プログレッシヴ・ロックの中古CD豊富!プログレ、世界のニッチ&ディープな60s/70sロック専門ネットCDショップ!

プログレ、60s/70sロックCDのネット通販/買取

24時間以内発送(土・日・祝は翌営業日)、6,000円以上送料無料

「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ」 第二十一回: どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉 文・市川哲史

第二十一回: どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉



たったひとりでロバート・フリップに立ち向かった男、ゴードン・ハスケル物語の続きである。どれだけ需要があるのか不安だが、気にしない。だってキング・クリムゾンに対して、世界で唯一ネガティヴなOBなのだから。

ハスケル1990年発表の3rdアルバム『ハンブルドン・ヒル』と1992年の4thアルバム『ドライヴ・ユー・クレイジー』が、1995年盛夏にMSIから日本発売されることとなり、ライナーノーツを書く際に実現した電話インタヴューのテープ起こし原稿が、唐突に実家で発見された。この自家製アーカイヴ――当時のハスケルのインタヴューなんてきっと貴重なので、24年ぶりの原稿化だ。

ハスケル同様、過小評価されまくったOBにデヴィッド・クロスがいる。毎晩毎晩ライヴでウェットン&ビルブルの轟音絨毯爆撃に翻弄されたあげく、心が折れちゃった可哀相なひとだ。脱退後もミュージシャン活動はぱっとせず学校の先生に身をやつしてたし、『USA』でヴァイオリンをエディ・ジョブソンにオーヴァー・ダブされた惨劇も、『紅伝説』で唄はエイドリアン・ブリュー、ベースはトニー・レヴィンに差し替えられたハスケルと同じ匂いがする。

それでも1997年の5thソロ・アルバム『EXILES』が“突破口”、2015年のフリップとの連名アルバム『スターレス・スターライト』は“スターレス”がおもいきりモチーフのクロスのクリムゾン依存体質に較べ、〈赤の他人〉を貫き続けたハスケルの、なんと潔いことか。

しかし、フリップへの恨みをまだまだ抑えきれなかった1995年当時のハスケルも、それはそれで微笑ましいのである。では後篇、いきます。

ハスケル クリムゾンに一時期在籍してはいたけれど、僕自身としては残念ながら何の印象も感銘も受けなかったというのが、現実なんだ。クリムゾンを崇拝する評論家たちが何と言おうと、僕の人生の中では何の転機にもならなかったのさ。

市川 あなたが在籍したクリムゾン唯一のアルバム『リザード』は、キース・ティペットら英国ジャズ系ミュージシャンたちの参加が最大の個性と捉えられてますが、当事者としてはどうですかね。

ハスケル まだFDLに在籍していた頃に、米国人ソングライターが書いた最高のマテリアルを、いわゆる本物のジャズ・ミュージシャンたちがプレイするのを目の当たりにしてたから、彼らに対して強い関心はなかったよ。

市川 あらら。一方、イエスというよそのバンドの顔であるジョン・アンダーソンに、“ルーパート王子のめざめ”を唄われてしまいました。庇を貸して母屋を取られたというか。

ハスケル でもあの楽曲の制作には、個人的な事情からまったく関わることができなかったから、思ってもみなかった出来事だったねあれは。

市川 なんですか〈個人的な事情〉って。

ハスケル ……僕とアンディ(・マッカロック)は当時、レコーディングしていた作品にまったく興味を持つことなく演奏していただけだからな。でもロバートとピートだって、自分たちが求めているものが何かわからないまま、スタジオ作業に明け暮れてただけとしか思えなかったし(失笑)。

市川 結局、1971年1月からのツアー用リハ中に脱退しちゃったんでしたっけ。

ハスケル リハが始まってまもなく、“21馬鹿”のグレッグ(・レイク)のキーが僕には高過ぎるから、「下げてほしい」とロバートに頼んだのさ。すると彼の答えは、「ヴォーカルは加工するから大丈夫」。さすがに頭に来たから、「ステージに上がるつもりはないし、自分が確信持てない楽曲は唄いたくない」と言い放って、スタジオを出ていった。

市川 うわ。フリップたちの反応はどうでした。

ハスケル その場に居合わせたピート(・シンフィールド)とメル(・コリンズ)は、お通夜のように黙ってた。ロバートは――「それでも印税はもらえるからな、ゴード」の一言だけだったよ。

市川 それ、『紅伝説』であなたの唄やベースが差し替えられた伏線としか思えませんわ。あのときツアーが中止になったことを相当、彼は根に持ってましたから。

ハスケル そうだろうね。

市川 あなたにとってのクリムゾンとは、〈フリップとの確執〉がすべてだったような。

ハスケル 簡潔に言えば――イエスだよ。僕もいまなら、ロバートと対等に付き合うことができるだろう。もちろん音楽的意見が合うわけじゃなくて、力関係の問題だよ? ビジネスとか物事の是非とか倫理観とかだ。いまでもロバートは、当時の僕を「単なるセッション・メンバーだった」と言ってるよね……彼にとって僕は〈一家の恥〉みたいな存在だったから。

市川 そこまで言わんでも。

ハスケル 『リザード』の楽曲を唄ってるうちに、僕は自分を偽ってるのがしみじみわかった。あのままクリムゾンに残っていれば、儲かっていたとも思う。でも僕は、違う意味で自分が豊かになれる道を選んだんだ。クリムゾンは酷い悪夢だった……が、自分のどこが間違っているかをはっきりと教えてくれた。だから、神が与えた試練のようなものさ。神よ感謝します、ロバートよ感謝します。

