2023年7月28日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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第63回 ドイツのロックが日本において本格的に紹介され始めた70年代を振り返る②
~ Brainに次いでVirginへ、全開のエレクトロニクス・サウンド ~
前回の日本でドイツのロックが最初に紹介された72~73年頃のBrainレーベルのリリース群を取り上げ、その中でGrobschnitt、Janeに関してはその後も引き続きリリースされたことは触れた。
しかし、74年は国内盤としてテイチクからのジャーマン・ロック発売の動きは見えなかった。
73年の秋にはパイオニアからイタリアからP.F.Mの『幻の映像(Photos Of Ghost)』が国内発売されている。英米中心のロックの世界が変わっていこうとしていた時期であったことは疑いもなかった。
今となっては懐かしい雑誌のひとつ「音楽専科73年10月号」に『NEW WAVE OF ROCK-停滞するロック現況を打破する新しい波とは★プログレッシヴ・ロック徹底研究』という特集が組まれていた。そこでドイツの注目すべきグループとして次の名が挙げられていた。
アモン・デュールII、タンジェリン・ドリーム、カン、ジョイ・アンリミテッド、グローブシュニット、グルグル、Popol Vuh
それを見た時、最初の3つは東芝から、次の3つはテイチクから発売されているが、最後のPopol Vuhとはどんなグループなのか。気になって仕方がなかったことを思い出す。
当時は本当に情報の少ない時代で、音楽雑誌やレコード会社の広報誌などを参考にすることしか出来なかった。が、思い返してみると自分の中で想像を広げるという点で「夢」を持てた時代だったと言えるかもしれない。
そんな中で、73年後半に日本コロンビアが英Virginレーベルと契約したことで新たな動きが生まれることになる。マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)の存在は言うまでもなく最高の期待値があったものの、ドイツ勢としては翌74年タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)の『Phaedra(フェードラ)』、エドガー・フローゼ(Edgar Froese)の『Aqua』、ファウスト(Faust)の『IV』のリリースが気になるものだった。
◎画像1 Virginが最初に日本で紹介された時のサンプラーLP (日本コロンビア盤)
Virginレコードは71年に英国でレコード通信販売として立ち上がったのだが、オクスフォードに店舗1号店を出し、次々とその店舗を広げることになった。輸入盤として販売していたヨーロッパのロック・レコードのセールスが好調だったことから、73年に英国で独立レーベル設立を決意したものだった。
オクスフォード近郊の13世紀の古城を改装し、マナー・スタジオというレコーディング・スタジオを設計したが、古城自体がミュージシャンの創造活動の中心となるような場として機能させることも独自の戦略だった。(その後Virgin航空として飛行機業界にまで進出したリチャード・ブランソンという社長の成功に至る武勇伝は日本でも出版されていた。)
そんなわけで今回は当初考えていた予定を変更して、Virginレコードから出たタンジェリン・ドリームとクラウス・シュルツェ、そしてアシュラ(マニュエル・ゲッチング)の日本でのリリース状況を取り上げていこうと考えた。
◎画像2 Tangerine Dream + Klaus Schultze + Manuel Gottsching
西ベルリンを拠点に活動した彼らは70年代初頭の電子音楽を立ち上げたことから、今ではベルリン学派(Berlin-School)とも呼ばれている。
◎画像3 Virginから出た最初の3枚
私が最初に聞いたタンジェリン・ドリームは74年の『Phaedra』だった。メンバーは、エドガー・フローゼ(Edgar Froese)、ピーター・バウマン(Peter Baumann)、クリス・フランケ(Christopher Franke)の3人組。シンセサイザーを中心とした抽象的な世界ということでかなり構えて聞いた・・・・・音の流れに身を任せるうちに様々な映像・情景が頭に浮かんでくる。繰り返されるリズミックな反復音も心地よい。決して難解なイメージはない。時折、宇宙空間に投げ出されるような感覚も悪くなかった。
