2025年2月27日 | カテゴリー:Column the Reflection 後藤秀樹,ライターコラム
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第82回 80年代の音楽のかたち 12“シングルからCDへの大きな変化の中で (後編)
~ プログレだけではない80年代ロックの流れから ~
◎画像1 The Dream Academy / 1st Album + Life In A Northern Town (12”Single) + 7”日本盤シングル
当時、デヴィッド・ギルモアが共同プロデュースにクレジットされながらも雑誌等では控え目な紹介だったと記憶している85年デビューのドリーム・アカデミー。彼らも忘れられないユニットのひとつだった。
最初に聴いたのはFMラジオだったのだが、アコースティックなフォーク・ロックサウンドで気に入ってレコード店で12“シングルの「Life In A Northern Town」を見つけてすぐに買った。ジャケットに写った3人のメンバーの雪降る夜のポートレートも素敵だったし、何よりもケイト・セント・ジョンの存在がじつに気になった。彼女はヴォーカルのみならずオーボエに似た楽器のコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)も担当していた。その12”シングルにはタイトル・ナンバーのExtended Versionと7”Mixの両方とあと2曲の計4曲が収められていた。「Life In A Northern Town」に関してはどちらのバージョンも面白く聴くことが出来た。
ちなみにこのシングルは、ニック・ドレイク(Nick Drake)に捧げられたものとして知られていて、米チャートで7位、英では15位を記録している
★音源資料A The Dream Academy / Life In A Northern Town
ドリーム・アカデミーはニック・レアード・クロウズとギルバート・ガブリエル、そしてケイトの3人組で基本的にはシンセ・ポップなのだが、そこからはみ出した清涼感のある音楽性がじつに新鮮だった。アルバムはファーストに続いて『Remenbrance Days』(‘87)、『A Different Kind Of Weather』(’90)の3枚を残している。セカンドには、コーギス(The Korgis)のカバー曲『永遠の想い(Everybody’s Gotta Learn Sometime)』を取り上げ、サードでは再びデヴィッド・ギルモアがほとんどの曲をプロデュース、『Twelve-Eight Angels』の曲も提供している。さらにカバー曲としてジョン・レノンの『Love』とティム・ハーディンの『It’ll Never Happen Again』が取り上げられていた。特にハーディンのカバーは素敵だった。ニック・ドレイクの名も含め、彼らのルーツが感じられるようで興味深い。
ニックは77年にAlfalphaというバンドでEMIにニッチなアルバムを1枚残している。一方、ケイトの方は92年にロジャー・イーノ(Roger Eno)とデュオ・アルバム「The Familiar」を出した後、95年と97年に2枚のソロ・アルバムを作成している。
70年代にジャム(The Jam)として活動したポール・ウェラー(Paul Weller)が、83年に新たにスタイル・カウンシルを始動した。最初のシングル「Speak Like A Child」は日本でも発売されたが、輸入盤店にはデビューしたばかりなのに何種類もシングルがあってちょっと驚いた。個人的にはジャムのアフター・モッズ系パンク・ロックにはあまり興味がわかなかったが、1曲だけジャムの77年のファースト・アルバム『In The City』に入っていた「バットマンのテーマ」にだけは反応してしまった。「バットマン」の海外版実写ドラマは60年代に日本のテレビでも放送されたことがあったので、小学生だった私も楽しみに見ていただけに、そのテーマ曲が聴けたことが新鮮だった。ちょっとそれも聴いていただこう。
★音源資料B The Jam / Batman Theme
正直に言えば、私は70年代後半のパンク、ニューウェイヴ系はちょっと敬遠気味だっただけに、ジャムもあまり聴いていなかった。しかし、ポール・ウェラーが自分と同年代であることを知ってからスタイル・カウンシルには興味を持った。
◎画像2 The Jam + Introducing:The Style Council (左:海外盤 右:日本盤)
最初のアルバム『Introducing:The Style Council』は、収録曲も分からないものの買ってしまった。それは、前回取り上げたU2と同様にLPなのだがミニ・アルバム(Mini LP)仕様になっていて安く買えたことも理由の一つだった。私は輸入盤で買ったのだが、後に出た国内盤のジャケットの方が素敵だった。そのアルバムは一時期ずいぶん聴いたのが、特に気に入ったのは「Headstart For Happiness」と「The Paris Match」の2曲だった。
