ここ数年、コラム本来の趣旨から外れ追悼原稿が増えてきましたが、エディ・ヴァン・ヘイレンもいなくなっちゃったか・・・淋しい限りです。80年代メタル・ムーヴメントの先駆けとなり、シュレッド・ギター・ブームを牽引し、日本で言うところのライトハンド奏法は70年代末から80年代にかけてギター小僧の必修科目となっていました。
世界的に成功を収めたアーティストだけあって地上波のニュースでもかなり時間を割いてエディの死を伝えていましたね。こういう追悼露出って扱うか扱わないかを決める基準が良くわかりませんが、地上波各局押し並べて映像を交え訃報を伝えていた背景にはやはり番組のプロデューサー、ディレクター・クラスの方々の感傷みたいなものがあったように思います。TVニュースの訃報を見ながら改めて時代を築いた偉大なアーティストであったなぁ、と。
エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報を受けその日、世界中でVAN HALENが鳴り響いたわけですが、皆さんはどのアルバムを最初に聴きましたか? 僕は『Fair Warning』でした。
さて、レギュラー企画に戻りましょう。11月23日は祝日・勤労感謝の日です。1948年に勤労感謝の日となりましたが、戦前・戦中生まれの人は「新嘗祭」と呼んでいた祝日です。新嘗祭は天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告をし、これらを神からの賜りものとして自らも食する儀式で7世紀頃に宮中儀式として確立されたと言われています。新嘗祭は元々11月の第2の卯の日に行うとされていました。11月の第2の卯の日は11月13日から24日の間で毎年変動するのですが、改暦が行われた明治6年(1873年)にグレゴリオ暦11月23日に行われ以降11月23日に行われ、1948年(昭和23年)7月20日に公布された祝日法(正式には国民の祝日に関する法律)によって勤労感謝の日と改められました。その祝日法によれば勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」とされています。平たく言えば、収穫に感謝が拡大し全ての勤労に感謝となったわけですね。仕事に対して感謝・・・。
こう考えた時浮かんできたのが2カ月前のこのコラムでも書いた故・マーティン・バーチ。ピーター・グリーンの死去に際しFLEETWOO MACの『Then Play On』を取り上げた際、同作のエンジニアであったマーティン・バーチもグリーンの後を追うように亡くなったことをちらっと触れましたが、そこでも書いたように自分のブリティッシュ・ロック好きはマーティン・バーチの仕事あってこそでした。今回は勤労感謝の日に因み、マーティン・バーチの仕事に感謝と敬意を評し彼が携わった作品を取り上げて行きたいと思います。
マーティン・バーチは1948年12月27日ロンドン西南のサレー州ウォーキング生まれ。1960年代末にスタジオ・エンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、その後プロデュースも手掛けるようになります。DEEP PURPLE #2、RAINBOW、WHITESNAKE、BLACK SABBATH、FLEETWOOD MAC、WISHBONE ASHといった70年代ブリティッシュ・ロックを代表するアーティストの作品を手がけたのち80年代に入るとIRON MAIDENのプロデューサーとして1981年のデビュー・アルバム『Killers』から1992年『Fear Of The Dark』まで担当。『Fear Of The Dark』を最後にプロデュース、エンジニア業から引退。2020年8月9日没。バーチの作り出すサウンドは「ブライト・ミッド・レンジ」と称され、特にドラムとベースで核を作りその上でギターを際立たせる手法はブリティッシュ・ハード・ロックの王道スタイルとなり、ラウドなギターサウンドの中でヴォーカルを際立たせる技術にも優れており、その手法は多くのアーティスト、エンジニアに影響を与えました。
手がけたアーティストを見れば判るように、ブリティッシュ・ハード・ロック・サウンドはこの人が作り上げたといっても過言ではないかと思います。ではバーチ関連作品を見て行きましょう。
1969 – Then Play On (engineer)
1970 – Kiln House (engineer)
1972 – Bare Trees (engineer)
