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【リスナー寄稿記事】「やはりロックで泣け!」第十回: A Band Called Pluto

寄稿:ひろきさんさん

 2017年まで連載されていた舩曳将仁さんによるコラム、「そしてロックで泣け」は丁寧に詳しく調べられていて、個人的に大いに興味を喚起されました。今回、彼の精神を受け継いで「やはりロックで泣け!」というタイトルで、様々な「泣ける音楽」を紹介したいと思います。




 先日1960~1970年代のAmerican pop musicに詳しい方と話していた時、私が「その当時で特に印象深いUK pop groupはありますか。」とたずねたところ返ってきた答えがThe Foundations とEdison Lighthouseでした。個人的に前者に関してはそれほど強い思い出がなく、確かvocalistは黒人の方ではなかったかなといった程度の薄い印象しかありませんでした。後者は”Love Grows”(恋の炎)で世界的に名声を博したことで今でも強く印象に残っています。それゆえ私はThe FoundationsについてはずっとAmerican soul groupといった認識を持っていました。この会話を交わした時期と、これまで未発表であったPlutoのsecond albumとも考えられる”Journey’s End”をカケレコさんで購入した時期がほぼ同じであったのでいろいろ調べていく過程で全く音楽性の異なる2つのgroupsの接点を見いだしました。

 The Foundationsを語る前にthe Ramong Sound(1965~1966)というR&B, soul and skaを得意とするグループについて触れる必要があります。このbandには Raymond MorrisonとClem Curtisという2人の黒人ボーカリストが在籍していました。当時アメリカで人気を博していたSam & Daveを意識していたようです。またメンバーの一人であるtrumpeter、Mike FalalaはThe Graham Bond Organizationからこのbandに移籍しました。彼の代わりに加入したのがJack Bruceです。つまり相当高い音楽表現ができる集団であったことが伺えます。ところがRaymond Morrisonが刑務所に6カ月ほど収監されることになり、その間、彼の代わりを務めたのがあのArthur Brownです。その頃の彼はいたってまじめな生活をしていたようでタバコ、酒、ドラッグとは一切関わってなかったようです。同じ頃Rod Stewartにも声をかけjam sessionを行ったのですが彼が好む音楽ではなかったので断わられたようです。しかしながらArthur Brownは1967年の前半に脱退し、あのthe Crazy World of Arthur Brownとして一躍、時の人になっていくわけです。一方、the Ramong SoundもThe Foundationsに改名しPye labelと契約を完了し、やっとデビューにこぎつけることができました。

 The Foundationsは一般にBritish soul bandと呼ばれており、活動時期は1967~1970年となっています。このbandのユニークなところはWest Indiesと呼ばれる地域からきた4人のmusicians(ジャマイカ、ドミニカ共和国、スリランカ、トリニダード・トバゴ)と4人のイギリス人から構成されたbig bandとしてスタートしました。また年齢構成が最年長は38歳、最年少は18歳ということでも話題をさらいました。彼らの目指すのはずばりMotown Soundでした。first single,”Baby Now That I’ve Found You”はいきなり全英チャート1位まで昇り詰めました。Canadaでも1位、USA Hot 100でも11位という好スタートを切りました。最も売れたのがMike D’abo(Manfred Mann)による楽曲、”Build Me Up Buttercup”です。USA Hot 100では3位まで上昇しました。彼はこの曲でpianoも弾いています。70年代以降は活動が停滞しますが現在も時々演奏活動を行っているようです。ほとんど知られていませんが現CamelのbassistであるColin Bassも1971年にThe Foundationsに一時加入し、主に北イングランドで一年間ほどcabret clubs中心に演奏活動をしていました。

Build Me Up Buttercup

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 この2つのバンドのギターを担当していたのがイギリス生まれのAlan Warner(後にPluto結成)です。1947年生まれの彼は1965年頃にはすでにかなりのレベルの技術を習得していました。一説によれば13歳の時にすでに人前で演奏活動を始めていたとのことです。この頃、彼はEnglandではなくIrelandのDublin周辺で主に音楽活動をしていました。様々なbandsから誘いがあり、その内の一つがThe Black Eaglesでした。このband名を聞いてピントくる人は相当なIrish rock通と言えるでしょう。Thin Lizzyの前身bandの一つであり、Phil LynottとBrian Downeyが在籍していたことでも知られています。AlanWarnerはこの誘いを残念ながら断ってしまいます。その理由はhomesickだったそうです。また”It’s Psychedelic Baby Magazine”のインタビューによると彼はsoul及びskaのほうに関心が高まり、イギリスに戻ってからthe Ramong Soundに関わり、自分の本当にやりたい音楽を目指すことになります。