★音源資料C The Style Council / The Paris Match
結局、正式の最初のアルバムがフル・アルバムとして『Café Bleu』として84年に出されるのだが、「The Paris Match」は全くの別バージョンになってしまってちょっと落胆した。それはゲストのEBTG(エブリシング・バット・ザ・ガール)のトレイシー・ソーンとベン・ワットを中心とした物憂げなジャズ・バージョンになっていた。雰囲気はあるのだが、最初からシンプルなバラードとして聴いていた私としては「これは違う!」と思った。とはいえ、『Café Bleu』もいいアルバムで「My Ever Changing Moods」でのウェラーのヴォーカルと、相方のミック・タルボットのピアノもじつに良かった。
◎画像3 Café Bleu(UK) + My Ever Changing Moods(US) + Our Favorite Shop(UK) + Internationalists(US)
ただ、面倒なことに英国盤のアルバム・タイトルは『Café Bleu』、米国盤は『My Ever Changing Moods』となっていて、ジャケットも違っていたこと。さらにアルバムの構成・曲順も変わっていた。
彼らを一躍有名にしたのが同じ84年のシングル「シャウト・トゥ・ザ・トップ」だが、今述べた英・米盤のアルバムの違いがさらに混乱を生んだ。85年の発売ながら米盤はアルバム『Internatinalists』というタイトルで、英盤アルバムの方は『Our Favorite Shop』となり再びジャケットも全く違ったものになっていた。そして「シャウト・トゥ・ザ・トップ」は米盤に入っているのだが、英盤には収録されていない。当時、友人から『新しいアルバムを買ったのに「シャウト・トゥ・ザ・トップ」が入っていなかったけれどどうしてなの?』と相談されて、当時はネットもない時代でずいぶんと調べたうえでその辺りの事情を伝えたことを思い出す。
◎画像4 The Style Council / Shout To The Top 12”Female Jacket + 7”Male Jacket
昔から英米ではレコード会社の契約の関係から、レコードのジャケットも曲順も収録曲自体も違うことは様々にあったけれど、80年代のこの時期にはシングルも7“と12”と出されるフォーマットの種類が増えたことで、結構面倒なことは間違いなかった。(因みに各国7“は男性ジャケット、12”は女性ジャケットになっていた)・・・とは言え、「シャウト・ザ・トップ」はやはり素晴らしい。この曲は日本でも7“、12”両方のシングルが出されていた。
★音源資料D The Style Council / Shout To The Top
◎画像5 Big Country / In A Big Country(7“) + The Crossing(LP)日本盤
83年に「In A Big Country」が英米共に17位と大ヒットした4人組のビッグ・カントリー。彼らの音楽を聴いてまず印象的なのはバグパイプ風のギター・フレーズ。間奏を聞くとスコットランド風のダンス・メロディが飛び出し、懐かしい気分にさせられる。そう思って調べてみると、やはり彼らはスコットランド出身のバンドだった。この「In A Big Country」は、彼らにとって最初のアルバム『インナ・ビッグ・カントリー(The Crossing)』からのシングルだった。
★音源資料E Big Country / In A Big Country
アルバムのクレジットを見ると、プロデュースはスティーヴ・リリーホワイト(Steve Lillywhite)だった。かつてはニュークリアスをはじめとするジャズ・ロック諸作を担当したことで馴染み深いが、70年代後半からはピーター・ガブリエルやXTC、ウルトラボックス等のニュー・ウェイヴ系を担当している名プロデューサーだ。
バンドは81年に結成され2枚のシングルを出したが、ファースト・アルバム『The Crossing』からシングル・カットされたこの3枚目のシングル「In A Big Country」が英で6月に17位、米では12月にやはり17位。どちらもビッグ・ヒットとなり、一躍人気バンドとなった。
その後大きなヒットは出さなかったが、84年にミニ・アルバム『Wonderland』、セカンド・アルバムの『Steeltown』が出た。その後、LPとCDが同時に発売される時代となり86年には『The Seer』、88年に『Peace In Time』、91年に『No Place Like Home』と堅実に活動を続けていく。日本でもそこまでのリリーズだったので、私自身もそれ以降の動向は掴んでいなかった。しかし、ビッグ・カントリーはほとんどメンバー・チェンジすることなく活動を続けていた。ただ、2001年にギター、リード・ヴォーカル担当だったスチュワート・アダムソンが死去したことで一旦活動を休止したものの、現在も活動している。
80年代のヒット曲として忘れられない大きな意味を持った1曲として、改めて評価したい。
