2025年4月22日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム,寄稿記事
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爆風スランプというバンドがいた。いまや人生の応援歌“Runner”でお馴染みの、最近では1985年の「ヒット曲ではないけど代表曲」の“大きな玉ねぎの下で”にインスパイアされた気色悪い同名恋愛映画が話題になっている。そもそもは遊び心全開の日本語ファンク・ロックがキャッチーだったのに、最大のヒット“Runner”一曲のせいで〈とても暑苦しい人生応援バンド〉として周知されて、久しい。その“Runner”リリース直後に脱退したのが、チョッパー・ベースがやたら恰好よかった江川ほーじんで、爆風スランプからギャグを抜いたような彼が1990年当時結成したバンドの名は《RHINOCEROS》。
その1990年5月、デヴィッド・ボウイ超ヒット・パレード・ライヴ《SOUND+VISION》公演のバンマスとして来日したエイドリアン・ブリューに初めて逢った。ちゃっかり自分の新作ソロ・アルバム『ヤング・ライオンズ』のプロモーションにも勤しんでたのだ。
でまだ29歳と若かった私は、薄紫色でサイが描かれた長袖Tをわざわざ着て取材場所のホテルに出向いた。そう、ほーじんバンドの販促グッズだ。するとブリューは私を見るなり目茶目茶悦び、「僕の靴下見てよーっ」とパンツの裾をまくってサイのワンポイント刺繍をこれでもかとアピールした。干支が同じ丑の一回り年上なのに大人げない。
そのエイドリアン・ブリューが、2024年9月12日の米サンノゼ公演から12月18日ハイランド公演まで計64本ものライヴを精力的にこなした新バンドが《BEAT》だ。しかも今年1月末の左手の手根管症候群の手術を経て、4月24日メキシコを皮切りにアルゼンチンなどを廻る中南米ツアーも組まれている。
メンバーは、ブリューと同じく「当事者」トニー・レヴィン。〈ギタリスト・ロバフリ〉が学究対象のスティーヴ・ヴァイ。そしてトゥールの「KC信者」ダニー・ケアリーの四人。要するに『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』収録曲限定の、1980年代キング・クリムゾンを演奏するバンドである。ロバート・フリップ大先生がBEATと命名した。真鍮製っぽい金色象の意匠はなんか違う気がするが、たぶんブリューの代名詞〈エレファント・トーク〉流れなのだろう。他の三名が無頓着そうだから、ここらへんはもうブリューの独壇場に違いない。MAHARAJA感が半端ないけども。
昨年11月10日のロサンゼルス公演をストリーミング配信で観た。ボブ・クリアマウンテンのミキシングだからか、じじいの耳には馴染み深い。まずセトリから。
※収録アルバム:『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』
➄“モデル・マン”はリリース40年目で初のライヴ披露。ブリューのソロ曲でもおかしくない、“ハートビート”路線の特に面白くない唄物なので本人たっての希望なのだろう。その一方で“ディシプリン”の姿が見えないのは解せない。⑲“レッド”は80年代期のライヴで“太陽と戦慄 パート2”と共に一度もセトリから外されなかったクリムゾン・クラシックスなので、当然の選曲か。
なお、ロバフリ本人不在にもかかわらずテープで流される➉サウンドスケイプスは、いろんな意味で〈お約束〉に違いない。
ブリューによると、BEAT誕生の経緯はざっくりこんな感じになる。
結成が最初に報じられたのは2024年3月。翌4月2日には秋の米国ツアー42公演を発表した。そもそも思いついたのは2019年で、二年後の80年代クリムゾン誕生40周年にあたる2021年に当時のラインナップで80年代三部作再現ツアーを実現させたい、というものだった。引退しても変わらず性格が悪いビルブルには、「また日がな一日空港の回転木馬で荷物を待ち続けるのか」と拒否されたものの、フリップ大先生の「参加はしないけどサポートはする」的なフリップ大先生の確約は獲得。またツアーのビジネス的仕切りは、ブリューが参加した2017年のトリビュート・コンサート・プロジェクト《CELEBRATING DAVID BOWIE》をプロデュースしたアンジェロ・ブンディーニに依頼するなど、物事は順調に運んでた。と思ったら、コロナ禍で2年半棚上げなのだった。
