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「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう@カケハシ」 第五十五回 シンフィールド・オブ・ドリームス ー作詞家の巻ー 文・市川哲史


第五十五回 シンフィールド・オブ・ドリームス ー作詞家の巻ー


前回のつづきで『アニーとソーニャ。アニー・ハズラムの巻』を書く予定でしたが、〈隠喩まみれの現実逃避詩人〉ピート・シンフィールドの訃報を聞き、変更しました。だってお世話になったもの21馬鹿と墓碑銘と宮殿と風語りにはもう。


昨年11月13日に谷川俊太郎さんが逝く。謳われる圧倒的な孤独感が妙に心地好かった『二十億光年の孤独』以来ずっと、なんか都会的な語り口が好きだった。とはいえそれを知ったのは思春期を迎えてからの話で、私の谷俊体験は1972年から『週刊朝日』で連載がスタートした『PEANUTS』日曜版の名訳に尽きる。小学5年生ぐらいだったと思うが、文房具や布バッグでスヌーピー・ブームも始まりつつあったはずだ。

チャーリー・ブラウンの子供とは思えない諦めの人生観に共感した小学生の自分もどうかと思うが、たとえば彼の口癖である「OH MY GOODNESS(←ピーナツの台詞は全て大文字なのだ)」を「ヤレヤレ」と訳す感性にしびれた。近年は『心をととのえるスヌーピー』だの『スヌーピーの自分らしく生きることば』だの『スヌーピーたちの人生案内』だのと、日本ではすっかり自己啓発本の手先に成り下がってて、かなり虚しい。

考えてみたら環境活動家のレイチェル・カーソン女史や消費者運動家のラルフ・ネーダーの存在だって、チャーリー・ブラウンやライナスの独り言で初めて知った。小学生に『沈黙の春』はぴんとこなかったけど。私の師はウッドストックだったのかしら。



すると翌日、同じ詩人でも今度はピート・シンフィールドの訃報ときた。

2005年に心臓の四重バイパス手術を受けるほど体調を崩しまくってたとは聞いてたし、五年後の2010年秋にロンドンで開催されたキング・クリムゾン40周年記念ミーティングに現れた、四半世紀以上ぶりのシンフィールドの姿は、新日に一瞬だけ来日したジャイアント・グスタフもしくはバンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソのフランチェスコ・ディ・ジャコモもしくはジョン・ウェザーズもといジェントル・ジャイアント1stアルバムの山男風巨人と化してて皆、目を疑ったはずだ。あの絵に描いたような優男が、どこから見ても〈服を着た不健康〉だったのだから。そりゃ風に語るしかないだろう。

我々にとっての〈詩人シンフィールド〉とは、言うまでもなく『クリムゾン・キングの宮殿』『ポセイドンのめざめ』『リザード』『アイランズ』の四枚に尽きる。わかりきってることなので今回はあえて触れないけれど、あの圧倒的な〈古典かぶれのネガティヴィティー〉はどんな哲学よりも衝撃的だったはずだ。これでもかと隠喩を連ねた〈お先真っ暗ファンタジー〉は、思春期の我々を浮世離れしたモラトリアムの宮殿に拉致ってくれたのだから。

とはいえ彼は、残念ながらインタヴューしたことがない数少ないクリムゾンOBの一人だったりする。そのせいかシンフィールドってその足跡のあちこちがストレンジで、未だに面白がってしまうのだ。


まずは、クリムゾン作品も含む彼の作詞曲一覧エクセルを掲載させてもらう。訃報を聞いて大至急作ったので、多少の漏れや重複は見なかったことにしてください。



【ピート・シンフィールド作詞曲一覧】

#36から#44はP.F.Mの世界デビュー盤『幻の映像』と『L’ ISOLA DINIENTE』の英語盤『蘇る世界』、#72から#90はのちに伊カンタトゥーレを代表するSSWとなった、アンジェロ・ブランデュアルディの英国デビュー盤『HIGHDOWN FAIR(←ALLA FIERA DELL’EST)』と『FABLES AND FANTASIES(←LA PULCE D’ACQUA)』の英語詞になる。

こうして見ると1970年代はやはりクリムゾンの御威光が無敵すぎて、プログレ村の仕事が目立つ。『恐怖の頭脳改革』以前は悪戦苦闘の〈なんちゃってシンフィールド〉な歌詞がやっとだっただけに、クリムゾン脱退を待ちかねてたように三顧の礼でELPの座付作詞家に招聘したグレッグ・レイクの気持ちも、わからないではない。たしかに“タルカス”の詞をシンフィールドが書いてたなら、荘厳な一大叙事詩に昇華したに違いないが、それはそれでジャケ画のタルカスがチープすぎて台無しだったかもしれない。

