2025年3月19日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
タグ:
急遽の3本連続ピート・シンフィールド追悼原稿ですっかりなかったことになってましたが、第54回『アニーとソーニャ。ソーニャ・クリスティーナの巻』の続きです。要するに、〈プログレ歌姫はつらいよ〉後篇ですわ。
インターネット未開の情報砂漠で思春期を過ごした私のような1960年代生まれの世代にとって、ルネッサンスとは誰が何と言おうとキース・レルフ&ジム・マッカーシーというヤードバーズのオリジナル・メンバーが結成したグループで、そのヤードバーズとくればクラプトンとベックとペイジが在籍した「伝説のバンド」として、日本人は皆、闇雲にありがたがった。ただし実際に聴くとそんなに面白くも恰好よくもなく、その落差にこっそり悩んだはずだ。正直に「つまんない」と言おうものなら、「ど素人めが」と白眼視されそうだったもの。そういう意味では、ある意味〈権威の象徴〉だったんだと思う。
そして1969年暮れにリリースされたルネッサンスの同名1stアルバムは、キース&ジェーンの兄妹Wヴォーカルでピアノはソナタっぽくて音はアコースティックなもんだから、これまた困惑した。ヤードバーズの面影は全然ないし、そもそもハード・ロックとかプログレとか派手な電気仕掛けの洋楽ロックに染まったばかりの小学生に、憂い溢れる異国のフォーク・ロックは無理だって。
しかも1971年に独でしか発売されなかった次作『イリュージョン』のツアー前後に、マッカーシーとレルフ兄妹が脱退しちゃうと、そりゃ解散。にもかかわらずメンバー一新というか、アニー・ハズラムが主役の新生ルネッサンスとして生まれ変わってしまう不老不死ぶりこそ、イリュージョンじゃないのか。ちなみに33歳で感電死した兄レルフを偲んで妹がオリジナル・ルネッサンスOBたちと結成したバンドも《イリュージョン》だったもんだから、よけいややこしかった。
なので大抵のプログレッシャーズにとってのルネッサンスとは、『プロローグ』『燃ゆる灰』の試運転を経ての、作曲担当マイケル・ダンフォードが正式加入して『運命のカード』『シェエラザード夜話』『カーネギー・ホール・ライヴ』『御伽噺』といったオーケストラ&コーラスが雄弁なクラシカル・ロックの鑑たちを連発したまでのはずだ。続く『四季』『碧の幻想』はデヴィッド・ヘンツェルの自己中プロデュースっぷりに好き嫌いが分かれるのだろうけど、この〈浮世離れしたポップス〉感はレアだ。
あ、褒めてますとても。
〈プログレ界のカーペンターズ〉ルネッサンスの魅力は、そりゃもうアニー・ハズラムの美声に尽きる。正直、楽曲の出来もバンドの腕も二の次だ。同じ紅一点プログレでも、身の程知らずの高いカレッジ・バンド的学究心が清清しいカーヴド・エアの方が聴いててわくわくする。本当〈稀代のC級シンガー〉ソーニャ・クリスティーナで損したよなあこのバンド。でも逆にルネッサンスは、5オクターヴを誇るハズラム姐さんのおかげで挽回できたんだけども。
ただそれだけハズラム姐さんの唄が立てば立つほど、楽曲そのものはすべからく〈伴奏〉化してしまう。カレン・カーペンターもといメデューサと眼が合った者はすべからく石になっちゃうように。それがバンドにとっていいのか悪いのかは判断に難しいけれど、要するに彼女は唄がとても上手いひとなのである。ただし自我とか情念とか業とか非日常性とか、そうした物騒な特性は一切持ち合わせない。だからこそ何を唄っても関係ない、誰が聴いても上手だととりあえず思える安定の歌唱力。
喩えるなら――〈うたのおねえさん〉これだ。
