2025年2月22日 | カテゴリー:どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ 市川哲史,ライターコラム
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前回は唯一のソロ・アルバム『スティル』を素材に、「ピート・シンフィールドにミュージシャンの才はない」という身も蓋もない話を書いた。しかしだからこそ彼は、〈愛すべき紙一重の稀少種〉として我々の記憶に留められねばならない。そういえば原稿を読んだカケハシ担当佐藤くんから、こんな感想をいただいた。
『スティル』はいいアルバムだと思いますがやはり、なんとか(他人に)聴かせられる水準に達しようと頑張っている感じのヴォーカルを、微笑ましく思えるか、全部レイクが唄ってくれと思うかで評価が分かれそうですよね。個人的には、この精一杯頑張ってる感じにこそ彼の精神性が表われている気がして、好感が持てます。(ほぼ原文ママ)
佐藤くんはいいひとだ。というか、国籍も世代も違う赤の他人にここまで好意的に解釈してもらえること自体が、シンフィールドならではの稀有な才能でシンフィールドだけに許された特権だと思うのだ。本人は無自覚だろうけど。
ただし全編グレッグ・レイクが唄う『スティル』は、きっと似合いすぎて逆に胡散臭く聴こえるんじゃないか。少年の皮をかぶった俗物だもの、ELPならともかくシンフィールドの厨二ワールドは似合わない。ジャコ・ジャクジク・ヴァージョンにはたぶんレストア感がつきまとうし、ジョン・ウェットンに古典的言い回しは激しく似合わない。私としてはボズを推す。趣味やイズムや美意識や世界観の違いはどうあれ、『アイランズ』のあの感じで唄ってもらえば最適解だと思うのだ。彼岸でよろしく。
1971年12月の『アイランズ』北米ツアー終了即キング・クリムゾンを解雇されたシンフィールドは、「作詞やプロデュースすることでバンドに関わりながら、十年間で13枚のアルバムを作った」と述懐していた。まずその13枚を特定してみる。
【シンフィールド殿の十三枚】
#S1~6は7インチ・シングル仕事。アルバムは14枚も並んでしまったが、Ⓐ本人のソロ#2を抜いたパターン、Ⓑ「十年間」括りなら1981年までということで#14抜きパターン、あとⒸ全10曲中5曲だけ詞を書いたプロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー初ソロ作品の#11抜きパターン、のどれでもいいんじゃないかと思う。なおELPの#8『四部作』はSide2、#9『作品第二番』は2曲のみがレイクとの共同プロデュースとしてクレジットされている。
一目瞭然なのは、#2・3・4・6・7・8・9・10・S2・S4と大半がマンティコア・レーベル作品であること。音楽的方法論は全てグレッグ・レイクに丸投げできるから、理想の職場環境としてわかりやすい。
ちなみに#14はフランスのレジェンド歌手ジュリアン・クレールの『LES ADVENTURES A L’ EAU』の英語盤で、P.F.M.の#3&4とイタリアのレジェンドSSWヴァイオリン弾きアンジェロ・ブランデュアルディの#12&13と同じく、シンフィールドが英語詞を書いた。EU諸国のスターの英語圏デビューには欠かせない存在だったのだ、この男。
こうしてみるとクリムゾン脱退後の十年間、シンフィールドはその後の職業作詞家人生が嘘のように、「ミュージシャン/プロデューサー」的な音楽寄りの活動に固執していた。その気持ち、わからないではない。
クリムゾン時代の彼がずーっと、「どうせ僕だけミュージシャンじゃないから」的な疎外感と被害者意識とコンプレックスの塊だったのは、前回書いた。頑張って頑張って照明と作詞と企画立案でようやく居場所を確保しても、楽器素人でも音は出せる「新兵器」VCS3シンセのおかげでやっとミュージシャン気分を体感しても、やはり最終的には仲間外れにされたのだから、浮世離れしたモラトリアム文学青年でもさすがに一念発起する。
そんな彼の背中を直接的に後押しして『スティル』を作らせたのが、いろんな意味で「規格外の新人」だったロキシー・ミュージックの仕事なわけで、シンフィールドを偲ぶならプロデュース仕事は外せない。派手さはないけれど。
ただし皆思ったはずだ、「楽器を弾けない詞しか書けないひとに、プロデュースができるのか」と。
以下、話が矮小化します。
シンフィールドと同様、ミュージシャンではなく音楽評論家に過ぎない私も、ギターしか弾けないしリスナーとしての音楽知識しかないのに、プロデュース経験がある。
日本の美学/V系の元祖デル・ジベットの〈キング・オブ・デカダンス〉ISSAYから初ソロ・アルバム『FLOWERS』のプロデュースを依頼されたときは、まず本人と基本コンセプト《昭和の歌謡曲のカヴァー・アルバム》を決定。当時はまだカヴァー集そのものが珍しかった。肝心のサウンド面の実務は私にできるはずもなく、ムーンライダーズの鈴木慶一さんに共同プロデュースをお願いする。
ここで“あかずの踏切り(井上陽水)”“いとしのマックス(荒木一郎)”“夜と朝のあいだに(ピーター)”“悲しくてやりきれない(フォーク・クルセイダーズ)”“恋のハレルヤ(黛ジュン)”“時には母のない子の様に(カルメン・マキ)”“朝までまてない(モップス)”“時の過ぎゆくままに(沢田研二)”“宵待草(淡谷のり子)”“花が咲いて(ジャックス)”“シーサイド・バウンド(ザ・タイガース)”を三人で選曲。あえてノスタルジーを完全排除した音でカヴァーするのが狙いだ。
参加ミュージシャンの勧誘と交渉と編成は、私が仕切った。1994年当時の日本はまだレーベル×マネジメント×アーティストの三者契約による前近代的な実質専属制の弊害なのか、ミュージシャン同士のレーベルの枠を超えた横の繋がりがほとんど皆無だった。ほら、ゲストやらセッションやら集合離散やら脱退→加入やらとやたら人的交流の激しい洋楽ロック育ちの身としては、自分のバンドでしか活動しない/できないなんて恰好悪すぎる。