それでも挫けないブリューは、ヴァイの身体が空く2023年秋までじっと我慢すると再びフリップに連絡して、ツアーの名付け親になってもらう。〈どこまでもいいひと〉レヴィンは、ピーガブ仕事が終わり次第参加する目途がついた。「オリジナル・メンバーが2名揃ったから正統なのさ!」というブリューの書き込みが、面倒くさい。
ドラムに関しては早くからケアリーに目星をつけてたようで、ジェリー・ハリスンと『リメイン・イン・ライト』を再演する《JERRY HARRISON & ADRIAN BELEW REMAIN IN LIGHT TOUR》の同年12月29日アナハイム公演で、“テラ・ハン・ジンジート”のカヴァーをゲストで叩かせた。なかなか用意周到だ。で翌2024年1月23日トゥールのナッシュヴィル公演をわざわざ訪ねて勧誘したかいあって、ケアリーは2月のツアー終了を待ってBEATに参画する運びとなった。
にしてもこの男、そんなヘッズ絡みとかボウイ絡みとかクリムゾン絡みとか、あと〈ヤマ師〉スチュワート・コープランドとマーク・キングとヴィットリオ・コスマと唐突に組んだ源流不詳の《ギズモドローム》のように、「本来の主役」が不在のプロジェクト仕事がやたら多い。それ以外にも、NINのツアー・ギタリストに招聘されただけで「トレント・レズナーの片腕」と勝手に自負したり、デヴィッド・バーンの後釜として(未遂に終わった)新生トーキング・ヘッズに招聘されたと勝手に思い込んだり――でも当然実現しなかったので逆恨みするという、相当面倒くさい性癖持ちでもある。特に後者のケースは、トム・トム・クラブ衝撃の初アルバム『おしゃべり魔女(TOM TOM CLUB)』の作曲者クレジットが「自分をないがしろにしてる」と散々ゴネまくっといて、呼ばれるはずもない。
一方で、冒頭で触れたボウイ《SOUND+VISION》ツアーのバンマスは、自分の新作ソロ・アルバムにボウイとのコラボ曲を収録し、しかもツアーで必ず演奏するという破格の好待遇を交換条件に引き受けた露骨な計算高さも露呈してるから、さらに面倒くさいのだ。
そんなブリューなので、フリップとの関係性はずーっといびつだったりする。
『ディシプリン』以来キング・クリムゾンの唄と作詞を一人で担ってきたブリューは、自分が「フリップの片腕」で「クリムゾンは自分とフリップの双頭バンド」とおもいきり自負しており、事あるごとに「脱退」をちらつかせては「自分は他のメンバーより上」と主張して、ギャラ面でもスケジュール面でも特別待遇を何度も叶えてきた。
しかし、80年代後半からずっとフリップの優秀なヒッティング・パートナーを務めてきたトレイ・ガンが、ブリューの厚遇に不満を募らせた末に師弟関係を解消したり、ブリューのソロ活動とのWブッキングのせいで2008年のクリムゾン40周年ツアーがキャンセルされたり、と、その弊害は数知れず。さすがに堪忍袋の緒が切れたロバフリ先生が30年以上ぶりに〈エイドリアン・ブリューがいないキング・クリムゾン〉を実現させたのが、2014年から2021年まで八年間も稼働した楽団クリムゾンだったわけだ。
当時、復活ナイン・インチ・ネイルズへの加入話でご機嫌さんだったブリューは〈自分抜きクリムゾン〉始動を快諾したものの、その直後にNIN話が御破算になって後の祭り。なおトレント・レズナーは「ブリューとは演れない」的な他のメンバーたちの直訴に、あっさりブリューをキャンセルしたのだった。
すると哀れな「二兎追う者は一兎をも得ず」男は、同じ音楽を二度と再生しないプロフェッショナル・オーディオ・マルチ・エフェクト・アプリ《FLUX》の開発や、ピクサーのアカデミー賞短編アニメ賞受賞作品『ひな鳥の冒険(PIPER)』の劇伴で、辛うじて自尊心を保ってた気がする。腸(はらわた)煮えくり返らせながら、しかも自分ではなくフリップ&レズナーに対して。
だから当時、自分が歌詞と唄メロを書いた“インディシプリン”と“ニューロティカ”を、 楽団クリムゾンが容赦なくメロを書き換え演奏したことに激怒したブリューは、「自分がかかわったクリムゾン・クラシックスを、一曲でもライヴ盤リリースしたら訴える」と強硬抗議。結局、「クリムゾンの旧曲をプレイするのはお互い様」というオトシドコロで双方が妥協するに至った。一応。そしてその和平合意文書の行間に潜むよほどの暗黙の了解がまたまたブリューをつけあがらせ、この度BEATが実現してしまったのだ。
しかも今回のフリップが特筆すべきなのは、性懲りもないブリューの我儘にお墨付きを与えたばかりか、BEATのツアーに合わせて80’年代クリムゾンのライヴ・アルバム『シェルタリング・スカイズ・ライヴ・イン・フレジュス1982』をリリースしたこと。まさかの援護射撃だ。いや、どっちが便乗してるかわからないか。
