2017年1月7日 | カテゴリー:MEET THE SONGS,世界のロック探求ナビ
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今日の「MEET THE SONGS」はいつ聴いてもエモーショナルなヴォーカルが胸に迫る名盤、ジャニス・ジョプリンの『PEARL』をピックアップいたします。
ジャニスの最高傑作にして遺作となった『PEARL』。このアルバム制作を進めている時、ジャニスは27歳という若さでオーヴァードーズのため他界してしまいます。一緒にレコーディングをしていたのはフル・ティルト・ブギー・バンド。ジャニスにとって、やっと巡り会えた理想のバック・バンドでした。
ここでジャニスがフル・ティルト・ブギー・バンドに出会うまでに一緒に活動したバンドを振り返ってみましょう。
最初に活動を共にしたバンドはサンフランシスコのサイケデリック・バンド、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー。66年にジャニスがバンドに加わる形で活動を始めます。
67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演し、ジャニスの圧倒的な歌声で注目を集めたバンドはコロンビア・レコードと契約。翌年リリースした『チープ・スリル』がビルボード・チャートで1位に輝くという成功の一方で、バンドの演奏力不足を指摘する声もあり、ジャニスは周囲の勧めや本人の意志によりアルバムリリース後ほどなくしてバンドを脱退します。
ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー脱退後、共にバンドを抜けたギタリスト、サム・アンドリューとスタジオ・ミュージシャン達でバック・バンドが組まれます。
サム以外のメンバーを集めたのは、ボブ・ディランの『追憶のハイウェイ』にも参加したセッション・ベーシストのハーヴェイ・ブルックス。この頃ハーヴェイが在籍していたバンド、エレクトリック・フラッグと同じく、ジャニスのバック・バンドにもホーン・セクションが取り入れられてソウル・レヴュー形式のバンドになっています。
しかしこのバンドはメンバーが流動的だったこともあり結束は弱く、バンドとの絆を求めるジャニスには居心地が良くなかったようです。この通称コズミック・ブルース・バンドとは69年に『コズミック・ブルースを歌う』をリリースしますが、良い評価は得られず、ジャニスはこのバンドを解散させてしまいます。
コズミック・ブルース・バンド解散後、マネージャーのアルバート・グロスマンの人脈でスタジオ・ミュージシャンが集められてフル・ティルト・ブギー・バンドが結成されます。
メンバーは5人で、コズミック・ブルース・バンドにも参加していたギタリストのJohn TillとベーシストのBrad Campbell。そしてピアニストのRichard Bell、ドラマーのClark Pierspn 、オルガン担当のKen Pearson。John TillとRichard Bellはカナダでロニー・ホーキンスのバック・バンドに在籍していました。ロニー・ホーキンスのバック・バンドといえば、ザ・バンドのメンバーがいた事がよく知られていますね。John TillとRichard Bellは、そのザ・バンドとなるメンバーがホーキンスの元を去った後バックを務めていました。
ちなみにこのフル・ティルト・ブギー・バンドは、ドラマーのClark Pierspn のみアメリカ人で他のメンバーはカナダ出身というザ・バンドと同じメンバー構成。他にもロビー・ロバートソンがプロデュースしたSSWジェシ・ウィンチェスターの71年デビュー作にKen Pearsonが参加していたり、再結成したザ・バンドにRichard Bellが加入したりと色々な繋がりがあり面白いですね。
メンバーがほぼ同郷という事もあってか一体感もあり、ついにジャニスが求めていた、絆も実力もあるバンドとの活動が始まります。
カナダを横断する「フェスティバル・エクスプレス」のツアーやTV出演を共にした後『PEARL』の制作を開始。
ドアーズやポール・バタフィールド・ブルース・バンドの作品を手掛けてきたポール・ロスチャイルドがプロデュースを務めています。
ジャニスとポールの相性も良く、信頼のおける仲間に囲まれてのレコ―ディングはジャニスにとってとても良い環境だったのでしょう。激しいだけではなく、切なさや穏やかさなど感情豊かなジャニスの歌声にどんどん引き込まれてしまいます。
冒頭のようにアルバム制作途中でジャニスは亡くなってしまいますが、制作は進められ3ヶ月後にリリース。
ヴォーカルがないまま収録された「Buried Alive In The Blues(生きながらブルースに葬られ)」はジャニスが亡くなった翌日に歌入れの予定だったといいます。
未完成ながら最高傑作となったこの作品。聴くたびに、「ジャニスが生きてたら・・・」と思わずにはいられませんね。
それでは、オープニングの躍動感溢れる「Move Over」からお聴きください!
こちらは穏やかに語りかけるような歌声が心地良い、クリス・クリストファーソンのカヴァー曲。
ジャニスのヴォーカルが入るはずだったこの曲。バンドの演奏と掛け合うジャニス声が聴こえてきそうです。
最後に切なさが胸に迫るこの曲をどうぞ!
いかかでしたか?
「MEET THE SONSG」は、定番からニッチ盤まで僕らのロック・ミュージックを紹介しています。またお会いいたしましょう。
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紙ジャケット仕様、三方背ケース・ポスター付仕様、2枚組、シリアルナンバー入り
盤質:傷あり
状態:良好
71年に発表されたJANISの遺作となるスタジオ・レコーディング。彼女の理想のプロデューサー、Paul Rothchildとのセッション通じて本当に自分の追求する音をみつけ、彼女の可能性は無限に広がっていきそうに見えた矢先、未完のままドラッグの過剰摂取により27才で亡くなりました…。『PEARL』はJANISが好んだニックネーム、人からこう呼ばれることを嬉しがったと言います。全米No.1アルバム。全米No.1シングル「Me and Bobby McGee」収録。新たなバック・バンドであるFull Tilt Boogie Bandを従えて制作されたが、本作が完成する前の1970年にジャニスは亡くなり、1971に遺作として発表された。ジャニスはこのアルバムの完成を待たずに死んでしまったわけですが、間違いなくロックの歴史に残る一枚。ジャニスの死によって、「生きながらブルースに葬られ」は、 歌なしのまま収録されました。全米9週連続1位。
20P22355
490円 (税込539円)
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