80年代後半から日本のロック仕事が圧倒的に急増して、どっぷりと沼に浸かってみたらカルチャーショックが多すぎた。レーベルからまるで定期刊行物のような新譜のリリース日と、そこから逆算した曲出し締切日を伝えられて初めて作曲を始める大半のバンド。詞曲を一切書いてないのに、全員平等の印税を欲しがるメンバー。どうしても弾けないし叩けないからと、レコーディングでこっそりスタジオ・ミュージシャンに代役で弾かせるディレクター。契約したバンドを地方から上京させるとき、一部メンバーの交代を絶対条件として実行するレーベル。ああキリがない。
それでも洋楽育ちのバンドマンは意識高いしやる気はあるのだから、なら対外試合できる場を提供してやればいい。特にV系界隈は自意識高い分だけ自由進取の気概はあるから、もってこいだ。レーベルやマネジメントに対するアーティスト個人の発言力も強いし。Xのhide、BUCK-TICK櫻井敦司&星野英彦、ex-ZI:KILLのKEN、LUNA SEAのSUGIZO、黒夢の清春、V系以外からもザ・マッド・カプセル・マーケッツCRAY&MOTOKATSUや福原まり(Shi-Shonen)など、「これでもか」とブッキングした。特にISSAY+櫻井の〈デカダン師弟デュエット〉だったり、清春にValentine D.C.のKen-ichiとかデビューしたばかりの新人がコーラスを担当する〈デカダン少年合唱団〉は、垣根取っ払いに慣れてない少年少女リスナーたちへの訴求力バツグン(←死語)だった。
当時はまだまだ普及前夜だった、マニピュレーターと組んで自宅で楽曲を録音完成できるワンマン・マルチ・ハードディスク・レコーディングを導入して1曲仕上げたhideが、本作参加を機に苛烈なソロ活動を始動したように、彼らの新たなクリエイティヴィティーの発露に繋がったのも嬉しかった。
二年後にプロデュースしたジャパンのトリビュート・アルバム『ライフ・イン・トウキョウ』の制作意図も、近い。レア・トラック14曲収録の本家のコンピ盤『シングルズ』と一緒に作ったのだけど、こちらの音楽プロデュースは曲毎の参加アーティストに丸投げした。SUGIZOとRYUICHI(LUNA SEA)、藤井麻輝と森岡賢(ソフト・バレエ)、kyo(die in cries)、田村直美、石田小吉(ex-SPIRAL LIFE)、tatsu(レピッシュ)、ISSAY、HIROKI(media youth)、藤田タカシ(Doom)らがジャパン愛を競う中、「本物」土屋昌巳さんはよりにもよって「本物」ミック・カーンと組んで参加――なぜか《キム・モリソン》という偽名を名乗ってたカーンが可笑しい。
その土屋さんが当初「トリビュートって追悼だから変じゃない?」と疑義を唱えてたくらいで、トリビュート盤は当時ほとんど認知されてなかった。海外で話題になり始めてたものの、我が国ではたぶん本作が「初」だったはずだ。そのせいかどうかわからないが、リリースした1996年の日本レコード大賞企画賞を受賞して私は藤井麻輝と授賞式に出席したのだ。大晦日に。ちなみに最優秀新人賞のSPEEDの隣りに座ってたよ。まだ小学生の。
私としては遊び場所の提供が最優先だったから、いろんな組合せでジャパンを自由に満喫する各人の姿が見られただけで満足した。マンションの管理人みたいなものだ。
個人的に最も衝撃を受けたのは、半年後には日本一しつこい国民的歌手《河村隆一》としてLUNA SEAより目茶目茶売れることになるRYUICHIの「実質」初ソロ曲“SONS OF PIONEERS~開拓者のキミ~”。なんだなんだこの副題は。彼はジャパンに特別な想い入れがないから、自作の日本語詞で自由に唄うのだ。「♪キミと二人のサタデイナイト~愛は開拓者~」だって。またデビシルが引き籠もるって。洋楽コンプレックスを抱えたミュージシャンがまだ大半を占めてた時代、このRYUICHIの屈託のなさには目からウロコが何百枚も落ちた。好き嫌いは別として。
そして本作以降、日本国内でも加速度的にトリビュート盤が連発されカヴァー文化が定着したわけで、「評論家の分際で」と陰口叩かれようが達成感はあったのだ。
つまり、誰でもプロデュースできるんです。悪いねシンフィールドと同じ土俵で語って。
要するに彼が「できる」プロデュース・ワークとは、雑誌の編集作業に近い。写真や原稿や具体的なデザインは外部のカメラマンやライターやデザイナーに外注するけれど、当該ページのコンセプトやタイトルやレイアウトを仕切るのが編集者だ。そして『宮殿』『ポセイドン』『リザード』『アイランズ』の音楽以外におけるシンフィールドの仕事は、彼の優秀な編集能力と感性を実証している。
だから世間はもちろん、EGマネジメントもグレッグ・レイクも彼の編集力を作詞以上に評価し、クリムゾン脱退後の70年代はプロデュースのオファーが後を絶たなかった。
たとえば#7――多人数弦楽集団エスペラントの2ndアルバム『死の舞踏』をシンフィールドに託した英A&Mは、明らかに『宮殿』『ポセイドン』のロマンチックでリリカルなダイナミズムを期待してのはずだ。シンフィールドも発注の意図を汲んでか、レイクの面影がなくもないキース・クリスマスを唄い手として手配した。結果的になぜか弦楽奏版ELPっぽく聴こえるのは、「中らずと雖も遠からず」ってことで。ご愛敬ご愛敬。
ちなみに1974年発売の日本キング初回盤の帯のコピーは、《ELP、PFMを育てたピート・シンフィールドが今全世界に問うプログレッシヴ・ロック・アンサンブル、エスペラント》である。もはやフィクションの域に達してるが、A&Mもこれぐらい過大評価してたんじゃないか。