うたのおねえさんとは、基本的にNHK『おかあさんといっしょ』で唄と司会進行を担当する女性の役名(!)で、1961年の初代から数えて現在は22代目になる。なんて説明はおそらく20世紀生まれの日本人には不要だろう。《はいだしょうこ》のような存在感を放つ突然変異がごく稀に現れるが、基本的には文字通り〈唄のプロフェッショナル〉以外の何者でもない。ちなみに私の原体験うたのおねえさんは三歳のころの、“アイアイ”を初録音した5代目中川順子さんのようだ。1964年以前はさすがに憶えてないや。
80年代半ばからはおよそ6年の任期で代替わりしてるが、その歌唱力は折紙付き。それもそのはず、ほぼ全員が国立音大や武蔵野音大の声楽科出身ときた。そもそもハイスキルな素材揃いなのだ。例のしょうこおねえさんなんか国立音大准教授の父と声楽家の母で、本人は“めだかの学校”“小さい秋見つけた”“夏の思い出”の作曲者・中田喜直に9歳から師事。で国立音大附属高の声楽科から宝塚歌劇団とくりゃ、人として致命的にゆるくても唄は完璧なのは当然であった。
現役オペラ歌手に師事して声楽を学んだハズラムはまさしく、名実ともに〈プログレ村のうたのおねえさん〉だ。オーケストラと共演したって全然負けない。クラシックとフォークの美意識に基づく破綻なきルネッサンスの世界観が、だからこそ最も似合うのは事実だ。いや似合いすぎて、〈現実味のないポップス〉なんて摩訶不思議な着地点にたどり着いてしまった。数奇だ。
するとメンバーの姐さんへの依存度は当然上昇し続け、「アニーにおまかせ」とばかりに音楽性は変節を重ねていく。仕方ないよかちかち山だもの。『トリック・オブ・ザ・テイル』~『静寂の嵐』~『そして三人が残った』の成功体験再びを明らかに狙ったヘンツェルの〈目指せ女ジェネシス〉路線プロデュースは、『碧の幻想』でとうとうオーケストラ起用からシンセ主体に楽器編成そのものを変更してしまった。でも大丈夫、姐さんはどんなときでもちゃんと唄ってくれる。
「くたびれました」なんてぬるい理由でドラムと鍵盤が脱けた二年後の1981年、いかにもあの時代っぽいファッションの男女三人組に大変身して作った〈ケイト・ブッシュなミッシング・パーソンズ〉的な冒険作『カメラ・カメラ』には、誰も笑えなかった。続く1983年の『タイム・ライン』なんかもう音以前にジャケに写る、髪をブロンドに染めてキム・ワイルドと化したハズラム姐さんが涙で見えない。しかしそれでも彼女はひるまず斉唱し続けた。バンドは4年後に解散したけれど。
だから姐さんのソロ・アルバムも当然、作る度に紆余曲折ぶりが甚だしかった。
ルネッサンス解散後初のソロ『STILL LIFE』は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でチャイコフスキーやらバッハやらショパンやらワーグナーやらサン・サーンズやらの名曲に歌詞を乗っけた、文字通りの〈唄うクラシック〉アルバムに。続く1989年発表の『ANNIE HASLAM(ムーンライト・シャドウ)』は、前年“オリノコ・フロウ”が世界的に大ブレイクしたエンヤを明らかに意識した、ニューエイジ・ポップス路線に特化。皆かぶれたあの時代。
さらには路線はそのままにトニー・ヴィスコンティにおんぶにだっこで脱デジタル化を図った1994年の『BLESSING IN DISGUISE(ブレッシング・イン・ディスガイズ)』は、ソロ・アルバムなのに《アニー・ハズラムズ・ルネッサンス》名義になったりと、なかなかの迷走である。5年後にソロ・アルバム扱いに変更されたやっつけ感がせつない。しかも1997年ブラジル公演を収録した『ライヴ・アンダー・ブラジリアン・スカイ』なんか、ファンに招聘された低予算ライヴだから鍵盤兼アコギ奏者と彼女の二人ぼっちで、チープなシンセ・オケがはるかブラジルの旅情を誘う。で会場のシンガロングがコーラス代わりとは、ほぼNHKのど自慢である。よくも悪くも。そして1999年リリースの『THE DAWN OF ANANDA』以降は、乳がん克服などあってか〈ルネッサンスなヒーリング(←死語)〉路線を独走している。だって「至福の夜明け」だよ?