クリス・スクワイアの名盤『未知への飛翔』収録の#65“セイフ”は、クレジットに拠ると厳密に言えば作詞ではなく「for suggestions」、要するに「ヒントいただきましたあぁ」程度のようだ。〈牢名主〉スクワイアが勝手にそう思ってるだけで、たぶんシンフィールドが実質書いた気がする。

ただし、サリー州の自宅の隣人のよしみでプロコル・ハルムの鍵盤担当ゲイリー・ブルッカーの初ソロ・アルバムに書き下ろした#67~71は、あの『ラヴ・ビーチ』直後の1979年作品だけに、業と化してたはずの文学性を稀釈してとにかく愛や恋を唄う、毒にも得にもならない高級歌謡曲路線への移行が始まっていた。だって#67なんて、♪あなたの想い出になるものをちょうだいぃぃぃ~だもの。ヤレヤレ。


思うに57曲目――そもそもはレイクのソロ・シングルだった“夢見るクリスマス”が英2位の大ヒットを記録した1975年あたりから、シンフィールドの文学かぶれがレイドバックし始めた気がする。ちなみに“夢クリ”の全英1位を阻んだのは、クイーンの“ボヘミアン・ラプソディ”だったと思う。12月の大英帝国っぽいわあその空気感。

『四部作』『作品第二番』『ラヴ・ビーチ』とELPが加速度的にレイドバックし続けた頃、シンフィールドは生活拠点をイビサ島に移し、スペイン各地を転々としていたらしい。

詩作の世界に溺れドノヴァンの虜となってわずか16歳で学校を辞めると、ちょっとだけ広告代理店に勤めたらコンピューター会社に勤務。その間の趣味が欧州内の小旅行だったりして、もう〈机上の空ヒッピー〉感満載のヤング・シンフィールド。わかりやすい。それだけにケヴィン・エアーズでお馴染みのイビサ島移住は、思春期来の宿願が叶ったのではないか。もちろん〈漂泊の達人〉エアーズ先輩の「どこまでも自然体」の域には、とても届かない。でもとろとろに溶けてしまわないところが、〈いたいけな文芸モラトリアム〉シンフィールドならではのイノセントな生真面目さなのだ。ヒッピー暮らしは似合わない。

だから1980年には早々に帰英したのも無理からぬ話だけれど、準ミスでモデルのスペイン美女と結婚してたのには驚いた。クリムゾンからのマンティコア歌詞部長待遇の時代を思えば、ようやく現実の人間社会に適合し始めたのかもしれない。



そして誰も予想できなかったシンフィールド一世一代の大確変を呼んだのが、音楽出版社に紹介されたアンディ・ヒルとの運命的な邂逅である。別表のとおり、1980年発表の96曲目を皮切りに1990年代半ばまでの外注仕事の大半がヒルとのタッグ。耳当たりが賑々しくて新しくは聴こえても、実は「圧倒的な普遍性とポジティヴィティー」が正体だった80年代ポップスを、悪気なくさらにウルトラ・オーディナリー化できちゃう敏腕ソングライター兼プロデューサーと組むことで、瞬く間にシンフィールドは人気職業作詞家になってしまった。もちろん、世界の不条理を一切合切背負って墓碑銘にした負のカタルシス満載の「あの」文芸性は封印した。ラヴソングにあんな物騒なネガティヴィティーや、偏執的で面倒くさい隠喩レトリックは無用だからだ。

のちに本人が「三分間のヒット曲の歌詞を書くのは、クリムゾンやELPの歌詞を書くより10倍以上難しいんだから」と愚痴ってたくらいだから、転向当初はクリムゾン王の宮殿設計者としてのプライドが邪魔したに違いない。適当に書き散らした歌詞もまあまああると見た。それでも、どんだけ最大公約数的なラヴソングでも最小限の言葉選びだけで品よくまとめられちゃうから、たぶん本人の意志とは無関係に重宝されたんだと思う。普遍であることが作家性として成立したのだから、当時の音楽マーケットはちょろかった。

というか、それだけ〈ピート・シンフィールド量産型モデル〉が安心安全の品格と品質を標準装備していたに他ならない。リザード組曲をなめんなよ。





最初のヒル&シンフィールド作品は、#97“Have You Ever Been In Love”。まず1981年にヒルのバンド【ジェム】で初披露すると、翌年春にはパイロット→アラン・パーソンズ・プロジェクトのギタリストや、後にロジャー・ウォーターズやビル・ワイマンに重宝される数奇な鍵盤奏者らと組んで自ら唄うグループ【パリス】の1stシングルとしてリリースした。このときは全然売れなかったが、翌々年レオ・セイヤーがカヴァーしたら全英10位のヒットを記録した。ちなみにその際の邦題は“愛の面影”。往年の東芝EMIっぽいわあ。