一方、バルセロナの2バンドも見え見えだ。#S5のリモは、絵に描いたような〈もしもディーヴォもしくはプラスチックスがロキシー・ミュージックを演ったら?〉。とりあえずポンコツ感の再現性はすごい。#S6のエジソンAV(←読み方これでいい?)は、絵に描いたような〈もしも1972年のロキシー・ミュージックが『フレッシュ・アンド・ブラッド』を演ろうとしたら中途半端なカーズになった〉で、ご愁傷様としか言いようがないが。
だけど両者とも、たぶん『ロキシー・ミュージック』みたいにしてほしくて依頼したはずだから、この惨状にシンフィールドの責任はない。当事者の力量不足、身の程知らずが全てだ。しかもシンフィールドはあくまでも編集者であって、能力不足の素材を音楽的にブラッシュアップする具体的な方法論はないのだから、期待する方が悪い。
なお私が推すシンフィールドのプロデュース作品は、エスペラントを辞めさせマンティコアに連れてきて作ったキース・クリスマス1974年のソロ・アルバム#6『ブライター・デイ』になる。
全9曲中シンフィールド単独プロデュース5曲でグレッグ・レイクと一緒に3曲。あとレイク一人で1曲。演奏陣はイアン・ウォレスが6曲叩き、しかもココモ&後期ロキシーの「ごきげん」ニール・ハバード&アラン・スペナー組と4曲も絡む。イアン・マクドナルドの鍵盤とメル・コリンズの管も、あちこちで大活躍だ。ん、レイクはプロデュース専従なのね。で詞曲はすべてクリスマス自身。この結果アルバム全編のどこにも、エスペラントはいない。クリムゾンもいない。ELPもいない。シンフィールドもいない。アートワークも英盤のポートレイト写真は「それ」風に見えなくもないけど、米盤は先住民が描いたイカした洞窟画のようだ。
要するにプログレの「プ」の字もない、ファンキーないなたさが恰好いいアルバム。いわゆる米国音楽に憧れた英国フォークSSWの兄ちゃんにエスペラントを演らせたのが酷だったわけで、その判断の誤りを反省し彼の特性を捉え直した上でこのメンツを揃えたのならば、実はシンフィールドは有能な編集者でありおそろしく優秀なプロデューサーだったということになる。いや、単なる慰謝料だったりして。
話を戻す。英国の音楽業界的にはその『ロキシー・ミュージック』も、「プロデューサー」シンフィールドに対する信頼の根拠だったはずだ。
突然クリムゾンを解雇されてシンフィールドが暇になったのは、1971年12月。クリムゾンのオーディション受験に端を発して翌年2月14日、EGマネジメントはブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックと契約する。シンフィールドへの配慮なのか行政措置なのか、理由はともかくEGはシンフィールドをプロデューサーに起用すると早速、翌3月14日から29日までレコーディングされたのが、あのアルバムだ。
シンフィールドが「ミュージシャンとして未熟なバンド」と評したのは前回も書いたが、そりゃ天下のクリムゾンと較べたら大抵のバンドが屁みたいなもんだろう。まあ当時のロキシーが並外れてしょぼいのもわかるけど。
ロキシーはロキシーで、ギタリストがデヴィッド・オリストからフィル・マンザネラに交替したばかりながら一年以上ライヴで練りに練ってきた楽曲群なので、シンフィールドの出番はほぼ皆無だったようだ。「彼は音楽的なアイディアを持ち合わせてない」から、プロデューサーというより「スタジオ代が無駄にならぬようレコーディング・スケジュールと制作費の管理をしていただけ」とは、アンディ・マッケイの身も蓋もない証言である。フェリーさんは「いま聴くと『よくこんなのでOK出せたよなー』と僕が思うような、あまり時間を懸けず無造作に唄ったヴォーカルも彼はそのままOKだったから不思議だよ」と正直に述懐している。着任早々顧問を任された軽音楽部の夏合宿で、金勘定と時間の管理をするだけで精一杯だった新卒の国語教員みたいなものか。
でもだからこそロキシーは〈従来の文脈から外れたストレンジだけどポップなバンド〉のまま、身の程知らずのカレッジ・バンドのまま無理矢理ちゃんとさせられることなく、メジャー・デビューできたのだ。初っ端からクリス・トーマスだったら、アイディアは面白くても音がちゃんとし過ぎてて、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』みたいな違和感を醸し出してたに違いない。全て学生気分まんまのフェリーさんたちの好き放題させてくれた、スタジオにただいるだけだったシンフィールドのおかげなのだ。
何より、実際にシンフィールドを意識したかは定かではないが、「楽器が弾けなくてもミュージシャンにはなれる!」とイーノをその気にした「罪」は重い。詞やら照明やらジャケやらでバンドを間接的にデザインする役割に肩身の狭さと居心地の悪さを抱えてたシンフィールドが、最新鋭の小型ポータブル・シンセVCS3という自分の担当楽器を確保したのがとにかく嬉しくて、人の演奏に勝手に絨毯爆撃エフェクトをかけまくったように、〈音楽素人〉のイーノがテープ・エフェクトや「やっぱり」VCS3を脈絡なく鳴らしあげたなんて、とても赤の他人とは思えない。叔父と甥ぐらい近しいのではないか。
自称〈非音楽家〉の偉大なる詐欺師ブライアン・イーノと、病的なまでの寓話作詞家のはずが他称〈流行作詞家〉の偉大なる詐欺師ピート・シンフィールド。両者が圧倒的に似て非なる道を歩んだのは、皆知っている。
二人の最後の直接的接点は、1979年スペインのアートギャラリーから40P絵本とのセットで1000部限定リリースされた『ROBERT SHECKLEY’S IN A LAND OF CLEAR COLORS(透きとおった色の国で)』だった。イビサ島のアート・コミューン仲間の米国SF作家ロバート・シェクリーの同名短編小説のシンフィールドによる朗読のところどころで、イーノっぽいっちゃイーノっぽい「音響」が効果音的に顔を出す。かつてクリムゾン・マニア間で高値取引されてたけれど、聴かなくても余生に何ら影響ないので無理するな。