だけど言うまでもなく、これだけ作品の枠組みが右往左往しようが何唄ってもちゃんと成立してしまうから、文句は言えない。要するに〈歌唱力のファシズム〉なのだこのひと。それはそれでいいと思う。ただしそんな万能シンガーだからこそ、彼女に唄わせたい者はいろいろイジって、大いに面白がるべきだ。それが〈地球最強のうたのおねえさん〉への礼儀というものだ。
そういう観点から言えば、ハズラム姐さんの最高傑作はどうしても1977年発表の初ソロ・アルバム『ANNIE IN WONDERLAND(不思議の国のアニー)』になってしまう。面目ない。
当時は四年間恋人同士で婚約者だったロイ・ウッドの、超完全プロデュース・アルバムである。でもってとにかく愉しいアルバムなのだ。
いきなり、ルネッサンスっぽいオーケストレーションを一応は装ってはみたもののスタン・ハンセンの入場曲みたいなイントロで、ジョン・アンダーソンに匹敵するキっラキラの自己肯定感に溢れた声で「♪もしも私が音楽でできてたらぁぁぁ~」と唄われちゃう➀“私が音楽でできていたら(If I Were Made Of Music)”。ニック・ロウにも通ずるアコギのストロークが、ウィザード時代からの得意技な1950年代R&Rの愉しさ倍増のデュエット曲➁“愛への疑い(I Never Believed In Love)”は、《アニー・アズラム&ロイ・ウッド》名義でシングルにまでなった。なんか曲そのものが嬉しそうなんだ。
ロジャース=ハマースタインのミュージカル『回転木馬』からの③“もしも貴方を愛したら(If I Loved You)”はリュートを大フィーチュアしたもんだから、妙なメロドラマ感が可笑しい。ウッドの面目躍如曲➃“フニオコ(Hunioco)”はアフリカン・ドラムがあいまって、〈おぼこいアバ〉と化した。そして恰好よすぎるバンド・サンサンブルとてんこ盛りの彼女のスキャットがよく似合う➄“ロッカリーズ(Rockalise)”も、なぜかほぼゴールドフィンガーになちゃったボビー・ダーリン1961年のヒット曲➅“ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)”も、痛快ですらある。
歯が塀まで浮きそうな「ど」ラヴソング➆“インサイド・マイ・ライフ”は、凡庸すぎて逆に愛着が涌かなくもないが、「やっぱり」ルネッサンスのジョン・キャンプの楽曲だからまどろこしかったのか。意外にも、これはこれでよかった気がする。でラスト⑧でドヴォルザーク『新世界より』の第2楽章――例の“家路(Going Home)”が自信満々に唄われると、我々聴き手をとっとと追い出すように終わるのだ。日本中の地方公共団体で夕方を報せるメロディだから、否応なしに「♪遠き山に陽は落ちて~」と歌詞が脳内変換されるはずなのに、あらゆる抒情性も余韻も想い出も軽く駆逐されてしまった。
さすが地球最強のうたのおねえさん。
ロイ・ウッドというひとは、極度のメロディ依存症患者だったと思うのだ。彼のメロ力は特に1970年代前半までは商業的にも圧倒的で、ザ・ムーヴ時代だけでも“黒いちご(Blackberry Way・英1位)”“恐怖の夜(Night Of Fear・英2位)”“雨の日の想い出(Flowers In The Rain・同2位)”“ファイアー・ブリゲイド(同2位)”“アイ・キャン・ヒア・ザ・グラス・グロウ(英5位)” “ブロントザウルス(英7位)”“カリフォルニア・マン(同7位)”“トゥナイト(英11位)”“カーリー(英12位)”“チャイナタウン(英23位)”、そして初の全米トップ100曲 “ドゥ・ヤ(米93位)”と、ヒットシングルが終わらない。