1973 – Penguin (producer, engineer, mixing)
1973 – Mystery To Me (producer, engineer)
脱ブルース、ダニー・カーワン時代からバッキンガム&ニックス参加以前のボブ・ウェルチ時代の作品、1971年発表の『Future Games』と1974年発表の『Heroes Are Hard To Find』以外の5作品を手掛ける。
ダニー・カーワン、ボブ・ウェルチ時代のMAC作品は過去、ワーナー・ミュージック・ジャパンから紙ジャケット・SHM-CDフォーマットで発売されていましたが、現在は全て絶版状態。海外盤ではOriginal Album Series(アルバム5枚組セット『 Penguin』と『Heroes Are Hard To Find』が未収録)がありましたが、今年、『Then Play On』から『Heroes Are Hard To Find』までのスタジオ・アルバム7枚にボーナス・アルバムとして1974年12月15日ソーサリートのレコード・プラント・スタジオにおけるスタジオ・ライヴを追加した8枚組ボックスとして再発されました。
オリジナルのアナログも紙ジャケット・シリーズもあるから良いかと油断していましたが、これ、インフォをみると2013年リマスター版を流用した『Then Play On』以外の6枚は2020年リマスターでボートラもあり(『Penguin』はボートラなしらしいけど・・・)ということ。ペンギンの大群のジャケットが印象的だったアナログ・ブートレグ『Will The Real Fleetwood Mac Please Stand Up』他CDブートとしても何度も発売されたレコード・プラント・ライヴは新鮮味に欠けますが、良いパッケージかと思います。
『Heroes Are Hard To Find』はバーチが関わっていないというのは認識していましたが、『Future Games』もそうだったということに迂闊にも今気づきました。長年の違和感が一気に解消された感じです。『Future Games』だけヴォーカル処理やギターの張り出し方がその前後と異なった雰囲気なのはそのせいであったかという感じです。
まず1970年の『Kiln House』。グリーン脱退を受け、前作には不参加だったジェレミー・スペンサーとグリーンからMACの未来を託されたダニー・カーワンが中心となって作られた作品で、ジェレミー・スペンサーのオールド・スタイル・R&Rとカーワンのポップだけどどこか泥臭いナンバーのバランスの妙が売りの作品。ミッド・レンジの張りとギターの押し出しの強さが作品全体に活力を与えています。続く『Future Games』ではスペンサーが失踪により脱退。アメリカ人ギタリスト、ボブ・ウェルチが参加します。カーワン作は前作に比べ内省的でフォーク・ロック寄りの楽曲がメインとなり、新加入ウェルチ楽曲はタイトル曲のイントロに於けるリヴァーブを利かせたデヴィッドT・ウォーカーばりのギターに代表されるミステリアス・ムード。全体どこか霧がかったサウンドに仕上がっています。このアルバムのみGENTLE GIANT、BADGER、CURVED AIR等のエンジニアも担当したマーティン・ラシェントが担当。ほとんどファミリーに近かったバーチではなくラシェントに変わった背景にはスケジュールが合わなかったとかあったのかと調べると、バーチはこの時期、DEEP PURPLE『Fireball』、WISHBONE ASH『Pilgrimage』とレコーディングが立て込んでいたもののレコーディングが行われた71年6月から8月までべたでNGだった訳ではないのです。
では、ラシェント起用の真意はどこにあったかと推測すると、カーワンはMAC脱退後の1stソロ『Second Chapter』のプロデュースをラシェントに任せており、スペンサー脱退でMACを牽引する大役を図らずも担う形になったカーワンが新たな展開を模索しての変更だったのかもしれません。
バーチが復帰した72年の『Bare Trees』では冒頭の「Child Of Mine」から膨らみとドライヴ感溢れるミッド・レンジが復活。キレのあるツイン・ギター・サウンドともにパワフルなMACサウンドが堪能できる作品となっています。グリーンが築いたインスト路線であり、前作の積み残し的な雰囲気も持った「Sunny Side Of Heaven」も『Future Games』の霧がかった雰囲気は残しているものの、『Future Games』収録曲と比べると各楽器の輪郭ははっきりしたものになっています。