市川 いまや達観しております。でも脱退直後のあなたに、なにがしかの音楽的方向性は見えていたんでしょうか。

ハスケル キング・クリムゾンに参加し、おまけに脱退してしまったような愚か者の僕が、どの面下げて音楽的指針なんて言える? 当時の僕は愛によって突き動かされていたけれど、それは僕のロング・アンド・ワインディング・ロード人生にしか関わりないことだ。僕は60年代を終わらせたくなかった。しかし終わりは呆気なく訪れ、そしてゴミみたいな80年代へと続き、現在の混乱に至るわけさ。


とお先真っ暗だったはずのハスケルは、クリムゾンを脱退したばかりの1971年に、それこそ彼が大好きなアトランティック・レコードから2ndソロ・アルバム『歳時記』を速攻でリリースできた。あら。

同郷ジョン・ウェットンを介して旧知の仲だったモーガル・スラッシュの元マネージャー、ジョン・ミラーからアトランティック・レコード創設者にしてレイ・チャールズやアレサ・フランクリンを売った、アーメット・アーティガン――のちに2007年12月10日開催の、レッド・ツェッペリン一夜限りの再結成《復活の日》で追悼された、あのひとがロンドンに滞在中と聞き、超内省的なハスケルが自らを積極的に売り込んだ。御前試合というか、アコギで6曲披露したらしい。するとアーティガンは心底ハスケルを気に入り、契約を交わしたばかりか個人的な借金まで肩代わりしてくれたのだ。

天国から地獄へそして天国へ、とは数奇な人生である。

プロデュースはハスケルの希望が叶い、当時アトランティックのハウス・プロデューサーだったアリフ・マーディン。アレサやダニー・ハサウェイ、後にはホール&オーツやビー・ジーズといった白人ソウル/ディスコ村で全米を席捲した、その筋の花形職人だ。

参加メンバーは、ウェットン、マッカロック、exモーグル・スラッシュのビル・アトキンソン、そして【ダウランズ】を手伝ったときに知り合い、当時フィールズを結成したばかりのアラン・バリーに、レア・バードのデイヴ・カフィネティときた。そういえばこの見事な〈渋プログレ〉人脈っぷりが、西新宿界隈でこのLPを2~3万円の高値で取引させたんだった。ハスケルはクリムゾンだし、誤解するのも無理ないが。

同じくマーティン・プロデュースの、米SSWを代表するダニー・オキーフ73年の名盤『そよ風の伝説……』のプロト・タイプ的な質感を誇る、AOR系60年代フォーク・ロックとでも言えばいいだろうか。ロンドン・セッションで録られた素材をNYに持ち帰り、ヤング・ラスカルズのデヴィッド・スピノザのリズム・ギターやニール・ローゼンガーデンのピアノ、でもってコーラスやホーンを重ねたことで〈英国的でもあり米国的でもあり〉、しかも見事に〈プログレとは似ても似つかぬもの〉を完成させたマーディンは、正しい。

要は〈キング・クリムゾン的なもの〉を期待する方が悪いのだ。

クリムゾンでもSSWでもない、とにかくノー・センスな気色悪い〈森の木人(ぼくじん)〉ジャケの独自性がより混乱を招いた気もするが、ハスケル本人も嫌だったようだから忘れよう。

それでもおそろしく聴きやすいサウンドとは裏腹の、実はシビアな歌詞が感慨深い。

もう1曲目の“ノー・ミーニング”から、〈意味のないことを僕は唄うよ/でも世界は何事も起こらないじゃない/たわいもないことを僕は唄うよ/きみの気が休まるように〉とか、〈どろどろした闇からやっとリザードが這い出てきたよ〉とか、明らかにクリムゾン全否定だもの。

とにかく絶対的なものはないことをシニカルに唄い続けるハスケルの姿勢と、ある意味浮世離れしたサウンドの乖離ぐあいを愉しむのが、『歳時記』の正しい聴き方なのだろうと思う。だって『IT IS AND IT IS NOT』なのだから。


市川 『歳時記』のテーマを、想い出して教えてください。

ハスケル じゃあ記憶を掘り起こそう(苦笑)。内容的には地球規模の環境の行方を憂えた、メッセージ色の濃いアルバムだった。つまり、「手遅れになる前に何とかしよう」タイプの内容なんだけど、誰も耳を傾けはしなかったね。この作品の重要性が認識されるには、20年早かったのさ。

市川 でも歌詞といい音といいジャケといい、それは非常に伝わりづらかったですよ。

ハスケル 僕が精神的に安定していればもっとわかりやすく作れただろうし、もっと必死で働きかけただろうと思う。アトランティックの社長(=アーメット・アーティガン)は僕のことを、「ニール・ヤングよりビッグになる」と言った……僕はその後、レーベルを裏切って失踪してしまったんだけど……すべては成りゆきなのさ……。


天国から地獄へそして天国へでも地獄が、とはやはり数奇な人生である。

『歳時記』をリリースした1972年の11月、マウンテンとウィッシュボーン・アッシュをお供にハスケルは、ロンドンのレインボー・シアター(!)で初めてのソロ・ライヴを実現させた。しかもそのままスタクリッジとオーディエンスと共に全英ツアーまで廻ったのに、本人言うところの〈失踪〉をかましてしまったのだ。