過去にもロバフリ公認のKCカヴァー・バンドは存在した。初期レパートリーに特化した《21馬鹿バンド(=21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド》と、レヴィンやパット・マステロットを巻き込みブリューが「俺のクリムゾン」に固執した《ザ・クリムゾン・プロジェクト》である。➀使い勝手がすごくよかったジャコ・ジャクジク➁メル・コリンズとの関係修復③初期楽曲を渇望する世間、という収穫があった前者は楽団クリムゾンの礎となった。結果論かもしれないけど。
に対してクリムゾン不在期の間隙を突いた後者は、ブリューの生命力そのものに映る。ブリュー&レヴィン&マステロの三名で2011年8月に開催した、クリムゾンを毎日演奏する謎の音楽セミナー《THREE OF A PERFECT PAIR CAMP》にスティック・メンとエイドリアン・ブリュー・パワー・トリオのメンバーが合流。9月にはクリムゾン1994-1996年ツアーのセトリが持ち歌のWトリオ・フォーマット・バンド《TWO OF A PERFECT TRIO》として、北米ツアーを廻った。
で翌2012年夏にはドリーム・シアターの米国ツアーにサポート・アクトとして帯同することになったものの、《スティック・メン&エイドリアン・ブリュー・パワー・トリオ・ザ・セット・オブ・キング・クリムゾン・ミュージック》名義ではあまりに長い。54文字だし、なんか《アン・イヴニング・オブ・イエス・ミュージック・プラス》みたいで気持ち悪い。そこで改名を検討した結果、レヴィン案の《PROJEKCT KRIMSON》ではなくロバフリお墨付きの《ザ・クリムゾン・プロジェクト》が採用され、2014年までに米国とロシアと日本と豪州でライヴを披露した。ただし「演奏できれば愉しい」エゴレスなレヴィン&マステロを手に入れたブリューの、承認欲求と商人欲求を満たすだけの営業活動だった気がしないでもない。タタールスタンのフェス出演時にはエディ・ジョブソンまで合流して、“レッド”と“太陽と戦慄 パート2”をUKかなんかの曲みたいな顔して弾きあげてたほど、マニアックなアトラクションとして成立してはいた。
事あるごとにブリューは「気づくまでに何年も懸かった」と一応断わりつつ、「ロバート抜きのキング・クリムゾンはありえない」とアピールしてきた。要するに「でも名乗りさえしなけりゃ演る権利も資格もあるのは俺だけ」と言っているのだ。さらに翻訳すれば、「自分はロバフリの歴代最強の右腕で、即ち未来永劫キング・クリムゾンのナンバー2なんだぜ?」と。
だから今回のBEATも自分だけに許される当然の権利なのだ、とも。
90年代Wトリオ・クリムゾンは月刊ペースでメンバーたちにしょっちゅうインタヴューしたが、「我こそがフリップの片腕である」と互いに一歩も退かないトレイ・ガンとブリューは本当に大人げなかった。しかしそんなブリューの増長ぶりを、やむなくフリップはずーっと見て見ぬふりしてきた(としか思えない)。
80年代クリムゾン――いやそもそもは新バンド《ディシプリン》か――に大先生がブリューをリクルートしたのは、1980-81年『リメイン・イン・ライト』ツアー時の大所帯編成《エクスパンデッド・ヘッズ》における「お祭り男」ぶりに惹かれたからだ。変なギターの音いっぱい鳴らして、バンドも客も含め皆の衆を鼓舞する男。
もしかしたらフリップは新しく始めるバンドの〈トリック・スター〉として、ブリューに期待したのかもしれない。かつてのジェイミー・ミューアが《キング・クリムゾン1974年の奇蹟》をもたらしたように。すると別の部分で期待以上の成果を挙げたのだから、嬉しい誤算だったはずだ。
実際、足掛け28年で遺した5枚のアルバム『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』『スラック』『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』におけるブリューの貢献は、比類ない。だってこんな非商業的で複雑怪奇な楽曲群に歌詞とメロディを書き、しかも全曲唄ったのだ。ちょっとデヴィッド・バーンっぽすぎるのが気にならなくなるまで15年ほど懸かったけど。ロバフリもその労苦を充分承知してブリューの勘違いを許容してきた。ガンを犠牲にしてまで。
それでも、ザ・クリムゾン・プロジェクト2014年3月のシェパーズ・ブッシュ・エンパイア公演を観て、「各々は素晴らしい音を出していても、そこに音楽は生まれていない)」と換骨堕胎ぶりに失望したのを契機に、およそ40年ぶりのNOブリューなクリムゾンを本格始動させたことになっている。その時点で既に楽団クリムゾン構想は具体化してたはずだが、話としてはわかりやすいし心情的には大いに共感できる。