★音源資料A Tangerine Dream / Phaedra
ところで「Phaedra」って何のことなのか。ギリシア神話に登場する悲劇の女性の名前。そうしたイメージを喚起するような曲名をつけることも彼らの特徴だが、それも文学、哲学、絵画・情景に由来するものが多く、鑑賞上の助けとなってありがたい。レコードB面3曲につけられた曲名も素晴らしい。
続くアルバム『Rubycon』というタイトルは川の名前だが、「ルビコン川を渡る」という諺にあるように、「後戻りが出来ない決断を下す」といった決意を含めた意味がこもっている。A面Part1、B面Part2と全体で1曲の構成。
そして『Ricochet』へ、さらにはフローゼのソロ『Aqua』『Epsilon In Malaysian Pale』とVirginからのリリースが続く。
◎画像4 Ohr時代の4作 (‘76再発・・・日本コロンビア)
76年には日本コロンビアが、Virginからのタンジェリン・ドリームの作品の高評価に対応するような形で、Ohr原盤の彼らの最初の4作品を一気に発売した。廉価版ではなかったのが残念だったが、これは素晴らしい仕事だった。
『Electronic Meditation』『Alpha Centauri』『Zeit』『Atem』を一気に聞くことが出来た。後半の2作品『Zeit』『Atem』は日本で最初に発売されたことになる。
ただ、聞いた印象は『Pheadra』とはずいぶん違った。
『Electronic Meditation』は70年の作品という時代性もあるが、全体にギターとオルガンが響き渡り、フリーキーなフルートが加わって前衛音楽の趣が強くタイトル通りに瞑想的な作品。しかし、何よりも全体に響き当たるクラウス・シュルツェ(Klaus Schulze)のドラムスが一番印象に残った。もう一人のオリジナル・メンバー、コンラッド・シュニッツラー(Conrad Schnitzler)も重要な役割を担い、脱退後もその名は各所で見つけることになる。
翌71年の『Alpha Centauri』ではそのシュルツェの名が消えたが、ドラムスはやはり印象的に響く。スティーヴ・シュロイダー、クリス・フランケが新たに加わり、シンセの導入もあって全体に幻想的な雰囲気が増していた。タイトル曲の後半に聞かれるスキャット風のヴォイスが気に入った。
72年の『Zeit』はなんと2枚組。冒頭のチェロ・カルテットにシンセが絡まりながらジャケットのような『皆既日食』の不気味さ、不吉な予感を醸し出している。新たにピーター・バウマンが加わり、バウマンとフランケは完全にシンセサイザーを担っている。
彼らの音楽は心象風景の表現ではなく、古代から現代に続く時代の姿を描き出しているように思える。聞いているうちに、どこか懐かしいのだが自分の体験ではない世界が脳裏に焼き付く瞬間が何度もあってドキッとさせられた。
73年の『Atem』は初期4作の中で一番聞きやすい作品と言える。その理由には明確なメロトロンの導入と、「光」を感じさせる曲調にあるだろうと考えている。また、ラスト曲『Whan』では発声としての『声』を使っている。国内盤のタイトルは『荒涼たる明るさの中で!』となっていて仰々しいものだが、原題の『Atem』は「呼吸」を意味しているので、前作『Zeit』の暗い世界と対照的に、「生命誕生の明るい兆し」を描き出していると考えてもいいように思える。
★音源資料B Tangerine Dream / Wahn
この4枚のリリースにあたって、(共通ライナーではあるが)12ページの解説書が付けられていた。音楽の難解さはそこで解決するものではないが、なるほど、そうなのかと理解できたことは多かった。
特に、フローゼのインタヴューは興味深い。「グループは68年にドアーズに影響を受けスタートした。」「ギタリストとしてジミ・ヘンドリックスに最大の衝撃を受けた。しかし彼のようにギターを弾くことが出来なかったので、シンセを使ってみた。ただ、シンセは当初使い勝手が悪かった。」そして、「電子音楽は私たちのテーマではない。それはあくまでも手段に過ぎない。」等々