73年発表の『Penguin』でバーチはプロデュースも担当。神経を病んだカーワンがバンドを離れ、元BLACK CAT BONES、ASHKANのギタリスト、ボブ・ウェストン、ヴォーカルに元SAVOY BROWNのデイヴ・ウォーカーが参加するもののこれはほぼ気休め。バンドの進むべき方向はウェルチ、マクビー主役であることをはっきり打ち出した作品。男性主役ウェルチのR&Bテイストを持った楽曲をより際立たせるためにサウンドの輪郭をよりくっきり際立たせ手法がはっきり見て取れる作風になっています。バーチはハード・ロック系プロデューサー、エンジニアとして捉えられがちですが、その優れたエンジニア能力によりバンドのどこを際立たせれば、バンドの魅力がアップするかをしっかりと演出する能力にも秀でていたと思います。バッキンガム&ニックス時代にMACはクリスタル・サウンドなるなんだかよくわからない形容をされていましたが、あの時代のMACがクリスタル・サウンドならその起源はこのアルバムにあったといってもいいのではないかと思いますね。
バーチ、MACコンビの最終作はこれも73年発表の『Mystery To Me』。これもプロデュース作品です。デイヴ・ウォーカーは1作で放逐。ボブ・ウェストンは在籍していますが完全にセカンド・ギタリスト。最新のボックス・セット収録の2020ミックスは聴いていませんが、旧ミックスは若干こもり気味。その音質面を差し引いても打ち下ろす場所がハッキリと分かるスネア、指の動きが見えてくるベースライン、微妙なかかりの空間系エフェクトで彩られ、変化に富んだギター・サウンドの妙、インストとヴォーカルの絶妙なバランス。もう無茶苦茶よくできています。全体を支配するR&B感覚も心地よくこれは傑作だと思います。というわけで抜けがよくなっていることに賭けて8枚組ボックス購入してみることにしました。どうせ今まで出ていた5枚組Original Album Seriesに2枚足しただけだろうと思っていましたが、インフォ読んだら違うじゃん、ということで購入決定です。
1969年まだ20歳そこそこだったマーティン・バーチはDe Lane Leaスタジオのエンジニアとして働いており、『Truth』に続く JEFF BECK GROUPがセカンド・アルバム『Beck-Ola』の一部を同スタジオでレコーディングした際にエンジニアを担当します。 JEFF BECK GROUPはこの『Beck-Ola』を最後に解散。しかしながら奔放なギターとスキルの高いヴォーカルがガチンコで対峙するストロング・スタイルのハード・ロックはLED ZEPPELINによって継承されていきます。De Lane Leaスタジオに所属していたエンジニアの中でもギター・オリエンテッドなハード・ロック系サウンド作りで良い仕事をすると評判を取り、デレク・ローレンス・プロデュースを離れ、セルフ・プロデュースでの制作を開始したDEEP PURPLEのオーケストラとの共演ライヴ・アルバム『 Concerto For Group And Orchestra』のエンジニアもデイヴ・シドルと共に担当。続くスタジオ・アルバム『In Rock』もDe Lane Leaでレコーディングされた「Flight Of The Rat」、「Hard Lovin’ Man」のエンジニアを担当。以降PURPLEのレコーディングには欠かせないエンジニアとなり『Fireball』のDe Lane Leaレコーディング部分も再び担当。72年発表の『Machine Head』からは専属エンジニアとなり、74年の『Stormbringer』からはバンドと共にプロデュースも担当し、DEEP PURPLE #2、#3、#4とバンドの黄金期を支えました。
『In Rock』と『Fireball』に関しては部分的な関与ですがブリティッシュ・ハード・ロックの王道スタイルをPURPLEが完成させる上で重要な役割を果たしたのは間違いないでしょうし、ブリティッシュ・ハードの最高峰アルバムのひとつである『Machine Head』以降、トミー・ボーリン時代までそのサウンド作りに貢献した功績は大きいと言えるでしょう。
『Machine Head』はLED ZEPPELIN『IV』と並ぶ70年代ハード・ロックのランドマークだったと思います。その時代にハード・ロックを標榜するバンド、アーティストはこの2作品に寄せるか、意識的に離れるかを選択せざるを得なかった。是とするも非として離れるもバーチがエンジニアとして作りあげたサウンドからの影響は大きかったのではないでしょうか?
