2020年4月24日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
タグ: 米SSW
目次
1、ジェイムス・テイラー
2、キャロル・キング
3、ニール・ヤング
4、ジャクソン・ブラウン
5.ジョニ・ミッチェル
70年代のシンガー・ソングライター時代の幕を開けたのは、ジェイムス・テイラーでした。
ジェイムスが歌った「Fire And Rain」が、60年代をくぐり抜けて疲弊した人々の心を癒したのです。
ジェイムスがこの曲をリリースするまでを見ていきましょう。
ボストンで生まれたジェイムス・テイラーは、60年代半ばにニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにて、少年時代からの友人ダニー・コーチマーたちとフライング・マシーンというバンドを組んでいました。
しかし、ジェイムスのドラッグ癖などもありバンドでデビューするには至らず、心機一転イギリスで音楽をやろうと海を渡ります。
ダニー・コーチマーから紹介されたピーター・アッシャーを頼ってアップルと契約、68年12月に1st『ジェイムス・テイラー』をリリースしましたが、当時ビートルズが解散しそうな時期でレーベルが混乱しており、プロモーションがあまり出来なかったこともあって、セールスは振るいませんでした。
デビュー作の不発、そして常習化したドラッグの問題や子供時代の友人の自殺などがあり、ジェイムスは絶望を味わい、69年にアメリカへと戻ります。
再出発をしようとピーター・アッシャーとともにロサンゼルスに移り住んだジェイムスは、69年10月にワーナー・レコードと契約を結びます。
12月から2作目のレコーディングを進め、70年2月、『スウィート・ベイビー・ジェイムス』をリリース。8月にシングルカットされた「Fire And Rain」がじわじわと大ヒットし10月には全米3位となり、『スウィート・ベイビー・ジェイムス』は実質的なデビュー作となりました。
「Fire And Rain」を聴いてまいりましょう。
火も雨も見てきた
いつまでも続くような幸せな時もあった
友だちを見つけられず孤独な時もあった
だけど君にいつかまた会えるといつも思っていた
「Fire And Rain」
「Fire And Rain」は、ジェイムスが少年時代に精神を療養していた際に知り合った友人、スザンヌの死を歌ったとされる楽曲です。
英国でデビューしていたジェイムスを友人たちが気遣い、ジェイムスにスザンヌの死の知らせが届いたのは、彼女が亡くなって半年後でした。
アップル・レコードでの挫折や、自身の精神疾患や薬物中毒など、まさに「火や雨」の中を生きてきたジェイムス。
そんな混乱のなか、さらに大切な友人を失ってしまい、どうしたら良いのか分からない…という絶望や戸惑いの心情がそのまま歌になったような楽曲です。
そんな悲しい歌詞ですが、サウンドはこれ以上なく穏やかです。
繊細な心の動きがそのまま弦を弾いているような、細やかな指使いのアコースティック・ギター。キャロル・キングが奏でる必要最低限のピアノ、ダブル・ベースの落ち着いた響き、安定したリズムを刻むドラム。
すべてがジェイムスのボーカルにそっと寄り添い、この悲しい歌を心地よい響きへと作り上げています。
ジェイムス自身の心を癒すとともに、60年代をくぐり抜けて疲弊した人々の気分に、実にぴったり合った楽曲だったのでしょう。
ジェイムス・テイラーと互いに交流しながら、シンガー・ソングライターへと羽ばたいていったのがキャロル・キングです。
キャロル・キングは、作詞家である夫、ジェリー・ゴフィンとともに10代の頃からプロの作曲家として活躍していました。
「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」「ロコ・モーション」など次々とヒットを飛ばし、ラジオでゴフィン&キング作の曲が流れない日はないくらい、人気を博しました。
ところが、64年に米国に上陸したビートルズが一世を風靡すると、その人気に翳りが出はじめます。
62年にデビューし時代の寵児となっていたボブ・ディランの影響もあって、自分で曲を作って歌うシンガーが多数出てきたのです。
プロのソングライターが用意した歌をアイドルが歌う時代から、アーティスト自ら楽曲を作り演奏する時代へと変わっていきました。