ヒル本人、当時は売れなくてもこの処女コラボの出来に確信を得たはずだ。


前年の1981年暮れにリリースされた『ザ・ヴィジターズ』を最後に、1975年以降世界規模で数億枚は売れまくったアバが活動休止。ビョルン&アグネタに続くベニー&フリーダの離婚で予測してたのか、この千載一遇の好機に登場した最強の二番煎じが、【バックス・フィズ】だった。その音楽プロデューサーが、他ならぬアンディ・ヒルだった。同業異種のノーランズが一人勝ちした日本じゃおそろしく印象が薄いが、デビュー曲“Making Your Mind Up(夢のハッピー・チャンス)”は3週連続全英1位のみならず、〈80年代の英国で47番目に売れたシングル曲〉だったりする。アバ名義の最初のシングル“恋のウォータールー”と同じく、ご丁寧にこの楽曲もユーロヴィジョン・ソング・コンテストのグランプリ曲に輝いたのだから、よくできた話だ。

しかし英語版ウィキに「ほとんど意味のない歌詞」とわざわざ言及された“夢のハピチャン”の詞を書いたのは、なんとヒル。しかもコンテスト本番の最中に、男子メンバー2名が女子メンバー2名のスカートをはぎ取るとあら不思議ミニミニスカート姿に――的な演出が良くも悪くも目立ちすぎた。

そもそもアバが全世界的に一世風靡した要因は、フィリー・ソウルからミュンヘン・サウンドに通ずる徹底的にポジティヴな賑々しさはそのままで、不適切にもほどがあるディスコ特有のいかがわしさを排除した点にある。だから、『マンマ・ミーア!』なんて映画/ミュージカルとして成立してしまうほど健全で、世にも稀な自己啓発ディスコ・ミュージックに仕上がっちゃったわけだ。そんなアバの後釜を狙う以上、バックス・フィズには早急な人畜無害化が求められる。ヒルがその一環として、#97で成果を上げたシンフィールドを作詞屋として本格登用したのは正しかった。




とはいえ別表にあるように、シンフィールドがバックス・フィズに書いたのはわずか11曲で、お世辞にもメイン・ライターではない。彼の作詞曲で結果的に売れたのは2ndシングルの#102“The Land Of Make Believe(夢のワンダー・ランド)”だけ。それでも2週連続英1位で、しかも80年代の英国で41番目に売れたシングル曲で、欧州各国でも軒並み大ヒットしたのだから立派だ。シンフィールド自身は「当時のサッチャー政権をあげつらって書いた」と言い張るが、〈お気楽なディズニー・ソングにしか聴こえないからヒットした〉という現実を直視したくなかったに違いない。

バックス・フィズ自体は、あろうことかメンバーを固定できないわ米国では全くウケないわで、90年代までもたず解散の憂き目を見る。それでもシンフィールドはヒルの優良作詞アプリのひとつとして、その後も起用され続けた。

最大の商業的成功を彼にもたらしたのは、泣く子も黙る〈史上最強の海の藻屑〉セリーヌ・ディオン仕事――1993年のシングル#152“シンク・トワイス(Think Twice)”は7週連続全英1位で、90年代の英国で16番目に売れたシングル曲どころか、歴代58位の大ベストセラーだ。かつアイルランドで9週、ベルギーで5週、オランダとノルウェーとスウェーデンでは4週連続1位と、プログレ市場じゃありえないセールスを記録した。ところが1996年にもう1曲書いた#153“コール・ザ・マン(Call The Man)”は、アルバム『FALLING INTO YOU』から5枚目のシングルカットだったので、いくらなんでも英11位止まり。そりゃ柳の下も干乾びる。

だがしかし絶頂期のディオン様をなめてはいけない。“シンク・トワイス”を収録した前作『THE COLOUR OF MY LOVE(ラヴ・ストーリーズ)』も英・加・豪に欧州各国で軒並み1位で、日本でもミリオンと全世界で累計2000万枚以上売った怪物アルバムだが、この『FALLING INTO YOU』はそれ以上の3200万枚ときた。英米豪仏蘭加などで1位は当たり前、グラミー賞も獲ったし英国で歴代57位、米国でも歴代21位の超メガヒット・アルバムだもの。1曲作詞しただけで目が眩む印税が入ったのではないか。


