2014年10月23日 | カテゴリー:ユーロ・ロック周遊日記
タグ: プログレ
旧チェコスロバキアを代表するプログレ・バンドCOLLEGIUM MUSICUMの72年作2nd『Konvergencie』をピックアップいたしましょう。
このアルバムは、スロヴァキアの新聞紙NOVY CASが発表した『The 100 Greatest Slovak Albums of All Time(スロヴァキアの歴代作品100枚)』において、なんと2位を獲得した同国を代表する傑作。
中心人物のキーボード&コンポーザーのMarian Vargaから繰り出されるクラシック音楽の確かな素養に根ざした、時に格調高く時にアヴァンギャルドなサウンドは、「共産圏」のバンドというイメージを覆すほどに洗練を極めています。
「西側」の国と比べて、「共産圏」はどうしても文化的に劣るという色眼鏡で見てしまいがちですが、「共産圏」のロックという見方ではなく、旧ハプスブルク帝国*(=ドナウ帝国)の土壌で育まれたロック・ミュージックと捉えるほうが有意義な気がします。
彼らが活動していたブラチスラバは、現スロヴァキア共和国の首都で、ハプスブル帝国の繁栄を築いた女帝マリア・テレジアも暮らした古城ブラチスラヴァ城が見下ろし、中心には悠久なるドナウ川が流れる古き良き中世ヨーロッパの香りを漂わせる街。「音楽の都」ウィーンからわずか50kmあまりという位置にあり、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドン、リスト、ブラームスなどが頻繁に訪れて演奏会を開いたり、ベートーヴェンとも並び称される巨匠であるピアニストJ.N.フンメルを輩出するなど、クラシック音楽の豊かな土壌があります。COLLEGIUM MUSICUMが活躍した70年代にも、バロック様式のコンサート・ホール「レドゥタ」から、スロバキア交響楽団による艶やかな演奏が日夜聴こえてきたはずです。
そんなブラチスラバから80kmほど北にある小さな街スカリカで1947年、土木技師の父と数学教師の母との間に生まれたMarian Vargaは、母方の叔父の影響で6歳でピアノをはじめます。
その叔父は、音楽学校を卒業した後に医者になった才人だったようで、彼が家を訪れてはピアノを弾いてもらえることを、Marian少年はいつも楽しみにしていたようです。
ドビュッシーやショパンやバルトークやヤナチェクを演奏する一方、叔父が買ってくれたジャズ・ピアノの名手デイヴ・ブルーベックのレコードにも影響を受けながらピアニストとして成長していき、思春期には、ラジオ・ルクセンブルグから流れてくるビートルズやホリーズやザ・フーなどビート・ミュージックに熱狂しました。ブラチスラバに出た後はすぐに才能を認められたようで、スロヴァキアを代表するミュージシャンPavol Hammel率いる人気ビート・バンドPRUDYに加入します。
2年間の在籍期間の中で、69年リリースの『Zvonte Zvonky』をリリース。なお、この作品は、先に紹介したスロヴァキアの歴代作品ランキングの中で1位を記録した作品。Marian Vargaは、1位と2位の作品に参加しているんですね。
NICEやEL&Pに刺激を受け、より演奏に比重を置いたバンドを結成するべく、PRUDYを脱退。共にPRUDYで活動していたベースのFedor Freso、ドラムのDusan HajekとともにCOLLEGIUM MUSICUMを結成しました。なお、ベースのFedorは、後にM.EFEKTやFERMATAでも活躍するスロヴァキアを代表するベーシストです。
1971年に『Collegium Musicum』でデビュー。そして、同年にリリースされた2ndが『Konvergencie』です。
2枚組の大作で、それぞれの面を丸々使った大曲4曲という構成。クラシック音楽を軸に、ミュージック・コンクレートなどアヴァンギャルド音楽へも接近したMarian Vargaの音楽性と、バックによるブルースからジャズまで飲み込んだキレのあるアンサンブルがぶつかりあった知性的でいてダイナミズム溢れる楽曲がずらり。
本作より元PRUDYで、後にFERMATAを結成するギタリストFrantisek Griglakが参加しているのも特筆。ジミ・ヘンドリックスやジミー・ペイジからの影響を受けた彼のブルージーでエッジの立ったギターがロック的なドライヴ感を見事にバンドにもたらしています。
オープニングを飾るのは「P.F. 1972」。
ファンファーレのようなハモンド・オルガン、しなりの効いたブルージーなギター、ジャズ・ロック的なシャープでキレのあるドラムが生み出す、勇壮かつ華麗なるキーボード・プログレ・アンサンブルでスタート。
EL&Pも彷彿させますが、彼らと比べて、まるで金管楽器のような艷やかさやきらびやかさが音にあるのが印象的。バロック建築の町並みとクラシック音楽の豊かな土壌の元で生まれたロック・ミュージックであることを感じます。
ファズをかけたオルガンが滑らかにメロディアスなフレーズを奏で、柔らかに陽光が溢れるようなパートは、デイヴ・スチュワート率いる英国カンタベリーのKHANを彷彿。子供の混声合唱が入ると、一気にヨーロピアンな香りが漂い、やはり、共産圏のプログレ、というより、ハプスブルク帝国の遺産を継ぐプログレといった方がしっくりきます。
ベースがゴリゴリと疾走し、ギターがエッジの立ったトーンでリズムを刻むと、オランダのトレースばりの躍動感溢れるクラシカル・キーボード・プログレへと展開。ドラムもまるでザ・フーばりに手数多くハード・ドライヴィングで、R&B直流のロック・バンドとしてのエネルギーにも満ち溢れています。
