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COLUMN THE REFLECTION 第65回 ドイツのロックが日本において本格的に紹介され始めた70年代を振り返る④  ~ ドイツのロック・シーンのまとめ ~ 文・後藤秀樹





第65回 ドイツのロックが日本において本格的に紹介され始めた70年代を振り返る④
~ ドイツのロック・シーンのまとめ ~



   
                 
簡単に考えていたドイツ・ロックなのだが、蓋を開けてみると予想した以上に膨大な市場スケールを持っていて改めて圧倒されてしまった。これまで触れたように、私にとってのドイツ・ロックはテイチクのBrainシリーズJaneGrobshnittに始まった。それまでに出ていた東芝からのAmon Duul IICanをつまみ聞きしながら、Virginから発売されたTangerine Dream、Kraus Shulzに夢中になり、やはりテイチクからの新たなBrainのリリース群に驚愕したというのがこれまでの大きな流れだ。


その間、ドイツに限らずヨーロッパ各地のロックが注目されるようになっていた。そんな流れの中で79年にはキングから『EUROPEAN ROCK COLLECTION』シリーズの第1回が発売された。そこではイタリアが4枚、ドイツが3枚、フランスが1枚という陣容になっていた。このシリーズは82年までに10回を数えるまで続き、さらに「イタリア・カンタウトーレ編」までが出される人気シリーズとなった。


当時は未だアナログ時代、当然LPとしてのリリースだ。

LPで聞いていた作品をその後改めてCD化される度に再び揃えていくことになっていく。何か嬉しいけれども受難のような時代だったことも改めて思い出される。私と同じように70年代に若者だった(?)多くの人がきっと同じ経験をしているのではないだろうか。

ここ4ヶ月、私がこのドイツ・ロックの原稿を書くにあたっては、LPとCDの両方を比べながらの作業になったこともあり、また部屋の中がとんでもないことになっている。やれやれ・・・。




*Amon Duul II



◎画像1 Amon Duul II 国内Liberty盤①~⑦ + Amon Duul ①2種、②


アモン・デュールII(Amon Dull II)を最初に聞いたのは71年のセカンド・アルバム③『Tanz Der Lemminge』が72年に国内盤として発表された時だった。東芝のDeluxe Double Series(2枚組)として帯には「ロック共同体/アモン・デュール・セカンド/野ネズミの踊り」と題されていた。そして「ピンク・フロイドもビックリ!ジャーマン・プログレッシヴ・ロックの雄!アモン・デュール」との添え書き。ジャケットのコラージュも神秘的で、幾分構えて聞いたのだが予想した以上に面白かった。

国内盤としては、セカンドにあたる71年②『地獄!(Yeti)』が出ていたがじつは原盤が2枚組なのに東芝版は1枚ものとしてのリリースだった。72年には④『バビロンの祭(Carnival In Babylon)』、①『ファースト(Phallus Dei)』、⑤『狼の街(Wolf City)』が続けて出され圧倒された。

その『狼の街(Wolf City)』の国内盤発売の広告を見たときに、NHK-FMにいつものようにリクエストを出した。中3の時だ。すると番組から「電話参加で曲紹介をしてみませんか」と連絡があり出演し、アモン・デュールIIについて語ったのだが、未だ情報が少ない時だっただけに今から考えると恥ずかしい思い出だ。それでも、ちょっと詳しいマニアックな奴と思ってもらえたようで、それ以来、時々連絡をもらいスタジオで参加してのアーティスト紹介、番組内の選曲等をやらせてもらえるようになった。その後の私自身の一連の音楽関係の基礎となった時期だった。


アモン・デュールII のその後だが、74年には⑥『恍惚万歳(Viva Trance)』、⑦『ライヴ・イン・ロンドン(Live In London)』が出された。個人的にはそれまで以上に面白い作品と受け止めていたのだが、一般的にはアモン・デュールIIも聴きやすいロックを演奏するようになってしまったという評価が多く、少々寂しい思いをしたものだった。

そして、LPとしての国内盤リリースはここまでとなってしまう。その後もリリースを続けるアモン・デュールIIだったが、安価な輸入盤が出回りはじめたせいかと考えてしまった。



★音源資料A Amon Duul II / Green Bubble Raincoated Man

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そしてアモン・デュールIIということはアモン・デュールIもあるはずで、そちらも気になり始めた。

A『Psychedelic Underground』(Metronome’69)、B『Collapsing』(Metronome’69)、『Paradies Warts Duul』(Ohr’70)の3枚が基本的な作品があるのだが、最初に聞いたのは81年に再発された国内盤Polystar/BrainのA’『恋歌(Minnelied』だった。ジャケットこそ違うが、これはA『Psychedelic Underground』なのだが、完全にコミュニティ・ミュージックで、当時の前衛芸術運動の一環だったと思われた。最初はミュンヘンで活動し、その後徴兵免除地域の西ベルリンに拠点を移し、学生運動や政治的なデモにフリー・ミュージックで参加することで有名になった。音楽的な素養を持ったメンバーもいたものの、多くは素人集団という恐るべき音楽集団だったと言える。無機的なドラム・ビートもギターも、意味不明な奇声もどう評価したらいいのか分からないくらいに混沌とした世界だ。B『Collapsing』も同様で、体調の悪いときに聞いていると気分が不安定になってしまう。『Paradies Warts Duul』は結構音楽的側面が強くなるものの、基本線は変わってはいない。私とっては時代の断面を感じさせるタイプの音楽だ。