結局、ハスケルは自分自身の抱える〈駄目駄目コンプレックス〉に苛まれ、アトランティックから逃亡。次に彼が姿を見せたのは1973年で、FDL時代の僚友ブライン・ハワースの清々しい初ソロ・アルバム『レット・ザ・デイズ・ゴー・バイ』へのゲスト参加だった。メル・コリンズやラビット、ジョン・ポーターにアラン・スペナーといった私が個人的に好きな連中揃いだが、1976年に組まれたハワースのライヴ・バンドにもハスケルは参加していた。旧友としか仕事できないほど、神経衰弱の渦中だったのかもしれない。

ところが僅か2ヶ月でハワースから独立した三人――ハスケル&加藤ヒロシ&ジム・ラッセルで1977年に突如バンドを組むのだ。【JOE】である。遺した作品は英GTOからシングル“How Can I Resist c/w Sweet Annabelle”一枚と、日本のテイチクからの《グラフィティ・ハウス・バンド》の変名で発表したオールディーズの企画盤『いかすぜジャック~ツイスト決定盤』と数少ないが、ある種のリハビリだったに違いない。

例の“イミテーション・ゴールド”を含む山口百恵ロンドン録音盤『ゴールデン・フライト』に、加藤プロデュースの線からハスケルがベーシストとして参加したのも、同じ1977年の8月になる。私は小学生高学年のとき彼女のファンクラブに入った会員番号二桁の男なのでむしろ運命を感じたが、きっと少数派なんだと思う。


市川 勉強不足で申し訳ないんですが、JOEはどんなバンドだったんでしょう。

ハスケル J.J.ケールの線の、愛があるバンドさ。

市川 そこですかやはり。

ハスケル 僕はそもそも、白人の音楽よりもブラック・ミュージックに愛の存在を感じていた。僕は宗教の厳しい戒律の下で育てられたからどうしようもなく内向的な人間にならざるを得なかったけれど、そこから抜け出して初めてそういった曲を知り、触れ合うことができた。スタックスやモータウンのリズムは、聴いてるだけで「自分は黒人なのかもしれない」と思えるほど、僕に合っていた。つまり白人っぽくなかったんだよ。

市川 極端なひとだったんですねぇ。

ハスケル でもやがて気づいたよ。白人/黒人というより、僕は半分米国人じゃないかと思うほどの米国贔屓だということに。いつだって米国人が新ジャンルを作り出して、英国人がその後を追っているだけと思ってるから。

市川 そうですかぁ? ブルースからこれだけ多彩なロックを生み出せた英国人は、日本人から見ればリスペクトの対象でしたけどね。昔から。

ハスケル その考えには、申し訳ないけどとても賛同できない(←きっぱり)。

市川 あなたはそうでしょうなぁ。ちなみに山口百恵の印象はどうでした。

ハスケル 美人だったし歌唱力もあったね(愛想笑)。


しかしこの直後から、ハスケルは我々プログレッシャーズの前から完全に姿を消してしまった。インタヴューの事前に送られてきた本人直筆FAX《ハスケル空白の15年間》によると、以下の通りになる。なおこの頃はまだ地球規模で、ネットもメールもまったく一般化してなかったのだった。ああ懐かしい。


 1979年。クリフ・リチャードとしばらく活動。学習。
 同年。RCAでレコーディング。学習。
 1982年。ニューヨークのCBSで、ソングライターとして活動。学習。
 1984年。ソロ・ライヴ開始。学習。
 1987年。〈彼女〉と出逢い、別れた後〈アーティスト〉になる。
 1989~1995年。精力的にツアー。発展。成長。訓練。そして、完成。



〈訓練〉とか〈学習〉とか、奇しくもフリップ用語が並ぶのは、何かの因縁なのか。

前述したJOEの解散後、ロンドン市内のクラブやパブでラウンジ・トリオ――要は箱バンみたいなもんで細々と演奏していた際に、運良くクリフ・リチャードのバック・バンドの一員になれて12週間の世界ツアーを廻る。

すると突如、RCAレコードとソロ契約を結ぶことができたのだ。これは前篇で触れた、1968年にFDLをバックにハスケル曲の“Lazy Life”を【クオンティン・E・クロップイエガー】名義で唄い、南アフリカで大ヒットさせたビル・キンパー(=ビル・フォレスト)がなんと、RCAの重役になってたおかげだったりする。

ああ、ビルの恩返し。

そのキンパーのプロデュースで1979年、8年ぶりに制作された3rdソロ・アルバムが『SERVE AT ROOM TEMPERATURE(室温が最適)』。ハスケル同様クリフ・リチャードのバック経験者たちが主に参加しているが、パシフィック・イアドラム、ディープ・フィーリング、ブラックフット・スー、ケヴィン・エアーズなどおそろしく渋い前科を誇る実力者揃いではあった。内容的にも前作『歳時記』の世界観がさらに孤高になったような、いわゆる〈ジョン・マーティン〉化が進行したような作品だ。

しかしアルバムがリリースされることなく全10曲中7曲が、79年に“People Don’t Care/Silhouettes”、80年に“I Need Your Love So Much/Living in the Attic”と“Castles in the Sky/My Baby”、そして81年に“Whisky/5-10-15”のシングル4枚に分割して、かろうじてリリースされるにとどまった。ニューウェイヴとダンス・ミュージックと産業ロックとAORが全盛の当時のシーンと百億光年は離れた作品だから、仕方ないけども不幸だった。

もちろんシングル群は商業的に全滅した。ただ最後のシングルのカップリング曲“5-10-15”はアルバム未収録の新曲で、しかも全っ然似つかわしくないディスコ・ナンバーだから、却って痛々しかったのである。