あ、「エイドリアンの在籍中は他のメンバーのギャラはセッション・マン程度に抑える」とか「エイドリアンがいないクリムゾンにエイドリアンが書いた歌詞とメロは唄わせない」とか理不尽な要求を連射してロバフリをいちいち、直接的に激怒させたのはブリューの妻・マーサです。ロジャー・ウォーターズを〈芯まで腐った反ユダヤ主義者〉と感情的に罵倒しまくる、デヴィッド・ギルモアの狂犬妻・ポーリンと五十歩百歩だとは思います。
2021年12月渋谷で活動を停止したキング・クリムゾンは、おそらくもう再始動しない。
まずコロナ禍で休業を余儀なくされてた世界中のバンドが一斉にライヴ活動再開したので、翌2022年はツアーできず。さらに2023年は、ポーキュパイン・ツリーの《CLOSURE / CONTINUATION》ツアー終盤戦の先約が既に入ってたギャヴィン・ハリスン不在で、フリップがちゃぶ台ひっくり返してツアーは白紙に。ん。でもかつて同じケースで追放処分を食らったブリューと較べ、あっさり不問に付されたのはハリスンの人徳か。
その後はもう、ドキュメンタリー映画『クリムゾン・キングの宮殿:キング・クリムゾン・アット50』と『太陽と戦慄』+『レッド』の50周年盤、そして2025年が明けてからは楽団クリムゾン初年度の2014年のツアー音源が、DGM Liveで続々と配信され始めている。後期高齢者が3名もいるし、フィジカル景気が長期低落傾向にあるとはいえアーカイヴ事業だけでも食えはするだろうし、さすがのフリップ大先生も達観したのではないか。
なのでブリューの相変わらず我田引水な今回の「提案」にも、寛容なのだ。しかもBEATで承認欲求を満たしてくれれば、そのブリューを加えた楽団クリムゾンでツアー廻らなくても済むわけだし。だけどレヴィンおじさんの常軌を逸した人付き合いの良さは、やっぱり怖い。
BEATはすごく達者だ。当たり前か。1981年当時のキング・クリムゾンが醸しだしてたガムラン感や〈濃密な軽さ〉とは当然、無縁だ。でも我々が『ディシプリン』を「初めて」恰好いいと認識できた1990年代Wトリオ期においても、既にそうだった。とにかく我々を圧倒しまくったメタル・クリムゾン仕様が、忘れられない。に較べるとBEATは、いわゆる旧来のプログレッシヴ・メタル的に捉えられかねない、テクニカルでメタリックな人力アンサンブルをこれでもかと聴かせる。つまり、当たり前の話だがBEATと80年代キング・クリムゾンが別物なのを忘れてはいけない。
前半のセトリは、いわば《エイドリアン・ブリューズ・キング・クリムゾン》。ほぼスポークン・ワードな➀“ニューロティカ”と超絶技巧曲➁“ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー”も含め③➄➅➆と、ヴォーカル曲が実は大半を占める。ブリューの突っ張った欲の皮が透けてて、逆に清清しい。しかもこの路線でヒットチャートを本気で狙った当時のブリューに、感心してしまう。あの懐かしくも照れくさい1980年代の薫り満載の〈キング・クリムゾン歌謡ショー〉にむせ返るのも、意外にいい。
インターミッション明けは、1982年『ビート』ツアーの定番オープニング曲だった⑪“ウェイティング・マン”。演出も、当時ステージの前っ面の据え置き電子ドラムの群れを5/16拍子と7/16拍子のポリリズムで愉しげに叩いてたビルブルを、ケアリーが再現。遅れて登場し向かい合わせでブリューも叩いたところで、レヴィンとヴァイが合流。デジャ・ヴと思える自分に感心する。そしてさすがビルブル・フリークというか、ケアリーの実直なトレースっぷりが美しい。当時のクリムゾンを「ギター・シンセの開拓者」として崇めるヴァイが、その象徴的な楽曲⑫“ザ・シェルタリング・スカイ”を丁寧に演奏する姿もまた、同様だ。
アンコールの“レッド”に至っては、とうとう最期まで最適解を見つけられなかった楽団クリムゾンのヴァージョンよりも、“レッド”らしい“レッド”だと実は感服してしまった。ギャヴィン・ハリスン苦心の〈構築構築また構築〉路線は、更新されるたびに感心した。と同時に屋上屋を架す感じがせつなくもあっただけに、こういうド直線的なダイナミズムこそあの楽曲の醍醐味だったと想い出した次第なのだ。
要するにBEATがザ・クリムゾン・プロジェクトより魅力的なのは、トニー・レヴィンとスティーヴ・ヴァイとダニー・ケアリーの三人の演奏が徹底的にストイックだからではないか。