アモン・デュールIにいた音楽的素養の強かったメンバーがアモン・デュールIIとして活動を新たに始めたことになるのだが、同じ「アモン・デュール」を名乗ったことにも当時のコミューンを大切にする時代意識を感じてしまう。




*CAN



◎画像2  Can ①~⑥


カン(CAN)は正直に言って私にとっては長いこと苦手なタイプのバンドだった。

独ケルンで結成され68年のデヴュー当初から目指すものは実験的ロックにあり、後年のニュー・ウェイヴ、パンク、音響系といったシーン、特にJohn Lydon率いるPublic Image Limitedへの大きな影響力を持っていたことは明らかである。それ故にドイツ・ロックの代表格として語られなければならない存在ではあることも疑いない。しかし、それでも私をCANから遠ざけた理由のひとつにはフリーキーなインプロビゼーション主体の音楽性が挙げられる。先程のアモン・デュールと同様に当初行っていた延々と続くノイジーな演奏には今でも辟易させられる。しかし、売りとなっていたCAN『ハンマービート』の無機質さも時間を経て聞いてみると結構快感になってくるという感覚を味わってしまってからは、時折思い出したように聞いている自分が不思議ではある。

また、彼らの2代目ヴォーカリストは日本人、ダモ鈴木だったことはよく知られているが彼のヴォーカルもどうしても好きにはなれなかった。それでも、ここでは未だ許せる感覚の歌になっている『エゲ・バミヤージ』の中の「Vitamin C」を聞いていただこう。



★音源資料B CAN / Vitamin C

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国内盤としては③『タゴ・マゴ(Tago Mago)』(Liberty/United Artists’71)、④『エゲ・バミヤージ(Ege Bamyasi)』(Liberty/United Artists’72)東芝から発売され、オムニバス・アルバム『カニバリズム(Cannibarism)』(United Artists’79)キング・レコードから出ていた。

その後、83年Japanレコードから①『モンスター・ムーヴィー(Monster Movie)』(‘69)、②『サウンドトラックス(Soundtracks)』(’70)、③『タゴ・マゴ』(’71)、④『エゲ・バミヤージ』(‘72)、⑤『フューチャー・デイズ(Future Days)』(’73)、⑥『スーン・オーバー・ババルマ(Soon Over Babaluma)』(‘74)のオリジナル・アルバム6枚と、『ディレイ・1968』(’81)、『カニバリズム』(’79)が出されていた。

また、日本コロンビアから76年『闇の舞踏会(Landed)』(Virgin‘75)が、そしてVirginがビクターに移ったあと、80年に『闇の舞踏会』、81年に『ソウ・デライト(Saw Delight)』(‘77)が、82年『フロウ・モーション(Flow Motion)』(’76)が出ている。

CDの時代になってからは殆どのアルバムが日本でも発売されていることが驚きではある。ただ、同じタイトルのアルバムでもジャケット違いが随分とあるので注意が必要だ。




*Faust



◎画像3 雑誌「LISTEN 1973 No.8」+ Faust①②④


Faustは思い出深いバンドだ。国内盤LPの発売は4枚目以降になるのだが、ここではそれまでの作品を紹介しておきたい。

1973年11月に住友スリーエム(株) から発行された『LISTEN』という広報誌(音楽を録音するにはカセット・テープが主流だった頃のScotch Tapeの住友スリーエム社)に「ジャケットがよくなきゃイミないね!」というグラフィック・デザイナーの堀内誠一さんの見開きカラーページがあった。

そこにはYesの『Yessongs』、Facesの『OOH! LALA』、Nicky Hopkinsの『The Tin Man Was A Dreamer』等、当時の印象的なアルバムに並んで、Faustの透明レントゲン・ジャケットが掲載されていた。その頃はFaustというグループも知らないし、クリアー・ジャケットに包まれたクリアー・レコードなんて見たこともなかった。そこの掲載されたキャプション。『★死体愛好症的なレントゲン・レコード★エロ・グロ・ナンセンスを具体化したようなフェイセスに比べると、ファウストの透明なレコードはいかにもドイツ産らしくユーモアのかけらもない。手のレントゲン写真が印刷されているのも、発想としてはシリアスすぎるし、レコードの溝の半光沢の効果も美しいどころかオゾマシイ!音の方も冷笑的“ドクトル・マブセ”を生んだ国柄である。しかし珍品であることは間違いない。』