◎画像5 Tangerine Dream “Stratosfear (浪漫)” + “Cyclone”
英国のアルバム・チャートでは『Phaedra』は74年4月に15位、『Rubycon』は75年4月に12位と大ヒットを記録している。その後も70年代のVirginから出た彼らのほぼすべてのアルバムがチャート・インしている事実は驚異的だ。
私も順に聞いてきたのだが、特に印象深い作品が『Stratosfear(浪漫)』(‘76)、『Cyclone』(’78)だ。
★音源資料C Tangerine Dream / Stratosfear
CDとして近年も新作が続々と発表されてきているのだが、一体総数がどれくらいあるのか、リリース数が正確には分からないほどだ。日本で紙ジャケ化された数もかなりの数になる。間違いなく最高のインターナショナルな存在のドイツ・ロック・バンド(ユニット)である。そして、中心にいたエドガー・フローゼの果たした役割はあまりにも大きい。
タンジェリン・ドリームの評判が大きくなるに伴って、日本のファンの中に英Virginのカタログに並ぶクラウス・シュルツェの作品にも期待感が高まっていたことは間違いなかった。
日本ではコロンビア/Virginから、75年に③『Blackdance』(‘74)が出された後、新作だった⑤『Timewind』(’75)もリリースされている。
◎画像6 Klaus Schulze “Timewind” + “Blackdance” 国内盤
私は最初にこの⑤『Timewind』を聞いたのだが、完全にその世界に夢中になってしまった。
副題に「リヒャルト・ワーグナーに捧ぐ」とあり、A面「バイロイトの回帰」B面「死の幻想1983(ワーグナーの死)」のタイトルにも魅了された全2曲。どちらの曲も30分という(当時としては)信じられない長さを持った曲だった。
普通はバイロイト音楽祭で有名なワーグナーの街は観光地として紹介されることが多いのだが、ここではジャケットにも描かれているような「死の舞踏」の世界が奏でられる。
当時自分の部屋で聞いていたのだが、周囲の空気も情景も変わってしまったような不思議な感覚に包まれた。夜中に聞くことが多かったのだが、レコード・ジャケットだけが浮かび上がるように光を当てておくといつの間にか描かれた3体の堕天使(?) が位置を変えて踊り出すような気がした。でも、そこに感じるものは「不安」ではなく、どこか安らいだ気分だった。
★音源資料D Klaus Schulze / Bayreuth Return
一方、③『Blackdance』の方は、ゲスト参加にバス・ヴォーカルを入れ幾分クラシカルな雰囲気も漂うが、全体に「不安」と「暗さ」が強く感じられ、残念ながらあまり繰り返して聞くことにはならなかった。
後になって聞いた①『Irrlicht』(‘72)、②『Cyborg』(‘73)も部分的に興味のわく部分はあったものの全体にはやはり実験的な要素が強く機械的な印象を持った。
それだけに⑤『Timewind』の素晴らしさが際立つことになる。その面白さは、④『Picture Music』でも感じることが出来た。
しかし、よく考えると多くのリスナーが当時描いていたドイツのロックに関してのイメージは、どこか暗く実験的な要素が強いという声が多かったのは事実だ。私が①~③に感じた印象は、そのまま当てはまってしまうかもしれない。タイトルの「Irrlicht」は「鬼火、狐火、怪光」であるし、「Cyborg」はそのまま「サイボーグ、改造人間」ということになり、不思議・機械的・・・といったイメージの裏付けとなっていきそうだ。
◎画像7 Klaus Schulze 国内盤 3作品 + ドイツBrain盤
その頃のシュルツェの日本でのリリース状況はかなり複雑だった。
テイチクからはBrain原盤の④『Picture Music』(‘74)が76年になってリリースされるのだが、この作品の英国盤は発売されていない。フランスClementine盤のジャケットは③『Blackdance』につながるデザインに思えるイラストが使われていた。同76年に⑥『Moondawn』もBrain原盤なのでテイチクからリリースされた。