DEEP PURPLEに於いてはずっとエンジニアとして関わってきたバーチですが1974年発表の『Stormbringer』から共同プロデューサー兼エンジニアに昇格します。意味深な変化だったと思います。リッチー・ブラックモア参加の最終作であり、ハード・ロック・ブームにも陰りが見られるようになった時期の作品です。
『Machine Head』までのPURPLEはやりたいようにやってきてブリティッシュ・ハードの頂点に登りつめたという感じでしたが、この『Stormbringer』はこれまでと勝手が違う感じがします。レーベルの介入があったんでしょうかね、ここに来て初めてヒット作のフォーミュラに沿った形の作品を作った(または作らされた)感じがするのです。
PURPLEらしいキャッチーなハード・ロック・チューン中心にして、泣きのバラード入れて、今の流行りだからファンキーなナンバーも入れて、みたいなね。まぁ、その通りの作品をちゃんと作れちゃうバンドも凄いのですが、従来作に比べかなりバラエティにとんだ楽曲群をDEEP PURPLEブランドとして結びつけたのはやはりバーチのエンジニアとして力量とバンドの個性を知り尽くした上に成り立ったプロデュース能力に依るところが大きかったのではないかと思います。
FLEETWOOD MACにおけるプロデュース作同様、セールスポイントとなる個性を的確に見極めそれをエンハンスしていく才覚が発揮された作品かと思います。これまでどうもとっ散らかったイメージが強い作品と思っていましたが、久々に聴き直したらそれが逆にチャームポイントみたいな印象を受けました。ま、リッチー・ブラックモアにしてみればそれが嫌だったのかもしれませんが。
オーディエンスの幅を広げていこうとしたDEEP PURPLEとは真逆の方向に向かおうとした時期のRAINBOWの諸作品もまたマーティン・バーチのプロデュース、エンジニアによるものでした。75年の1stはロニー・ジェイムズ・ディオの顔を立ててバックがそのままELFだったため爆発力やや低めではあったが、こういうハード・ロックが古臭いと思うなら聴かなくてもいいよ的なトッポさは随所に燻っていましたね。『In Rock』から『Machine Head』あたりのPURPLEが醸し出していた唯我独尊ムードが復活し、リッチー・ブラックモアとディオが目指した様式美ハード・ロック確立のためコージー・パウエルまで召喚しちゃう徹底抗戦体制を敷いた2nd『Rising』からライヴを挟み『Long Live Rock ‘n’ Roll』までは70年代ハード・ロック最強の爆音世界を構築。
時期的に「ハード・ロック、プログレはもう古い、ニューウェーヴの時代だぜ!」とメーカーとメディアの御先棒をかついだ連中も隠れてこっそり聴いた背景にはリッチー・ブラックモアのご威光が強かったせいもあるだろうけど、一方ではそういった改宗者をも黙らせるだけの説得力あるサウンドがあったからだと今も思います。
ハード・ロックかくあるべし、というお手本のようなサウンドは今も当時と同じ説得力を持ち続け聴くものに迫ります。
LED ZEPPELIN、DEEP PURPLEに続くブリティッシュ・ハード・ロック第三勢力だったBLACK SABBATHもオジー・オズボーンに逃げられちゃって結成以来の大ピンチを迎えるも、RAINBOWから抜けたロニー・ジェイムズ・ディオが加入して危機回避。またこのロニー加入劇がPURPLEファミリーとSABBATH一家の親戚縁組の発端となり、ディオの後釜にはイアン・ギラン加入という当時のファン唖然の事態を引き起こしちゃいました。
PURPLEファミリー御用達だったバーチが起用された背景にはディオがいたのだろうけど、1980年発表の『Heaven And Hell』はバーチにとっても転機となった作品。ミッドテンポに特化し重くて引きずり気味のヘヴィ・グルーヴが売りのSABBATHも時代の波には抗えず、イマイチ受けなかった「Never Say Die」以来のファスト・チューンも盛り込んだ楽曲群を用意。バーチはこの候補曲とパンク以降の刹那的で速いのが好まれる当時のロック・ファンの嗜好を鑑み、彼の元々の持ち味だった「ブライト・ミッド・レンジ」サウンドをさらに発展させた「ミッド・レンジ・モンスター」サウンド(勝手に命名させていただきました)を確立。ファスト・チューンをより際立たせ、ミッド、スローにも効果を発揮するこの制作手法は80年代から90年代頭まで専任プロデューサーとなるIRON MAIDENとの仕事でも役立つのでありました。
アルバム全体良い曲が揃った作品だが、勝負はオープニングの「Neon Knights」、それも開始1分でついたも同然。SABBATHという素材があってそれをバーチが料理したからこそ生まれた奇跡の一枚! 続く『Mob Rules』も同傾向なんですけど、曲作りより人間関係の愚痴こぼすのが忙しかったのか1ランク落ちます。
