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KING CRIMSON
大蛇とヒバリの舌。太陽と月。暴虐と抒情。作曲とインプロビゼーション。西洋音楽と西アフリカ。期してか、知らずか、異なる対局要素を結合させて止揚してしまおうという、大層な野心をはらんだ音です。ロバート・フリップは、よくクリムゾンを「装置」であるとコメントしております。ジェイミー・ミューアというヒッピーまがいのパーカッショニストを師匠に据える、とんでもない挑戦でもあります。フリップは、この制作以降、グルジエフの思想に傾倒していきます。ひとつには、創作を内なるものと考えず、肉体的なプラクティスと表現を共振させたり、偶然性の中に仮説を投げてみて成果を実験したり、という方法論に共感を感じたのだろうと思っています。
内容については、わたしよりみなさんがよく知っているはずです。そうでないとカケレコさんのユーザーではありません。問題は、この音の中に何を聴くか、です。単なるハードロックとして聴いたり、ウェットンの声にたそがれているようでは、核心にたどり着けません。わたしは、ボーカルのパートをユーザー・サービスと考えていて、インストのパートだけでいいような気がするんです。おそらくウェットンもブルフォードも、バンドが何をやっているのか、分らなかったと思うんです。少なくともこの段階では。
ところで「イージー・マネー」と「トーキング・ドラム」は、ライブ録音ではないでしょうか。2024.03.29