レコードの時代は、音より先にジャケットとの出会いが先になることが多かったのだが、ここで見た71年発売①Faustのファースト・アルバムはまさに衝撃だった。Faustというバンドも知らないし、冷笑的と言われるとそんなに面白そうには思えなかったが一度は聞いてみたいと思っていた。が、原盤はすごい値段がついていたので無理と思っていたら、何と79年英Recommended Recordsから再発売されたことで入手できた。

最初は確かに「何じゃ、こりゃ」と思ったのだが、演奏を現代音楽的なテープ・コラージュの手法でまとめ上げた作品として理解した。が、何度も聞きたいと思うものではなかった。これほど特殊なアルバムのオリジナルが独Polydorという大手から出されていたというのが驚きだった。


次のアルバムが②『So Far』(‘72)。ファーストを耳にするずっと以前にこちらは聞くことが出来た。これも独Polydorから出されていたのだが、今度は真っ黒なジャケット。中には収録9曲のイメージ・イラストが掲載された黒いブックレットが付されていた。最初に想像したよりも音楽的・・・と思ったら、すぐに過激になったり前衛的になったりするのではぐらかされてしまった。しかし、不思議なもので私にとっては今でも忘れられない作品のひとつになっている。

ここでは、『So Far』の1曲目に収録されている『It’s A Rainy Day, Sunshine Girl』を聞いてみよう。

抑揚なく何度も繰り返される歌詞は、聞き終わると耳から離れなくなる不思議さを持っている。



★音源資料C Faust / It’s A Rainy Day, Sunshine Girl

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ここで見ていただいたモノクロのフィルムが曲の雰囲気を上手く表しているように思われて興味深い。

このフィルムは有名な映画監督ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)の初期習作となるコメディー短編『太った男と痩せた男(Le Gros Et Le Maigre)』(1961年)の印象的な部分を曲に合わせたもの。無機質なドラムが、映像の太鼓と妙にシンクロして面白い。

余談になるが、私がポランスキーの映画を初めて見たのは「マクベス(Macbeth)」(’71)で、サード・イヤー・バンド(Third Ear Band)が音楽を担当したことが大きな理由だった。それ以後も注目する映画監督の一人になったのだが、数々のスキャンダラスな事件の渦中にいた人物でもあった。多くの作品の中で「戦場のピアニスト(The Pianist)」(2003年)は衝撃的な作品で忘れがたい。



**********************************************

Faustはその後Virginに移籍することになり英国に渡る。73年5月英Virginの第1回リリース4枚中の1枚として『The Faust Tapes』(VC 502)が出されるが、これもまた不思議なアルバム。こちらは71~73年までの録音テープを編集し収録したもの。それゆえ、英国ではLPながらシングル価格で発売されたことから売れ行きはよかったらしい。新興Virginらしい販売戦略だったのかも知れない。

ただし、『The Faust Tapes』は発表当時からLPの頃から2000年のCDまで何度も再発されているが、曲目は一切記されていない。それ以降いくつかのタイトルが記され、全体で26曲に分けられた形ということになった。確かに発表目的なくリハーサルや演奏の様子を通しで録音していると、こんな風になってしまうだろう。

同73年にはVirgin第2回リリースとして④『Faust IV』正規Virginの番号(V 2004)でリリースされた。日本盤は『Faust IV~廃墟と青空/ファースト』と題されて75年の発売だった。しかし、日本盤が出た時には、既にFaustの実態はなかったということになる。

改めて聞いて思ったことは、彼らの基本的な姿は同じドイツのバンドで言えば、アモン・デュールと同じだったのだろうということ。彼らは71年から72年まで出身地(独ブレーメンのWumme)の廃校でコミューン生活を送りながら時間に関係ない感じで自由気ままにレコーディングをしていたという。ロックが巨大ビジネスになる前の本来的な在り方として生きていたのだろうと思う。

それが、73年いきなりVirginから声がかかり英国に渡ったものの英仏の往復という慣れないライヴ巡業に明け暮れ、『IV』のレコーディング後は9~10月にヘンリー・カウとのツアーに出かけることになる。そのストレスからかメンバーが相次ぎ脱退。74年にはプロデューサーもグループから離れ、あっけなくFaustの幕は下りてしまったのだ。


形としてはVirginに2枚のアルバムを残しているものの、実際には1枚の新規録音を残しただけということになる。

じつはもう1枚、Tony Conrad with Faust名義による『Outside The Dream Syndicate』があり、こちらはVirgin傘下の廉価レーベルCarolineレーベルからのリリースだった。アメリカ出身の映像作家として知られるトニー・コンラッドは、ベルベット・アンダーグラウンド(Velvet Underground)結成前のジョン・ケール(John Cale)、ルー・リード(Lou Reed)と活動したこともあるという。


ただ、Faustは空白の15年を経て、90年以降に再活動を始めている。当初のメンバー全員が揃うことはなかったが、必ずオリジナルメンバーの誰かが中心となっていたことが確認できて基本的にメンバーの結束力の強さを感じた。