80年代前半には、70年代後半からのパンクやニューウェイヴの中から『ニュー・ロマンティックス』というヴィジュアル系ロックの流れが生まれていた。代表格にスパンダー・バレエ-、デュラン・デュラン、ヴィサージ、カルチャー・クラブ・・・といった面々が出てきて、かつてのグラム・ロックが持っていた怪しげ(?)な雰囲気が新たに蔓延した。私はそれらの流れには何の興味も関心もなかったのに、悲しいことに当時の彼らのヒット曲はほとんど覚えている。それだけラジオでもテレビでも紹介されていた時期だったのだな・・と改めて思い返している。
◎画像6 The Power Station LP + Some Like It Hot(12“)日本盤 + Some Like It Hot( 7”)日本盤
そんなファッショナブルな流れから抜け出し、本格的なロックに突入したと当時思わせたのがパワー・ステイション(Power Station)だった。デュラン・デュランにいたアンディー・テイラーとジョン・テイラーが、ロバート・パーマー(Robert Palmer)とトニー・トンプソン(Tony Thompson)と組んだ4人組。プロデューサーはトニーと同じChicにいたバーナード・エドワーズだった。硬質なファンク・リズムを中心にパーマーが迫力あるヴォーカルを聴かせている。
T-Rexの「Get It On」のカバーも迫力があったのだが、個人的には「Some Like It Hot」をはじめて聞いた時に抱いた印象が強烈だった。リズム隊とブラスのファンク・サウンドは今聴いても凄味を感じる。
★音源資料F The Power Station / Some Like It Hot
ところで、ロバート・パーマーは日本でもアルバムはけっこう発売されているのだが、人気に関してはどうなのだろう。粋なヴォーカリストと言えるので、ブライアン・フェリーのように聴かれてもいいと思うのだが、あまり彼に関する評価もインフォーメーションも聞かない。
◎画像7 Alan Bown / Robert Palmer with The Alan Bown / The Early Years: His Debut Recordings
彼のスタートがアラン・ボウンの69年のDeramからのアルバム『Alan Bown!』でのヴォーカルということはよく知られたことだが、2021年にそのアルバムが『Robert Palmer with The Alan Bown / The Early Years: His Debut Recordings』(Grey Scale)として再発されている。アルバム自体が久々のCD化だったが、パーマー自体を主人公にしたようなアルバムになっていることが驚きだった。
Alan Bownの後にはヴィネガー・ジョー(Vinegar Joe)でエルキー・ブルックスとの男女ツイン・ヴォーカルで活動、その後アイランド(Island)レーベルから多数のソロを出している彼だが、もっと聞かれるべきヴォーカリストだと思っている。
80年代に入るとプログレは懐かしのロックになっていた。そんな中でも、86年ジェネシスの『Invisible Touch』だけは往年のプログレ・・・とは違うが、新たな勢いを感じたものだ。そして実際に凄いヒット作になった。その後、新たにジェネシスの昔の作品に向かった者もたくさんいた。
80年代にも前回紹介したPallasやMarillionはともかくもCastanarc、Twelfth Night、Pendragon・・・等が出てきたものの、なかなか「これ!」といったものは見つからなかった。そんな中、日本のプログレ・バンドの活躍(ページェント、ミスター・シリウス、ヴァーミリオン・サンズ等々)が目立つようになり、そちらの方に面白いものが多かったように記憶している。
◎画像8 IQ / Takes From The Lush Attic(画像枠の色違いが存在する)
その頃は、70年代のヨーロッパ・英国のかつての名盤を中心とした再発盤・発掘ものが多く出回るようになった時期でもあった。当然、未だレコードが中心の時代だった頃の話ではある。
そんな状況の中で登場した英国のIQを聞いたときには久々にちょっと興奮して聞いた。
★音源資料G IQ / Awake And Nervous
IQの83年のアルバム『Takes From The Lush Attic』は唐突に届けられた印象があって、その実態がつかめなかったのだが、70年代プログレの良質な部分を抽出した作品だった。特に、ガブリエルを思わせるピーター・ニコルズ(Peter Nichols)のヴォーカルが印象的なことからジェネシスの影響下にあることは明らかなのだが、メロディアスな曲調とアルバムとしての構成の巧さが際立っていた。また、キーボード・プレイヤーのマーティン・オフォード(Martin Offord)がメロトロンを大胆に使用していることもポイントだった。
IQは82年にカセットで『Seven Stories Into Eight』という作品を出していたのだが、当時は手に入らず、98年の『Seven Stories Into 98』という再演CDにオリジナルも収録されたことで聞くことが出来るようになった。やはり結成当時の彼らは凄かったことがわかる。