なおこの幻の3rdアルバムは1997年に日本のエヴァンジェル・レコードより、邦題『サード』としてようやく発掘リリースされた。にしてもこの国内盤は全収録曲に日本語タイトルがなぜか一切付けられておらず、いちいち英字表記しなければならないのが面倒くさい、と思ってるのは私だけだろうか。

結局のところRCAとの契約もアルバム一枚で終わり、新しいディールにも恵まれないまま、北欧のバーを始め欧州中をギターの流しで10年近く廻り続けていたようだ。まさにディシプリンの旅、なのだ。

市川 お送りいただいた《失われた15年FAX》を拝見しましたけど、まさかあなたの文章に〈訓練/discipline〉なんてフリップのボキャブラリーが登場するとは、意外でした。

ハスケル 偶然だよ(苦笑)。だけど「失われた15年」と言われても、僕は一度も引退したつもりはないのさ。そこには書かなかったが、1987年にはポール・マッカートニーのソング・コンテストで2位になったし、1989年には(正式な)3rdアルバム『ハンブルドン・ヒル』をレコーディングして、翌90年にリリースした。

市川 レコードで、でしたよね。CDリリースは1992年だったと記憶してます。

ハスケル うん。で僕のサウンドは次第にヴォーカル色が強まり、その1992年に次の(実質的な4thアルバム)『ドライヴ・ユー・クレイジー』を作ったいまでは、『ハンブルドン・ヒル』の頃とはまったく違うものになったけどね。

市川 たしかにあなたは、90年代の開幕に伴ってやっと外に向かった感があります。

ハスケル いま思うとロバートは、ある一点で正しかったよ。

市川 えらく限定的な物言いですなぁ。

ハスケル 〈訓練〉。もしも僕が1970年の時点で訓練を受けていれば、もっと楽な人生をを過ごすことができたかもしれない。でも楽な人生をおくれている人間なんて、ほとんどいないよ。いたとしても、退屈で傲慢で鈍重で冷酷で信じられないほど不実だと思うね。たとえばサッチャーなんかは、そういう人間の一人さ。アドルフ・ヒトラーも同じ。訓練それ自体はファシストお気に入りの常套手段だが、個人の精神的成長や努力と結びついたときには真の効果が現れる。でもサッチャーは、僕が知っていた英国をぶち壊してしまった。知性なんかないのに、あるようなフリをしているだけなんだよ。

市川 わはは。

ハスケル 彼女は教育を受けた阿呆なのさ。単なる。現代社会にはそんな奴らがうようよしているんだ――そんな〈裸の王様〉シンドロームに、僕は立ち向かうのさ。


このインタヴューを行なったときの〈1995年のゴードン・ハスケル〉は、まさに遅れてきた49歳のパンクスだったのだ。

19年ぶりに発表されたソロ・アルバム『ハンブルドン・ヒル』は、ハスケル自身が〈スピリチュアル・アルバム〉と語ってる通り、ようやく訪れた自らの精神的安定の下に唄った作品だ。フラットだからこそ彼本来の、実はフリップに負けないシニカルな自分が顔を覗かせ始めたと言える。ただし音楽的には、全11曲中8曲を共同プロデュースしたトニー・アーノルドが弾くスライド・ギターが全編でフィーチュアされた、AOR系バンド・サウンドだ。若干のムード・プログレ風味はご愛敬か。

「マーケティング担当者が求めてたものとは違ったみたいだけどね(苦笑)」。

それでも収録曲の“オールモスト・サーテンリー”が、南アフリカではチャート1位を獲得した。なぜいつも彼の曲は、南アフリカ限定で歓迎されるのかしら。

その次の、実質5枚目は原題の『IT’S JUST A PLOT TO DRIVE YOU CRAZY』が示すように、全編ほぼ一人弾き語りの新曲プリプロ集――いわゆるデモ・トラックス・アルバムだった。

「それでも僕の成長が一応、表れたイノセントなアルバムではあると思うんだけどな」。

このモラモラした言い方が、当時のハスケルの表現性が独特のセンシティヴィティーに立脚してるのを、如実に物語っている。録音場所のクレジットが〈Room with a View/景色のいい部屋〉というのがまた、腹わたが煮えくり返るほど似合ってるではないか。

思うにゴードン・ハスケルというひとは、極度の万年モラトリアム青年だったんだと思う。要はコンプレックスの反動で、60年代後期のフラワー・ムーヴメントのまさに渦中で趣味に育まれ過ぎたたひと、だ。その殺気まみれの能天気さが彼を米国音楽に向かわせたのだろうし、モラトリアムの「モ」の字もないエゴ対エゴの無制限衝突集団であるクリムゾンで、生ける屍と化したのも無理からぬ話だった。

たしかに復活後のソロ2作には、ふっきれたモラ男の潔さが見えた。しかしよぉーく聴いてると、「僕はちっとも悪くない、世界がみんな悪いんだ」的なスタンスは、やはりモラトリアムの発展形だ。よくも悪くもそういうひとなのである。

失礼な言い方だが、踏みつけられた路傍の名もない花的なハスケルに、私が妙なシンパシーを感じてきた最大の理由かもしれない。


さてその後のハスケルにも少しだけ、触れておく。

ハスケル タイトルの『IN THE CACTI KINGDOM』とは、〈棘だらけの世界〉を暗示している。強烈だよ? 僕自身はこのアルバムこそが、自分の1stソロ・アルバムの気分なんだ。若い世代にもそうじゃない世代にも、受け容れられると思う。ギグを観てもらえばわかるんだが僕の音楽は、いまのクズみたいな社会に飽き飽きした大衆に訴える力を備えているのさ。