*Popol Vuh

71年にデヴューし、その名前は結構伝わっていたものの、聞いてみたいけれどなかなか聞く機会に恵まれなかったアーティストのひとつがPopol Vuhだった。音楽を聞いたこともないのに、中心となるフローリアン・フリッケ(Florian Fricke)の名前は何故かすぐに覚えてしまっていた。



◎画像4 Popol Vuh②③ + 国内Brain盤 + Egg盤


60年代前半のある日、フローリアンは友人と一緒に大学の図書館でマヤ文明の経典の翻訳本を見つけた。その友人が後にドイツの映画監督として有名になる2歳年上のウェルナー・ヘルツォ-クだった。その後、共通の信念を持ってそれぞれの表現活動に向かっていくことになる。69年フリッケはバンドを組むのだが、その名前を大学で見つけた本のタイトル『Popol Vuh』をバンド名にすることにした。もともとキーボード・プレイヤーだった彼は、未だ一般的ではない時期に巨大なシンセサイザーを購入していて、当初は電子楽器を中心に演奏していた。しかし早い時期に機械的ではない自然な音楽へと方向を転換することにしたという。それは、大学の経典本に記されていたことからの啓示のようなものだったと思われる。つまり「原始への回帰」にありそうだ。さらに友人でありヘルツォ-ク監督の映画音楽を幾つも担当し、映画自体にも出演し演奏も聴かせている。

日本では国内盤は出ていなかったが、78年に⑫『幻日の彼方に(Brilder Des Schattens-Sohne Des Lights)』がテイチク/Brain盤として、79年には⑩『ガラスの心』がキング/Egg盤として発売された。

しかし一番聞いてみたいのは、名盤と言われていた72年の作品②『In Den Garten Pharaos』と③『Hosianna Mantra』。アナログ原盤は当時既に高価だった。


81年~82年にかけて何とドイツ盤で当時の名盤LPが、オリジナルジャケットで大量に再発された。Emtidi、BroselMaschine、Holderlinらと一緒に遂にPopol Vuhの一連の作品が我が街のレコード店にも並んだ。当然最初に入手したのは欲しかった2枚。どちらも美しいコーティングの見開きジャケットが再現されていたことが嬉しい。

②『In The Garten Pharaos』はA、B面各1曲の長尺曲。A面のアルバム・タイトル曲は静かな導入部から電子音が入るが自然な感じ。途中からアフリカン・パーカッション(タブラのように聞こえる)が鳴り続け、ピアノの音色でラストに向かい導入部と同様に水の音で締めくくる。B面『Vuh』はシンバル音に教会オルガンが鳴り響く崇高な雰囲気を持った曲。演奏メンバーはキーボードのフローリアンと、パーカッションのHolger Trulzschの2人。

③『Hosianna Mantra』の方はA面3曲、B面は『第五のモーゼ書』という組曲編成になっている。演奏はギターのConny Veit、ソプラノ・ヴォイスのDjong Yun、オーボエのRobert Eliscu、タンブーラのKlaus Wiese、そしてフローリアンはピアノとハープシコード。静謐な音空間の中に各楽器が天上の音楽のような輝きを見せる。この静けさは「キリエ」とか「モ-ゼ書」などと曲目に記されているが、音楽の中には特定の宗教を指しているのではなく、人類が持つ古(いにしえ)から普遍的な信心のための宗教を表現しているのだと思う。



★音源資料D Popol Vuh / Maria(Ave Maria)

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昔から聞きたくてやっと手にできたPopol Vuhについてようやく触れることができたが、当然彼らのアルバムもその後も多々あるわけでここまでの解説では中途半端な感覚が漂ってしまう。さらに彼らのアルバムにはジャケット違いや、タイトルが違っても収録曲が同じものも多々あるので、改めて別の機会にヘルツォーク映画作品も含めて私なりに紹介しようと思うので今回はここまでにさせていただく。




*米国レーベルを通じたドイツ・ロック・アルバムのリリース

70年代の半ばに英米のロックに関しては出来れば国内盤が欲しいものもあったが、中古を探しながら新譜でも輸入盤で何とか入手できる方法が身についてきていた。しかし、ヨーロッパのロックについてはかなりの難しさがあった。そんな時期にありがたいことに米国にヨーロッパのロックをラインアップするレーベルが登場している。それらの中から当時聞けたものをいくつか紹介しよう。どれも懐かしく思い出深いレーベルだった。



■まずはPASSPORTレーベルにおける集中的なドイツ・ロック・アルバムがある。

73年にJEM Recordsの傘下として誕生したのだがPASSPORTなのだが、PPSD-9800○で始める番号に注目すると・・・

Nektar『Remember The Future』『Down To Earth』『Reycled』『A Tab In The Ocean』、Lucifer’s Friend『Where The Groupies Killed The Blues』、『Banquet』、Kraan『Andy Nogger』、『Let It Out』

Nektarに関しては、米VISAから(加PASSPORTから) 編集盤2枚組『Thru The Years』(‘78)
なお、『Magic Is A Child』(‘77)
米Polydorから原盤とほぼ同時にリリースされた。