キャロルとジェリーの2人は別れることとなり、68年3月、キャロルは生まれ育った東海岸を離れてカリフォルニアへと移り住みます。
職業作曲家からシンガー・ソングライターへの転身を試みようとするのです。
68年、キャロル・キングはバンド「シティ」を結成し、唯一のアルバム『夢語り』を発表しました。
この作品は、キャロルがステージ恐怖症でプロモーションが十分に出来なかったため売れ行きは良くありませんでしたが、この時のメンバー、ダニー・コーチマーとチャールズ・ラーキーとはその後も共に演奏することとなり、チャールズとは公私ともにパートナーとなりました。
また翌年の69年、ロサンゼルスのピーター・アッシャー宅でジェイムス・テイラーとキャロル・キングは会って親しくなっており、その後も長く友人関係を続けることとなります。
ジェイムスとキャロル周りの温かい人間関係が築かれていき、それは作品にも影響をし始めます。
70年秋には、ジェイムス・テイラーのコンサート・ツアーにバックバンドとして参加していたキャロルが、初めて人前で歌うこととなります。
ジェイムスが公演の中で、聴衆に「『ロコモーション』を書いた人だよ」と紹介し、キャロルを表舞台に立たせたのです。
ステージ恐怖症のキャロルは大変緊張したようですが、歌い終わったあと客席からは温かな拍手が送られ、シンガー・ソングライターとして人前に立つという大きな階段を上る事が出来たのです。
その時に歌ったのが、70年の『ライター』に収められた「Up On The Roof」です。
この古い世界が私を落ち込ませるとき
誰にも会いたくなくなった時
私は階段を上っていく
すると、心配事は宙に消えていく
屋根の上は、とても穏やかで
心を煩わすことは無い
(略)
だからあなたも辛くなったら
2人座れるから
屋根の上に来てごらん
大丈夫だから
「Up On The Roof」
もとはドリフターズが歌った楽曲のセルフ・カバーであるこの楽曲。『ウエスト・サイド物語』からインスピレーションを受けたジェリー・ゴフィンが歌詞を書き、キャロルが曲をつけたものです。
ジェイムスのコンサートや、70年という時に歌われたことを考えると、喧騒から離れて自分や身の回りを見つめた時、手に届く大切な友人との関わりの温かさが身に染みてくる、そんな楽曲に聴こえてきます。
そしてキャロル・キングは、翌年1971年2月に、『つづれおり』をリリース。
アルバムから「You’ve Got A Friend(君の友だち)」を聴いてまいりましょう。
落ち込んで苦しいとき
優しい思いやりが必要なとき
何もかもがうまくいかないとき
目を閉じて、私を思い出して
すぐに行くから
あなたの暗い夜を明るくしてあげる
「You’ve Got A Friend(君の友だち)」
10代から音楽業界で揉まれ、結婚し子を産み離婚し、仕事を無くし、生まれた土地を離れてロサンゼルスにたどり着いたキャロル。
激動の時を経て、ふと周りを見渡したときにあったのは、心の通じる友人の存在だったのではないでしょうか。
またこの曲は、「友だちを見つけられず孤独な時もあった」と歌ったジェイムス・テイラー「Fire And Rain」へのアンサー・ソングとも言われています。
ジェイムスとキャロルの温かな交流が感じられる楽曲です。
71年5月、ジェイムス・テイラー『マッド・スライド・スリム』から「You’ve Got A Friend(君の友だち)」がシングルカットされると、全米のヒットチャートで1位になり、シンガー・ソングライター・ブームが到来します。
ジェイムス・テイラーやキャロル・キングと同じ時期に、シンガー・ソングライターの金字塔とも言える作品『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をリリースしていたのが、ニール・ヤングです。
カナダ出身のニール・ヤングは、ロサンゼルスに出てきてからバッファロー・スプリングフィールド結成を経て、69年からCSN&Yの一員として活動します。
4人のスターによるスーパー・グループとなったCSN&Yは、70年に『デジャ・ヴ』という傑作をリリースし、世界的な人気を獲得。
メンバーそれぞれが独立しつつ調和し、豊かなハーモニーを奏でるというグループ形態は、「人々が「個」として存在しながら争うことなく調和する」というウッドストック世代の理想にかなっており、まさに時代の精神を体現したグループでした。