デヴィッド・ボウイの新作『ロジャー』のレコーディングが終わり、ミキシング作業まで日程が空いたイーノをシンフィールドが「昔のよしみ」で誘い実現したようだが、旧来のポップ・ミュージックに対する愛情の有無が立ち位置の違いに明確に表れてて、どんどん離れ離れになっていった音楽素人二人の対比を面白がってしまう。つい。
たとえばちょうど同時期に、両者ともオーケストラに興味を惹かれていた。でもシンフィールドの対象は弦楽的特性を活かした達者なエスペラントで、イーノは演奏能力が著しく欠落した素人集団ポーツマス・シンフォニア。とか。
だけどこんな捉え方もできる。
ニューウェイヴ/パンクや現代音楽やジャーマン・ロックや民族音楽経由で《アンビエント・ミュージック》を確立したのが、イーノが稀代の音楽イノベーターたるゆえんだ。特に日本で、知的な音楽として一方的にありがたがられたのには本人も意表を突かれてたけれど、いつしか〈権威〉化しちゃったのは事実である。とはいえ、彼の徹底したノン・ミュージシャン活動が予想外の説得力を持ちえたのは、デヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズに起きた奇蹟の化学反応を軽く凌駕する、U2やジェイムズやコールドプレイの商業的大成功によるところが大きい。結局は一般人にいきわたってなんぼだもの。
その際の具体的な方法論が、例の「スタジオを楽器として捉え」た〈音響工作〉という名の加工とコラージュ的な編集。バンドに弾かせたワンコードのポリリズム演奏や長尺のアンビエント・トラックを、ループしたりリバーブかけたりディレイさせたりいろいろするから〈実は生まれたときから改造人間〉というアレだ。「イーノは僕の精神をハイに拡張してくれるドラッグだから」と口走るボノは相変わらずちょろいが、このイーノ最大の錬金術的方法論って、彼やシンフィールドがその昔ステージで他人の演奏にエフェクトをばかばかかけてちょっかい出してたのと、実は本質は大して変わってないことにさっき気づいた。
もしかしたら本人のまったくあずかり知らぬところで、ピート・シンフィールドはものすごく有益なひとだったのではないか。作詞以外では。そう思ったら熱波師からのロウリュ波状攻撃のような隠喩群に、心が整うような気さえしてくる。
長く苦しい療養生活もあってか、2000年代以降は本来の作詞活動もめっきり途絶えてしまった。音楽出版社から偶然紹介された〈プログレ好きの若者〉ジャコ・ジャクジクと1992年に共作してデモも録った“Imagination Day”は、いまなお未発表のまま。
そのジャコ2006年ソロ・アルバム『ロマンティック・グリー・クラブ』収録の“Pictures Of An Indian City”は、邦題「インドの街の情景」が示すように“Pictures Of A City(冷たい街の情景)”のインド風カヴァー。彼のエスノ・アート・ロック・ユニット《ディジミリア》仲間ギャヴィン・ハリスン+タブラと口(くち)タブラの達人バンディット・ディネシュの一面的な印度アンサンブルを背景に、ロバフリのクロス・ピッキングをシタールで弾き直されると、まさにマハラジャ・クリムゾンの降臨である。おっとメルコリのソプラノ・サックスがまた東方見聞録っぽいよ。よくできたパロディだ。
ついでにジャコは「ムンバイ(旧ポンペイ)で新しい歌詞を書いたらどう」とのシンフィールドの助言を得て、〈遺灰の鉢〉〈カーストからの自由〉〈埃まみれ〉といったパワーワードが散文的に並ぶ「さもシンフィールドが書きそうな」詞を書き上げた。オリジナル詞に敬意を表し、作詞クレジットはシンフィールドのままで。
そしておそらくシンフィールドが書いたラスト・ソングは、2014年の新生7人〈三人太鼓〉クリムゾン楽団のお披露目ツアーで披露した“21世紀の精神異常者”アップデート・ヴァージョンの歌詞だと思う。フリップの依頼に応えた本人によるまさかの更新だが、妙に内容が具体的にリアルになった。まるで漫画が実写化されたかのような。
まず1コーラス目。オリジナルの「♪精神外科医が開頭手術をすればするほど、パラノイアの闇への扉も開く」的なくだりは、「♪サイクス・ピコ協定と極太葉巻が、拳で砂漠に境界線を引いた」に書き換えられた。第一次大戦後に英仏露がオスマン・トルコ帝国領を勝手に分割したのがこの秘密協定で、アラブの独立やらユダヤ人国家の建設やら21世紀の現在も影を落とす中東問題および宗教テロの根源を唄う。2025年に生きる我々には大量虐殺同然のガザの惨状が「まんま」だ。2コーラス目は、「♪ナパームの炎に焼かれる罪なき者たち」とベトナム戦争を揶揄した部分が、「♪呪われ毒された独裁政権に幸多かれ」みたいな感じに更新された。3コーラス目は1969年当時のまま。
21馬鹿の根幹に変わりはなく、相変わらずの未来永劫「お先真っ暗な歌(ロバフリ談)」だ。本当の21世紀を迎えたからには設定もアップデートしたかったのだろうが、半世紀近く暴走し続けてきた〈暗澹たるカタルシス〉の前では、歌詞の少々の古さなど我々は気にしないのに。だからこそのけじめかもしれないが、たぶん2年ぐらいでオリジナル・ヴァージョンにこっそり初期化するのだから、ロバフリは本当に人が悪い男である。
だとしても、永いキャリアの最期にクリムゾン王の宮殿を訪ねることとなった詩人の因果に、どうしてもしみじみする私なのだ。
合掌。
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第五十四回:「アニーとソーニャ。 ソーニャ・クリスティーナの巻」はコチラ!
第五十五回:「シンフィールド・オブ・ドリームス ー作詞家の巻ー」はコチラ!
第五十六回:「シン・フィールド -1.0 ーミュージシャンの巻ー」はコチラ!