来年は80歳というのにBEATのツアーの間隙を突いてこの3月にはスティック・メンでイタリアを廻ってたレヴィンおじさんは、言うまでもなく超ストイックだ。いついかなるときも演奏に没入できれば、それが無常の悦びだから。しかしヴァイ&ケアリーの宇宙規模のリスペクトに裏打ちされた真摯な音は、それ以上にストイックで驚く。BEATの誘いを一ヶ月近く熟慮して受諾したケアリー。クリムゾン・ミュージックを「本当に鍛えばければ弾けない音楽」と捉えてフリップを表敬訪問し、「私のパートを弾けるのは君だけ」との信頼を得たほど学究肌全開のヴァイ。
しかもそんな三人のストイシシズムをより際立たせるのが、手慣れた演奏が悪目立ちするブリューの俗物感だから、いいバランスなのかもしれないし。
無論、ヴァイはフリップのギターの完コピではなく、たとえば⑳“テラ・ハン・ジンジート”でもお馴染みアクロバティック過ぎる速弾き芸が炸裂している。
ヴァイといえば1987年日本公開のウォルター・ヒル監督作品『クロスロード』での怪演が、やはり忘れられない。主人公のラルフ・マッチオが、己れの魂を担保にブルースの極意を得る契約を交わした師匠を救うべく、悪魔の手先と壮絶なギター・バトルを繰り広げるアレだ。要は『スター・ウォーズ』とか『ベスト・キッド』のような、ロバート・ジョンソンのクロスロード伝説の〈求道エンタテイメント〉版である。
その馬鹿馬鹿しいぐらい劇的でエキセントリックなギター・バトルの場面で闘う悪魔の手先が、当時〈地球最強のギター演奏フェチ〉ヴァイ。そりゃただじゃ終わらない。何とも言えない好色な視線で主人公を嘗め回しながら、「どおぉだ」と言わんばかりに目茶目茶弾きまくりあげる姿は、まさに面目躍如。とにかく高速で濃厚に弾き倒し続けるもんだから、激し過ぎる運指で弦から煙まで立ち昇ってしまうのだ。
37年も経つのにヴァイは、そんなあられもない姿のままBEATで『ディシプリン』を学究的に解析・修得して弾きまくっている。なのにストイックに映るから、微笑ましい。
要するに発露するものは違えど四人が四人とも何十年ぶりかの思春期にいるようで、だからなのかこの〈フリップ抜き全員米国人キング・クリムゾンもどき〉BEATは、意外に愉しめるのであった。
とここまで書いてきて、同じフランク・ザッパ門下生というか兄弟子&弟弟子というか、ブリューとヴァイというギタリスト・タッグの妙に気がついた。ちょっとザッパ聴き倒してみます。
誰得の『シェルタリング・スカイズ』国内盤ライナーの最後を、私は「とはいえ――BEATのライヴ会場でこの『シェルタリング・スカイズ』のCDを手売りしているのだろうか」とシメた。米国でBEATのギグを観た友人に尋ねたら、エイドリアン・ブリューが自分の最新ベスト・アルバム『A TOE IN THE OCEAN (Music You May Have Missed From Adrian Belew)』を会場限定で販売してたらしい。
そっちかい。
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第五十七回:「風のシンフィールドープロデューサーの巻ー」はコチラ!
第五十八回:「第五十八回 アニーとソーニャ。アニー・ハズラムの巻」はコチラ!
定価2280+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、盤中央部に汚れあり、ビニールソフトケースの圧痕あり、カビあり
紙ジャケット仕様、初回プレス、3枚組(初回盤特典「キング・クリムゾン・サンプラーVOL.2」付き仕様)、定価3675
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
サンプラー無し
盤質:未開封
状態:良好
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー付仕様、HDCD、定価2300+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
帯中央部分に色褪せあり
紙ジャケット仕様、帯元から無し、解説・情報シール・リーフレット付仕様、定価2200
盤質:傷あり
状態:並
帯-