ちなみにこれは個人の意見ですが、この『Heaven And Hell』、もっともその効力を発揮するのはカーステレオで爆音で鳴らす時だと思っております。
DEEP PURPLE同様デレク・ローレンスが売出しにかかったASHの初期3作。デレク・ローレンス・プロデュース作品のエンジニアとして関わっています。改まって書くには及ばないこれも超有名バンド。アクティヴなリード・ギター奏者アンディ・パウエルとペダル・スティールまでこなすスロー・パッセージに秀でたテッド・ターナー、タイプの異なるリード・ギタリストを擁したツイン・リード・ギター・バンド、と世間一般には認知されています。確かにツイン・リード・パートは随所にあるし、そこがセールス・ポイントだったわけですが、このオリジナル・ラインナップ期は後のパウエル&ローリー・ワイズフィールド時代に比べるとツイン・リード・パートもあるけれど、どちらかと言えばリードとサイド・ギターの色分けがついていた時期。1stではギター・プレイは十分堪能できるけど、全体的には一本調子気味。その反省を踏まえた2nd『Pilgrimage』はプログレッシヴ・ロック的展開も設け発展性は見られるけど何処か舌足らずな印象。バーチが関わった3作を見渡すとやはりヒット作となった3rdアルバム『Argus』の出来がズバ抜けて良いと思います。
で、バーチのエンジニアとしての貢献はどこにあったのかと言えば、単純明快。ギター・サウンドを良い音で録りました。これに尽きるわけです。
音傀勝負のPURPLEやRAINBOWに比べるとWISHBONE ASHのギター・サウンド、特に初期ASHは歪みが少ないナチュラル・トーンがメイン。鳴りの良いギターをコンディションの良いアンプで鳴らした音で勝負を賭けたバンドだったわけです。ASHは世間一般ではハード・ロック・バンドとして認識されていますが、当時のブリティッシュ・ロック・シーンを見渡してもこれだけひずみの少ない大音量バンドは珍しいのではないかと思います。名盤の誉れ高い『Argus』はさておき、デビュー作固有の初々しさがあり後々までバンドの代表曲なる「Phoenix」や「Lady Whiskey」は収録されているけど、どこか一本調子な1st、発展的なサウンドとバンドのオリジンがむき出しで同居しているかのような2ndも未だ多くの人に聴き続けられている最大の理由はその顕著な特徴であった質の高いギター・サウンドの持ち味を 良い音で記録できていたこと。そしてその音の存在感を削がずより明確にリスナーに伝わるよう絶妙なエフェクト処理を加え、定位や立体感にもとことんこだわった作業をした。そこにあったと思います。それを実現できたのはバーチの才能によるところが大きかったと思うのです。
で、『Argus』。発表から半世紀近く経ちますが変わらず良いですね。オープニングの「Time Was」の出だしのアルペジオからしてもう絶品の音。そして圧巻なのはヴォーカル・パートが終わり6’30”あたりから始まるリード・パート。ドラマティックな盛り上がりを見せ7’48”あたりでコードストロークに展開して7’55,56”で瞬間ブレーク。それをすかさずドラムがすくいあげヴォーカル・パートに戻るのですが、その黄金のブレークに至るまでのサウンドは他に類を見ない絶品ギター・サウンド。「Blowin’ Free」2’30”あたり、ヴォーカル・パートからリード・パートへのブリッジに役割を果たすスローなリード・ギターのリリカルな質感もまた見事。
『Argus』の華である間奏曲的役割を果たす「Leaf And Stream」を挟んだ「King Will Come」、「Warrior」、「Throw Down The Sword」からなる中世戦国絵巻トリロジー。どれも良い曲で、各楽器の定位・奥行き設定など随所に聴きどころがありますが、僕はこれ!「Warrior」のイントロのスナップの効いたコード・ストロークにさりげなく掛かったコンプレッションの妙。ほんの一瞬の細かい点ですが見逃せません。
『Argus』は素材であるバンドの成長あっての完成度とは思いますが、それをさらに際立たせてみせるマーティン・バーチのエンジニアとしてのスキルの高さが実証された名盤であったと思います。
このバンドに関してはタイプは異なるのですがプロデュース手法としてはWISHBONE ASHやFLEETWOOD MACのアルバム制作に近いように思います。PURPLEファミリーでDEEP PURPLEのサウンドから決して遠いところにいってしまった訳ではないのですしメンバーもジョン・ロード、イアン・ペイスが在籍したりほとんどDEEP PURPLE#3の発展形みたいなラインナップの時期もあった訳ですが、やはりPURPLEとバーチが担当したイギリス時代のWHITESNAKEの間には明確な線引きがあったように思います。