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帯有
3枚は無傷〜傷少なめ、1枚は傷あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1969年に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、プログレッシヴ・ロックのスタート地点となった大名盤であり、プログレッシヴ・ロックを聴くならまずはこのアルバムからと断言できる作品です。メンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストGreg Lake、ドラマーMichael Giles、管楽器に加えて鍵盤楽器(メロトロン)も担当するIan McDonald、そして作詞家Peter Sinfieldという布陣。「21世紀のスキッツォイド・マン」のオープニングから緊張感のある変拍子アンサンブルやユニゾン・フレーズが畳み掛け、「風に語りて」では牧歌的でありながら浮世離れした音世界を構築。“混沌こそ我が墓碑銘”の一節があまりに有名な「エピタフ (墓碑銘)」と、同じくリリックの幻想美に酔いしれる「ムーンチャイルド」を経て、メロトロンの洪水に溺れるシンフォニックな最終曲「クリムゾン・キングの宮殿」へ。“THE BEATLESの『Abbey Road』をチャート・トップから陥落させた”というエピソードの真偽はともかくとして、プログレッシヴ・ロック時代の幕開けを告げる衝撃的な作品であることは間違いありません。『クリムゾン・キングの宮殿』に触れずにプログレッシヴ・ロックを語ることは、まず不可能でしょう。
紙ジャケット仕様、24ビット・リマスター、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、日本盤のみピュア・ゴールドCD・エンボス紙仕様、定価2300+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
盤に曇りあり、ラベル面に擦り傷、解説にカビあり
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯無
帯無、ケースツメ跡あり、側面部に色褪せあり
ロバート・フリップによる89年リマスター、定価2136+税
盤質:傷あり
状態:並
帯無
帯無、目立つケースツメ跡あり、軽微なカビあり
5HQCD+1DVD AUDIOの6枚組30cmLPサイズボックス、各CDは紙ジャケット仕様、帯・解説付仕様、ブックレット・オリジナルアートワークリーフレット・バッヂ・プロモ用写真レプリカ2種付仕様、DVDはNTSC方式・リージョンフリー、定価13000+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
5枚は傷あり、ボックス内側に軽微な汚れあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1970年に発表されたセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』は、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の延長上に位置する作品となっています。『クリムゾン・キングの宮殿』発表後、ギタリストRobert Frippと作詞家Peter Sinfieldを除く3名が脱退を表明するも、諸事情によりGreg LakeとMichael Gilesは引き続き本作のレコーディングに参加。新たにKING CRIMSONに参加したのは、ピアニストKeith Tippett、管楽器奏者Mel Collins、ベーシストPeter Giles(Michael Gilesの実弟)、そしてヴォーカリストGorden Haskell。その結果、本作には8名ものミュージシャンの名前がクレジットされることになりました。音楽的にはデビュー・アルバムと同一線上で捉えることも可能ではありますが、例えばKeith Tippettのジャズ・ピアノをフィーチャーした「キャット・フード」、あるいは、ホルスト作曲の組曲「惑星(火星、戦争をもたらす者)」を思わせるリズムとカオティックなメロトロンが凄まじい相乗効果を生む「デヴィルズ・トライアングル」など、新たな試みも行われています。なお本作の後、Greg LakeはEMERSON, LAKE & PALMERとして再デビュー、そしてMichael GilesとPeter Gilesの兄弟はすでにKING CRIMSONを脱退していたIan McDonaldと共にMcDONALD AND GILESを結成します。
HDCD、30TH ANNIVERSARY EDITION、デジタル・リマスター
盤質:傷あり
状態:良好
小さいケースツメ跡あり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。サード・アルバム『リザード』をリリース後に、ベース・ヴォーカリストGorden HaskellとドラマーAndy McCullochが脱退。1971年に発表された4thアルバム『アイランズ』は、ベース・ヴォーカリストBoz(Boz Burrell)とドラマーIan Wallaceを迎え制作されました。ゲスト・ミュージシャンは、前作『リザード』にも参加のジャズ・ピアニストKeith Tippett、コルネット奏者Mark Charig、オーボエ奏者Robin Millerに加えて、ダブル・ベース奏者Harry Millerと女性オペラ歌手Paulina Lucasが新たに参加しています。