その後Ohr原盤だったソロ活動初期の作品に関しても75年に独Brainから再発されたことを契機に、日本ではテイチクから78年に②『Cyborg』(‘73)が、そして79年に①『Irrlicht』(’72)が発売されている。
このように、アルバムごとに違った様相を見せるシュルツェの世界だが、英Virginを通して⑤『Timewind』の内容のよさが世界中に知れ渡ったことがきっかけとなり、次なる活動は日本との接点であった。ひとつはFar East Family Bandとの関わりであり、もう一方にStomu Yamashta’s Goのプロジェクトがあった。シュルツェにとってはこれまでにないメジャーな活動だった。日本の音楽雑誌でも彼の姿が掲載されていたことを思い出す。その後、76年の『Go Live From Paris』(Island)と77年の『Go Too』(Arista)に参加した後にすぐに彼はソロ活動に戻ってしまう。
◎画像8 Klaus Schulze 国内盤 テイチク1作品 + 東芝(Island)2作品
彼の歴史を改めて考えてみると、最初が69年のタンジェリン・ドリームの1枚目に参加するがすぐに脱退。その後70年に伝説的なアシュ・ラ・テンプル(Ash Ra Tempel)の結成に参加したがやはり最初のアルバム後に脱退。しばらく独Kosmische Musicレーベルに在籍しセッション的な作品を出していたものの、その後ソロとして活動を続けていく訳で、彼は元々ソロ・ミュージシャンとしてのアイデンティティを元々持っていたものと考えられる。
その後、Islandレーベルから(日本では東芝から)⑥『Mirage(蜃気楼)』⑦『Body Love』(ともに77年)をリリースする。レコード時代の日本での新作発表はこれで最後となる。もちろん、その後も精力的にアルバムは発表しており、『X』(78年)、『Dune』(79年)、『Dig It』(80年)あたりまでは私も輸入盤で追いかけていた。もちろんその後のリリースは続き、CD時代になってからも数え切れないほどの作品を残している。
その名は早くから知っていたが、聞く機会に恵まれないままだったアシュ・ラ・テンプル。そこでギターを弾いていたマニュエル・ゲッチング(Manuel Gottsching)が、アシュラ(Ashra)名義で日本のVirginから78年に発売された。ドイツ・ロックで聞いてみたいアーティストの一人のゲッチングだったわけで、ようやく聞けたという思いが強かった。日本でのVirginレーベルの発売権はコロンビアからビクターに移っていた。
Virginからの最初の作品となる『New Age of Earth』。本作は76年に仏Isadoraからリリースされたものがオリジナル。翌77年にVirginから出される際にジャケットが変更され世界に流通したことになる。
ただ、注意が必要なのは、仏オリジナル盤のクレジットは「Ash Ra Tempel -Manuel Gottsching」となっていること。当初は74年のAsh Ra Tempelの6枚目に続くアルバムとして企図されたものだった。
◎画像9 Ashra “New Age of Earth”(国内盤;フランス盤) + “Blackouts”
1曲目の「Sunrain」降り注ぐ陽光、2曲目「Ocean Of Tenderness」打ち寄せる波、気持ちのよい音世界が聞き手のイマジネーションを存分に広げてくれる傑作と言える。聞いてタンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツェと同様の感性・表現を持った音楽ととらえた。シンセサイザー、シーケンサー等のエレクトロニクスを用いたミニマル・ミュージック、アンビエント・ミュージックも70年代を通して数多く聞いてきたつもりだが、この作品にはまた違った面白さを見たような気がしている。ただ、彼のギターはあまり聞かれないのが残念に思えた。
タイトルの「New Age of Earth」のNew Ageという言葉も、その後の音楽ジャンルの一断面を伝えているような気がしてその先見性も感じられた。
★音源資料E Ashra / Sunrain
Virginからの2作目となる『Blackouts』(‘77)。じつは日本では78年、『New Age Of Earth』の前にこちらが先に発売されていた。つまりAshraの本邦デヴュー盤ということになるだろうか?