■次はBillingsgate Records。ここもドイツ・ロックに特化した作品群で、やはり73年からスタートしているが、一部PASSPORTリリースとの重複がみられたのが不思議。途中で頓挫した様子。

Neu!『Neu!』、Lucifer’s Friend『Lucifer’s Friend』『I’m Just A Rock’n Roll Singer』、Frumpy『By The Way』
Scorpions『Lonesome Crow』、Epitaph『Outside The Law』といったリリースがあった。
 


Peters InternationalにあったCosmosシリーズには
Sahara『Sunrise』(‘74)『For All The Crowns』(’77)があった。

*ここには、伊のOsanna、Orme、RDM、ギリシアのSocrates、デンマークのSecret Oyster、仏のZAO等が並び、見つけたら即買い(!) の状態だったが、ジャケットの安っぽさが残念だった。

他にも、ドイツ盤がシュリンクに包まれ、Importシールがついて出回っていたものもいくつか確認している。当時私が購入したPell Mell『Marburg』のBellaphonからの再発盤(オリジナルはBacillus)がそうだった。




*Nektar



◎画像5  Nektar selected disc + Recycled 2種


今挙げた米盤として初めて聞いて面白かったのは、一番数多くリリースされていたネクター(Nektar)だった。最初が③『Remember The Future』(’73)と⑤『Down To Earth』(‘74)だったのだが、タイトで引き締まったリズムにメロディアスな様子も素晴らしく何度も繰り返して聞いた。調べてみると、彼らは実は英国のバンドなのに活動拠点をドイツに置いていたということがわかり、当時はとても不思議に思えた。しかし、ドイツのバンドとして一貫して活動し、そのアルバム・ジャケットもドイツ・ロックの伝統を引き継ぐようなエグいタイプのものが多く、バンド・ロゴもじつにグロテスク。ちょっと退いてしまう部分もあったことは白状しておこう。彼らの初期作品を聞くとドイツ・ロックらしい混沌とした音楽性も間違いなく持っていた。

70年代に出したアルバムは、上記の他にも『Journey To The Center Of The Eye』(‘71)、②『A Tab In The Ocean』(’72)、『…Sound Like This(2LP)』(’73)、『Sunday Night At London Roundhouse』(’74)、⑥『Recycled』(‘75)、『Live In New York(2LP)』(‘77)、『Magic Is A Child』(’77)、『More Live In New York(2LP)』(‘78)『Man In The Moon』(’80)と数多くあり、じつに精力的に良質な作品が多かった。

日本で唯一リリースされたのが⑥『リサイクルド(Recycled)』(‘75)なのだが、原盤も米盤もカラフルに見えてよく見ると、一歩退いてしまうタイプのイラストだった。そのせいかどうか、日本では表と裏を逆にして発売されていた。



★音源資料E Nektar / Reycled Part1

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Nektarも80年のアルバムを出した後に活動停止してしまったように思っていたが、リリースは2000年以後になって改めて数多く出されており、またクレジットを見ると当初のメンバーも残っていて継続していることが確認できた。そのキャリアは前回取り上げたEloyにも負けてはいないことに驚かされた。ただ、中心メンバーの一人だったRoye Albrightonは2016年に亡くなっている。




*独Brainレーベルの印象深かった2つのバンド Anyone’s Daughter と Thirsty Moon



◎画像6 Anyone’s Daughter①~④


ところで、Brainレーベルは途中からSkyレーベルが生まれたこともあり、表舞台から消えたように見えたが、健在を感じたのがエニーワンズ・ドーター(Anyone’s Daughter)の登場だった。

このバンドの出会いも中古レコード店の店頭で新譜入荷したものがかかっていたのを聞いて、すぐ気に入ってその場で買ったもの。フロント・ジャケットはピンと来なかったものの、裏の演奏写真を見て「これは!」と思えたのは確か。

ご存じの通り、1979~80年という時期はプログレ自体が一部愛好家の為にあるような状況で、世の中の音楽状況が嘗てとは変わっていった時期。それだけに、このアルバム『Adonis』(’79)は福音のような1枚になったのは懐かしい思い出だ。

彼らはこの後も、①『Anyone’s Daughter』(‘80)②『Piktors Verwandlungen』(’81)③『In Blau』(’82)④『Neue Sterne』(‘83)『Live』(’83)『Last Tracks』(‘86)と順調にLPでのリリースが続いた。この安定した活動も何か気持ちのよさを感じた。しかし、時代はレコードからCDへと移っていった。



★音源資料F Anyone’s Daughter / Adonis Part1 – Come Away

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◎画像7 Thirsty Moon ①~④


そして、Brainの歴史の中から忘れられないものをもう一つ。日本でJane、Grobschnittが出されたテイチクBrainシリーズに予定されながら、出されなかったのがサースティ・ムーン(Thirsty Moon)だった。きっと1枚目のアルバムのジャケットは有名だろうと思う。LP時代に欲しい1枚だったが見つからず、かわりに『Blitz』という作品を原盤で手に入れることが出来た。これがまた、個人的にはツボに入ってしまった。彼らもジャズ・ロックやファンクっぽい要素も入れながらも、やはり一筋縄ではいかないドイツ・ロックらしい混沌も見せることから、なんと評価したらいいか、結構難しい。