Marian Vargaのコンポーザーとしての特徴は、気品あるクラシカル・プログレだけでなく、突如としてアヴァンギャルド・ミュージックに振りきれるところ。ドライヴ感あるパートから一転、エコーたっぷりな不協和音を敷き詰めたり、チェンバー・ロックばりに暗黒/不穏なフレーズをたなびかせたりと一筋縄ではいきません。
クラシック音楽の持つ「気品」や「勇壮さ」や「華麗さ」、そこにR&Bやブルースの流れを汲むロック・ミュージックの躍動感が加味され、さらにミュージック・コンクレートなどアヴァンギャルド・ミュージックへも接近したCOLLEGIUM MUSICUMならではのロックが完成した名曲です。
2曲目は「Suita po tisic a jednej noci」。
ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフの交響曲『シェヘラザード』をモチーフにした楽曲。途中、ストラヴィンスキー『火の鳥』のテーマも飛び出します。
オルガンから繰り出されるスラヴの香り濃厚な『シェヘラザード』のテーマ、スラヴの地ならではの舞踏的な躍動感みなぎるリズム隊が印象的。ギタリストも素晴らしく、前のめりに伸びやかに奏でられるブルージー&ワイルドなフレーズから、ジミ・ヘンばりのすすり泣くような泣きのフレーズまで、楽曲に見事な陰影を描き出しています。時にティンパニのように原始的な低音を響かせ、時に激しくギャロップするドラムもまた見事。
ライヴ録音とは思えない精緻さとともに、ライヴ録音ならではのはち切れんばかりのダイナミズムを併せ持ったキーボード・プログレ・アンサンブルは、EL&P『展覧会の絵』への旧チェコからの回答と言えるでしょう。
旧アナログでは2枚目となる3曲目は「Piesne z kolovratku」。
このアルバム唯一のヴォーカル曲で、PRUDY時代の盟友Pavol Hammelがゲストとして参加。そのヴォーカルはとにかく絶品で、リリカルでハートフルなピアノをバックに、幻想的で温かな歌声が柔らかに胸へと響いてきます。
祈りのような崇高さとともにトラッド・ミュージックの牧歌性もあるメロディからあふれだす最上級の詩情も特筆もの。
ヴォーカルの響きはスウェーデンやフィンランドのファンタスティックなプログレも彷彿させますが、調べてみると、スロヴァキア語、スウェーデン語ともにインド・ヨーロッパ語族に属しているので、響きが似ているのでしょう。北欧ファンタスティック・プログレのファンもたまらないメロディアスさです。
『アビー・ロード』のB面を思わせるビートリッシュなギターもまたグッとくる素晴らしさ。
時に、スウェーデンのMNWレーベルのバンドのようなほのぼのサイケなフォーク・ロックに展開したり、初期イエスばりにダイナミックに突き進んだり、民俗弦楽器が農村の祝祭のようなムードを醸し出したり、そこから一転して、ハモンド・オルガンが神聖なる響きを奏で、聖なる歌唱が静謐に響き渡ったり、スロヴァキアの市井の人々の日常のサウンドトラックと言えるような温かな眼差しに溢れた演奏が続きます。
クラシックに根ざした歌ものフォーク・ロックとして一級品と言える名曲。ただただ、素晴らしい!
そして、ラストを飾るのが「Eufonia」。
イントロこそ、素っ頓狂な跳ねたギター・カッティングに、きらびやかなトーンのキーボードがちょっぴり外したようなフレーズを織り交ぜる、まるでサムラのような明るいアヴァン・ロックを聞かせますが、音が段々と変調していき、無調のアヴァンギャルド・ミュージックへと突入。
Marian Vargaは、ミュージック・コンクレートなどアヴァンギャルドな音楽に向けて東ドイツで制作された低周波発振楽器「Subharchord」の使い手としても知られていますが、この曲で聴ける、ウネリを上げる発振音はきっとSubharchordの音でしょう。
もはやノイズと言えるフリーキーな発振音が吹き荒れる電子音の無機的な音世界。その先に、一筋の光が降りてくるように鳴らされる静謐なピアノ、そして、遠い過去の記憶が呼び覚まされたようにカットインしてくる、変調してまるで逆回転のように響く子供の合唱が印象的です。
最後は、ハモンド・オルガンがまるで教会の中のように重厚なフレーズを奏でて荘厳にフィナーレ。
ワーグナーが調性を破棄してロマン派音楽を終焉させ、ストラヴィンスキーやバルトークが民俗音楽や原始宗教の中に音楽の発展を見出す一方で、調性の破棄の果てに誕生したミュージック・コンクレートや偶然音楽などのアヴァンギャルド・ミュージック。
そんなアヴァンギャルドも含めたクラシック音楽という流れのその確かな先にあるロック・ミュージックとして、ある意味で「正統派」と位置づけられる楽曲とも言えるでしょう。
恐るべしMarian Vargaの才能。
ウィーンを中心に、ドナウ川流域にかけて中世から第一次大戦の終わりまで中・東欧を支配し、ヨーロッパの歴史を動かしてきたハプスブルク帝国の豊かな文化と、そこで育まれたクラシック音楽の遺産を受け継いだ唯一無比なプログレッシヴ・ロック・バンドが、Marian Varga率いるCOLLEGIUM MUSIC。
ハプスブルク帝国の文化が息づく土壌だからこそ生まれたユーロ・ロックの金字塔的名作です。
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