前作を踏襲したサウンドと言えるのだが、ここではギターが存分にフューチャーされていて、よりマニュエル・ゲッチングの持ち味がわかるように思えて嬉しかった。アルバム構成はA面4曲、B面が2曲。最終曲「Lotus PartI~IV」が17分と長いが、全体にコンパクトにまとまった曲が並んでいることでも聞きやすく分かりやすい作品と言える。ただ、ジャケットがちょっとコワい。ギターが写るのはともかく何故ゲッチングの顔が上下反対になっているだろうか・・・
★音源資料F Ashra / Midnight On Mars
個人的には2曲目の「Midnight On Mars」が気に入った。プログラムされたベース・ラインの心地よさが特筆ものだ。3曲目のちょっとレゲエっぽいリズムも面白い。そのリズムを残したままA面ラストのタイトル曲「Blackouts」につながり、途中から彼のギターの独壇場となる構成も見事。
◎画像10 Ashra ‘Correlations(水平音響への誘導)’ + ‘Belle Alliance’
3枚目の『Correlations(水平音響への誘導)』は英国と同じ79年の発売。
1曲目「Ice Train」でまず驚かされる。それまでアルバムはゲッチング一人で作成してきたが、ここではバンド編成でリズムを強調していた。アジテーション・フリー(Agitation Free)のラッツ・ウルブリッヒ(Lutz Ulrich)とヴァレンシュタイン(Wallenstein)のハロルド・グロスコフ(Harald Grosskopf)が参加し、英国の名プロデューサーMick Glossopがゲッチングとの共同プロデュースとして名を連ねていた。さらには、ジャケットは一見して想像がつくとおりHipgnosisが担当している。
個人的には、前作を想起させるようなA-3「Oasis」の雰囲気が好きだが、アルバム自体明らかにパワーアップしたAshraサウンドは見事だ。
4作目『Belle Alliance』もVirginからの80年の作品だが、日本ではレコード発売はされていない。
Ash Ra Tempelの初期作品はアナログではなかなか入手できず、私はCD化された段階で初めて耳にすることが出来た。その間に「Fool’s Mate」や「Marquee Moon」「Marquee」等の雑誌でバンドやアルバムの情報は伝わってきてはいた。それらは、70年代に入ってなお「サイケデリック・サウンド」の影響下にあり、ドラッグ、LSDの影響・・・といったあまり好意的には受けとめられないものではあった。
オリジナル・メンバーはゲッチング、シュルツェに、ベーシストのハルトムット・エンケ(Hartmut Enke)を加えた編成。
◎画像11 Ash Ra Tempel A)~F)
A)『Ash Ra Tempel』(‘71)、B)『Schwingungen(振動)』(’72)、C)『Timothy Leary & Ash Ra Tempel/Seven Up』(’72)、D)『Join Inn』(‘72)、E)『Starring Rossi』(’73)、F)『Ash Ra Tempel VI』(‘74)
A)B)D)がOhrレーベルから、C)E)F)はKosmischeレーベルから出されたもの。
私が期待したアルバムは、シュルツェがドラムスで参加しているA)D)、ゲッチングが一人で録音したF)の3枚だった。
A)B)D)はさすがに歴史的な名盤として伝わってくることが分かる好盤。レコードでいえばA面にあたる部分が比較的過激、B面が瞑想的という共通項があるのだが、やはりドラムスが入ることで迫力、面白さは感じた。A)D)のシュルツェのドラムスも期待通り良かった。各作品の過激と思われる部分も、B)で聞かれる強烈なヴォーカルも含めて70年代初頭の混沌の表現と感じられる。瞑想的な曲では明らかにピンク・フロイドに影響を受けていると思われるところも窺えた。E)は他のレコードが片面1曲、計2曲のペースであるのとは違って全7曲という意外性があったものの、基本的にゲッチングの世界観が維持された好盤と評価したい。
F)はゲッチング一人で創りあげた作品で、その後のVirginからの作品につながっていく質感を持っている。これら一連の作品を通じてゲッチングのギターのテクニックばかりでなく、バランス感覚を持ちながらアルバムとして創りあげる力量を理解できたように思える。その事実が、ドイツ・ロックのひとつの典型として多くのリスナーに伝わっていったのだろう。
★音源資料G Manuel Gottsching / Pluralis 4
ゲッチングは、エドガー・フローゼやクラウス・シュルツェほど多くの作品を残したわけではなかったものの、テクノやハウスファンの人気を集め、80年代以降も演奏活動は続けていた。2006年4月に来日しAnoyo Prism Festivalでのライヴ映像も発売されている。