でも、アルバム1曲目の『Lord Of Lightning』はわざとヘタウマ的に聞かせる(?)リード・ギターの演奏が新鮮で、とにかく大好きになってしまった。



★音楽資料G Thirsty Moon / Lord Of Lightning

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彼らのアルバムは、①『Thirsty Moon』(‘72)、②『You’ll Never Come Back』(’73)、③『Blitz』(‘76)、④『A Real Bood Time』(’76)*すべてBrain




今回のアウトロ・・・ドイツのロックをどう呼ぶか ? について

ここまで、私はドイツのロックのことを「ドイツ・ロック」とか「ジャーマン・ロック」という言い方をしてはきましたが、もう一つよく使われている「クラウト・ロック(Krautrock)」という言い方はしませんでした。


ドイツ・ロック全般が「クラウト・ロック」という考えもあれば、その音楽の特徴で呼び方を変える・・・という考えもあります。

今回で言えば前半のAmon duul(I、IIどちらも)、Can、Faust辺りのことは「クラウト・ロック」で、後半のNektarやAnyone’s Daughterは違う・・ということも出てきます。何となくジャンルが違うように思えるからでしょう。


何故、そんなことを考えるのかと言えば、「クラウト(Kraut)」を使った言葉は有名なドイツ伝統料理「Sauerkraut(ザワークラウト)」を想起させます。「キャベツの塩漬け」といえば浮かんでくるものがあると思います。その料理は慣れてしまうと美味しいものですが、最初に食べた人は大体その酸っぱさに表情がゆがみます。そんなことからかつての2度の大戦時に敵軍はドイツ兵のことを「クラウト(キャベツ野郎)と蔑称で呼んだ歴史上の事実があります。


そのように使われる「クラウトドイツ・ロックの総称として使っていいものだろうか・・・というのは、私が70年代の学生時代から持っていた疑問でした。90年代には2度ドイツを旅行したのですが、年配の方々は戦争中のそうしたイメージを根強く持っていることを実感することがありました。

オープン・カフェで手を上げて店員を呼ぼうとしたら、近所のご婦人に「呼ぶときは手を叩いて知らせるか、店員が出てきた時に目で合図することね」と言われました。手を上げると○○への挨拶を想起してしまうということが今もあるのだ・・・と何となく納得したことです。


今回取り上げたFaust『IV』の1曲目はその名も「Krautrock」です。日本コロンビアから発売された時の邦題が「廢墟と青空」でした。「廃墟」をわざと旧字の「廢」を使うところに<暗い過去>があり、「青空」に<平和>を感じさせる。そんな見事なネーミングだったと思います。


小柳カヲルさんの「クラウト・ロック大全」(Pヴァイン)(‘22)というディスク・ガイドもあるのですが、帯には「ドイツ・ロックの決定版ディスクガイド」とあります。

その本の「序」には詳しくその言葉の経緯について書かれていますので、機会があれば是非読んでいただきたいと思います。



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ドイツ・ロックの国内発売盤を中心にしながらと言いながら、ゲルマンの森の奥が深過ぎて、外れてしまった重要盤がたくさんある。特にハード・ロック系は取り上げていないし、フォーク系、メディテーション系、クラシカル・ロックの盤も未だたくさんある。特にCD化された後に発掘された盤、さらには、旧東ドイツものだってあるのに取り上げていない。他にも様々な不備は申し訳なく思いますが、また別の形で取り上げることができたら・・・と思います。


本当に暑さの続いた毎日でした。こちら北の地はようやく本来の秋がようやくやってきた感じですが、私は何とこの時期にインフルエンザに罹患してしまいました。どこで拾ったものなのか全く覚えはないのですが・・・幾分ぼーっとした頭でこの文章を書いています。ニュースでは季節外れとも言えるこの時期の感染が例年になく多いと伝えていました。
もう10月です。気がつくと涼しいというよりも寒い季節になってしまいます。

皆さんも、お体を大切に。







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AMON DUUL IIの在庫

  • AMON DUUL II / PHALLUS DEI

    分裂後にリリースされたアモン・デュールIIとしてのデビュー作、69年作

    音楽に限らない複合的アーティスト集団だったオリジナルAMON DUULから、より音楽面の追及を目指し分裂したAMON DUUL llとしての69年1st。中近東的なメロディを軸に、サイケデリック・ロックや即興音楽などが複雑に絡み合い融合したサウンドが特徴。パーカッションが刻む民族調のビートの上を、シタールのようにオリエンタルな旋律を紡ぐギター、彼方で鳴るエコーのごとき音響的なオルガン、そして絶妙な脱力感を伴ったドイツ語のヴォーカル&コーラスらが浮遊するスタイルは、初期GONGに通じる魅力があります。混沌とした部分は意外となく、衝動よりも計算されたアレンジ&展開の妙を感じさせるのも印象的。ジャーマン・プログレ黎明期の名作です。

