2019年7月15日 | カテゴリー:世界のロック探求ナビ
タグ: ロック&ポップス
「何もない人間たちが何かを求めて来ている。みんな何か答えを求めて・・・それが何なのか、皆模索していると思うんだ」
これは映画『愛と平和と音楽の3日間 ウッドストック』の中で、チケットを持たずに会場に来た少年の台詞です。
まさにウッドストック・フェスティバルを言い得ている言葉の一つではないでしょうか。
1969年8月15日~17日(実際には18日まで)、米ニューヨーク州の農場で開催されたウッドストック・フェスティバル。
「平和と音楽の3日間」として、今もなお、ロック・ファンの間で伝説として語り継がれています。
今回は、伝説のロック・フェス、ウッドストック・フェスティバルの概要をおさらいすると同時に、『平和と音楽の3日間』というフレーズがどんな意味を持っていたのか、考えてみたいと思います。
ウッドストック・フェスティバルには、何と40万人も詰めかけているんです!
因みに、
2019年のグラストンベリー・フェスティバルの観客・・・約13万5千人。
2018年のフジロックフェスティバルの観客・・・約12万5千人。
東京ドーム収容人数・・・約5万5千人。
また、これだけの人数が集まったにも関わらず、大きな事件は無く、(トラクターに轢かれ死亡した少年、ドラッグの過剰摂取による死亡者、計2名の死亡者がいました。出産も2件ありました。)参加者は助け合って3日間を過ごしました。
そこで出会った連中どうしでダベったり、ワインをまわしたり、みんなそれぞれのやり方でグッドタイム、楽しんでいたんだよ。どこから来たのか、若いか、年をとっているかなんて、そんなことはまったく関係なくさ。あたりにはグッド・ヴァイブがあふれていたんだ。(注1 リッチー・ヘヴンスの台詞より)
・予定会場が住民の猛反対にあい、なんと1か月前に会場が急遽変更に。まさにドタバタの会場準備。
・予想をはるかに上回る観客が押し寄せ、交通網は完全にマヒ。
「災害地域」と呼ばれ、ラジオからは「もう会場に向かわないでください」とアナウンスが。アーティスト達も足止めを食らい、コンサートの進行は大幅に変更になりました。
・入場ゲートと柵の設営が不完全で、結局、コンサートは無料コンサートに(!!)主催者側は大赤字となりました。
・度重なる雨で、機材は濡れ、会場は泥んこに。演奏も度々中断せざるを得ませんでした。
錚々たる顔ぶれです。こんな豪華な公演が、無料で観れてしまうなんて・・・
もし今このメンツが観れるなら(他界しているアーティストも多いですが)、いくらでも払ってしまいますよね。
アーティストの演奏はページ下部の次ページボタンからどうそ!
ウッドストック・フェスティバルが開催された1969年のアメリカは、大きく揺れ動いていました。
ベトナム戦争
50年代から、共産主義が広まるのを恐れてベトナムに進出したアメリカ。
60年代末には軍事介入を始めました。ジャングルでの戦いに苦戦したアメリカは、兵士以外の一般人も殺し、枯葉剤を散布。枯葉剤の影響は親から子、子から孫へと広がり、今も被害は続いています。
“ジャングルのなかを殺人の米軍兵士が歩いていく。突然、銃撃の音がする。兵士たちは地面に伏せる。先頭を歩いていた兵士は頭に被弾し、頭が吹き飛び、首から上のない死体となって、どっさりと草のなかに倒れ込む。(略)このようなフィルムが検閲なしで、夕方のニュースの項目のひとつとして、毎日かならず放映されていた。居間のTVでこれを見ていると、その居間もやがて悪夢のまっただなかとなった。反戦はここから高まった。”
(ニュー ルーディーズ・クラブ VOL.4 片岡義男「星条旗のはためく下で」より)
ベトナム戦争の様子はテレビなどで放映され、反戦の気運はアメリカ全国各地、そして世界へと広がっていきました。
明日は自分が徴兵されるかも知れない、そんな状況で若者はウッドストック・フェスティバルに来ていたのです。
公民権運動
“(ウッドストック・フェスティバルで)特に驚いたのは、黒人と白人がビールを回し飲みしていたこと。これは凄い。あの頃、ニューヨークでもロスでも、黒人をレストランによっては入れなかった。今はそんなことないけどね。非常にラヴ・アンド・ピースという感じがしました。”
(ニュー ルーディーズ・クラブ VOL.4 「ウッドストックを観た唯一の日本人 成毛滋 インタビュー ラヴ・アンド・ピースは確かに存在した」より)
17世紀より奴隷としてアメリカに連行されて以来、差別され続けてきたアフリカ系アメリカ人。
60年代には公民権運動が隆盛を極めます。
非暴力による運動を訴え続けたキング牧師が1968年に凶弾に倒れてからは、運動が激化していきます。また、公民権運動によって、女性解放運動も広まっていきます。
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ウッドストック・フェスティバルは、社会全体が混沌としていた中で、ロック音楽が社会的・政治的な意味を持つようになり、それに心から共鳴したアメリカ中の若者たちの熱気が、カウンター・カルチャーとして一つの爆発を見せた催しと言えるのではないでしょうか。
さて、次ページから、アーティストの演奏を聴いていきましょう!
(注1)マイケル・ラング ホリー・ジョージ―ウォーレン著 室谷憲治訳『ウッドストックへの道』より引用
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