市川 すっかり〈闘うSSW〉路線なんですね。

ハスケル ああ。マーク・ノップラーとヴァン・モリソンと、J.J.ケールのマネージャーも褒めてくれた。内容の濃さと質の高さには自信があるよ。もっとも音楽ビジネスはまた別の話だから、「売れる」という保証はないんだけど(苦笑)。


インタヴュー当時、既に完成させていたらしい新作の『IN THE CACTI KINGDOM(サボテンの王国)』話まで持ち出して、〈第二のゴードン・ハスケル〉人生をことさらアピールする彼だった。前年1994年には、英ヴォイスプリント・レーベル企画のスタジオ・ライヴ・アルバム・シリーズ《VOICEPRINT RADIO SESSIONS》第1弾として、『GORDON HASKELL』もリリースしており、旺盛な表現欲とともに精力的に活動していた。

まさに、〈25年目にしてナイーヴ男、起つ!〉だったんだと思う。

結局『サボテン王国』はリリースされなかったが、ハスケルは積極的に音楽し続けて現在に至る。おそろしくかいつまんで書いとくと――。



❻BUTTERFLY IN CHINA(1996年)

おそらく『サボテン』ほど直接的ではないが、社会をシニカルに眺める姿勢はまさに『ドライヴ・ユー・クレイジー』の後継機的アルバム。ちなみに収録曲の“More Yin Than Yang”は、もしかしたら『歳時記』のリヴェンジかも。70年代のハスケルは陰と陽にやたら惹かれており、本当は『歳時記』のジャケを〈陰陽魚太極図〉にしたかったものの、当時の糞みたいな広報担当によりノーセンスな森の木人ジャケにされてしまった。私が見ても、あのジャケのせいでセールス2000枚は損してるはずだ。つまりこの楽曲は“More It Is And It Isn’t”なのである。たぶん。

❼ALL IN THE SCHEME OF THINGS(2000年)

ジャケだけ見ると、なぜか昭和B級アートの匂いが充満してて可笑しい。exプリテンダーズでポール・マッカートニーを復活させたロビー・マッキントッシュの参加が、ハスケル式AORに彩りを加えた。“エリナー・リグビー”のカヴァーもそうだが、オリジナル曲の“ユー・キャント・ホールド・ア・グッド・マン・ダウン”とか“プレイング・サイフォン”とか、ファンキーなパブ・ロック色が滲み始める。

❽ⓐLOOK OUT(2001年)→❽ⓑHARRY’S BAR(2002年)

マッキントッシュのみならず、マッカートニーのツアー・バンドにおけるマッキントッシュの相棒でexアヴェレイジ・ホワイト・バンドのヘイミッシュ・スチュアートも、本作から加わった。全英2位ヒット・シングル曲“How Wonderful You Are”で、本作も英2位・仏30位・独38位・蘭24位・ポーランド5位・フィンランド7位の大ベストセラー・アルバムとなった。そしてハスケルは、知る人ぞ知るEU圏を代表する英国SSWとなった。あーめでたい。

そして売れた途端に弱小インディペンデント・レーベルから❽ⓐを買い上げ、タイトルとジャケだけ変えて❽ⓑを新装リリースしたワーナー・ブラザーズは、恥ずかしい。

❾SHADOWS ON THE WALL(2002年)

マッキントッシュが一部プロデュースを担ったこともあってか、ジャジーでブルース色が濃い目に。英国では44位と❽ⓑから大きく順位を下げたが、ポーランドとフィンランドでは各8位と18位を記録した。

❿THE LADY WANTS TO KNOW(2004年)

ようやく世間的に認知されたことが、やっとハスケルの双肩からありとあらゆる煩悩を下ろさせたのか、まさに本人がどうしても演りたかったんだろうマイケル・フランクスのカヴァー・アルバム。楽曲によってはジャジーでファンクネスで、かなり恰好いいパブ・ロックを聴かせる。今度はヘイミッシュ・スチュアートがプロデュースと監修を務めたせいか、印象的にはスタイリッシュですらある。

今回も14位とポーランドでは商業的成功が継続しており、2005年にポーランドの女優カーシャ・スクシェネツカ(Kasia Skrzynecka)嬢とのデュエット・シングル“All in the Scheme of Things”、2008年にはライヴ盤『GORDON HASKELL W SZCZECINIE LIVE!』がポーランド限定で発表されてるから、立派なスーパースターだ。

まさかのポーランド万歳。

⓫ONE DAY SOON(2010年)

♪誰だって天国には行きたいけど、いますぐ逝きたい奴はいない――2006年リリースの3曲入りCDシングル“Everybody Wants to Go to Heaven”は、アルバム未収録ながらハスケル・スタイルを確立した記念碑的な楽曲だと思う。〈バーでスコッチ舐めながら〉が似合うパブ・ロック的AORで、エルヴィス・コステロを想い出す機会が増えてきた。しかも数あるハスケル作品の中で初めて、恰好よいジャケだったし。なので翌2007年にドーセットからギリシャのスコペロス島に家族と移住し、いよいよ自分のペースで音楽に向かうようになったのも、わかる。