なのでヒル仕事がすべからくヒットしたわけじゃない。でもクライアントがいちいち豪華なラインナップだから、錯覚してしまうのだ。

ダイアナ・ロス。シェール。ベット・ミドラー。ポインター・シスターズ。ルル。バーバラ・ディクソン。ジェニファー・ホリディ。クリフ・リチャード。フランキー・ヴァリ&ザ・フォー・シーズンズ。バリー・マニロウ。アルバート・ハモンド。レオ・セイヤー。デヴィッド・フォスター。エディ・マネー。シカゴのピーター・セテラ。本家アバのアグネタ・フェルツコグ。あとスパンダー・バレエのトニー・ハドリーまで(失笑)。

ここまでくるともう、ほとんど通販番組や新聞広告で売られてる格安洋楽ヒット曲集状態である。興味深いのはその全てがオーダーメイドの書き下ろしなわけではなく、#97・104・105・106・114・138・139・150のように既発表の楽曲を他のシンガーが新規で唄うパターンが目立つ点だ。

たとえば#107シェールの“ハート・オブ・ストーン”は、英最高50位と振るわなかったバックス・フィズ解散前のラスト・シングル曲を、彼女が翌年唄い直した曲だったりする。要するにヒル工房の楽曲は唄うシンガーの記名性に一切左右されない、言い換えれば誰が唄っても「それなりに新しい」英国産歌謡曲のカスタムメイド――面白味はなくても誰もが聴ける、安心安全な最大公約数が提供されるわけだ。

ヒル楽曲のクライアントが、かつて一世風靡した実績を持つベテラン勢に偏ったのもわかる。彼ら彼女らがなお「現役」であることのアリバイとして唄う〈80年代的なもの/90年代的なもの〉にもってこいだから、そりゃ重宝されただろう。そして作詞したシンフィールドからすれば新作を書かなくても唄われる機会が単純に増えるわけで、コスパ的には断然いいもの。

さらに言えば、80年代に端を発した〈ヒット・チャートこそ正義〉時代ならではの産物が、『NOW THAT’ S WHAT I CALL MUSIC』シリーズに代表される、レーベルの枠を超えたヒット曲コンピレーション盤。世界各国で雨後の筍のように大量リリースされたアレだ。ここに“シンク・トワイス”やらヒル作品がやたら収録されてたので、この印税収入が積もるとまた怒濤の破壊力を誇るから嫌になる。

ヒル仕事ではないけれど、あのグレッグ・レイクの“夢見るクリスマス”だって、レイク本人が「歳末が近づくとラジオから盛んに流れてクリスマスのコンピ・アルバムに必ず収録されるから、印税の小切手を毎年9月に受け取るのはちょっとした幸せ」と豪語するほどで、季節商品も心強い。ちなみに100タイトル以上のクリスマス関連アルバムでこの唄、聴けます。うへ。


となんか下衆な話に終始したけれど、桁違いのプログレ長者が一人ぐらいいてもバチは当たらないんじゃないか。聞いただけで高難度で治療費かかりまくりそうな四重心臓バイパス手術を受け、高額医療生活に専念できたのだって、職業作詞家としての収入あってこそだったはずだもの。

経済的困窮により進行性末期がんの英国内での治療を受けられないミック・カーンを支援すべく、日本でも有志が立ち上がったものの時既に遅し。なんとか英国での化学療法は翌年実現できたけれど、病魔の克服は叶わなかったのを想い出した私だ。合掌。

誰にシンフィールドの印税生活を責められよう。ねえ?


ヒルとのコラボを軸に職業作詞家生活を営んでいた80年代、シンフィールドは再びスペインに渡りマヨルカ島界隈で居住してたらしい。「PFMはキング・クリムゾンの地中海味みたいで好きだった」と述懐するほどだから、商業主義に対峙するには「地中海」という名のライナスの毛布もしくはシュレーダーの玩具のピアノは手放せなかったに違いない。

元カルチャー・クラブのマイキー・クレイグ&ロイ・ヘイのユニット【ディス・ウェイ・アップ】とか、元コミュナーズの【サラ・ジェーン・モリス】とか、バーニー・マースデンの【アラスカ】とか、ジャーニーの別動隊【バッド・イングリッシュ】とか、「誰がピラミッドを建てたのか?」と唄い踊る意味不明な独ディスコ・プロジェクト【O.R.S.】とか、ヒル仕事以外の幅広すぎるクライアントからの半端ないストレスに対峙するにも、地中海ボケは有効だったのではないか。でもプログレ人脈仕事がほぼ皆無だったのが、実はいちばん精神衛生上よかった気もする。きっと。


それでも90年代開幕とほぼ同じくして、シンフィールドは英国に帰還した。例のスペイン美女妻とも離婚してただけに、彼の地中海ヒッピー・モラトリアム時代の終焉だったのかもしれないが、その最後に暮らしてたのがフォーメンテラ島だとは、ちょっといい話だと思ってしまった私が哀しい。














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