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BIJELO DUGME『Bitanga i Princeza』 – ユーロ・ロック周遊日記

旧ユーゴを代表するプログレ・グループ、ビエロ・ドゥグメの最高傑作と言われる79年作5th『Bitanga i Princeza』をピックアップいたしましょう。

ビエロ・ドゥグメは、現ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ出身。英米や日本ではそれほど有名なバンドではありませんが、98年に出版された旧ユーゴ・ロックのガイド本『YU 100』の歴代アルバム・ランキングで同一バンドでは最多となる8枚の作品がランクインした旧ユーゴの国民的バンドです。

そんな彼らの代表作が、『YU 100』の歴代アルバム・ランキングで10位になった『Bitanga i Princeza』。

アルバムがリリースされた79年、旧ユーゴ初のロック・フェスがユーゴスラヴィア国立競技場で開催され、なんと7万人の聴衆がつめかけましたが、その時の彼らの映像がYoutubeにありましたので、まずは見てみましょう。

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当時社会主義国家だったとは思えない、観客の数と熱狂。彼らの国内での人気の高さがうかがえますね!

バンドの中心は、サラエボ出身で、白いジャケット姿がキマっているギタリストのゴラン・ブレゴヴィッチ(Goran Bregovic)。ゴランは、バンド活動と同時に映画音楽作曲家としても活躍した旧ユーゴを代表するミュージシャン。

もう一人のキーパーソンが、ヴォーカルのゼリーコ・べべク(Zeljko Bebek)で、彼のエキゾチック&エネルギッシュなシャウトはバンドの大きな魅力。ソロとしても10枚以上のアルバムを残し、シングルヒットも数多く記録するなど、旧ユーゴを代表するシンガーの一人と言えます。

その2人は1969年、べべクのバンドにゴランが参加することで出会い、1971年、彼ら2人を中心に前身バンドのJUTRO(Morningの意)を結成します。同名バンドが居たことから1974年、それまでの代表曲のタイトルから取り、BIJELO DUGME(White Buttonの意)と改名しました。

そして74年に『Kad bi bio bijelo dugme』でデビュー。デビュー前から数多くのフェスに出るなど精力的に活動し、メディアから高い注目を集めた結果、YU GRUPAの1stが持っていたセールス記録を塗り替え、見事ゴールドディスクを獲得します。

大ヒットとなった1stアルバムから、彼らのバンド名の由来ともなったJUTRO時代からの代表曲「Kad bi bio bijelo dugme」をピックアップいたしましょう。

Kad bi bio bijelo dugme

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コシのある歪みとエッジで迫るブルージーなギター、くすんだトーンのオルガン、哀愁みなぎるヴォーカル&メロディ。

レッド・ツェッペリンやユーライア・ヒープからの影響が色濃いハード・ロックを基本に、バルカンのエキゾチズムがプンプンと香るサウンドが印象的。

75年に2nd『Sta bi dao da si na mom mjestu』、76年に3rd『Eto! Bas hocu!』、77年に4thとなるライヴ・アルバム『Koncert kod hajduccke cesme』と着実に作品をリリースしながらサウンドをポップ&ハードに洗練させていき、旧ユーゴのNo1ロック・バンドへと上りつめていきます。

そうして絶頂期を迎えた79年にリリースしたのが、彼らの最高傑作と言われる『Bitanga i Princeza』!

レコーディングは、ベオグラードのPGP-RTBスタジオで、マスタリングはロンドンのアビーロード・スタジオ!

アルバムのオープニングを飾るタイトル・トラックのオフィシャル・ヴィデオがありましたのでピックアップいたしましょう。

T1: Bitanga i Princeza

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前につっかかり気味のエッジの立ったスリリングなギター・リフが超クール!タメの効いたオブリガードもグッとくるし、ギターソロのリッチー・ブラックモアばりのドラマティックなキメもカッコ良し!
(それにしても、影のある表情がカッコ良すぎ!さそがしモテただろうなぁ^^)

メロディから香ってくるエキゾチズムには最初、違和感を感じましたが、何度も聴いていると、これがクセになってくるんですよね~。

それにしても、べべクのヴォーカル、素晴らしいなぁ。ディープ・パープルやレインボーの歴代名ヴォーカルと比べてもずばり遜色なし!

T2: Ala je glupo zaboravit’njen broj

この2曲目もプロモ・ビデオがありました!

スピーディーなハード・ロック・チューンで、ずばりキャッチコピーをつけるなら・・・

『レインボーの「Kill The King」をバルカンの哀愁で包み込むと?』

といった感じでしょうか。

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Kad Zaboravis Juli

このバンドはバラードも魅力なんですよね。

もの悲しく胸に迫る旋律の下地に、ボスニアの伝統音楽で「ボスニアのブルース」と言われているSevdalinkaを感じることができます。

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伝統音楽Sevdalinkaは、中世のオスマン帝国が治世していた時代に起源があるようですが、サラエボは、1463年から1878年までの400年あまりのオスマン帝国治世下に、イスラム文化、カトリック文化、ユダヤ文化が混濁しながら、コスモポリタンな文化を醸成していました。

ビエロ・ドゥグメが活動していた60年代末~80年代にも、サラエボでは、クロアチア人、セルビア人、ムスリム、ユダヤ人が平和的に共存した豊かな都市を築いていたのですが、1991年からはじまったユーゴスラビア紛争に巻き込まれる形で、1992年、サラエボでも紛争がはじまり(ボスニア紛争)、クロアチア人(人口2割:カトリック)、セルビア人(人口3割:セルビア正教)、ムスリム(人口4割)は民族浄化の名の下に引き裂かれ、三つ巴の悲惨な戦いがおこってしまいます。

クロアチア人の父とセルビア人の母を持つゴラン・ブレゴヴィッチはどれほどまでに心を痛めつけられたことでしょう。

そんな歴史的・文化的な背景を持つサラエボで誕生したバンド、ビエロ・ドゥグメは、旧ユーゴならではのコスモポリタンな精神を色濃く持った旧ユーゴ最大のロック・グループであり、もの悲しい旋律とエキゾチズムとハードなエッジの中に、長い歴史の中で育まれたバルカンの熱情が確かに刻まれたバルカン・ロックの最高峰と言えるでしょう。

最後に彼らを代表する感動のバラードで、アルバムのラストを飾る名曲「Sve ce to mila moja prekriti ruzmarin, snjegovi i sas」を05年のライヴバージョンでお聴きください!

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