で、再びアルバム未収録の2008年発表シングル“Take My Breath Away”を経てリリースされたのがこの『ONE DAY SOON』で、洒脱さが増してスマートですらあった。しかも唄われている内容は、マハトマ・ガンジーやらトマス・ジェファーソンやらキング牧師の言葉に触発された自分の政治信条だったりする。パブの常連客の間で毎晩繰り返される政治談議という名の、まさに酒の肴に他ならない。

これぞパブ・ロックの真髄だ。

そして現時点での最新作――デビュー50周年記念シングル“I’m Letting Everybody Know”をリリースした翌2016年末に帰英したハスケルは、相変わらず自分の趣くままに今日もどこかで演奏しているはずである。たぶん。

正直、私は〈21世紀のゴードン・ハスケル〉に詳しくない。1995年にインタヴューして以降は、リリースされたアイテム群を聴いてきただけに過ぎない。だから私の妄想的なハスケル観はもしかしたら的外れかもしれないが、「こうであってほしい」と私に思わせるだけの、リアルに等身大な作品群なのだ。


とはいえ、最もリアルだったのは1991年発表のフリップ夫人、トーヤ・ウィルコックスのソロ・アルバム『オフェリアズ・シャドウ』の幕開けを飾るタイトル曲のイントロで、ハスケルがキーボードを弾いてたという〈嘘みたいな事実〉。同じ年の12月に、トーヤ夫が彼の唄とベースを差し替えた『紅伝説』がリリースされたなんて。

ねえ?

プログレって奥深い。






第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!

第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!

第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!

第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!

第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!

第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!

第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!

第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!

第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!

第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!

第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!

第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!

第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!

第十四回 「ピーター・バンクスはなぜ、再評価されないのか --〈星を旅する予言者〉の六回忌にあたって」はコチラ!

第十五回 「悪いひとじゃないんだけどねぇ……(遠い目)  ―― ビル・ブルフォードへのラブレターを『シームズ・ライク・ア・ライフタイム・アゴー 1977-1980』BOXに添えて」はコチラ!

第十六回 「グレッグ・レイク哀歌(エレジー)」はコチラ!

第十七回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE -RETURN TRIP』に想うこと- 前篇:スクワイアの巻」はコチラ!

第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!

第十九回「どうしてジョン・ウェットンを好きになってしまったんだろう(三回忌カケレコスペシャルversion)」はコチラ!

第二十回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう ー前篇:幻の1995年インタヴュー発掘、ついでに8人クリムゾン来日公演評も。」はコチラ!

KING CRIMSONの在庫

  • KING CRIMSON / CONSTRUKCTION OF LIGHT

    よりヘヴィにより理知的に深化を遂げた00sクリムゾン第一弾、2000年リリース

  • KING CRIMSON / LIVE AT SUMMIT STUDIOS 1972

    『ISLANDS』期のメンバー、ラジオ放送用として演奏されたライブを収録

  • KING CRIMSON / LEVEL FIVE

    01年夏の北米公演を収録

  • KING CRIMSON / SHOGANAI

    02年作

  • KING CRIMSON / ELEKTRIK: LIVE IN APAN 2003

    ロバート・フリップ/エイドリアン・ブリュー/トレイ・ガン/パット・マステロットによる03年東京公演を収録、全12曲

  • KING CRIMSON / POWER TO BELIEVE

    “ヌーヴォメタル”の完成形を提示した03年作!

  • KING CRIMSON / ELEMENTS 2014 TOUR BOX

    1969〜2014年のレコーディング・セッション/リハーサル/オルタネイト・テイクなどを収録したレア音源集、全29曲

  • KING CRIMSON / 21ST CENTURY SCHIZOID MAN

    ライヴテイクを含む「21st Century Schizoid Man」全5ヴァージョンを収録

  • KING CRIMSON / IN THE COURT OF THE CRIMSON KING

    69年発表、ロック・シーンの流れを変えた歴史的デビュー作!

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの69年デビューアルバム。プログレッシブ・ロックのスタートラインとなった記念碑的作品であり、「21世紀の精神異常者」のヘヴィーなサウンドで幕を開け「クリムゾン・キングの宮殿」の荘厳なメロトロンで終幕するまで、全く非の打ち所の無いフレーズとインプロヴィゼーションの応酬が乱れ飛びます。大きな衝撃を以って迎えられた本作は、プログレッシブ・ロック時代の幕開けを象徴する1枚として語り継がれています。

  • KING CRIMSON / IN THE WAKE OF POSEIDON

    衝撃のデビュー作「クリムゾン・キングの宮殿」の構成を踏襲した70年2nd、前作に匹敵する重厚さドラマ性に加えジャズ系ミュージシャンを起用し新機軸も打ち出した一枚

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの70年2nd。Ian McDonaldが脱退、レコーディングには参加しているもののMichael Gilesも脱退を表明し、ボーカリストとしてのみの参加であるGreg LakeはEmerson Lake & Palmer結成へと動き始め、Keith Tippett、Mel Collinsといった新メンバーを加えるなどバンド内が慌しい状況であったにもかかわらず、その内容はデビュー作に負けず劣らずな名盤となっています。過渡期と言うこともあり正当な評価を仰げない不遇もあった本作ですが、その音楽性は前デビュー作の内容を下地にしながらも、よりバリエーションに富んだ作風となり、Keith TippettのピアノやGordon Haskelの素朴なボーカルなど、バンドに新たな表情が生まれた傑作です。

