つい先日、また子供に通じない大阪弁を発見した。それが「ちーすいがっぱ」だ。漢字で書くと「血吸い河童」となるのかな。いったい何のことかとお思いでしょうが、「カブトエビ」のことです。といっても、都会育ちの人は「カブトエビ」自体を知らないかも。それは米作りの時期の水田に発生する生き物で、「生きた化石」とも呼ばれるが、形は結構グロテスク。名前に反して血は吸わない。体を裏返すと赤いところが血を連想させるからか、「ちーすいがっぱ」と呼ばれていたのだ。田んぼに水をはる時期になると大量に発生する「ちーすいがっぱ」、子どもの頃に捕まえまくり、家で飼育しようと持ち帰るがエサもわからず、飼育ケースの中で大量に死んでエライことになった思い出も。ところがこの「ちーすいがっぱ」、『大阪ことば辞典』に載っていない。あれ? 大阪弁とも違うのかな?
血を吸うといえばドラキュラ。そして『吸血鬼ドラキュラ』の小説を書いたのが、アイルランド出身の小説家ブラム・ストーカー。ということで、今回はこの小説家の名をバンド名にしたBRAM STOKERを紹介しようかとおもてます。ほな、いきまっせ~。
BRAM STOKERが結成されたのは1969年の夏、場所はイギリス南部の都市ボーンマス。きっかけになったのは、SHADOWSのジェット・ハリス(b)を中心としたプロジェクトだった。そのために別々のバンドで活動していたメンバーが集められる。メンバーは、ソウル・バンドのRENAISSANCE FAREに在籍したハモンド・オルガン奏者のトニー・ブロンズドン、CRESCENDOES、TRAPPERS、FREEDOM VILLAGEなどのバンドで活動していたギターのピーター・べラム、同じくFREEDOM VILLAGEのメンバーだったドラマーのロブ・ハイネスという3人。ところがジェット・ハリス自体が興味を失ったことで、計画が動き出す前に同プロジェクトは中止してしまう。残されたメンバーは、新たなバンド結成へと動き出すことに。彼らは友人のベース奏者ジョン・バヴィンを誘い、BRAM STOKERを結成したのだった。
彼らはボーンマスや近隣の都市プールを中心にライヴ活動を開始。『吸血鬼ドラキュラ』の作者の名前をバンド名にしたことからもわかるように、ゴシックな雰囲気やオカルトのテーマなど、さすがは1969年のイギリス・アンダーグラウンドだといえるオリジナリティを築き上げていく。
1969年8月29日、彼らはボーンマス・パヴィリオンでTHE WHOのライヴをサポートする。THE WHOのロジャー・ダルトリーがBRAM STOKERのことを気に入り、ロジャーの家で6曲のデモを録音した。ところがTHE WHOがアメリカ・ツアーに出てしまい、彼らのデモ音源は保留となってしまう。
BRAM STOKERは再びライヴ中心の活動を行ない、YES、CARAVAN、GENESIS、T-REXなどをサポート。同じくアンダーグラウンドで活動していたMAY BLITZ、BLONDE ON BLONDEなどとも共演している。
次にBRAM STOKERへ興味を示したのが、DEEP PURPLEを手掛けたことで知られるデレク・ローレンスだった。彼の計らいでロンドンのデ・レーン・リー・スタジオで数曲を録音。エンジニアは後にプロデューサーとしても名をはせるマーティン・バーチだったというからナカナカに豪華だ。しかし、この絶好の機会も実を結ばなかった。
さらにトニー・カルダーがBRAM STOKERに注目し、トニー・チャップマンをプロデューサーにしてモーガン・スタジオでレコーディングを行なった。そしてついに、ウィンドミル・レーベルから『HEAVY ROCK SPECTACULAR』というタイトルでBRAM STOKERのデビュー・アルバムが発売となった。ところが、メンバーはほぼ関与できなかったようだ。
ピーター・べラムがノドの不調のために脱退し、デイヴ・スタッフォードが加入する。続けてジョン・バヴィンも脱退。新たにトニー・ロウが加入する。以降も次々とメンバー・チェンジが起こり、1972年の終わりにはオリジナル・メンバーがトニー・ブロンズドンだけになってしまい、ほどなく解散することになった。
これだけ事情が分かってきたのも、最近になってネット上で情報が拾えるようになったからで、それまで『HEAVY ROCK SPECTACULAR』は、幻のバンドによる幻のアルバムと化していた。1997年には、タイトルを『SCHIZO-POLTERGEIST』に、ジャケット・デザインも変更してオーディオ・アーカイヴスが再発CD化。その影響もあっただろうか、2004年にピーター・ベラムが中心になってオリジナル・メンバーを呼び集め、BRAM STOKERとして2作目のアルバム制作を目指すが、これは軌道に乗らなかった。
2007年、今度はトニー・ブロンズドン主導でBRAM STOKER再結成に動き出し、ジョン・バヴィン、パット・フリン(g)、ピート・ランブル(ds)というメンバーが固まる。彼らは唯一作に2曲のボーナス・トラックを加えた『ROCK PARANOIA』を発表する。2009年にはジョン・バヴィンが脱退してオーストラリアに移住。パット・フリンとピート・ランブルも脱退し、再びトニー・ブロンズドンだけになってしまう。彼はオリジナル・ドラマーのロブ・ハイネスを誘い、またハーヴェイ・コール(g,b)を加えたトリオ編成でBRAM STOKERの活動を継続させるが、2012年には活動を停止してしまう。
何度目かの再結成に挑んだトニー・ブロンズドンは、マルチ奏者のトニー・ロウ、シンガーのウィル・ハックという新たなトリオでレコーディングを行ない、2014年にBRAM STOKERの2作目となる『COLD READING』を発表した。2017年にはトニー以外のメンバーをニール・リチャードソン(g)、ウォーレン・マークス(ds)と彼の妻のジョセフィン・マークス(b)に交代し、EP『BETE NOIRE』を発表。2019年には3作目となる『NO REFLECTION』を発表し、以降もライヴを中心に活動している。
BRAM STOKERの再結成に参加しなかったピーター・ベラムは、2018年にソロ名義&自主制作で『RELICS & ROGUES』を発表。同作には、1975年に『STRANGE FLAVOUR』を発表しているAGNES STRANGEのジョン・ウェストウッド(g)、ダイヴ・ロッドウェル(ds)が参加。ジョンは作曲面でも貢献している。さらに新旧の曲で構成された『MANIC MACHINE』も発表している。
さて、BRAM STOKERのデビュー作『HEAVY ROCK SPECTACULAR』だ。女性のアップをサイケデリックにデザインしたジャケット。シンプルだけどホラーの雰囲気もあって、バンド名ともイメージが繋がっている。たぶん、けっこうな美人だと思うんだけど、それがまた想像を掻き立てる。再発CD『SCHIZO-POLTERGEIST』のジャケットは、ゴシック調の建物を写していて、それも悪くはないんだけど、妖しさという点ではオリジナルのジャケットに軍配を上げたい。音楽的にはハモンド・オルガンを活かしたハード・ロック。ジャケットも音も、あの時代のブリティッシュ・ロック特有のものといえる。ここではジャケットの雰囲気にもピッタリの、アルバムのラスト曲「Poltergeist」を聴いていただきましょう。
それではまた世界のジャケ写からお会いしましょう。
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