こんにちは。スタッフみなとです。
6月19日は、英国のシンガーソングライター、ニック・ドレイクの誕生日です。
もし生きていたなら、71歳を迎えていました。
その繊細な楽曲と歌声で、今でもなお多くの人に影響を与え続けていますよね。
今日は、ニック・ドレイクがどんな音楽に影響を受けていたのか、生い立ちから見ていきたいと思います。
1948年、ピアノと歌が得意な母、モリー・ドレイクと、貿易会社で働く家族思いの父、ロドニー・ドレイクの間に生まれたニック・ドレイク。
幼い頃から音楽が大好きで、3,4歳の頃にはもう作曲をしていたそうです。
姉ガブリエルとともにピアノを習い、ポピュラー・ピアニスト、ラス・コンウェイが大のお気に入りだったそう。
♪RUSS CONWAY
土曜の朝にはBBCラジオから流れる娯楽音楽に耳を傾けていたとか。
♪PEARL CARR & TEDDY JOHNSON / Sing, Little Birdie
幸せそうな子供時代が浮かんできます。
62年、パブリック・スクールに通うことになった14歳のニック。
背が高く、控えめで礼儀正しい生徒だったようです。
その悲劇的な死が多く語られがちなニックですが、この頃は比較的快活で、スポーツでも大活躍。とにかく足が速く、ラグビーでもホッケーでも一目置かれていました。
その頃、サックスやクラリネットを習い始め、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』に夢中に。
グラハム・ボンド・オーガニゼイションの「St. James Infirmary」もサックス・パートがお気に入りだったとか。
ニックの演奏するサックスはどんな音が鳴っていたのでしょうか。
やがてギターに出会ったニックは友人からコードを教わるとみるみる上達。
暇があるとギターを練習し、フォーク、ブルース、R&Bなど、あらゆるレコードを聴き漁るようになります。
67年10月にケンブリッジ大学に入学したニックは、ますますギターにのめりこみます。
当時のギターヒーローであるエリック・クラプトンやジミー・ペイジではなく、バート・ヤンシュやジョン・レンボーン、デイヴィ・グレアムなどブリティッシュ・フォーク勢をアコースティック・ギターの師として仰ぎ、戦前のアメリカのブルース・シンガーも熱心に研究していたそうです。
♪BERT JANSCH / Strolling Down The Highway
やがて自身でも本格的に曲を書き始め、のちの1stアルバム『FIVE LEAVES LEFT』に収録されることになる、「Time Has Told Me」「River Man」などをよく友達の部屋で歌ってくれたそうです。
大勢の人の前で曲を披露するのを好まず、友達と2人きりの時にそっと歌っていました。
またこの頃、後にニックの楽曲に素晴らしいアレンジを施すことになる、ロバート・カービーと出会っています。
1968年にニックが愛聴していたアルバムを見ていくと、後の彼の作品にどこか繋がっているところがあります。
いくつか聴いてまいりましょう!
Arthur Lee率いるサイケ・フォーク・ロック・バンド、67年作です。
途中入り込むヴィオラなどのストリングス。オーケストラとロックが融合しています。またアコースティック・ギターの繊細なピッキングが、ニック・ドレイクの楽曲を思わせます。
米カルフォルニアの男女混声コーラス・グループ、67年作。
ニックは、「このロックとオーケストラの融合は、『ペット・サウンズ』の再来だ!」と言っていたそうです。
早世したアメリカのSSW、67年作。
いったいどんな思いで聴いていたのでしょうか。
アイルランド生まれのSSW。68年作です。
弦・管楽器がさり気なくアレンジされており、スモーキーなボーカルと寂寥感を感じるメロディがたまりませんね。
LA生まれのSSW、68年作。
上品なストリングスが、映画音楽のようにアレンジされています。
バーズ版『Sgt.Peppers』とでも言えそうな68年の傑作5thアルバム。
柔らかなストリングスやスティール・ギターの響きが、どこかニックの楽曲にもつながっている気がします。
ニックはこれらのアルバムから、楽曲にどうやってオーケストラを交えていくのか学んだのでしょう。
67年頃、ロンドンのクラブで演奏していたニック・ドレイクを、フェアポート・コンヴェンションのアシュレー・ハッチングスが発見。アシュレーは衝撃を受け、すぐさまマネージャーのジョー・ボイドに紹介します。
ジョー・ボイドのウィッチシーズン・プロダクションから1stアルバム『FIVE LEAVES LEFT』をリリース。
レコーディングを始めた時点で楽曲はほぼ完成の域に達していたそうです。
ケンブリッジの同級生、ロバート・カービーがストリングスをアレンジ。ニックのアコースティック・ギターと美しく融合しています!