しかし、それぞれ才能あるメンバーだった4人はまとまりを欠き、やがて空中分解となってしまいます。
その後ニール・ヤングは、『デジャ・ヴ』から約半年後に『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をリリースします。
タイトル曲を聴いてまいりましょう。
1970年代、母なる自然が逃げ出して行く
私は焼け落ちた地下室に横たわって
満月を見ていた
「After The Goldrush」
60年代という狂騒の時代が過ぎ、理想が崩れて燃え付きてしまった後の、虚無感や孤独感。
そして、自分と折り合いをつけること、人と分かり合うことの難しさなども歌われており、共に生きることが叶わない人間の姿が浮き彫りになっています。
70年から遠く離れた今でもリスナーの心に響いてきます。
ニール・ヤングと同じ西海岸で、より内省的に自己を見つめた作品をリリースしたのが、ジャクソン・ブラウンです。
カリフォルニア育ちのジャクソン・ブラウンは、ソングライターとしてまず世に知られ、やや遅咲きのデビューをしました。
72年にアサイラム・レコードからリリースされた1stから、「Doctor My Eyes」を聴いてまいりましょう。
先生、私の目は泣くことなしにずっと見てきたのです
恐怖のパレードがゆっくりと過ぎゆくのを
今では理解したいと思います
私は出来うる限りのことをしてきました
隠れずに善と悪とを見つめるために
出来るなら、助けてください
先生、僕の目は
何がおかしいのでしょうか
—————-
私はこの世界をずっとさまよっていたのです
その時々で目が開けるようでしたが
この夢が覚めるのをずっと待っていました
人々は行きたいところへ行くのです
こんな風に思うまで気づきませんでした
もう遅かったのです
「Doctor My Eyes」
人生が過ぎ去っていき、物事が手遅れとなってしまった、その喪失感や焦燥感が感じられます。
ジャクソン・ブラウンの楽曲には、いつも少年のように純粋で真っ直ぐな苦悩が綴られています。
静かな哀しみをたたえたようなメロディと、耳に残って消えない独特な粘りある歌い回しによって、しみじみと心に響いてきます。
カナダで生まれたジョニ・ミッチェルは「早すぎたシンガー・ソングライター」とも言える存在で、変則チューニングによるミステリアスな音展開と、大胆さと繊細さを持ち合わせた歌詞で60年代後半から名盤をリリースしていました。
トロントでフォーク・シンガーとしてスタートし、67年にニューヨークに来ていたジョニ・ミッチェルは、ジュディ・コリンズやトム・ラッシュが彼女の楽曲を取り上げたことで名が広まり、やがてバーズを脱退したデヴィッド・クロスビーに見いだされてロサンゼルスでデビューします。
デヴィッド・クロスビーをとりこにさせた独特のギターとコード進行、そして瞬間瞬間に移り変わるカナダの美しい大自然、学生時代より才能を発揮していた絵画の影響が伺える、感情や情景を色鮮やかに綴った歌詞が素晴らしく、当時のフォーク・シンガーの中でひときわ異色の存在でした。
そんなジョニ・ミッチェルが、60年代という狂騒の時代を終え、数々の恋愛やヨーロッパへの旅行からインスピレーションを得て制作したのが71年の『ブルー』です。
アルバムの冒頭曲「All I Want」聴いてまいりましょう。
私は孤独な道を旅をしている
旅をしている
何かを探しているのだけど
それがいったい何になるのだろうか
あなたを憎んでいる
愛している
自分を忘れていられる時だけ
愛している
—————-
強くなりたい
笑い合いたい
生きることに自分を捧げていたい
生きてるんだと感じたい
起き上がってジャイブして踊りたい
ジュークボックスにダイブして
ストッキングなんて破ってしまいたい
「All I Want」
色々なことがあって、今は一人で道を歩いている。孤独だけれど生きるエネルギーに満ちていて、一人の人間として立っている。そんな、自由な個人のあり方が感じられます。
ジョニ・ミッチェル『ブルー』はキャロル・キング『つづれおり』ジェイムス・テイラー『マッド・スライド・スリム』と同時期にレコーディングがされており、それぞれが演奏で参加しています。
『ブルー』においてはジェイムス・テイラーがギターを弾いており、ジョニの歌に寄り添いつつ、洗練されたリズム感をもたらしています。
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