このLPは、伊国内では、1970年前後にLucio Battisti のもと設立されたRCA傘下のNUMERO UNO (NU)からのリリースでした。まさに私にとってのNo.1のレーベルです。このレーベルからは、Battisti師匠のバックをしばしば努めていたミュージシャン(門下生)達が作品を多数発表していますよね。私も当時からずっと追いかけ続けている人たちです(謝:キングレコード)。
では以下に簡単に記していきたいと思います。
Lucio Battisti
RICORDI時代の、P.F.M、FORMULA 3を構成するミュージシャン達が参加した画期的なアルバム『AMORE E NON AMORE』(1971)が有名ですが、本当はデビューアルバムから「MARCELLA」等多くの人にカバーされる名曲を多数発表し続けています。
NUから発表した作品としては、移籍第一弾の『UMANAMENTE UOMO:IL SOGNO』(1972)が外せません。「SOGNANDO E RISOGNANDO」や、Bruno Lauzi(伝統的イタリアン音楽をやるSSWでNUから多数アルバムを発表)も歌っている「E PENSO A TE」などの超名曲が収録されています。
試聴 Click!
同作の路線を引き継いだ穏やかな『IL MIO CANTO LIBERO』(1972)、土着的リズムなども取り入れた『IL NOSTRO CARO ANGELO』(1973)を経て、熱い息吹とVOLO的キーボードの音がプログレ耳にとても心地よい凝った造り(音だけでなくレコード袋までジャケと統一)の大傑作『ANIMA LATINA』(1974)に至ります。
その後、少し初期歌モノに回帰した『LA BATTERIA IL CONTRABASSO ECCETRA』(1976)、『IO TU NOI TUTTI』(1977)を経て、ファッショナブルな『UNO DONNA PER AMICO』(1978)を発表。冒頭曲は当時からの愛聴曲です。
何を今さらのP.F.Mもデビュー盤『STORIA DI UN MINUTO』(1971)からNUよりリリース。一家に一枚的大傑作『PHOTOS OF GHOSTS』(1973)の元は『PER UN AMICO』(1972)、外せません。
そして、変化自在の傑作『WORLD BECAME THE WORLD』/『L’ISOLA DI NIENTE』(1974)、米国での『LIVE』(1974)を経てタイトなロックの傑作『CHOCO…』をリリース。
Mauro Paganiが脱退後、自分らのZOOレーベルを設立してジャズロックの傑作『JET LAG』(1977)を発表しました。『SUONARE SUONARE』(1980)でNUに戻り、80年代前半、『COME TI VA IN RIVA ALLA CITTA』(1981)等時代に合わせたポップロック路線の作品をNUから発表しつづけました。
その後、2作目『MASS MEDIA STARS』(1974)は米盤でしたが入手でき、ラスト曲の「COFFEE SONG」のあまりの爽やかさに何度も聞き惚れました。
試聴 Click!
FORMULA 3
NUの歴史はトレの初シングル「QUESTO FOLLE SENTIMENTO』(1970)で始まり、トレと共にあったと言えるのではないでしょうか。1stアルバム『DIES IRAE』(1970)はキャッチーな伊語の歌等を怒濤のヘビー・サイケ・ロックとして演奏。AB面でパート1,2と続く傑作シングル「LA FOLLE CORSA」(1971)等を経て、3作目『SOGNANDO E RISOGNANDO』(1973)はドラマチックなプログレ作品です。この辺りまではBattistiの曲を中心に演奏しています。
4作目『LA GRANDE CASA』(1974)は自ら作曲(詩はMogol)した曲のみで構成しており、プログレと伊語の歌が素敵にマッチした最高作です。これを最後に一旦解散しますが、1990年に(たぶん)NUで、活動を再開しました
やはり「何を今さら」かもしれませんが、トレ解散後、A.Radius (g)、G.Lorenzi (key)は、V.Tempera、元CAMALEONTIのM.Lavezzi、そして、Battistiのアルバムにしばしば参加しているリズム隊G.Dall’Aglio、B.Careloとともにツインキーボード、ツインギターのスーパーグループを結成しました。1作目『IL VOLO』(1974)はトレの4作目の様な歌と名前のとおり飛翔するような素晴らしい演奏がマッチしたスリリングな大傑作です。『ESSERE E NON ESSERE』(1974)は演奏主体となりましたが、同様に飛翔できる大傑作です。
Toni Esposito
Alan Sorrentiの初期作品、Opus Avantraの『INTROSPEZIONE』(1974)等や、Battistiの『ANIMA LATINA』にも参加している売れっ子パーカッショニストです。NUからの最初のリリースは『ROSSO NAPOLETANO』(1974)。穏やかな地中海沿いの森の中を彷徨っているような印象を受けるアルバムです。その後もNUから、より地中海的でジャズロックの輪郭がはっきりした『PROCESIONE SUL MARE』(1976)といった素敵なアルバムを発表しています。
Oscar Prudente
Battistiとも親交が深い様で、『IL SOGNO』にも参加したことのあるSSWです。FONIT/NUという変則的な位置づけでDELIRIUMのIvano Fossati (vo,fl)と組んだDELIRIUMの1作目的な歌ものアルバム『POCO PRIMA DELL’AURARO』(1972)を発表していますが、暖かい歌やフルートリードの素晴らしいインスト曲2曲が含まれており、とても素晴らしい作品です。
QUELLIを母体に結成され、後にバンドの顔となるMauro Paganiを迎えて改名。英国とはまた違ったイタリアの素晴らしい叙情性を放ち、EL&PのMANTICOREからPete Sinfieldの戦略で世界デビューまで果たしたイタリアン・シンフォニック・ロック代表グループの73年3rd。本作はまさにそのMANTICOREからの世界リリース作となった、ヨーロピアン・ロック屈指の1枚であり、Pete Sinfieldが英語詞を担当した傑作です。先にイタリアでリリースされていた2nd「Per Un Amico」の再録音と、デビュー作「Storia Di Un Minuto」より1曲、そして前2作には未収録の新曲1曲で構成されており、イタリアらしいバロック色とダイナミックなロックを融合した奇跡的なサウンドを提示。テクニカルな変拍子と呼応する凄まじい叙情の嵐は唯一無二のものです。
QUELLIを母体に結成され、後にバンドの顔となるMauro Paganiを迎えて改名。英国とはまた違ったイタリアの素晴らしい叙情性を放ち、EL&PのMANTICOREからPete Sinfieldの戦略で世界デビューまで果たしたイタリアン・シンフォニック・ロック代表グループの74年4th。バロックを強く意識したクラシカルな前作から、プログレッシブな魅力はそのままに、よりポピュラリティーを持ったサウンドを提示した傑作であり、前作同様、イタリアのシンフォニック・ロックを代表する1枚となっています。本作は、イタリア語盤。シンフィールド作詞の「Is My Face On Straight」以外はイタリア語詞。英語版収録の「World Became The World」は収録されていません。
イタリアを代表するカンタウトーレ、PFMなどでお馴染みのNumero Unoレーベルの設立者としても知られるルチオ・バッティスティが72年に発表した傑作。Numero Unoの記念すべき第一弾レコードでもあります。アコースティック・ギター、ピアノによるシンプルな引き語りの上に紡がれる叙情的なメロディーがとにかく美しく、弦楽器による叙情的なアレンジも曲を一層感動的に引き立てます。全編通して素晴らしい名曲ばかりですが、特に「I Giardini Di Marzo」「E Penso A Te」はイタリアン・ロックを代表するといっても過言ではない名曲です。