 前述のようにThe Foundationsはデビューするとすぐに世界的に人気がでて、アメリカでは1968年5月17日と1968年4月18,19日にFilmore Eastにおいてコンサートを行っています。この時に共演したartistsはthe Byrds, Quicksilver Messenger Service, Tim Buckley, Ravi Shankar, Country Joe and Fish, Blue Cheer, Electric Flag, Mobby Grape, Fugs, Big Brother and the Holding Company, Solomon Burk, the Crazy World of Arthur Brown, the Fifth Dimensionというラインナップでした。その他にSweden, Belgiumでもツアーを実施しています。一つ面白い話があります。彼らの1968年のsecond album, “Rocking the Foundation”が南アフリカで発売されることが決まったのですが、メンバーに黒人が含まれていることで”Whiten Album”になる予定であったようです。結局はそのようにはなりませんでしたがもし最初の計画通り実行されたならばBeatlesの”White Album”より早いWhite Albumになっていた可能性があります。Beatles関連の話題をもう一つ上げると、London Pavilionで世界に先駆けて公開された映画、”Yellow Submarine”の招待状もAlan Warnerに直接届いています。Alan WarnerはThe Foundationsには特に大きな不満はありませんでしたがもっとguitarとsong writingを重視した新しい別の音楽に挑戦したい、つまり新鮮な考えを持ち合わせた若いband membersと活動を行いたいという欲求が高まってきました。その時にPaul Gardnerというguitaristから連絡を受けました。

 Paul Gardnerについて紹介します。彼も1964年にThe Selectというbandで音楽活動を開始し、主にR&Bのカバーをやっていましたが特にThe Whoに影響をうけ1965年には自分で楽曲も作れるようになっていました。session workもかなり頻繁に行っていたようで、ABBAの前身にあたるSwedenのThe Hep Starsとも交流を持っていました。その時、彼らのOlga Labelを管理していたのがPhil Carson(後にAtlantic RecordのトップになってZepp, AC/DC等で有名になる)で彼ともつながっていました。その後、彼とdrummerのTerry Sullivanが核となってDry Iceというheavy psychedelic bandを結成します。彼らは1969年にRoyal Albert Hall Festivalに出演して人気が高まり、Spooky Tooth, Taste, Blossom Toes, Groundhogs, Steamhammer, Pink Floyd, Pink Fairies, The Whoらとステージを共にすることになりました。とくにPete Townshendとは仲がよく、1986年にLondon, Roundhouseで行われたコンサートの時、Peteを担当するguitar-techが現れなかったので彼がPaul Gardnerのguitarを借りにやってきたという逸話も彼は披露しています。1969年に録音された”Running To The Covent”は、まさにhidden gem! 強烈にfuzzがかかった高速guitar soloには完全にKOされます。公式にはこの一枚のsingleが発売されただけです。後に様々なオムニバスアルバムにこの曲、”Running To The Covent”が収録されることで彼らの認知度が高まり、当時すでに制作が完了されていたにもかかわらず発売されなかったalbumが49年経った2018年にようやく発売されることとなりました。このアルバムにはIan McDonaldが”Lania”という曲でfluteを吹いていること、Dylanの”It’s All Over Now Baby Blue”ではPaul GardenerがDylan的に歌っていることなどで話題に上がることが多いようですが、基本heavy psyche musicなのでpsychedelic maniaにはmustなalbumと言えます。カケレコさんにはぜひこのalbumを取り寄せてほしいと切に願っています。

 このような状況下でDry Iceは自然と消滅してしまいます。Terry Sullivanはこの後、Annie Haslam’s Renaissanceに最初から加入し、商業的な成功を収めます。かたやPaul Garnerはfolk group, Treesに一時的に加入します。ただステージが中心で、guitarではなくbassを担当していました。Treesの2枚のalbumsには彼の名前を見つけることはできません。この頃、彼に新しいband 結成をAlan Warnerというわけです。当時、音楽雑誌Melody Makerに様々なband募集広告がでていて、それがきっかけだと思われます。この出会いがPluto結成につながっていきます。

 Plutoといえばおそらく多くの人はディズニーのキャラクター、Plutoを連想するかもしれません。実は最初はその方向でband名を考えていました。ところが案の定、ディズニーからクレームがきて一時は断念したのですがplutoにはもう一つの異なる意味があり、The Greek god of the underworld(冥界のギリシャの神)ということで相手を納得させました。Dawn Labelから発売されたrecordのデザインをみればすぐに理解できると思います。Dawn LabelはPyeの傘下にあり、時代が要請する様々なprogressive musicを提供していました。Alan Warnerが以前所属していたThe FoundationもPye Labelであったことから自然とこの関係が継続されたと考えられます。このlabelで最も有名で売れたartistは”In the Summer Time”のMungo Jerryです。その他、思いつくままにartistsをあげると、Fruup, Quicksand, Man, Gravy Train, Prelude, Comus, Jonesy, Titas Groan, Heron, Jackie McAuley, Donovan, Trader Horne, Mike Cooper等素晴らしいラインナップとなっています。producerはJohn Macleodで、彼はThe Foundationsに多くの楽曲を提供してきた人物でもあります。