もちろんウィザード時代も“シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ(英1位)”“エンジェル・フィンガーズ(同1位)”“もしも毎日がクリスマスだったら(英4位)”“ボール・パーク・インシデント(英6位)”“ロックンロール・ウインター(同6位)”、ソロ名義でも“フォーエヴァー(英8位)”“ゴーイング・ダウン・ザ・ロード(英13位)”“オー・ホワット・ア・シェイム(同13位)”“ディア・イレイン(英18位)”と連戦連勝だった。
しかもこれでウィザードを始める前には、あのエレクトリック・ライト・オーケストラをジェフ・リンと結成して一枚で自ら脱退するのだから、濃密すぎる。でもリンはリンでウッド以上に世界規模の商業的爆成功をELOで果たしつつ、ジョン・レノン抜きビートルズの事務方やボブ・ディランら超大物覆面バンドの世話人にロイ・オービソンやデル・シャノンの介助と、スーパーウルトラ学芸員としての功績も大きいが、今日は置いとく。
後出しジャンケンで語られる歴史に事実誤認はつきもので、ELOは「ロックとクラシックの融合を志して誕生」したことになっている。
初期の英6位曲“ロール・オーヴァー・ベートーヴェン”は無論チャック・ベリーのカヴァーだけど、ベートーヴェンの“運命”を堂々合体してしまう。直後の3rdアルバム『第三世界の曙』でも魔が差して、イプセンの戯曲『ペール・ギュント』用にグリーグが作曲した組曲から“山の大王の広間にて”を披露した。我々でも知ってるクラシックの古典をロックに書き換えるのはザ・ナイス以来続く英国アート・ロックの悪習で、万人ウケはするけど知的コンプレックスの裏返しみたいで恰好悪い。『展覧会の絵』は本当に罪深い。
ただし当時のELOがこんな恰好悪いことやっちゃったのは、相棒だったはずのウッド離脱に焦ったリンの〈起死回生の気の迷い〉だったと思う。たぶん。つまり二人とも「ロックとクラシックの融合」なんてプログレッシヴなことなんて、微塵も考えてなかったわけだ。なのでELOのコンセプトは単純明快で――〈管弦楽団を標準装備したバンド〉。
特にウッドの場合は沢山のいろんな楽器が鳴れば鳴るほど、それぞれがメロを奏でれば奏でるほど嬉しくなっちゃうフシがあった。音楽本来の賑やかさに至福を感じるひとならではと思えば、とても微笑ましい。だからザ・ムーヴの頃からビッグ・バンド・ジャズ的な賑やかさに憧れてたし、既に一人で唄もギターもベースもサックスもオーボエもシタールもチェロも演奏できたし、ヴィスコンティにストリングスあしらいを教わったし、ムーヴを解散する頃にはリコーダーにクラリネットにバスーンまで吹けた。そして初の英国ツアー出撃時のELOが遂にチェロ三名+ヴァイオリンの変則弦楽カルテットを保有でき、さぞ嬉しかったはずなのだ。すぐ脱退しちゃったけど。
まだロッキング・オンに勤めてた1990年頃に、私が〈いたいけな轟音サイケデリア〉ライドと並んで推しまくってた〈桑港にOTAKUを見た〉ジェリーフィッシュの連中が、『シャザム』を超愛聴盤に挙げてたのを想い出す。とてもわかる気がする。
続くウィザードはさらに賑やかにドラム二人いて管楽器三人いて弦楽器もいて、でウッドは相変わらず12種の楽器を操り。あ、多重録音で一人ビーチ・ボーイズ・コーラスも録ってたな。ということで念願のビッグ・バンド・ロックを実現させちゃったのである。メロディの大洪水だ。それなのにその後もバグパイプをアレンジで重宝し始めたり、我流でウォール・オブ・サウンドをあれこれ構築してみたりと、彼の音楽的ポジティヴィティー追求の旅は終わらなかった。
そんな型破りなメロディ・モンスターにとってアニー・ハズラムという〈究極のワンオペ〉うたのおねえさんは、この世に二つとない「いじりがいのある」魅惑のメロディ楽器だったはずだ。だからこそ『不思議の国のアニー』はあんなに素っ頓狂なポップ・アルバムなのに、唄だけは目茶目茶ちゃんとしてるもんだからいっそう、面白さが倍増した。