本作は、いて座三裂星雲のジャケットが示す通り「静寂」あるいは「静謐」といったワードが相応しい神秘的なサウンドが展開される傑作。KING CRIMSONらしいヘヴィネスが炸裂する『船乗りの話』のような楽曲も収められていますが、全体的にアコースティック楽器に比重が置かれています。Keith Tippettらは言うまでもなく、Harry Millerの浮世離れしたダブル・ベースや、Paulina Lucasの魔術のようなソプラノ・ヴォイスも楽曲に素晴らしいアクセントを加えています。本作を発表後、Peter SinfieldがRobert Frippと対立し解雇、さらに残る3名も音楽性の違いが明確になりKING CRIMSONは解散。Robert Frippは再始動に向けて新たなメンバーを探すことになります。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1971年の4thアルバム『アイランズ』を発表後、Peter SinfieldがRobert Frippと対立し解雇され、さらに残る3名もRobert Frippとの音楽性の違いが明確になりKING CRIMSONは解散となりました。1972年に発表された『アースバウンド』は、解散決定後のアメリカ・ツアーの模様を収録したライブ・アルバムであり、KING CRIMSONのディスコグラフィーの中で最も批判的意見の多い作品と言えるでしょう。その最も大きな理由は音質の悪さにありますが、やはり録音状態の良し悪しは作品の評価に直結してしまうため、本作に対する評価は必ずしも高くありません。ただし、発売から半世紀が経過した現在であれば、本作にもKING CRIMSONの歴史上重要な史料的価値があります。ライブ・アルバムとしては必ずしもオススメできる作品とは言い切れませんが、『クリムゾン・キングの宮殿』から『アイランズ』までを聴いた後でこの作品に触れると、KING CRIMSONに関する知識をより深めることができるでしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。4thアルバム『アイランズ』を発表後に解散したKING CRIMSONですが、Robert Frippは新たなメンバーを探しKING CRIMSONを再始動。グループの最高傑作と名高い1972年の5thアルバム『太陽と戦慄』を世に送り出しました。メンバーはギタリストRobert Frippに加えて、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、パーカッション奏者Jamie Muir、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。本作は、確かな技巧を持ったミュージシャンたちによる最高品質の実験音楽作品であり、1曲目の「太陽と戦慄 パートI」と最終曲「太陽と戦慄 パートII」に象徴される、即興演奏を重視したメタリックなプログレッシヴ・ロックの大傑作となっています。また、2つの先鋭的な楽曲に挟まれた中盤の楽曲たちも素晴らしく、John Wettonのヴォーカルが冴えわたる「土曜日の本」や、最初期のKING CRIMSONサウンドが頭をよぎる「放浪者」、 ヘヴィーなギターとスキャットから始まる「イージー・マネー」 、Jamie Muirの話し太鼓(西アフリカの伝統的な太鼓の奏法)を曲名に冠した「トーキング・ドラム」と、どの楽曲も強烈な個性を持っています。ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックを聴くうえで、避けて通れない名盤です。
紙ジャケット仕様、24bitデジタル・リマスター、HDCD、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
カビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。6thアルバム『暗黒の世界』後にヴァイオリン奏者David Crossが脱退。3人体制となったKING CRIMSONは、1974年に7thアルバム『レッド』をリリースしました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Brufordという布陣。ゲストには、ソプラノ・サックス奏者Mel Collins、アルト・サックス奏者Ian Mcdonald、ヴァイオリン奏者David Cross、コルネット奏者Mark Charig、オーボエ奏者Robin Millerという旧メンバーあるいは過去作にもゲスト参加の経験を持つミュージシャンたちが迎えられています。その内容は、アルバムのオープニングを飾る「Red」から破壊的なギター・サウンドとアグレッシヴなリズム・セクションに驚愕する傑作。KING CRIMSON作品の中で最も素晴らしいバラード曲との呼び声も高い「堕落天使」、初期のKING CRIMSONサウンドをヘヴィーに再構築したような「再び赤い悪夢」、インプロヴィゼーションのライブ録音楽曲「神の導き」、抒情的なヴォーカルが印象的な前半部とギターやサックスが暴れまわる後半部から成る長尺曲「スターレス」と、全曲がプログレッシブ・ロック史に残る名曲です。本作のリリースをもって、KING CRIMSONは再び解散することとなりました。裏ジャケットに使われている、レッド・ゾーンに振り切れた音量メーターが、本作の狂暴な音楽性と当時のグループの状況を示唆しています。
紙ジャケット仕様、24ビット・デジタル・リマスター、HDCD、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:全面に多数傷
状態:並
帯有
カビあり、スレあり