さて、リリース後、まずまずの評判を得た『FIVE LEAVES LEFT』でしたが、シングル・カットが無かったこと、またニックがプロモーションの為のライヴを拒否したことで、大きなヒットにはなりませんでした。
69年の夏、音楽活動に専念するためニックは大学を辞めます。
前作から引き続きロバート・カービーをアレンジャーに迎え、より厚みのあるアレンジと、ジャズやソウルのエッセンスを加えた洗練された楽曲が特徴の今作。
フェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソン、ダニー・トンプソンに加え、デイヴ・マタックスやデイヴ・ペグ、元ヴェルヴェッツのジョン・ケイルなど様々なミュージシャンが参加しています。
2nd制作の頃から、ニックは塞ぎがちになり、精神状態が次第に悪化していきます。
自信を持って世に放った作品がそれほど評価されなかったことは、ニックにとって大きな打撃となったようです。
当時シンガーソングライターが売れるためには、プロモーションのためのツアーが不可欠でしたが、ステージで歌うことへの恐怖感を募らせていたニックにはそれがどうしても出来ませんでした。
また、71年にはニックが信頼していたプロデューサー、ジョー・ボイドがレコード会社の業績不振のためにアメリカへと渡ってしまいます。
衰弱したニックは実家に戻り、スタジオでほぼギターと歌のみのアルバムをたった2晩で制作。
前2作と比べて、寂寥感が凄まじいです。
またこの後、4枚目のアルバムに収録されるはずだった楽曲もレコーディングしています。
孤独と不安を隠さないボーカルとギターに、どことなく死の影を感じてしまいます。
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病を悪化させたニック・ドレイクは、1974年11月24日未明、自宅で息を引き取ります。
睡眠薬を飲み過ぎたことが原因だそうです。
あまりにも悲しい死ですが、ニック・ドレイクの生涯には「悲しみ」だけでなく、家族と穏やかに過ごしたり、級友と学校生活を楽しんだ時期が確かにあったことを胸にとどめて置きたいなと思います。
また何よりも、その素晴らしい音楽はいつまでもファンにとって宝物であり続けることでしょう。
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孤高の英フォーク・シンガー、ニック・ドレイクが残したレア・トラック集。目玉は、彼が最後にレコーディングした曲と言われる完全未発表曲「Tow The Line」。その他、1stの弦アレンジを担当したロバート・カービーの自宅の納屋から発見された1st収録曲のデモ音源(弾き語りの「River Man」が素晴らしい)や、1stのアウトテイク、ロバートが当時の譜面を元にオーケストラ・アレンジを施した「Time Of No Reply」など、英フォークファン涙の楽曲満載。
70年作の2ndアルバム。弾き語りとストリングスだけのシンプルなサウンドだった1stに比べ、キーボードやホーンなどによるバラエティに富んだアンサンブルが印象的。曲調も開放的なムードに溢れています。繊細な中にも力強さが感じられる歌声からは作品に対する自信が滲み出ています。楽曲、アンサンブルともに完成度の高い名作。リチャード・トンプソン、ジョン・ケイルなど参加。
盤質:無傷/小傷
状態:
ケース不良、ケース1枚にヒビ・トレー1枚にツメ折れ1カ所あり、ボックスに経年・小さい破れあり、その他は状態良好です
アメリカを代表するフォーク・ロック・グループ。バーズ版『Sgt.Peppers』とでも言えそうな68年の傑作5thアルバム。プロデュースはゲイリー・アッシャー。
Jimi Hendrixとも交流があった黒人ロック・ギタリスト、Arthur Lee率いるサイケ・フォーク・ロック・バンドが67年に発表した傑作3rd 。“黒人音楽とTHE BYRDSとの邂逅”とも称された傑作1stの流れを汲んだフォーク・ロック・サウンドに、本作では甘美なストリングスなどのアレンジを導入。サイケ・ポップやネオアコのリスナーまでを魅了する幻想/白昼夢のようなエッセンスを湛えています。Arthur Leeのペンによるカオティックな歌詞も本作の特徴で、甘美で夢見心地なサウンドとの奇妙なコントラストも一興。
デラックス・エディション、デジタル・リマスター、ボーナス・トラック7曲、スリップケース付き仕様、定価1700+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯に若干ケースツメ跡・軽微な折れあり、スリップケースに若干圧痕あり
70年作の2ndアルバム。弾き語りとストリングスだけのシンプルなサウンドだった1stに比べ、キーボードやホーンなどによるバラエティに富んだアンサンブルが印象的。曲調も開放的なムードに溢れています。繊細な中にも力強さが感じられる歌声からは作品に対する自信が滲み出ています。楽曲、アンサンブルともに完成度の高い名作。リチャード・トンプソン、ジョン・ケイルなど参加。
イギリスに属する北アイルランドはベルファスト出身。ゼムで活動した後、渡米。67年のソロ・デビュー作の後、ワーナー・ブラザーズと契約し、68年にリリースされたのが、本作2ndです。バックにはジャズ・ミュージシャンを起用。ジャジーなダブル・ベース、ジャケのイメージ通りの神秘的なフルートやヴァイヴなど、彼らとの奔放なジャム・セッションの中で生まれた、ジャズやソウルをブレンドした芳醇なアンサンブルが印象的。アイリッシュの荒涼とした風景が目に浮かぶ繊細さと黒人のソウルとが結びついた力強くも透き通ったヴォーカルもまた魅力で、深みのある表現は、録音当時20代前半とは思えません。「アイリッシュ・ソウル」と言われるヴァンのサウンドが確立したスケールの大きな傑作。
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