◎画像9 IQ / The Wake + Nine In A Pond Is Here + Living Proof
85年には『The Wake』がSaharaというレーベルから出たのだが、大手レコード会社とは契約していないことが不思議に思えた。その後『Nine In A Pond Is Here』が2枚組として出されたのだが、それもまたブートレグそのもののジャケットに包まれていたことにも驚かされた。86年には『Living Proof』がSamuraiからリリースされている。その間には、やはり時期的に7“と12”のシングルが複数存在している。
87年の『Nomzamo』になってVertigoとの契約が成立し、89年には『Are You Sitting Comfortably?』とLPとCDの両フォーマットで発売されるようになる。ここに来て、ようやく日本でも国内盤CDとして発売された。じつは彼らはその後も活動を続けていて、数多くのCDを発表し続けている。2022年には結成40周年としてのアルバム『Forty Years Of Prog Nonsense』が発売されていることは驚きでもある。
しかし、私はやはり今も最初に聞いた80年代のIQに思いを馳せてしまう。
今回、最後に用意したのはダイアー・ストレイツ。彼らが78年にデビューした時のことはよく覚えている。ドラムスに元Springのドラマーだったピック・ウィザース(Pick Withers)の名前がメンバーにあったことと、Vertigoからのリリースということで大注目だった。そうは言っても、さすがに時代的にプログレではないだろうと思いはしたが、あまりにシンプルなロックで拍子抜けしたのが第一印象。それでもシングルで大ヒットした「悲しきサルタン(Sultans Of Swing)」は聞けば聞くほど味が出てくる不思議な魅力を持っていた。マーク・ノップラーの独特の歌声とギター・フレーズは魅力的だった。
★音源資料H Dire Straits / Sultans Of Swing
Springとは全く違ったシンプルな音楽性にもかかわらず、ウィザースのドラミングにはスネアとハイハットのコンビネーションに彼らしさが感じられて興味深かった。よく考えると彼は、デイヴ・エドムンズやニック・ロウ等のパブ・ロック系のドラマーという経歴の方が長いわけだ。ただ、彼はダイアー・ストレイツでは4枚目までの参加となり、その後任には70年代のマン(Man)のドラマーだったテリー・ウィリアムスがあたるわけで、ダイアー・ストレイツはその後の英国ロックの伝統を支えたバンドでもあった。そんなことを強く感じる。
◎画像10 Dire Straits ➀『Dire Straits』~⑥『On Every Street』
結局、彼らは80年代の英国トップ・クラスのロック・バンドと認知されて95年まで活動するのだが、その間に発表したオリジナル・アルバムは6枚しか出していない。(ライヴとベストは除く。)
マーク・ノップラーは83年の映画「Local Hero」の音楽担当を皮切りに、本格的に映画音楽を中心とした仕事も並行することになる。そのきっかけはダイアー・ストレイツの80年の3枚目『Making Movies』にあったようで、82年の4枚目『Love Over Gold』のアルバムでのドラマチックな構成にも感じられた。そんなことからバンド内のメンバーの関係性もかなり難しいものになっていったようだ。そんな状態の中で85年に超大ヒット・アルバムの5枚目『Brothers In Arms』を生み出すわけだから、ノップラーのタフさには驚かされる。が、そのツアーによる疲れもあり88年にバンドは一度解散することになる。しかしそこで発売されたベスト・アルバム『Money For Nothing』のビッグ・セールスもあり、バンドが消滅したという事実はなかったような印象があった。
90年にダイアー・ストレイツは再結成されたが、オリジナル・メンバーはノップラーと、ベースのジョン・イルズリーだけとなっていた。そして91年6枚目『On Every Street』が発表された。
★音源資料 I Dire Straits / On Every Street
『On Every Street』を最初に聞いた時に、タイトル曲がとても印象的でこれが2曲目に収録されているところがまた憎い。アルバムのラストに入っていたら絶対に涙が止まらない。そんなタイプの曲だ。曲の前半と後半のつながりも鳥肌が立つほどに素晴らしい。ドラムは客演だがジェフ・ポルカロ(Jeff Porcaro)だ。彼は翌92年に亡くなったことを考えるとちょっと特別な感慨もわく。そして、このアルバムがダイアー・ストレイツとしての最後のスタジオ・アルバムとなった。この頃になると日本盤もすべてレコードではなくCDとして発売されたので、私自身もCDで聞いたことを改めて思い出す。
80年代はニュー・ウェイヴ、シンセ・ポップといった新たな時代のデジタル系音楽が溢れたわけだが、シンプルでオーソドックスなロックで最大級の人気を得て、時代を駆け抜けたその姿は見事だった。
再結成後もやはりツアーに明け暮れる様子にノップラーもイルズリーも疲れ果て、結局、ダイアー・ストレイツは95年にその活動を終えることになる。
