2020年3月18日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ,日々是ロック
こんにちは。スタッフみなとです。
今日は、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで活躍したSSWやバンドを聴いてまいります。
グリニッジ・ヴィレッジは、20世紀初頭からアメリカのカウンターカルチャーの中心地でした。
40年代はジャズ、50年代はビート・ジェネレーションのたまり場、そして60年代からはフォーク・ミュージックの発信地となっていきました。
特に、フレッド・ニールのアルバムのタイトルにもなったブリーカー・ストリートとマクドゥガル・ストリートには、沢山のカフェやミュージック・クラブが軒を連ね、若く才能溢れるアーティスト達が演奏していました。
今日はグリニッジ・ヴィレッジ出身のアーティストの作品を聴いてまいります。
まずはこちらから。
グリニッジ・ヴィレッジでカリスマ的存在だったのが、フレッド・ニール。
オハイオ州に生まれ、50年代後半にニューヨークに流れ着き、グリニッジ・ヴィレッジで歌うようになりました。
ボブ・ディランやジョン・セバスチャン、カレン・ダルトンなど多くのシンガーに影響を与えました。
低く深みある歌声と12弦ギターで奏でられる心地良く仄暗いサウンドは、後のアシッド・フォーク・シンガーにも繋がる魅力があります。
それでは、フレッド・ニールに影響を受けたシンガーたちを見ていきましょう。
フレッド・ニールに影響を受け、当時ディランとも並び称されたSSW。
フォーク・ロック・ブーム以前から60年代の前半にエレクトリック・ギターでブルースを弾き語っており、その斬新な音楽スタイルは異彩を放っていました。
どこか哀しみをたたえたような歌声、ジャズやブルースを融合させた洗練されたサウンドが素晴らしいです。
妻子への愛を多く歌っていましたが、戦地で覚えたドラッグから抜け出せず、悲劇の死を遂げています。
フレッド・ニールの1stでハーモニカを吹いていたのが、ジョン・セバスチャン。
そのジョン・セバスチャンを中心としたグループが、ラヴィン・スプーンフルです。
ジョンは生粋のニュー・ヨークっ子で、10代はじめの頃からグリニッジ・ヴィレッジに出入りしていたそうです。
ブリティッシュ・インヴェンション真っ只中の65年、まるで時代に逆行するように米ルーツ・ミュージックを独自の軽快なポップ・センスで奏でています。
その素朴で温かなサウンドはまさに「グッド・タイム・ミュージック」。
ラヴィン・スプーンフルの中心人物、ジョン・セバスチャン。
アメリカの古き良き音楽とロックを融合したサウンドを作り出し、柔らかい歌声で人々を魅了しました。
こちらの71年作では、旅の思い出を記した17分の組曲「The Four Of Us」が聴きごたえたっぷりです。
スティール・パンが響くカリビアン・ナンバーやDR.JOHNのピアノが転がるR&Rナンバーなど、くるくると変わる心地良い音の奔流に身を任せていると、こちらも旅をしているような気分になります。
ジョン・セバスチャンがよく演奏していたのが、グリニッジ・ヴィレッジの「ナイト・アウル・カフェ」でした。ここからは、そこで音楽を奏でていたミュージシャンたちの作品を聴いてまいります。
「ナイト・アウル・カフェ」出身で、1969年に唯一の作品を残して解散したグループ、フィフス・アヴェニュー・バンド。
ラヴィン・スプーンフルのギタリスト、ザル・ヤノフスキーが共同でプロデュースしています。
フォーク・ロックにジャズやソウルをまぶしたその軽快で洒落たサウンドは、69年とは思えません。
ニューヨークらしい気品に満ちた、瑞々しく歌声溢れる傑作です。
フィフス・アヴェニュー・バンドの中心人物だったのが、ピーター・ゴールウェイ。
山下達郎はじめ日本のミュージシャンをも魅了したSSWで、こちらは97年2月ニューヨークの教会で行われたライヴを記録した作品。
フォーキーな中にも洗練されたソウル・フィーリングが光るサウンドで、ライヴ盤ならではの臨場感もたまらない一枚です。
ジェイムス・テイラーも「ナイト・アウル・カフェ」で演奏していました。
ボストン生まれのジェイムス・テイラーは、当時旧友のダニー・コーチマー等とフライング・マシーンというバンドを結成していました。
ピーター・ゴールウェイともお互いに刺激し合っていたらしく、ジェイムスのギターやサウンドに聴きとれる黒人音楽のエッセンスは、グリニッジ・ヴィレッジ時代に既にあったようです。
こちらの70年作は西海岸に移ってからのものですが、その洗練されたモダンなサウンドは東海岸らしさが漂っています。
狂騒と革命の60年代の果て、内省の70年代、即ちシンガー・ソングライターの時代を、静かなアコースティック・ギターを爪弾きながら、高らかに告げた金字塔的大名作。プロデューサーにPeter & GordonのPeter Asher。コンビ解散後はBEATLESのアップル・レーベルで新人発掘の仕事を始め、初めて契約を交わしたのがJamesだったのです。結果としては、7曲目に収録されている「FIRE AND RAIN」のヒットをきっかけに彼を一躍スターダムへと導くのですが。特筆すべきことは彼の作品世界が、ボーイ・ミーツ・ガールでもなく、直接反戦を問うプロテスト・ソングでもなくて、個人の何気ない日々の生活感情を吐露した、個々の内面描写に、その表現欲求を照射していたこと。ごく個人的な感情ほど多くの人々の胸を打つという、新しい形のシンガー・ソングライター像を、優れたギターの表現力を通して描き出していたことが重要なのです。個人心象に長けた歌には、必然的にNYMN(聖歌)のような救済が含まれ、柔らかいカントリーのフレイヴァーを基調にブルース、R&B、黒人霊歌、ブルーグラスといったアメリカン・ルーツ・ミュージックと絡ませながら、巧みなバランス感覚と都会的センスによって息づいています。大切な時間に、そっと耳を傾けたい。そんな一枚です。
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