思えば二人の初共演作――ウッド1975年の2ndソロ・アルバム『マスタード』収録の“レイン・ケイム・ダウン・オン・エヴリシング”の時点で、もう可笑しかったのだ。内ジャケに〈The Lovely Annie Haslam〉と堂々クレジットされた彼女の仕事は、曲の冒頭から聴こえるスペイシーなスキャットもしくはSEの「高音部」。言うに事欠いて〈All The High Bits〉ってあんた。
この二人の奇妙な音楽的関係は、『不思議の国のアニー』と実は同時期に録音したものの1979年までお蔵入りされてたウッドの3rdソロ・アルバム『オン・ザ・ロード・アゲイン』での2曲コーラス参加で終わる。私生活で別離れちゃったからなのか商業的低迷でウッドの活動が時代に埋没したからなのか、極東の島国の出歯猿にわかるはずない。
『タイムライン』以来17年ぶりになったルネッサンス2000年の新作『トスカーナ』で二人は久々に共演したものの、パガーニとトスカーナの貴婦人との不倫話とか、あのトラファルガー広場のライオン像をデザインした画家が美しい夫婦鹿の絵を描き、夫を失い悲嘆に暮れるビクトリア女王を救った話とか、人類に絶望して実は世界中で自殺に走っているイルカ話とか、生命の炎を消さぬようひたすら走る聖火ランナー話とか、霊場詣で話とか……これだけ盛大なスピリチュアル化が進行したうたのおねえさんの前では、さすがの破天荒ウッドも無力だったのではないか。すっかり。事実ハズラムは当時こう語ってた。
「ロイはとてもファニーで笑わせてくれるから、皆が明るくなれる。レコーディング中はずっと雨の日続きだったから、すごくありがたい存在だったのよ」
さよなら破天荒。無敵のうたの元おねえさん。
そういう意味ではやはり、『不思議の国のアニー』が懐かしい。ウッドの好き放題を気にも留めず、いちいち感情表現なんてすることなくひたすらお上手な唄を聴かせるだけの彼女は、清清しすぎる。で、このアルバム聴いてるとなぜか沢口靖子が表情変えずに唄ってる姿が浮かんで仕方ない私は、おかしいでしょうか。
『科捜研の女』の劇伴で流してもらえないかしら。
第一回「ジョン・ウェットンはなぜ<いいひと>だったのか?」はコチラ!
第ニ回 「尼崎に<あしたのイエス>を見た、か? ~2017・4・21イエス・フィーチュアリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン(苦笑)@あましんアルカイックホールのライヴ評みたいなもの」はコチラ!
第三回「ロバート・フリップ卿の“英雄夢語り”」はコチラ!
第四回「第四回 これは我々が本当に望んだロジャー・ウォーターズなのか? -二つのピンク・フロイド、その後【前篇】-」はコチラ!
第五回「ギルモアくんとマンザネラちゃん -二つのピンク・フロイド、その後【後篇】ー」はコチラ!
第六回「お箸で食べるイタリアン・プログレ ―24年前に邂逅していた(らしい)バンコにごめんなさい」はコチラ!
第七回「誰も知らない〈1987年のロジャー・ウォーターズ〉 ーーこのときライヴ・アルバムをリリースしていればなぁぁぁ」はコチラ!
第八回「瓢箪からジャッコ -『ライヴ・イン・ウィーン』と『LIVE IN CHICAGO』から見えた〈キング・クリムゾンの新風景〉」はコチラ!
第九回「坂上忍になれなかったフィル・コリンズ。」はコチラ!
第十回「禊(みそぎ)のロバート・フリップ ーー噂の27枚組BOX『セイラーズ・テール 1970-1972』の正しい聴き方」はコチラ!
第十一回「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)前篇 --BOXを聴く前にブライアン・フェリーをおさらいしよう」 はコチラ!
第十二回 「ああロキシー・ミュージック(VIVA! ROXY MUSIC)後篇 --BOXを聴いて再認識する〈ポップ・アートとしてのロキシー・ミュージック〉」はコチラ!
第十三回 「今日もどこかでヒプノシス」はコチラ!