 私はこのレコードをリアルタイムでは見たことがありません。日本盤は発売されなかったかもしれません。日本では2002年にVictorからDawn Original Jacket Collectionとして初めて市場に出回り、さらに2007年にはStrange Days Recordsから再発されました。その時の帯のキャッチフレーズが興味深いので紹介します。「レッド・ツェッペリン + フリーとも言える珠玉のハードロック・サウンドを聴かせる’71年の唯一作!」おそらくこのようなイメージでアルバムを聴けば「…….?」と感じる方が多いと推測されます。Alan Warnerはインタビューで「自分たちが表現している音楽はどちらかと言えばsoft musicで一つの範疇に閉じこめることはできないと思う。」と述べています。discogsではHard Rock, Prog RockというStyleに分類していますが、まさに”Listening is believing.”でlistenersが彼らの音楽を自由に楽しめばよいと考えています。Zeppが創り出する楽曲はversatile(幅が広い)と言われることがありBritish folk groupにカテゴライズする場合もあるという記事を読んだこともあります。特にthird albumはその傾向が顕著に表れていたのではないかと思います。70年代のBritish hard rock groupsにほぼ共通する姿勢はhardな曲だけでなく珠玉バラードも同時に創り出していたことです。Plutoもまさにこの時代の空気感をしっかり把握して自分たちの音楽表現をこのアルバムに詰め込んでいます。

 私は最初bandの核となる二人のguitarist / vocalistsに注目してこのアルバムを聴いていたところ、bass playerの卓越した技術に驚嘆しました。彼の名前はMick Worth。彼は元中古自動車セールスマンで、彼が所有しているbass guitarsの中にはなんとThe WhoのJohn Entwistleが使用していたPrecision bassも含まれているということが判明して再び驚嘆しました。このアルバムのすべての楽曲は魅力的なメロディを持ち合わせ再び聴きたくなるような魔力にあふれています。個人的にはWidowmakerの音楽性に共通点があると感じました。もちろん彼らの活動はこれより少し後になります。さらに注目すべきは1972年に発売されたアルバム未収録のsecond single、”I Really Want It / Something That You Need”です。ボーカルを担当しているのが元CochiseのJohn Gibertです。ここで彼は最高の歌声を披露しています。全てのBritish rock fans に聴いてほしいできばえです。

I Really Want It

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 しかしながらバンドは解散し、それぞれの道に進んで行くこととなります。Paul GardnerとMick WorthはPMと名乗ってduoとして活動を続けます。Hawkwindとツアーに同行し一時Melody Maker誌でもその活動を取り上げられました。最終的に、この二人も音楽業界からは去ってしまいます。Paulは出版業界に戻ることになります。その時、彼が意味深なコメントを残しています。”Although I have started to get back into songwriting, I have recently written a track which has been recorded by Status Quo!” 「また作曲活動を始めて、ある曲を最近作ったのさ。それをStatus Quoが録音したんだぜ!」。真意のほどは確認できていませんが「Rocksteria」に掲載されていた記事なのでそのまま紹介しました。一方、Alan Warnerは音楽活動を継続し1983年にThe Polecatsというrockabilly bandに加入しsingle recordも発売しています。それからおよそ20年後の1992年にPaul, Alan, Terryが出会い、一時的にPlutoとしていくつかのgigsも行い、その時の音源も残されています。2000年になってからはclassic rock bandsの再評価が活発になりその一環として文頭に紹介しました”Journey’s End”がようやく日の目を見ることにつながったわけです。このCDをカケレコさんで発見したときは大げさかもしれませんが体が震えました。このCDの存在さえ全く知らなかったので驚きは相当なものでした。このアルバムの存在自体が奇跡的なので内容に関しては否定的なコメントは一切ありません。bonus tracksには再結成時のlive tunesが2曲含まれており、両方ともrockerなtunesなのでfanの期待に十分こたえています。特にfirst albumにも収録されていた”Down And Out”は一級のhard rock作品に仕上がっています。

Down And Out

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 この後にPlutoと名乗って活動した形跡はありません。Paul Gardenerは完全にmusic businessから引退しました。Alan Warnerはその後も音楽との関わり続けています。1986年に”The Blues Guitar”というギター教則本を出版したのを皮切りに”The Guitar Cookbook”、”Country Guitar Licks”等これまでに5冊の教則本を書いています。”It’s Psychedelic Baby Magazine”(インタビュー年代不明)によると現在彼は現役を引退しCornwallの海の近くで暮らし、念願であったAlan Warner Bandという自分のbandで活動をし、Boss Loop Stationを使用してguitarを全面に出した音楽作りを目指したいということが述べられています。2006年にはacoustic bluesy duoとして”Two Dogs And Monkey”をリリースしたとも述べています。夢はヒット曲の制作とアメリカツアーらしいです。最後にはChris Farloweと音楽活動をしていることに少し触れています。またwikipediaには2012年に Alan Warner’s Foundationsを結成して活動を続けていると書かれています。

 私はこの寄稿文を書き始めてほぼ1週間経ち、もう一度Alan Warnerについて書かれてあるwikipediaを再確認したとき、まさに目を疑う記述が目に飛び込んできました。それはOn 20 January 2024, Warner joined Edison Lighthouse. (2024年1月20日、WarnerがEdison Lighthouseに加入)これで私が文頭で挙げた3つのgroups、Pluto、The Foundations、Edison Lighthouseが約50年の年月を経てつながりました。










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