  • AMON DUUL II / DANCE OF THE LEMMINGS (TANZ DER LEMMINGE)

    クラウト・ロック代表格、最高傑作との呼び声高い71年発表の3rd

    AMON DUULから分派しChris KarrerとJohn Weinzierlを中心に結成されたグループの、最高傑作と言われる71年3rd。AMON DUULが非常に政治的な活動を視野に入れていたのに対し、AMON DUUL ?はより高い音楽的な活動を目標に枝分かれしたと言う経緯もあって、シンフォニックとすら言えそうなメロトロンやヴァイオリンなどの効果的な使用をはじめ、シタールなど民族楽器の登用など、音楽的にも非常に計算された作風。もちろんシンセサイザー・ノイズやテープのコラージュを駆使したアヴァンギャルド色も見られており、GONGやPINK FLOYDの作品などと同様にある種の中毒性を放つ作品となっています。

  • AMON DUUL II / WOLF CITY

    クラウト・ロック代表格、72年リリースの5th

    72年作。アルバムとしてのトータル性を重視する時代から、個々の楽曲を重視する方向性に移行した時期の作品。名曲「ドイツ・ネパール」収録。

    • BELLE182998

      廃盤希少、紙ジャケット仕様、SHM-CD、09年デジタル・リマスター、ボーナス・トラック3曲、定価3143+税

      盤質:傷あり

      状態:良好

      帯有

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CANの在庫

  • CAN / LIVE… SOEST 1970 PARIS 1973

    70年の独ゾースト公演と73年パリ公演を収録

  • CAN / MONSTER MOVIE

    クラウト・ロック代表格、衝撃の69年デビュー作!

    シュトックハウゼンに師事した現代音楽家や、プロのジャズ・ミュージシャンらによって68年に結成されたドイツのグループ、CAN。彫刻家としてドイツにやってきたアメリカの黒人、マルコム・ムーニーをヴォーカリストに迎えたこの1stは、まさに歴史的な衝撃作です。延々と繰り返されるドラムのビート、ノイズまがいのガレージ・サウンドをかき鳴らすギター、飛び跳ねるように蠢くベース……。そんな音楽家たちによる実験的極まりないアンサンブルに、アマチュア同然のムーニーのヴォーカルが見事に調和しているのだから驚き。ムーニーはこの1stの発売後、神経衰弱によって脱退してしまいますが、時にけだるげに囁き、時にパンクロックのように叫び散らす歌声は、後のヴォーカリスト・ダモ鈴木にも負けず劣らず多彩で個性的。それまでのどんな音楽の型にも収まらない、無機質かつ無国籍なサウンドは、約50年経った今でも未だに最先端と言えるでしょう。

  • CAN / SOON OVER BABALUMA

    クラウト・ロック代表格、74年作

    「W. C. フィールズの文句を言い換えるなら、私たちは二度同じ風呂に入ったことがないんだ(ホルガー・シューカイ)」 ダモが抜けてもカンは飽くなき前進を続ける。カローリのヴァイオリンとリズミカルなヴォーカルのフレーズが印象的な冒頭の名曲「Dizzy Dizzy」を筆頭に、新たなスタートを切った1974年の傑作。リード・ヴォーカルはカローリとシュミットが代わる代わるつとめているが、専任のヴォーカリストを失ったことで、インストゥルメンタルの要素は必然的に増しており、後のシューカイのソロにつながるテープコラージュも頻繁に取り入れられている。シューカイとリーヴェツァイトの繰り出す拍動のようなリズムの上でカローリのギターが暴れる「Chain Reaction」から、静謐な中にも緊張感に満ちて謎めいた「Quantum Physics」への流れも素晴らしすぎる。英「The Wire」誌の企画「最も重要なレコード100枚」にも選出。

    • PCD18610

      紙ジャケット仕様、Blu-spec CD、10年デジタル・リマスター、定価2381+税

      盤質:傷あり

      状態:

      帯有

      紙ジャケに若干指紋汚れあり

  • CAN / LANDED

    普遍的なロック・サウンドを打ち出した75年作

    カン史上、最もポップなメロディと痛快なユーモア精神に彩られた、ロックのステロタイプに限りなく接近しておきながら、スレスレのところで笑い飛ばしてしまう1975年の傑作アルバム。バンドが初めてマルチ・トラック録音を導入したという意味でも節目となったこの作品を受けて、英メロディ・メイカー誌はカンを「地球上で最も進んでいるロック・ユニット」と評した。これまでにない入念なミキシングのプロセスから生まれた巧緻なサウンド・プロダクションと突き抜けた軽快さを感じさせる楽曲の組み合わせが見事に作用している。アモン・デュール?のプロデューサーとして有名なサックス奏者、オラフ・キューブラーが、カンのアルバムでは初のゲスト・ミュージシャンとして参加。カンのディスコグラフィの中では過小評価されているが、聴かれずにいるのはあまりに勿体無い重要作である。