第十四回 「ピーター・バンクスはなぜ、再評価されないのか --〈星を旅する予言者〉の六回忌にあたって」はコチラ!
第十五回 「悪いひとじゃないんだけどねぇ……(遠い目) ―― ビル・ブルフォードへのラブレターを『シームズ・ライク・ア・ライフタイム・アゴー 1977-1980』BOXに添えて」はコチラ!
第十六回 「グレッグ・レイク哀歌(エレジー)」はコチラ!
第十七回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE -RETURN TRIP』に想うこと- 前篇:スクワイアの巻」はコチラ!
第十八回 「クリス・スクワイアとトレヴァー・ホーン -イエスの〈新作〉『FLY FROM HERE-RETURN TRIP』に想うこと- 後篇:空を飛べたのはホーンの巻」はコチラ!
第十九回「どうしてジョン・ウェットンを好きになってしまったんだろう(三回忌カケレコスペシャルversion)」はコチラ!
第二十回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう ー前篇:幻の1995年インタヴュー発掘、ついでに8人クリムゾン来日公演評も。」はコチラ!
第二十一回「どうしてゴードン・ハスケルは不当評価されたのだろう -後篇:幻の1995年インタヴューを発掘したら、めぐる因果は糸車の〈酒の肴ロック〉」はコチラ!
第二十二回「鍵盤は気楽な稼業ときたもんだ--あるTKの一生、に50周年イエス来日公演評を添えて」はコチラ!
第二十三回「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう(by ビリー・シャーウッド)」はコチラ!
第二十四回「荒野の三詩人-誰かリチャード・パーマー=ジェイムズを知らないか-」はコチラ!
第二十五回「会議は踊る、プログレも踊る-リチャード・パーマー=ジェイムズを探して-」はコチラ!
第二十六回「我が心のキース・エマーソン & THE BEST ~1990年の追憶~」はコチラ!
第二十七回:「『ザ・リコンストラクション・オブ・ライト』は、キング・クリムゾンの立派な「新作」である。 プログレ「箱男」通信【KC『ヘヴン&アース』箱】号①」はコチラ!
第二十八回:「《The ProjeKcts》の大食いはいとおかし。 プログレ「箱男」通信【KC『ヘヴン&アース』箱】号②」はコチラ!
第二十九回:「ロバート・フリップの〈夢破れて山河あり〉物語 プログレ「箱男」通信【KC『ヘヴン&アース』箱】号➌」はコチラ!
第三十回:「封印された〈車道楽プログレ〉ー『レイター・イヤーズ 1987-2019』箱から漏れた、ピンク・フロイドVHS『道(MICHI)』」はコチラ!
第三十一回:「どうしてプロレスを好きになってしまったんだろう。へ?」はコチラ!
第三十二回:「LEVINは何しに日本へ? の巻」はコチラ!
第三十三回:「どうして日本人はキング・クリムゾンを唄いたがるのだろう -雑談三部作・完結編-」はコチラ!
第三十四回:「コロナの記憶:どうしてビル・リーフリンを忘れられないのだろう トーヤ&フリップ「夫婦善哉」への道」はコチラ!
第三十五回:「キル・ビル/ビル・ブル 極私的「60歳からのプログレッシヴ・ロック」論」はコチラ!
第三十六回:「イエスCD+DVD34枚組『ユニオン30ライヴ』boxは、20世紀からの玉手箱か?」はコチラ!
第三十七回:「ジャコ・ジャクジクが〈ポール・ヤング〉に憧れた日 1980年代に遺したJAKKO青春の蹉跌シングルズを徹底追跡してみた。」はコチラ!
第三十八回:「「妄想」は荒野をめざす 『キング・クリムゾンー至高の音宇宙を求めて』40年目の読書感想文」はコチラ!
第三十九回:「ニーナ・ハーゲンは最強の〈ジャーマン・プログレ〉である。」はコチラ!
第四十回:「とあるキャメルの「不幸」」はコチラ!
第四十一回:「まずは、さよならキング・クリムゾン。」はコチラ!
第四十二回:「(第41回からの)日曜日のお昼ごはん。【前篇】ロバート・フリップと渡辺明」はコチラ!