紙ジャケット仕様、24ビット・デジタル・リマスター、HDCD、カラーブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
ロバート・フリップによる89年リマスター、ファミリーツリー付き仕様、定価2233+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
トレーに軽微な黄ばみあり、ジャケット角に軽微なスレ傷あり、側面部に軽微な色褪せあり
40TH ANNIVERSARY SERIES、デジパック仕様、スリップケース・ブックレット付仕様、CD+DVDの2枚組、ボーナストラック3曲、DVDはNTSC方式・リージョンフリー
盤質:傷あり
状態:良好
若干スレあり、若干曇り汚れあり
紙ジャケット仕様、DVDオーディオとHQCDの2枚組、40周年記念エディション、DVDオーディオには5.1サラウンドとステレオ・ミックス、ボーナス・トラック4曲+映像4曲、HQCDにはボーナス・トラック3曲収録、復刻巻き帯・メーカー製特典ボックス付き仕様、定価4200+税
盤質:無傷/小傷
状態:良好
帯有
特典帯付
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。5thアルバム『太陽と戦慄』に続いて1974年にリリースされた6thアルバム『暗黒の世界』は、スタジオ・レコーディングとライブ・レコーディング(73年録音)が混在する変則的な作品となっています。収録曲順に見ていくと、「偉大なる詐欺師」と「人々の嘆き」は完全なスタジオ・レコーディング。「隠し事」はライヴ・レコーディングで、「夜を支配する人」はライヴ・レコーディングの冒頭から途中でスタジオ・レコーディングに切り替わります。「トリオ」はライブ・レコーディングで、「詭弁家」はライブ・レコーディングに後からスタジオ・ヴォーカルをかぶせた楽曲。「暗黒の世界」と「突破口」はライブ・レコーディングとなっています。前作『太陽と戦慄』でパーカッション奏者Jamie Muirが脱退したため、本作のメンバーはギタリストRobert Fripp、ベース・ヴォーカリストJohn Wetton、ドラマーBill Bruford、ヴァイオリン奏者David Crossという布陣。内容的には、初期の強烈なKING CRIMSONサウンドに回帰したようなスタジオ楽曲と、インプロヴィゼーションで聴かせるライブ楽曲に分かれています。本作を発表後にDavid Crossが脱退し3人体制となったKING CRIMSONは、次作『レッド』の制作に取り掛かります。
紙ジャケット仕様、日本盤のみエンボス紙使用、24ビット・リマスター、HDCD、歌詞対訳付仕様、ブックレット付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
特典帯付(紙ジャケに巻いてあります)、カビあり、若干汚れあり
75年発表のライブ・アルバム。「RED」発表前の74年に録音されており、当時のラインナップはRobert Fripp(g)、John Wetton(b、vo)、 Bill Bruford(ds)、David Cross(vln、key)の4人編成。アルバム中3曲でEddie Jobson(vln、key)のパートがダビングされています。鮮やかなヴァイオリンの旋律を切り刻むメタリックなギター・リフ、グイグイとウネリを生み出して暴走するリズム隊。この時期ならではのパワフル且つ緊迫感溢れる即興演奏に終始圧倒されっぱなし。代表的名曲「21st Century Schizoid Man」では原曲のサックス部分をヴァイオリンで再現しており、よりヒステリックな爆発力を楽しむことが出来ます。沸点目掛けて上り詰めるRED期クリムゾンの凄さを体験出来る名ライブ盤。
紙ジャケット仕様、24bitリマスター、HDCD、3曲追加収録、ブックレット・歌詞対訳付仕様、定価2200+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
ラベル面に若干ビニールやけ
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1974年に7thアルバム『レッド』を発表し、KING CRIMSONは解散。しかし、ソロ・ミュージシャンとして活動する中でバンドへの意欲が高まったRobert Frippは、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordと共にKING CRIMSONを再結成しました。アメリカ人ミュージシャン2名が加入した新生KING CRIMSONによる1981年の8thアルバム『ディシプリン』は、フリッパートロニクスと称されるギター・シンセサイザー、スティック・ベース、電子ドラムといった新しい楽器が導入され、音楽性も、アフリカン・ミュージック(ポリリズム)の民族色を取り入れたアプローチや、ミニマル・ミュージック、そしてニュー・ウェイヴやディスコ・ミュージックのような流行音楽にまで手を伸ばし新しいKING CRIMSONサウンドを生み出しています。『ディシプリン』はリリース当時こそ音楽性の変化が賛否両論を巻き起こしたものの、現在では『クリムゾン・キングの宮殿』や『太陽と戦慄』と並んでグループの傑作アルバムのひとつと言われる高い評価を受けています。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1981年の8thアルバム『ディシプリン』で再始動したKING CRIMSONは、翌82年に9thアルバム『ビート』を発表しました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣であり、KING CRIMSONの歴史上初めて前作と同一メンバーによるスタジオ・アルバムとなりました。