2019年7月15日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
タグ: ロック&ポップス
ニューヨーク、ブルックリン出身のフォーク・シンガー、ギタリスト、リッチー・ヘヴンスは、早めに会場に到着していました。
主催者マイケル・ラングは、ジミ・ヘンドリックスのアコースティック・セットでフェスティバルを始めたかったのですが、ジミはその時点では到着せず。開演の16時半までにはとにかく誰かをステージに上げなければならず(大変ですね・・・)、マイケルはトップバッターで演奏してくれるアーティストはいないか、会場を探し回ります。
“マイケルがゆっくり俺のほうに歩いてきたんだ。彼が何を言うのか、俺にはすっかりわかっていたよ。近づいてくるにつれて、彼の笑顔がどんどん大きくなっていくんだ。「お願いだよ、リッチー、頼む、お願いだから」――ついに折れたよ。”
(注1 リッチー・ヘヴンスの台詞より引用)
そしてリッチー・ヘヴンスがステージに上がり、ウッドストック・フェスティバルは開幕。
抱え込むようにしてアコースティックギターをかき鳴らし、熱いフォークを奏でていきます。
しかしリッチーが演奏している時点でも次の出演者が決まっておらず、リッチーは退場しても何度もステージに押し戻され、6、7回目のアンコールであの「フリーダム」を演奏します。黒人霊歌の「時には母のない子のように」の旋律にのせて「フリーダム!フリーダム!」と歌い、その情熱に動かされ観客が次第に立ち上がっていく様子は、何度見ても感動してしまいます。
次に登場したのは、インドのヨガ行者、スワミ・サッチダナンダ。
「これからのアメリカは精神面でも世界に貢献するだろう」とスピーチ。短期滞在のつもりで訪れたアメリカでしたが、スワミ・サッチダナンダは大歓迎を受け、そのままアメリカに滞在し、ヨガを広めていきます。
カリフォルニアのロックバンド、スウィート・ウォーター。
複雑な楽器編成、ツインボーカルを擁す彼らの音楽を表現するには、ウッドストック・フェスティバルのステージはやや困難なものがありました。
(注1 スウィート・ウォーターのベース、フレッド・エレーラの台詞より引用)
ニューヨークのフォークシンガー、バート・ソマー。
「いとしのルネ」で有名なバロック・ポップ・バンド、レフト・バンクにボーカルとして参加したり、ミュージカル『ヘアー』に出演したり、といった経歴をもっています。
ウッドストック・フェスティバル主催者のひとり、アーティー・コーンフェルドに誘われて参加しました。柔らかく中世的な歌声が素晴らしいですね。サイモンとガーファンクルの「アメリカ」を歌うと、会場はスタンディングオベーションに。
グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンで、ボブ・ディランとも並び称されたティム・ハーディン。
何と染み渡る演奏なのでしょうか・・・こんな演奏をあの会場で聴いたら、一生忘れられない思い出になりそうです。
しかしこの時のティムは、ベトナムの戦地で覚えたヘロインへの依存と戦っており、次第に演奏はぼろぼろになっていったそうです。
ビートルズを初め、ロックに多大なる影響を与えたシタール奏者、ラヴィ・シャンカール。ノラ・ジョーンズの御父上としても有名ですね。
シタールの幽玄な響き、息のあったタブラとの絡みが、熟練のプレイヤーとしての貫禄を見せつけています。
ラヴィ・シャンカールの演奏の途中で雨が降り始め、雷まで鳴りました。
そんな中、登場したのがメラニー。
ニューヨーク出身で、それまでグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・クラブで演奏し、大きな舞台で演奏する経験が無く知名度も低かったメラニー。
とても緊張し、演奏中に幽体離脱をした(!)そうですが、彼女のピュアな歌声は観客に響いていきます。
奔放な歌いっぷりがいいですね。出番はまだ先だと思っていたアローは、だいぶアシッドをやっていたそう・・・
初日のトリを務めたのはジョーン・バエズ。澄み切った歌声が美しいですね。
(注1)の引用はすべて、マイケル・ラング ホリー・ジョージ―ウォーレン著 室谷憲治訳『ウッドストックへの道』からのものです。
コメントをシェアしよう!
カケレコのWebマガジン
60/70年代ロックのニュース/探求情報発信中!