Virginレコード自体も、誕生した頃からその姿勢も所属アーティストも随分と変化し、発足から数年のうちにやはりニュー・ウェイヴやパンク系の新たな音楽へとシフトしていた。そして音楽ソフトもレコードからCDへと移り変わる時期でもあり、私のように同時代より前の音楽を追い続ける者にとっては寂しい時代に入っていくことになる。
しかし、先駆たちの蒔いた種は大きく花を咲かせる。電子音楽の分野でもギリシアのバンゲリス(Vangelis)もAphrodite’s Childの活動後、ソロとしてシンセサイザー・ミュージックを広く伝えている。数々の素晴らしい名作を発表後、81年にサウンドトラック『炎のランナー(Chariots Of Fire)』が世界的な大ヒット作品となっている。
フランスではジャン・ミシェル・ジャール(Jean-Michel Jarre)が、76年の『幻想惑星(Oxygene)』をはじめにやはり世界的な活躍を続ける。翌年にはGongやClear Light Symphonyで活動していたティム・ブレイク(Tim Blake)が『クリスタル・マシーン(Crystal Machine)』でデヴューしている。同時にEGGレーベルが生まれ、ヨーロッパのシンセ・ミュージックを広く伝える役割を果たしていた。
日本でも大御所の冨田勲が出した一連のシンセサイザー作品は世界的にも高い評価を受けた。今回の文中で触れたFar East Family Bandの高橋正則はクラウス・シュルツェと関わったことから喜多郎としてソロ活動をはじめ、『シルクロード』を手がけたことで日本中に知れ渡る存在となった。
そして何よりも、一連の電子楽器が手軽に扱えるようになり、テクノ・ポップとして音楽シーンに新たなジャンルが生まれることにもなる。
直接的ではないものの、英国でのブライアン・イーノに関していえば、ロバート・フリップとのコラボレーション、『Another Green World』以降の一連のソロ、『Discreet Music』や『Ambient』のシリーズ、そしてドイツのクラスター(Cluster)との共演。そして、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作『Low』『Heroes』『Lodger』との関連性も考えていくと一大論文になっていきそうだ。
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今回はドイツ・ロックのパイオニア的な3人を取り上げたのだが、エドガー・フローゼは2015年1月20日70歳、クラウス・シュルツェは2022年4月26日74歳で亡くなっている。そして、マニュエル・ゲッチングは2022年12月4日に亡くなった。70歳だった。
しかし、彼らの残したパイオニア的音楽は今後も様々な影響を持って聞き継がれていくことは間違いない。 -RIP-
前回のアウトロで書いた予定と全く別の方向に向かっていまいました。やはり時代的にドイツ・ロックを考えるにあたって、この辺りに触れておくことも重要と考えたからです。本当はアモン・デュールII(Amon Duul II)、Can、Faust辺りも触れておくべきなのでしょうが、まとめ方としてちょっと難しさがあり今回はやめておきました。Popol Vuhも・・・
そして、もう一つの理由として、改めて自分の記憶をたどってみると、テイチクからのBrainのリリースがほぼ休止状態になっていたこともあります。
この時期(74年)に、テイチクでは英DawnレーベルからのPrelude、McKendree Spring、Strayのリリースに続き、75年になって『ドーン・パーソナル・ロック・シリーズ』で一気に旧作名盤10枚が発売、英PyeからはSpiders From Marsが出ていました。当時、聞きたかったものが次々と発売されたので、それはそれで大変でした。(この辺りの事情に関しては、当コラムの第18回から第23回にかけて「英Dawnレーベル特集」として5回に分けて掲載しているので、興味のある方は見ていただけると嬉しいです。)
しかし、一方でVirginの動きを見ながら、Brainのリリースに関して新たな展開を模索していたような印象もありました。それを次回に紹介していこうと考えています。
75年頃になると輸入盤店や中古レコード店が増えて、面白いことに米国盤でヨーロッパ系の作品がリリースされて安く買えるようになりました。また、ヨーロッパ盤もモノによっては入手可能になってきています。そうした辺りも次回触れてみたいと思います。
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日本中が暑さに包まれ、異常とも言える気温が報告されています。また、線条降水帯が停滞した大雨のため大きな被害に見舞われた地域もありました。皆さんの地域はいかがだったでしょうか。被害に遭われた方々がいらっしゃいましたらお見舞い申し上げます。
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