  • CAN / UNLIMITED EDITION

    68-75年までの未発表音源集、全19曲

    最初期から1975年に至るまでの未発表音源をまとめたLP2枚組のコンピレーション。19曲77分という凄まじいヴォリュームで、もうひとつのベスト盤とも呼べる内容。カンにとっては一番60年代当時のビート・バンドに近い作風と言える名曲「Connection」、数十年後の音楽を先取りしていたとしか思えない異様に予見的な「Fall of Another Year」や「The Empress and the Ukraine King」、マルコム・ムーニーのポエトリー・リーディング調のヴォーカルが冴え渡「Mother Upduff」といった、初期のマテリアルだけでも十分に素晴らしいが、ダモ鈴木が日本の「公害の町」に嫌気がさして「ドイツに逃げよう」と英語まじりの日本語で歌う「Doko E(どこへ)」や、『フューチャー・デイズ』期のアンサンブルが秀逸な浮遊感溢れる「Gomorrha」、さらにはカンにおけるユーモアと演奏の自発性を最も良く表している「Ethnological Forgery Series (E.F.S.)」など、何もかもが魅力的である。

  • CAN / SAW DELIGHT

    元トラフィックのRosko Gee(b)とRebop Kwaku Baah(per)を新メンバーに迎え制作された77年作

  • CAN / CANNIBALISM 1

    69-74年期のベスト、全12曲

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POPOL VUHの在庫

  • POPOL VUH / HOSIANNA MANTRA

    ミサ曲形式で進行していく崇高さと神秘性に溢れたジャーマン・プログレ、天上の音楽と言える73年作3rd

    Florian Frickeを中心に結成され、実験性に富んだ独特の世界観とエレクトロニクスを巧みに利用した瞑想的音像が個性的なグループの72年3rd。ピアノ、チェンバロ、ギター、を基本セクションに据えた神々しいサウンドを放っており、適度な前衛性を持ちながらも明確なハーモニーを持った彼ら流のミサ曲となっています。神秘的なソプラノボーカルの参加や、ヴァイオリン、オーボエをフューチャーするなど、個性的な神秘性の中にシンフォニックな彩りを感じることのできる作品であり、繊細な肌触りが素晴らしい1枚です。

  • POPOL VUH / POPOL VUH

    神秘的な作風のジャーマン・プログレ、旧約聖書「山上の垂訓」をテーマにした73年作

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NEKTARの在庫

  • NEKTAR / PURE: LIVE IN GERMANY 2005

    05年の公演とアコースティック・ライヴ映像を収録。

  • NEKTAR / 2004 TOUR LIVE

    ドイツを拠点に活動、英国人メンバーによって結成されたプログレ/ハード・ロック・グループ、04年のアメリカ公演を収録した20年リリースのライヴ・アルバム!

  • NEKTAR / SOUNDS LIKE THIS

    英国人メンバーによってドイツで結成されたプログレ・グループ、73年作

    英国人メンバーによってドイツにて結成&活動するプログレ・グループ、73年作の3rdアルバム。ディープ・パープルやユーライア・ヒープ系統の重厚感溢れる英ハード・ロックに、クラウト・ロックに通じるサイケデリックなまどろみ感をプラスしたような作風が特色で、サイケにたゆたうギターとオルガンが突如としてハードドライヴィンに疾走する時の演奏テクニックは、YESを彷彿させるものがあります。ソウルフルで熱いヴォーカル、ハードエッジで突き進むリード楽器と渡り合う、ソリッドに打ち下ろすような硬質なリズム・セクションも印象的。70年代英プログレ/ハード・ロックのパワフルさとジャーマン・ロック的サイケ感覚が絶妙にミックスされたアート・ロックの傑作!

  • NEKTAR / HIGHLIGHTS

    ドイツで結成・活動した英国人プログレ・バンド、94年コンピレーション

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ANYONE’S DAUGHTERの在庫

  • ANYONE’S DAUGHTER / CALW LIVE

    黒人メンバーを迎えての再結成後、11年ライヴ作

  • ANYONE’S DAUGHTER / ANYONE’S DAUGHTER

    叙情派ジャーマン・シンフォの名グループ、キャッチーかつ優美なメロディーメイクが光る80年リリース2nd

    72年にシュトゥットガルトで結成されたジャーマン・シンフォ・グループ。79年のデビュー作に続く、80年作2nd。幻想的に鳴り響くムーグ・シンセやハモンド・オルガン、泣きまくるハード&メロウなギター、ゴリゴリとよく動くベースとタイトなドラムによる安定感あるリズム隊、そして、叙情みなぎるメロディと豊かなハーモニー。ジェネシスとキャメルからの影響たっぷりなキーボードとリズム隊を軸に、ハード・ロック的なエッジと劇的さのあるギターが織りなす、鉄壁と言える泣きのシンフォニック・ロックが印象的です。それにしても、アンサンブルと歌メロからこれでもかと滴り落ちるリリシズムは圧巻。ユーロ・ロック屈指の名盤です。

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