WHITESNAKEはヨーロッパ、日本ではこの当時から押しも押されぬ金看板でホール、アリーナ・クラスの会場でツアーを打てるバンドだった訳ですが、バーチ・プロデュース作には常にどこか床に染み付いた酒の匂い、タバコの煙、香水やコロンの香り、汗の匂いが漂うクラブ・バンドのテイストが隠し味的に加味されているように思います。ある種の演出みたいなものなのでしょうが、これがデヴィッド・カヴァーデルのソウルフルなヴォーカル・スタイルとバーニー・マースデン、ミッキー・ムーディからなるギター・コンビが醸し出すブルース・ロック・フィーリングとマッチしてバーチ・プロデュース作品以降の作品には感じられない独特の雰囲気を醸し出しているのが魅力になっているように思います。
こうした演出にこだわるため、ここに挙げたWHITESNAKE諸作品も細かい部分でトーンに対するこだわり、定位等にきめ細かい気配りがなされています。
BLACK SABBATH『Heaven And Hell』で確立した怒涛のモンスター中音域サウンドにさらに磨きをかけ、70年代ブリティッシュ・ロックの高揚感とパンク・ロックの疾走感を合体させたハイブリッド・ロック・サウンドを80年代のバーチは完成させる。ミッド・レンジの張り出しにかけては右に出るものはいない神プロデューサーがいて、バンドの中にもミッドレンジを世界一刺激的にそして自在に操る神ベーシストがいて、それがタッグを組んだわけですからこれはもう無敵です。
ベースは低音なのでは、ともう方もいるでしょう。そりゃ、出ます低音部も。でもキャラクターを司るのはミッド・レンジ。MAIDENのセールス・ポイントを最大限に引き出すために特化したオリジナリティ溢れるエンジニア作業とプロデュース手法を確立した時期だったと言えるでしょう。
先にも書いたようにバーチは1992年発表の『Fear Of The Dark』を最後にプロデュース業を引退してしまいます。
この他にもスイスのCREAMと異名をとったヨーロピアン・ハード・ロックの名バンドTOADの1stと『Tomorrow Blue』、Michael Schenker Group『Assault Attack』、Wayne County & the Electric Chairsなどの作品を手がけています。リスト中1971年までの作品はFaces『Long Player』ストーンズのモービル・ユニットを使ってのレコーディングの他はDe Lane Leaスタジオのエンジニアとしての仕事だった模様。SilverheadはPURPLEレーベル所属アーティストだったため、その関係でプロデュースを任されたそうです。SKID ROW『34 Hours』もバーチ関連でした。ハード・ロックともジャズ・ロックともサイケデリック・ロックともつかない落とし所が見つけにくい上に取っつきにくいサウンドなんですが、一度ハマるとクセになる不思議なラウド・ロック・アルバムです。G-FORCE以降のムーアのプレイとは別世界の作品ですが捨てがたい魅力を持っています。
FLASHの1stもバーチなんですね。昔から中音部太くて、弾けた音質だなぁ、と印象がありましたが、こうして考えるとそれってまさにマーティン・バーチ・サウンドでした。全部紹介することはできませんでしたが重要作品は挙げられたと思います。
最後に、故人のご冥福をお祈りするとともに、我々の音楽人生に大きな刺激を与えてくれて、何ものにも変えがたい喜びをもたらしてくれたマーティン・バーチに感謝いたします。
ていうか、僕らまだまだ生きていくのでこれから先もあなたの関わった音楽をガンガン聴き続けて行きますから、ヨロシクです!
今月の1枚はFASTBALLが2017年に発表した『Step Into Light』を。テキサス州オースティン出身で90年代半ばから活動しているパワー・ポップ・トリオです。疾走感バリバリのパンキッシュなナンバーから哀愁のフォーク・ロックまでこなす中堅バンドですね。アルバム出るたびにチェックしていますが、この『Step Into Light』はアートワークが好きです。良い味出しています。タイトルからしてポジティヴな意味合いを持ったアートワークなのでしょうが、気分次第で着ぐるみウサギが黄昏ちゃって見えるときもあり、その日の精神状態が分かるリトマス試験紙みたいな役割を果たすアートワークでもあります。耳と尻尾の感じ良くないですか? 音もさることながらこのアートワークのほっこり脱力感を見ていただきたく取り上げさせていただきました。
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