  • KING CRIMSON / LIZARD

    70年3rd、表題曲にはYESのジョン・アンダーソンが参加

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの70年3rd。前作「ポセイドンの目覚め」をリリース後、Robert Fripp、Peter Sinfield以外のメンバーは脱退してしまいますが、Keith Tippett人脈やジャズ畑の技巧派ミュージシャンを新たに揃え、インプロヴィゼーション・フリージャズ色を押し出した作風へ。中でもYESのJon Andersonがゲスト参加した20分に及ぶ表題曲は圧巻の出来であり、常に先鋭的であろうとするRobert Frippの意思を反映した素晴らしい作品となっています。

  • KING CRIMSON / ISLANDS

    クリムゾン史上最も儚く美しいサウンドを聴かせる71年4th

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの71年4th。全てを静観するような達観したサウンドが特徴的であり、Boz BurrellのボーカルはPeter Sinfieldのメッセージを優しく歌い上げ、空間を彩るサウンドはジャケット通り宇宙的な広がりを見せます。Peter Sinfieldは本作を持ってバンドを離れ、Robert Frippは解散を宣言、次作「太陽と戦慄」まで少しの間KING CRIMSONは形骸化することとなります。バンド崩壊ギリギリの輝きが感じられる、彼らの作品の中でも最も儚く美しい名盤です。

  • KING CRIMSON / EARTHBOUND

    72年アメリカ公演時のライヴ作、あまりに凶暴な『21世紀のスキッツォイドマン』ライヴテイクは必聴!

    カセット・テープのヒス・ノイズまで忠実に再現する逆説的高音質盤。ますます問題作となったクリムゾン初のライヴ・アルバム。

  • KING CRIMSON / LARKS’ TONGUES IN ASPIC

    フリップ以外のメンバーを一新して制作された73年作5th、圧倒的な緊張感とダイナミズムが支配する大傑作!

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの73年5th。前作を発表後休眠していたKING CRIMSONでしたが、Robert Frippが当時YESで成功を収めていたBill Brufordのドラムに感銘を受けたことをきっかけに、ヴァイオリンのDavid Cross、パーカッションのJamie Muir、そしてJohn Wettonを加え再始動しました。その内容は即興演奏と実験音楽の頂点と位置づけられるものであり、フリーフォームに繰り広げられていく各メンバーの技巧と爆発的な音楽のひらめきが詰まった大名盤です。

  • KING CRIMSON / NIGHT WATCH

    73年、アムステルダムでの壮絶なライヴパフォーマンスを収録!

  • KING CRIMSON / RED

    フリップ、ウェットン、ブルーフォードの三人が尋常ならざる緊張感の中で生み出したクリムゾンを代表する傑作、74年作7th

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの74年7th。「太陽と戦慄」からの布陣であるRobert Fripp、John Wetton、Bill Brufordのトリオによるラストアルバムであり、その内容はへヴィ・メタルの原型とも言われる評価も納得の重々しいギター・リフで幕を開け、これまでの活動の集大成といった趣の幅の広さをもったものです。「クリムゾン・キングの宮殿」でプログレッシブ・ロック・シーンの夜明けを作った彼らは本アルバムをもって解散、ジャケット裏のメーター表示がレッド・ゾーンを振り切っていることが全てを伝えています。第一期KING CRIMSONの終焉は衰退の様相を見せたプログレッシブ・ロック・シーンを象徴する出来事であり、時代の移ろいを感じさせます。

  • KING CRIMSON / STARLESS AND BIBLE BLACK

    精緻にしてヴァイオレンス!ライヴ音源とスタジオ音源に巧みな編集を施した74年作7th、クリムゾン史上屈指の難曲「FRACTURE」収録

    奇才Robert Frippを中心に結成され常に先鋭的なサウンドを作り出し、デビュー以来プログレッシブ・ロックの頂点に君臨し続けるイギリスのグループの74年6th。前作を最後にパーカッションのJamie Muirが脱退しRobert Fripp、John Wetton、Bill Bruford、David Crossという4人編成となったその内容は、メタリックに構築されたサウンドとスリリングな魅力に溢れたインプロヴィゼーション、そして前作の前衛性を共存させた作品であり、大半がライブ・レコーディングの素材を元に製作されていると言う驚愕の名盤となっています。全編に流れるとてつもない緊張感は特筆すべきものであり、ハードなギター・リフと硬質なリズム・セクションで聴かせる作品です。

    • PCCY00666

      フリップ自身による89年リマスター、定価2243

      盤質:傷あり

      状態:並

      帯有

      カビあり

    • UICE9057

      紙ジャケット仕様、HDCD、定価2345

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯有

      帯に若干黄ばみあり

    • IEZP29

      紙ジャケット仕様、DVDオーディオとHQCDの2枚組、デジタル・リマスター、40周年記念エディション、巻帯付き仕様、定価4725

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯有

    • IEDG06

      17?(7インチ)紙ジャケット2種付仕様(帯3種)、プラチ7インナSHM+DVDオーディオの2枚組、ターコイズブルー・レーベル、HRカッティング、ボーナス・トラック5曲、DVDはリージョンフリー、オリジナル英文ブックレット訳付・ステッカー(小)付仕様、定価5093+税

      盤質:無傷/小傷

      状態:良好

      帯有

      1枚は盤に傷あり

      3690円

      2952円
      (税込3188円)

      797円お得!


      CD詳細ページへ

    • KCSP6KING CRIMSON

      40TH ANNIVERSARY SERIES、デジパック仕様、2枚組(CD+DVD)、ボーナストラック5曲、スリップケース付、DVDはNTSC方式、リージョンフリー

      盤質:無傷/小傷

      状態:並

      カビあり

  • KING CRIMSON / USA

    75年リリース、『RED』発表前の爆発的パフォーマンスを収録した名ライブ盤!