前回と今回のコラムでは「80年代の音楽の形」という題名の下に、12のアーティストを取り上げましたが、13番目のダイアー・ストレイツの関しては、78年の「悲しきサルタン(Sultans Of Swing)」と91年の「On Every Street」を選曲しました。 彼らへのリスペクトの気持ちから「80年代を駆け抜けたバンド」として、あえて80年代の曲ではなくそれ以前の78年、そして解散前の最後のスタジオ盤を取り上げました。私なりのこだわりですが、理解いただけたら嬉しいです。
前回・今回と13のグループを取り上げたわけですが、その倍以上をリスト・アップした中から選んでみました。他にも80年代には忘れられないバンド、アーティストがもっと存在するということは改めて言うまでもありません。私自身の中で60年代、70年代と同様に80年代も今につながる重要な時期だったと再認識したところです。
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思い返すと、80年代という時代は、70年代に夢中になって聞いたたくさんのアーティストのように新たなお気に入りを見つけようと思いながらも、大きな時代の変化を若干の『違和感』として感じたものでした。「バブル」と呼ばれた時代には、世の中の浮かれた状況にどこか足下の危うさを感じていましたが、やはり思った通りに崩壊を迎えるわけです。そんな時代の中で、70年代後半から音楽シーンも洒落たフュージョン系が増える一方で、ロックではニュー・ウェイヴやネオアコかが主流になり「なんとなくクリスタル」化を見せていました。グラム・ロックの流れを汲んだようなファッショナブルで近未来的な衣装に身を包んだ海外のバンドを見る度に、新たな流れを感じたものです。12“シングル・レコードが多く登場したことも、CDという新たなソフトが生まれたことも、何かオシャレな流れだな・・・と思ったものでした。
ロックの映像に関しては、それ以前には海外の音楽映像と言えば地元の放送局が主催していたフィルム・コンサートに出かけて見ることが普通だったのですが、80年代には普通にTV番組の中で海外ミュージシャンの映像がスポット的に流れることが多くなりました。その後日本でもMTVが登場したのは驚きでした。
それまで、音楽というものは耳で聴くものと思っていたものが映像として出てくることで、ライヴ等の映像はありがたい側面もありました。しかし、プロモ・クリップに関しては興味を持って見たものの、結局は自分にとってはあくまでレコードで聞いた方がいいと思うことの方が大きかったと言えます。『音楽』は自分でイメージを抱くもの・・と思い続ける私はやはり古い人間で、今もその思いは変わりません。それでも、今ではYouTubeが主体になり、見たい時にいつでも見られるようになったのですから大きな時代の変化を感じます。
音楽のソフト面でも様々な変化を見せている中、最近はレコードが復権している・・・と何となく今後の先行きが見えないことを危惧しているところではあります。 では、また次回。
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「Column The Reflection」バックナンバーはこちらからチェック!
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80年代の始まりと共にうぶ声を上げ、現在でも活動を続ける英国ネオ・プログレッシヴ・バンドIQ。前作「THE SEVENTH HOUSE」から4年もの沈黙を破り2004年にリリースされた本作は、前作でのハードなアプローチから一転、彼等の原点に立ち戻った叙情性溢れるスタイル。24分を超える大作組曲「ハーヴェスト・オヴ・ソウルズ」をはじめ、これぞ、シンフォニックという世界を演出した傑作アルバム。(レーベル紹介文より)
80年代の始まりと共にうぶ声を上げ、現在でも活動を続ける英国ネオ・プログレッシヴ・バンドIQ。83年のデビュー作。ギターのマイク・ホルムスとキーボードのマーティン・オーフォードを中心に、GENESISをベースにしながらも卓越した演奏力で独自の世界観を創り上げた名作。(レーベル紹介文より)
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80年代の始まりと共にうぶ声を上げ、現在でも活動を続ける英国ネオ・プログレッシヴ・バンドIQ。85年発表のセカンド・アルバム。前作のスタイルを受け継ぎながらも、個々の楽曲のイメージを大切にして曲作りで、アレンジ力は更なる進化を遂げており、80年代の英国プログレッシヴ・ロック・シーンを代表する一枚。(レーベル紹介文より)
80年代の始まりと共にうぶ声を上げ、現在でも活動を続ける英国ネオ・プログレッシヴ・バンドIQ。81〜82年にかけて制作しながらも正式なリリースのなかった「SEVEN STORIES TO EIGHT」を98年に再録したアルバム。(レーベル紹介文より)
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