情報記載シールなし、カビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、プログレッシヴ・ロックのスタート地点となった大名盤であり、プログレッシヴ・ロックを聴くならまずはこのアルバムからと断言できる作品です。メンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストGreg Lake、ドラマーMichael Giles、管楽器に加えて鍵盤楽器(メロトロン)も担当するIan McDonald、そして作詞家Peter Sinfieldという布陣。「21世紀のスキッツォイド・マン」のオープニングから緊張感のある変拍子アンサンブルやユニゾン・フレーズが畳み掛け、「風に語りて」では牧歌的でありながら浮世離れした音世界を構築。“混沌こそ我が墓碑銘”の一節があまりに有名な「エピタフ (墓碑銘)」と、同じくリリックの幻想美に酔いしれる「ムーンチャイルド」を経て、メロトロンの洪水に溺れるシンフォニックな最終曲「クリムゾン・キングの宮殿」へ。“THE BEATLESの『Abbey Road』をチャート・トップから陥落させた”というエピソードの真偽はともかくとして、プログレッシヴ・ロック時代の幕開けを告げる衝撃的な作品であることは間違いありません。『クリムゾン・キングの宮殿』に触れずにプログレッシヴ・ロックを語ることは、まず不可能でしょう。
紙ジャケット仕様、24ビット・リマスター、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、日本盤のみピュア・ゴールドCD・エンボス紙仕様、定価2300+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
盤に曇りあり、ラベル面に擦り傷、解説にカビあり
ロバート・フリップによる89年リマスター、定価2136+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、目立つケースツメ跡あり、軽微なカビあり
5HQCD+1DVD AUDIOの6枚組30cmLPサイズボックス、各CDは紙ジャケット仕様、帯・解説付仕様、ブックレット・オリジナルアートワークリーフレット・バッヂ・プロモ用写真レプリカ2種付仕様、DVDはNTSC方式・リージョンフリー、定価13000+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
5枚は傷あり、ボックス内側に軽微な汚れあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1971年の4thアルバム『アイランズ』を発表後、Peter SinfieldがRobert Frippと対立し解雇され、さらに残る3名もRobert Frippとの音楽性の違いが明確になりKING CRIMSONは解散となりました。1972年に発表された『アースバウンド』は、解散決定後のアメリカ・ツアーの模様を収録したライブ・アルバムであり、KING CRIMSONのディスコグラフィーの中で最も批判的意見の多い作品と言えるでしょう。その最も大きな理由は音質の悪さにありますが、やはり録音状態の良し悪しは作品の評価に直結してしまうため、本作に対する評価は必ずしも高くありません。ただし、発売から半世紀が経過した現在であれば、本作にもKING CRIMSONの歴史上重要な史料的価値があります。ライブ・アルバムとしては必ずしもオススメできる作品とは言い切れませんが、『クリムゾン・キングの宮殿』から『アイランズ』までを聴いた後でこの作品に触れると、KING CRIMSONに関する知識をより深めることができるでしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。4thアルバム『アイランズ』を発表後に解散したKING CRIMSONですが、Robert Frippは新たなメンバーを探しKING CRIMSONを再始動。グループの最高傑作と名高い1972年の5thアルバム『太陽と戦慄』を世に送り出しました。メンバーはギタリストRobert Frippに加えて、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、パーカッション奏者Jamie Muir、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。本作は、確かな技巧を持ったミュージシャンたちによる最高品質の実験音楽作品であり、1曲目の「太陽と戦慄 パートI」と最終曲「太陽と戦慄 パートII」に象徴される、即興演奏を重視したメタリックなプログレッシヴ・ロックの大傑作となっています。また、2つの先鋭的な楽曲に挟まれた中盤の楽曲たちも素晴らしく、John Wettonのヴォーカルが冴えわたる「土曜日の本」や、最初期のKING CRIMSONサウンドが頭をよぎる「放浪者」、 ヘヴィーなギターとスキャットから始まる「イージー・マネー」 、Jamie Muirの話し太鼓(西アフリカの伝統的な太鼓の奏法)を曲名に冠した「トーキング・ドラム」と、どの楽曲も強烈な個性を持っています。ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックを聴くうえで、避けて通れない名盤です。