    75年発表のライブ・アルバム。「RED」発表前の74年に録音されており、当時のラインナップはRobert Fripp(g)、John Wetton(b、vo)、 Bill Bruford(ds)、David Cross(vln、key)の4人編成。アルバム中3曲でEddie Jobson(vln、key)のパートがダビングされています。鮮やかなヴァイオリンの旋律を切り刻むメタリックなギター・リフ、グイグイとウネリを生み出して暴走するリズム隊。この時期ならではのパワフル且つ緊迫感溢れる即興演奏に終始圧倒されっぱなし。代表的名曲「21st Century Schizoid Man」では原曲のサックス部分をヴァイオリンで再現しており、よりヒステリックな爆発力を楽しむことが出来ます。沸点目掛けて上り詰めるRED期クリムゾンの凄さを体験出来る名ライブ盤。

  • KING CRIMSON / DISCIPLINE

    80sクリムゾンの幕開けを告げた衝撃の81年作!

  • KING CRIMSON / COMPACT KING CRIMSON

    86年発表のベスト、全12曲

  • KING CRIMSON / EPITAPH VOLUMES THREE AND FOUR

    97年リリース、歴史的1st『宮殿』製作時のメンバーによる69年のライヴ音源を収録、全15曲

  • KING CRIMSON / ABSENT LOVERS

    84年7月モントリオールで行なわれた第4期のラスト・ライヴを収録、98年リリース

  • KING CRIMSON / CIRCUS

    99年発表、70〜90年代までをカバーしたライヴ・ベスト盤

  • KING CRIMSON / COLLECTORS’ KING CRIMSON VOL.1

    DGMコレクターズ・クラブ会員にのみ頒布されたライヴ・ボックス、69/72年のライヴを収録

    • PCCY01394

      3枚組ボックス、ボーナス・トラック1曲、48Pブックレット付(英語版・日本語版)、定価6825

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯有

      1枚は盤無傷/小傷程度、一部に色あせ・圧痕あり

  • KING CRIMSON / DEJA VROOOM

    クリムゾン映像作品の最高峰と言える95年来日公演収録作品

    • PCBP00123

      両面記録DVD(DTS5.1ch+ドルビーデジタル5.1ch、マルチ・アングル&マルチ・オーディオ)、スリップケース付き、ブックレット付き、定価4410

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯無

      帯無、スリップケースに経年変化があります

  • KING CRIMSON / CIVIC HALL GUILDFORD ENGLAND NOVEMBER 13 1972

    72年11月のライヴ。

  • KING CRIMSON / EPITAPH VOLUME FOUR

    97年リリース、歴史的1st『宮殿』製作時のメンバーによる69年のライヴ音源を収録、全8曲

  • KING CRIMSON / EPITAPH VOLUME THREE

    97年リリース、歴史的1st『宮殿』製作時のメンバーによる69年のライヴ音源を収録、全7曲

  • KING CRIMSON / GREAT DECEIVER – LIVE 1973-1974

    73-74年の未発表ライブ音源を収録、全47曲

    • PCCY00393

      4枚組ボックス、帯付・解説付・ブックレット付き仕様、定価10194

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯有

      帯に破れ・折れ、ボックスに側面部に色褪せあり

  • KING CRIMSON / LIVE IN NEW YORK NY 1982

    82年8月、ニューヨークでのライヴ音源、全10曲

  • KING CRIMSON / NEAL AND JACK AND ME

    82-84年の傑作ライヴ映像集

  • KING CRIMSON / NIGHT WATCH/ABSENT LOVERS/VROOOM VROOOM

    それぞれ70/80/90年代のライヴを収録した3タイトル

    • UICE9066/71

      2枚組紙ジャケット仕様×3、特典ボックス付き仕様、定価合計10398

      盤質:傷あり

      状態:並

      帯有

      紙ジャケ1枚に小さいカビあり、3枚とも帯特典部分切り取り有り、特典ボックスにスレあり

  • KING CRIMSON / PALACE THEATRE, NEW HAVEN CT, NOVEMBER 18, 1995

    コレクターズ・アーカイヴ・シリーズ2・パート7

  • KING CRIMSON / ZOOM CLUB FRANKFURT GERMANY OCTOBER 13 1972

    72年のライヴ。

「KING CRIMSONの在庫」をもっと見る

GORDON HASKELLの在庫

  • GORDON HASKELL / SAIL IN MY BOAT

    初期キング・クリムゾンに在籍した英フォーク・シンガー、クリムゾン加入以前にリリースした69年作

    69年発表の1stソロ。キング・クリムゾン「リザード」への参加で有名ですが、本作で聴けるのはクリムゾンの面影など微塵も感じない英SSW然としたサウンド。決してうまくはないが味のあるヴォーカルと和やかなメロディーに心温まります。弦楽器、ピアノ、フルートによる洗練されたアレンジが印象的。

「GORDON HASKELLの在庫」をもっと見る

コメントをシェアしよう!

あわせて読みたい記事

中古CD買取案内

カケレコ洋楽ロック支店

新着記事

もっと見る

プロのライター&ミュージシャンによるコラム好評連載中!

文・市川哲史

文・深民淳

文・舩曳将仁

文・netherland dwarf

文・後藤秀樹

人気記事ランキング

* RSS FEED

ロック探求特集

図表や代表作品のジュークボックスなどを織り交ぜ、ジャンル毎の魅力に迫ります。