第四十三回:「(第41回からの)日曜日のお昼ごはん。【後篇】トーヤと伊奈めぐみ」はコチラ!
第四十四回:「(第41回からの)高齢者にとっての〈二つのPT〉【前篇】ウドーちゃん祭りでポーキュパイン・ツリーを観た。」はコチラ!
第四十五回:「高齢者にとっての〈二つのPT〉 【中篇】スティーヴン・ウィルソン「息苦しさ」の美学」はコチラ!
第四十六回:「高齢者にとっての〈二つのPT〉【後篇】 どうしてこんなに1980年代を想い出すんだろう。」はコチラ!
第四十七回:「産業ロック(笑)。」はコチラ!
第四十八回:「カンタベリーの「わらしべ長者」」はコチラ!
第四十九回:「葛飾にカンタベリーを見た:なぎら健壱じゃないよスチュワート&ガスキンだよ」はコチラ!
第五十回:「あしたのイエス」はコチラ!
第五十一回:「なお「ム」。」はコチラ!
第五十二回:「なぜ「ム」。」はコチラ!
第五十三回:「でも「ム」。」はコチラ!
第五十四回:「アニーとソーニャ。 ソーニャ・クリスティーナの巻」はコチラ!
第五十五回:「シンフィールド・オブ・ドリームス ー作詞家の巻ー」はコチラ!
第五十六回:「シン・フィールド -1.0 ーミュージシャンの巻ー」はコチラ!
第五十七回:「風のシンフィールドープロデューサーの巻ー」はコチラ!
紙ジャケット仕様、SHM-CD、ボーナス・トラック1曲、英文ブックレット付仕様、定価2857+税
盤質:全面に多数傷
状態:良好
帯有
盤に研磨跡あり、帯に若干黄ばみあり
元YARDBIRDSのKeith RelfとJim McCartyを中心に結成されたオリジナル・ルネッサンス。69年のデビュー作。ビート・ポップがベースにありますが、クラシカルで躍動感に溢れたピアノ、荘厳なコーラス・ワークをフィーチャーしたサウンドはたいへん幻想的。変拍子の中をピアノがコロコロと転がるキメのパートから、一転して「月光」のピアノ・ソロへと移行するなど、鮮やかなアレンジも素晴らしい。Keith Relfのヴォーカル、紅一点Jane Relfのヴォーカル、どちらも気品に満ちているのも特筆ものです。レイト60sの英国シーンに華麗に咲いた逸品。
元YARDBIRDSのKeith RelfとJim McCartyを中心に結成されたオリジナル・ルネッサンス。71年2nd。前作の延長線上にある、リリカルなピアノが彩るクラシカルなフォーク・ロックが基本ですが、14分を越える最終曲など、ジャジーなエッセンスも取り入れた、よりスリリングでプログレッシヴなアンサンブルも特筆もの。ジャケットからも伝わる通り、クラシカルでファンタスティックなサウンドをベースに、より宇宙的な壮大さをも目指していたのが伝わってきます。レイト60sからプログレへと移行する過渡期のエネルギーに溢れた秀作。
YARD BIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は73年にリリースされた2nd。クラシカルな中に多少のサイケデリック感覚を残したデビュー作から方向性が定まり、牧歌的なのどかさと英国叙情、オーケストラを従えたシンフォニック・ロックの世界を作り上げています。以降ライブでも取り上げられる機会の多い名曲となった「カーペット・オブ・ザ・サン」「燃ゆる灰」などを収録。
YARDBIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は74年にリリースされた3rd。前作「燃ゆる灰」で作り上げた優美なシンフォニック・サウンドにさらに磨きをかけ、また、バンドのプロダクションに大いに貢献してきたMichael Dunfordがついに正式加入。「アルビノーニのアダージョ」を取り上げた「冷たい世界」や前作には無かったスケール感を持つ「母なるロシア」などを収録し、バンドは一気にその人気を不動のものとします。
YARD BIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は75年にリリースされた4thであり、彼らの代表作の呼び声も多い名盤。特にリムスキー・コルサコフの同名交響曲に端を発した「シェエラザード夜話」は、「アラビアン・ナイト」の世界をコンセプトに据えた20分を超える超大作であり、オーケストラ・サウンドとロックの融合を目指した英国ロックの1つの結論と呼ぶべき傑作。米国での成功で勢いに乗った彼らの生み出したシンフォニック・ロックの世界は他の追随を許しません。