紙ジャケット仕様、24bitデジタル・リマスター、HDCD、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
カビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。5thアルバム『太陽と戦慄』に続いて1974年にリリースされた6thアルバム『暗黒の世界』は、スタジオ・レコーディングとライブ・レコーディング(73年録音)が混在する変則的な作品となっています。収録曲順に見ていくと、「偉大なる詐欺師」と「人々の嘆き」は完全なスタジオ・レコーディング。「隠し事」はライヴ・レコーディングで、「夜を支配する人」はライヴ・レコーディングの冒頭から途中でスタジオ・レコーディングに切り替わります。「トリオ」はライブ・レコーディングで、「詭弁家」はライブ・レコーディングに後からスタジオ・ヴォーカルをかぶせた楽曲。「暗黒の世界」と「突破口」はライブ・レコーディングとなっています。前作『太陽と戦慄』でパーカッション奏者Jamie Muirが脱退したため、本作のメンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。内容的には、初期の強烈なKING CRIMSONサウンドに回帰したようなスタジオ楽曲と、インプロヴィゼーションで聴かせるライブ楽曲に分かれています。本作を発表後にDavid Crossが脱退し3人体制となったKING CRIMSONは、次作『レッド』の制作に取り掛かります。
紙ジャケット仕様、日本盤のみエンボス紙使用、24ビット・リマスター、HDCD、歌詞対訳付仕様、ブックレット付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
特典帯付(紙ジャケに巻いてあります)、カビあり、若干汚れあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1974年に7thアルバム『レッド』を発表し、KING CRIMSONは解散。しかし、ソロ・ミュージシャンとして活動する中でバンドへの意欲が高まったRobert Frippは、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordと共にKING CRIMSONを再結成しました。アメリカ人ミュージシャン2名が加入した新生KING CRIMSONによる1981年の8thアルバム『ディシプリン』は、フリッパートロニクスと称されるギター・シンセサイザー、スティック・ベース、電子ドラムといった新しい楽器が導入され、音楽性も、アフリカン・ミュージック(ポリリズム)の民族色を取り入れたアプローチや、ミニマル・ミュージック、そしてニュー・ウェイヴやディスコ・ミュージックのような流行音楽にまで手を伸ばし新しいKING CRIMSONサウンドを生み出しています。『ディシプリン』はリリース当時こそ音楽性の変化が賛否両論を巻き起こしたものの、現在では『クリムゾン・キングの宮殿』や『太陽と戦慄』と並んでグループの傑作アルバムのひとつと言われる高い評価を受けています。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1981年の8thアルバム『ディシプリン』で再始動したKING CRIMSONは、翌82年に9thアルバム『ビート』を発表しました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣であり、KING CRIMSONの歴史上初めて前作と同一メンバーによるスタジオ・アルバムとなりました。本作は、ビートニク(第二次世界大戦後のアメリカで起こったカウンター・カルチャー)の作家であるジャック・ケルアックの作品「路上」に着想を得たアルバム。例えば冒頭の「ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー 」はニール・キャシディ(上記「路上」の登場人物のモデルとされる)、ジャック・ケルアック、そして「ミー」がAdrian Brewを指しています。