2020年3月20日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
タグ: 米SSW
こんにちは。スタッフみなとです。
ただ今、シンガー・ソングライターの名盤をピックアップしております。
今日は、ジョニ・ミッチェルの69年作『青春の光と影』を聴いてまいりたいと思います!
まずは、彼女の生いたちから辿っていきます。
ジョニ・ミッチェルは1943年11月7日、カナダのアルバータ州にて、ロバータ・ジョーン・アンダーソンとして誕生します。父親はパイロット、母親は元教師。
のちにサスカチュワン州に引っ越し、美しく広大な自然の中で育ちました。
10歳の時に、当時カナダで大流行したポリオに感染してしまいます。立つことも難しく辛い治療に耐えるなかで、自分の想像の中に逃げ込むようになり、内省的なものの見方を身に付けたようです。
学校では早くから絵の才能を発揮し、教師や周りの生徒を感心させていました。9歳でたばこを吸い、ダンス・ホールに入り浸る少女でした。
音楽との出会いはクラシックで、最初はシューベルトやラフマニノフなどを聴いていましたが、やがてロックンロールに夢中になりウクレレを弾きながら歌うようになります。
ポリオにより左手に不自由が残ったため、なるべく負担のかからないチューニングを開発します。のちにジョニ・ミッチェル独自のサウンドとなる「問いかけのコード」の誕生です。
高校を卒業すると美術大学に進学しますが、一年ほど通ったあと音楽の道に進むため中退し、20歳の時母親に「フォーク・シンガーになりたい」と宣言しトロントへと引っ越します。
引越し先のトロントで、学生時代の元ボーイフレンドとの間の子供を妊娠していることに気づき出産しますが、経済的に養うことができず里子に出します。
この里子とは、のちに30数年ぶりに再会を果たしているようです。
トロントのフォーク・クラブでは、フォーク・シンガーのチャック・ミッチェルと出会い、1965年に結婚します。二人はデュオとして、デトロイトで音楽活動を行いました。
チャックとは一年ほどで離婚し、1967年、ジョニはソロで活動するため、ニュー・ヨークへと向かいます。
ジョニ・ミッチェルにニュー・ヨーク行きを進めたのは、トム・ラッシュでした。トムはトロントでジョニの曲を聴き感銘を受け、彼女の作った「Urge for Going」をレコーディングして各所で歌い、同時にジョニを周りに紹介し始めました。
またカントリー歌手のジョージ・ハミルトン4世がこれをカバーし、チャート・イン。ジョニ・ミッチェルはソングライターとして次第に知られるようになります。
バフィ・セント・マリー「The Circle Game」、デイヴ・ヴァン・ロンクやジュディ・コリンズによる「Both Sides Now」など、多くのアーティストがジョニの楽曲を歌いました。
1967年のある晩、フロリダでジョニが演奏していたところを、当時バーズを追い出されたばかりのデヴィッド・クロスビーが観てその才能と魅力に衝撃を受け、ジョニをカリフォルニアに連れていきます。
2人はローレル・キャニオンで一緒に暮らし始め、ジョニはリプリーズ・レコードと契約し、デヴィッド・クロスビーのプロデュースのもと1stアルバムを制作します。
デヴィッド・クロスビーはジョニ・ミッチェルの独特なギターに感銘を受けていたので、彼女のデビュー作は当時流行していたフォーク・ロックのような音になるのを避け、なるべくジョニのギターと歌を中心に据えた作品作りにするよう、リプリーズ・レコードを説得しました。
その甲斐あって今作は、ほぼギターの弾き語りながら、変則チューニングによるミステリアスな音展開の中にギターとボーカルが縦横無尽に駆け巡る、淡く繊細で幻想的な作風となりました。
約1年後の1969年3月1日、2ndアルバム『CLOUDS(青春の光と影)』をリリースします。
ほぼジョニ・ミッチェルの弾き語りで、スティーヴン・スティルスがベースで参加しています。
前作はチャートの100位にも入らずあまり話題になりませんでしたが、今作はビルボードのアルバム・チャートの31位を記録しました。
すでに他のアーティストによりカバーされていた「チェルシーの朝」「青春の光と影」のセルフ・カバーが収録されていることもあり、ジョニ・ミッチェルがソングライターとして注目されることとなった作品です。
それでは、何曲かピックアップいたしましょう。
ためらいながらゆっくりと話し出すように爪弾かれるギター。情熱を内に秘めながらも静かに歌うジョニのボーカル。
「くすんだビーズ」「海を渡って届いた手紙」などなど、思い出の品々を美しく描写し、恋愛が始まるのか、終わるのか、どちらとも取れる歌詞が綴られていきます。
最後に「I found someone to love today」と歌い、沈み込むような雰囲気から少し光が見えるようなサウンドへと開いていくところが素晴らしいです。
明るい/暗いの単純な二元論では表せない、深く繊細なサウンドだなと感じます。
このアルバムで一番快活な印象を受ける楽曲です。
ニューヨークにある地区、チェルシーを題材に作られたもので、ここはジョニがチャック・ミッチェルと別れた後に住んでいたところでした。
ある時、仲間の女の子たちとがらくたの色ガラスを集めて飾りにして、チェルシーの自分の部屋の窓に置いたところ、光が差して美しく像を結びました。
その瞬間はとても素敵な時間で、ジョニは歌を作ったそうです。
次々と飛び出す音やイメージを表す歌詞が、かき鳴らされるギターにのって歌われていきます。
邦題「年とった子供の歌」。
風変わりなコードを奏でるギターにジョニのボーカルが重ね録りされており、まるでリンダ・パーハクスを聴いているようです(今作の方が時代は先ですが)。「アシッド・フォーク」と称されてもいいような、眩惑的なサウンドです。
アルバムのラストを飾る楽曲であり、ジュディ・コリンズが歌いヒットさせた「青春の光と影」。
イントロのギター・ストロークが始まると何だかホッとしてしまうのは、ジョニ独特のコードではなく、メジャーなコードで書かれている曲だからでしょうか。
飛行機の中でソール・ベローの小説を読んでいたジョニが、その中の一節にインスピレーション得て一気に書き上げた楽曲だそうです。
「人生を両側から見てきた」と歌うジョニ。作曲当時まだ20代半ばです(!)。それほどの言葉がふと出てきてしまうような、濃密な人生を歩んでいたのでしょう。
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