1962年、アメリカの黒人音楽(R&B)に触発された、英国のスキッフル・ブームの中からデビューを果したBEATLESは、「マッシュルーム・カット」に「襟なしシャツ」という斬新なスタイルで、英国のティーンエイジャー達を熱狂させて行きました。彼等の大ヒットは、ROLLING STONESを始めとする、その他のブリティッシュ・ビート・バンド達へのチャンスへと繋がって行き、世に言う「ブリティッシュ・インベンション(英国の侵攻)」という現象を生み出し行きました。
空前の「英国の侵攻」ブームに対し、大きくファイティング・ポーズをとる形となったのが、あのBEATLESにもソングライティングの面で大きな影響を与えた、BOB DYLANの存在です。彼は65年、当時一大論争を巻き起こした、フォークとロックンロールの融合、即ち「フォーク・ロック」作品を発表。続いて同年6月には、BEATLESと似たルックスを持つBYRDSが、DYLANの「MR.TAMBOURINE MAN」をロック・スタイルでカヴァー。このフォーク・ロック・サウンドは、次々に多彩なバンドを生んで行き、ELVIS以来停滞していたアメリカン・ロック・シーンを、再び蘇らせる事となりました。
このフォーク・ロック・サウンドは、元々の影響源でもあったBEATLESへと更に新たな影響を与え、「RUBBER SOUL」という幅の広い音楽性を兼ね備えた名作を生んで行きます。こうして米国と英国のロックは、互いに影響を与え受けながら成長して行きます。
1960年代後半、アメリカはベトナム戦争という大義の見えない泥沼に深くはまり込み、国民の多くが、その戦争の意味について強く疑念を噴出させて行きます。そんな中、「一体、何の為に戦っているのか?」と、敵も味方も同じ顔をしているベトナム人を相手に戦うアメリカ人兵士…。そんな彼等の「恐怖心」を紛らわせる為、アメリカ政府は彼等に、精神安定を目的としたドラッグの支給を行います。
このドラッグが国内にも広く波及。そんな背景の下に花開いたのが、西海岸はサンフランシスコを中心としたドラッグ・カルチャーとサイケデリック・ロック・ムーブメントです。彼等は、物質文明の行き着く果てにある、殺戮と破壊の世界に強く「NO!」を突きつけ、「花を愛し、歌を歌い、争いをやめよう!」という理想を掲げて、既存の体制に大きく反旗を翻します。これは「カウンター・カルチャー(抵抗文化)」と呼ばれ、20世紀世界の文化傾向として一大潮流を成して行く事となります。
この後、サイケデリック・カルチャーは大西洋を渡り、BEATLESの東洋思想、インド音楽への傾倒を促し、あの「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」を誕生させます。「Sgt. Pepper’s」は、ブリティッシュ・ビート・バンドの創作意識を飛躍的に高め、その遺伝子は、プログレッシヴ・ロック・ムーブメントへと受け継がれて行く事となるのです。
75年「大義なき戦争」ベトナム戦争は、アメリカの完璧な敗戦に終わりました。戦争終結を境に、アメリカの民衆意識は大きく変わって行きます。一方、60年代のロック・スター達もまた、過剰なドラッグ摂取等がたたり相次いで他界。変革と狂騒の季節を生き抜いた人々は、やるせない挫折感と疲労感を味わいながら、次第に内省的に自己を見つめ直す作品を生み出して行く事となります。
ベトナム戦争の挫折を、個人的挫折のメタファーとして用いた作風等で再出発したJAMES TAYLOR、伝統的なティン・パン・アレーの職業ソングライターから脱却し、自立した女性像を歌に託したCAROL KING。彼等は「シンガー・ソングライター(自作自演歌手)」と呼ばれ、70年代と言う個人的内省の時代にフィットした人肌の音楽を追求して行きます。
LAを中心とした西海岸では、開放的で爽やかな「ウェスト・コースト・サウンド」が隆盛を極めて行きました。そんな中、映画の都ハリウッドに代表される芸能界の退廃ぶりを象徴的に歌に託し込んだEAGLESは、洗練されたカントリー・ロック・サウンドを聴かせます。その潮流の極みとして、都会的なロック、「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)」が誕生します。ジャズやソウルのスムージーなサウンド感覚をロックの中に組み込んだそのサウンドは、様々な音楽とクロスオーヴァーしながら、80年代のメインストリーム・ミュージックへと大きく取り込まれて行く事になります。
【第四章】アメリカン・ロック・ジュークボックス ~ シーンを彩る名グループたちへ。
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