本作は、ビートニク(第二次世界大戦後のアメリカで起こったカウンター・カルチャー)の作家であるジャック・ケルアックの作品「路上」に着想を得たアルバム。例えば冒頭の「ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー 」はニール・キャシディ(上記「路上」の登場人物のモデルとされる)、ジャック・ケルアック、そして「ミー」がAdrian Brewを指しています。同一メンバーということもあって8thアルバム『ディシプリン』からの流れを汲んだ内容であり、ポリリズムの多用、ミニマルなフレージング、エスニック・ミュージックのテイスト、そしてインプロヴィゼーションなど、前作から継承されたサウンドを聴かせています。ニュー・ウェイブ風のポップな衣装を身にまといつつも、注意深く耳を傾けてみると非常に高度な音楽的アプローチを行っているというのが、この時期のKING CRIMSONの特徴でしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1984年に発表された10thアルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』は、8thアルバム『ディシプリン』と9thアルバム『ビート』と同一メンバーにて制作されました。メンバーは、ギタリストRobert Fripp、ギター・ヴォーカリストAdrian Brew、ベーシストTony Levin、そしてドラマーBill Brufordという布陣。本作は、KING CRIMSONのスタジオ・アルバムの中ではあまり目立たない存在かもしれません。その理由は、契約履行のために作ったアルバムという印象が強いことや、Adrian Brewのポップ・センスに寄せた出来になっていることなどが挙げられるでしょう。確かにアルバム前半には分かりやすいヴォーカル・ナンバーが収録され聴き手を困惑させるかもしれませんが、後半ではKING CRIMSON版インダストリアル・ロックとでも名付けたくなるようなインストゥルメンタルが配置されています。もちろんインプロヴィゼーションもフィーチャーされており、最終楽曲のタイトルは、なんと「太陽と戦慄 パートIII」。Robert Fripp本人も本作に対してはポジティブな感想を持っていないようですが、8thアルバム『ディシプリン』からの一連の流れを知る意味で、チェックしておきたいアルバムでしょう。
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONの次なるリリースは、94年のミニアルバム『ヴルーム』。この時期のKING CRIMSONは
ギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。本作は、95年のフル・アルバム『スラック』へのウォーミング・アップのような意味合いの作品であり、事実6曲中4曲がアルバム用にリミックスされ『スラック』にも収録されています。内容は、7thアルバム『レッド』に通じるヘヴィーな楽曲を中心としており、KING CRIMSONの進化はまだまだ続くと確信させられる出来栄えです。
紙ジャケット仕様、初回プレス限定ステッカー付仕様、デジタル・リマスター、定価2300+税
盤質:無傷/小傷
状態:並
帯無
帯無、軽微なカビあり
ギタリストRobert Frippを中心に結成され、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック・シーンの頂点に君臨し続けるグループ。プログレッシヴ・ロックという音楽ジャンルを構成する要素の多くは彼らがロック・シーンに持ち込んだものであり、現在もなお数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けています。1980年代に『ディシプリン』『ビート』『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』を発表し活動を休止したKING CRIMSONは、94年に久々の新作となるミニアルバム『ヴルーム』を送り出し、翌95年には『ヴルーム』の楽曲を含むフル・アルバム『スラック』を発表しました。この時期のKING CRIMSONはギタリストRobert FrippとAdrian Brew、ベーシストTrey GunnとTony Levin、ドラマーPat MastelottoとBill Brufordという布陣から「ダブルトリオ期」と呼ばれています。内容は、冒頭の「ヴルーム」を聴いただけで7thアルバム『レッド』の衝撃がよみがえるような、強烈なヘヴィー・プログレッシヴ・ロックとなっています。Robert Frippは、新たなKING CRIMSONの音楽性を「ヌーヴォ・メタル (Nuovo Metal)」と標榜しました。
紙ジャケット仕様、2枚組、デジタル・リマスター、定価3500+税
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
帯中央部分に軽微な色褪せあり、初回プレス限定の「THE COLLECTORS KING CRIMSON SAMPLER VOL.3」(5曲入り)付属
紙ジャケット仕様、初回プレス、3枚組(初回盤特典「キング・クリムゾン・サンプラーVOL.3」付き仕様)、デジタル・リマスター、定価3675
盤質:傷あり
状態:良好
帯有
サンプラー盤なし
紙ジャケット仕様、2枚組、定価3500+税
盤質:傷あり
状態:並
帯有
帯中央部分に色褪せあり、カビあり、盤に軽微な曇りあり
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