YARD BIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は76年にリリースされたライブ作であり、アメリカのカーネギー・ホールにてオーケストラを率いて録音(75年6月)された名盤です。デビューアルバムから、アメリカへの足がかりとなった名盤「Scheherazade And Other Stories」までの代表作が余すことなく並んでおり、Annie HaslamのソプラノボーカルとNYフィルのオーケストラが絶妙に溶け合い、孤高のシンフォニック・ロックを作り上げています。
YARD BIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は77年にリリースされた6thであり、彼らの代表作の呼び声も多い名盤。「Scheherazade And Other Stories」の評価とアメリカでのコンサートの成功によってWEAとワールドワイド・リリースを契約、まさに絶頂を迎えた彼らの自信に溢れた作品となっています。ロック・フォーク・クラシックという彼らの3大要素が惜しみなく発揮されており、女性ボーカル系シンフォニック・ロックの金字塔的な作品といえるでしょう。
YARD BIRDSのKeith Relf、Jim McCartyを中心に結成されるも、2枚のアルバムを残し解散したイギリスのグループ。72年にソプラノ・ボーカルAnnie Haslamを擁し新体制で活動を再開、ロック・フォーク・クラシックが交差する幻想的な楽曲は今なお色褪せることはありません。本作は78年にリリースされた7thであり、前作同様にオーケストラを取り入れたシンフォニック・ロックを披露。アコースティックな味わいとAnnie Haslamのソプラノボーカルが彩るトラッディーな味わいは相変わらず心地良く響いており、明るくきらびやかな作風となっています。音楽的にはやや意図的なポップ・センスが感じられており、バンドで重要な位置を占めるキーボードはシンセサイザーなどエレクトリックな方向性が見え始めるなど、時代の流れと共に変化する彼らの姿が見受けられます。
79年作。クラシカルなテイストはそのままに、ポップ色が増し、クラシカル・ポップというべき洗練された心踊るサウンドが素晴らしい逸品。
RENAISSANCEのヴォーカリスト。1997年アメリカでのスタジオ・ライヴ。
DVD、再生方式・リージョン記載なし
盤質:全面に多数傷
状態:良好
盤に研磨跡あり、若干圧痕あり、DVDケースに小さい破れあり
女性ボーカル入りシンフォニック・ロックバンドの代表格であるイギリスのグループRENAISSANCEで、そのソプラノボーカルを響かせていたAnnie Haslamの77年ソロデビューアルバム。公私共に良好な関係を築いていたロイ・ウッドが全面参加しており、RENAISSANCEのクラシカルなサウンドスケープはそのままに、よりポップな親しみやすさを加味。Annie Haslamのボーカルも、RENAISSANCEでの格調高いソプラノボーカルより肩の力が抜けており、リラックスした優しい歌声を響かせています。ファンタジックなシンフォニック・ロックとしてのみならず、ポップなボーカル作品としても一級品です。
英クラシカル・ロックの名グループRENAISSANCEのヴォーカリストであり、英プログレシーンを代表する女性ヴォーカル。89年作ソロ。透明感のある煌びやかなアレンジの中、クリスタル・ヴォイスと流れるようなメロディが冴えるキャッチーな佳曲揃い。Justin Hayward、Mel Collinsなど参加。MIKE OLDFIELDの名曲「Moonlight Shadow」のカバーも必殺。
RENAISSANCEのヴォーカリスト。97年リオ・デ・ジャネイロでのライヴ音源。「燃ゆる灰」収録の名曲「Carpet Of The Sun」「Let It Grow」、マイク・オールドフィールドの名曲「Moonlight Shadow」など、美しいハイ・トーンがブラジルの空を華麗に舞います。
コメントをシェアしよう!
カケレコのWebマガジン
60/70年代ロックのニュース/探求情報発信中!