同一メンバーということもあって8thアルバム『ディシプリン』からの流れを汲んだ内容であり、ポリリズムの多用、ミニマルなフレージング、エスニック・ミュージックのテイスト、そしてインプロヴィゼーションなど、前作から継承されたサウンドを聴かせています。ニュー・ウェイブ風のポップな衣装を身にまといつつも、注意深く耳を傾けてみると非常に高度な音楽的アプローチを行っているというのが、この時期のKING CRIMSONの特徴でしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1984年に発表された10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』は、8thアルバム『ディシプリン』と9thアルバム『ビート』と同一メンバーにて制作されました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣。本作は、KING CRIMSONのスタジオ・アルバムの中ではあまり目立たない存在かもしれません。その理由は、契約履行のために作ったアルバムという印象が強いことや、Adrian Brewのポップ・センスに寄せた出来になっていることなどが挙げられるでしょう。確かにアルバム前半には分かりやすいヴォーカル・ナンバーが収録され聴き手を困惑させるかもしれませんが、後半ではKING CRIMSON版インダストリアル・ロックとでも名付けたくなるようなインストゥルメンタルが配置されています。もちろんインプロヴィゼーションもフィーチャーされており、最終楽曲のタイトルは、なんと「太陽と戦慄 パートIII」。Robert Fripp本人も本作に対してはポジティブな感想を持っていないようですが、8thアルバム『ディシプリン』からの一連の流れを知る意味で、チェックしておきたいアルバムでしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONの次なるリリースは、94年のミニアルバム『ヴルーム』。この時期のKING CRIMSONは
ギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。本作は、95年のフル・アルバム『スラック』へのウォーミング・アップのような意味合いの作品であり、事実6曲中4曲がアルバム用にリミックスされ『スラック』にも収録されています。内容は、7thアルバム『レッド』に通じるヘヴィーな楽曲を中心としており、KING CRIMSONの進化はまだまだ続くと確信させられる出来栄えです。
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー付仕様、デジタル・リマスター、定価2300+税
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯無
帯無、軽微なカビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONは、94年に久々の新作となるミニアルバム『ヴルーム』を送り出し、翌95年には『ヴルーム』の楽曲を含むフル・アルバム『スラック』を発表しました。この時期のKING CRIMSONはギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。内容は、冒頭の「ヴルーム」を聴いただけで7thアルバム『レッド』の衝撃がよみがえるような、強烈なヘヴィー・プログレッシヴ・ロックとなっています。Robert Frippは、新たなKING CRIMSONの音楽性を「ヌーヴォ・メタル (Nuovo Metal)」と標榜しました。
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯中央部分に軽微な色褪せあり、初回プレス限定の「THE COLLECTORS KING CRIMSON SAMPLER VOL.3」(5曲入り)付属
紙ジャケット仕様、初回プレス、3枚組(初回盤特典「キング・クリムゾン・サンプラーVOL.3」付き仕様)、デジタル・リマスター、定価3675
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
サンプラー盤なし
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